2018年08月23日

さようならピーター・メイル 南フランスの記憶とともに

 残暑のなか、とくに理由はないが、ピーター・メイルのエッセイを再読していた。

『南仏プロヴァンスの12か月』('A YEAR IN PROVENCE' 邦訳:一九九三年)の世界的ヒットは記憶に新しい。続編も大好評で、南フランスの片田舎は時ならぬ観光ブームにわいた。
 以後はプロヴァンスを舞台にした小説も出し、メイルはプロヴァンス紹介の貢献をフランス政府に認められ、勲章を授与されているはずだ。
 日本でもベストセラーになったのはご存じのとおりで、旅行会社の南仏ツアー企画があいついだ。当時すでに栽培・販売されていたが、いまひとつ使いみちが知られていなかったハーブ類の人気アップも、メイルの本に発した南欧ブームの後押しが大きかったのでは。

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 河出文庫 1997年

 いっぽうメイルのせいで、あまりお呼びでないのもふくめて世界中から観光客が殺到し、プロヴァンスの古きよき田舎情緒が消し飛んでしまった、という非難もあった。
 たしかに、もともと南仏は有名な避暑地だったが、それはコート・ダ・ジュール一帯のことで、その北西、メイルがイギリスから移住して書いたプロヴァンスの村々は、さほど注目されていなかったはずだ。
 メイルが最初に出した『〜12か月』にも夏の観光客の喧騒はすでに書かれているし、メイルひとりがツーリストを招き寄せたわけではない。けれどもメイル以前と以後では、たとえばアルルやエクス・アン・プロヴァンスといったコート・ダ・ジュールより西の、やや「おとなしい」街の雰囲気ひとつとっても、かなり変わったように感じた。

       *

 初めて夏のプロヴァンスに行ったのは、メイルの本が日本で出る前、英米初版が出た数年後だ。英米版が売れ出したのはペーパーバックになってからというから、「メイル以前」といっていいと思う。
 行き先はゴッホの『ラングロワ橋』で知られるアルル。名所「ゴッホの橋」は、絵とは違う場所に後から作ったものだが、それはともかく、夏の観光地、アルルに行った理由は「仕事」。場違いもいいところだ。
 そして、はじめてのアルルに、よい印象は持てなかった。通訳なしでは何もできず、若かったせいか不愉快な対応を受けることも多くて、南仏そのものが嫌いになってしまった。

 ところが、記憶に間違いがなければ翌年またアルルに行っている。二度と行くかよと思っていたのに。
 観光地とはいえ、市街は小作りで情緒があり、人心が素朴で、料理などが意外に安かったので──セレブが休暇を過ごす高級ホテルもあるし、ハイシーズンの相場は安くはないのだが、美味しいローカルなレストランや安宿もあった──休暇なら、さぞ楽しかったはずと、悔しい気持ちでもいたのだ。
 おりよく友だちが「夏休みは、どこか外国に行きたい。空気が乾いている所に」という。つらく重い手術をしたので、日本の夏の不快指数が耐えられそうにないと。そこで自分のリベンジも目論み、南仏に静養に行かないかと、さそってみたのだった。

       *

 アルルの駅に到着したのは夜7時か8時ごろ。南欧の夏は昼が長く、まだ暗くなっていなかった。
 駅から中心街は近いが、道を間違え、街区へ入らずローヌ川べりをすこし歩くことになった。
 それが幸運を招き、中世の風情を残す街並みのパノラマが目の前いっぱいに広がった。
 暮れていく空は、見たこともない美しい濃紺。夕陽に照らされた古い石壁が金色に輝く。空気はたしかに乾き、列車を乗り換えたアビニョン駅の日中の暑さが信じられないほど涼しい。
 街へ入り細い路地を辿るにつれ夕闇は濃くなり、あちこちにオレンジ色の明かりが灯る。多くのレストランは、道沿いや広場にディナーテーブルをしつらえ、遅い時間に始まる食事とワインを楽しもうと集まる人たちのざわめきが聞こえる。
 さいわい写真を撮らなかったので、不愉快な思い出はすっかり塗り替えられ、しかもひどく忘れっぽいわたしでも、色や音、匂いや気温すべてを、いつでも同時に心に浮かべられる記憶となった。
 それ以来、夏の短い休みは南フランス、となり、バスや鉄道で田舎へ行くようにもなった。

 だが、九〇年代の後半ごろからか、南仏に居心地の悪さも感じはじめた。
 観光収入増が地元を潤わせたならよかった。しかし、好きだった古い店はあっさり消え、新しく出来たものはどれもこれも安っぽかった。もともと観光地とわかっていても、露骨すぎる一見さん狙いだらけになると、うんざりしてくる。
 おりあしくヨーロッパは熱波に見舞われ、ホテルやレストランがみな「air climatisé(冷房あり)」を掲げる。もとは冷房がいらない土地で、乾燥のせいか日陰が涼しく夜は肌寒いほど。ラヴェンダーの芳香がまじる空気を吸い込んで昼も夜も惰眠をむさぼる楽しみが、なくなってしまった。 
 小さい街路にあまりに多くの客が殺到し、行き当たりばったりに史跡や店をのぞく面白さも消え、いつも宴会状態で気が休まらない。カッと照る陽射しの下でのトボトボ歩きが楽しかった田舎道でも、騒々しい人たちに出会った。
 ある夏の夜、よく泊まっていたホテルの部屋でついに眠れなくなったのを最後に、南仏には行かなくなった。あれからもう二十年、また変わりましたよ、こういう感じになりました、という話は耳にはするが、自分の目で確かめてはいない。

       *

 ピーター・メイルのプロヴァンス本を、たまに再読するようになったのは、南仏を訪れなくなった後のこと。
 初めて南フランスに行った後に邦訳が出て読んだが、いきなりとりこになるほど面白いとは思わなかった。以後の南仏旅行に持っていって読んだことはない。忘れたころに拾い読みするようになったのは、いつしか、だ。
 いま読み直していると、そのわけがよくわかる。
 単行本の字が小さい! 近年の文庫や新書とくらべても字が小さくて、行数も多い。
 内容には関係ないじゃないか、ではなく、その「みっしり感」どおりの、意外に理屈っぽい本なのだ。
 その理屈がまたいかにもイギリス流、というのは単純すぎるにしても、斜に構えた皮肉な視線の効いたもの。笑いオチも、筆者の視点にそって読み進めていないと、しっくり来ず、注意深く読んでいないといけない場合がある。
 そうか、四半世紀前はエッセイ本ひとつとっても「読書の時代」だったんだと、逆に感心してしまったり。
 ちなみに、わたしが読んでもわかりはしないが、もとの英文は辛辣といってもいいほどの文体だそうで、日本語訳はかなり緩やかな表現になっているそうだ。もし邦訳がオリジナルに合わせた「辛口」だったなら、日本では売れなかったかもしれない。

 ならば、オリジナルの英語版がなぜ大ヒットしたかだが、邦訳からもうかがえるのは、読書が好きな人の、そこそこの教養を「くすぐる」メイルの上手さだ。
 隣人たちや、知り合いになる地元人、そして都会から訪問者たちのキャラクターが実にいい。ちょっとイジワルなほどの風体描写、話しかたや態度の描き分けが、キャラを立たせる。プロヴァンスの風景の美しさや自然の厳しさを、愛情をもって描き込んでいるので、よき舞台を得た「キャラ」たちが、いきいきと立ちあがり、イギリス人移住者には奇妙に思える出来事や習慣が、目の前で起きているように読める。そのすべてが微笑ましく、何も変わらずに繰り返される日々を、「プロヴァンスで心の安らぎを知った」(『〜12か月』)と書かれたら、仕事に疲れたアタマを抱えた人びとは、心を奪われずにはいられなかっただろう。
 いかにもコマーシャル調の、ツカミの上手さなのでは、というところもなくはないが、メイル自身、たとえ長く住もうが自分はひとりの観光客だといい、傍観者の視線を大切に書き続けているので、長くとも一週間そこらしか滞在しない「ひとりの観光客」以外のなにものでもない自分にも、そのまなざしを共有したくなる何かがあったということかもしれない。いずれにしても、再読で惹かれる章はたいてい、経験したことがないプロヴァンスの冬の様子だ。

 しばらくプロヴァンスを離れてアメリカに住んだメイルは──仕事都合と解説されているが、いくつかのインタビューで、自身の家が「名所」になってしまい際限なく訪れる観光客に困ったことも語っている──ふたたびプロヴァンスに舞い戻って『南仏プロヴァンスの昼下がり』('ENCORE PROVENCE' 邦訳:二〇〇〇年)を書いた。
 この本は十年前のエッセイより、ますます理屈っぽく、邦訳でも「辛辣」さを感じるが、南仏のことはみな遠い記憶になってしまったわたしには、「読書」の面白さはこちらのほうがあるのかな、とも思う。
 そして、メイルはこの本で「あれから十一年が過ぎた今もこの土地はほとんど変わっていない」と書いている。

 プロヴァンスは今も美しい。広大な地域が依然として人跡稀な空漠たる原野である。現代社会では消滅の危機に瀕している平穏と静寂がここにはある。老人たちは終日ペタンクに興じ、市場は常に色彩の饗宴、豊穣の祝祭である。空は広く、空気は澄んでいる。
 何よりも、場所を作るのは人である。土地の人々は前と少しも変わらない。(略)私たちは今、帰郷の実感に浸っている。


 メイルの本に登場する、粗野で頑固、自説を譲らないが、人好きのする、あたたかさも持つ地元の人たちが「平穏と静寂」を守り続ける土地。わたしが、もしいま再訪したら、やはり「帰郷の実感」めいたものが、得られるのだろうか。
 それは、どうかわからない。遠い記憶にしておきたいから、本を読むだけなのかもしれない。(ケ)

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 写真はクリックですこし拡大。二〇〇六年にも行っていて、そのとき撮りました。
★写真のつづきは→こちら←


 
※南仏観光ブームのさなかの一九九五年、フランスで初めて、三つの市がFN(国民戦線=ことし6月「RN(国民連合)」に改名)の候補を市長に選んだ。三つとも南フランスの市(オランジュ、トゥーロン、マリニャーヌ)だった。

*ピーター・メイルは今年はじめに亡くなっていました。この文を書き始めるまで知りませんでした。
 Peter Mayle 1939/06/14 – 2018/01/18


posted by 冬の夢 at 23:23 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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