2018年06月29日

六月歌舞伎座公演『夏祭浪花鑑』 〜 芝居を支える播磨屋一門

六月公演の千秋楽、三階席の端が空いていたので、急に思い立って夜の部を見に行くことにした。楽日だからなのかロビーは心なしか華やかで、一方向を向いている見物の視線の先に目をやると、富司純子の姿がある。白髪混じりの髪に薄鼠色の着物が見事に調和して、その立ち姿だけで見る人を満足させてしまう。今月は昼の部が菊五郎の芝居だし、夜の部には菊之助長男の寺島和史くんも舞台に立っていたので、気が張り詰めた一ヶ月だっただろう。

さて、夜の部のメインは『夏祭浪花鑑』(なつまつりなにわかがみ)。人形浄瑠璃から歌舞伎に移入された世話物で、主人公団七が舅義平次を泥まみれになりながら殺す場面が有名な出し物だ。
四年前の夏に歌舞伎座でかかったときに初めて見たのだが、あまり集中していなかったせいか印象の薄い芝居だった。ところが、見に行く予定にしていなかった今回は、久しぶりに芝居を見ながらニヤニヤとして「こいつはすごいぞ」と呟いてしまうくらいに面白かった。それも殺し場の「長町裏」ではなく、登場人物がかわるがわる出てくる「鳥居前」に唸ってしまった。そして、四年前との違いは、たぶん役者なんだろうなと感じ入ったのだった。

四年前の配役は、団七と団七女房を海老蔵・吉弥、一寸徳兵衛と女房お辰を猿弥・玉三郎、釣船三婦(さぶ)が左團次で、義平次は中車が務めた。猿之助一座に任せていた七月公演を玉三郎が仕切るようになり、多忙極まる玉三郎から座頭を海老蔵に移していこうという時期だったと思う。その移行期だからなのか、海老蔵中心の芝居のはずなのに、やっぱり玉三郎のお辰が注目が集まってしまった。加えて猿之助一座の名残りで猿弥が出ていたりするので、全体のアンサンブルにギクシャク感が拭えず、中心たる海老蔵がちっとも浮き出て来ない。加えて憎まれ役の義平次をやったのが中車、と言うか香川照之だったのもまずかった。その前の年に流行語にもなった「倍返し」のTVドラマでの敵役に味をしめた中車であってみれば、歌舞伎座で思い切り憎まれてみたいという思いが強かったのだろう。普通にやってもやり過ぎに見える中車の演技は、あまりに場違いのオーバーアクトであった。そんなバラバラな一座においては、海老蔵がどんなに頑張ってもシラケるばかり。そういうわけで印象の薄い四年前なのだった。

ところが、今回の『夏祭浪花鑑』は、無類の面白さであった。それは播磨屋一門の充実ぶりに支えられてのことで、吉右衛門と歌六は今の歌舞伎座で最高のコンビネーションを奏でる二人と言っても良いだろう。
歌六演じる三婦は、かつての悪行を自ら戒めて数珠を耳にかけている気っ風の良い老侠客。歌六がそのすっきりとさばけた役柄を体現して伝える。団七の恩人である磯之烝が駕籠屋に絡まれるのを引き取って、あっさりと収めてしまうその手際の良さ。団七が身支度を整えるところで、自分の赤い褌を抜き取る茶目っ気。その素股のまま、花道を下がっていく伊達な雰囲気も、脂が乗った歌六ならでは。常にのりしろのゆとりを持って大きく演じているような、余裕の存在感である。
そして団七をやるのは吉右衛門。「むしり」のかつらで髭も伸び放題の囚人姿から、白に鮮やかな揚羽蝶模様の浴衣に着替えて、月代をきれいに剃り上げた「すっぽり」のかつら姿に変わって現れるときの、清冽な若々しさ。とても七十四歳とは思えない。錦之助の徳兵衛と二人で辻札を使っての立ち回りと見得に続けて、菊之助のお梶が加わって、三人が三角形に決まるところも見所。どれも中腰で、言ってみればスクワットをしながら踊るような身体の使い方を強いられる所作なのに、見事に絵になっている。このひとつひとつの姿勢の取り方や腕から手の遣い方、足の指の曲げ方など、どれもが歌舞伎の型なのだが、一連の激しい動きの中で、寸分違わず決めの体勢を取り続けられるのが、名人たる所以であり、厳しい稽古の賜物でもある。四年前の海老蔵と猿弥の打ち合いは全く記憶に残っていないので、芸には見えず、単なる振り付けで終わっていたのだろう。
この見事な三人の掛け合いに入る前に出てくるのが、磯之烝を追いかけてきた傾城琴浦。これを歌六の長男である米吉がやるのだが、今最も注目の女形は米吉であると断言したいくらいに、米吉の進境は著しい。一昨年の国立劇場『仮名手本忠臣蔵』で小浪を演じていたときの可憐さに、ググッと色気が加わって実に艶っぽい琴浦であった。おまけに声がよく通るし、その声もほんの少しハスキーな音の割れ方をしていて、エロティックですらある。上背もあり、着物姿が映えるので、七之助に続く次世代の女形の中軸は米吉になるのかも知れない。

播磨屋一門の充実ぶりと述べたのであるが、吉右衛門はともかく、歌六はかつて萬屋(よろずや)一門だったのを2010年9月の歌舞伎座公演秀山祭をきっかけに播磨屋に変えた。正確には播磨屋に戻したことになるのであって、播磨屋の屋号については実は歴史上の紆余曲折がある。
三代目中村歌六は初代歌六の子で、明治から大正にかけて活躍した元祖播磨屋とも言える役者。妻は芝居茶屋萬屋の娘、小川かめ。その息子である初代中村吉右衛門、三代目中村時蔵、十七代目中村勘三郎は「播磨屋三兄弟」と呼ばれた。しかし、勘三郎は三代目歌六が六十を過ぎてから妾に生ませた子。歌六亡き後は初代吉右衛門が面倒を見たと言うが、松竹が眠っていた大名跡を継がせることになり、勘三郎を襲名すると同時に屋号を「中村屋」として、播磨屋から離れていった。
三代目時蔵は五人の男の子に恵まれたが、早逝したり廃業したりで歌舞伎で大成した子はひとりもいない。けれども映画界に転じて時代劇の大スターになったのが、四男の中村錦之助。錦之助は、亡父時蔵が播磨屋ではなく、祖母かめの実家にちなんだ「萬屋」を名乗ることを熱望していたと聞いて、自ら萬屋一門を立ち上げる。歌舞伎で初めて使う屋号なので、1971年の変更当時には、あまり認知度が上がらなかった。ほどなく錦之助は自ら萬屋錦之助と改名してまで、新しい屋号の普及に努めた。そうしているうちに歌舞伎で大成しなかった五兄弟の息子世代が一人前に舞台に立つようになり、全員が萬屋の屋号の下で成長した。それが、現在の歌六・又五郎の兄弟であり、時蔵であり、獅堂であった。
萬屋と中村屋に枝分かれしていく一門にあって、ただひとり播磨屋の屋号を守り続けたのが、初代からの名跡を継いだ当代の吉右衛門。吉右衛門は萬屋一門の中では役に恵まれずにいた歌六兄弟に声をかけて、播磨屋復帰を促したのだろう。時期を同じくして最長老の先代中村又五郎が逝き、その名を歌六の弟である歌昇に継がせるならば、屋号も名跡も残ることになる。
そうして播磨屋一門に復帰した歌六と又五郎。吉右衛門には後継がいないが、歌六には米吉と龍之介、又五郎には歌昇と種之助と息子たちが続く。中でも米吉は、近い将来に播磨屋の看板役者となるだろう。一時は吉右衛門だけになっていた播磨屋が、今では歌舞伎界の一大勢力になろうとしている。屋号ひとつとっても、歌舞伎にはいろいろなドラマが潜んでいるのである。
ちなみに三代目歌六は本名を波野と言った。だから吉右衛門も、亡くなった勘三郎も名字は同じ波野さん。そして、なぜか萬屋一門は母方の小川姓を名乗っていて、歌六も時蔵も錦之助もみんな揃って小川さん。血と縁と名が繋がり続ける歌舞伎の世界なのである。(き)



夏祭.jpg






posted by 冬の夢 at 21:39 | Comment(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: