2018年11月18日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(5/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 古い絵葉書ふうの景勝写真が、赤や青などの一色刷になった国立公園切手。
 ジャズのレコードジャケットふうでカッコいいと、最近になって集めだした。発行事情や絵柄の名所への興味からではない。切手収集家にこんな集めかたをする人はいないと思う。
 そしてこの国立公園シリーズ(第二次)切手には、すべて集めたくなる、もうひとつの魅力があるが、それも国立公園の名や切手の価値などには関係がない。

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 もうひとつの魅力とは、ならべて見渡すと類型学(タイポロジー)的な見えかたをする面白さだ。

 類型学とは、古くはギリシア時代からある考えだそうで、混沌とした現象や事物に共通項を見つけて分類し、出来た類型を軸に現象や事物をとらえ直そうという方法だ。考古学や心理学への応用で知られる。
 うまい考えかただが、類型化には多様性の取りこぼしもつきものだ。お遊び的な例に血液型と性格というのがあるが、A型には几帳面な人が多いんだってさ、程度なら「お遊び」ですむけれど、だから管理部門にはA型しか配属しない、なんてことになったら大変だ。

 もちろん現代の類型学は科学的根拠を重んじていて、高度な数学や統計を導入した難しい学問になっているらしいが、ここでは学問としての類型学には踏み込まず、二〇世紀終盤の美術界を席巻したドイツの現代芸術家、ベルント&ヒラ・ベッヒャーの、そのタイトルも『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』という写真作品を思い浮かべながら、話を進めてみよう。

 ベッヒャー夫妻は、一九六〇年前後からドイツ国内で、「近代化遺産」的な構造を持つ古い工業アーキテクチャを撮り集めた。給水塔や冷却塔、溶鉱炉や鉱山の採掘タワーなどだが、たとえば給水塔は、いまのドイツでもターミナル駅から郊外線に乗ったときなどに見かけるはずの、ごく当たり前のものだ。
 建造物を撮り集めるだけなら、しばらく前に工場や団地に「萌え」て写真を撮った人たちと似ているが、ベッヒャー夫妻は、いくつかの知的操作、すなわち「類型学」というタイトルに結実しうる、ストイックな資料性を写真にまとわせるルールを撮影や構成に採用した。その結果、現代美術のひとつとして高く評価された写真作品ができ上がった。
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  Bernd & Hilla Becher : Tipologie, Typologien, Typologies Schirmer/Mosel; 1990

 このまま『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』の鑑賞を続けたい誘惑にもかられるが、それは別の機会にするとして、昔からある給水塔をたくさん撮って、似ているよと並べただけの組写真が、どうしてこんなに魅力的なのか、なるべく表面的に見てみよう。
 表面を見渡すことにこだわるのはなぜかというと、そうすることで、国立公園切手の「もうひとつの魅力」が、ほぼ自動的に浮上してくるからだ。

『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』には、つぎのような方法が使われている。

(1)黒白写真。
(2)既存の資料写真で構成するのではなく、ルールに従って撮影・構成する。以下のように。
(3)組立大判カメラを使った、写真の原点に近い撮影方法。強調的な仰角をつけず、正面から相対する構図に統一。
(4)実寸の差異を表わさず、画面内比率をほぼ同じに。周囲の風景を画面に写し込まない。
(5)文字情報は、短く撮影場所などを付すのみ。
(6)大きく引き伸ばして絵画のようにはせず、控えめなサイズの印画を集合体的に配置。

 微妙な差異を含みつつ似た形状をした、給水塔などの写真が整然と並ぶさまは、ある類型のコレクションを収めた標本箱を見ているようだ。
 鉱工業の傑出を支えに、いっとき世界の覇者になろうとしたドイツ。この標本箱は、栄華を失い廃墟となった鉱山や工場の現場事務所などに貼られたまま放置された、製品ポスターのようにも見える。
 ある世代以上のドイツ人のみならず、一定の歴史認識と、それを喚起するものごとに感受性を持つ人なら、この写真にどことなく「寒さ」を感じるはずだ。
 これは、ドイツ精神の標本箱でもあるからだ。
 規格に親しみ、統一や秩序を美とする精神の表象である。
 規律や命令を好んで作り、好んで従うことで表象は洗練され、表象の洗練は、その源の精神を、より過剰な Ordnung へ向かわせる。
 その精神には、もちろんナチスが胚胎している。

 むくむくと巨大なモニュメントになり、そのまま化石となって朽ちた精神が、写真に記録され標本として並ぶさま。
 控えめな写りかた、緻密で美しいディテール、ラボの標本棚や冷蔵庫に置いたような清潔な仕立てなどから「寒さ」が漂ってくる。その寒さが Ordnung の闇を感知させる。
 そして、まさにその Ordnung をルールとして採用するという、いわばナチ的に凡庸化した作業を通じて、この作品を作り出すことで、Ordnung の闇が逆に写真の裏から透かし出される、そういう効果も生まれている。『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』は、じつに周到で、みごとに完成している。
 
 日本はドイツと似た精神性をもっているという説があるが、それこそ血液型と性格分類のような単純すぎる類型化だろう。しかし、『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』を見るたびに、なぜか「寒さ」にとらわれる。そして、魅せられたように、何度も見た「なんでもない写真」たちを、また何度も見わたし続けてしまう。

 日本の国立公園記念切手を何枚か集めて悦にいっていたとき、それに似た「寒さ」がよぎった。
 ジャズのレコードジャケットに似ていてカッコいいなという楽しさの隙間を、寒さが吹き抜けていく。
 もちろん国立公園切手に類型学的背景はないし、全体として類型的に見えるような意図──わざとワンパターンにするような──があったはずもない。『TIPOLOGIE / TYPOLOGIEN / TYPOLOGIES』は、いわば考古学的批評だが、国立公園切手は、どれも現在進行形の「新製品」だからだ。

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 戦前に国立公園記念切手の発行が決まったとき、「發行の最大の目的は祖國の正しい姿を外国人に知らせ、以て国際親善に貢獻する手引を爲さうということにあった」ことは、すでに紹介した。
 ほんとうの目的が国際親善でなく国策宣伝だったかどうかはともかく、いずれにしても「能ふ限りの手を盡(つく)」して、日本の記念切手史の一大転機となったデザインの革新や印刷技術開発が行われた。
 しかし、一九三九年の発行開始からわずか二年ほどの一九四一年三月で発行は中断、高邁な思想と最高の技術が結晶した「新製品シリーズ」は、失速してしまった。

 ところが戦後、戦前戦中とほぼ同一のスタイルでシリーズは継続される。
 採算度外視的な予算こそつかなかったろうが、七年半にわたり発行が続き、戦後十一年を経て、第一次国立公園シリーズはようやく完結した。

 そしてその六年後、新たに「第二次」国立公園シリーズ切手の発行が開始されるのだが、驚くべきことに、この「第二次」シリーズは、「装いも新たに」どころか戦前発祥の「第一次」シリーズの意匠を、ほぼそのまま継承しているのだ。
 戦後に新指定された国立公園も合わせ、すべての国立公園をあらためて網羅しようというのだから、新しい発行目的をうたうべきだろうし、なにより切手のデザインを大きく見直すことが必要だったはずだが。

 戦後再開した第一次シリーズの続編については、戦前と同じ図案で完結させたいという旧・逓信省関係者の意地があったなら──戦後再開第一号の「吉野熊野」は、郵政省新設二か月前の発行である──よしあしは別として、気持ちはわからないでもない。
 しかし、東京オリンピックを間近にした一九六二年発行開始の第二次シリーズで、戦前版とほとんど変わらないデザインや思想性──「東京オリンピックも開催されるので、この際日本のすぐれた風光を外国に紹介し国際親善に貢献するため、もう1度国立公園全般にわたって切手を発行することも意義があるのではないか」※──を踏襲することに、議論はなかったのだろうか。
 またも不勉強で、そこに関する資料も未見だが、戦後の第二次シリーズ切手それぞれの制作エピソードを読んでいると散見される「第一次国立公園切手に採用されているので、大体これに準じて」というような文言からして、省庁らしい前例踏襲主義があったことだけはわかる。が、ただ前例主義だけで戦前の思想や意匠そのものまで継承したとは考えにくい。

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 集めている「第二次」国立公園切手をならべて見渡し、切手コレクターにはいまひとつ評判がよくなかったらしい、どれも似ていてジミだとも感じる意匠を、むしろ楽しんでいた。
 しかし、そのうち切手たちの眺めに、どことなく「寒さ」を感じるようにもなった。
 ところが、その理由を見きわめようとする中で、「寒さ」もまた、自分なりに見つけた新しい魅力のつもりになり、変化にとぼしい単色の色調ゆえにこまかく観察したくもなり、発見も多いのだと、面白がっていた。
 ここに至って、ただ面白いだけで満足していてはいけない、もっとはっきりその正体を見破らねばならない何かが、この切手たちに存在しているような気もしはじめている。
 
 切手をテーマにした記号論や表象論をしようとはしていないし、そういう知識もない。
 そうしたこととは別に、いましばらく切手の歴史を追って、いまさら熱心に「国立公園切手」を集めたくなる奇妙な魅力について、もうすこし考えてみたいと思っている。(ケ)──この項つづく

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※『切手』 五一五号(一九六一年)に、「森山郵政政務次官から」この「ご意見があり」と記されている。郵政政務次官時代、全逓との全面対決で知られた政治家、森山欣司だ。いっぽう、切手収集に通じており、写真趣味からカメラ業界に関わって日本写真機光学機検査協会(現在の日本カメラ財団)を設立してもいる。

Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←

posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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