2018年07月21日

『七人の侍』(4Kデジタルリマスター版)を見たらば

初めて『七人の侍』を見たのは中学生のとき。東宝が完全版と称して、初公開時と同じ尺でリバイバル上映したと記憶している(※1)。『荒野の七人』を見て、スティーヴ・マックィーンの格好良さに憧れていた時分だった。その『荒野の七人』が実は日本映画を元ネタにしたものだと知り、アメリカ映画にかぶれていた子どもだった私は、「へえー、日本にもそんな光栄にあずかる映画があったのね」などと見下す視線で映画館に行ったのだった。そして、実際に『七人の侍』を見て日本映画の真の実力に触れたのだ、とかそういう流れにはならなかった。なぜなら、映画館で見た『七人の侍』は、音が悪くて誰が何を言っているか、ほとんど聞き取れなかったからだ!

映画の冒頭、野武士たちが村を見下ろしながら、「この村を襲うか」「いやいや、この前取り上げたばかりだから今は何もないはず。麦が実ったらまたやろう」と交わす会話が映画の最初の台詞。まず、これが何を言っているのかまるで聞き取れない。過去に何度も野武士に掠奪されていて、麦の穫り入れが終わる頃に再び襲われることが決まっている。そんな運命に村が置かれているという重要な設定がわからないままに、場面は円座でうずくまる農民たちへ。ここでは彼らが使う「のぶせり」という言葉が聞き取りにくく、何のことを言っているのか「?」の状態。それが「野伏せり」であり、度々襲ってくる野武士を意味するのだと言うことを知ったのは、この十数年後のことだ。
映画が進むと、今度は三船敏郎が発する台詞がほとんど不明だった。もともと滑舌が良い人ではないうえに、激してしゃべる場面が多く、間の悪いことにそのどれもが映画の根幹に関わる重要な内容でもある。よって、映画が伝えたい芯の部分が、「音の悪さ」のせいで全く伝わってこない。農民たちが落武者狩りをして手に入れた鎧兜や槍、弓矢を見て、なぜ侍たちが不機嫌になるのか、それに対してなぜ菊千代が反論するのか。「はて〜?」のまま映画は進む。後半に入っても音の悪さは変わらず、燃える水車小屋の前で幼な子を託された三船敏郎が「俺もこんなだったんだ」と絶叫する。いくつもある名場面のうちのひとつだが、わんわんと割れてくぐもった音が響くだけで、意味は分からずじまい。こんなに台詞が伝わらなかったら、物語の流れがつながらなくなってしまう。『七人の侍』初見の印象は「何を言っているのかよくわからない映画」になってしまった。
それ以来、『七人の侍』については、名作なのに名作と思えないという変なトラウマに見舞われてしまった。学生の頃、海外の放送局が黒澤明を題材にして製作したドキュメンタリー番組をTVで見たことがある。そこで外国の映画研究生たちに向けて上映されていたのは、英語字幕版の『七人の侍』だった。それを見て「字幕がついていて羨ましいな」と思ったものだった。

その後、何度となく繰り返し『七人の侍』を見て、その底知れぬ映画的表現力に圧倒されて来た。TV放映やDVD化などで音声のクオリティは徐々に改善されて、台詞が聞き取りにくいということはなくなっていた。その分、映像や構成に集中することが出来るようになって、多くの批評家たちが様々なところで語っている『七人の侍』の映画としての完成度に素直に頷くばかりだった。特に脚本は、映画史上最高ランクの出来栄えだと思う。「侍探し・戦の準備・三度の決戦」の三部構成のわかりやすさ。七人それぞれのキャラクターを同時進行で彫り込んで行く関係性整理の巧みさ。ブツ切りせずにシークエンスを「静から動」「動から静」へと次々につないでいく職人技。映画は究極の時間芸術であるにも関わらず、三時間二十七分の上映時間の間にただの一度も時間を感じさせない、時間感覚を失わせるような没入感は、この完璧な脚本あってこそもたらされるものだ。
脚本を担当したのは、黒澤明、橋本忍、小國英雄の三人。旅館に一ヶ月以上泊まり込んだ三人は、過去の文献を紐解くうちに、掠奪対策に浪人を雇う農民がいたという史実を見つけ、ストーリーを膨らませる。シノプシスを作り、同じシーンを黒澤と橋本が別々に考えてそれぞれに書く。出来上がった二つのシナリオを小國が読み比べて「こっちがいい」とジャッジする。そんな役割分担でひとつの脚本にまとめあげていったのだと言う。
と、この記事を書いている最中に、黒澤組でひとり残っていた橋本忍の逝去が伝えられた。享年百歳だったそうだ。橋本忍はただ一本だけ自ら書いた脚本を監督したことがある。高校生のとき『天国と地獄』を見て、初めて黒澤映画の面白さを認識させられた頃だった。橋本忍が監督をするということで、東宝系映画館に行くたびにその作品の予告編が流されていた。ブルックナーの交響曲第9番第2楽章とともにタイトルが出てくるその予告編は、傑作を予感させるには十分なほどに期待を煽る完成度の高いものだった。そのようにして封切られた橋本忍監督の『幻の湖』(※2)は、予告編の足元にも及ばない駄作で、まさに失笑の対象に相応しい下手な映画でしかなかった。亡くなった橋本忍には申し訳ないが、監督作品を世に出したことが自身のキャリアの大きな汚点になったのは、残念のひと言に尽きる。

今では様々な旧作が膨大な作業を経て、「4Kデジタルリマスター版」で再生されている。『七人の侍』の映像も例外ではなく、モノクロームの画面がクリアになって生まれ変わった。そして音声も、劇的にはっきりとくっきりと音だけが浮かび上がって耳に入ってくるほどに、洗い磨かれて光り輝くほどの明晰な音に変化した。初見時の記憶のせいか、音のほうに意識がより引っ張られるくらいに、音声もデジタルリマスターで蘇った。いや、蘇るどころか、本当の音よりもさらに高精度な音に再生された。たぶん三船敏郎本人の声よりも、農民の小狡さを訴える台詞は明確な輪郭をまとったはずだ。その点で、今回の再見は今まで何度か『七人の侍』を見てきた中で一番ストレスレスな鑑賞形態であったと言えるだろう。
今更なのだが、新しく生まれ変わった音の中で、これまで味わうことをせずにやり過ごしてしまっていた要素があったのに気付いた。それは、早坂文雄の楽曲の見事さ。音が鮮明になると、こんなにも音楽が耳にするりと入ってくるのかと驚くほどに、早坂文雄の楽曲は『七人の侍』の映像にぴったりフィットしていた。
タイトルバックの不気味なティンパニのリズム。もう少しメロディがあったような気がしていたのだが、記憶違いだった。農民たちのテーマは男声バスハミング。底に這いつくばるような沈み込んだトーンで、農民階層が虐げられる社会構造を示すように聞こえる。その農民たちが町に侍探しに出ると、それまでとは打って変わって、賑やかな往来を歌い上げるようなフルオーケストラが鳴り響く。その主旋律にはどこかに民謡を感じさせるところがあり、お囃子のようでもある。
そして、次にやっと出てくるのが、アンドレイ・タルコフスキーが黒澤明と酒を飲み交わしながら合唱したという「侍のテーマ」。志村喬演じる勘兵衛を農民、勝四郎、菊千代が追いかけていくシーンで初めて使われる。残りは、キャラクターによって楽器が使い分けられて、呑気なオーボエが菊千代を、震えるようなフルートが志乃を表現していく。
これらの旋律が人物の交差や場面の転換とともにかわるがわる奏でられ、時間が経過する感覚を奪って行く。時間を感じさせず映画そのものに没入させられてしまうのは、早坂文雄の音楽に因るところも大である。キャラクターごとのモチーフの展開は、後にジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』でそのまま応用することになる。

音についてしつこく述べてきたのは、今さら『七人の侍』の作品論をぶっても詮方ないと思われるからで、誰をも饒舌にさせてしまうほどの興奮をもたらす映画が『七人の侍』なのであって、映画を見た後の高揚感はまさに半端なく、比較し得る映画が見当たらないほどに完璧に構築された映画なのである。
では、このまま音が聞き取りやすくなったという報告だけで終われるかと言えば、そういう訳にも行かないのが人情というやつで、やっぱり何かを語りたくなってしまう。それが『七人の侍』の魅力であり、吸引力なのだ。なので、ここから先は蛇足だとして、七人のキャラクター設定についておミソを付け足すことにしてみよう。

勘兵衛(志村喬)
本作の主人公を一人だけ選べと言われたら勘兵衛しかいない。勘兵衛はいつも泰然自若として鷹揚に構えている。相手が誰であろうと自らは選ばず、すべてを受容する。だから表情は常に柔和であり、穏やかである。しかし、唯一激高するのは離れ家三軒の農民が集団から離脱しようとするとき。利己主義に走る者を鬼の形相で押し留め、集団行動の規律を守る。事態を常に把握し、いざというとき的確に自ら動く。最高難度のリスク管理力である。こんな上司の下で働きたかった。絶対いないと思うけど。

五郎兵衛(稲葉義男)
再見するたびに味わいを増すのが五郎兵衛。剣術に優れているわけでなく、勘兵衛にくっ付いているだけに見えていたが、それは人を見る目がない証拠。戦略を戦術に落とし込み、侍と農民の双方を動かす実務者が五郎兵衛である。五郎兵衛なくしては勘兵衛も統率力を実行に移すことは出来ない。ニコニコ笑ってばかりいて、戦では「一人通すぞお」と掛け声ばかり。でもこの人がいなくなった後、戦は集団戦から個人戦に様相を変える。いなくていいようで、いないと困る。そういう人、いますよね。

七郎次(加東大介)
丸い体の古女房。勘兵衛に言われたら、何も聞かずについて行く。虚心坦懐で一徹無垢。幾多の実戦を共闘してきた者だけが分け合うことが出来るその心根。だから七郎次は勘兵衛以外の侍とはあまり交流がなく、農民たちを指導・激励することに熱心だ。勘兵衛にだけ通じる身内の話題、あの戦がどうだったとかいう話をしないだけの嗜みのある人。柵越しに野武士をひと突きで仕留める長槍の遣い手でもある。それだけの技があるから、最後にまた生き残ったのかも知れない。

久蔵(宮口精二)
勝四郎でなくても、こんな熟練の侍がいたらキラキラした目で憧れてしまうだろう。勘兵衛は「己を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」と評するが、勝四郎の逢引を見て見ぬ振りをしたり、老婆のために食事を残したり。要するに根は優しくて力持ちな恥ずかしがり屋なのである。こういう人が女性にモテるのだ。もちろん事にイタることはないが。朝霧の中、森の中からスタスタと帰還し、鉄砲を手渡しながら「二人」と告げる。普通ならここで長広舌の武勇伝を聞かされるところ。沈黙は金、これでさらにモテるはず。

平八(千秋実)
薪割り流を少々。謙遜なのか諧謔なのか。いるだけで人を和ませる。この人は侍なのか、旅芸人なのか。自分で話をしていないと落ち着かない。無口でいることが信じられない。だから何ひとつ自分の事情を語らない利吉のことが気になってしまう。話すと楽になるぞ。そりゃあなたはそうでしょうとも、でも俺は暗く沈むだけなのさ。そんな二人の明暗が山塞急襲の場面で入れ違ってしまう。一番先に平八を死なすことにした脚本。よく平然とそんなひどい仕打ちが出来たものだ。

勝四郎(木村功)
とにかく目がキラキラし過ぎちゃっていけない。慌てふためいて周りのみんなに野武士来襲がわかっちゃうし。でもそこが若さの特権。変に装ったり、取り繕ったりしないところがいいんです。志乃との交歓を済ませてすぐに志乃の父親と出くわす気まずさ。気まずいまま立ち尽くすだけで何も出来ないのも若さゆえ。最後だってチコは農村に残る決意をしたのに勝四郎は志乃を遠くから眺めるだけ。結局は万造が心配した通りだったというオチは、荘厳な雰囲気のラストで見過ごされている。

菊千代(三船敏郎)
この人なくしては七人の侍ではあり得なかった。最高の道化師にして最強のトリックスター。善と悪、賢さと愚かさ。作っては壊し、破壊の後で創造する。豪放であり繊細。野武士を殺し、子どもに慕われる。この二面性が農民なのに侍になりたい菊千代そのもの。こんなキャラが近くにいたら鬱陶しいばかりだ。けど映画では欠かせない。物語が沈むとき菊千代が引っ張りあげる。物語が停滞するとき菊千代がドライバーになる。菊千代を得て、一番助かったのは黒澤だっただろう。


こうやって七人全部を振り返ってみると、やってみたくなるのが「現代版七人の侍キャスティング」。ちなみに映画が公開された昭和二十九年、勘兵衛役の志村喬は四十九歳、三船敏郎は三十四歳。昔の人は大人びていたのだと改めて思い直すのであり、現代人の幼さに驚かされるのでもある。

勘兵衛=ビートたけし(芸人)
五郎兵衛=前澤友作(zozo town 社長)
七郎次=田中裕二(爆笑問題)
久蔵=野田秀樹(演出家)
平八=安倍晋三(政治家)
勝四郎=広瀬すず(女優)
菊千代=大谷翔平(野球選手)

こんなキャスティングある訳ないじゃないかとお怒りになったら好都合。ぜひご自分なりの現代版キャスティングをやってみていただきたい。(き)


七人の侍.jpg


(※1)1975年に207分のオリジナル版がリバイバル上映された。
(※2)『幻の湖』は1982年公開の東宝映画。脚本・監督を橋本忍が務めた。




posted by 冬の夢 at 19:38 | Comment(2) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『マグニフィセント・セブン』が現在最新のトリビュート作(『荒野の七人』のリメイク)なのでしょうか。
 見ましたが、デンゼル・ワシントンしか記憶にない。
 ならばと、キャスティングし直してみました。けっこう自信のラインアップ(笑)。しかし『七人の侍』の出演者より、かなり年齢が上になってしまった。

勘兵衛=エド・ハリス(67)
五郎兵衛=フォレスト・ウィトカー(57)
七郎次=ティモシー・スポール(61)
久蔵=ヴィゴ・モーテンセン(59)
平八=ジャック・ブラック(48)
勝四郎=シャイア・ラブーフ(32)
菊千代=ウディ・ハレルソン(57)

『七人の侍』歌舞伎版は、こうでしょうか。「この役はこの人でしょう」という人が早世していたり、「この人しか選びようがない」となるあたり、なんとなくイヤ(笑)。難しいです。

勘兵衛=芝翫
五郎兵衛=松禄
七郎次=梅雀
久蔵=獅堂
平八=中車
勝四郎=七之助
菊千代=海老蔵


 そこで、オリジナル出演者と同年齢か、一、二歳違い限定で、ジャニーズでラインアップすると、こんな感じ。ぎりぎり顏立ちだけはなんとなくわかるメンツ。まともに再映画化したら大変なことになるでしょうが、東京グローブ座(ジャニーズ劇場)なら、やれるか?
 
勘兵衛=城島茂
五郎兵衛=二宮和也
七郎次=国分太一
久蔵=松岡昌弘
平八= 櫻井翔
勝四郎=亀梨和也
菊千代=山下智久
Posted by (ケ) at 2018年07月24日 01:19
つづき:この映画を思い出して、ラインアップしました。

勘兵衛=エド・ハリス『アパルーサの決闘』(08)
五郎兵衛=フォレスト・ウィトカー『96時間レクイエム』(14)『ゴースト・ドッグ』(99)
七郎次=ティモシー・スポール『ラストサムライ』(03)
久蔵=ヴィゴ・モーテンセン『イースタン・プロミス』(07)
平八=ジャック・ブラック『ハイ・フィデリティ』(00)
勝四郎=シャイア・ラブーフ『欲望のヴァージニア』(12)『フューリー』(14)
菊千代=ウディ・ハレルソン『ゾンビランド』(09)『ノー・カントリー』(07)
Posted by (ケ) at 2018年07月25日 23:05
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