2018年03月22日

THE QUESTOR TAPES / 人造人間クエスター 人間はなぜ人間なのか

 一九七四年に一話だけ放送され、カルトTVドラマとして語り継がれてきたこの話は、日本でも数年後に放送があり、そのとき見た。
 クエスター Questor つまり「探究者」と名付けられた未完成のアンドロイドが、姿を消した設計者の行方と目的を探るため、組み立てた科学者を「友」とし、人間の感情と行動を学びながら捜索の冒険をする話だ。

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『人造人間クエスター』現行販売版DVD

 ノーベル賞受賞科学者、バスロビック博士による人間型ロボット実験プロジェクト、それがクエスター計画である。
 博士は謎の失踪をとげており、後継チームのミスでかんじんの動作プログラムが半分消えたまま、組み立ては最終段階を迎えていた。
 後継チームリーダーのダロウ博士は、バスロビック博士が陰謀目的でロボット兵器製造を企てたのではと疑っている。結果として半分消去してしまった、動作プログラムの調査はそのせいだ。
 バスロビック博士の助手で、組み立てを担当した科学者、ロビンソンは、製造目的は聞かされていなかった。半分残ったプログラムを完成直前のアンドロイドに導入するが、やはりデータが不完全なのか機能停止。プロジェクトはいったん中止となる。
 ところがその夜、動かなかったアンドロイド、クエスターは、とつじょ起動。未完成の身体部分を自ら製造、人間の姿となり、ラボの扉を破ってロビンソンのもとへ。
 このあたりの導入部は、なかなか怖くて、目が離せなくなる。

 いつの間にか外見を整え、ぎごちないが言語もあやつり現われたクエスターに、ロビンソンは驚愕、命令だ実験室に帰れと怒鳴るが、クエスターは従わない。
 プログラムの残りを得て自身の存在目的を確認することが必要で、ロビンソンの協力がいると、たんたんと述べる。
 探しものは、タイトルの「Tapes」だ。一九七〇年代制作のドラマなので、クエスターのプログラムは光学ディスクや可搬メモリでなくオープンリールテープに入っている。昔のコンピューターって冷蔵庫の上にオープンリールレコーダーがついたみたいな形だったでしょ。あれです。

 クエスターは、人間の世界を知りたいと渇望するようプログラムされたが、創造者の所在と目的はプログラムから消え、感情も与えられなかった。だから、自分が存在する意味や目的が認識できず、宙づりの事態に感情的反応もできない。その空白を埋めるため、手段を問わず「探究」すると宣言する。
 そして、自分を組み立てたロビンソンを「友」とよび、プログラムで欠けた部分とくに人間性について学ばせてほしいと依頼。ロビンソンはいつしかクエスターに人格を認め、謎ときに協力する。この時点でドラマは、SFミステリーに、ビルドゥングス・ロマンとバディ・ストーリーが合体した面白さとなる。
 
  クエスター:アナタハ自己存在ノ意義ヲ知ッテイルコトハ満足デショ。
  ロビンソン:そうとは限らないよ。
  クエスター:シカシ、アナタハ生キテイマス。生命アルモノノ世界ノ一部デス。ワタシノ場合ハ、不思議ナコトデスガ、孤独ヲ感ジサエシマス。

 孤独──クエスターが、プログラムにはなかったが論理的に得たさいしょの「感情」は、空虚感だった。クエスターには、その気持ちを紛らわす思考回路はない。
 ならば、人間には自分で自分の孤独を慰撫する感情があるかと考えると、疑問だ。ただ、人間は、孤独を感じたら他の人間に救いを求められる。あるいは、進んで孤独な他の人間に感情のギフトを渡すことができる。
 感情のギフトとは、たとえば友情であり愛情だ。
 ロビンソンは友情をクエスターに渡し、クエスターは「イカナルモノヨリ高価ナ友情」の存在を学習した。「人類ニハ批判サレルベキ多クガアルガソレ以上ニ美点ガアル」ことを、「半人前」のアンドロイドは知る。
 
 白紙状態の意識が存在するとして、そこへ価値や偏見が付加されない認識を書きこんでいけば、クエスターのいう「美点」──「真理」や「正義」といい換えてもいいが、それらへ到達できるという着想は、哲学の思考方法のひとつにもなっている。そのまんまの方法ではないけれど「正義」についていえば、ジョン・ロールズ(一九二一〜二〇〇二)の「無知のヴェール」、あれとかです。
 ただ、そういう知的方法論には、トリックめいた面もなくはない。
 なぜなら、論理は言語で組み立てられている。言語は文化に依存するから、言葉で思考するなら、価値や偏見からの完全中立は不可能だからだ。

 しかし、このドラマを見ていると、まっさらの意識──書きこまれていないメモリ──を使って、人間性の美点を確信できる「論理」がありうると思える。生の目的も感情もないアンドロイドが、人間を観察し問いかけると、人間自身が人間性の意味に気づく。そんな夢物語が、あっさり受け入れられる。
 アンドロイドと人間の対話を見るうちに、クエスターの人間に関する問いは、わたしへの問いとなり、ロビンソンの回答は、わたしが発する答えとなる。
 哲学っぽく解釈すれば、クエスターとロビンソンの対話は、じつはロビンソンが一人でしている自己との対話、つまり人間による人間性の再解釈だ。が、自分の問いを自分へ送り返す鏡として、まっさらの自我が、白紙のメモリを持つアンドロイドの形をとって目に見える──お芝居の中の話に過ぎないが──ことは、とても興味深い。

 書くと、やたらに難しくなってしまうことが、ミステリーとユーモアが同時に楽しめるエンタテインメントとして、楽しめる。
 なによりクエスターを演じるロバート・フォックスワース──『奥さまは魔女』のエリザベス・モンゴメリーの夫君──が、いい。
 半完成のアンドロイドの、いかにもメカっぽい動きの中に、清潔さや純粋さを表現している。おかげでクエスターが、どこか高貴で脱世俗的な「人」に見え、それがこのドラマの面白さを倍加している。
 中世の修行僧が現代の濁世に現われたようで、それだけで面白おかしく、質問が率直なほど笑えるわけだ。もちろん、ウケとツッコミ担当のロビンソン博士を演じるマイク・ファレルが適役なのも大きい。

 そして、このドラマには驚愕の結末が待っている。この段落だけネタバレ。
 実はバスロビック博士もアンドロイドなのだ。
「造物主」によって送り込まれた、人類をウォッチし手助けする役割のマシンである。
 クエスターは機械的寿命がきたバスロビックの後継機。人類創生から今日まで、寿命二百年ほどの歴代アンドロイドが、後継モデルを改良制作しては交代で人類を「保護」してきたのだ。
 もちろんバスロビックは人間と区別できないレベルで機能していたが、故障し、クエスターの完成前に、歴代モデルが眠るアララト山で、ひと足さきに休眠状態になっていたのだ。
 バスロビックから使命を伝えられたクエスターは、ロビンソンの手助けを借りて進化を続け、役割をまっとうすることを誓う。最後まで計画に疑いを持ち尾行してきたダロウ博士は、この驚くべき真実を知り、わが身を捨ててクエスターの使命と秘密を守る。

 というラストシーン、たしかに感動させられるオチだが、オチきらないというか、ありゃ? これじゃ「つづく」じゃん! という感じがある。
 それもそのはず。この話は連続ドラマ化が前提のパイロット版だ。
 回数も決まっていたし、フォックスワースとファレルは、同じ役での出演契約にサイン済みだったという。

 ところが、原案と脚本を担当したジーン・ロッデンベリーと、ユニヴァーサル+NBCの間でトラブルが生じる。
 連続放映化にあたりロッデンベリーは両社から、さきほどの結末で示したシリーズ全体のプロット、すなわち「造物主」は神の国ではなく外宇宙にいる存在で、機械に人類の危機管理をさせてきたというフレームを、「チャラ」にするよう求められた。
 さらに、ロビンソン博士は不要という要求があり、ロッデンベリーはキレて降板、連続ドラマ化は「チャラ」になってしまった。
 本当に「キレた」かどうかは知らないが、ロッデンベリーでなくともキレますわな。だいたいロビンソン博士ぬきで、どうゆうストーリーにすんの! エンタテインメントと形而上学的深遠さが同居できる奇蹟がこのドラマに起きたのは、クエスターとロビンソンの「名コンビ」のおかげなのに!

 まあ、妥協の産物が制作され、そちらがむしろウケてしまって、この一本の存在がかき消えるよりはよかったとしよう。
 ちなみに名を聞いて、その筋の人は瞬時に反応していると思うが、ジーン・ロッデンベリーはもちろん、「スター・トレック」をこの世に登場させた人だ。
 なるほど、クエスターのキャラクターは、『宇宙大作戦』のスポックに由来する感じもある。また後継番組、『新スタートレック』の人気キャラ、データに、受け継がれていったのだとも気づく。

 となれば、由来、伝承の真偽はべつとして、すくなくとも「スター・トレック」でロッデンベリーが直接かかわったシリーズには、つねに他者つまり異邦人、異星人、さらにはアンドロイド、を通じて問われる「人間とは」という問題提起が含まれていた──わたしの推測ではなく直接に主題になった放送回も多々あるはず──し、「スター・トレック」の背景には、はたして「造物主」は実在するのか、実在しているなら、本当はどのような存在で、どこにいるのかという、きわめて批判的な問いが掲げられてもいた、ということになろうか。
 そうなった理由は、ジーン・ロッデンベリーが多様性の支持者であったのと同時に、自他ともに認める無神論者であったからだろう。

 ロッデンベリーのその志向は、同時代のアメリカのテレビ、映画業界には容易には受け入れられなかった。
『宇宙大作戦』(「スター・トレック」の初回シリーズ)の終了後、この『人造人間クエスター』でより明瞭にしたテーマを、ロッデンベリーは「スター・トレック」の最初の映画企画で「STAR TRECK: THE GOD THING」として映像化しようとしたが、一九七六年に書き上げた脚本はパラマウントに拒絶され、幻の第一作となってしまった
 以後、ロッデンベリーには「トレック」以外の自案のテレビ企画を実現する機会はなく、「トレック」のすべての映画化作においても、公開第一作のプロデュースのみで、以降は現場の中心からは「はずされて」いたことは、「スター・トレック」のファンはご承知のことだろう。(ケ)

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日本初DVD版(二〇一二年)/権利期間終了で販売終了。
放送後三十五年以上たって、映像ソフトで見られるようになった。
このリリース元によるトレーラーは→こちら←


※パラマウントを困惑させた脚本内容は、たとえばスポックのバルカン星での先生が、スポックに向かってこういう場面だ(ミスター・スポックはバルカン人と地球人のハーフ)。

"We have never really understood your Earth legend of gods. Particularly in that so many of your gods have said, 'You have to bow down on your bellies every seven days and worship me'. This seems to us like they are very insecure gods."

「われわれには、お前たちの地球の神々の伝説は、けっして心底、理解できたことはないぞ。ことに、お前たちの神々の実に多くがこう言ってきた点だ。『七日めごとに、腹にくっつくほど深くお辞儀しなくてはいけない。そして私を信仰せよ』とな。われわれには、そんなことをいう神々は、ひどく頼りにならんように思えるがな」


*番組や映画の制作エピソードはWikipediaを参考にしました。誤りがあるかもしれません。


●筆者(ケ)による「EMMA / エマ 人工警察官 人間はなぜ人間なのか」は→こちら←
●べつの筆者(き)による「『エクス・マキナ』〜 視覚効果と美しいアンドロイド、それだけの映画」は
→こちら←


posted by 冬の夢 at 14:46 | Comment(0) | 映画 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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