2018年04月17日

「本屋はまだ終わらない」その後

二年ぶりに池袋に行った。生活圏ではないし、仕事上の用事もなかったのでご無沙汰だったから、周辺の景色も随分と変わっていた。一番驚いたのは、目白寄りの通称ビックリガードのすぐ横に建築中の巨大なビル。X字の土台のうえにそびえ立つスクエアなガラス壁のビルディングで、まるで広げた折り畳み椅子にミーレ社の冷蔵庫を乗っけたよう。その背後には高層マンションの姿が垣間見えて、知らない間に池袋も再開発の只中にあるのだった。
せっかく池袋に来たのだから、あの本好きをワクワクさせる本屋に寄って行こう。そう思ったのが失敗だった。「あの本屋」は、もはや「あの」であることをやめてしまっていた。

三省堂書店池袋本店が、本屋の本気度を職人的に示してオープンしたのは二年ほど前のこと。その試みがあまりにも見事だったので、本屋の本質的かつ先鋭的現在形そのものであると、各方面から賞賛の声が寄せられた。平面と重層の構成、巨大な陳列台、フロアの象徴スペース、棚の使い方と本の選び方と置き方。どれもが戦略的に設計され、それらがすべて直接的に本好きに感受された。
それが、そうだったのに、そうではなくなってしまっていた。革新的だったはずの三省堂書店池袋本店の店内を巡りながら、「本屋は終わらない」という考えは間違っていたのかも知れないと、思いを巡らすことになったのだった。

どう変わったのかをまとめるならば、「普通の本屋に戻った」というひと言に尽きる。
多くの人が行き交う地下一階の平面フロアは、以前は雑誌・新刊・文庫本を中心にデイリーかつウィークリー商材に絞って展開されていた。そうした絞り込みは一切やめて、この平面フロアだけに総合書店の品揃えがすべて押し込まれるようになった。つまり、平面フロアの先のはずれにある書籍館の五層フロアは、ニッチ向けに特化させて切り離されたのだ。よって平面フロアには効率良く多種多様な本を並べることが要求され、結果的に陳列什器は総入れ替えされた。
オープン当初、平台什器をジグザグに組み並べて、その広大なスペースに話題の新刊や注目の新書などを縦横無尽に陳列して見せた、あの「戦艦大和」的な巨大プロモーション什器。あれこそが、本好きを飽きさせずに長時間滞留させる主力砲だったのに、撤去されて跡形もなく消え失せていた。代わって導線の入り口に置かれていたのは、どの本屋にもある四尺幅のテーブル型の平台。その奥に図書館型の島什器が縦横揃えてきっちりと並び、みっしりと本が押し込まれている。什器の棚ごとには正面からでも横からでも視認出来るように、緑色の小看板が取り付けられている。本のジャンルや著者名などの表示がズラリと並び、看板だけが目立っていて、まるで看板を売っているみたいだった。

切り離された書籍館は、オープン時の斬新な構成をすべて捨て去り、さらに悲惨な状態だった。
中でも最も無残な姿を晒していたのが「tanakanata」。フロアを象徴するインデックス機能を持ち、そこだけで独立したミニ書店運営が出来るフリースペースだったはず。なのに、根本的に機能変更させられた。小さなソファは取り外され、区画を仕切るガラス板もなくなっていた。並んでいた本は、フロアからテーマに沿ってピックアップされたものではない。立ち寄ったそのときには赤札価格が貼られた雑多な本が積まれていた。そこはなんと「バーゲンブック催し会場」になっていたのである。
この「tanakanata」はイメージカラーを白で統一されていたのだったが、案の定、白い床は半ば擦り切れて、灰色なのか銀色なのかわからないコンクリートの床地が剥き出しになっている。什器は造り付けのため、白い棚は薄汚れたまま使われていて、フロア全体に目を向けると、平面フロアと同じ仕様の機能重視の島什器に変更された。かつてその品揃えの幅と奥行きに驚かされた哲学のコーナーは、ありきたりで凡庸な並べ方になり、外国文学コーナーは地下一階の平面フロアに移設。外国の作家ものを多角的に提案していた壁什器には、今ではスピリチュアル関連本が一面に並ぶ。かたや以前日本文学があったところは、歴史本のコーナーに変わっていた。明らかに目的購買客向けの、回遊型ではないフロアへの切り替えだ。
書籍館最上階には、作家と読者の交流を意図したイベントスペースがあったのだが、そのようなセミナーはたまにしか開催されないようだ。立ち寄った時間には、カーペット敷きのガランとした空間に、折りたたみテーブルと椅子がぞんざいに置かれているのみ。疲れたら勝手に座ってください、という意味もないほどに、何のための椅子なのかわからないような放置のされ方であった。

三省堂書店池袋本店がオープン当初に標榜していたのは「もっと本と本屋を愉しむための次世代型書店」。大手書店としてそのヴィジョンを掲げたことには、自分たちが本屋という業態を再生させるのだという気概が伺えた。
しかし、二年ほどの間に、バージョンダウンとも言える手直しがされ、「次世代型」どころか「前世代型」書店に大きく後退してしまった。もちろん理由は簡単で、計画通りの売上予算を達成出来ず、運営コストの大幅削減を迫られたのだろう。オープン当初から、巨大なジグザグ陳列台や「tanakanata」における商品企画と選品の手間、一定期間ごとの商品入れ替え作業とその補充品出しなど、とてつもなく面倒臭く、煩雑なオペレーションが伴うことは予想されていたはず。その難易度の高い業務の日常化と定例化がレールに乗らないと、店頭を切り回す現場チームは苦しくなる。おまけに本社からは、予算未達成の要因分析やら売上浮上のためのテコ入れ策など、さらなる負荷業務が要求されたことだろう。ただでさえ定休日もなく営業時間も長い現場である。日に日に疲弊して、アルバイトの確保が困難になり、ついには社員までも辞めていってしまう…。そんな悪循環が目に浮かぶようだ。
そして本社は会議で決定を下す。コストを最小限に抑えて効率良く売れる店にしようと。そんな理想的フォーマットはどこかにあるのかも知れないのだが、探しているヒマも試している余裕もない。結果的に過去に取り組んで来た中で一番マシな売り方と運営方法に戻すのがベターな選択となる。そのベターが「前世代型書店」、すなわちどこにでもある売れ筋だけを置く「普通の本屋」なのだった。

三省堂書店池袋本店のある場所には、かつての前衛的な本屋=リブロがあった。そのリブロに入社して、今は池袋のライバル店ジュンク堂で副店長として活躍している田口久美子氏(※1)はこう語っている。

池袋リブロには、業界内での、いわゆる「はぐれ者」ばかりが書店員として集まってきていました。置ける本の量では大手にはかなわない。そこで、当時どこでもやってなかった、「自分たちがこの社会を表現する棚を作るんだ」「イベントもやるんだ」という個性を出したのは、その後の書店業界に通じる一つの潮流を生んだとは思います。(※2)

三省堂書店池袋本店は、そのリブロの遺志を継いだ挑戦的かつ魅力的な本屋を目指していた。けれども、このような業態は、そもそも本が売れない現在においては成立し得ないのだ。それを意図するものとは逆に証明することになったのは、実に皮肉な結果である。本屋とは図書館ではなく公共の施設でもない。小売業のひとつの業態として、営利を追求する商売の手法だ。商売を継続するためには、利益を出し続けなければならない。その意味においては、本を買うというマーケットがEコマースに奪われている現状では、本屋で利益を出す商売はもう無理なのかも知れない。
二年前、三省堂書店池袋本店を見て、本屋はまだ終わらないと思った(※3)。しかし、現実の厳しさを目の当たりにした「その後」なのであった。(き)



(※1)「書店風雲録」「書店繁盛記」「書店不屈宣言」などの著書がある。
(※2)週刊朝日 2015年8月28日号より
(※3)「三省堂書店池袋本店に拍手! 〜 本屋はまだ終わらない 」[2016/02/12]は→こちら


*このブログの「書店」関連記事は→こちら




posted by 冬の夢 at 22:13 | Comment(1) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まるで日本のサッカーチームの、ハリルホジッチ監督解任の話のようだ。当初の志は高かったはずなのに、「結果が出ない」といって、前近代のやり方に戻ろうとする。いや、この本屋の方がまだマシか。本屋は少なくとも一度は挑戦したのだから。
Posted by H.H. at 2018年04月18日 01:23
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