2016年09月21日

国立劇場開場五十周年記念 九月文楽公演『通し狂言 一谷嫩軍記』 〜 通しで見たときの「熊谷陣屋」のすごさ

ちょうどパトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』を読んだところだった。映画の公開に合わせて日本語タイトルを幾度か変えてきた小説は、もとは"The Talented Mr.Repley"という原題。トム・リプリーがディッキー・グリーンリーフを殺害し、ディッキーになりすましたり、トムに戻ったりして殺人を重ねながら警察の捜査をかわすお話だ。トムはディッキーと身長や体格がほぼ同じで、「才能あふれる」トムは巧みに自分をディッキーに偽装し、そのトリックを警察やディッキーの家族・友人は見抜けない仕掛けだ。
そんな小説を読んですぐに『一谷嫩軍記』(いちのたにふたばぐんき)を見に行ったところ、二百五十年も前に書かれた義太夫狂言にも似たようなトリックが使われていた。二人の若者(だから「嫩」)がいつの間にか入れ替わり、天子の胤を継ぐ者のために武士に生まれた者が身代わりになる。無冠太夫平敦盛と熊谷次郎直実(なおざね)が息子小次郎。十六歳という年齢も身の丈も育ちの良い顔も似た二人の運命が、平家と源氏の合戦の中で交錯する。
これまでに歌舞伎で「熊谷陣屋」を見たことはあったが、今回、文楽を通しで見物して初めて『一谷嫩軍記』が示す悲劇の全体観がわかったし、三段目の切にあたる「熊谷陣屋」のすごさに触れることが出来た(相変わらず途中は睡魔と戦ってもいたが)。

今回の公演は三段目までの通しでの上演。

初段
堀川御所の段
敦盛出陣の段
二段目
陣門の段
須磨浦の段
組討の段
林住処の段
三段目
弥陀六内の段
脇ヶ浜宝引の段
熊谷桜の段
熊谷陣屋の段

このあらすじを追ってみても、一体いつ敦盛と小次郎が入れ替わったのかは、はっきりとはわからない。舞台上でもその伏線は示されないし、そもそも敦盛も小次郎も人形で言えば首(かしら)は同じ「若男(わかおとこ)」。ともに鎧兜の合戦姿だから、見た目はほとんど同じなのだ。
「組討の段」。須磨浦の浜辺で、源氏方の熊谷直実が敦盛と相見える。馬に乗った両者が組み合ううちに海に入り、そこで馬から落ちる。これを遠見で見せる仕掛けが面白い。歌舞伎の遠見は子役が演じるが、文楽では人形のサイズを小さくして、はるか彼方にいるかのような遠近感を出す。海に落ちた二人が海岸に辿り着き取っ組み合うという流れが立体感をもって伝わってきて、その展開はダイナミックだ。
ここで直実は敦盛ひとりを殺さずとも大勢には影響なしと見逃そうとする。が、その様子を丘の上から源氏方の平山武者所末重(ひらやまのむしゃどころすえしげ)が目撃していて、手加減を許さない。直実は仕方なく敦盛の首を刎ねる。
ところが、この「組討の段」に出てくる敦盛は、実は敦盛ではなく小次郎なのだ。「陣門の段」で直実が

ナウ平山殿おはするか。倅小次郎手を負うたれば養生加へに陣所に送らん。お手柄あれ。


と、負傷した小次郎を抱えて馬で運ぶ。いや、小次郎に見えただけで、このとき直実は敦盛と小次郎を入れ替えた。もちろん、そんな説明はどこにもない。でも、確かに後になって思い出してみると、入れ替わるのならあそこのタイミングしかないと得心してしまう。見事なトリックなのである。
さらに「組討」で敦盛が遠見で出てくるのは、敦盛の容貌を近くでさらさない演出なのだということがわかってくる。先述した通り、人形としては同じなのだが、あえて遠見の小さい顔で出ることで、あんなに遠くにいたんじゃ見間違えたわけだと、観客の腑に落ちるように作っているのだ。なんとも手の込んだトリックである。

そして、「熊谷陣屋の段」。須磨浦で熊谷直実が討ち取った首は敦盛ではなく、息子小次郎のものであった。義経が自ら陣屋に乗り出し、その場で敦盛の首をあらためる。義太夫狂言によく出てくる「首実検」である。敦盛の母親である藤の局(ふじのつぼね)は、敦盛が討たれたと聞いていたから、せめて最期に敦盛の顔をひと目見たい。直実の妻であり小次郎の母である相模(さがみ)は、かつて藤の局に仕えた身。藤の局に同情を寄せつつ、小次郎の無事の帰還を願う相模にとっては首実検は言わば「他人事」である。
かたや首実検のあらため役である義経は、その首が小次郎のものだとわかっている。「一枝を伐らば一指を切るべし」。制札に記した義経の意図は、後白河院の子たる敦盛を救うこと。そのためには身代わりが必要で、それを察した直実は自らの息子小次郎を「一指」として切ったのだ。
だから首桶が開いていちばん吃驚するのは相模なのである。他人事と眺めていた首実検なのに、そこにあるのは息子の小次郎。まさに心臓が飛び出るほどの驚きだろう。その一方で、敦盛は死んだものと諦めていた藤の局にとっては、ほとんど死に体だった勝負をうっちゃったような展開。似てはいるが敦盛ではないその首を見て、どこかで生きている敦盛に思いを馳せたであろう。
この四人。小次郎の首だと知っていたのは指図した義経と指図された直実。知らなかったのが驚愕の相模とひと安心の藤の局。各人各様の思いが交錯してスパークを放つのが、いわゆる「制札の見得」だ。通しで見てはじめてわかった。これほどまでに登場人物ひとりひとりの感情が複雑にぶつかり合う舞台だったのか。
歌舞伎で制札の見得をきる幸四郎を見たときは、ただぼんやりと眺めていただけだった。「ああ、これが有名なあれね」という程度。しかし文楽の通し狂言で見る制札の見得は違った。舞台に見えるものと見えないもの。首を見るまでと見たあと。首と自らの関わり。首を見る者たちの間にある黙契あるいは黙殺。これら幾重にも重ねられた感情の地層が一気に表出して立ち上がる。いくつもの感情がその一瞬に封じ込まれて、制札の見得の中に凝縮されている。

それにしても後白河院の落胤という運命は、特別であると同時に過酷でもある。敦盛とて、自らの身代わりに同い年の小次郎が実の父に首を落とされることを安穏とは受け容れられまい。だとしても、その運命の前では敦盛本人の意思など微塵も意味を持たない。「弥陀六内の段」では、小次郎を偲ぶ敦盛には、幽霊となって石塔を建立させることしか出来ないのだ。
また、「敦盛出陣の段」。平経盛の養女の玉織姫は敦盛の許嫁であったのに、実の父である平時忠は平山武者所に嫁がせようとする。その使者として大館玄蕃が姫を連れ出そうとするが、玉織姫に迷いはない。その場で玄蕃の脇差から刀を抜き取り、玄蕃を刺し殺してしまうのだ。女の一念は強い。そして歌舞伎や文楽にはしおらしいお姫様も出てくる一方で、炎のように執念を燃やす女たちがたくさん登場する。実の父親の意向をものともせず、たちまちのうちに玄蕃を殺す玉織姫。その決断力と行動力には怖ろしいものがある。
敦盛と結ばれたいという玉織姫の思いの深さに、経盛はその場で敦盛と姫の祝言をとり行う。しかし、それはその場限り。「実は敦盛は…」と敦盛の出自を開陳し、玉織姫に「あきらめろ」と説くのである。熱情に身を任せて殺人まで犯した玉織姫なのに、後白河院の落胤という敦盛の運命までははね返せない。十六歳の青年にしか過ぎない敦盛が背負っているさだめは、登場人物全員を覆い尽くす。『一谷嫩軍記』は、敦盛の運命に巻き込まれた人びとを描く悲劇なのであった。

今回はストーリーに興味が行き過ぎて、太夫や人形遣いにしっかりと目をやることが出来なかった。そんな中では「脇ヶ浜宝引の段」を語る咲太夫の熟練が光っていた。重苦しい悲劇に唯一呑気なひと息をつけるチャリ場。赤金襴の装いを繰り返すところでは「広島カープの赤かいな」という時事アドリブも飛び出して観客を沸かせる。
そして、やっぱり人形遣いの技が際立つのは「熊谷陣屋」。制札の見得でいくつもの動作が同時に、正確に、意図を持ってなされるのは、三人遣いの賜物だろう。歌舞伎とは違う文楽ならではの多重演技。直実を桐竹勘十郎、妻相模を豊松清十郎、藤の局を吉田勘彌が遣る。いつもは眠たいだけの時代物が、こんなにも面白く見られるのだということに、今更ながら気づいたのであった。(き)

国立.JPG

(※)国立劇場は、1966年11月、東京都千代田区隼町に開場した日本初のナショナルシアター。校倉造りの外観が特徴的な建物は竹中工務店が設計・施工した。



posted by 冬の夢 at 23:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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