2018年11月19日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(6/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 全日本郵趣連盟──現在の一般社団法人・全日本郵趣連合の前身で、一九五〇年代発足の収集家・研究家組織──が、加盟者向けに出していた『切手』という小冊子がある(一九五八〜一九六四、全日本郵便切手普及協会・刊)。
 これに郵政省担当者の寄稿で、戦後の高度成長期にスタートした国立公園の第二次シリーズや国定公園記念切手の「出来るまで」記事が、発行のたびに掲載されている。
 冊子がひと足早く終刊となり、すべての公園切手について知ることはできないが、読んでいると、じつに奇妙な面白さがある。

 というのは、どの切手について書かれた文を読んでも、ほぼ同じ構成、似た展開なのだ。
 お役所仕事の延長で、内容より形式がないと出稿に決裁がおりなかったのか、あるいは「ご当地」へ配慮し、切手づくりに温度差はないように書いたのか、さして意味はないのか、正確なところはわからない。
 いずれにしても、とりわけ苦労した部分や現地体験が制作に反映した経緯などが、いまひとつ伝わってこない。
 切手になった公園の説明にも毎回それなりの紙幅が割かれているが、図鑑の解説のようだ。実際に技芸官たちが行って写真を撮ったり画題探しをしたりして切手を作った──もとは、きわめて画期的なことだった──にもかかわらず、読むとそこへ行ってみたくなるようなワクワク感がないのだ。

 とはいえ、「切手が出来るまで」を読むかぎり、高度成長期を中心に石油ショックあたりまで発行が続いた、戦後の国立、国定公園切手は、多くが地元の請願つまり陳情を起点に、郵政省の審議会で制作・発行が決まったのだ、ということはわかる。
 戦前の国立公園切手の発行順をどう決めたかは不明だが、国の非常時に、地域振興したいから記念切手を出してチョ! などという陳情が各地域から積極的にあったとは思えない。したがって、たびたび書いてきた「宣伝戦」のことを持ち出さずとも、あくまで国の中心から見た、周縁の風景の図像化であったはずだ。
 その点では、戦後の国立、国定公園切手には、周縁の側からの風景の提案という方向性が多少なりと生じた、あるいは認められた、といえなくもない。
 しかし、周縁の有力者たちが名を連ねる請願と、国の有力者によるその認証が、しばしば発行の出発点となった結果、国立、国定公園切手と、その絵柄に選ばれた風景は、結局のところ政治に、日ごとに緊密に結びついていく。

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 一九五八年八月十日発行の「佐渡弥彦」国定公園切手が、初のシリーズ化が決まった国定公園切手の一番手だ。
 印刷原画は絵で、グラビア四色刷。「佐渡おけさ」と「弥彦山」が美しくカラー印面になった10円切手が二種類、発行されている。
 国定公園切手の場合、現地調査は印刷原稿撮影ではなく画題探しだ。一九五八年二月中旬、郵政省技官らの四日ほどの調査は、雪降りの弥彦、そして新潟港から佐渡へと続いた。

 ──映画「君の名は」でロケをしたという吊橋を渡って岩礁に立ったときは指を切るような潮風が吹きつけて、春に咲くという岩百合群生地点をたどるすべもありませんでした。脚下には、夏には想像も出来ないであろうと思われる物凄い波頭が断崖にたたきつけていましたが、静かに水平線の彼方に落ちかける夕陽は印象的でした。

 おかしい、けっこう面白いな。
 いや、なにぶん国定公園切手の第一号なので、初寄稿にも力が入っていた、ということで……。
 それはともかく、二種類の「佐渡弥彦」記念切手を見てみると、冬風や荒波が「どへへ〜ん」という感じはどこにもない。同じ新潟でも、本州の豪雪地帯ほど雪は降らないらしいにしてもだ。
 原稿に使われた画はもちろん二月の調査のみで描かれたが、風雪や波浪を強調した絵柄候補は、もともと用意されていない。そして、候補から実際に切手になった二つを選んだのは、郵政省ではない。

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 国定公園も記念切手にしたいという動きは、この「佐渡弥彦」切手発行の五年近く前からあった。
 しかし、第二次国立公園切手がまだ完結しておらず、国立指定が確定していない地域もあり、国定公園切手は、郵政省の発行計画では「時期尚早」という判断が続いていた。
 それが、「佐渡弥彦」発行の前年末に、地元の観光、郵便関係者、二つの村の村長らの連名で、「発行請願書」が郵政大臣に届くと、みるみるスケジュールはペースアップ。二月初めに郵務局長からプッシュが入ったかと思うと、数日後に方針決定。この文の初めに紹介したとおり、同月中旬にはもう調査に行っている。

 請願書を受け取った、当時の郵政大臣は田中角栄だ。
 絵柄選びは、さきほどの郵務局長が田中に原画を見せてお伺いをたて、田中自身が二種類を選んだ。
 さらに田中は、選んだ「おけさ」の原画候補に描かれた男の踊り手を、女に変えるよう命じたという。
 関係者はあわてて新潟局に電話、絵の資料用に「女性のおけさ踊写真を現地から急送してもらう」ことになったが、本来の「おけさ」のよさは「男踊り」との現地の要望で、結局は「男」でいくことに。といっても、絵柄の踊り手は深く笠をかぶっていて、切手をひと目見たくらいでは男か女かは分からない。
 なんだか当時の東宝の喜劇映画、社長シリーズあたりのドタバタ場面を見ているような気がしてくるが、このエピソードには、権力街道を驀進していた田中角栄の政治力がみなぎってもいる。当時の田中なら、切手の絵柄への口出しなど序の口、郵政省の尻を叩いて地元新潟切手のひとつふたつ世に出すなど、楽勝の部類だったろう。
 そして、間違いなくこの出来事をきっかけに、以後の郵政大臣が地元の国立、国定公園を記念切手として発行させる例があいつぎ、それらはいつしか「大臣切手」とよばれるようになっていった※。かつて切手となることで国策化された風景は、政治の玩具となってしまったのである。(ケ)──この項つづく

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※錦江湾国定公園(一九六二年発行)迫水久常(旧鹿児島1区→全国区参院)
 大山隠岐国立公園(一九六五年発行)徳安実蔵(旧鳥取1区)
 南アルプス国立公園(一九六七年発行)小林武治(静岡県選挙区)
 八ヶ岳中信高原国定公園(一九六八年発行)小林武治
 氷ノ山後山那岐山国定公園(一九六九年発行)河本敏夫(旧兵庫4区)
 妙義荒船佐久高原国定公園(一九七〇年発行)井出一太郎(長野2区)+小渕恵三(郵政事務次官、旧群馬3区→同5区)。



Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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