2015年07月10日

ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番『テンペスト』を聴く

 先に同人の一人が書いた吉田秋生のマンガに関する文章に触発され、『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』を早速手にした。細かい感想・書評はさておき、90年代に描かれた『ラヴァーズ・キス』には確かに当時の匂い(バブルの夢は消えたのに、それでもまだその余韻が長く後を引いていた)が濃厚に映されていて、「そういえば当時の映画もTVドラマもこんな感じだったな……」と、それだけで懐かしい想いに駆られた。時代の雰囲気をかなりの程度留めているのだとしたら、それだけでも「良くできた作品」と言えるのかもしれない。
 
 でも、今日ここで書きたいことは、作中で登場する『テンペスト』のこと。ピアノが上手なヒロイン(といっても、特にプロのピアニストを目指しているという設定ではなく、単に「ピアノがかなり上手な女子高校生」という設定)が「これが自分が弾く最後の曲」と心に決めて学校の音楽室で弾く曲が、ベートーヴェンの中期の傑作と目されているこの曲だ。そして、その場に偶然居合わせた女子生徒が、その子自身はクラシック音楽にもピアノにも無縁だったにもかかわらず、その音楽の美しさに魅了され、それをきっかけにその二人の女子生徒は、お互いに誰から見ても性格も趣味も違っていそうなのに、無二の親友になる。(あるいは、それ以上の関係になるというべきか。)

 このエピソードは、これだけ書いていると何だかどこにでもありそうな陳腐なエピソードのように感じられるが、マンガの中ではこの曲が三度言及され(一度目は上記の通り高校の音楽室で、二度目は女子生徒の自宅で、最後は友人の方がCDを聴いているという形で)、それぞれとても上手に、優雅に使われている。

 そこで、少し考えてみた:
1)数あるピアノ曲の中からなぜ『テンペスト』が選ばれたのか?
2)音楽室で二人が居合わせたとき、主人公が弾いていたのはどの楽章だったのか?

 主人公は美人で有名だが、実は心に相当の闇を抱え込んでいる。それを紛らわすために一丁前に夜遊びなんぞも軽々とこなしてしまい、それゆえにそれなりの「評判」が立っているにもかかわらず、自称「親からの信頼は篤い」という、この辺はちょっと設定に無理があると感じられるのだが、ともかくそのような屈折を抱え込んだ女子生徒がなぜ『テンペスト』を「最後に弾く曲」と決めたのか? あるいは、そうすることで作者は何をプラスアルファ的に表現したいと思ったのだろうか。

 ベートーヴェンに限っても『悲愴』『月光』『熱情』といった、いわゆる「三大ピアノ曲」があるし、一般受けしそうなものとしてはショパンだってもっと適任だったかもしれない。もちろん、名を挙げた途端、『悲愴』『月光』『熱情』では陳腐すぎるということはすぐに理解できる。しかし同時に、やはり通称が必要だったということも理解できる。「この曲、ピアノソナタ28番、イ長調、作品101番、お姉ちゃんの一番好きな曲」みたいな会話は、どうしても冗漫になるかペダンチックになってしまう。通称のある曲を探すとなると、ハイドンやモーツァルトはこの際論外として(ロマン派の音楽でなければならないから)、シューベルトには『レリーク』くらいしかなく、これはとても美しい曲だけれど、知名度が低すぎる。ショパンにはいくつも候補作はあるが、いずれも小品なので、友だちが「聴き惚れる」には演奏時間が幾分短すぎるだろう。それに『子犬のワルツ』ではさすがに語感が軽すぎて困る。それでも、ショパンの「ピアノソナタ第3番」ならば対抗馬として大いに可能性があったと思うが、「第2番」に『葬送』という名前がつけられているので、それとの混同、連想を避けたかったとしたら、これも賢明な判断だったと言えるだろう。

 シューマンもブラームスも今一つ。となると、やはりベートーヴェンに戻って来て、通称を当たると『テレーゼ』とか『告別』とか『ワルトシュタイン』、そして最大かつ最高傑作とも言われている『ハンマークラヴィア』等々があるが、『テレーゼ』はやはり知名度が低く、『告別』はあまりに文学的名称に過ぎ、『ハンマークラヴィア』は様々な意味で高校生には難し過ぎる。つまり、それまでピアノ音楽に馴染みがなかった生徒が「その美しさに聴き惚れた」となるには、という意味でも。

 こう考えていくと、唯一有り得た対抗馬は『ワルトシュタイン』だったかもしれない。個人的には、もしも「心にそれなりの闇や屈折を秘めた、美しい女子生徒」が『ワルトシュタイン』(第21番)の第3楽章を巧みに弾いていたなら、それを自分の弾く最後の曲と思い定めたとしてもさほど不思議ではないし、その演奏に聴き惚れる女子生徒がいたとしても全く不思議ではないと思う。『ワルトシュタイン』にはそれだけの力強さがあるから。

 しかし、ネーミングの利を考えれば、やはり『テンペスト』に分があると考えるのが筋というものだろう。先ず、tempest=嵐という意味が効いている。そして、知名度も十分で、この曲なら読者の中に「わたしもこの曲が好き!」という人が少なからずいるに違いない。というわけで、残念ながら、「なぜ『テンペスト』だったのか?」という問いに対するとりあえずの答えはさほど面白い解答にはつながらなかった。

 続いて「主人公はどの楽章を弾いていたのか?」を考えてみよう。

 この曲を聴いて(つまり、特にピアノが弾けるわけでもなく、スコアが読めるわけでもない、ただ音楽を聴くのが好きというレベルの人間として)最初に理解できる特徴は、全体の構成としては、いかにもベートーヴェンらしく憧れに満ちた雰囲気を持つ緩徐楽章を激しくかつ性急なニ短調の楽章が挟み込んでいるのだが、その全体が、有名な第5交響曲(『運命』)と同様に、短い特徴的な動機で統一されているということだ。そして、その全体を統一している共通の動機は、リズムだけに注目すれば、やはり第5交響曲の有名な動機(ダ・ダ・ダ・ダーン:♪♪♪♩)にも似ている。面白いことに、このリズムが性急な第1楽章や第3楽章で用いられると、それはひたすらに推進力を生み出し、少なくともぼくには絶えることなく打ち寄せる波を思い起こさせる。これは鎌倉の海岸を舞台としたマンガの小道具としては悪くない。

 しかし、第1楽章の構造を知ろうとすると、これがなかなか素人の耳には難しい。どうやらベートーヴェンはこの曲ではかなり複雑というか、かなり野心的というか、ハイドンやモーツァルトとは全く違う第1主題を作ったようで、一度や二度聴いただけでは第一主題もはっきりと認識できず、当然第2主題も聴き取れない。そこでいつものごとく、同じ曲を延々と繰り返して聴く羽目になる。嫌いなことをするわけではなく、また、自分でもこの曲の構造を見て取りたいという欲求が強いので、20回、30回と繰り返して聴いてもさほど苦行とは感じないが、それでもふと冷静になると、我ながら自分に対してちょっとした狂気を感じないではない。

 しかし、その甲斐あって、ようやく楽曲の大凡の構造と特徴が自分なりにわかったと確信するくらいにはなった。(が、何分にも素人の悲しさ、以下の分析は大きく間違っている可能性も大かな……眉唾ものと思って読んで下さい。)最初戸惑ったのは、第1主題が2種類の動機の組み合わせに過ぎないと言えるほど素っ気なく、分量的にもかなり短いのに対して、第2主題が比較すれば異様に長いという構成上の特徴に原因があったようだ。しかし、それがわかれば、ごく普通のソナタ形式の曲になっている。その上でかなり興味深い特徴として、いわゆる再現部の始まるところに、レシタティーボ風の、つまり朗詠風の、つまり詠嘆・語り的なフレーズが挿入されていることに注目して、第2楽章に進もう。

 第2楽章は、上述のように、打って変わって優しく、特に第2主題はこの曲の中で唯一歌心に溢れ、聴く人によれば例えば『悲愴』の第2楽章を想起するかもしれない。が、いっそう印象的なのは、全体を通して現れる「♪♪♪♩」のリズムを持つ要素が第1主題を通して左手で執拗に繰り返される点にあるのかもしれない。というのは、この左手で奏でられる動機がぼくには「呼びかけ」のように感じられ、右手がそれに何とか応えようとしているように聞こえてならない。そして、歌うように奏でられる美しい主題は、この「呼びかけ」と「応答」がきちんと成就した結果のように思われるという次第。とすると、先に尻切れトンボのように放置しておいた、第1楽章再現部のレシタティーボはやはり一種の祈り、訴え(のようなもの)の表れだったのではないかと、それこそ回顧的に感じられてくる。

 最後の楽章はボンヤリと聴いていると同じ動機が延々と繰り返されているようにしか聞こえず、いったん波の連想が働くと、もはや海の描写以外の何物でもないと思えてきて、これには自分でも苦笑する。ともかく、第5交響曲的くどさがあるともいえる。しかし、それだけに構成的には最も単純でしかも高度という、つまりはその意味で最も美しいといえる楽章なのかもしれない。一度聴いて一番耳に残るのは間違いなくこの楽章だろう。

 以上のように素人耳で概観した結果、ごく常識的な想像力を働かすと、ピアノの上手な女子高校生が学校の音楽室で『テンペスト』を弾き、そして音楽には素人のもう一人の高校生がその演奏に思わず心が奪われたというのなら、おそらくそれは最後の楽章を演奏していたと考えるのが妥当だろう。「あー、なんてピアノが上手なの!」

 けれど、『ラヴァーズ・キス』の中で『テンペスト』はもう一度、今度はヒロインの自宅で演奏される。そのとき、演奏するヒロインの肩に友人の手が優しげに(儚げに?)置かれるような気がしたと、後日ヒロインの妹が回想するのだが、そのときに演奏されていたのは第2楽章であったに違いない。やや興醒めな理屈もつけるなら、速いパッセージを必死になって演奏している人の肩を触ることは、誰であっても躊躇われるだろうから。だが、何よりも、呼びかけと応答が何度も繰り返され、それが夢のように成就した美しいカンタービレを持つ楽章こそ、その問題の場面には相応しいと思われてならない。

 とすると、ここは常識的想像力には遠慮してもらうことにしよう! やはり学校の音楽室でもヒロインは第2楽章を、音楽に興味がない人間の耳には退屈にしか聞こえない緩徐楽章を演奏していたと考えてはどうだろうか。自分が最後に弾く楽曲として……そして、その友人もその憧れに満ちた「呼びかけ」を偶然耳にして、ふと立ち止まり、そしてその孤独な呼びかけに応えるように、見知らぬ人の演奏に心を傾けたのではなかったか……

 同人の一人が一時代昔のマンガを紹介してくれたおかげで、『テンペスト』を聴きまくり(例によって10余人の演奏者で聴き比べもしてみた)以上のような妄想を存分に楽しむことができた。この場を借りて一言感謝したい。(H.H.)
posted by 冬の夢 at 03:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 なるほど、と思って読みながら、ベートーヴェン・五番の譜面、出だしを見るともなく見ていたら、おお! 「だだだ、だ〜ん」の「だ〜ん」をどう鳴らして「運命」にするか、ってことで、名演凡演、限りなく演奏されてきたと思い込んできた(そんなに深くは考えていなかった)のですが、知らなかったことにこの曲、弱起(アウフタクト)! つまり譜面では有名なメロディは「(ん)だだだ、だ〜ん」。ポップにはよくあるけど「一瞬、のんで、歌メロをどんと出す」(たとえばキャロルの「ファンキーモンキーベイビー」も弱起)ってやつ。ベートヴェンの時代も同じかどうかは知りませんが、重要なのは「(ん)」の解釈じゃないかっ、て。どうでもいい話ですけど。
Posted by (ケ) at 2015年07月10日 15:42
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