2018年05月27日

国立劇場五月舞踊公演「変化舞踊」から『七重咲浪花土産』

 え! たった1回の舞台だとしたら、もったいない気がする。
 東京・国立劇場、五月二十六日の舞踊公演、「変化舞踊」の後半演目『七重咲浪花土産(ななえざきなにわのいえづと)』。

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 日舞は完全なド素人で、家元制度がらみのヤヤこしい業界※1なんではないか、というイメージしかなかった。流派も踊り手も知らないし、踊りや演奏の出来もわからない。
 こういう場合は、開き直って開演を待つ。つまり一夜づけ予習も、幕開け直前にいそいでプログラムをナナメ読みするのも、なし。これから何が始まるのか、まったく知らないでおく。

 文楽や歌舞伎を初めて観たころもそうだった。一か所でも心にとまるところがあったら、また観に行くはずで、ひとかけらもとっかかりがなかったら、縁がなかったと思えばいいと。結果は、耳目をひかれるところがあったわけで、以後すこしずつ文楽も歌舞伎も観るようになり、ここに至っている。
「わからん!」しか印象に残らなかった、というのも大事なとっかかりだと思う。かつてのわたしの場合も、文楽や歌舞伎は「わからない」が、いちばん大きな感想だった。
 伝統芸能だ無形文化財だといったって大衆娯楽。「わからない」から「つまらん」と決めつけるのは──決めつけていた市長さんも、いらっしゃいましたが───自分はアホ以下だとふれ歩いているようなものだ。
 それに、観劇をかさねれば「わかる」わけでもない。わからなさの量的問題は目立って減るけれども、それとは別の、どうしても理解不能なことがむしろ出てくる。それを心の中でヒネくりながら帰途を歩む。そのことが楽しくなってきて、それでいいのだ! と思っている。

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 変化舞踊。
「へんか」じゃなくて「へんげ」だ。
 江戸時代に人気があった歌舞伎舞踊で、元禄時代に始まり、おなじみ文化文政期にもっとも充実したらしい。
 一演目で、ひとりの踊り手が、いろいろな役柄をつぎつぎに踊り分けてみせるもので、ゆえに早変わりや、目移りのいい装置・演出も駆使され、踊り手が複数になることも。現在上演されている歌舞伎舞踊の演目には、ここから独立したものが多々あるそうで、たて続けに観られる元の形が、江戸時代の人たちをいかに喜ばせたかは、想像にかたくない。

 今回の「七重咲浪花土産」は、いまから百七十二年前、江戸三座のひとつで、移転で浅草にあった中村座──明治に焼失したきりだったが、勘三郎名跡が座元だったこともあり「平成中村座」として復活したことは歌舞伎ファンにはよく知られている──で、二代目・尾上多見蔵という人が初演したそうだ。
「場当たり」というのは、この多見蔵を賞賛するいい回しでもあったとかで、そのココロは当意即妙、お客さま第一主義。初演時の歌詞は残り、長唄も半分以上は伝承されていたので、それらを重んじつつ、現代のお客さま向けの舞踊演目として編み直したそうだ。

 このブログで、わたし=筆者(ケ)=が歌舞伎や文楽のことを書いた文では、観劇初心者の分際でツッコミを入れたりしているが、もちろん日舞は皆目わからないからツッこむ余地がないにしても、百七十二年をへて再生した現代版「へんげ舞踊」は、面白かった! 国立劇場! いい仕立てだ!

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 題名の「浪花土産」にかけて、京都生まれで大阪で活躍した多見蔵の、大阪みやげの絵本から昔話の登場者がつぎつぎに現われ、それを当代(現代)きっての踊り手が踊り分ける、という趣向。
 舞台の案内役には、ご存じ赤鬼・青鬼が立ち、青鬼が提案の、人間に好かれる作戦の前説に、赤鬼は「どこかで聞いた話だな?」と早々に笑わせる。
 そう、踊り演目だが台詞がある。けれど、ちゃんと通っているし、わかりやすい!
 伝統芸能で初心者の観劇集中力がダレやすい場面転換。そのうちひとつで、鬼は舞台監督役になり──変化ですね──笛を吹いてセット交換を指揮。またまた笑わせてくれる。やりすぎるとスベるネタだが、よかった! 花柳寿太一郎と若柳里次朗という踊り手が鬼の役だから、鬼の踊りも、もちろん決まっていて面白い。
 
 全編で「変化」を堪能させてくれる、当代きっての踊り手とは、西川箕乃助と花柳基。両人とも芸術選奨文部科学大臣賞受賞者だ。そんなもので意味をもたせる書きかたはよくないけれど、今日の今日まで知らなかったので。
 それはともかく、近江の遊女、恋占札売り、振袖娘、酔っ払いの奴さん、こぶ取り爺さん、そして連獅子と、デュオで、ときにソロで、変わる変わる踊る踊る。失礼ながら、チントテシャン続きの座敷踊りみたいな舞台だったら、確実に瞼が閉じたと思うが、居眠りしている場合じゃなかったです、面白くて。「日本昔話」仕立ては、観ていて舞台に入っていきやすく、やっぱりいい。

 それから、箕乃助と基で二人踊りの酔奴と、二匹の犬がひと騒動起こす場面で、犬の着ぐるみで踊ったのは、箕乃助の長女と次女、佳と尚。
 カワイイ! だけじゃなくて力技も出していた、でしょあの所作は?  この子たち、将来は伝統舞踊を現代のフォーマットでも踊れるダンサーとして期待大ではないだろうか。ほめすぎかな。

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 遅くなったが、箕乃助と基が「うまい」と思い知ったのは、その、酔っぱらった奴さんの踊り。それから、基が踊った「こぶ取り爺さん」の場面。
 音楽でも話芸でも、コミカルな表現には、シリアスと同じかそれ以上の力量が必要だ。そして、基本を壊さずただやっているのに笑いを引き出せる人が最高に「うまい」。

「こぶ取り爺さん」は、赤鬼・青鬼の「あびちゃんちゃん」「てんぺこてん」などの掛け声に合わせた──常磐津と長唄の掛け合いという仕掛け──珍妙な鬼踊りの面白さに、爺さんが思わず飛び入り参加し踊ってしまう、昔話でおなじみの設定だが、最初は足腰おぼつかずヨボヨボしていた爺さん、いきなり鬼とシンクロし、どシャープなターンを決める。ダンスバトルです!
 ハッハッハッ! ペプシコーラのCM「アンクル・ドリュー」シリーズですね。ヨレた爺さんが、ストリートバスケットボールに参加させろとやってきて、はじめグタグタだが超スーパープレーを連発し出すというドッキリふうの──スーパーバスケット爺さんは、特殊メイクで老人に化けたNBAのカイリー・アーヴィング──あれです。ちなみに、ここで笑ったのはわたしだけではなく、お客さんにもかなりの割でウケていた。

 踊り手たちはしばしば、花道つまりストリートをやってきて、ストリートを去っていく。高い舞台で、ではなくて、地べたの街場に下りたかのように、おなじみの話がつぎつぎに踊られる。踊り手ひとり(今回はふたり)の早変わりで、幻燈のように流れ去りもするはかなさが、ますます実感に訴える。
 その点でいうなら、杵屋五吉郎と巳津也の長唄デュオコーナー、あれは幕外で披露する歌舞伎の大薩摩節だが、三味線が合引(歌舞伎用の腰掛け)に片足をかけ、歌い手は歌本をかざして、さあ御覧じろと勇ましくスタンディングで奏するのは、見立てによってはストリートパフォーマンスだ。
 そのように、いまふうでありつつ、あざと過ぎないストリート感覚が、はからずも全編にかもし出されたところが、親しみやすかったのかもしれない。
 
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 というわけで、思わぬ大楽しみで嬉しかったはいいが、さて、「また観に行く」としたら、どれか、というのが極度に難しい。「家元制度がらみのヤヤこしい業界」であることは、ぜんぜん変わっていない気配で、それだけでも気が重くなり、自分で演目を選ぶのは無理だ。せっかくの「日舞鑑賞面白いかも」な気分が、シリすぼんでしまう。
 この楽しい演目、フリのお客さんにも、よく売れていたのか、それとも舞踊関係者以外は厳しい集客だったのか。わたしが心配することではないのだけれど……。(ケ)
 
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※1 公演数日前、訴訟が最高裁にまで至った花柳流の継承問題をめぐり、一人での新流派創立が行われたばかりだった。
   hanayagi-takahiko.net
posted by 冬の夢 at 21:41 | Comment(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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