2018年08月29日

ふしぎな数字 現在の生活に満足 74.7パーセント

 二〇一八年の六月から七月、十八歳以上の全国の男女一万人を対象に行なって、約六割から回答を得たという「国民生活に関する世論調査」。
 その結果、「現在の生活について『満足』と回答した人が74.7%で、調査項目に加わった1963年以来最高だった昨年(73.9%)を更新した」という。

 内閣府が行なってきた世論調査のひとつで、結果は読売新聞※1の記事を引用したが、そう聞いただけで「そんなものはヤラセだから無視」しますか?
 まあ、それも無理はない。ここ数年、七割を超え続ける、いわば「満足指数」を見せられ続け、ウソだろとわめく気力も失せたが、今年はすこし調べてみた。統計知識がないから心もとなく、正しく調べれば正しくわかることもあろうが、内閣府の公表資料をざっと見ただけでも、この「満足度」にはどこか、「せつなさ」がつきまとっているようにも思える。

 ともかく、回答者の75パーセント近くが、ほんとうに「現在の生活に満足している」かどうかについて。
 調査票を見ると、Q1「お宅の生活は、去年の今頃と比べてどうでしょうか」に続くQ2に、「あなたは、全体として、現在の生活にどの程度満足していますか」とある。74.7パーセントとは、(ア)満足している(12.2パーセント)と、(イ)まあ満足している(62.5パーセント)の合計だ。
 その後に、さまざまな項目で満足度を問う設問が続くのだが、かりに全回答がすんだところであらためてQ1、Q2を聞いたら、つまり「最後に、あなたは、全体として」と再質問したら、反応は違ってきはしないか。
 この調査は政府の世調だからか、調査員が個別訪問して面談する式だ。となると、回答に心情シフトがあるかもしれない。たとえばQ9「お宅の生活の程度は、世間一般からみて、どうですか」を「面と向かって聞かれる」としたら。その質問ほどではなくとも、Q2だって、つい本音とはちがう「まあ満足している」を選んでしまわないか。寿司屋の品書きに松竹梅とあったら、「梅だな……」と思っているのに「竹でいいや」といってしまうときのように。

 また、訪問式のせいかどうかはわからないが、回収数(調査に応じた数)をみると、明らかに高齢者寄りになっている。十八歳から二十九歳までの回答数が、六〇歳以上の回答数の16.5パーセントしかない。最近の年齢別人口データを見てちょっと電卓を叩いてみても──いまさら高齢者の多さにぞっとするが──若年層データの取り込みが少なすぎるようだ。
 ただ、興味深いのは、年齢別にみた「現在の生活に満足している+まあ満足している」度合いは、十八歳から二十九歳の世代が最高(83.2パーセント)なのだ。十八歳選挙権導入ですでに明らかになっている、若年有権者を増やすと自民党の得票率が上がる傾向と、共通するものがある。

 つづいて、「1963年以来最高」ならば満足率の推移はどうなのかと調べてみると、なんと五十五年にわたって五割を切ったことがない。
 最低でも53.9パーセントで、一九七四年のこと。前年秋がオイルショックだが、その数字だ。
 では七割を超えたのはというと、一九八五年のバブル前夜に瞬間風速的に超えた(70.6パーセント)のを別にして、安倍第二次政権以降なのだ。政権成立の翌二〇一三年にポンと上がり(前年比プラス6.5パーセント)、大きく落ちることなく今回の「最高」に至っている。

 回答者の75パーセント近くが現在の生活に満足していて、別の設問では73.7パーセントが日ごろの生活に「充実感を感じている」という。なのに、63.0パーセントもが、その生活の中で悩みや不安を感じていると回答してもいる。理解に苦しむというか、どこのどうゆう日本人だ! といいたくなってくる。それぞれに生活実感を説明しているリアルな「ひとびと」の姿を、思い浮かべることがまったくできない。
 この、現在の生活に満足しているといっているのに辻褄が合わない奇妙さは、もちろん「満足」の八割にあたる「まあ満足」の、「まあ」のニュアンスに由来する。
 わたしなどは、その「まあ」を、調査者に語りかけ、自分にいい聞かせもする「まあ」だと解釈したくなる。ホントは「梅」なんだけど、「竹」にしてますんで、そこは汲んでください、みたいな。
 もちろん、真実はわからない。「どうせ」というニュアンスの「まあ」かもしれない。ただ、いずれにしても「せつない」わけで、その「せつなさ」を取材で拾ってくるのが新聞やテレビの仕事だと思うが、もはやマスコミには望めないことなのだろう。内閣府の資料を「満足+まあ満足=満足」とだけ報じたか、別の設問回答も見て「しかし」を付け加えて報道したかで、そのメディアの御用聞き度がわかる程度の話題なのかもしれない。

 ちなみにこの調査、年々回収率が悪化し、拒否される場合が増えたそうだ。
 現場を委託されてきた調査社も認識し、すでに分析している。十五年近く前の、やや古い報告だが、いまの世情に通じる内容だ。※2

 この調査は一九六〇年代いっぱいは、協力を拒否する人は五〇人に一人の計算だったそうだ。それが二〇〇四年時点では一〇人にひとり以上が拒否したという。今年の回収率は、そのときよりさらに十パーセント下がっているから、調査を拒否される度合いはもっと高くなっているだろう。
 二〇〇四年時点の拒否増はやはり、個人情報やプライバシー保護問題がクローズアップされた時代だったからだ。現在この考えは広く定着し、そのことじたいは悪いことではない。しかし、他人を信じてはいけない、人は疑ってかかれ、という意識も同時に、それも、とりわけ強く広まったことも確かだ。
 一九六〇年代の訪問型世論調査を想像するに、お茶なんか出して懇談しちゃったりしていたのではないか。
 昔の回答者が選んだ「まあ」と、いまの回答者が選んでいる「まあ」には、表面上は何の違いもない。しかし、かつての調査のやりとりには、初対面の相手を信頼してする会話の空気感があったはずだ。だから、景気がどうであれ「満足ということにしておくわね」的な結果が現われ続けたのではなかろうか。それも、あくまで「ほどほど」に。

 マンションのオートロックや戸建てのセキュリティの充実で、アンケート調査を装った犯罪行為を事前に無視できる度合いは、もちろん増えた。しかし、「人を信じない」世の中なのに、74.7パーセントもが「満足」だといい、結果としてその数字が現在の政府への援護射撃になってもいるのだとしたら。
 あらためて、つぶやいてみたくもなる。どこのどうゆう日本人だ! と。(ケ)
 
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※1 YOMIURI ONLINE 二〇一八年八月二十五日。
※2 一般社団法人・中央調査社:内閣府の世論調査外注先のひとつ。
   旧・総理府が主務官庁の社団法人として一九五四年発足、二〇一二年に一般社団法人。
   このパラグラフで参考にしたのは、『中央調査報』(No.564)の「回収率の低下、協力拒否の増加と対象者の意識」。

※  国民生活に関する世論調査(平成三十年六月調査)の公表資料は、内閣府のサイトにあります。
   survey.gov-online.go.jp/index.html。

 
 

posted by 冬の夢 at 02:03 | Comment(1) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このアンケート結果には私も不思議に感じました。自分がもし聞かれても「とりあえず」「まあ」満足と応えてしまうかもしれないけど、それで集めた数値にどれだけ意味があるのかなとも…。だれかのために都合のよい数値をとりあげ雑にまとめたような、そんな印象を持ちます。
Posted by kou at 2018年08月30日 17:45
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