2017年01月30日

ウィリアム・バードのミサ曲といわゆる「名盤」について

(画像のリサイズのついでに、少し加筆:2月1日)

 ウィリアム・バード(William Byrd: 1543?~1623)の名前を知ったのは、しばしば天才・鬼才と称されるグレン・グールドというピアニストの演奏を通してだった。若者の知的内面世界が爆発的に拡大する「学生時代」のことだ。生物的には第二次性徴と言われる時期が「二回目の誕生」なのかもしれないが、そして確かにその時期に経験する主に性的な出来事は誰の個人史にとっても相当に大きな意味を持つのだろうけれども、自分の個人史の中では学生時代という「モラトリアム」こそが最も重要な意味を持っていたように思う。実に多くのことを知って、世界は高校時代と比較にならないほどに拡がった。(昨今は「貧すれば鈍す」なのか、日本社会からどうやらこの「モラトリアム」が廃止されてしまったようで、そうなると、若者たちはいったいどこで自らの知的革命を遂行すればよいのか? おそらく、知的革命などとは縁遠い人生を余儀なくされてしまうのはないだろうか……)

 話題をバードの音楽に戻せば、友人が『バード&ギボンズ:作品集』(A Consort of Musicke bye William Byrde and Orlando Gibbons)を聴かせてくれたのが最初の出会いだった。「グールドといえば、こんな珍しいものもあるよ」といった感じで、音源は当時の主流メディアであったLPですらなく、貧乏大学生御用達のカセットテープだった。だから、そのときには、今見てもカッコいいと思うジャケット・デザインを知ることもなかった。が、ともかく、一度聴いてすぐに魅了された。いや、完全にノックアウトされたというべきか。お金ができたらすぐにLPを買おうと決心し、ほどなくその見事なビジュアルを伴う傑作を手に入れたことは言うまでもない。けれども、そのとき魅了されたのは、もっぱらピアニストのグレン・グールドに対してであって、作曲家ウィリアム・バードに対してではなかった。

gould.png
(16世紀の雰囲気を再現しているカッコいいジャケット)

 そもそも、ウィリアム・バードという名前だけなら、もっとずっと前から知っていたはずだし、もしかしたらその音楽も一度ならず聴いたことがあったのではなかったか。というのは、バードはシェイクスピアと同時代の作曲家だから、イギリス・ルネサンスを学んでいた学生なら、当時のイギリスの宗教的混乱に関する記述と共に(バードは敬虔なカトリック教徒であり、イギリス国教会からは差別を受ける側にあった)エリザベス朝文化の精華として教えられていた可能性が十分ありえる。その上、ルネサンス音楽を専門とする先生の下で西洋音楽史の授業もそれなりに熱心に受講していたのだから、絶対にその音楽を授業の中で紹介されていたはずだ。ところが、オケゲムやジョスカン・デ・プレなどのフランドル楽派は記憶に鮮やかに残り、一方、エリザベス朝の音楽で覚えたのは(つまり、好きになったのは)ジョン・ダウランドの音楽だけだった。ウィリアム・バードが親しい音楽家になるためには、もう少しこちらの知的成長を待つ必要があったということだろう。

 音楽雑誌やインターネットを中心に「名盤論争」は尽きることがない。別の同人も言及しているけれど、自分の愛聴している演奏が貶められているのを目(耳)にするのは、どんなにそれを黙殺しようとしても、どうにも心穏やかならざるものがあることも否定できない。そうした不愉快な気分を一掃するために、自分なりに揺るぎない名演・名盤の定義を策定することにした。即ち「その音楽の魅力を十全に示してくれた演奏こそが名演奏である」。これは単なる個人的な経験則だが、ある演奏を聴いてその音楽を好きになると、その後は色々な、多種多様な演奏が楽しめるようになる。もちろん、それぞれの演奏に対して好き嫌いの反応は起きるし、その結果として、よく聴く演奏と滅多に聴かない演奏という区別が確かに存在することになる。が、面白いことに、滅多に聴かない演奏に対しても「知的に」興味深い点はいくつも見つけられる。これは、増殖し続けるCDに対する言い訳ではないと思いたい。

 バードには3曲のミサ曲がある。これらの宗教音楽の深い魅力を最初に教えてくれたのはタリス・スコラーズという、ルネサンスの声楽曲を主なレパートリーにしているグループによる演奏だった。キリスト磔刑図のジャケットにはちょっと引くが、流れてくる音楽は絶品だ。バードが残したミサ曲は3曲だけで、それぞれ3声、4声、5声のミサ曲と称されている。つまり、異なった演奏形態のミサ曲を1曲ずつ作曲したというわけだ。イギリス国教会とカトリック教会の対立が続く当時、これらのミサ曲がどのように使われていたのか、どのような場所で、どのような機会に歌われていたのか、正確なことはわからないらしい。ちなみに、バード自身は敬虔なカトリック教徒であったらしいが、とりわけエリザベス女王が宗教宥和政策を取ったこともあり、かなり自由な活動が許されていた上に、イギリス国教会のための儀礼用音楽も数多く作曲している。しかし、英語(イギリス国教会はラテン語ではなく英語を用いた)ではなくラテン語の歌詞を持つ3曲のミサ曲にこそバードの精髄が表現されているというのが「定説」になっているようだ。

tallis .png
(ちょっと怖い?ジャケット・デザイン)

 これらの3曲の中で、初めてタリス・スコラーズの演奏を聴いたときは、「3声のミサ曲」が最も印象的であり、つまり、最も美しいと感じられた。というか、その他の「4声のミサ曲」と「5声のミサ曲」はかなり長い間(かれこれ25年もの間)「特に好きでもない曲」に留まっていた。「3声のミサ曲」がジョスカン・デ・プレや、やや時代は降るが、ドイツのハインリッヒ・シュッツのいくつかの音楽と同じく、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲やモーツァルトのピアノ協奏曲等々の「人類の遺産」と肩を並べて堂々とトップ・ランクに君臨してきた一方で、「4声のミサ曲」と「5声のミサ曲」は、「ああ、そんな曲もあったね」という程度の扱いに甘んじていた。

 そんなある日、ソプラノに女声を用いるタリス・スコラーズとは方向性を異にした、しかし、同様に古楽声楽アンサンブルの横綱クラスであることに相違ないヒリアード・アンサンブルが録音したバードのミサ曲を聴く機会に恵まれた(というか、つまりは、新しくCDを購入したわけだ)。そして、初めて「5声のミサ曲」の美しさを知った。ヒリアード・アンサンブルとしては珍しく、「5声のミサ曲」では女声も使われている。面白いことに、「3声のミサ曲」を聴いたときは、「まあ、こんなもんだね。タリス・スコラーズの方が少しいいかな」と思っていた。(今もそう思う。)そして、「4声のミサ曲」も何事もなく通り過ぎていった。が、いったい何が起こったのか、「5声のミサ曲」の最初のキリエから「おや、これはちゃんと姿勢を正して聴かねばならない音楽ではないか!」と感じさせるものがあった。おそらく、テンポの違い(ヒリアード・アンサンブルの演奏の方が明らかに遅め)と、それ以上に個々の言葉のアクセントの付け方の違い(一種の「ため・うねり」が感じられ、そのためなのかいっそう情感=祈りの感覚が感じられる)に起因するのだろうか。アンサンブルとしての美しさでは、おそらくタリス・スコラーズに軍配が上がるのだろう。しかし、タリス・スコラーズの演奏で聴いたときにはさらさらと流れ過ぎていった音楽が、ヒリアード・アンサンブルの演奏では、もう少し濃い襞と陰影が加えられ、それが心のあちらこちらに心地よい引っかかりを残していく。瞑想的と言ってしまうと、いかにも安直だけれども……

 いったんヒリアード・アンサンブルによる「名演・名盤」に接して曲の美しさ(哀しみや寂しさを帯びた美しさと言えばよいだろうか…)に開眼すると、現金なもので、それまで文字通りにただ聞き流していたタリス・スコラーズによる演奏に、こちらは何とまあ汚れのない晴れやかな音楽であることかと思いつつ、その明るい美しさにしみじみ感じ入っている。今となれば、これはこれで非常に素晴らしい演奏であると信じられる。

hilliard.png
(ヒリアード・アンサンブルの格安セット。この中にはバードのミサ曲が全部ある)

 そうなると、もちろんその後はいつもの通り、アレコレとCDを探し集め、「ついでにすっかり忘れてしまったラテン語の勉強でもするか」を言い訳(?)に、ルネサンスの宗教音楽三昧の日々を過ごしている。その中で特に気に入った演奏を上げると、「3声のミサ曲」では ブルーノ・ターナー(Bruno Turner)が率いるPro Cantione Antiquaという男性声楽アンサンブルによる演奏。やや昔の演奏だけれども、好き嫌いでいえば、タリス・スコラーズ盤よりも好きかもしれない。また、いっそう古い演奏で、録音状態も現代の基準で考えると必ずしも良くないし、アンサンブルの精度に関しても、素人耳にもやや不安定に感じられるのだが、それでいて不思議な魅力があるのが、古楽のパイオニアとして名を馳せたデラー・コンソート(アルフレッド・デラーという不世出のカウンター・テナーが代表)の演奏。良い意味で鄙びた感じがする。昔のモノクロの映画に見入っているときの気分と言えばよいかもしれない。「4声」と「5声」に関しては、Oxford Camerataというグループの演奏が気に入った。妙な言い方に聞こえるかもしれないが、宗教音楽を歌う喜びが強く感じられる。それは必ずしも信仰心とは直接に関係ないと思うが、単に作曲家への共感という範囲で処理できることではないだろう。このCD、極めて残念なことに「3声のミサ曲」が入っていない。だから、ヒリアード・アンサンブルのCDを手に入れて「5声のミサ曲」の魅力に気がつかなかったなら、このオクスフォード・カメラータのCDを購入することは決してなかったはずだ。

deller.png
camerata oxford.png

 おしまいに、話の流れで「4声のミサ曲」についてはついつい何も言わずにいるが、この曲こそバードの最高傑作という人もいるくらいで、曲の美しさにおいて他の2曲に劣るところは何もないことを付言しておきたい。バードの3つのミサ曲のことを考えると、どうしてもモーツァルトの最後の3つの交響曲(39番、40番、41番)との連想が働いてしまう。この三つの交響曲で人気投票をすれば、おそらく人気は三等分されるのではないだろうか。バードの三つのミサ曲の場合も同じような気がする。 (H.H.)
posted by 冬の夢 at 01:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック