2015年04月10日

世田谷美術館「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」とオキシジェンデストロイヤー

世田谷美術館は、企業コラボレーション企画展に意欲的に取り組んでいる美術館だ。本格的な美術展だと高名な作家の絵画を所蔵品の多い他の美術館から借り出さなければならず、運送費を含めたコストが膨らむばかり。企業コラボものなら、企業側は資料を貸し出すだけで文化的なPRになるので協力は惜しまない。広報室や資料編纂室が率先して秘蔵の品を披露してくれるし、大企業と組めば、自社の展覧会だということで社員や取引先の組織動員で入場客数増も見込める。
従来の美術館では考えられなかったそんな企画を世田谷美術館は、島屋・資生堂と組んで成功させてきた。そして今回のコラボレーション相手は映画会社の東宝。映画をテーマとした企画展なら会社関係者のみならず映画ファンの動員も期待できる。おまけに東宝スタジオは世田谷区砧にあり、世田谷つながりでまさにうってつけ。興行的に成功間違いなしの「東宝スタジオ展」(※)は、多くのシニア夫妻と怪しげな中年男性の独り者(外国人含む)で平日にも関わらず賑わっていた。

美術館ロビーに入ると真っ先に目に飛び込んでくるのがゴジラの大ジオラマ。全長3mほどの巨大ゴジラが口を開けて中央に立ち、周りを廃墟となったビル群が囲む。後方には撮影用クレーンと照明器具が配置され、怪獣映画の撮影現場を模した演出が施されている。ここまで来て展覧会を見ない人はいないのだろうが、正確に言えばこのジオラマの鑑賞はタダ。切符売場で入場券を買う際に撮影して良いか尋ねると「ジオラマと壁面のポスターは自由にお撮りいただけます」と快く答えてくれた。

東宝ゴジラ.JPG

この巨大ジオラマをフリーな状態で見られるのだから、中の展示はさぞかしすごいのでは、と期待しつつ入場すると、まず初めにあるのが『ゴジラ』と『七人の侍』の展覧コーナー。製作から五十年以上経った今でも、この二本の映画は東宝株式会社を代表する作品なのである。
そして、その最初に展示されているのが、なんと「オキシジェンデストロイヤー」。『ゴジラ』で平田昭彦演じる芹沢博士が、自ら開発した悪魔の封印を解き、ゴジラを葬り去るために最初で最後の使用に踏み切るあの生物破壊兵器である。「複製」という表示がなかったので、たぶん本当に撮影で使われた小道具なのだろう。あの『ゴジラ』の画面に映っていたオキシジェンデストロイヤーがケースに収められて、今、目の前に展示されている!圧力計の表示は色褪せているが、銀色の金属本体とガラスで構成された長さ50cm、直径15cmほどの円筒形は底知れぬ存在感を放っている。レジェンドとも言える兵器を見ると「これを抱いて芹沢博士はゴジラが潜む深海に降りて行ったのか」という思いに囚われ、不意にひとりでニヤニヤと笑い出してしまった。心の底から嬉しくなると自然と相好が崩れるのだ。

オキシジェンデストロイヤーに比べると『七人の侍』関連の展示は今ひとつインパクトに欠ける。侍の衣裳デザイン画や村の配置図などはいくつかの文献で取り上げられていたこともあるので、特段目新しさはない。
けれども、必見というべき手紙がふたつ展示されていた。
ひとつは早坂文雄が黒澤明に宛てた手紙。早坂は黒澤の出世作とも言える『酔いどれ天使』から黒澤映画の音楽を担当した作曲家。昭和三十年に早坂が早逝したときに黒澤が一週間泣き通したというほどの盟友である。『七人の侍』は死の前の年の仕事。手紙は早坂の健康を気遣う黒澤の便りへの返信として書かれている。要約すると「仕事が第一なので、俺の体調など気にしてくれるな」ということを必死に伝える内容だ。結核に冒されていた早坂は、良くなったり悪くなったりするのが「常態」なのだと言い、だから病気のせいで仕事を手加減したり圧力を弱くしたりするのは無用である、と主張する。「仕事で死ぬのなら、それが男の心意気」と書く言葉は浪花節調でありながら、手紙からは決して軽くはない、死を賭した者だけに語ることが許される気高さが感じられる。黒澤と早坂の友情には、身を切るような厳しさがあったのだと訴えてくるような手紙である。
もうひとつの書状は、こんどは黒澤が、三船敏郎の葬儀のために書いた弔辞。三船の死は平成九年。そのとき黒澤は足が悪くなり外出もままならず、三船の葬儀に出られなかった。そこで黒澤は巻紙に薄墨で三船をおくる弔辞をしたためたのだ。巻紙はあらかじめ折り目をつけられていたようで、書き始めのうちは、折の山を罫に見立てるように、一行ずつ毛筆で字が記されている。ところが書くうちに黒澤の脳裏に三船とのいろんな場面が浮かび上がったのだろう。巻紙の最後までに収まりきらないと思ったのか、途中から一折の幅に二行になり、はたまた三行になる。溢れる思いが巻紙からこぼれ落ちてくるような書き方だ。そして、「三船君のスピーディな演技にド肝を抜かれた」ことを思い出して「驚くほどの神経」と書いたところに、わざわざ修正をして「驚くほど繊細な神経」と書き足している。黒澤が三船の俳優としての魅力を単なる豪胆さだけでないと見抜いていた証左を見せつけられたような、黒澤の深い思いが浮き出てくる弔辞である。
この書状を「さようなら、三船君。また会おう」と締めくくった十ヶ月後、三船の後を追うようにして黒澤明は八十八歳の生涯を閉じたのだった。

昭和二十九年に製作されたこの二本の映画が展覧会の主役であって、残りの展示は、P.C.L.から始まって1950年代に黄金期を迎える東宝の社歴のようなもの。どれも小振りな資料ばかりで、使用されていた現場用シナリオ本や監督の絵コンテ、美術さんのデザイン画、作曲家たちの譜面、スタッフが書いた撮影スケジュール表などが並ぶばかり。言ってみれば業界的な興味はそそっても一般人にはさして重要とは思えないようなものなのであった。
その中でも、いくつか目を引くのはやはり戦前から戦後の歴史を感じさせるもの。
東宝創立十周年を記念した分厚い本は立派な布張りの装幀。その表紙に「2602」という数字が金文字で刻まれている。東宝は阪急の小林一三が1932年に設立した、東京宝塚劇場がはじまり。十周年は1942年のはずだが、当時は「皇紀」の時代。二年前に国を挙げて「皇紀二千六百年」の祝祭を開いたばかりの余韻がこんな社史にも残されていたのだ。
その後、戦局は悪化の一途を辿り、ついに終戦。古川ロッパの日記が展示されていて、昭和二十年八月十五日の欄には几帳面な字体で一言「日本敗れたり」。当たり前だが市民感情としては「敗戦」なのである。
映画製作再開後の展示ではロケハンの写真が貴重な記録になっている。助監督や美術助手が撮影した写真の数々は、当時の日本のありのままの姿を写し取っていて、ある種の風俗史とも言えるだろう。『野良犬』のために撮影された渋谷のドヤ街などは現代からは想像もし得ない光景だ。
展示の最終部には映画製作に欠かせないカメラが展示してあって、フィルムからビデオ、デジタルへとメディアが変遷した通りに並べられている。やはり最終部で、壁面に飾られた近年の映画ポスターも当然デジタル処理でデザインされたものばかり。会場の中程に展示されていた猪熊弦一郎の手による『生きる』のポスターとは比べようもなく薄っぺらい。現在の東宝には展示すべきものが何ひとつないという事実に、世田谷美術館に全面協力した東宝自身が一番早く気がついたことだろう。しかし、それは純粋な映画製作会社ではなくなってしまった現代的経営の中では必定のことなのである。

それにしても、オキシジェンデストロイヤーをニヤニヤしながら眺めていると、ケースの向かい側から、初老のご婦人が気味悪そうにこちらを見つめていた。自分もまた怪しげな中年男性のひとりであることを認識したのだった。(き)


東宝看板.JPG


(※)「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」は東京・世田谷美術館で2015年2月21日から4月19日まで開催。


▼このブログの「ゴジラ」関連記事(き)は、以下のタイトルをクリック
『ゴジラ』〜戦災から対決へ(東宝・1954)
『GODZILLA ゴジラ』〜「対決もの」に潜む鈍感さ(ワーナー・2014)
『シン・ゴジラ』〜 東京のど真ん中に現れた罪業(東宝・2016)



posted by 冬の夢 at 21:49 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 この文を読んで、とても行きたくなりましたが結局、見のがしました。
 今後、こういう形で美術館ふうのタイトルをつけた、いわば企業展みたいなものが増えて行くのでしょうか。たしかにソフトやサービスでなく、形あるものを作った仕事は、展示しやすいのかもしれません。といっても、テレビ番組みたいに、やたらと「ものづくり」の苦労を英雄的にもてはやす仕立てになっていくとしたら、ちょっとかんべんしてほしいけれど。
Posted by (ケ) at 2015年04月21日 13:22
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