2018年11月14日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(1/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 日本の記念切手に、国立公園切手とよばれるものがある。国立公園の景観を題材に、シリーズで発行された切手だ。
 戦前から戦後におよぶ「第一次(一九三六〜一九五六)」の七〇種類(一公園に四種類/最終期二種類)と、「第二次(一九六二〜一九七四)」五十二種類(一公園に二種類)の二度、企画されており、最後に発行された切手以外すべて、赤系、青系、緑系などの単色画面である。
 いまは、ふだん貼りの通常切手も美しい多色刷なので、昨今の感覚で見るといかにも昔ふうだ。絵柄も思ったより地味で、ぱっとしない感じもする。しかし数がまとまったところで一枚ずつ観察し、並べて見わたすと、いまの切手にはない存在感があり、思わぬ魅力をたたえている。

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 国立公園切手の話をするには、それが登場した事情を、日本の記念切手史をさかのぼって確かめておく必要がありそうだ。

 日本切手會という切手趣味団体が、創立にあたり発行開始した会報『郵便切手』の創刊号(一九三九年一月)に、「國立公園切手の發行について」という一文がある。
 日本切手會は当時の逓信省の協力で作られ、「高邁健全な切手趣味の涵養を圖ること」「切手趣味の超国家性、超民族性を通じて国際教養を圖ること」などを「使命」とした。国立公園切手の企画制作に関する当事者報告が掲載されているのは、そうした由来からだろう。

「國立公園切手の發行について」によると、一九三四年から三年にわたって指定された、十二の国立公園を記念切手にした目的は、外国人観光客誘致のためだった。

 國立公演切手發行の最大の目的は祖國の正しい姿を外国人に知らせ、以て國際親善に貢献する手引きを爲さうといふことにあったので、(略)

 いまでいうインバウンドを増やすことは「單に観光客の落して行く金に關してのみでなく、實に大きな意義を持つてゐる」といい、「現在の様な國家非常時には不急の事業と見られて後廻しにされ易い」が、「斯ういふ時こそ最も観光客誘致が必要なのである」と力が入っている。
 日本を旅行する外国人が、お土産にしたり自国への手紙などに貼って出す──そういえば昔は温泉旅行程度でも旅館からハガキを出したりした──ことで、日本のイメージを対外宣伝できるというわけだ。

 国家の非常時とは、直近の日支事変(日華事変/一九三七)をあげて「日本の態度を巡つて數々の紛議を捲き起した」としているが、満州事変(一九三一)、国際連盟脱退通告(一九三三)と続いてきた、日本が国際社会に背を向けて全面戦争に突入していく危機的状況のことだ。
 なのに、「感情上の無用の摩擦は出来得る限り之れを避け」るため「外国人の日本に對する認識」を改善し「諸国民間の親善」を、と主張している。
 これには困惑させられる。いくら逓信省がバックの団体とはいえ、こんなことをいっていて大丈夫だったのか。それもさることながら、日本の風景を記念切手にして外国人に売れば、外国から観光客が来てくれ、国際紛争も何とかなるなどと、本気で考えていたのだろうか。

 しかし国立公園切手が、すでに軌道に乗っていた情報戦において国策宣伝を担う使命を課された存在だったなら、その疑問は吹き飛ぶ。それどころかその本気度は、まぜかえすことができないレベルのものだ。
 ナチス・ドイツ時代の宣伝省──ヨーゼフ・ゲッベルスですね──に近い役割の情報局、すなわち内閣情報局と通称された組織ができたのは一九三七年。逓信省の部局も組み込まれたので、記念切手がいわば「情宣兵器」と位置づけられていた可能性は、おおいにある。
 それを裏付ける資料は見つけていないが、この時代、対外宣伝媒体制作に最高の人材が起用されていたこと──たとえばグラフ誌編集者の名取洋之助や、彼が組織した写真家や編集デザイナーたち──を思い出しつつ、国立公園切手の発行にも「非常な豪華版」「能ふ限りの手」などが投入されたことを知ると、さきほど紹介した日本切手會の、もうひとつの「使命」である「郵便切手の顕著な普及性に着目して、之に拠つて日本の正しい認識を諸外国に傳(つた)へ、外人日本来訪の機運を旺(さか)んにすること」は、エラくブチ上げたもんだと笑って読み飛ばすことはできなくなる。

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 日本切手會の初代会長、三井高陽(みつい・たかはる/一九〇〇〜一九八三)は、三井財閥創業家の一門で、各社要職を歴任するいっぽう文化史家でもあり、戦前から日欧交流に熱心だった人だ。
 学生時代に郵趣会を作ったほどの本格的な切手収集家でもあり、それゆえの創会会長着任と思われるが、対外的文化事業では、フェスティバル的な相互親睦に終わらない、国策遂行上の実質成果を求める態度を明確にしていたという。
 大財閥の当主のひとりだから、当時は例が少ない欧米留学・視察経験があり、かけ声だけでない具体的な対外文化企画を立案できただろう。財界人らしく、きっちりソロバンもはじいて企画を実現させる能力にもたけていたはずだ。
 日本の記念切手史における最大の転換点といってもいい、戦前の国立公園切手シリーズ開始にあたっては、その関与が直接であれ間接であれ、三井高陽の、文化事業による国策遂行思想が、「非常な豪華版」と「能ふ限りの手」をもって実現されようとしていたとみていいのではないだろうか。(ケ)──この項つづく

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Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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