2017年07月03日

祭りの後:都議選の結果……

 昨日の都議選の投票率は51.27%だったそうだ。これは明らかに低い数字だが、昨今の選挙の投票率と比べた場合は、似たり寄ったりということなのではないか? いずれにしても、前回よりは8%近くも上昇しているとのことだが、それでも投票権を持つ2人に1人が棄権したわけだから、この国の選挙制度には明らかに問題があると言っても過言ではないだろう……

それはともかくとして、都議選における自民党の惨敗は、現在の自民党に対して多くの人々が共有している強烈な拒否感の反映と考えられ、それだけでも安倍首相の率いる現政権に対して相当な牽制になることが期待できる。自民党以外の候補者に投票してくれた都民の方々には、別にこちらのお願いとは無関係であるとは承知の上で、心の底からお礼申し上げたい。

そう。自民党がたとえ地方選挙であっても惨敗したことは、どんな政権であってもいざとなれば選挙で倒すことができるという、民主主義の伝家の宝刀の切れ味を示すことができた点において、本当に慶賀すべき出来事だった。けれども、投票結果が明らかになった今、正直なところ「めでたさも中ぐらい」どころか、「最悪は免れた」くらいにしか感じられず、気分はかなり重い。少なくとも「都民ファースト圧勝」といって喜ぶ気分からはほど遠い。

もとより小池都知事に対しては何も期待していない。彼女の政界におけるこれまでの経歴をざっとふり返るだけで、別に詳しく分析するまでもなく、その根本が出世欲・権力欲なのではなかろうかと不安にもなる。誹謗中傷にならないように事実だけを記せば、

1992年、日本新党(こんなのもありましたね)から参院選に出馬して比例区で当選、政界デビュー
1993年、同じく日本新党から衆院選に出馬、当選後に総務事務次官
1994年、日本新党解党(瓦解というべきか?)後、新進党(小沢一郎)で小沢の側近になる
1997年、同じく小沢一郎率いる自由党へ
1999年、小渕内閣(自民党、自由党、公明党の連立政権)で経済企画政務次官
2000年、自由党分裂に際し、小沢に見切りをつけ、保守党へ
2002年、沈没する泥船(保守党・保守新党)を辞めて、晴れて自民党へ入党
2003年、小泉内閣で環境大臣、内閣府特命担当大臣
2005年、第44回衆院選挙で、いわゆる「刺客候補」として、選挙区を兵庫県から東京へ移す
2006年、第一次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官
2007年、防衛大臣
2008年、自民党総裁選挙に立候補
2009年、公明党の推薦、幸福実現党(「幸福の科学」)の協力を受けて東京10区から出馬するが、民主党候補に負ける。が、比例区で復活当選
2010年、自民党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人になり、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。9月の人事で自民党総務会長に就任(女性として最初の党三役らしい。ちなみにその後野田聖子も総務会長になっている)
2012年、自民党広報本部長
2016年、東京都知事

つまり、彼女は意図してかどうかは知らないが「勝ち馬に乗ることに長けている」。細川に人気があるときは細川につき、小沢一郎に力があるときは小沢に靡き、小泉に流れが来ているときはその近くを流れ、必要であれば公明党とも幸福の科学とも手を組む。2016年の都知事選も「今ならば確実に勝てる」と踏んでの出馬であり、世界的大都市である東京都の知事という役職は、自民党の党三役の役職同様に、日本初の女性宰相への足がかりとして打って付けだったに違いない。ともかく、彼女に付けられた「政界渡り鳥」という肩書きは決して根拠のない揶揄ではないだろう。政界で生き残ること、政界で力を伸ばすこと、これが小池百合子という政治家の全てであり、そのためならば、いわゆる変節など、彼女にとっては痛くも痒くもないだろう。言うまでもなく、彼女がそれを必要と思えば、いつでも安倍にすり寄ることだろう。

とはいうものの、反自民の票が全て小池の率いる「都民ファースト」へ流れたことが、今の憂鬱の正体といわけでもない。憂鬱なのは、これで自民党及び安倍政権が打撃を受けたとしても、それでもやはり実は何も変わらないのではないかと思わざる得ないからだ。つまり、このままでは遅かれ早かれ日本国憲法は書き変えられ、いつの間にか日本は警察国家になり、様々な場所で基本的人権や自由の抑圧が生じるのではないか。誤解のないように急いで書き足せば、だからといって、民進党や共産党がもっと議席を取っていれば、この不安は軽減するのかと言えば、決してそういうことではない。どんな結果でも、実はこの不安が晴れるということはなかっただろう。そして、繰り返すが、自民党が大敗したこと自体は大いに慶賀すべきことであった……

おそらく、自分自身も含めて、日本人は「政治」というものをいよいよ学び始める必要があるのだと思う。なるほど「まつりごと」は日本にだって大昔からあったかもしれないが、「政治」というものはせいぜいが明治時代からであり、民主主義となれば戦後を待たなければならなかった。ということは、日本における「政治」の歴史は、せいぜい150 年程度、あるいは60年程度であり、日本の(政治は)端的にいまだ未熟児といっても過言ではない。市民が普通に政治参加して、政治家がごく普通の感覚を持ち続けること…政治家が「先生」と呼ばれずに、ただ単に「〜〜さん」と呼ばれること…そのくせ、政治家には恐るべき権力があるのだから、ゆめゆめ監視を怠らぬこと……

ここまで書いてきて、再び気が重くなるのだが、確かに西洋ではpoliticsという言葉は、そのままギリシア語のポリスにつながり、たとえ途中で途絶えたり、重大な変遷があったにしても、とにもかくにも彼方では2000年以上もの長い蓄積があるわけだ。「日暮れて、なお道遠し」という気分になってきた。が、ともかく、物事の明るい面だけを見れば、いくら個人的には小池百合子が苦手といっても、ともかく彼女の日本語は理解できる。この点だけでも安倍やその側近とは雲泥の差だ。そして、もしもその小池都知事がオリンピックと豊洲市場という難問を無事解決する政治的能力を発揮するのであれば、それはそれでやはり慶賀すべきことにもなるだろう。願わくば、彼女がこれらの難問を他人に押しつけて、自らはさっさと国政に乗り換えないことを。 (H.H.)

(付記)
フランスの知の巨人であるミシェル・フーコーが「なぜそれほど政治に関心を持つのか?」と聞かれたときの返答が忘れられない(といっても、もちろんぼくはそれを後日活字で読んだだけだけれども)。その部分をざっと訳してみると、「なぜ政治に興味関心を持つのかだって? ならば、むしろこう返答したいくらいだ:なぜ政治に関心を持ってはいけないのか? つまり、我々が暮らしている社会やその社会が機能している様々な経済的関係、そして我々の普段の行動や振る舞いの基準や許可や禁止を定める権力システムのあり方、こういうことは我々の生存にとって決定的に重要な主題なのに、それに興味関心を持たずにいられるとは、つまりはいったいどれほどの盲目、どれほどの聾、どれほど分厚いイデオロギーが政治に関心を持つ妨げになっていることか!」 つまり、フーコーによれば、いつの間にか人々は政治に関心を持たないようにさせられてしまい、いつの間にか社会、経済、権力のことを考えないように躾けられてしまっているわけだ。確かに、自分が現に生きている環境への無関心は一種の病的状態なんだろうけれど、その病気が蔓延してしまった今、何か良い処方箋があるのだろうか?

posted by 冬の夢 at 07:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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