2018年09月15日

国立劇場九月文楽公演『夏祭浪花鑑』 〜 簑助!玉男!勘十郎!

今年は災厄の神さまであるヤソマガツヒさんが、大阪を相手に意地悪をしているとしか思えない。震度六弱の揺れがあった六月の大阪北部地震、七月には台風が近畿から西日本へ逆走、そして今月の台風21号は関西国際空港を水浸しにして去って行った。どうしてこうも悪いことが重なるのか。そう思っていたところへアメリカからほんの少しだけ気が休まるニュースが。九月八日に行われた全米オープンテニス決勝戦で大阪出身の大坂なおみ選手がセリーナ・ウィリアムズを破って優勝。日本人として初めてグランドスラムシングルスを制覇したのだ。大阪生まれの大坂選手は四歳のときに米国に移住。でもテニスを始めたのは大阪市内にあるテニスクラブでのこと。大坂選手のキャラクターも相まって、災厄続きの大阪を慰めてくれる明るい話題となったのだった。

江戸時代に時間を巻き戻して、その大阪を舞台にしたのが『夏祭浪花鑑』(なつまつりなにわかがみ)。延享二年(1745年)に大坂竹本座で初演され、すぐに歌舞伎にも移植された人形浄瑠璃だ。
芝居の方は六月歌舞伎座公演で見たばかり。同じようなものなのかと思いきや、文楽で見る『夏祭』は人形の存在がググッとせり出してくるような、圧倒的な見せ場が続いて存分に楽しめる出し物であった。

まず、感動的でさえあったのが「釣船三婦内の段」(つりぶねさぶうちのだん)。
釣船三婦が団七から預かっている磯之丞は主家の子息。三婦女房おつぎが磯之丞を早く他の土地に逃がしたいと案じているところへ、徳兵衛女房お辰が国許へ帰ると挨拶にやって来る。ならば磯之丞を一緒に連れて行ってくれと頼むおつぎ。快諾するお辰。しかし釣船三婦が許さない。若い磯之丞を美しい人妻に預けるのでは三婦の男が立たない。「こなたの顔には色気がある」とお辰の美貌を褒めながらも「若い女房に若い男を預けて遣ったは聞こえぬとサ(中略)いっそこなたの顔が歪んであるか、かう半分削げてでもあったら、世間も済む」と言うのだ。
それを聞いたお辰。突然火鉢に掛けた鉄弓を取って自分の頰に火傷の痕をつけてしまう。「なんと三婦さん、この顔でも分別の、外という字の色気があらうかな」。そうまでしておつぎの頼みを引き受けるというお辰の覚悟。三婦も「お内儀、磯之丞殿の事を頼みますぞや」とお願いするしかなくなるのだ。
実はこの場面、歌舞伎でも女形のしどころのひとつで、だからお辰は格上の役者が演ることになっている。以前見たときの配役は玉三郎、六月の歌舞伎座では雀右衛門が演った。
ところがこの自らの頰を焼く芝居が、見ていてちっとも面白くない。たまたまの頼まれごとを「色気があるから」と取り下げられたならば、「あら、そうですか」と引き下がれば良いところ。それをそうまでして引き受けなければならないのは、磯之丞の親御兵太夫様が夫徳兵衛の親方筋に当たるから。そうなのだが、主のために美しい人妻が自らの顔に傷をつける気持ちが理解出来ない。玉三郎のときも変な女だなと思ったし、雀右衛門のときは半分寝ながら見ていた場面だった。

ところが、今月の文楽でその印象は180度ガラリと変わった。お辰の気持ちがシンプルに客席に届くのだ。私がやらずに誰がやろうか。それをこの三婦という男、何をつまらぬことで怯んでおるのだ。ならばぐうの音も出ないようにその「色気」とやらを消してみせよう。そのようにお辰の人形が言っているのだ。いや、言っているように見える。そうとしか見えない。
太夫の浄瑠璃にも語られないお辰の心根が、人形から発せられている。だから見物たちの意識は人形に集中させられる。お辰の真っ直ぐな背筋。三婦のほうを傾げ見る顔。目を伏せて考える首の動き。そして何かが決する。次の瞬間にはお辰は火鉢から鉄弓を取り上げている。
お辰を遣るのは吉田簑助。実はこの演し物に簑助が出るのだとは事前チェックを怠っていて全く知らなかった。だから「三婦内」が始まり、下手から出てきた簑助を見て、八十五歳にしてまだ舞台に立ち続ける気概に思わず拍手してしまった。
そして、床には呂勢太夫と鶴澤清治。私は文楽を見るときは、いつも舞台に向かって右側の一番端の席と決めている。その席から見ると、手前に床があって奥には舞台がある。そうやって眺めると、前傾姿勢の清治の三味線があり、その隣には呂勢太夫の語る横顔がある。そして、その向こうに焦点を合わせると、そこにいるのはお辰を遣る簑助。ああ、なんという眼福であろうか。
この光景は決して忘れられないし、忘れてはいけない。一昨年に人形遣い吉田文雀が亡くなり、今年四月には竹本住大夫が逝った。そして、今月初めの三味線鶴澤寛治(※)の訃報。私はまだ文楽を見始めてからたった六年しか経っていない。だから偉大な芸人たちの実際の芸に立ち会う機会は、ほんの数回のみだった。だからこそ、簑助・呂勢太夫・清治の顔合わせを目に焼き付けておこうと思う。そしてまた、簑助のお辰のおかげで「三婦内の段」の本当の良さを味わえたのだと思う。

この段階でかなりの満足感があったのだったが、さらにさらに、人形遣いの凄さを見せつけられたのが「長町裏の段」なのだった。
歌舞伎ではあまりに有名すぎる「殺し場」。団七が舅である義平次を泥まみれになって惨殺する壮絶な殺人の場面だ。六月の芝居では吉右衛門が橘三郎を相手に次々に決まって、様式美を際立たせていた。まさに歌舞伎ならではの場面だったが、文楽には文楽ならではの決まり方があるのだった。
団七を遣うのは桐竹勘十郎。ひと回りどころかふた回りほども大きな団七人形を、左遣いと足遣いとの三人で、大きく大きく動かして回る。その巨大さが客席に覆い被さるようで、圧倒的な圧迫感なのである。舅・義平次は吉田玉男。歌舞伎ではあくまでも汚く演じる型なのだが、玉男が遣う義平次はなぜかしらどこか美しい。団七に斬られ、のしかかられて、締められる。けれど義平次の動きがどこかしら優雅であるので、ストロングな団七とエレガントな義平次の二人は、死のバレエを踊っているかのようである。ここは太夫も掛け合いで、織太夫が団七を、三輪太夫が義平次を語る。太夫のほうもかなりのレベルでバトルをしているのに、それが霞んでしまっていた。それほどまでに、勘十郎と玉男の二人は舞台全体を支配し、圧倒的に圧殺するようであった。

そんなわけで、今月は人形遣いに惹きつけられた文楽だった。三業それぞれの良さがあるわけで、どこに着目しても特有の面白味がある。それをどう味わうかは見物の自由。六年経って、ますます面白くなってくる文楽の愉しみなのである。(き)


夏祭文楽.jpg


(※)鶴澤寛治(つるざわかんじ)
1928年9月27日〜2018年9月5日、1997年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、三味線の鶴澤寛太郎は寛治の孫。
謹んでご冥福をお祈りいたします。




posted by 冬の夢 at 00:01 | Comment(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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