2018年05月22日

Gabriel Fauré − REQUIEM ; Michel Corboz (1972) 元気が出る曲のことを書こう[40]

 この十年で、もっとも聴いた曲は、おそらくこれだ。
 理由はなんであれ、気持ちが晴れないときはいつも聴いていたし、二度三度と、繰り返し聴いたこともある。クラシック、とりわけ声楽は、かなり苦手なのに、よく聴くジャンルの盤よりよほど回している。
 葬式の音楽なんか聴いたらよけい鬱になるじゃないかって? そうかもしれない。が、代わりに聴くものは思いつけない。

 回す盤も、ひとつに決まっている。指揮者・演奏者違いで三、四枚持っているはずだが。
 ミシェル・コルボ指揮の一九七二年録音版。女声パートにボーイ・ソプラノを起用しているのが特徴で、賛否はあるが人気の盤だ。

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 WARNER MUSIC JAPAN 2000

 賛は、少年の歌声が無垢な透明さやストイックさを感じさせる、というもの。
 天上の、あるいは昇天のイメージに通じるのだろうか。
 女性が宗教曲を歌うとストイックでないなんていうと問題だが、一八八八年、フォーレが自分の指揮で、パリのマドレーヌ教会のミサで初演したころは、聖歌隊に女性は加われなかった。この教会はフォーレが熟知している職場だった──サン・サーンスの後任として主任オルガン奏者を長く務めた──から、聖歌隊の男の子たちが歌うことを前提に作曲したと思われる。※1

 否は、その少年の合唱やソロの、力量不足を指摘している。
 少年が歌うこと含みで作曲されたとはいえ、子どもが歌いきるには難しいそうで、フォーレも教会外の演奏会では女性歌手を起用していた。現代の演奏でも、高音域は基本、おとなの女性が歌う。
 この盤では、コルボが手塩にかけて育成したローザンヌ声楽アンサンブルでなく、さして有名でない教会づき聖歌隊と、そこからピックアップした少年のソリストが歌っているので、演奏技術が高くないという意見もあるようだ。

 賛否どちらも、なるほどと思うが、この盤ばかり聴く理由には影響していない。
 初めて聴いたときは「男の子」が歌っているとは、すぐに気づかなかった。また、何度聴いても演奏が「へた」だと感じたことはない。ほかと比べて聴いたことがないからだと言われたら、それまでだけれど。

       **

 なぜ、この曲この盤ばかり聴くかは、よくわからないままだった。
 このさい理由を知りたくなり、最近は三日にあげず聴いているが、聴くだけではなおのことわからない。無理に理由をひねり出さなくても、好きだから聴く、でいいのだが……。
 こればかり聴きたくなる心境から、いいかげんに遠ざかりたくなったのだろう。なぜ聴くのかという理由を見きわめておいて、とうぶん距離をおきたいと。
「しばらく別居させてください」と嫁が急に言い出したが、その場の勢いでなく身辺整理もすませておりますのよ、みたいな感じで。

 まあ、くどくど考えず「天使の歌声」「美しい」「癒される」と書いておけばいいようなものだが、とにかく、わかる範囲で考えてみた。
 ロックやジャズのことを書いた、このブログの他の文では、コード進行や楽器の弾きかたを知った顏で書いているが、楽理の専門知識はないことと、ふだん聴くオーディオの聴感だけで書いていることを、お断りしたうえで。
 お断りといえば、癒されたくて聴いていたわけではない。聴き終えて、癒された! と思ったこともない。
 また、最初にいっておくべきだったが、カトリックではない。その他の信仰も持っていない。
 教会で典礼曲を聴いた経験も限られている。日本だけでのことで、フランスやイタリアの教会では練習しているのを聴いたことしかない。

       ***

 この曲は、フォーレが両親の死を哀悼するために作曲した、という解説をよく見る。
 確かに、作曲に前後して、フォーレの父そして母が亡くなっている。
 だがフォーレは、師範学校長の厳格な父とは「一度も打ち解けて話をすることが出来なかった」そうだ。南仏生まれだが、九歳から二〇歳までパリの宗教音楽学校で学び、生後は乳母に預けられてもいて、両親と過ごしたのは生涯で五年ほどでしかなかったという。
 ドビュッシーの友人で教育者・作曲家のモーリス・エマニュエルへの手紙に、こう書いていたことが明らかになっている。

 私の「レクイエム」は特定の人物や事柄を意識して書かれたものではありません……敢えて言うならば、楽しみのためでしょうか……

 このメッセージは、『レクイエム』が「異教的」だという批判に対してフォーレ自身が当時の文化紙へ寄稿した、よく引用される一文と対をなしている。

 私の『レクイエム』について言うならば、恐らく本能的に慣習から逃れようと試みたのであり、長い間画一的な葬儀のオルガン伴奏をつとめた結果がここに現われている。私はうんざりして何かほかのことをしてみたかったのだ。

 マドレーヌ教会での初演の直後、フォーレは司祭に呼びつけられ、こんなやりとりもしている。

「『先ほど演奏したあのミサ曲は一体全体何なんだね。』──すると楽長(フォーレ)は答えて曰く、『どういう意味でしょうか。私の手がけたレクイエムですが……。』──『ねえ、フォーレ君、われわれにはあのような新しい曲は必要ないんだよ。わがマドレーヌ寺院のレパートリーは充分すぎるほど立派なもので、君にもそれくらいのことはお分かりだろう……』。」

 フォーレの『レクイエム』は、突拍子もないほど、あるいは、革命的なほど「新しい曲」とは思えない。
 レクイエムはフォーレ以前に、ロマン派の作曲者たちが典礼音楽の約束ごとを離れて表現を盛り込める音楽形式になっていたが、フォーレの『レクイエム』には過剰な陶酔や激情はないし、荘厳でも華麗でもない。大きな演奏会場より地方都市の小さな教会が合いそうだし、「歌メロ」など、どこか古めかしい感じがするほどだ。バッハより古い時代の宗教曲のようにさえ聴こえる。
 いっぽう、素人なりにいつも気になるのは、古典宗教曲に通じる面もあるような「歌メロ」を伴奏する管弦の動きが、ときにハッとするほど情緒的で抒情的なこと。歌い手たちを「あおる」感じではないが、その響きは明らかにロマン派的、というより、いっそ印象派みたい──フォーレの直系の弟子、ラヴェルはそうなのだが、フォーレ自身はそうではない──といってもいいほどだ。
 これらの聴きとりは間違っているかもしれないが、そう聴こえてもいいのなら、わたしにはたぶん、そこが好ましい。
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 BMGビクター 1989 エラート "エスプリ" シリーズ
同じ盤ばかり、何枚もいらんやろ! たしかに、いらん! けど、ある……。

 宗教音楽学校で十年間、週に三回、宗教曲を合唱し、古典宗教曲の演奏や作曲をひたすら学び、聖職者に一般教養を教えられ、教会オルガン奏者として音楽家になったフォーレが、「何かほかのことをしてみたかった」結果、『レクイエム』が出来たのだとしたら。
 フォーレが「うんざり」していたのは、宗教音楽の「慣習」にだけではなく、カトリックの儀礼的「慣習」にも、だったのでは。
 そんな考えを持っていてバレでもしたら、たちまち地位も収入も失うから──フォーレは長年、生計のための「出稽古」にも追われて、作曲に没頭できないのが悩みだった──表立って言うはずはない。
 が、ほかの音楽家と違いカトリック的な「慣習」には、諳んじるほど通じていたはずだから、声高で騒々しい曲で露骨な自己表現をしなくても、「慣習」を再構築することで、抑制された静けさの裏側に、かなりの「楽しみ」を織り込むことが可能だったのではないか、いや、そうにちがいない。
 そして、楽しみながら作曲した『レクイエム』のほうが、「慣習」に忠実な典礼曲よりはるかに「死者のため」のミサにふさわしいことに、フォーレは気づいていたのではなかろうか。司祭に「先ほど演奏したあのミサ曲」といわれて、フォーレは「私の手がけたレクイエム」と言い直しているから。

       ****

 フォーレが『レクイエム』で行った慣習の再構築を、音楽的な側面から俯瞰してみると──。 

 古典宗教曲を思わせもする旋律と、ロマンチックな管弦楽の合体だと感じたことから、一九九〇年に大ヒットした、エニグマの『サッドネス』を思い出した。いっとき、どこへ行っても流れていたので、フォーレの『レクイエム』より知られているだろう。CDは買ったが、あまり好きではなかったけれど。
 エニグマとは、もともとは竹の子族でおなじみの「アラベスク」で、『サッドネス』は、グレゴリオ聖歌と、当時注目されていたダンスビートの合体だ。
 コンセプトや方法論が似ているかと思ったが──フォーレの曲作りが現代のサウンドユニットをさき取りしていたら面白い──ひさしぶりに聴いてみると、これはまったく違った。『レクイエム』はサンプリングやコラージュとは別もの──たしか芸術史的にもかなり後だし──なので、聴きくらべなくてもわかる話だった。

 グレゴリオ聖歌に出てくるような古い旋法が、この『レクイエム』にどう使われているかまでは、具体的には示せない。しかし、フォーレがイヤというほど学んだはずの教会旋法、つまり「モード」だが、あの音階にも特徴的な、西洋古楽がどことなく漂わせる浮遊感──「地中海的」と表現されたりするが、たしかに「異郷=異教」の響きがする──が、フランス近代音楽の転調や和声に、うまくとけ込んでいった……いや、むしろ逆に、旋律のほうが積極的に転調やコード進行の変化をうながしていった、ということが、ありはしまいか。
 当時でさえ古色蒼然としていたに違いない古典宗教音楽の要素が、音楽的に「面白い」ことを巻き起こしていくさまを、作りながらフォーレが「楽しんで」いたのだとしたら。
 曲の各部は、べつべつの機会に作られ、編曲も、あとから足されたりしている。なのに、曲全体の清潔なほどの統一感のうちに、聴くたびにまた聴きたくなるような生命の息づきが感じられる。葬式の曲なのにだ! しかも、その命の呼吸は、いつしか曲を聴いている自分の中にあるかのようにも聴こえ始める。
 フォーレが、慣習からの逸脱──革命でなく「ずらし」──によって、やってみようとした「何かほかのこと」には、強いられた慣習からはこぼれ落ちていた、人間性へのほんとうの憐れみと、共感が満ちている。

       *****

Introitus 入祭唱
Kyrie あわれみの賛歌
 Gradulale 昇階唱
 Tractus 詠唱
 Sequentia 続唱

Offertorium 奉納唱
Sanctus 感謝の賛歌
Pie Jesu ああ、イエスよ
Agnus Dei 平和の賛歌
 Communio 聖体拝領唱

Libera Me われを許したまえ
In Paradisum 楽園にて

「ねえ、フォーレ君」「あのミサ曲は一体全体何なんだね。」と司祭が文句を言ったのは、聴感もさることながら、ミサで演奏したのに、典礼形式が無視されていることに対してだったろう。

 上は、一九六〇年代の第二公会議による典礼改革以前※2、つまりフォーレの『レクイエム』の時代にもあてはまる、教皇庁公認の「死者のためのミサ」で歌う項目である。
 *印がフォーレの『レクイエム』を構成しているが、赤字は、フォーレの曲にしかない、つまりミサの「式次第」にはない歌だ。

 レクイエムは演奏会むけの音楽としても作曲されるようになっていて、音楽性の点から、ミサ曲としての決まりごとや歌詞を変えることがすでに行われていたのは、さきほど書いたとおりだ。
 だが、フォーレは宗教曲の専門家で、教会付きのオルガン奏者。数限りなく典礼の伴奏もしてきた立場だ。決まりを変更したうえに教会典礼で演奏したら、芸術的挑戦ではすまず、当時のカトリック業界に対する挑発になる。初めて聞かされた司祭が「ナンじゃこれは!」となったのは当然だ。

 上の項目からもすぐわかるように、フォーレは、ミサ曲を思いきり盛り上げる部分「Sequentia」── Dies Irae(怒りの日)についての「こわい話」で、モーツァルト以後のレクイエムでは、いかにも荘厳長大に作曲された部分だが、そこをまるまる省略している。さらにカトリック典礼のハイライトのはずの「Communio」(聖体拝領唱)もボツ。
 細かい指摘は略すが歌詞もいじっているし、ボツ部分の代わりに、ミサの歌唱にない「Pie Jesu」をはめ込んだが、その歌詞は、じつは「Sequentia」の最後の二行だ。いわく「慈悲深い主イエスよ、安息を与えたまえ」。で、ここが全曲でもっとも美しく、ソプラノのソロで「短く」歌われる。業界関係者にはイヤミに聞こえかねない。
 そしてこれまたミサにはない、本来はミサの後、亡くなった人のお棺のそばで「解き放ちたまえ」と歌う「Libera Me」、それから、お棺を運び出すとき、つまり「野辺おくり」で歌う「In Paradisum」を付け加えている。
「Libera Me」は、きわめて力強く直線的、訴求的だが、その後の最終部「In Paradisum」は、静かな開けた解放感に満ち、いつしか終わっていく。『レクイエム』はいつも、聴きてを宙に漂わせるかのように、いつの間にか終わってしまうのだが、さいごの「In Paradisum」がそうだからだ。だからこそ、何度でも聴きたくなるのかもしれない。
 
        ******

 フォーレは『レクイエム』で「本能的に慣習から逃れようと試みた」といったわけだが、それは音楽的な意味のみならず、宗教的な意味でも、そうだったと考えている。

 宇宙とは秩序そのものであり、人間界は無秩序なものですが、その責任は人間自身にあるというのでしょうか。調和のとれているように見えるこの地上にわれわれは放り出されたのであり、そしてそこで生まれてから死ぬまでよろめいたり、つまずいたりし続けなければならないのです。肉体的にも精神的にも苦しみながら……(略)われわれの苦悩を一つずつ明らかにしてゆくと、やがてすべてから解き放たれていきます。インドの人たちの言う涅槃(解脱)ということであり、また私たちの言う〈レクイエム・エテルナム〉のことなのです。

 これは『レクイエム』の初演そして決定版の完成からもかなり後に、フォーレが妻に宛てた手紙の一節だが、キリスト教をこんなふうにとらえた作曲家の「ミサ曲」は、もちろん「異教的」だし、司祭でなくとも「フォーレ君(怒)!」だ。
 しかもフォーレは、この真摯な手紙を妻に書いたときも、もちろん、ピアニストの愛人との交際を続けていた。
「もちろん」というのは、フォーレには不倫歴がけっこうある。人となりを調べると、謹厳でこだわり派だが親切で素朴、出しゃばりやスノッブが嫌いな控えめな態度、というような声がピックアップできるのだが、それと矛盾するような奔放な──信仰にあついとはいえないような──面も持っていたようだ。
 フランスでトップクラスの、カトリック教会の音楽担当者なのに、信者らしからぬことを言ったり、かなり歳がいっても婚外交際なんかしていたり。
 後のほうをいまどき支持したりすると大ごとになるが、もはや、フォーレの『レクイエム』は、「神」のこと──ひれ伏して許しを乞うとか──は、とりあえず保留にしているのではないか、とさえ思う。
 死を人間最高の解放の境地と讃え、亡くなった人を祝うがごとく見送り、いっぽう聴きてに向かって、ひそやかに、「生きているうちは煩悩とともに、多少ぐらついても生きていきましょう」と歌っている曲!
 こちらの足もとが不確かなとき、説教めいて降ってきて聞かされる「天の声」ではなく、ぐらつく者を深いところで支えてくれる「地の声」が聞こえているような気がするのでは……そう考えるようになり、また、この曲のCDを取り出した。

       *******
 
 指揮者のミシェル・コルボは、この曲を四回リリースしているのだが、女声部に少年合唱とソロを起用したのは、初録音のこの盤だけだ。
 コルボの解釈は、少年が歌うべき、なのではなく「少年のような歌声」で歌われるべき、というもの。以降の盤では、そういう声質の女性歌手を起用しているようだ。
 四たびも録音・発売したのは、よりよく演奏したい、すなわち初回の少年歌唱版がいまひとつの出来だったという反省が含まれているか、逆にそれが素晴らしかったので、よりすぐれた演奏者によって再現したいという思い、そのどちらかだろう。
 十年ほど前に発売された、初回盤リマスターCDのライナーに、コルボへのインタビューが付されている。それによると、「両方」であったことがわかる。

 フォーレのレクイエムの2度目の録音は、満足すべき水準に達していると思いますが、最初の録音で少年たちが歌ってくれたものは、まったく特別なレクイエムでした。あの魂の高揚を再現することは無理ではないかと思うのです。あの録音は私にとっても特別で大切なものです。

 この盤ばかり聴いてしまう理由は、コルボのこのコメントで、じゅうぶん説明になっていると思うが、同じインタビューから、この演奏がなぜ「まったく特別」になったかも、かいつまんで紹介しておく。
 
       ********

 ミシェル・コルボは、スイスのローザンヌの北東、人口五千人ほどだった村の出身だ。スイスではどんな小さい村にも教会があり、教会合唱団の活動がさかんだといっている。
 コルボの祖父もおじも合唱団の指揮者、父は合唱団員だったそうで、コルボも合唱団の指揮者になりたかった。そのころは村の学校の先生が指揮者になる習わしだったので、コルボは教員学校に入学したのだった。
 今回とりあげた盤で歌っている聖歌隊は、コルボの合唱指揮の最初の師、おじのアンドレ・コルボが指導していた合唱団。教会はコルボの地元のすぐ南にある。
 アンドレは、フォーレの『レクイエム』演奏を計画・準備していたが、コンサート直前に亡くなってしまった。
 そこでミシェルはアンドレを追悼すべく、その合唱団を率いて『レクイエム』を録音することに決めた。それが初回録音版だ。

 子供たちは、レクイエムの準備を共にしたおじの死に接して、その歌詞と音楽に心底共感して歌ってくれました。奇蹟のような出来事でした。

 その子どもたちから選ばれてソロを歌ったアンドレ・クレマンは、録音からわずか十日ほど後に「声変わり」したので、曲の中軸である、わずか三分ばかりの「Pie Jesu」は、その「奇蹟のような出来事」の中心としても、世に残ることになった。クレマンはのちにバリトン歌手となり、コルボのローザンヌ声楽アンサンブルに入ったそうだ。
 また、「Pie Jesu」でクレマンにオルガン伴奏をつけているフィリップ・コルボは、たしか亡くなったアンドレの息子さん。つまり、ミシェルのいとこである。

 このように書いていると、村の教会合唱団に奇蹟が起きたという映画にでもなりそうな話ではある。家族葬みたいだから、いい演奏だ、ともいえそうだ。
 もちろん、事実そういう背景があることは大きいけれども、それだけでは美談すぎ、ちょっと敬遠したい気持ちも起きなくはない。
 背景を知らずに聴いていたころは、女の声を少年たちが出していて、その男の子たちが、おじさん歌手たちと声を張り上げたりするところに倒錯を感じ──いかにもカトリック的ではないですか──聴いてしまうのかな、と思ったこともあるほどだから。

       *********

 収録の背景にとらわれすぎないようにしながら、もう一度、CDを回してみよう。

 高音部の少年合唱と、低い音域の男声合唱が、たすきがけに交差し、明滅しているかのようだ。
 管弦は、彼らのすぐ下に位置して広がり、歌の舟を浮かべた湖面の波のようにも思える。たゆたう、とはこういう感じのことか。
 音の像が揺れ動くような気がすることからして、ちょっとおかしいのだが、ときどき同一のパートが違う位置から聴こえてくるような感じもする。クラシックの盤で、そのような定位のさせかたなどしないだろうから、聴きかたが変なのかオーディオのせいか。
 ゆらゆらと「軽い」のではなく、奏者たち全体でとらえると位置が低くて安定している。透明な高い音色がかなり低い場所から聴こえたりし、曲によってはっきり目だつ歌や音も、教会堂の高い壇から降ってくるのではなく、目線をわずかに上げたあたりにある。
 なので、この演奏は「天使の歌声」や「天上の音楽」には聴こえない。地上から天国へむかって祈りを歌いあげるような、わざとらしい垂直の方向性もない。
 このような聴こえかたが、また、わたしにはとても好ましい。


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 WARNER MUSIC JAPAN 2003
エラート・アニヴァーサリー・シリーズ(リマスター)

  ローザンヌ声楽アンサンブルを発掘した※3製作者で、コルボがエラートに録音した多数の盤をはじめ、fnacに場を変えて以降もコルボ盤の制作を担当したミシェル・ガルサンが、この盤もプロデュースしている。
 コルボと親しいし、ソルフェージュを学んだ製作者だから、曲の解釈や表現に直接影響するほどの録音操作を行ったかどうかだが、すでに亡くなっているので、そこまで知るのはむずかしい。再生機器を変えたら聴感ががらりと変わるかもしれないから、深読みし過ぎはいけないだろう。
 それはそれとして、以前から気になっていた部分をボリュームをあげてヘッドホンで拾い聴きしていると──こういうことをすると、以後、聴く気がしなくなる危険があるが──少年たちの歌いかたが、まことに一心で「ひたむき」であることに、あらためて気づかされた。さきほどの背景事情からすれば、当然のことだ。
 歌唱力が限界で「いっぱいいっぱい」だともいえるわけなので、「力不足」という評は、これをさしてのことかもしれない。
 けれども、これまた不思議なことに、男声合唱や伴奏とともにフォルテになった部分を聴きなおすと、力充分なうえに伸び代さえ感じる。少年たちの歌声は、押し不足で埋もれるどころか、まるで、おろしたてのまっ白な少年野球ボールが直球で飛んでくるようだ。

 フォーレのレクイエムにはこれ見よがしの自己表現旺盛な人は要りません。素朴で敬虔な人が必要です。

 歌手の起用について、ミシェル・コルボはそう話している。
 まさに、そのとおり。
 それでこそ、フォーレが妻への手紙に書いた、涅槃(解脱)であり、またレクイエム・エテルナム(永遠の安息)でもあるという境地が、演奏に現れる。

       **********

 この十年、この曲の、この演奏ばかり聴いてきた理由が、これでわかった。

 素朴な敬虔さ、ひたむきな態度、解脱や安息へ向かう無我・無欲の気持ち──どれも苦手で、目の前に現われると皮肉ってばかりいた。ちゃかしたり、よけいなことをいう前に逃げ出したり。
 そのくせ、そういうものを持ち合わせていたらいいのに、と、いつも思っていた。
 思想や信仰への帰依は、ことさら回避してきたが、信じられるものも、すがれるものも、なし、というのはつらいものだ。なにかに身を寄せていたい。できうれば、よけいな知恵や理屈がかかわってこない、ごく単純なモノやコト。でなければ、なにもないただの場所でいいから、身を寄せられたら。
 じつはこの十年とは、そうした最後の小さなよりどころが、わたしの前から日ごとに消えていった十年でもあった。

 まったくなにごとにも頼らず、悠々と時と場所を通過していける生きかたができるなら、ほんとうに素晴らしい。
 しかし、それが出来る人は、ある意味で世俗を超越した、強い自意識、自立心が持てる人だと思う。
 わたしには、それはない。
 そのかわり、この曲の、この演奏が、この十年そばにあった。
 わたしが、持っていたいといつも思っているのにどうしても持てないものが、変わらずに、この曲、そしてこの演奏に、あったのだった。(ケ)。



※1 フォーレの弟子、ルイ・オベールの発案だった。
※2 第二公会議(一九六二年〜六五年)以降の典礼改革で「死者のためのミサ」は廃止された。なお「死者のためのミサ」=典礼としての「レクイエム」は、亡くなった人の罪を軽くしてくださいと神に祈るもの。
※3 一九六〇年代半ば、ローザンヌ声楽アンサンブルを結成して三、四年目のこと、合唱団はフランスの田舎町にいた。団員がバーで当時の流行歌を歌っていたところ、若い男がきて「あなた方はプロですか? マジメな歌はできませんか?」というので、ドビュッシー、ラヴェル、モンテヴェルディを歌った。その男がミシェル・ガルサンで、その場でデビュー盤のレコーディングを決めた。。
 
【参考】 
ジャン=ミシェル・ネクトゥー 『評伝フォーレ 明暗の響き』大谷千正、宮川文子、日高佳子・訳/新評論/二〇〇〇年
ジャン=ミシェル・ネクトゥー『新装版 ガブリエル・フォーレ』大谷千正・編訳/新評論/二〇〇八年
『レクィエム・ハンドブック』高橋正平/東京音楽社/一九九一年 ほか


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posted by 冬の夢 at 01:26 | Comment(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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