神戸市を南北に分かつ形で、六甲山系は東西にのびている。
市街からすぐ行けて標高も高くなく、山の上には舗装道路が通っている。
日本ではきわめて早い、明治中後期ごろ、居留地の外国人のレクリエーション向けに登山道が作られた。
おかげで大正から昭和にかけ、一般市民の「毎日登山」が盛んになり、山行クラブができる。現在も毎日登る人が数千人規模でいるそうで、神戸市主催で表彰式が開かれていたりもする。
神戸で住んでいる家も登山口のひとつに近く、徒歩十分ほどだ。ふと思い立っても一時間半ほどで直近の峠まで登れる。
といっても、毎日登山なんて絶対に無理だ。運動しなくちゃならないのでときどき登るが、せいぜい月に一度か二度、それもヒイハアゼイゼイ、這うように登る。
そもそも「毎日登山」は早朝か夕方にやるものだそうで、昼間、仕事をふつうにしての話だという。
兵庫が誇る大正昭和の山岳王、加藤文太郎など、週末に六甲山全山を往復縦走──百キロくらいある──し、翌日ふつうに出勤していたという。文太郎は特別としても、神戸市街から六甲山によく登る人は、基礎体力が違うのかも。
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同じ登山道を何度も登り降りしていると、気づくこともある。
ある分岐点の道標に記された「関電巡視路」という名が気になっていた。ふつうのハイキング案内では見たことがない。かんたんには通れない道なのかなと、道標を、横目で見て通り過ぎてきた。
さきごろ、やはり六甲に登るのが好きな地元の人が、まれに通るルートだといっていた。わたしより三〇歳くらい歳上の人なので、だったら俺も行けるな──とは、昔から山岳ファンのその人に失礼だが、まだ寒い四月上旬、「関電巡視路」を登ることにした。
そういえば、ふもとから見上げると、尾根ぞいに送電塔がいくつか見える。
本来は電力会社が送電塔の巡視に使うのが、この道だ。
行ってみると、多少わかりにくいが、じゅうぶん目視できる道がついていて、もちろん鉄塔に、また旧・建設省や関西電力の境界票にも、つぎつぎ出くわす。迷う心配なく登りきれた。この経路で下山する人にも出会い、その足跡を参考にもできて、これまで通り過ぎてきた道標がある分岐点に、あっさり出た。
やや急な登りが続くのと、鉄塔の写真を撮ったりしたから時間をくったが、おそらく一般コースより近道だ。
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鉄塔マニアという、趣味の世界があるそうで、鉄塔好きには「たまらん」世界だろう。
こんな山中、どう工事したのかと思う巨大な鉄塔は、マニアでなくとも感心して見上げた。
しかし、送電線のゆくえを遠望していたら複雑な気分になった。
こんなところに、こんなものをブッ立てられる技術があるのに、電源開発史では、山そのものからエネルギーを吸い上げる技術は、想像してみたこともなかったのだろうか。
鉄塔くらいの、どでかい電極を山にブッ刺したら電気がとれないのかな、などと、メチャな空想をしてしまう。
子どもレベルの空想だが、子どもと鉄塔といえば、映画『鉄塔 武蔵野線』(一九九七年)がある。※2
両親の離婚で、母親と引っ越す小学生の男の子が、父親がよく見ていた鉄塔に番号がついていると気づき、番号を遡って「1」の鉄塔をめざす話だ。
美しい映像だったことと、日本映画にはめずらしく、モノに即して淡々と話が進んだのが、印象に残っている。
ただ、上出来なコマーシャルでも見るような「できすぎの絵」だと気づかされもし、鉄塔の番号をさかのぼることを中心に置き続ければ話は後からついてくるのに、余計な設定がのっかっていて「そりゃないぜ」と見た記憶も強い。
この文を書くために映画を見直す気にはなれず、はじめて原作を読んでみた。※3
映画と原作は設定が違い、話の方向も話し手の立ち位置も違う。
もちろん小説の映画化でそれはありだが、原作はぜんぜん、わたし向きでなかった。映画の記憶のほうが、まだいい。
映画化後に文庫化され、単行本から内容がかなり変更されたそうなので、結末だけ文庫も見たが、万一、著者が映画を意識してオリジナルを変更したなら、作品が台無しだと思った。魅力が感じられなかった。
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そこで、鉄塔と送電線の歴史を調べてみようと思ったが、市立図書館に行って大部の社史などを抱えてみても、確実なことはわからなかった。
電力会社は高圧線の経路を公表しないのだという。テロ対策が理由らしい。
登山者向け地図には送電線が記入されているものがあるし、古い送電図を見つけ「六甲線」という送電ルートがあることまではわかったが、六甲山中の電線のどれがそれかはわからず、出発点となる発電所や変電所も、確認できなかった。
『鉄塔 武蔵野線』の原作では、鉄塔の出発点を探す冒険が断たれたあと、白日夢で「変電所」に招待される設定があり、そこを「<きっと原子力発電所だ>とわたしは断定しました。」となっている。
二十二年前の阪神大震災で、六甲山の送電線や鉄塔が受けた被害も調べがつかなかったのだが、すくなくとも阪神地域の給電は驚くほど早く立ち直っている。
くわしくは下の※4を見ていただくとして、それは素晴らしいことだったが、そのときも、どこかの原子力発電所で作られた電気が、六甲山を通っていったのだろうか。
知らない道をたどり、なにごとかの出発点へ行きたい、という気持ちは、わたしも強かった。
半世紀近く前に田舎の小学校に転校したとき、地元の子たちの仲間に入りたいが、どうしてもできないことがあった。
夕暮れになると、「水源地へ行く」を合言葉に、みな自転車で、いきなり彼方をめざして爆走し出す。
たしかに、ホットケーキの上にマストを立てたような、不思議な建造物が、かなたに小さく見えているのだ。
「源」の奇妙なタテモノ──それは、しびれるほど魅力的だったが、行けば明るいうちには戻ってこられない。自分で自分が嫌になるほど臆病だったので、二、三年住んでいたが、とうとう一度も地元の子について行くことができなかった。
年をへて、知らない道を知らない出発点へ行きたい気持ちは、ますます強くなった。
臆病さはあまり変わらないのだが、悪所へ踏み込む経験は増えた。ま、増えなくてもいいけど、悪所というのは、むしろ「どん詰まり」にあるものだから、ちょっと違う。
が、出発点に出会いたいから、ではなかったことがわかった。
じつのところ、子どものころから違っていた。
いま自分が置かれている場所から逃げて、越えられない境界を通り過ぎられたら──そういう願いだった。(ケ)
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【関電巡視路への行きかた】この名がついた経路は、複数あるようです。この文に書いたものは、神戸市灘区の神戸伯母野山住宅街碑のさきにある登山口から、長峰山(天狗塚)へ上がります。
登山口を入り、突き当りを右折後、すぐ左の踏み分け路へ。一般コースは、直進を続け奥のフェンスを抜けたところに案内板があり、それを左へ(案内板に関電巡視路は書かれていません)。
やや急な登りが何か所かありますが、工事ロープが張ってあり、ふだん着にジョギングシューズという、いつもの山歩き服装で行けました。各鉄塔の周囲は樹木を払ってあり、市街の見晴らしは一般コースより楽しめる気がしました。なおジョギングシューズで、この道は下っていません。
鉄塔関連検索でこの文を見つけ、鉄塔を見たくて行きたい場合は、他の資料でもよく調べ注意して行ってください。低山でも歩いた経験がない場合、ハイキングコース(鉄塔も見えます)を歩いてみてからにするか、経験者といっしょに行くようにしてください。
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※1 監督・長尾直樹
※2 新潮社版単行本(一九九四年)で。同文庫、ソフトバンク文庫の各版があり、それぞれ内容が違うようだ。結末部分は、この文で書いたのが最終型らしい。全版を比較してはいない。
※3 十か所の火力発電所、四十八か所の変電所、多数の送電回路や配電線路が損傷。地震直後は阪神地域を中心に約二六〇万戸が停電。順次切替送電を行い、同日午後七時三〇分には停電約一〇〇万戸に。
阪神震災での電力インフラ被害は、過去に自然災害や事故で壊れた設備を修理してきた状況とは比較にならないほど甚大だった。が、地震発生六日、一五三時間後に応急送電完了。ライフラインでもっとも迅速に復旧がみのった。(関西電力のサイトを参考にしました。本文に出てくる資料は、関西電力の社史です)
※二〇一九年九月一三日、手直ししました。実際に行ったようすは二〇一七年のままで、六甲山では以後の台風・豪雨により、崩落・閉鎖の登山路があると聞いています。管理用
2017年04月14日
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