2016年09月30日

明石駅前南地区再開発事業と「second guess」

 一年の半分くらいを阪神間に潜伏するようになって足かけ三年。
 ときどき、明石に行ってみることがある。
 はるか昔、幼稚園児くらいだったときに四国から本州に引っ越したが、船で着いたのが夜の明石港。まるでピエトロ・ジェルミの映画『越境者』(一九五三年)だが、暗かったという以外、記憶はほとんどないのに、夜の明石に船で着いた、そのまさに越境者めいた悲しさが懐かしくて。

 この間も明石へ行ってみた。
 行くたびに「魚の棚商店街」にはがっかりさせられるし、行くたびに閉店の貼り紙に出くわす桜町の呑み屋街が寂しい。
 明石大橋の開橋で、「たこフェリー」、本州〜四国間ではないが淡路島との連絡船があったのが、とうになくなってもいる。
 明石に住んで、買う呑む乗るで応援していないのだから、明石の人たちが決めたことと納得してはいる。

 それにしても、これは醜い!
 あちこちの中小都市で、絶望的に醜い再開発の街並みを見てきたが、明石の駅前再開発はトップクラスの醜悪さだ。
 十年前の駅前ダイエー閉店後、殺風景だった駅南が再開発されているのは知っていた。今冬のオープンを前に完成型が立ち上がったのを見て感じたことだ。

 Don't second guess an operation from an armchair!

 コトに関わりもせず後知恵でゴチャゴチャ言うな!
 っていうのを、英語ではこういうらしい。
 ポール・グリーングラスの映画『ボーン・アルティメイタム』(二〇〇七年)で、無謀な作戦が止まらなくなったCIAの現場指揮官が、本部の女性幹部を抱き込もうとして逆に批判され、発するセリフ。
 言われるまでもなく「second guess」はしない。
 ただ、よく「後知恵でゴチャゴチャ言うな!」と大声出すのはたいてい、見切り発車型でツメが甘くて迷惑をかけるヤツではないだろうか。

 明石市が公表している「中心市街地活性化計画」を読んだ(参照1)。
 明石商工会議所と明石地域振興開発株式会社が設置主体となって作られた明石市中心市街地活性化協議会、名簿を見ると商工関係者のほか関係自治体関係者、自治会、消費者団体関係者、交通会社、大学人ほかが名を連ねる組織だが、そこが昨暮に出した、明石市中心市街地活性化基本計画(案)に対する意見書なども見た(参照2)。
 再開発事業計画に対するパブリックコメントや、「市長懇談会」「市民フォーラム」で出た市民の意見のまとめに目を通した(参照3)。
 市民の間に「大きな反対運動がひろがる」としている市民団体のサイトもざっと見た。過去の市政をめぐるごたごたも一読した。
 この再開発の目玉でもある、駅南徒歩二分にそびえた三十四階・高さ一二〇メートル以上のマンション「プラウドタワー明石」の住居を買おうとした人びとのBBSもたどってみた(参照4、販売は野村不動産で総戸数二一六戸、販売された一一九戸は即日完売。二千二百五〇万円〜一億三千万円、最多価格帯は四千九百万円)。
 
 活性化
 にぎわい
 まち
 ひと

 端っこのそのまた端っこで手伝ったこともある、いくつかの「まちおこし」(その場合の『まち』も、なぜかしばしば『ひらがな』で書く)。その過程でこれらの文字をいったい何度、見たことだろう。
 
 キレイな文字を並べないとプレゼンに形がつかないのはよくわかる。
 地方都市の再開発が「地域特性」をうたいながらどれも似てしまうのもよくわかる。
 ことに、主要駅から離れたモールなどが生活の中心であるような地域だと、駅前再開発では高層駅ビルで床を増やし、駅至近をセールスポイントにした巨大マンションで転入居住者を射程にいれて人集めをするしかない。なら店舗床には安心保険としてヨソでもよく知られたメガストア……。このあたりも痛く共感できる。
 同じビルの中にジュンク堂と市民図書館の両方があることが「異様」だとは思わない。いまの明石の人たちには「べんり」で「きれい」が大切なのだろうから。

 しかし、市民の間からこのような声が、たとえひとつでも聞かれたなら、この再開発をいったんとりやめて、まったく別の形が考えられないか練り直すべきだったと思う。

 駅前に計画のような高層住宅(ビル)は不要。明石城や淡路島や大橋が望める景観がなくなってしまい、城下町の風情がなくなる。(25件) ──(参照3)

 桜町の呑み屋街が寂しいと書いた。
 そこから南西にすこし行ったところにあった渋い映画館、明石本町日活は二年前に閉館し昨年暮れに大衆演劇場になっている。

 そういう場所は早くなくして、という声があったらしい。
 子ども連れで歩けないからだという。
 なんというバカげたことをいう「大人」だろう。
 呑み屋にガキ連れで来る奴らと同じくらい不愉快だ。

 明石市民を糾弾しているのではないですよ。いや、していることになるか。
 せっかく再開発を進めている、縁もゆかりもない土地にケチをつける気はない。ウエブで「通りすがり」と称してイチャモンを吐き散らしていく輩と同じことになってしまう。いや、これじゃ同じか、俺……。
 そう遠くないうちに阪神地域から離れるのでお許しを。もちろん別の土地へケチをつけに行くのではないですよ、まさかそんなことはしない。
 この秋は、ほんの短い期間だけれど、ある地域の人たちが自分たちだけの手で立ち上げた小さい小さい「まちおこし」を、さらに小さく手伝うつもり。遠慮しいしい。
 ここに書くほどのことではない。「まち」を「おこす」ことは、もともと大言壮語とは縁がない。(ケ)

161003as.JPG



(参照1)www.city.akashi.lg.jp/seisaku/machisaisei_shitsu/shise/gyose/kekaku/kihonkekaku.html
(参照2)www.ddknet.ne.jp/~kasseika/houkoku/H27/pdf/2ki-ikensho.pdf
(参照3)www.city.akashi.lg.jp/seisaku/machisaisei_shitsu/machizukuri/toshi/chushinshigai/documents/ikengaiyou_h2307_1.pdf
(参照4)www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/562547/  ←これは吐き気を催したくなければ読まないほうがいいかもしれない。

Originally Uploaded on Oct. 03, 2016. 02:35:00

posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こういう話を聞くと、昨今は万事において基本の基本であるはずのことが抜け落ちているんだと再認識させられる。基本の基本とは「汝、自らを知れ」とか「彼を知り己を知れば百戦危うからず」のようなこと。明石駅前再開発にしても、自らの立地や環境資源をきちんと自覚していれば、あんなバカなことができるはずがなかった。明石駅前の宝は、言うまでもなく明石城趾の明石公園であり、たとえ「死につつ」あるとはいっても、海辺です。そして、しょうがないけど、魚の棚でしょう。となれば、その三つのお宝をどのように魅力的に結びつけるのかこそが再開発のキモでしょ。端的に言えば、海側をお洒落にして、公園〜駅〜海辺のラインを整備することに尽きるはず。ところが、彼らがしたことは、公園と海(魚の棚)の間に難攻不落の醜悪な砦を築いて、「何人たりともこれより南(=海)には行ってはならず!」としてしまったのでは。いや、そんなことよりも、百聞は一見に如かず。明石駅の南側に降り立ってみればいい。このブログの筆者と同感だ。今後明石が全国的な観光地になることはありえないし、阪神地方からの一日散歩の地に選ばれることもないだろう。一種の自殺だ。東播磨の首都から神戸/大阪のベッドタウンに成り下がったわけだ。正に、貧すれば鈍す。
城跡から眺めた瀬戸内海と淡路島の夕暮れの景色は、今後は「伝説」としてしか残らない……
Posted by H.H. at 2016年10月03日 16:50
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