2018年03月19日

「今さら、メンデルスゾーン?」 

 この文章を書いている現在も内心羞じらう気持ちを拭い去れない。だって、メンデルスゾーンですよ? そこいらの図書館と比べても決して劣ることのない、いや、必ずしも誇張ではなく、もしもこれほど大量のCDを抱え込んでいる公立図書館があるなら、ちょっとした福音に違いないと確信できるほどの、つまりは完全に非常識なほどに膨大なCDを所有してしまっている現在、シェーンベルクやヴェーベルンどころか、ときにはシュトックハウゼンを子守歌代わりにして、ノーノやメシアンを目覚まし代わりに使いかねないような、酸いも甘いも噛み分けたはずの今になって、あのバイオリン協奏曲の、あの「歌の翼に」の、あの「無言歌」のメンデルスゾーンを熱心に聴く羽目に陥るとは、我ながら不思議でならない。

 発端は、極めて真っ当な(?)ものだった。とある休日の昼、近所のコンサートホールで、さして有名ではないオーケストラの定期演奏会があり、定期会員である以上、半ば義務のような気持ちで、つまり、さしたる期待感もないままに出かけることになったその日のメイン・プログラムがメンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』だった。
 それが極上の名演奏だった、というわけではない。良くいえば若々しくフレッシュな、悪くいえば荒削りな、全体としては好感の持てる演奏だったにしても、同じ演奏をもう一度お金を出して聴きたいかと問われれば、答えに逡巡せざる得ない程度のものだ。ところが、曲そのものは、もう何と言ったらいいのか、最初の数小節から、「ああ、そういえばこんな曲だった!」という一瞬の懐かしい想いを堪能する間もなく、その極めて歌謡性の高い、正に「絵に描いたように」ロマンチックな、憂愁に満ちた響きに強く惹きつけられ、そして演奏が進むに連れて、「メンデルスゾーンって、こんなに立派な作曲家だったんだ?」と驚くと共に、これまでの自らの無知と無理解を恥じずにはいられなかった。

 思い返すまでもなく、メンデルスゾーンとの最初の出会いは「歌の翼に」という名曲だった。学校で習ったか、何となく自然と出会ったのかは忘れてしまったが、この歌はいわば完全に歌謡曲扱い、文科省(当時は言わずと知れた文部省だったけど)お墨付きの健全な歌曲、そしてそのうち小賢しくもドイツ語・ドイツ文学なんぞを囓りはじめれば、ハイネ先生の有名な歌詞付きということで、今度は一種の教材と化し、その結果、芸術作品としての正当な評価を受けることもなく(別にこちらからの評価なんぞ欲しくもないだろうが)、つまりは単なる歌として片隅に追いやられてしまった。
 次に続く出会いは言うまでもなく、あのあまりに有名な『バイオリン協奏曲』。正直に言えば、この協奏曲は苦手だ。だから、上述の図書館並みのコレクションの中にもこの協奏曲のCDは1枚もない。場合によっては同じ曲のCDが30枚もあるのに、この超有名曲のCDが1枚もないというのは、それこそが非常に特徴的なわけだが、ともかく、今なお(つまり、メンデルスゾーンが非常に立派な作曲家だと「正しく」認識した今になっても)全く聴く気になれない。ひょっとしたら、今聴き直したら全く違う印象を持つのかもしれないが、おそらくあまりにコマーシャリズムに乗せられてしまった曲の悲劇なのだろう。このバイオリン協奏曲の有名な主題を耳にした途端、ヒラヒラのドレスと、年端も行かぬ少女の健気なのか、あるいは高慢なのか、ともかくどこか不自然にも映る姿と、音楽を聴いているのか、それとも演奏者の容姿に夢中になっているのか不明な、ともかく謎の一団の姿が脳裏に浮かび、聴き続けるのが苦しくなってくる。そんなわけで、この有名曲についてはずっと避けて通ってきた。
 それでも、メンデルスゾーンといえば音楽史の中では絶対に避けて通れない大作曲家なわけだから、「西洋音楽もしっかり勉強しないとね」と殊勝にも考えていた大学生時代に、ピアノ曲や室内楽と一緒に交響曲も一通りは聴いてみた。その結果、「交響曲の中では『スコットランド』(第3番)が一番充実しているなぁ」と、当時も未熟者なりに感じていた。その証拠(?)に、先のコンサート体験以前にも我が家のコレクションの中にアバドがロンドン交響楽団を指揮したCDと、メンデルスゾーン指揮者として誉れ高いマークの『スコットランド』の2枚だけはすでにその席を確保していた。が、「しょせんはメンデルスゾーン」と軽んじられていたことも確かで、本当にもう何年もの間聴くこともなかったし、聴きたいと思うこともなかった。

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(我家に昔からあったアバドの3番と4番。悪くないですよ)

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(もう1枚。ペーター・マークのもの。いっそう評判のいいのはロンドン響を振った方らしいが、これはマドリッドのオーケストラを指揮している)

 それが今では、例によって例の如く、何かに取り憑かれたように聴き続けている。いつの間にかCDも5枚、6枚と増え続けている。我ながら滑稽だと思う。しかし、苔の一念とでもいうか、最初は3番、続いて4番、そして5番と聴き呆けているうちに、メンデルスゾーンの魅力の正体が曲がりなりにも明らかになってきた。(ついでながら、3番、4番、5番と番号が付いているが、実際の作曲順は5番、4番、3番の順だったらしい。つまり、3番がメンデルスゾーンの最後の交響曲ということになる。一番充実しているのも当然かもしれない。)
 冒頭にも書いた通り、メンデルスゾーンの音楽の特徴の筆頭は、心地良い、流麗な旋律にあるのだろう。『スコットランド』を例にとれば、第1楽章の序奏からすでに印象的なメロディーが流れ、それだけでも十分なところに、さらにいっそう魅力的な第1主題が続く。美しい旋律が次から次へと紡がれるところは、確かにシューベルトにも比較できる。第2楽章は全体にウキウキとした、思わず身を乗り出すか、揺すり出したくなるような愉悦に満ちた音楽に溢れているし、アダージオの第3楽章も極めて優美だ。最終楽章には十分なドライブ力もある。しかし、メンデルスゾーンの本当の魅力は、今度はシューベルトとは対照的なことに、その音楽の構築性にあると確信している。実際、ライブで聴いたときに最もワクワクしたのは、一つの動機が次々に異なった楽器に手渡され、繰り返され、少しずつ変形され、ちょうど一本の樹木がむくむくと成長するように音楽が出現し、正に今そこで音楽が誕生する現場に立ち会っているという感覚だった。これだけでも作曲家としてかなりの腕前であることが推測できる。加えて、メンデルスゾーンは個々の楽器の使い方が非常に巧い。オーケストラの様々な場所から、まるでそれぞれのパートがお互いに呼びかけ合うように、効果的なメロディー、あるいはメロディーの断片が聞こえてくる。楽器間の受け渡しもそつがない。パート間で掛け合いされる照応を追いかけるようにして聴いているだけで、ちょっとした追いかけっこを体験しているような、不思議に楽しい気分になる。

 稀代のメロディーメーカーであるシューベルトの場合、その旋律の魅力、多用性、創作力についていえば、メンデルスゾーンを遙かに凌駕していることに疑う余地はない。シューベルトを横綱とすれば、メンデルスゾーンを大関と称するのも憚られる。せいぜい関脇クラスだろう。確実に言えることは、メンデルスゾーンには、シューベルトが多用する、聴く人をゾッとさせるような、意表をつく転調や不自然な休止がない。表面的には非常に素直な音楽だ。おそらくこの特徴がメンデルスゾーンの音楽が軽んじられている一因になっているような気がする。つまり、「80点の優等生」ってわけだ。あるいは、シューベルトを天才的芸術家の典型とすれば、メンデルスゾーンは極めて優秀な職人の典型なのかもしれない。実際、素人の耳にもその音楽は何と見事に均整が取れていることか。寸分の隙もなさそうだ。誰かが添削しようとしても、添削するところのない満点答案のようなものかもしれない。非難すべきところがどこにも見当たらない。見事な職人芸だ。そして、これがメンデルスゾーンの音楽の唯一の欠点にもなっている。つまり、あまりに整いすぎている。無茶なところがない。キチガイじみたところもない。破綻がない。それが「深みがない」とか「凄みがない」という批判に繋がる。ぼく自身、ずっと長いことそう思っていた。

 メンデルスゾーンは「ロマンチックな古典派」とも評されるらしい。著名な作曲家の生年を並べると次のようになる。

ベートーヴェン(1770 - 1827)
シューベルト(1797 - 1828)
ベルリオーズ(1803 - 1869)
*メンデルスゾーン(1809 - 1847)
シューマン(1810 - 1856)
ショパン(1810 - 1849)
ワーグナー(1813 - 1883)
ブラームス(1833 - 1897)

シューベルトよりも10年ばかり後の時代で、シューマンやショパンとほぼ同年だから、ロマン派の巨人になっても少しもおかしくはなかったはずだが、確かに彼はロマン派の巨人にはならなかった。しかし、幼少の彼を寵愛したという文豪ゲーテによれば、「全て古典的なものは健康(健全)で、全てロマン的なものは病的だ」ということらしい。そして、メンデルスゾーンの残した音楽とその他のロマン派の音楽を比べたとき、このゲーテの言葉の意味がつくづく理解できる気がする。メンデルスゾーンの音楽を健康的という言葉で片付ける気にはならないが、ロマン派の中で彼(そして、おそらくはブラームス)だけが「完成」という感覚を強く持っていたように感じられる。そして、この「完成」という概念が、ゲーテの古典的、さらには健全という概念と密接に関わっていたのだろう。

 最後に、メンデルスゾーンとブラームスはどちらもドイツのハンブルグの生まれだ。ただ、両者の家柄は正反対で、一方は町でも有数な資産家の育ち、他方は貧民窟と言っても過言ではない育ちだ。ブラームスが20歳の頃にシューマンに会い、その理解と力添えで大音楽家への道を進み始めたことは音楽史上の有名なエピソードだが(加えて、クララ・シューマンとの関係も)、シューマンよりもメンデルスゾーンの方が、実はブラームスの音楽により多くの影響を与えたような気がしてならない。少なくともブラームスにもメンデルスゾーンと同じ、形式に対する厳格さがある。しかし、上記の生年を見ればわかるように、ブラームスが20歳のとき、若死にしてしまったメンデルスゾーンはもうこの世にはいなかった。もしもメンデルスゾーンがもう少し長生きをしていたら、もしかしたらブラームスはシューマンのところではなく、メンデルスゾーンのところへ自分の作品を見せに行ったのではなかろうか? それとも、やはり家柄・出自の違いが偉大な二人の作曲家を隔てることになったのだろうか? ともかく、聞くところによれば、貧しい家の天才児だったブラームスを教育したエドゥアルト・マルクスゼン(1806 - 1887)は、メンデルスゾーンが亡くなったとき(つまり、ブラームスが14歳のとき)、「芸術の巨匠が一人神に召されたが、より大きな才能がブラームスの中に開花するだろう」と言ったらしい。確かに、ロマン派音楽の構築性といったことを考えるとき、ブラームスはメンデルスゾーンの正常進化形のような気がする。

 そんなわけで、このところメンデルスゾーンの交響曲ばかりを聴いている。最初は『スコットランド』を最も好んで聴いていたのだが、今は『宗教改革』の方がいっそう気に入っている。さて、このメンデルスゾーン熱、いつまで続くのやら?
(H.H.)

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(最近気に入っているコリン・デイヴィスがドレスデン・フィルを振ったライブ)
posted by 冬の夢 at 23:55 | Comment(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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