2016年07月05日

だから選挙には行こう:本当は恐ろしい、自民党が考えている憲法草案

 もうすでに今週末の7月10日に参院選の選挙が控えている。
どういうわけか、自民党と安倍政権は憲法改正の問題を選挙の争点にすることを巧みに避けているが、今度の選挙の結果次第では、「世界に誇るべき(私見)」日本国憲法がこの世から姿を消すことになるだろう。つまり、憲法が殺されるわけだ。それがあまりに怖いので、慌てて拙文を書いている次第。

 憲法改正に寄せる自民党の本気度は生半可ではない。2012年に憲法草案を発表し、それを党のホームページにPDFで載せ、さらにはご丁寧にかなりの分量のQ&Aも載せている。ここまで準備を進めておきながら、選挙前になるとトーンダウンするのは、「選挙に勝つためなら土下座でも何でもする」ように、憲法改正を前面に打ち出すことが選挙上は得策ではないと判断してのことだろう。だが、選挙に勝てば、現在押し進められている原発再稼働と同じく、「待ってました!」とばかりに憲法改正に邁進、いや爆走することだろう。恐ろしい話だ。

 憲法改正というと第9条ばかりが取り沙汰される。確かに第9条の不戦の誓いは大事だ。そして、交戦権を否定する一方で巨大な自衛隊という軍隊を持っているという矛盾を無視し続けるわけにもいくまい。しかし、自民党の憲法草案の本当の恐ろしさは、「日本を戦争のできる国」に作りかえることにあるというわけではない。極論を言えば、もうすでに、現行憲法の下でも、日本は「戦争のできる国」になってしまっているのだから。先の平和安全法制整備法(通称)と国際平和支援法(通称)が制定され、集団自衛権が確立したときから、日本は「戦争のできる国」になってしまったわけだ。いささか不謹慎な例を出せば、バングラデシュでのテロ事件がさらに拡大し、アメリカ大使館や日本大使館が攻撃され、さらには政権がテロリストたちによって転覆されるような事態になれば、またぞろアメリカが軍事行動に出るかもしれない。そうなれば、今度は日本もその軍事作戦に参加するだろう。そして、テロリスト政権側の反撃が予想以上に強大であれば、それはすでに紛争ではなく、戦争ということだろう……
 
 いや、起こりもしていない事態を悪夢のように思い描くのは止そう。問題は、自民党の憲法草案の真の恐ろしさなのだから。

 何がそんなに恐ろしいのかというと、要は、その基本的人権否定思想だ。露骨に国家主義的といってもいい。例えば、草案の第12条、第13条を見てみよう:

第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

第13条(人としての尊重等)
 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
 

生命・自由・幸福追求の権利が基本的人権の要諦だ。そして、自民党の憲法草案は、その基本的人権に制限を設けようとしている。比較として、現行の日本国憲法の該当箇所を見てみよう:

第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

第13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 一番分かりやすい対照は、第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」というのが「全て国民は、人として尊重される」と変更されている点だろう。正に「神は細部に宿る」のであり、こういうところに、自民党の「個人主義憎し」という思いが鮮明に浮かび上がる。さらに、わざわざ憲法に(国民の責務)という文句を挿入するところが、さり気なく凄い! うっかりしていると読み飛ばしそうになるが、「国民は、これ[基本的人権]を濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」というのは、現行憲法とは真逆の方向に向かっている。言葉だけ見ていると、似た表現が多いので、「別に大差ないではないか」と思われるかもしれないが、騙されてはいけない。現行憲法はフランス人権宣言やアメリカ独立宣言の直系の孫みたいなものだから、「自由・平等・同胞愛」というのがお定まりの3点セットになっている。したがって、日本国憲法第12条の「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」というのは、ある意味では宮沢賢治が言いそうな、「みんなの幸せのために、君の自由を使うべきだ。君の努力にみんなの幸せが委ねられている」という意味になる(ちなみに、「福祉」という日本語は「幸福」という意味のはず)。あくまでも個人の(同胞愛に基づいた)自発的意志が肝心なのだ。ところが、自民党草案の方は「公益及び公の秩序に反してはならない」という、絶対的命令が付されている。こんな憲法が成立したら、反原発運動は取り締まりの対象になり、反戦運動も不可能になるだろう。当然、言論の自由も制限される。

 高校の世界史や公民で誰もが習うことだと思うが、近代憲法の目的は、王権に代表される政治権力・国家権力を制限することにあり、国民の義務の制定は個々の法律が担っている。税法や教育基本法などを考えればいい。ところが、自民党の憲法草案ではあちらこちらに「国民の義務」というものが登場する。さすがに立法府と行政府の区別もつかない人間が党首をしているだけのことはある。「国民の義務」が最もバカバカしい形で表現されている箇所を確認してみよう:

第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

比較として、やはり現行の対照箇所を引いてみると:

第99条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

繰り返すまでもないが、憲法は国家権力を制限するためのもので、いわば国民が国家権力に対して持っている唯一の武器だ。それは尊重するも何も、唯一の拠り所だ。ところが、その唯一の武器を骨抜き、なまくらにしておいて、それから「さあ、これを遵守しろ!」というのだから、盗人猛々しいとはこのことだ。

 他にも批判すべき点はてんこ盛りだ。いや、あまりに出来が悪くて、正直なところ、まともに論評する気にもならないほどだ。しかし、こうして小馬鹿にしている内に、外堀も内堀もすっかり埋め立てられ、気がついたときには、国民を守る唯一の武器であった憲法がすっかり書き変えられている、なんてことになりかねない。そんなことがあれば、それは即ち一種のクーデタだが、今の日本ではそんな不条理があっさりと起こりかねない。これが怖くないなんてことがあるはずないのに……(H.H.)
posted by 冬の夢 at 02:21 | Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
選挙には油性ペンを持っていきましょう

前回の衆院選では、白票が多かった。
今まで気にしなかったが、こんな記事を見つけた。
投票用紙はBPコート紙。帯電状態をプラスにすると鉛筆の記載が剥離するが、油性ペンで書くと剥離しない。選管は鉛筆を勧めるが、総務省に確認済みで、無効票になることはない。今回マイ油性ペンで投票に望みます
Posted by こういち at 2016年07月06日 00:35
油性ペンで書いたら反・自民党の票だけが2倍にカウントされるという、魔法のようなことは起きませんかね……ほんとに、気分はもう「神頼みしかないか!」って感じです。ナチスがワイマール憲法を葬った悪夢が頭から離れない……
Posted by H.H. at 2016年07月08日 23:37
油性ペンで書いても反自民の票が2倍にカウントされる奇跡は起こらなかった……でも、投票所には鉛筆ではなくてボールペンが置かれていた。やはりコメントにあるように鉛筆では不都合があるのでしょうね。
それにしても、覚悟はしていたとはいえ、イヤな結果だな……あの軽薄なお調子者のウソつきが勢いづくと思うと、それだけで気分が悪い。
Posted by H.H. at 2016年07月11日 04:28
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