2018年05月26日

『未来少年コナン』再見 〜 宮ア駿と大塚康生の演出と演技

高校生だった頃、毎週火曜日の夜はTVで「ぴったしカンカン」を見るのが楽しみだった。坂上二郎と萩本欽一はコント55号のときから馴染みがあったし、久米宏の司会進行が興味深かった。ラジオ出身の久米宏は、機知に富み軽妙であり、何より作りものではなく本音で話すことが出来るアナウンサーだった。
最近のNHK-FMの番組で、久米宏は放送作家の秋元康とこんなやりとりをしている。

秋元「久米さんが民放TVの選挙番組をやっていて、たまたまシステムトラブルで速報情報が出なくなってしまった。そのとき久米さんは『TVの前のみなさん、速報が出ない間はどうぞNHKを見ておいてください』と言ったんですよ。覚えてますか」
久米「いや〜、覚えていないけれど、そういう状況なら確実に言ったでしょうね。だって視聴者の立場になったら、速報が出ない選挙特番なんて意味ないですから」


そんなことだったから、火曜夜の同じ時間帯でNHKが開局以来初めて取り組んだアニメーション『未来少年コナン』が放映されていたことは、全く知らずにいたのだった。


初のアニメーションを放映するにあたって、NHKが指名した製作会社は、当時日曜夜の「世界名作劇場」で『アルプスの少女 ハイジ』や『フランダースの犬』を世に送り出していた「日本アニメーション」。同社プロデューサーの中島順三は、NHKから「小学校五・六年の男の子をメイン視聴者にしたい」と要望される。中島は、そのときはまだ本格的な演出経験がなかった宮ア駿に作品を任せることに決めて、企画案のうちA案を提示するが、宮アの反応は鈍かった。じゃあもうひとつのほうを、ということで決まったのが『未来少年コナン』。宮ア駿は、作画監督に大塚康生を起用することを条件に『コナン』の仕事を受けたのだった。

大塚康生は、日本のアニメーション映画の土台を作った東映動画の一期生。子どもの頃から大の鉄道好きだった大塚は、蒸気機関車をスケッチしているうちに実物のメカを精密に絵にする技術を身につけたと言う。絵が描ける仕事だということで、厚生省麻薬取締官というまともな役人仕事をうっちゃって、東映動画の前身である日動映画に入った変り種だ。
その大塚を指導したのが、東映動画草創期を支えた森康二だった。今でも東映アニメーションのマスコットキャラクターになっている『長靴をはいた猫』のペロは森康二の作品。森は、その造形の可愛らしさはもちろんのこと、絵に動きを与えて生命を吹き込むプロフェッショナルな職人アニメーターであった。
その技は熟練の度合いを増して大塚康生に伝授された。大塚がほんの二十分ほどで、石川五ヱ門が剣を抜く動画を描く作業現場をYouTubeで見ることが出来る。
全体の構図と五ヱ門の動きをイメージして、大塚は作画に取りかかる。「まずこうですかね」「で、次にこうなるのかな」「ここで剣をシュッと」「となるとこう行くんでしょうね」…。ひとつひとつの動きを言葉にしながら、その言葉通りに絵が描かれていく。その絵をパラパラとめくると、いつのまにか五ヱ門に命が宿っていて、鋭く斬鉄剣を抜く剣豪に変わっている。
さらに真のプロの現場ではよくあることなのだろうが、大塚康生はいとも簡単に絵を捨ててしまう。先ほど「こうでしょ」と描いた絵をあっさりと「これは要らなくなりました」とゴミ箱行きにするのだ。大塚にとって重要なのは動きであって、絵ではない。イメージ通りの動きを表現するために何回も描き直し、捨てて、加える。まさに「動画職人」の手作業の凄味である。

かたや学習院大学を卒業してアニメーターとして東映動画に入社した宮ア駿は、新人の頃から頭角を現し、最高傑作の呼び名が高い『太陽の王子 ホルスの大冒険』でその実力が高く評価された。その宮ア駿が、『コナン』で初めて独立した演出という立場で作品を作ることになったのである。
『コナン』の原作は、アレグサンダー・ケイという人が書いた「残された人びと」。核戦争後の荒廃した世界を描く陰気な小説らしく、宮ア駿は気に入らなかったらしい。

あの原作は好きじゃないです。ペシミスティックで、しかもアメリカとかソ連とかいう見方が秘そんでいて、未来とか言ってるけど、機織りをつらいと感じるラナは未来につながらないと思うんです。(※1)

宮ア駿は「世界戦争後」という設定と主要なキャラクターだけを採用して、全く新しい発想で、『コナン』を別の物語に仕立ててしまった。エンドタイトルでも「演出」とクレジットされている宮ア駿は、実際には脚本・監督・撮影・編集をすべてひとりで担い、独特な世界観を作り出した創造主であった。
映画とアニメーションでは、作品の作り方が違っていて、「演出」や「監督」という業務上の役割分担を表す役職名が現実にそぐわないことがある。映画においては、企画立案から脚本、キャスティング、ロケハン、読み合わせ、撮影、編集、録音と順序通りに仕事が流れていく。一方でアニメは、換言すればイメージを動きにする業務だけあれば良いので、分業すればするほどイメージが分断されるし、縦割りで統一感のないものになる。
『未来少年コナン』の宮ア駿は、アニメーション製作の基本業務を全部ひとりでやってしまうという仕事の仕方をした。結果的にそれが『コナン』を傑作にしたのであり、後に世界的な名声を獲得する宮アアニメの作り方の源流は『コナン』にあるのだった。

「ぴったしカンカン」を見ていた私に「『未来少年コナン』を見てないなんて、お前はバカか?すぐ見ろ、今見ろ、絶対見ろよ」と勧めたのは、高校の先輩だった。彼は学内に知らない者はいないほどイラストが上手で、あるとき私が所属していた映画研究部にやって来て「映研でアニメ作ろう」と告げると、そのまま臨時部員として居座ってしまった。そして、夏休みの間に映研や美術部のメンバーを集めて期間限定のアニメ制作部隊を編成し、8ミリフィルムによる約5分のアニメ作品を作り上げたのだった。5分とは言っても1枚3コマ撮りで1秒18コマ(※2)を動かすためには6枚のセル画を描かなければならない。1分なら360枚の絵が必要で、同じ動きを反復させたり、止めを使ったりしても、5分の作品なら1000枚は描いたはず。よくもまあ素人高校生集団で出来たものだと今では感心するが、セルをひっくり返して裏から彩色したり、原画を動作で割って動画にしたりを実質二ヶ月程度でやってしまった。学内プロジェクトみたいなその作業を総合プロデュースしたのが「コナンを見ないなんてバカだ」の先輩だった。先輩は自らコンテを切り、脚本を書いて、原画を描き、ほとんどの動画に手を入れて、背景の描き直しを命じ、撮影にまで立ち会っていた。
今になって振り返ってみると、なぜ先輩がそこまでしなければならなかったのかがよくわかる。アニメを作ろうと映研に転がり込んだときから、先輩の頭の中には完成作品がイメージされていたのだ。そして、絵を描くレベル、動きにするセンス、背景との合わせ方など、アニメーション作りの知識とスキルは先輩にしかなかった。彼は自分のイメージと、素人集団の作業実態とのギャップに苦しんだはず。だから、すべての作業に口を出し、ついには自分でやり始めてしまったのだ。

たぶん『未来少年コナン』の製作現場における宮ア駿の仕事ぶりは、「すべてを自分でやらないと気が済まない」であっただろう。宮ア駿の頭の中では『コナン』についての明確な世界観が出来上がっていたはずだ。その世界観をひとつひとつの場面に具体化するために、宮ア駿が描いたのはストーリーボード。それは映画で使われるような人物の配置図的な撮影設計書としての絵コンテではない。画家が一枚の絵に表現を込めるレベルに近い、最終的アウトプットを製作スタッフと共有するためのイメージの具体像なのだった。
のこされ島のロケット小屋に日々暮らす生活感。バラクーダ号の船倉に積まれるプラスチック製品の山。ダイスが運転するロボノイドの走り方。足の指でチャイカ(完成版ではファルコ)の翼に掴まるコナンなどなど。
どれも放映された本編と寸分違わぬイメージが描き出されていて、しかもストーリーボードを通じて、キャラクター設定や人物の性格付け、その結果としての行動様式が読み取れる。
『コナン』の製作スタッフは例外なく自分の仕事は宮ア駿に全部チェックされたと言っているし、作画監督である大塚康生でさえラナの絵にはダメ出しをされたらしい。以来ラナはほとんど宮ア駿本人が、原画の段階から動画に割るところまでを描くことになった。それならお前ひとりでやれよと呆れられるくらいのワンマンぶりであるものの、そこはアニメーター同士の職人らしさで、最終的には良いものを作れる者が勝つべきだという共通理解があった。
そのようにして熾烈な製作現場を戦い抜いた『未来少年コナン』は、1978年4月から10月にかけて、全二十六話が放映されたのだった。


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放映から四十年が経過した今になっても、『未来少年コナン』は、子どもたちは言うに及ばず、老若男女問わず幅広い年代層に受け入れられている。それはひとえに、宮ア駿による演出と大塚康生による演技の組み合わせに惹きつけられた結果であると思う。
宮ア駿の演出とは、前述した通り、『コナン』の世界観すべてに関わる本作の根源そのもの。特に「世界戦争後」を感じさせる空間設計が、他作品にはないオリジナルな雰囲気を醸成している。
この空間設計の基本は「縦軸と横軸」であり、「縦」とは、インダストリアの三角塔から地下の廃虚まで、あるいは、白い雲に囲まれた空から船が沈む海の底まで。一方で「横」は、のこされ島、プラスチップ島、インダストリア、ハイハーバーといった地図的な広がりである。この縦と横をコナンは、ほとんど自分の力で移動し昇降する。そこにダイス船長のバラクーダ号とモンスリーが操るファルコ、ラオ博士が飛ばすフライングマシーンが上下左右に絡んでくる。どれも動きは緩慢としていて、決して速くはない。そこに秘訣があるのであって、限られた場所しか現れないのに、『コナン』の世界観は「世界戦争後」の何もなくなってしまった地球の惨状を縦と横の空間をゆっくりと移動することによって確実に表現している。
中でも宮ア駿の真骨頂は、インダストリアの造形に見い出される。聳え立つ三角形の巨大な高層建築物。太陽光を受け止めるための円形反射板を戴いた天辺は見上げるほどに高い。そして建物は中空構造になっていて、三角形の真ん中を奈落まで下がっていくと、そこはかつての地底都市である。放射能から逃れるために建設された地上そっくりの地底都市は、膨大な太陽光電力により稼働するので、今では暗闇に閉ざされているのだ。
この上から下への空間の縦軸を利用して、支配者層としてのレプカや委員会メンバーが最上層階のフロアに配置され、三等市民たる烙印を押されて抑圧された民衆は地下に這うように住まわされる。
視覚的にも概念的にも極めてわかりやすい表現方法を、宮ア駿は『やぶにらみの暴君』(※3)から着想したと言う。

『やぶにらみの暴君』の設定の上手さってのは、高い王宮を作って途中にいろいろありそうだなと思わせながら、あの主人公の2人にえんえんと階段を駆け降りてて逃してね、地下のまっ暗な所まで行かせちゃったでしょ。あれ、途中は全然作ってないと思うのね、作ってる筈がない。しかし実に上手く出来た一つの世界を作り上げてるんです。上から下へ方向性を持たせる、こういうのは設定の作り方としては一番いいやり方ですね。(※1)

もちろん宮ア駿は単に真似をしただけではない。そこに横軸の広がりを加えることによって、漠然として何もない、けれどもこれからいろいろな生命が芽生え成長するだろう許容力のある空気感を作り出した。ストーリーボードでほとんど完成していた宮ア駿のイメージは、少しずつ肉をまとい、アニメーションとしての『コナン』が立ち上がったのだった。


この宮ア駿の「演出」に血を巡らせて、動きを与え、キャラクターに息を吹き込んだのが、大塚康生の「演技」だ。
人物設定では、既に宮ア駿が各キャラクターの基本動作を指示している。例えばジムシイは肩を張ってガニ股に構えて立つとか、モンスリーは両手を腰に当てて権威を示すとかいった具合に。しかし、それだけでは単なる設定であって俳優にはなり得ない。大塚康生は、キャラクターを俳優にするための演技を作り出す指導者であり、俳優そのものでもある。
印象的なのは随所に出てくるコナンの超人的な跳躍力。インダストリアの三角塔からラナを抱えて「飛ぶよ」とひと声かけると、数百メートルはあろうかという高さから飛び降りる。着地はするのだが、その衝撃で身体全体が硬直。固まったまま、腕力で片足ずつ地面から引き剥がし、カニ歩きで逃げて行くという超人ぶりだ。
マンガでしかあり得ないこの跳躍シーンを大塚康生は、はるか下方へと飛び出す大胆な動き、そして、着地した途端に固形化するいきなりの止めを並べることで表現する。動と静の対照化。これは大塚によると、極めて日本的で伝統的な表現手法であり、森康二と並ぶ東映動画の先達、大工原章から学んだらしい。

日本人の演技に対する考え方で思い出すのが、大工原さんの仕事です。大工原さんの動きを見ていると、カッコイイところに来るとパッと止まるんですね。技術的な話で申し訳ないですが、歌舞伎なんか御覧になるとお分かりでしょう。役者が色々な所作をして、最後に一瞬止まりますね。キメとか見栄というんですが…。あるいは能などでもいい所で止まりますね。そのキメのポーズと言われるものが日本人にとって大切なんですね。キメのポーズだけを見たい。その途中は余り見てないんですね。止まったカッコいいところを見たい―というところが、どうも私たちにはあるらしい。(※4)

単に動かすことだけではなく、いかにカッコ良く見栄の演技をさせるか。大塚康生の視点は常に観客目線であり、職人の一方的な技術的拘りに留まっていない。こうした大塚の「演技力」が、『コナン』の映像を鮮明に見る者たちに焼き付けていく。
そして、それは動きのカッコよさだけではなく、キャラクターの個性をも浮き彫りにする。コナンは想像を絶する足の指の強さで数々の難局を乗り切るのであるが、足を使うことの意味付けは、実は宮ア駿によって周到になされているのである。

足をよく使ってけっているのは、「手でなぐる」というのがつまらないからです。もう動きとして決まりきっているし、いかにも正義の味方、みたいで。足を使った方がこっけいで、表現としてやわらかくなりますから、足を多用しています。(※5)

こうして振り返ってみると『未来少年コナン』は、東映動画の屋台骨を支えてきた超優秀なアニメーターである宮ア駿と大塚康生の二人の存在なくしては語ることの出来ない作品であったことがわかる。そして、彼ら二人が『コナン』について発言したことを辿っていくと、『コナン』を見ていたときの不満もなぜか自然と氷解していってしまうのである。
例えば、コナンのあまりの清廉さについて。たった一度きり、のこされ島で会っただけのラナに対して、なぜあそこまで必死になれるのかは、今見ても疑問な点であった。同様にラナにしても、コナンへの絶対的信頼感がいつ心に定着したのかが定かではなく、嘘臭さが感じられなくはない。
そんな疑問も宮ア駿は、次のようなコメントで一蹴してしまうのである。

コナンがいい子すぎるって風な意見もあるけど、僕はそうじゃないと思ってる。そうじゃなかったら乗り切れなかったろうと思うんですね。マンガ映画の主人公というか、冒険物語の主人公というのはそういう人達ですよ。むしろ、いい子すぎるって言う方が僕はあまり好きじゃないんです。悪い子見たいのお前は?って言いたくなるんで。(※1)

個人的には、宮ア駿の作品については『未来少年コナン』と『ルパン三世 カリオストロの城』の二本しか評価ない立場である。なぜなら『風の谷のナウシカ』を見たときに、ナウシカのあまりの良い子ちゃんぶりにウンザリしてしまったからだ。その後の宮ア作品は実は『ラピュタ』以外は一本も見ていない。たぶん今後も見ることはないと思うのだが、宮ア駿はマンガ映画の真髄について、実に的を射た発言をしている。ここまでわかっているのなら、なぜナウシカをあそこまで終始完璧なヒロインにしてしまったのか、理解不能ではある。けれども、『未来少年コナン』の長々とした感想を締めくくるとしたら、宮ア駿の次の言葉を引用して、終わりにしたいと思うのである。(き)

僕は、マンガ映画というのは、見終わった時に解放された気分になってね、作品に出て来る人間達も解放されて終わるべきだという気持ちがある。出て来る人間達が無邪気になったというのが僕は好きなんですよ。今のTVアニメを僕の見た範囲でですけれど、腹立ってくるのは浄化作用が何もない。それは耐えられない。人間を尊重してない事だと思うんです。(※1)


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(※1)すべて「アニメーション狂専誌FILM1/24別冊 未来少年コナン」スタッフインタビューより引用した。
1980年代初頭のこと、三百ページを超えるA4サイズの大型本を池袋文芸坐併設の映画本のみを扱う書店で見つけ、即購入した。奥付もない本なので、発行部数がかなり少ない自主出版に近い形で出されたものだと推察する。

(※2)通常のフィルム映画では1秒24コマの速さでフィルムに映像が記録されるが、家庭用8ミリカメラの標準撮影スペックは1秒18コマでシャッターが切られる。私の所属していた映画研究部ではフジシングル8を使用していた。

(※3)『やぶにらみの暴君』は1952年に公開されたフランス映画。ポール・グリモー監督、ジャック・プレヴェール脚本。監督の意に沿わない形での公開だったらしく、1980年に『王と鳥』と改題し再映され、フランスで高い評価を受けた。

(※4)叶精二氏によるHP「大塚康生さんの世界」より。叶氏は日本のアニメーション映画研究の第一人者である。

(※5)徳間書店刊「ロマンアルバム46『未来少年コナン』1981年発売号」より。本誌には、宮ア駿によるオリジナルストーリーボードがカラーで掲載されている。




posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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