2018年08月26日

『蜘蛛巣城』再見 〜 黒澤明の本質は何か?

「国立映画アーカイブ」という名称になったのだけれど、わかりやすいのはやっぱり「フィルムセンター」。京橋にあるその建物には、大小二つのホールと展覧会場があって、そこでは「国立映画アーカイブ開館記念」の冠のもと、様々な企画が組まれている。
展覧会「没後20年 旅する黒澤明」では、黒澤明研究家の槙田寿文氏が収集した世界各国の黒澤映画のポスターが一堂に展覧されており、そのバラエティの豊かさに圧倒される。日本における映画ポスターの有り様は、かつての映画館の正面玄関上に掲げられた巨大看板に近く、映画のタイトル文字が主演俳優の顔のアップとともに目に飛び込んでくるように描かれている。アルゼンチン版・タイ版黒澤映画のポスターは、日本のテーストに近くある意味で親近感が湧いてくるのだが、反対にポーランドで作られたポスターは、映画の宣伝物では全くなくアート作品と言うべき仕上がりになっていて、そこから各国のお国柄が窺えるようでもある。
そんな展覧作品のうち、来場者に対して自由に撮影が許可されたものが一点だけあった。西ドイツ版『七人の侍』ポスターで、普通のポスターを8枚貼り合わせた巨大な作品だ。作ったのはハンス・ヒルマン。「ノーヴム」というデザイナー集団の一員で、多くの映画ポスターをデザインした人だ。

黒澤ポスター.JPG

そんなデザイン志向を持つ国々において、黒澤映画以外のポスターがすべてアート風であるかどうかはわからない。それでも、黒澤映画の持つ雰囲気がポスター製作者のアート心を強く刺激するのではないかというのは容易に想像されるのであって、特に『蜘蛛巣城』のような作品であれば、デザイナーたちは強くインスパイアされること請け合いである。

『蜘蛛巣城』は昭和三十二年(1957年)の東宝映画。シェイクスピアの『マクベス』を時代劇に置き換えた作品だ。以前にDVD で一度見たきりだったので、「国立映画アーカイブ開館記念」の特集企画で上映されると聞いて見に出かけた。地下一階の小ホールは定員151名で、平日17時開始の上映会が満席になっていたのには驚いた。『蜘蛛巣城』という作品が観客を引きつけたのか、黒澤映画であればどれも満席なのか。あるいは、開館記念プロモーションが奏功しているのか。いずれにしても地方都市であれば興行としての上映は成り立つはずもない企画が、首都東京だから人を集められるのであろう。国立の傘のもと長瀬映像文化財団の支援を受ける「国立映画アーカイブ」は、映画ファンにとっては大切な宝物のようなものだと、その存在に感謝するしかない。

久しぶりに見た感想をひと言でまとめると、1時間50分があっという間に過ぎてしまったということ。黒澤映画の中では、形式にこだわった難しめの作品だという印象が強く、表現主義的な位置付けに置いたままにしていたのだったが、それは大きな間違い。戦国時代の山麓に組み上げられた蜘蛛巣城の中に開巻直後から引っ張り込まれて、息をつく間もなく、有名な大量弓矢のクライマックスまで持っていかれる。こんなに強力な磁場を持つ映画だと思っていなかったので、再見してみると黒澤の作品群でのポジションを再考しなくてはならないと再認識させられた。

そして瞠目に値するのが「音」。デジタルリマスターされた『七人の侍』で早坂文雄の音楽が明確化したのとは違い、『蜘蛛巣城』は「フィルムセンター所蔵作品」としてのアナログフィルムのまま。だから相変わらず台詞は聞き取りづらい。序盤で大殿に伝令が戦況を伝え、劣勢で籠城しか道はないと相談するうち、形勢が逆転してなんとかとかんとかの武将が敵を押し戻す。わかるのはこの程度で、伝令の絶叫型の台詞はほとんど何を言っているか耳に入って来ないし、いきなり武将の名前を言われても観客には漢字表記でもしてもらわない限り理解出来ない。
しかし、その後。三船敏郎(鷲津武時)と千秋実(三木義明)の二人の武将が物の怪の森で老婆から予言を聞かされる。二人は大殿に戦勝報告するために蜘蛛巣城への帰路を急ぐが、霧深い物の怪の森からなかなか抜け出すことが叶わない。迷った二人が霧の画面の奥に消え再び戻って来る、といった画面の奥行きを使って迷路の罠に絡め取られている様を映す一方で、しつこく繰り返されるのが「馬の蹄の音」。台詞はない。画面は霧で灰色。おぼろげに馬に乗った二人が前へ後ろへと行くべき道を探す。そこに「蹄の音」だけが鳴る。鳴り続ける。乾いた音ではない。やや深めの土砂に脚を取られそうな湿り具合の音だ。それが二頭分。重なり合い、ズレながら、「蹄の音」だけが繰り返される。
やがて、霧の中から彼方に蜘蛛巣城の姿が浮かび上がる。その城を臨みながら二人は「疲れた。少し休もう」とへたり込む。その疲労感は「蹄の音」の上にある。見ている側をも真に倦怠させてしまう音の繰り返し。アナログサウンドだから余計に粘っこく耳に絡みついて来たのだった。

次は「衣摺れの音」。山田五十鈴演じる浅茅は、夫の武時に大殿殺しをけしかける。そもそも山田五十鈴のおどろおどろしい存在感自体が不吉さを醸し出すのに十分過ぎるほどの中、浅茅が真っ暗闇の隣室に背を向けて消え、毒入りの酒壺を持って正面から戻って来るショットは実にコワイ。ここでは三船敏郎の武時は終始浅茅に押しまくられて躊躇しうろたえるばかり。まさか自分が主を裏切るとは思ってもいなかったのが、浅茅の方では肝を据えて殺すのは今しかないと決断済み。その浅茅の冷静さ、酷薄さ、有無を言わさぬ決然さ。それが「衣摺れの音」で表現される。浅茅が武時に迫る歩み。酒壺を取り出す動き。槍を持たせる動作。その度に浅茅の「すりすりすりすり」と落ち着き払って移動する足元の「衣摺れ」だけが聞こえてくる。ここも台詞はない。三船敏郎の震える声はある。それを冷笑するように「衣摺れの音」がすりすり響く。この音は撮影現場で採録したものではないのだと思う。通常の衣摺れは衣服各所が摺れて発せられるので、足元だけの局所的限定的なすりすりにはならないはず。つまりアフレコ時に効果音として作られた音を映像に被せていったのだろう。それにしても、どうやってこの音を作ったのか、どのように録音したのか。全く想像も出来ないが、これが「黒澤組」と呼ばれた職人集団の仕事だったのであろう。山田五十鈴の浅茅を思い浮かべるだけで、あの「衣摺れ」が聞こえてきそうだ。

そして言うまでもない「弓矢の音」。物の怪の森の老婆による予言通り、武時は蜘蛛巣城の主人になる。浅茅に唆されて殺した大殿と義明にはそれぞれに息子がいて、彼らが隣国と手を組み武時を攻め立てる。再び老婆に未来を占ってもらう武時。「森が動かぬ限り戦に負けることはない」。武時の失敗はこの予言を配下の兵に開示してしまったこと。翌朝、敵方は切り倒した森の木を盾にして蜘蛛巣城に迫る。それを見た兵たちは「森が動いたからうちの大将は負ける」と確信してしまう。ならば敵に大将の首を差し出して早々に降参しよう。そこであまりにも有名なシーン、武時を狙った大量の弓矢攻撃へと繋がるのだ。
大学の弓道部の学生たちによって矢が実際に放たれ、三船敏郎は本当に殺されるのかと思い、深夜酩酊して黒澤邸に押しかけ「黒澤のバカヤロー」と叫んだというのも、よく知られたエピソードである。
ここでも「弓矢の音」が観る者を圧倒する。もちろん矢が束になって壁に突き刺さるショットの積み重ねも大迫力。今ではYouTubeで検索すれば、すぐに見られる場面だ。もし眺める機会があれば、一度消音にして見てほしい。音がないと、三船敏郎が殺されそうに感じるほどのインパクトは薄くなるはず。高速で飛ぶ弓矢が空気を切り裂くヒュンという高音。鋭い鏃(やじり)が板塀や土壁を撃ち抜くズバッという低音。この高音と低音が混ざり合い圧縮された塊となって、ヒュンズバヒュンズバと無数に次々と鳴り寄せる。これももちろんアフレコでの効果音に間違いない。
これらの音響効果を統括したのは矢野口文雄。黒澤組の常連録音技師で、黒澤映画は言うまでもなく、『大学の若大将』から『モスラ対ゴジラ』、『ゼロファイター 大空戦』まで東宝の主要作品で幅広く活躍した。

と、こうして「音」に着目して『蜘蛛巣城』を振り返ってみると、黒澤明という映画作家の本質は何だったのかということに思いを巡らせてみたくなってくる。と言うのも、黒澤作品を見ていてよく思うのが「カメラがよく動くなあ」だからだ。
無論言うまでもないが、フィックスで捉えた完璧な構図の映像が黒澤映画の印象のメインではある。『蜘蛛巣城』で言えば、初めて浅茅が登場する北の館の一室の場面。三船敏郎の武時を手前に配し、画面奥に山田五十鈴の浅茅を横向きに座らせた画面(※)は、そのままひとつの写真作品として飾っておきたいほどの完璧さである。あるいは、先述した「蹄の音」の最後に城に帰り着くところ。馬を降りて地面に座る武時を左、義明を右に置き、中央には霧が去り黒々とした城が現れる。この三角構図以外に選択肢はないと言うほどに、何ひとつ欠けることがない籠絡不能の絶対構図になっている。
ところが、 乾坤一擲の絵画的映像美の一方で、人物を捉える場面、すなわち映画の大半においては映像が意識されることはほとんどない。いや、意識させる映像を排除していると言った方が適切かも知れない。そこではカメラがよく動く。なぜならカメラは俳優の動きを捉えることのみを役割としているからだ。俳優は動く。台詞をしゃべりながら、人物同士が絡みながら、馬に乗りながら動く。その動きの真ん中に俳優を押さえるためにカメラが人物に追従する。カメラは俳優の下僕のようなものだ。つまり黒澤明の興味は俳優の演技や台詞、動作に集中しているのであって、その際にはカメラに主張があっては困るわけだ。黒澤の目は俳優が登場人物になり切れるかどうかに注がれていて、カメラは俳優のパッションを写し取る道具でしかない。
『七人の侍』以降に開発されたと言われる「マルチカム方式」はその最たる例である。俳優の動きを一気通貫途切らせないために多方向から異なるサイズのショットを同時に複数のカメラで撮影する。TVの歌番組の生中継では当たり前に使われているが、フィルムカメラが貴重品であった当時、ひとつの撮影現場でカメラを複数台独占利用するなど、黒澤でなければ許されない独善的行為なのであった。それほどまでした「マルチカム方式」がもたらしたものは、結果的には「俳優の演技をそのままに複数のショットで捉え、後で編集するときに自然な繋がりでカッティング出来る」ということでしかなかった。「マルチカム方式」は映像のための技術革新ではなく、編集のために編み出された手法だったと言えよう。

そのように考えると、『蜘蛛巣城』での「音」へのこだわり、音響効果の重要視のわけがわかってくる。黒澤明の本質は、映像作家ではなく、映画職人なのである。職人だから現場のことは細部まで知り尽くしている。自ら手を下すことも出来る。職人だからそのときに造り上げる構築物の肝がどこにあるかは直感的に捉えている。黒澤は『蜘蛛巣城』の製作現場で「音」を強調することで、物の怪さえ出てくる不吉な映画の雰囲気のベースが完成すると踏んだはずだ。そして、職人黒澤の本業は、絵描きであり、脚本(ホン)書きである。ところどころに、取って代わることの出来ない完璧な絵画的映像を挿入し、脚本の指示通りに動く俳優の演技を引き出してカメラに記録させる。素材が出来上がればあとは簡単。誰にも邪魔されずに編集室で、独りじっくりとショットの良し悪しを確かめながら、最適のリズムでショットとショットを繋ぎ合わせてひとつのシーンを作り上げていく。武時を襲う無数の矢。大量弓矢の圧迫感を十全に引き出すカット割り。ここまで出来れば、矢野口文雄に作らせら効果音を被せれば良いのだ。

『赤ひげ』の撮影現場で、小石川診療所の壁板に使い込んだ深みを出すために磨き込みをした黒澤。監督自らやり出すからそこにいる全員で揃って磨くしかなかったと、当時の美術スタッフが振り返っているが、黒澤にしてみれば監督として磨き込んだのではなかったのだろう。映画職人のひとりとして、壁板を鈍く光らせるために必要だと思ったから磨いただけ。職人ならばそれが当たり前で、自分にとっての当たり前を現場の若手スタッフがやらないことがあると烈火のごとく怒り狂った、という流れであったと思う。
『赤ひげ』以降でのアメリカ進出の失敗も、黒澤明の本質を理解していれば、未然に防げたのではなかったか。アメリカの映画製作の現場はユニオン制の徹底によって職種ごとの役割分担が厳密に仕切られており、労働する側の権利保護のために職務分掌が明文化されていた。当然美術スタッフの仕事は美術監督のマネジメント下にあり、ディレクターが直接スタッフに指示することは禁じられている。ましてやディレクター自ら美術スタッフがやるべき作業に手を出そうものなら、すぐに労働争議に発展してしまう。 黒澤もアメリカまで行って壁板を磨くつもりはなかっただろうが、編集に関われないことは彼の本質への致命的な打撃となった。
映画職人・黒澤明は日本映画の製作現場で日本の風土に育った日本人スタッフに支えられてこそ、世界のクロサワとしての輝きを得られたのだったし、その全盛期に製作された『蜘蛛巣城』のような作品は、全盛期だからこその産物だったのだと思われる。(き)

蜘蛛巣城.jpg


(※)きものの打掛に隠れて見えないが、浅茅は片膝立てで座っている。この座り方は能のシテの居住まいから取られたものだそうで、『蜘蛛巣城』が能の所作を取り入れた事例のひとつである。かたや武時が義明の亡霊を見る場面での義明の座り方も片膝立て。正座が定着したのは江戸時代からという説もあるようなので、こちらは戦国時代の武将の座り方を踏襲しているのかも知れない。



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