2020年09月30日

原節子と三船敏郎 〜『東京の恋人』と『愛情の決算』での共演

 日本映画を代表する俳優は誰だろうか。好き嫌いは人それぞれにしても、昭和から平成、令和の今日までを概観したうえで選ぶとすれば、原節子と三船敏郎のふたりになるのではないか。いやいや、そのふたりではなく高峰秀子と森雅之だろうとか、ふたりセットなら浅丘ルリ子と石原裕次郎だよとか、それを言うなら藤純子と高倉健でしょとか、異論反論が百出することは間違いない。そんな愉しい言い争いは別のところでやることにして、実際のところキネマ旬報が2000年に行った「20世紀の映画スター」では、74名の選考委員による投票の結果、トップは女優が原節子、男優が三船敏郎であった(※1)。日本映画を代表するこのふたりは、その全盛期にあたって多くの映画に出演しているが、共演作は極めて少ない。原節子は百本、三船敏郎は百三十本以上の出演作があり、共に出演者のクレジットに名を連ねたのはたったの六作品のみ。その貴重な作品は以下の通りだ。

『白痴』1951年 黒澤明(松竹)
『東京の恋人』1952年 千葉泰樹(東宝)
『愛情の決算』1956年 佐分利信(東宝)
『東京の休日』1958年 山本嘉次郎(東宝)
『日本誕生』1959年 稲垣浩(東宝)
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』1962年 稲垣浩(東宝)

 『東京の休日』以降の三本はいわゆるオールスターキャストによって作られた作品で、原と三船は同じ映画の別の場面に出ているだけのこと。例えば『日本誕生』では、原節子は天照大神の役で、閉じてしまった天岩戸から少しだけ顔を出す、言わば特別出演。かたや三船敏郎が演る須佐之男命はほぼ主演級で、八岐大蛇を退治する場面では長い尻尾に身体を締め付けられるところが自ら巻き付けているようにしか見えずに気の毒だった。また『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』では、原が大石蔵之介の妻りくを演じたのに対し、三船は俵星玄蕃。『仮名手本忠臣蔵』には出てこない架空のキャラクターで、三船のために引っ張り出してきたような役だった。『東京の休日』は未見なのでよくわからないものの、山口淑子(戦時中の李香蘭)芸能生活二十周年記念と銘打った作品。原節子が山口淑子のために東宝の俳優たちに声を掛けて出演を依頼したと言うエピソードもあるくらいで、原節子自身はチョイ役のはずだ。
 そんなわけで、原節子と三船敏郎の共演作は実質的には『白痴』『東京の恋人』『愛情の決算』のみとなる。この中ではナスターシャ=原節子とラゴージン=三船敏郎にムイシュキン=森雅之を加えた『白痴』が超弩級の大作で、軽口を叩くと深みにハマりそうなのでとりあえずスルー。本稿では、見る機会の少ない『東京の恋人』と『愛情の決算』の二作品を通じて、原節子と三船敏郎の共演を見て行きたい。

 『東京の恋人』は、銀座が舞台のラブ・コメディ。原節子は似顔絵描きを食い扶持にしている画家役で、自立して働く女性をベレー帽とパンツ姿で凛々しく演じている。そこへ宝飾品の見本造りが得意な三船敏郎がやって来て、ダイヤの指輪が本物か贋物かで大騒ぎに。並行して原節子の隣人で街娼から抜け出せない杉葉子が身体を病み、故郷から上京する母親の前で三船が贋の夫役になるお話が絡む。
原節子が住むアパートは一間だけだし、三船敏郎は山の手に家を構えてはいるが、廃材で拵えたバラック住まい。原が可愛がる小泉博ら三人の若者は並木通りで靴磨きや靴修理をしている。一本裏道に入れば、銀座とは言え戦災の跡もまだ生々しい。要するに貧しくひもじく、でもつましい日々を懸命に生きている人たちなのだ。かたや銀座に事務所を構える森繁久彌は金属加工業の会社社長。パチンコ玉が売れまくってボロ儲けなのを良いことに、清川虹子の正妻の目を盗んで藤間紫を妾に囲っている。昭和二十七年と言えば、朝鮮戦争真っ最中の時期。こちらは敗戦からいち早く立ち直り、宝飾店で五十万円のダイヤモンドをキャッシュで買ってしまえる身分。世渡りの上手下手で貧富の差が明らかになる時代だった。
 そんな中で原節子の芯の強さ、軸の確からしさは揺るぐことがない。森繁や街のヤクザに言い寄られても一切媚びることなく頑として寄せ付けない。ここまで明快な拒否の態度を原節子にとられたら、もう黙って引き下がるしかない。そんな圧倒的な拒絶感を表す一方で、正しく美しいものを信じる仲間たちには極めて優しい。だから、初めて会ったときにキザなスーツを着て長財布をチラつかせる三船敏郎にはめちゃくちゃ冷たい態度に出る。ところがこの三船が篤実な青年だとわかると、無理に隣人の夫役を頼み込む。三船が「贋物造りだとあなたが揶揄するぼくに贋物の夫をやれと言うんですか」と反論するのに対して、原は謝ることもなく「人助けだと思って引き受けて」と説得する。原節子でなければ、なんとも独善的に見えてしまうことだろう。
 そんな『東京の恋人』であるから明らかに原節子が主役で、三船敏郎はその相手役の位置付け。最後には隅田川の川ざらいまでしてダイヤの指輪を取り戻そうとする森繁・清川コンビを脇役に回しながら、映画の中心で重石となる原節子。堂々たる存在感である。

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 その四年後、ふたりが再び相まみえたのが『愛情の決算』。『東京の恋人』とは正反対にこちらは戦争の影を引きずりながら理解し合えない夫婦の物語。上原謙・佐野周二とともに「松竹三羽烏」と呼ばれた佐分利信が監督・主演している。
 恋愛結婚した画家の夫を戦争で亡くした未亡人役が原節子。フィリピンの戦地で画家の最期を看取った戦友たちが夫人を慰めようと集まり、やがて独身だった佐分利信が原節子と再婚することになる。戦場では頼れる上官だった佐分利信は実社会ではうまく立ち働くことが出来ず、子持ちなのに再婚してくれた夫に尽くそうと努力する原節子のことを邪険に扱う。そんなときに戦友のひとりで最若手の三船敏郎は、何くれとなく原節子の世話を焼き、就職先を斡旋したり食事をともにしたりする。
 やがて原は三船のことを愛してしまうのだが、最初は弟のように思っていた三船をあるときから男として意識するようになる。その気持ちの変化を原節子が微妙な表情や態度で演じるところに『愛情の決算』の妙味がある。小津作品の「紀子三部作」のような娘役とは全く違う原節子の女優としての一面が、ヌルッと表出されるのだ。対する三船。年上の原を姉のように慕う親密さが、佐分利信の酷薄さを知って同情に変わる。やがて自分にとってかけがえのない女性として原を見るようになる。三船敏郎と言えば、男性的なものの象徴のように思われているが、『愛情の決算』では実に繊細で奥ゆかしく、でも情熱を秘めた青年を巧みに演じている。

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 原節子と三船敏郎による本格的な共演作である『東京の恋人』と『愛情の決算』の二作品を見ると、配役上でも演技上でも原節子が年上の視点から三船に思いを寄せ、三船敏郎は憧れを持ちながら原を慕うと言う構図になっている。観客である我々も、原と三船のふたりに姉弟にも似た親密さを見出してしまう。ところが、このふたりはともに1920年の同い年。生まれた月もわずか二ヶ月違いで、原と三船は完全無欠の同学年なのだった。
 そんな同い年のふたりがなぜ姉弟のように見えるのかと言えば、それはたぶん映画界におけるキャリアの差が顕在化していたから。原節子は十五歳で映画デビュー。十七歳のときに当時の日独防共協定を背景とした日独合作映画『新しき土』のヒロインに抜擢されてドイツ・フランス・アメリカに渡航。フランスではジュリアン・デュビビエ監督から「映画はダメだが主演女優は素晴らしい」と評価されたとか(※2)。戦時中は『決戦の大空へ』などの国策映画にも出演し(※3)、戦後すぐの1946年には黒澤明の『わが青春に悔なし』に主演。自立する女性を演じて、今度はGHQから絶賛されたと言う。
 かたや三船敏郎の映画デビューはその翌年の1947年。撮影部に入るつもりで受けた東宝第一期ニューフェイス面接に通った三船は『銀嶺の果て』に初出演。なんと二十七歳の遅さだ。そして1948年、黒澤明が『醉いどれ天使』の青年ヤクザ松永役に三船を起用して、そこから三船は黒澤作品の常連となり、「世界のミフネ」と呼ばれることになる。
 つまり、原節子と三船敏郎は同い年でありながら、映画出演のキャリアでは十年以上の差があり、常に原が先行し三船が後を追う形になっていた。だから共演作品を見ても、なんとはなしに原が年上で、三船を若く見てしまっていたのだ。本稿で取り上げなかった『白痴』においても、原節子演じる那須妙子は明らかに三船敏郎演じる赤間伝吉にとっての憧れの存在であるし、原の神秘的な佇まいは三船を圧倒している。
 そんなパワーバランスも共演作品だけのこと。原節子は主演した『東京物語』が海外での映画史上ベストテン作品の上位に入る(※4)ほどにその知名度はワールドワイドだ。かたや「世界のミフネ」のもとには海外からの出演オファーが殺到。三船本人が日本映画への出演を最重要視していたためほとんどの依頼を断っていた。それでも『グラン・プリ』(1966年アメリカ映画/ジョン・フランケンハイマー監督)や『レッド・サン』(1971年フランス・イタリア・スペイン合作映画/テレンス・ヤング監督)で三船が演じた日本人役によって、海外での日本への偏見は大いに是正されたと思われる。

 原節子と三船敏郎。日本映画を代表するふたりの俳優が生まれて、今年はその生誕百周年の記念の年。国立映画アーカイブで開催中の三船敏郎特集企画も連日満員らしい。『東京の恋人』での原節子の台詞、「貧しくてお行儀は悪いけど、心の中には本当の宝石があるんだわ」。昔の映画にはたくさんの宝石が潜んでいる。今になってその宝石を真剣に探してみたいと思うのだった。(き)



(※1)外国映画部門のトップは女優がオードリー・ヘプバーン、男優はゲイリー・クーパーだった。キネマ旬報は2014年にも「オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優」を発表しているが、女優の8位に安藤サクラが入っているなどして、現在の視点が強過ぎるように見える。

(※2)「原節子の真実」(石井妙子著・新潮社刊)より。

(※3)「戦時下の日本映画〜人々は国策映画を見たか」(古川隆久著・吉川弘文館刊)によると、国策映画を国民すべてが見ていたわけではなく、映画法による検閲を通過した作品の中でも「気楽に楽しめる」映画に人気が集中していたと言う。

(※4)英国映画協会発行の「Sight&Sound」誌が2012年に行った”Top10 Greatest Films of All Time”の映画監督投票で『東京物語』は第一位に選ばれた。

posted by 冬の夢 at 23:22 | Comment(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする