2018年04月08日

くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』 〜 音楽マンガの傑作

四月から始まったNHKの朝の連ドラで、くらもちふさこをモデルとしたマンガ家が登場すると言うニュースを目にした。学生の頃夢中になって読んだのが、くらもちふさこの『いつもポケットにショパン』。8ミリフィルムで映画を作るサークルに入っていて、自作自演で素人映画を製作していた頃で、脚本を書く際には大いに参考にさせてもらった。

何が参考になったかと言えば、人物相関図の作り方とその動かし方。相関図は三角形を基本としており、対立から融和に動くように設計されている。そして、どのキャラクターもエピソードや話し方やちょっとした癖で色付けされていて、画力だけでなく人物像が立ち上がって来るように描かれていた。
三十数年ぶりで読み返してみると、この相関図にはもろもろの綻びがあるのに気づいてしまったのだが、少女マンガの範疇を超えたストーリーマンガとしての圧倒的パワーは変わらなかった。特に第二巻(※1)途中までの密度の濃さは驚愕ものであると、今でも思う。
このマンガをほぼリアルタイムで読んだ後、くらもちふさこが主戦場としていた「別冊マーガレット」を買うようになった。けれども、本作に続く『東京のカサノバ』が期待はずれだったので、くらもちふさこが別の魅力を発揮することになる『天然コケッコー』のことは最近までまるで知らなかった。いずれにせよ、演奏家を主役にしたライバルものはそう多くはないはずで、そんなジャンルがあるとすれば、『いつもポケットにショパン』は間違いなくベストワンに輝くはず。NHKの朝ドラを契機に、あらためてスポットライトを浴びてほしいマンガである。

相関図の三角形は、複数が並列して設定されている。
ストーリーの根底には「天才ピアニスト須江愛子・努力型ピアニスト緒方華子・指揮者村上稔」の大きな三角形が広げられている。華子は村上に恋をして、村上は愛子と結婚する。友人のいない愛子は華子のことを大切に思っていたが、華子の村上への気持ちを知り、村上と別れてしまう。しかし華子は、ピアニストになる夢と村上と結婚する夢を両方奪った愛子を恨む。その怨念が、息子季晋(としくに)を愛子の娘麻子との争いに向かわせる。
華子は愛情溢れる「おばちゃま」として登場するが、物語の途中で過去の経緯が明らかにされる。麻子の前でお手伝いさんのキヨ江と話していた何気ない会話でさえ、麻子を洗脳する復讐の武器であったことがわかり、読者は陽だまりの午後の暖かな導入部に残酷な伏線が張られていたことに愕然とするのだ。
ドイツで事故死した華子の企みは、彼女が残した日記によって明らかにされる。この日記の行方が、相関図に動きを与える。頂点と頂点を繋ぐ線は、華子から愛子への片道通行の矢印となり、矢印のうえを憎しみの感情が伝わっていく。華子が書いた日記は、愛子と結婚した村上に渡り、愛子が去った後に村上のもとから季晋が盗み出す。華子の本音を知った季晋は、日記を愛子に送りつける。
誰がいつ華子の日記を読んだのか、その時制がはっきりしないのは、ストーリーさばきが悪くなるところ。けれども、三角形を脈動させる道具としての日記は、物語の軸として効果的だ。

「愛子・華子・村上」の親世代三角形の上には、主人公たちの三角形が組み上げられる。愛子の娘麻子と華子の息子季晋。この二人に「ピアノ」を加えた三角形が、本作の主旋律を奏でる。
子どもの頃、華子からピアノを教えてもらっていた麻子は、季晋がいとも簡単に練習曲をこなしていくのを憧れの目で見つめている。季晋を「きしんちゃん」とニックネームで呼ぶ麻子は、「きしんちゃんはピアノに愛されている」と正直に思うのだ。
それゆえに、麻子と季晋を繋ぐ線を底辺としながら、頂点にあるピアノから季晋に向けては、しっかりとした太線が引かれる。かたや麻子とピアノを結ぶ線はおぼつかなくて弱々しい。
ところが、高校生になると、この三角形が緩やかに震動し始める。季晋から麻子に対しては憎しみが迸り、それを麻子が子どもの頃から持ち続けた純な親愛の情で押し戻す。母親から受け継いだ季晋の憎しみは、麻子だけにとどまらずピアノへと遡り始める。いつのまにか季晋は「ピアノに愛される」のではなく、ピアノを憎悪の道具にしてしまう。
一方で、麻子は高校の教官松苗先生への憎しみを尊敬に変え、松苗の指導の下で徐々に自分自身をピアノで表現出来るようになる。麻子とピアノを結ぶか細い線は、いつのまにか強く互いを惹きつけ合う強靭なラインに成長し、麻子とピアノは離れ難く結びつく同志となるのだ。
麻子と季晋の争いとは別のところで、親たちが繰り広げた憎悪の歴史は、誤解から理解へ、対立から和解へと形を変えていく。それを感じた季晋は、自らが身を置く三角形の頂点にあるピアノがかけがえのないものであることに、あらためて気づかされる。折しも大事な指を腱鞘炎に冒され始めていた季晋は、麻子を打ち負かすためではなく、自分が生きる証としてピアノと向き合うことを決意するのだ。「麻子・季晋・ピアノ」は、今や互いに等しく近しい正三角形となり、輝きながらくるくると回って、空を駆け上がっていくのだった。

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このように見事な構成美を持つマンガなのではあるが、惜しいことに、手を出し過ぎて破綻している箇所がいくつかある。
例えば、季晋の憎悪のターゲット。季晋は麻子を音楽コンクール出場に誘い出し、そこで麻子を打ち負かすことで、華子に代わって復讐を完遂しようとする。ところが、季晋の憎しみの刃は途中から愛子にも向けられてしまう。一点集中だからこそ、幼馴染の麻子を憎まなければならない不条理が、季晋を苦しめるのだ。愛子を憎しみの対象にして良いのなら、別に麻子に代理戦争を仕掛ける必要はなくなってしまう。
また、麻子を厳しく鍛える松苗先生は、過去に須江愛子と因縁があるように伏線が張られる。にも関わらず、二人の関係は明らかにされないまま物語は終幕となる。複雑化してしまった伏線を整理出来ずに放置して、せっかくの傑作にミソを付ける形になってしまった。
いずれも、主人公たちと親世代の二つの三角形を跨ぐようにストーリーを展開させたことによるミスで、構成上は三角形を無理に線で繋ぐことは避けるべきであったはず。しかしながら、作者の立場になってみると、登場人物たちが勝手に独立して動き出し、その勢いのままに描かされてしまったのかもしれない。これらの綻びがなければ、ストーリーマンガとしてまさに完全無欠なので、誠に惜しい失点である。

惜しいと言えば、麻子と季晋が再会するまで、間接的に麻子に季晋の存在を伝える役割を果たしていた上邑恭二の描き方も弱点のひとつ。季晋の登場とともに一気に影が薄くなり、物語の途中で留学して日本を離れてしまうと、影すら出てこなくてなってしまう。いかにも簡単にコンクールの首位を勝ち得てしまう二階堂まりあとともに、脇役たちの彫り込みの浅さが惜しまれる。
さらに残念なのは、誰からも敬遠されて友人がいなかった愛子が、華子のことをとても大切にしていた、という重要なポイントがボケていること。愛子と親しい編集者の女性が、レストランのナイフとフォークを使って麻子に説明するのだから、麻子にとっては単なる又聞きの伝聞情報に過ぎない。しかし、愛子が村上と別れた決定的な要因が、村上よりも華子との友情を優先させたことだとすると、これは物語の中でも大きなターニングポイントとなるエピソードのはず。村上を死んだことにしておいて、麻子もそれを疑わないまま高校生になったという設定の軽さと合わせて、もう少し精緻に描いてもらいたかったところだ。

絵としての表現に目を向けると、音楽ものであるからには、当然のことながら演奏シーンが繰り返し描かれる。くらもちふさこは、音が出ないマンガの紙面で、最大限に麻子が奏でる音楽を絵で表そうとしている。物語の前半よりも、後半のほうがピアノの旋律が立ち上ってくるような気配がする。それは、麻子がピアノと一体になって演奏を楽しむことが出来るようになったことの表現であるのかも知れない。
そこで思い出されるのが、手塚治虫がベートーヴェンの一生を描こうとした『ルードウィヒ・B』(※2)。手塚の死によって未完に終わったこの作品のピアノ演奏シーンはいかにも素晴らしい。建築物や波をメタファーとして、音の構成と旋律のうねりを絵で描き表していく。その独創的な発想力による「音のマンガ化」は、手塚の天才性そのもので、ページをめくると次々と音が聴こえてくるようだ。
手塚と比べられたら、くらもちふさこもいい迷惑だとは思うが、残念ながらどちらも主人公がピアノを弾くマンガなので、どうしたって比較してしまう。手塚治虫は、常に新人マンガ家を意識し、大ベテランなのに新人に対抗するようにして作品を発表し続けた人。深読みをすれば、手塚は『いつもポケットにショパン』をしっかりチェックしていて「オレならもっと上手く描けるぞ」と思ったのではなかっただろうか。だとしたら、手塚を真剣にさせるほどに『いつもポケットにショパン』は傑出した作品だったとも言えるだろう。

年を取ると愚痴が多くなってしまい、なんだかケチをつけ過ぎてしまった。傑作だからこそ、完璧に近いからこそ「惜しい」部分が目についてしまう。それほどに『いつもポケットにショパン』は、三十数年を経た現在でも、全巻を一気読みしないではいられない力強い吸引力を有したマンガだ。こうした名作こそが、いつまでも子どもたちの心に深い印象を持たらすはず。ぜひ長く読み継がれてほしい。(き)


(※1)『いつもポケットにショパン』は1980年2月から1981年7月まで「別冊マーガレット」に連載された。連載中にマーガレットコミックスから出された単行本は全五巻で、現在でも電子書籍で購入できる。

(※2)『ルードウィヒ・B』は1987年6月から1989年2月まで「コミックトム」に連載された。1989年2月9日に亡くなった手塚治虫の絶筆。


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posted by 冬の夢 at 00:09 | Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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