2018年06月28日

さようなら青山ブックセンター六本木店−反省とともに

「本の時代」を支えた書店が、またひとつ閉店した。
 かつて「ABCに寄ってから行くわ」で話が通じた、青山ブックセンター六本木店だ。
 一九八〇年代中盤から一九九〇年代に、もっともよく行った書店で、あのころ深夜にこの店に居なかったことはない……とまでは、おおげさだが、よく行きよく買った。

 以後ほとんど行く機会がなかったまま、閉店するとも知らず、最終日の二〇一八年六月二十五日までの訪店もかなわなかった。 
 閉店したというニュースとともに伝えられたコメントをひろい読みしていると、わたしと同じころ、この書店と似たような付き合いかたをした人が、かなりいることがわかった。

 それが、六本木店を閉店に至らせた原因のひとつだと思う。
 お店にも運営企業──現在はブックオフコーポレーション──にも、じかに話は聞いていないから、近年に限っての事情もあるかもしれないが、自分の問題として反省せずにはいられない。

       *

「ABCに寄ってから行くわ」とは、資料を買い集めてから行くよ、という意味だ。
 よく行ったころのABC、つまり青山ブックセンター六本木店の特徴は、内外の新刊雑誌はもちろん、アートや建築からドキュメンタリー、そして文学、哲学まで、同時代文化の全方位を網羅した品揃えにあった。大型書店だと「お取り寄せ」のことも多い、マニアックだったり専門的だったりする本が、新旧のバランスよく存分に置かれていた。

 ありがたかったのは、写真集などの充実。大型店ではかえって見つからない大判のビジュアルブック──売れにくいわりに場所をとるので棚が少ない──も「行けばある」感じだった。
 中二階式で、とくに広い店ではなかったのに「行けばある」だったのは、ネットがない時代にもかかわらず、店の情報収集力や感性が時代のセンスをとらえ、高密度な品揃えに結実していたのだろう。売場がさほど広くないのは、むしろ短時間で探しやすかった。

 さらなる利点は、たしか早朝まで夜通し営業していたこと。
「ABCに寄ってから行くわ」を、もうすこし説明すると、執筆者、グラフィックデザイナー、イラストレーターらの昼夜のない仕事場へ、資料を買い集めて届けたりするわけだ。
 自分が読む本を、そのついでに買う。同時代感覚いっぱいの書店だから、仕事に関係ない領域の読みたい本も、たくさんあったから。

 あのころは、日付が変わりそうになると会社ですべき作業が一段落。まだ原稿や図版を手渡しする人たちもいたので、受け渡し、打ち合せ、進捗確認などの外回りへ。夜中にABCに「寄る」場合、タクシーで店に行き、そこから訪ね先へもタクシーで行った。
 自分が読む本は自分で買ったが、資料にする本代や車代は社費。専門書や輸入洋雑誌、写真集、必要とあれば値段は見ずに買っていた。
 深夜過ぎでも店内にお客さんが絶えなかった記憶がある。わたしと同業の、いわばプロ購買者が、かなりの数いた──領収証買いするからわかる──わけだ。そして、カルチュラルなお店の雰囲気が好きでやってくる深夜族の、一般のお客さんたちも相当数いたのだろう。
 日中、さらに潤沢な経費で買いまくった他業種もあったろうから、プロアマ合わせて存分に「本が売れていた」のではなかろうか。

       *

 バブル崩壊と、それ以後にも繰り返された景気急落を経て、カルチャー業種は一気にしぼんだ。たんに出版不況、本離れということでなく、文化がおしゃれなエンタテインメントだった風潮が去ったのだ。六本木に求められる「面白さ」も、大きく変わったのだと思う。
 
 わたしは、たちまちABCに行かなくなった。
 深夜に社費でタクシーに乗ることは激減、仕事のやりとりはメール、資料は本でなくとも、わたしが探さずとも、手もとのネット検索で得られるようになった。その時点からでも二十年近くになるが、以後の青山ブックセンターがいかに健闘したかだ。まさに波乱である。
 
 自分の問題が、急に本を買わなくなった、ということだけなら、しかたのないことだ。「最近どうして来ないのォ、冷たいのねェ」って言われても「いやァ、そうそうは来られなくなったんだよ」ってのと同じだ。同じじゃないか……。
 そうではなくて、六本木店が閉店したと知ったとき、こう思ったのだ。
 いったい何冊の雑誌や本をあそこで買って「資料」にしたか知れないが、いま、あの本たちは、どこでどうしているのだろう、と。
 こうも思った。
 あの本たちは、ほんとうに発想の着火剤になる「資料」の役をつとめたのだろうか。何度も頁をめくられ、味読されたのだろうか。
 そして、このように考えた。
 もしかして、印刷メディアの景気がいいからこそ誰もが納期に追われる中で、ここいらへんから参考にして、うまく変えて作っちゃってくださいよ的な含みで、だからこそ山ほどの「ねた」を買ったのではなかったろうか。
 ネット時代のコピペが問題になるよりずっと前から、自分も、右から左でこそないが、ある意味「切り貼り」のモノ作りをして、それが六本木店に並ぶような「悪循環」をもたらさなかっただろうか。

       *

 書店の不振を、活字離れだ文化の衰亡だという声はよく聞くが、買わないからつぶれるのだ。
 こういうことをいうと、いまどきキレて刺しにくるのが居ないとも限らないが、文化がどうこういうやつに限って、身近な本屋では本を買ったことがなかったりする。
 それはそれとして、じゃあ「本離れしようにも離れられない本」を、既刊本を誠実に資料として使い、すべてに心をこめて作り、本屋さんに進んで売ってもらえていたと、わたしは胸を張っていえるのだろうか。

 仕事をやめてすこしすると、大小とわず新刊書店に立ち入ると体調がおかしくなるようになり、昔のように、ふと書店に入ってふと本を買うことは、なくなった。このような時代に、個性的な個人書店を続けたり、開店する人もいるが、そういう店はもっと息が詰まる場合がある。
 雑誌や本にかかわった人が「本離れ」しちゃダメじゃないか、といわれたことがある。本を読むのをまったくやめたわけではないが。
 かつてと違う形であっても、雑誌や本にまたかかわろうという気持ちは、いまのところない。もうやらないだろうと思う。(ケ)

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 店頭掲示の「閉店のお知らせ」によると、青山ブックセンター本店(表参道)へ統合閉店とのこと。
 写真の六本木店は、三十八年間営業したそうだ。
 
posted by 冬の夢 at 20:59 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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