2018年05月30日

乖離の乖という字は「そむく」という訓読みなのね

 いさぎよさ、がない。
 いまどきいさぎよいスポーツマンシップなど、プロアマ問わず、誰も信じていないだろうが、だとしても、このグネグネした展開には誰もが不快になる。
 だから逆に、アメリカンフットボールの試合の進めかたも知らない人たちも、みな話題にする。
 その誰もが一度は口にしたのではないか。体育会系のバカのやることだから、と。
 不幸、であるうえに、不毛だ。

 日本大学保健体育審議会アメリカンフットボール部が、関西学院大学体育会アメリカンフットボール部に提出した再回答書は、ぐねぐねした展開を象徴するかのように、異様に長い。「遅い」「長い(くどい)」は、このような場合、とってはならない対応だ。広報やリスクマネジメントの専門家※に聞かなくても当たり前で、確実に事情を説明して詫びねばならない事態、つまり反則と認定された行為で相手にケガまでさせているのだから。

 なぜ長くなるかというと、いさぎよく詫びられないからだ。うやむやに、が、いい過ぎなら、コトを体よくおさめようとするから長くなる。当事者に権力がありすぎて、お詫びを形で示す判断・決定が難しかったこともあるだろう。切り餅いくつで許せ──時代劇で出てくる小判ですね──では、すまない問題だし。
 遅くなってしまうのは、そのような事情から生じる当然の結果だ。 
 
 いっぽう、日本大学アメリカンフットボール部選手一同の名義で出された声明文も、再回答書ほどひどくないが、やはり長い。
 選手たちには同情しているので、一文一文ていねいに読んだが、やはり「いさぎよくない」。選手の声明を発表したメディアがつけ加えたコメントのほとんども、行間を読んだものだ。その推測が選手声明の主旨ととられてしまうのもまた不幸だと思うが、どう読んでも「行間を読んでください」「お察しください」という文でもある。発表するまでに誰が校訂したのかは知らないが。

 ただ、報道では「食い違っている」とされている部と選手の間で、完全に共通していることがひとつだけある。
 それは「乖離」だ──「忖度」もそうだけど、読めない人、いなくなりましたね、この熟語。
 乖離とは部側の表現で、選手側の表現は、元の文が長々しいから引用もちょっと長くなるが、こうなる。

 私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることも無く信じきっていました。また、監督・コーチとの間や選手間のコミュニケーションも十分ではありませんでした。そのような私たちのふがいない姿勢が、今回の事態を招いてしまった一因であろうと深く反省しています。

 指導者と選手側に、こういう共通の問題認識があって、しかもその「意思不疎通」が、そうとう長い年月、抑圧系として構造的に浸透してしまった抜きがたい体質であるなら、関学大のアメフット部に対するオトシマエは別途、先方と率直にすり合わせて決めるとして、日大が、いや大学側がでなく、選手や日大の学生たち皆が判断して、とるべき道はただひとつだ。廃部(休部)である。

 発展的休止、リノベーションのための解体と考えて、実行してはどうか。
 以後、運営に大学側やOBはいっさい関与せず、在籍選手と学内有志学生の自主運営で再建するなら再建する。
 いま何人の学生選手が在籍しているか、わからないのだが、相当な多人数なら割ってもいいかもしれない。
 どうしても大学公認・直属の体育会で活動したくて、強い学校の部から全日本や社会人チームなどを目指したい学生は転校する。関東学生連盟は全国の大学にそれくらいの交渉はしてあげられるだろう。そんなことはできないと無下なことをいうかな。
 一般に広く知られているのかどうか、日大には本部直属のこのチームだけでなく、学部単位などで十個くらいのアメフット部があるはずだ。それらの運営状況を調べていないので簡単にはいえないが、休部となり自主運営、いわゆる同好会となった現チームも交え、学内優勝杯戦を行っていく。もちろん大会は学生の主催運営で。将来はその優勝杯戦をへて日大選抜を作り、あらためて学連や他大学へ対戦を申し込んでみては。

 ふざけて極端なことをいっているわけではない。問題こそ違うがPL学園の野球部だって実質廃部になっている。強豪だとか伝統だとか、将来有望な選手の育成地などということには、なんの説得力もない。
 いま廃部となれば、もちろん現役部員にはきついし、記者会見まで行った部員は気が病めるだろう。だが、選手たちは声明で「生まれ変わる必要がある」と明言したのだ。もし、誰かが生まれ変わらせてくれる、程度にしか思っていないのだったら、この機会に自分らで、とことん「乖(そむ)いて」みてはどうだろう。

 部のOBがこんな文を読んだらさぞ怒るだろう。
 しかし、だったらかつて日大闘争に参加した、あるいは心情参加した日大OBが、それよりさらに強く、別の意味で怒りの声をあげておくべきだ。今回の事件のなかで、警察だとか、第三者委員会(学外のということだろうか)、弁護士、親、などなどが、なんの疑いもなく出てくることに。
 大学闘争は、わたしの学生時代よりはるかに昔のことだし、大学解体が本当に可能だったとも思っていないが、すくなくとも今回の出来事は「大学ブランド」どころでない、もっと大きな問題を含んでいる。そちらのほうが、むしろ厳しい問題だと思うのだが。(ケ)

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※関西学院大学の記者会見のキレがよく、日本大学のそれが低劣だったことをあげて、広報の手際のよしあしがいわれている。前者の部ディレクターが新聞記者経験があるからというのだが、それをいうなら後者の(悪名をはせてしまった)担当者は通信社の論説委員までつとめた人物だ。両学の立場の違い、両担当者の個人的資質をさし引いてもなお、ふたつの大学の校風、その言葉が大げさなら空気感が、明らかに反映されたのだと感じた。

posted by 冬の夢 at 14:47 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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