2017年02月15日

NODA・MAP『足跡姫』〜 野田秀樹から中村勘三郎へのオマージュ

歌舞伎役者が名跡を継ぐときに行う襲名披露公演。晴れ舞台では、その役者が得意にしてきた演目が並ぶことが多く、同時にその大名跡に相応しい出し物が選ばれる。
昨年秋の芝翫の場合は、それが『幡随長兵衛』『熊谷陣屋』『盛綱陣屋』であり、一年前の雀右衛門は『鎌倉三代記』と『金閣寺』だった。
芝翫の襲名披露公演は二ヶ月連続公演で、普通で行けば昼と夜の部の合計四本の演目が並ぶはず。けれども、同時に襲名した三人の息子たちに一枠譲ったこともあり、三つの芝居で芝翫の名をお披露目することになった。それは、少し酷な言い方をすれば、四本連続で出来るほどの得意演目がなかったからであり、新・芝翫にとって二ヶ月公演はちと荷が重かったのかも知れない。一方の雀右衛門は単月公演であったが、実は『鎌倉三代記』の時姫は襲名披露のときが初役。つまり得意な演目は『金閣寺』ただひとつだったことになる。いずれにしても、歌舞伎の大看板を相次いで失った穴を埋めるための襲名であったわけだし、そんな裏事情を隠しきれない公演ラインナップであった。

このような現状を目の当たりにすると、十八代目中村勘三郎の襲名披露こそが、歌舞伎界を代表する世紀の一大イベントであったと思い起こされる。
勘三郎の襲名披露公演は、平成十七年三月から三ヶ月連続で賑々しく開催された。その出し物がすごい。どれも歌舞伎を代表する演目であり、勘三郎が五代目勘九郎であったときに手の内に入れていた役の再演であった。
女形が技の粋を結集して踊る『道成寺』、時代物の肚が試される『盛綱陣屋』。黙阿弥が創った悪のヒーロー『髪結新三』に、田舎者が狂気の殺人に到る『籠釣瓶花街酔醒』。さらにはつくり阿呆の殿様の虚実を演じ分ける『一條大蔵譚』から、三島由紀夫が愉快気に書き下ろした『鰯売恋曳網』まで。
こうして並べた演目に一分の隙もないにもかかわらず、襲名披露から漏れた中には『弁天小僧』『夏祭浪速鑑』『鏡獅子』『法界坊』『俊寛』といった錚々たるレパートリーが残されていた。控えメンバーで一軍先発が組めるくらいの豪華絢爛さ。かようにその資格が十二分にあったのに、五代目勘九郎はなかなか勘三郎を襲名しなかった。相撲で言えば、一場所だけの優勝で横綱に無理矢理昇進というのではなく、六場所連続で全勝優勝しているのだから、もういい加減横綱推挙を受諾してくださいな、と言ったところだっただろうか。

そんな四番打者が勢揃いした襲名披露公演の掉尾を飾ったのが『野田版 研辰の討たれ』。時代物、世話物、舞踊の大局とタメを張り、そのうえで大トリとして採用されたのが、野田秀樹による新作歌舞伎の再演だった。定番や名作を取り上げるのが当たり前で、三島由紀夫の『鰯売』でさえ物故作家の作品として捉えられていた中で、野田秀樹は現役バリバリの、最先端にいる演劇人。その野田秀樹が書いた『野田版 研辰の討たれ』を襲名披露に取り上げたことが、十八代目中村勘三郎の役者としての気概や立ち位置を象徴していた。
当時の再演にあたって、野田秀樹本人は次のようなコメントを寄せている。

新しい風を入れたつもりでも、あっという間に、新しくなどなくなる。新しさなど、たかだかそれだけのことである。新しいなどということに、有頂天になっていると、あっという間にそれは、古く汚れたものに変わっていく。
だが、中村勘三郎は、そのことを熟知している。一番そのことを恐れている役者である。だからこそ、彼はこの『研辰の討たれ』の再演を、勘三郎襲名披露公演の一演目に選んだのだと思う。ただの再演に終わらせず、再演するからには、また新たな風になるようにと、今現在生きている作家の芝居を襲名披露公演に持ってくるという、ありえなかったことをやって見せようとしている。(※1)


野田秀樹が指摘した通り、十八代目を襲名した後の中村勘三郎は「新たな風」を次々と吹かせまくった。日本の各地で、そしてニューヨークで。型通りの芝居で、そして型破りの芝居で。歌舞伎界の後進たちと、そして異業種の仲間たちと。「新たな風」は歌舞伎好きな人たちの心を揺さぶり、歌舞伎など知らない人たちに道を示した。その風は、七年間猛然と吹き続け、そして、突然に止んだ。
勘三郎が亡くなってから、早いものでもう四年の時が過ぎたのである。

野田01.png


作品は、中村勘三郎へのオマージュです。彼から、最後の病床で「俺が治ったら、この姿(医療機器でがんじがらめの彼の姿)を舞台にしてよ」と言われた。それを、彼の遺言とも思ってないし、彼は冗談半分のつもりだったように思うのだけれども、ずっと気になっていた。今年の十二月五日で、彼が逝ってから、四年になります。「あの姿」を書こうとは思わないけれども、彼の葬式の時に、坂東三津五郎が弔辞で語ったコトバ、「肉体の芸術ってつらいね、死んだら何にも残らないんだものな」が、私の脳裏に残り続けています。その三津五郎も、彼を追うように他界してしまいました。あれから「肉体を使う芸術、残ることのない形態の芸術」について、いつか書いてみたいと思い続けていました。もちろん作品の中に、勘三郎や三津五郎が出てくるわけではありませんが、「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、わずかの間ですが、いることができた人間として、その「思い」を作品にしてみようと思っています。(※2)

NODA・MAP第21回公演『足跡姫』は、出雲の阿国を主人公とした江戸時代のお話。阿国たちの舞台は幕府から公序良俗に反するとされて、女かぶきは禁止されてしまう。座付作家の猿若は、男たちだけで舞台を続ける決意をする…。
野田秀樹の舞台をそんなに多く見ているわけではないけれど、最高傑作は『パンドラの鐘』と決まっている。舞台装置は、長方形の木のフレームのみ。ただそれだけなのに、置き方ひとつ変わるだけで、入り口、長椅子、棺桶、と様々な意味をもつ道具に変わる。そして、野田秀樹得意の「言葉遊び」は、主人公の名前が長崎の原爆に結びついた瞬間、強烈なメッセージに変わる。舞台はこんなにも見事に変態するものなのだ。そう気付かされたはじめての体験だった。だから、『桜の森の満開の下』や『半神』や『贋作・罪と罰』などを見ても、『パンドラの鐘』の衝撃には遠く及ばないと感じたものである。

『足跡姫』を見ていると、舞台の使い方はすこぶる洗練されており、それは回り舞台の活用方法に集約されていてる。回転方向と逆に役者を歩かせることで移動撮影ショットのような効果を出したり、奥にあった大道具を舞台を半回転だけ回して前面に配置換えしてクローズアップしたり。生身の演劇をあえて映画的に見せる手法は、映像をスマホで簡単に持ち運べる現在においては、ごく当たり前に観客に受け入れられただろう。
かたや野田秀樹の最大の特徴である「言葉遊び」は、やや切れ味を欠き、正直なところ「またか」と思わざるを得なかった。「マタニティブルー」を「股に手、ブルー」、「リアリティ」を「理、有り体」と言い換える語呂合わせの連打。さらにはそれをわざわざ漢字の並びまで台詞にして、わかりやすく説明してあげる。諧謔なのか、言葉遊び自体を自虐ネタにしているのか。そのギリギリのライン上を狙っているのだとしても、少々食傷気味に思える。
こうした言葉遊びは終盤まで続く。阿国と猿若の姉弟が亡くなった母のことを思い出す場面。衰えて母音しか言えなくなった母は「い・い・あ・い」と呟いて亡くなった。あのとき母は何と言いたかったのだろう。子である姉弟はそこに子音をつけて考えを巡らせる。「い・い・あ・い」は、実は「し・に・た・い=死にたい」ではなかったか…。いや、そうではない。あれは「い・き・た・い」だったのだ。そうだ、母さんは生きたかったんだ。そこから舞台はクライマックスへ向かっていく。
野田秀樹の舞台の妙味は、先述した通り、言葉遊びをメッセージ化のレベルまで昇華させることにある。『足跡姫』のメッセージは「生きたい」だ。それは母(母音)と子(子音)が結びつく生命の成り立ちであり、だから子孫へと引き継がれる。
しかし、切れ味が悪いのは母音の「い・い・あ・い」からごく普通に連想されるのは「死にたい」ではなく「生きたい」のはず。ならば、あえて「死にたい」と言わずにストレートに「生きたい」に持っていくべきではなかったか。野田秀樹の言葉遊びが、策を弄したためにメッセージになり得なかった。『足跡姫』の狙いは、最後までラインからわずかに外れたままで終わってしまった。

それでも、野田秀樹自身が告白している通り、本作は「中村勘三郎へのオマージュ」なのである。歌舞伎を根源まで遡ったのも、弟を戯曲家・猿若としたのも勘三郎への敬意の現れに違いない。けれども、そうした設定や物語よりもはるかに端的で直接的に響いてきたのは、ラストでの猿若の叫びだ。
女かぶきを出来なくても、男たちが歌舞伎を続ける。その台本は俺が書く。俺が死んでも、俺の子孫が書き継ぐ。猿若の三代目、四代目まで、いや、少なくとも十八代目までは。
そう叫ぶ猿若に桜の花びらが散る。これは、『野田版 研辰の討たれ』の終幕、仇討ちで斬られた辰次の死体に一枚の紅葉が降り落ちてくる場面の、合わせ鏡になっている。思い返せば辰次はその直前まで「生きてえ、生きてえよ〜」と喚いていたのであった。辰次の「生きてえ」と阿国・猿若の亡母の「生きたい」。ひらひらと舞い落ちる桜の花。そして「十八代目まで」という猿若の叫び。
思わず、舞台を眺めながら涙が流れてしまった。
野田秀樹が中村勘三郎の仕事に限りない敬意を払っていたのだということ。その仕事が続けられなかった勘三郎の無念を、同じ演劇人として野田秀樹が誰よりも深い共感を持って共有しているのだということ。そして、野田秀樹が心から尊敬する勘三郎は、もう永遠に不在なのだということ。役者の肉体を経由して舞台の上に充満していた思いが、猿若の叫びによって決壊した。そして、観客全員に向かってなだれ落ちてきた。その思いの圧力に押され、涙が流れ落ちたようだった。

暗転した後のカーテンコール。静かに、秩序立って、幾たびかの最敬礼をして出演者が去っていく。その最後に舞台袖に残った野田秀樹が、少し照れたように両手を広げてみせる。
そこには、言葉遊びに耽り、弾丸のように台詞を喋り、巧みにアドリブを入れて舞台を走り回るいつもの姿とは違った、妙にナイーヴな野田秀樹がいた。
その瞬間、「残ることのない形態の芸術」であるこの舞台を見られて、たぶん良かったんだと、しんみり感じたのであった。(き)


野田02.png


足跡姫 時代錯誤冬幽霊(ときあやまってふゆのゆうれい)
2017年1月18日〜3月12日 東京芸術劇場プレイハウス




(※1)平成十七年五月 歌舞伎座筋書 野田秀樹『夜泣きする中村勘三郎』より

(※2)『足跡姫』スペシャルサイト(2016年9月30日オープン)より




posted by 冬の夢 at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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