2017年10月23日

誰も「政治」を教えてくれない

 多くの大学には政治学部とか政治学科がある。そもそも、高校の授業にも「政治経済」(「政治・経済」だったか?)という授業があったはず。中学校の社会にも、それに相当するものはあったのだろう。だから、ほとんどの成人は「政治」について何かしらのことを知っているはずだし、大人になる過程で政治について教えられたはずだが、我が身に照らして思い返してみても、誰も政治を教えてくれなかったように思う。真面目に、アホなテレビ番組を真似て街頭突撃インタビューなんぞをして、「政治って何か、ご存知ですか?」と、道行く人々に尋ね回ってみたい衝動に駆られる。

 政治って何なのか? 誰でもいいから、明快に教えて欲しい。

 とある国語辞典で「政治」を見ると、こんなふうに書かれている:
1)統治者・為政者が民に施す施策。まつりごと。
2)国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動。広義には、諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整することにもいう。


 そもそも、この説明がものすごく胡散臭い。端的に、信じられない。1)は古い語義だろうから、ちょっと横に置いておこう。日本を代表する(はずの)国語辞典の語義によれば、政治とは「国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動」らしい。そして、拡大された意味としては「諸権力・諸集団の間に生じる対立などを調整すること」を指すらしい。確かに、大病院などで誰が次の院長になるか、病院内の覇権争い・権力闘争を「院内政治」などと呼ぶからには、そういうことなんでしょう。しかし、政治を「国家およびその権力作用にかかわる人間の諸活動」と定義して、いったいこれが何を意味しているのか、この語義からいったい何を具体的に思い浮かべればよいのか。誰でもいいから教えて欲しい。日本語の辞書を参考にする限り、要するに政治は「お上のもの」で、庶民には直接には関係のない、政治家とせいぜい官僚と財界エリートが関わっている事柄なんだ、ということになりませんかね?

 続いて、手元にある英語の辞書でpoliticsを見ると:
1) the activities associated with the governance of a country or area, especially the debate between parties having power
2) the activities associated with the governance of a country or other area, especially the debate or conflict among individuals or parties having or hoping to achieve power

1)はイギリスの辞書、2)はアメリカの辞書。ちょっとだけお国柄が反映されているのはご愛敬か。ともかく、適当な日本語にしてみれば、
1)一国あるいは一地域の統治に関連する諸活動(の総称)、特に権力を持つ政党間の議論のこと
2)一国あるいは国以外の地域の統治に関連する諸活動(の総称)、特に、権力を有するかあるいはそれを欲する個人ないしは政党間の議論や争いのこと

 少なくとも英語圏の辞書では「政治とは統治だ」ということは明確だ。つまり、政治とは「支配」だ。英語を学ぶ途中で強い衝撃を受けたことは何度もあるのだが、「政府のことを英語ではgovernmentというんだ!」と知ったときも、ウルトラ級に驚いた。目からウロコと言っても過言ではない。「政府って、オレたちを支配する、支配者なんだ」と知ったときは、世界が一変したような気がした。(余談だが、もう一つ印象的な英語は to make loveという表現。「英語ではセックスすることを《愛を作る》と言うんだ!」と知ったときも、やはり世界が一変するような衝撃だった。)

 さて、「政治とは統治に関わることだ」と知ったとして、何かが分かったと言えるのだろうか? 確信はないが、英語で見ていると、「政治って、よく分からないけど、とても怖いものなんですね」という気がしてこないだろうか? だって、「統治に関連する諸活動、特に、権力を欲する人間同士の争い」と言われたら、日本の国語辞典で書かれている文言に比べて、ずっとケンカ腰ではないですか! 日本語の辞書からは統治という側面がすっぽりと抜け落ちていることは、それだけでも非常に日本的だと思えるのだが、それにしても、統治権の奪い合い。だとしたら、政治は893さんたちの世界に近いのかも。そういう側面は確かに感じられるし、そうだとしたら、善良な人間の多くがこの政治の世界から顔を背けることにも十二分の根拠がある。「今度、組長を選ぶ選挙があるんだ」と言われて、誰がノコノコと投票に行くものか。勝手にやってくれと思うことこそ善良な市民の証とさえ言えそうだ。投票率が低いことも仕方ない。

 でも、国政選挙ってホントに組長選挙と大同小異なのだろうか。世の常識からは「そんなはずがない!」と叱られそうだが、ひな壇に並ぶ先生方の人相を眺めていると、ますます同じに思えてくるから、それもまたかなりのホラー映画みたい。

 しかし、もう一度英語の辞書を見てみると、こんな風にも書かれている:「政治とは、議論や話し合いのこと」と。イギリスの辞書にもアメリカの辞書にも共通してdebateという語が使われている。debateとは、最近では日本の学校教育にも取り入れられているらしいけれど、要するに議論だ。が、実はこのdebateというのが一種の鬼門だ。これほど日本の文化から遠い知的活動も少ないのではないだろうか。ともかく、日本中を捜索してみても、debateを発見することは難しい。少なくとも現在の自分の周囲にはない。そこで、このdebateも辞書に尋ねてみると、以下のように書かれている:

a formal discussion on a particular matter in a public meeting or legislative assembly, in which opposing arguments are put forward and which usually ends with a vote

公的な集会や立法に関与する集会での特定の物事に関する正式な話し合いで、対立する議論が交わされ、通常は投票によって決着する


ということは、政治とは、少なくとも英語圏の共通理解としては、「特定の物事に関して対立する議論が交わされ、通常は投票によって決着するというプロセス(debate)を内在した、統治権争い」ということになるのだろうか。いや、上記の辞書の記述の中で最も注目すべきは in which opposing arguments are put forward というところだ。仕方ないので「対立する議論が交わされ」と訳してはみたが、多分、ニュアンスが少し違う(と思う)。英語の原文にはforwardがあるせいで、どうしても「前進する」という感じがつきまとう。そう、彼らにとっては、たとえそれが相手を打ち負かすための議論であっても、議論を交わすからには、どうしてもそのプロセスの中で自分も相手も変化を受けずにはいられない。それが「対話」の元々の意味でもあっただろう。

 しかし、そんな「対話」も「議論」もdebateも、この極東アジアの島国では滅多にお目にかかれない。学校の学級会でも、会社の会議でも、もちろん市議会や国会でも。これほどの「政治的貧困」の中で、いったいどうやって「政治」を学べばいいのだろうか? 思い起こせば、子どもの頃の学校での生徒会選挙が奇妙奇天烈な代物だった。明らかに代議員制を模倣した教育的活動だったはずだが、先ず議員に相当するクラス委員に立候補するような殊勝な子どもは少なく、大方は先生が指名するか、「XX君がいいと思います」という、半ば投げやりな、半ば意地悪な、そして本質的に無責任な他薦というもので決まっていたように記憶している。さらに、知事や大統領に相当するはずの「生徒会長」にいたっては、もうこれは何といえばいいやら。最近は進学の際に必要な内申書に有利ということで、もしかしたら事態は全然変わってしまっているのかもしれないけれど、記憶にある生徒会選挙というのは、完全な茶番。多くは事前に先生たちが「お前が生徒会長に立候補しろ」と圧力をかけ、しかも、その生徒会長というのは、早い話が先生たちの木偶人形に過ぎず、「今度の遠足はXXに決まりました」とか「遠足のときに持っていくお小遣いは千円までにしましょう」とか、まあ、先生の腹話術で喋っているようなもの。苦労して生徒会長になったとしても、面倒な仕事が押しつけられるばかりで、自分のしたいことなんて何一つできない。だとしたら、そんなバカなことに誰が関わり合いたいと思うものか。

 案外とこれが現代日本人にとっての政治の原風景になっているのではないだろうか。だとしたら、やはり驚異的な低投票率も何の不思議もないどころか、むしろある種の健全さの反映とさえ言えるのかもしれない。投票で何を決めるのかさえ不明なのだから。

 けれども、もしもそうであるなら、やはりこの国には政治はない。少なくとも英語のpoliticsはない。いや、politicsはあるのかもしれないが、political awarenessはない。つまり、政府によって自分の生活が、いや自分の人生が一から十まで四六時中支配されているという自覚も違和感も危機感も人々にはない。子どもの頃から通った学校も、その学校制度も教育の中身も政府が支配しており、会社に入れば入ったで、そこでの仕事も究極的には政府が管理しており、病気になったら世話になる医療も、そればかりか、好きな人と結婚することさえも、さらには自分が死んだときのことさえも、何から何まで政府とやらが指図しているということに対して、ほとんどの人々は不感症になっているのだろう。とすれば、それは政治からの完全な、徹底的な疎外ということになるわけだ。そして、政府はやりたい放題。こちらは、非常に巧みに希釈された毒ガスで少しずつ安楽死させられていくようなものか。ときには「ちょっと息苦しい」と感じはしても、それですぐに倒れるわけではないから、次の瞬間には「まあ、気のせいか。こんなものなんだろうな」と、自分から納得してしまう。フランスの普通の勤め人には1ヶ月の夏休みがあると聞かされても、ドイツの週労働時間は36時間だと聞かされても、自分たちはサービス残業に勤しみ、老後の心配を募らせていく。自分(たち)が強く望めば、バカンスだって手に入るはずだ、完全週休二日制だって定着できるはずだ、誰もが勤続10年で半年の有給休暇が取れるはずだ、そしてそれを可能にする唯一の方法が政治参加だ、とは誰も思わない。おそらくほとんどの日本人にとっては、政治とはそういうことではないようだ。暴言と承知して言えば、大方の日本人にとって、投票権というのは特に必要な権利ではないのだろう。どうやって使うのか、その使い途が全然分からないのだから。

 だとしたら、「政治」っていったい何なのか? 自分の幸福に関わりがないのであれば、本当にそれは最初から自分には全く無関係で不必要なものだ。(H.H.)


posted by 冬の夢 at 05:34 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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