2018年11月16日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(3/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 逓信省から二人の担当者が日光に向かったのは、一九三八年の九月下旬。
 厚生省、県庁、町役場の「厚い賛助を得て」、日光のみならず鬼怒川や尾瀬沼を含め、四県で数百枚の写真を撮ったそうだ。当時のフィルム事情を考えると、膨大な枚数である。

 いい季節じゃないですか。紅葉にはちょっと早そうだが、澄んだ空気に、あざやかに映える景観が目に浮かぶ。
 実際、撮ってきたブローニー判のフィルムは、全紙サイズの印画紙(56×45.7センチ)にまで大きく引き伸ばしても「素晴らしい出来」だったそうだ。既存の風景写真とも見比べたうえで、日光ロケの写真が四枚の切手すべてに採用決定となる。
 撮影枚数が多かったのは撮影者の不安のあらわれとも解釈でき、「この場所この構図で決まり!」と、シャッターの決め押しがなかなか出来なかったのではと想像すると、撮影班の安堵が伝わってくるようでもある。

 さらに想像だが、「厚い賛助」とは、いかにも「地元をあげてのお出迎え」という感じもして、頬がゆるむ。
 おそらく初のロケ。緊張や心配があったろうが、いっとき「非常時」を忘れる、楽しい旅でもあったのではないか。
 いやそうではなく、ロケ一行はみな「時局」を意識し、口にも上せて、青筋を立てでもするかのように職務遂行に努めたのだろうか。
 撮影行の前月には日中全面戦争に突入、撮影の九月には政府が国民精神総動員を発表、十一月に戦艦大和の造船開始、日独伊三国防共協定(のちに三国同盟)、大本営設置と、アレヨアレヨというまに日本が戦時色に塗りつぶされたときだ。なにかイイワケがなければ、やりづらい仕事だ。
 逆に、なんらかの指令を受けた「使命」としての切手制作であったなら、非常時ゆえにこそ省として全力で打ち込める仕事でもあったろう。確実な資料は見ていないと書いたが、国立公園切手は国策情宣活動のひとつとみなされていたと、ほぼ確信している。

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 国立公園切手発行の内定事項の最後は、「外国人向の説明を附すること」。
 この点も斬新で、小型シートにおいて実現された。
 小型シートとは、図案を載せるなどした用紙に、記念切手を一枚なりセットなりで、切り抜ける形で刷ったもの。見た目、切手にオーバーマットのような余白がついた感じになり、収集家の愛蔵品や記念・贈答品になるというものだ。
 初回の国立公園シリーズ切手の発行と同時に発売され、継続された小型シートは、「國立公園切手の發行について」が「世界的に未曾有の豪華版」と豪語しているとおり、妥協なしの、当時としては驚くべき逸品である。まさに「一線を画す」だ。

 たとえば「日光国立公園」の小型シートは、四種類四色の切手がカッコよく一枚のシートに刷られている。四度刷りなのだ。
 切手部分を切り抜くミシン目──切り抜いて使う購入者はほとんどいないと思われるにもかかわらず──は、刷られた画面とずれないよう手作業で打ち抜いたという。ばかにならない材料費を投じたと思うが、検査ではじかれムダになった損品もあったらしい。
 さらに、日仏英語の解説を付した高級用紙のフォリオを別作、これにはさんで販売する形をとった。売る場所も、中央と地元の郵便局に、高級ホテル内局、保養地や外国航路港の局、「氷川丸」の中など。すでに倹約が美徳とされていたので、こんなゼイタク品は、おおっぴらに発売できなかった事情もあると思われるが、明確に外国人購買者へのセールスにシフトされていた。

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 ここまでして制作・発行され続けた戦前の国立公園切手シリーズだが、はたしてどれほどの「国益」をもたらしたかは、さだかでない。記念切手の対外宣伝力で「非常時」にインバウンドの劇的増加があったとも考えにくい。
 シリーズは一九四〇年までに予定の半数、ようやく六公園──シリーズ外の「富士箱根」を含め──を発行し、一九三七年に台湾に追加指定された三つの国立公園を、慌てた感じもする同時発行したところで、一九四一年三月、中断している。

 きわめて新しい切手制作方法として紹介した「実地で多數撮影し最も嶄新・正確を期する」写真の絵柄も、結果として、やや遠景ぎみの構図が多くなり、どの切手も名所絵葉書ふうの似た感じになってしまったようにも思われる。

 もちろん、視覚インパクトが強すぎる写真を切手にすると、落ち着いた高級感がかえって削がれるということもあったろう。大きい写真プリントで見比べている段階では、引きの構図つまり遠景のほうが、のびのびと「力強さ」を訴える印象だったということも、あったかもしれない。撮影した技芸官が、かならずしも風景撮影の専門家ではなかったことも──富士山は、山岳写真の権威・岡田紅陽の撮ったものを使った──あったろうか。

 いずれも想像にすぎず、そのうえ後だしジャンケンで意見をいうのも憚られるが、レイアウトの制約もあったと感じる。内規があったにせよ自主規制にせよ。

 それは、すべての切手の上部に、かなりの大きさで置かれている「大日本○帝國郵便」の通しロゴだ。
 ヨコ書き逆打ちだから「便郵国帝○本日大」、四文字○三文字のバランスが悪く、「○」は画面上の白フチにはみ出すほどの菊花紋。どうしても写真の喚起力を弱める。
 いまどきの雑誌の表紙や広告などでは、インパクトの強い写真はロゴの上にのせてしまい、雑誌やブランド名がすこし隠れても構わず訴求力を強めるレイアウトもよくあるが、この時代の切手で、たとえば山頂部分で菊花の一部が隠れる、などということが許されるはずがない。そんなレイアウトをしたら関係者は全員斬首、家族は遠島でしょう、間違いなく。
 となると「便郵国帝○本日大」が上にのっても影響が少ないか、あらかじめこのロゴスペースが確保されている──空などで──図柄を選ぶしかなくなる。
 こうした意図せざる、あるいは決まりによる制約が、せっかくの「未曾有」の景観切手のデザインを、どことなく「引っ込み思案」にしてしまった一因かとも思う。

 ちなみに、戦後の一九四九年にシリーズは再開され、小型シートも継続し、「第一次国立公園」は一九五六年に完結した。

 戦後の再開編では写真に点景、つまり人物の姿や古民家などや、前景の植物など、アクティブな要素が加わっている。ロゴは「日本郵便」となり、タテ打ちもヨコ打ちも可となって、このロゴをうまく絵柄から「逃がす」ことで切手の画面いっぱいに写真の被写体を盛り込んだ、のびのびしたレイアウトの切手も目にとまる。
 といっても、戦前版のデザインをまったく変えて継続するわけにもいかなかったろうから、どことなく敗戦処理めいた印象が漂ってしまう感じもあり、つらいところだ。
 額面によってどの色で一色刷するかという規定は、すでになかったと思うが、同色の組み合わせをただ繰り返してしまっている場合もあり、戦前戦中そのままの「本気度」でやられても困るが、本気度が薄すぎはしないかと疑わざるを得ない面も目につく。
 この文の参考図版にもなるし、よく観察するためにも、「第一次」国立公園切手も、いろいろ集めておくとよかったが、二枚ほどしか持っていない。(ケ)──この項つづく

181014S3.JPG


Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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