2017年05月07日

Tom Robinson − 2-4-6-8 Motorway 元気が出る曲のことを書こう[24]【改】

 Drive my truck midway to the motorway station
  トラックをぶっとばせ ど真ん中の車線を サービスエリアまで
 Fairlane cruiser coming up on the left hand side
  おっと左からアメ車が のして来やがった
 Headlight shining, driving rain on the window frame
  きらめくヘッドライト 窓枠に叩きつける雨
 Little young Lady Stardust hitching a ride... and it's
  ボウイのレディスターダストみたいなコがヒッチハイク
 2-4-6-8 ain't never too late
  にぃ、しぃ、ろぅ、やっ 夜がふけてもいい
 Me and my radio truckin' on thru the night
  ラジオといっしょに夜通し爆走だ
 3-5-7-9 on a double white line
  さん、ご、なな、きゅっ センターラインオーバーしちまえ
 Motorway sun coming up with the morning light
  ドライブウェイの太陽が 朝の光とやってくる
 (以下略)

 たしか一九八〇年代後半、トム・ロビンソンが東京・渋谷でやったライブで、この曲を初めて聴いた。小さい会場だったと思う。
 トム・ロビンソン・バンドが一九七七年に出した初シングル盤の曲で、代表的なヒット作とは知らなかった。ソロアルバムの『Still Loving You』(一九八六年)が気に入っていたが、どういう人なのか、どんなことを歌ってきたのか、よく知らないまま、東京で演奏すると聞きつけて行ってみたのだ。
 あのころ、そういうことをときどきしたけれど、いまも、海外の自国では有名だが日本ではさほど知られていない人が、ファンがいるなら小さいステージでもいいよといって、日本に演奏しに来ることはあるのだろうか。

 ライブ直前に、トム・ロビンソンのことを、もうすこし知った。
 イギリスのロック歌手としてはきわめて早い時点で、ゲイであることをオープンにしていて、その応援歌や社会問題、反抗精神を熱心に歌ってきた人であることと、セックス・ピストルズにインスパイアされた、パンク・ロックの一派であることだ。
 恰好にせよ思想にせよ、パンクを旗印にした知り合いはいなかったし、日本でも流行し和製バンドも多かったパンク・ロックは、どうしても好きになれなかったから、出遅れたけれどホンモノのパンクのライブを見ておこうという気持ちもあった。
 もっとも、どう聴いても『Still Loving You』には、パンク・ロックのイメージはまったくなかったけれど。

       ♪

 ライブの様子を仔細に思い出すことはできない。
 にもかかわらず、いくつ観たかしれないライブの中でも、とりわけ素晴らしかった。いまでも断言できる。

 もちろん『Still Loving You』の曲も演奏したので、まったくパンク・ロックらしくないステージだったが、勢いがあってキレがよかった。
 なにより、ロビンソンの歌がいい。演奏の音に混ざらない、芯のあることばが力強く通ってくる。ヒネた感じでなく真っ直ぐ歌うのが、なおさらいい。
 はじめのうち、ブルース・スプリングスティーンのようだとも思ったが、演奏が進むと、まったく違うと知った。激しい演奏をしていても、柔和といってもいいような、おだやかな包容力を感じたのだ。ますますいい!

 驚いたのは、ロビンソンが日本語をほとんどふつうに話したこと。
 発音も含めて丸暗記だったとしてもすごいが、日本語をいってウケようというのではなく──ライブで小咄めいたMCをするやつは苦手だ──相手に先入観を持たず、さまざまな人に話しかけてみたい、という気持ちを感じたのだ。
 曲をぶちかますからついて来い、というだけでなく、客席に話もしたいんだよね、という感じだった。どんなにケンカっ早いヤツが出て来るかと構えていたら、そういう人だったので、なおさら感心したのかもしれない。

 多くはないお客さんたちは、ロビンソンの曲をどれもよく知っていて、唱和して楽しんでいた。ロビンソン自身が、信じられない! こんなに盛り上がっちゃっていいの! というようにいっていた。もちろん日本語で。
 スタジアム会場で開かれたコンサートの感想でよくいわれるが、絶対ウソだと思ってきた、ステージと客席の一体感、それを本当に感じた。

 その夜、初めて聴いた「2-4-6-8 Motorway」は、カッコよかった。
 コードは三つ、リフはローリング・ストーンズの「Brown Sugar」みたいに、メジャーコードとsus4コードを交互にチャッチャッと弾く、親しみやすいやつだ。歌詞はトラック運転手の応援歌。オレもぶっとばすぞと、たちまち元気が出てくる。
 後で知るには、みんなでどなる数字の歌詞は、ゲイパレードでコールされた ‘2,4,6,8, Gay is twice as good as straight.’  ‘3,5,7,9, Lesbians are mighty fine.’ のもじりだそうだ。となると、二番のAメロ「俺たち二人が道を間違うなんてことはない/誰も俺たちが正しいか間違ってるかなんて知ったこっちゃない」という歌詞にも、二重の意味があるかもしれない。単純な曲だけれど含意が深そうなところが、ますます気に入った。

      ♪

 一九五〇年にケンブリッジで生まれたトム・ロビンソンは、近郊の歴史あるクェーカーの学校、フレンズ・スクールというのに入学するが、そこで男の子を好きになり、自分がゲイだと知る。十三歳だった。
 イギリスでは、その数年後までホモセクシャル行為は違法、つまり犯罪だ。少年トムは一六歳のとき自殺をはかる。
 その後、ケント州の少年向けセラピー施設に移されたが、そこで出会ったロックのラジオ番組のおかげで、自分の居場所が見つかったそうだ。当時のBBCはポップス番組を極度に制限していたので、海賊局をよく聞いたという。リチャード・カーティス監督の映画『パイレーツ・ロック』(二〇〇九年)に出て来る放送だ。また、たまたまアレクシス・コーナーが同じ施設の出身で、母校訪問の形で演奏してくれたのも、おおいに進路指導≠ノなったとのこと。
 ロビンソンが社会的なメッセージ性のあるロックをやりだしたのは、セックス・ピストルズの影響だそうだが、パンク・バンドの荒々しさとはやや違うイメージの音楽をやってきている。中産階級出身を意識したのか、それとも、労働者階級からもひどく貶められていたに違いないゲイコミュニティへの共鳴を明確にすべく、パンクとはやや違う路線をいったのか。
 
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Rising Free : The Very Best of Tom Robinson Band ─1997

 この曲のシングルヒットと、翌一九七八年のデビュー盤の人気で、トム・ロビンソン・バンドは同時代のロンドンを代表するバンドのひとつになった。
 ライブではリーフレットやメッセージバッジなどを配ったり、そのころ立ち上げられた「ロック・アゲインスト・レイシズム」──当時、エリック・クラプトンが自分のライブで発したコメント※1が開催のきっかけとなったイベント──に、いかにもパンク・ロックなバンドたちと出演したりと、さかんに活動した。

 しかしセカンドアルバムの不振で、バンドはわずか三年ほどで解散の憂き目をみる。
 のちには、ロビンソンのバイセクシュアル的行動が──八〇年代に知り合った女性と結婚し、子どもをもうけた──芸能マスコミに二〇年近くも追いかけられるなど、いろいろなことがあったが、多くのパンク・バンドが姿を消していったなか、六〇歳代半ばとなった現在も演奏を続けているし※2、BBCラジオ全チャンネルへの出演や、番組パーソナリティの担当も、三〇年以上続けている。ロビンソンが熱心に聞いた名物DJのジョン・ピールが亡くなったあと、その番組のプレゼンターを引き継いだこともあった。

       ♪

 バンド活動ができなくなった一九八二年、税金が払えないほど借金がかさんだロビンソンは、ドイツのハンブルクに移った。
 そのころ、えんえんと書いていた詞を整理して曲にしたのが、一九八三年のヒット曲『WAR BABY』だ。
 ハンブルクでの暮らしがロビンソンを内省的にしたのか、淡々としたなかに心の叫びがわき出てくるような曲である。

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War Baby : Hope & Glory ─1984

 ベルリンの壁や、反戦のメッセージを歌っているように思えるが、はっきりと述べてはいない。
 冷戦下の閉塞感や世界情勢の悪化を歌っているようにも聴けるが、それも「そうらしい」としかわからない。
 異邦人として、あるいはゲイとして、あるいはその両方としての、アイデンティティの揺らぎを描いているようでもあるし、そうでないともいえる。

 まるでとらえどころがないようだが、曲のことばのひとつひとつは、怖いほど切迫した視覚的イメージを立ち上げる。
 それらは、わたしがこの曲を知った一九八〇年代らしい、きらめきに満ちている。しかしその輝きは、つかむさきから割れてしまいそうな偽りの反映でしかない。
 そのころ二〇歳代のはじめだったわたしには、当時のベルリン市民が感じたような抑圧感はもちろんなかっただろうが、毎日のように日本も世界も、おかしな方向へと壊れていく様子を日遅れの新聞で読みながら──貧乏学生だったので、なかなか新聞をとれなかった──これまた日々、嘘で飾り立てられていく日本の首都の姿を、その谷底から見上げていた。不安と憧れがいり混じったような、奇妙な気持ちで。
 しかしそのうち、わたしもまた、安っぽい書割のような舞台で悪ふざけのような気どった芝居を演じるようになった。書割にうっかり寄りかかりでもしたら、舞台全体がバタンと壊れてしまうと知っていてのことだ。
 そして、もともと安普請の舞台が綻び朽ちてしまっていくなか、とり返しがつかないほど、おかしな方向へ壊れ尽くしてしまった世の中に自分がいて、これから老いていかなければならないことに、どうしようもないほど気づかされたのだった。
 
 Only the very young and the very beautiful can be so aloof
  とても若くとてもきれいな 彼女だけが あんなにつんとしていられる
 Hanging out with the boys, all swagger and poise
  男の子たちとそぞろ歩いても 高慢そうに落ち着きはらって
 I don't even care what other people are there
  ぼくは たとえどんなやつがそこにいたって気にしない
 I just stare and stare and stare
  ぼくはただ 見つめて 見つめて 見つめる
 I see your shadow in the swimming pool
  きみの影を プールのなかに
 I see your face in the shaving mirror
  きみの顔を ひげを剃りながら鏡のなかに
 Time and time and time again
  何度も 何度も 何度も 見る
 I follow your footsteps so quietly up the backstairs
  きみの足跡を 裏の階段の上まで こっそりつける
 And I hope and I pray you're never going to find me there
  そこできみが 僕を見つけようとしていないことを念じながら
 Smooth skin and tenderness long ago on a dark night
  ずっと前の ある暗い夜の あの すべすべの肌と優しさ
 Wish I could see you once again just to remember it was true
  あれは本当だったと思えるように もういちど 君を見たい
 I want to be still beside you - quiet and still beside you
  いまもきみのそばにいたい 静かに身動きもせず そばに
 Listening to your breathing and feeling your warmth again
  ふたたび きみの息づかいを聞き きみの温かさを感じながら
 War baby - you were a
  きみは war baby だったのさ
 War baby - this means
  war baby ってことさ つまりね
 War baby - I'm scared, so scared
  war baby 僕は怖い とても怖い
 Of whatever it is you keep putting me through
  きみが僕に 味わわせることがなんだとしても
 I don't think I could stand another ten years of this fighting
  いまからもう十年、この戦争状態に耐えられるとは思えない
 All this stabbing and wounding - only getting my own back
  僕の背中だけにある 刺し痕やケガ
 I don't want to batter you to your feet and knees and elbows
  きみの足もひざもひじも そんなふうに傷つけたくはない
 When I'm kneeling like a candle at the foot of my own bed
  ぼくが自分のベッドの下のロウソクみたいに くず折れるとき
 Corresponding disasters every night on the TV
  毎夜テレビでは 危機が報じられる
 Sickening reality keeps gripping me in its guts
  病んだ現実が 僕のはらわたをつかんで放さない
 All my friends talk and joke and laugh about Armageddon
  友だちはみな 破滅を冗談にして笑う
 But like a nightmare it's still waiting there at the end of every day
  でも破滅は 毎日が終わるとき 悪夢のように待ち続けている
  (以下略)

 湾岸戦争のとき、BBCはこの曲を、ラジオ放送禁止曲にリストアップした。
 ことの是非はべつにして、ただ聴いただけではとらえどころがないようなこの曲の歌詞の解釈において、当時のBBCは慧眼いや慧耳か、とにかく、鋭かったというべきだろう。※3
 わたしには『WAR BABY』を一言一句、詳解できる英語の読解力はない。ただ、このところ、それもごく最近、『WAR BABY』をまた、よく聴くようになっている。(ケ)

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Still Loving You ─1986
 

※1 一九七六年八月、エリック・クラプトンは英・バーミンガムで酔ってライブをやり、ステージから、差別表現を乱発しつつ、イギリスは白人の国だ、俺たちはクロどもに居てほしくない、などといったあげく、六〇年代末から移民流入に危機感を表明していた保守党右派のイノック・パウエルを賞賛し、首相にするため投票しろなどと呼びかけた。このライブをみていた女性が後年いうには、こんなことをいう男が、なぜブラックミュージックを演奏しているのかと、ひどく困惑したという。liberal-agenda.com/2016/05/time-eric-clapton-went-off-racist-rant
  
※2「ロック・アゲインスト・レイシズム」関連で最大のイベントだった、一九七八年のヴィクトリア・パークでのコンサートに出演したパンク・ロックやレゲエのバンドは、メンバーを喪って形態が変ったバンドを含めれば、ほとんどが現在も活動を続けている。

※3 さらにその十年後、BBCはテレビドラマ『キケンな女刑事 バック・トゥ・80's』に、この曲を使っている。また、トム・ロビンソンがBBCラジオ全チャンネルに出演し、チャンネル4や6で、人気番組を担当し続けてきたことは本文の通り。


■二〇二一年七月二十二日、手直ししました。管理用


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posted by 冬の夢 at 13:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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