2015年06月19日

『海街diary』 〜 吉田秋生のマンガと是枝裕和監督の映画

カンヌ映画祭に正式出品された『海街diary』の、海・街とは鎌倉のことであるらしい。では久しぶりに映画館に行ってみるかと言うと、原作マンガを読んだほうがいいと勧められた。しかも、まず別のマンガを読むべしと。
皆目見当が付かないまま、手に取ったのが『ラヴァーズ・キス』。吉田秋生が二十年も前に書いたマンガで、確かに素晴らしく完成された傑作だった。
高校三年生の里伽子は、嫌いなタイプだった素行不良の朋章に次第に惹かれていく。真剣な恋をするようになる二人だが、朋章は高校を中退して小笠原の島へ旅立つ。
これが基本プロットで、同じ話をあと二回繰り返すマンガだ。繰り返すと言っても視点は別のところから。後輩男子生徒二人からと里伽子の妹と親友からのふたつの視点。すると、同じ話がまったく違った物語になり、同時に登場人物たちが多面的に彫り込まれて見えてくる。朋章と里伽子が別れる駅のシーンは、鷺沢と緒方が見送るシーンでもあり、完成されたと言ったのは、『藪の中』を思わせるようなマンガ作りのスタイルのこと。
舞台は、北鎌倉高校。朋章のアルバイト先は稲村ヶ崎にあるサーフショップ。──『ラヴァーズ・キス』は鎌倉を舞台にしたマンガなのであった。

それから十年ほどの時間をおいて『海街diary』の連載が始まった。不定期に書かれていて、まだ連載は続いている。その冒頭から出てくるのが、なんと朋章。サーフショップでバイトし、やがて小笠原に行ってしまう。朋章だけではない。里伽子の親友の弟。その実家である尾崎酒店。緒方の弟と母親。朋章のおば。そして、舞台は同じく、鎌倉の海と街。
『ラヴァーズ・キス』は、同じマンガの中のプロットの繰り返し。『海街diary』は、『ラヴァーズ・キス』の基本設計を別のマンガにした変奏曲。鎌倉を舞台に同じ時間軸で地元の人たちが錯綜して登場する、また別の作品。
吉田秋生おそるべし、である。

海街1.jpg

『海街diary』でとりわけ秀逸なのは、一番最初のエピソード「蝉時雨のやむ頃」。
鎌倉に住む幸、佳乃、千佳の三姉妹のもとに父の訃報が届く。昔、不倫した女と出て行って以来会ったことのない父は山形で死んだという。その葬式で出会ったのが腹違いの妹になる中学一年のすず。四人は鎌倉の古い二階屋で一緒に暮らし始める──。
詳しく説明し始めると複雑過ぎて、かえって分かりにくくなるような人間関係が、物語の中で徐々に明確になってくる。いずれにせよ、父が死んでたった独り取り残されてしまったのが、すず。そして、葬式で涙も見せずに弔問客の応対をするすずが、周りに大人たちがいるにも関わらず、独りで父の最期の世話をしたのだった。
看護師(※1)をしている長女の幸は、誰に何を言われることもなく、その真実を見抜く。鎌倉に似た景色を見下ろす丘を案内された幸が、すずに父の看病を労って礼を言う。そのとき、すずは、堪えていた感情を爆発させるように号泣する。
そして、駅で列車に乗り込むとき、見送りに来たすずに向かって突然、幸が言う。
「すずちゃん、あたしたちといっしょに暮らさない?」
驚く佳乃と千佳に目もくれず、ちょっと考えてみてと告げる幸の前で、列車のドアが閉まる。その閉まり間際に、すずが叫ぶのだ。
「行きます!」
その躊躇のなさに気おされながら、ドアのガラス越しに急いで書いたメモを掲げる三人。
「待ってるからね!」
これだけで、珠玉の短編小説のような出来栄えである。

正直なところ、『ラヴァーズ・キス』の吉田秋生の絵は好きになれない。単純に言えば、線が尖りすぎている。女の子はかわいくないし、男たちには共感できない。それから十年以上経って、タッチが変化したのか、あえて丸くして描いたのかは知らないが、『海街diary』は、どの人物にも愛着がわくように感じられる。その中心にいるのがすずだ。中学一年の設定がそうさせるのだろうし、吉田秋生の描き方に余裕と遊びがある。
そんな違いに注視するうちに、吉田秋生のマンガ技法のようなものが見えてきた。

まずはコマ割による語り口。前述した列車の場面。すずの「行きます!」をきっかけにして時間の流れがストップする。瞬間、無音になる駅のホーム。そして、止まりかけた映写機が、カタコトと回転を取り戻すようにして、コマが動き出す。あたふたとペンと紙を取り出す姉妹が一コマずつ映し出され、「待ってるからね」のメモで時間が戻る。列車が鳴らす警笛と車輪の音が全開に聞こえるようだ。
また、セリフの吹き出しに入らない独白コメントも特徴のひとつ。エピソードごとに挿入されるすずのナレーション調は当たり前にしても、登場人物の本音を語る独白が面白い。いつもしっかり者でいなければならない長女の幸は、特に独白でしか内面を見せない。読者だけが、幸の本音と建て前をダイレクトに受けることができる書き方だ。
独白のほかにもチャット的表現が散りばめられているのも楽しい。吹き出しのセリフの横の手書き文字とか、作者から見た各人物の寸評とか。「愛の狩人」たる佳乃と、かたや「愛の旅人」の幸。その対照的な姉妹が、少しづつ理解し合うプロセスも、挿入コメントが重要な役割を果たしているから伝わってくる。
そう考えると、今更ながらにマンガの持つ表現の多様性、自在性に感心してしまうのである。
例えば、吹き出しの中に、誰かの顔を入れてしゃべらせるだけで、過去を再現しつつ伝聞している状況をひと目で表すことが出来る。小説には視覚的同時性がなく、映画は基本的に時間の支配下にある。物語を語るうえで、そうした約束事から全的に解き放たれているのはマンガだけだ。あらためてマンガとはきわめて自由な表現手法なのだと、吉田秋生の作風が教えてくれたようである。

マンガを読んで、すぐに映画『海街diary』を見た。映画は映画なんだから、という意見も当然ありだと思う。けれど、原作の印象に染まったままに映画を見た者の率直な感想は、ただただ「なんで?」のひと言に尽きる。
マンガではあんなにいいシーンなのに、なんでそんなやり方するの?そんなフラストレーションがたまる一方の映画だった。
たぶん、まず、脚本がよろしくないのだろう。マンガのニュアンスが伝わらないように、大幅に改悪されてしまっている。
千佳の勤めるスポーツ用品店店長の浜田。すずの引越しのあと、姉妹たちと蕎麦をすすりながら、趣味は山登りだと話し出し、エベレストに挑戦して失敗、足の指を計六本なくしたのだと開陳する。幸に対して「見てみます?」と。
マンガには、映画で取り上げられないエピソードがいくつもある。鎌倉のサッカークラブのホープ裕也が悪性腫瘍で足を切断する話もそのひとつ。義足をつけた裕也は、周りからかわいそうがられるのが嫌で姿をくらます。彼はスポーツ用品店の試着室に隠れていたのだ。それを見つけた浜田が言う。「君だって目の見えない人の気持ちはわからないだろ?ぼくも両足の指それぞれ三本ずつなくしたから」と。裕也は、その言葉で、他人から何を言われようと最終的には自分で引き受けるしかないことに気づく。側で聞いていた千佳さえ、足の指をなくしたときの話は初めて聞いたと言う。
マンガでは、浜田のプロ登山家としてのキャリアがわかる重要なシーンだ(※2)。死にかけて凍傷を負った浜田の話だからこそ、裕也が学校に戻る決意をする納得感がある。それを、よりによって、そばを食べながら問わず語りにしゃべりださせる、その脚色はなんでなのか、と問い詰めたくなる。
これはほんの一例。このほかにも、風吹ジュンが演ずる二ノ宮さんがすずのことを「あなたは宝物なんだよ」と言う場面もひどい。
同じく削られた金沢のエピソード。亡くなったすずの実の母親が実家から何ひとつ受け取ろうとしなかったのは「すずという宝物を授かっただけで私は十分」と言っていたのだと教えられる。不倫した母親の娘という立場がいろんな人を傷つけていることから、自分に自信が持てないでいるすずが、初めて自己の存在を価値として認めてもらった気になる場面。そのキーになる大切なセリフを赤の他人のおばさんに言わせてどうする?すずが「そんなことありません」としか返せないのも当然だろう。
そんなわけで、是枝の脚本は、ほとんどダメである。

脚本だけではなく、そもそも映画の作り方自体が間違っている。是枝監督の映画を見たことはないし、TVドラマの「ゴーイングホーム」をつまみ見た程度だ。それでも、この監督が自然な演技を重要視する人であるという話は知っている。そのドラマでは、TVにしては役者に妙にボソボソと話をさせていた。
必然的に是枝監督の映画作法とは、役者にどうしゃべらせるのかという方法論とイコールになる。事前に台詞を覚えさせず、その場の状況や雰囲気を重視して、感じたままを自然に話す。それは、それでいい。
でも、それでは吉田秋生の原作の魅力が生きないのだという基本認識がされていない。『ラヴァーズ・キス』や『海街diary』の登場人物たちは、思ったままのことなんか、ほとんど話さない。話してはいけないことは口にはしないし、大切なことはなかなか人には言えない。話した途端に本当に伝わったかどうか不安になるような感じやすい人たちばかりが出てくるマンガだ。だから、吉田秋生は独白のコメントを効果的に使うのだ。あくまで台詞の言い回しやしゃべり方にこだわる是枝監督の映画作法は、その対局にある。それでは、吉田秋生の原作がいきるわけがない。
マンガで白眉のシーンであったすずの「行きます!」。映画では、「来たらどう?」「はい、行きます」「じゃあ、待ってるから、またね」「バイバ〜イ」である。んなカンタンなコトじゃないだろが??
まったくもってして、是枝を監督にしたこと自体がミスキャストである。

とは言っても、取り柄がないばかりの映画だったわけではない。風太が自転車の後ろにすずを乗せて、桜のトンネルの下を突っ走るシーン。すずのアップを斜め上から撮った移動ショットには、マンガでは描き切れないすずの幸福感が捉えられていた。額に桜の花びらがはりつき、やがて飛んでいく。たぶん意図しない偶然も、映画ならではの抜群の効果がある。
また、普段は単なるバカにしか見えない長澤まさみが、かなりいい演技をするのには驚いた。そんな出演者の中でも、大叔母を演じる樹木希林の群を抜いた存在感は、現在の日本映画の宝だと言えるだろう。

そして、なにより、広瀬すず。瑞々しさがいつまで保つか、あるいはどんな女優になるか注目だ。その広瀬すずを起用したのが是枝裕和であるとするならば。やるではないか、是枝監督。それだけで、まあいいか、と許せてしまえるほど、広瀬すずに魅了される『海街diary』であった。(き)

海街2.jpg


(※1)幸は「鎌倉市民病院」に勤務する看護師という設定。市民病院・市立病院は、鎌倉市には実在しない。
地域医療が不十分な市の代わりに機能しているのが湘南鎌倉総合病院。公職選挙法違反などで賛否両論ある徳洲会の徳田虎雄が最上階に入院しているという病院は、いかなる救急患者も受け入れることで地元住民からは高く評価されている。
(※2)第4巻「ヒマラヤの鶴」より



posted by 冬の夢 at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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