2020年09月23日

かつて日本は駿馬が躍動する「草原の国」だったという面白い本が出ていた

 うちの近所に「池月」がいた。

 池月(いけづき)とは、源平歴史ファンにはおなじみの、源頼朝の持ち馬だった二大名馬の一頭だ。
 いまから八百四十年前、平氏を討って源氏を再興すべく挙兵した頼朝は、小田原で平氏の大軍に破れてしまい(石橋山の戦い)房総半島に逃げた。そこで態勢を立て直し、味方を募りながら陸路、鎌倉へ。その途中、うちの近所で休憩したらしい。
 夜になって美しい月が池に映るさまを楽しんでいると、一頭の野生馬が陣所に現われ、声高らかにいなないた。郎党が捕まえて頼朝のところへ連れてきてみると、青い毛並みに白い斑点、まさに池に映った月のようだ。そこで「池月」と命名する。
 頼朝はすでに、もう一頭の駿馬「磨墨(するすみ)」を得ていて、さらに池月がやってきたのは、平家征討の吉兆と喜び、兵みなで鬨の声をあげた。

 池月の登場地には諸説あるそうだ。うちの近所の神社は、みんなで「えいえいお〜」といった頼朝の「旗揚げ八幡」であるということで、写真のような像がおかれている。
 池月は、別名を「生食(いけずき)」ともいった。気性が荒くて、噛みつきまくったからだそうだ。じつは日本の在来馬は明治時代まで去勢飼育の習慣がなく、基本的に暴れ馬だったというが、この池月はまさに、ウィルスン・ピケットの曲でもおなじみの「ムスタング」の日本版、野生の荒馬だ。
 そんな馬を軍馬にしつけた頼朝勢の調教術もすごかったが、期待に応えて「宇治川先陣」で、みごとな活躍をしたのだから、もともと才気走った馬だったのだろう。
 それにしても東急大井町線に池上線、環七に中原街道が、日がなガタゴトブウブウいっているこの東京都大田区に、いくら八百年以上前だからって、野生馬が疾走する大平原があったなんて。本当の話だったら、驚くしかない。

200923S2.JPG 200923S1.JPG

 大学の同級生ではただひとり、ときおり連絡をくれている蒲池明弘さんが、文春新書で順調に著作を出している。三冊めの『「馬」が動かした日本史』が、ことし早々に出版された。
 この本では、かつて日本は「草原の国」だったという(いまは国土面積に草原が占める割合は数パーセントだそうだ)、あまり注目されていないが、想像しただけでも心が晴れ上がるような説が土台になっている。そして、草原を馬の生育地として使って、馬を兵器として管理普及させる経済行為が、古墳時代から武家時代の日本史にどれほど大きな駆動力をもたらしたか考察している。馬はもちろん農耕や運輸にも大きな役割を果たしてきたが、この本では、軍備としての馬に着目したわけだ。
 刊行から時間がたち、評価が確定した本になっていると思うので──メディアの新刊紹介に毒された考えかもしれないが──蒲池さんが、草原・馬・武士の関係を描き出すスリリングな展開は、ここではくどくど説明しない。興味のあるかたは、ぜひ手にとり、ご一読いただきたい。

 蒲池さんが操り出す手法は、過去二冊の文春新書で自家薬籠中のものとしている、ひとつには火山や土壌という自然地理への透視力、もうひとつには経済(経営)・軍事・政治が、思惑や欲望とともにアクティブに動くさまを読み解く情報分析力だ。
 蒲池さんは自然科学者ではなく、歴史の専門研究者でもないが、大手新聞社の経済記者だった人らしく日本各地へ足を運んで地元の声をきき、資料を読み込んで自論を固めていく。そのプロセスを追体験する面白さも、この本がもたらしてくれる楽しい読書体験のひとつである、といっておこう。

 さて、わたしには、この本を読むのはなかなか難しかった。
 わたしが知っている歴史の話は、この文の初めに書いたようなエピソードねたばかりで、武家の発生ひとつとっても、あるいは東国・西国の政治経済的バックグラウンドも、基礎知識に欠けている。まして古代の火山と土壌に関して地学的知識はゼロ。いずれも、この本の記述に限ってでも、いったんあたまに入れないと読み進めにくい。
 また、さきほどもカッコ書きしたが、現代の日本には、じゃじゃ馬ムスタングが走り回る大草原はない。多少の草っ原はあっても、日本在来種の馬が、もはや数えるほどの頭数しかいなくなっているのだ。そのため、自分なりに躍動的な図像を思い浮かべながら内容についていくのに、かなり苦労してしまった。
 それから、この本には「解明を目指す日本史の謎」として、@なぜ、縄文文化は東日本で、弥生文化は西日本で栄えたのか。Aなぜ、世界遺産に登録された仁徳陵古墳、応神陵古墳など巨大な前方後円墳は、ヤマト王権の中心とされる奈良ではなく、大阪にあるのか。Bなぜ、武士政権は東日本の鎌倉で誕生したのか──という三つの設問が掲げられている。読み進めるうちにこれらには、ほぼ合理的と思われる解が示されていくが、それらはかならずしも結論ではなく、視野とデータの提供という面が重んじられているので、その扱いをわたしのような読者が委ねられることには、すこし戸惑いがある。

 というわけで一冊の新書を、ひさしぶりにメモをとりながら読んだが、ここまで読ませる密度の濃い新書、いまどきありがたい存在だ。
 著者の蒲池さんは、きわめて多数の読者を相手にする新聞記事の書き手だったからか、読後の感想や意見を直接に「メールでお寄せいただければありがたいです」と、あとがきに書いておられて、アドレスも公開している。お気づきかと思うが、この文は蒲池さんへのメッセージもこめて書いた。つっこみがある人は蒲池さんあてのメールに書くといいし、読みましたよということだけでも知らせてあげるといい。それらは間違いなく、蒲池さんの今後の仕事を、ますます興味深く、見ても読んでも楽しいものにするだろう。

200923Bs.JPG 
二〇二〇年一月二〇日発行

 ところで、わたしが「馬と日本史」といわれて思い浮かぶ話は、源平の名馬物語のほかに、もうひとつある。
 それは、白馬に騎乗した昭和天皇の姿だ。

 明治天皇の話からすると、明治天皇の馬、御料馬というそうだが、その御料馬は日本在来種で、現在は絶滅してしまった南部馬だった。体高(肩にあたる所までの丈)が四尺九寸というから、一五〇センチに満たない。
 日本の在来馬は、いまの子ども動物園のポニーくらいの大きさだったので、時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』のオープニングなどは、まったくのフィクションなのだが、昔の武士も丈は高くなかったろうから、まさに人馬一体だった。
 南部馬は在来種としては大型だが、それでも写真を調べると、御料馬を引く人の頭と馬の頭部が近い高さだ。明治天皇の身長は一六五センチくらいだったので、乗馬姿の真影──絵か石版画と思われる──には、やや誇張があり、栗毛の南部馬にまたがった明治天皇の実際の騎乗姿は、まさに人馬一体、そしていまの感覚で見ると、ちょっと微笑ましい感じだったろう。

 ところが昭和天皇になると、騎馬姿で写っている写真は、まさに「白馬に乗った王子さま」、いや王さまかな、とにかく誤解をおそれずいえば「カッコいい」のである。馬の名は「白雪」。この写真のような乗馬姿こそ、戦前の国民にもっとも強く印象づけられた、昭和天皇像なのだという。
 ちなみに白雪はヨーロッパから買い入れたアラブ種で、在来馬よりはるかに巨躯の馬である。昭和天皇は明治天皇と同じくらいの身長だったから、ダグラス・マッカーサーと並んで写した写真のように、馬の大きさで本人の小ささが強調されるかと思いきや、ぜんぜんそんなことはない。
 思い出しておきたいのは、二・二六事件のとき、鎮圧の進捗に「焦慮アラセラレ」た昭和天皇その人がいったことばだ。
「朕自ラ近衛師団ヲ率ヒ、此ガ鎮定ニ当ラン」※
 そう、昭和天皇は、まごうかたなき騎馬の武人だった。しかしその図像は日本古来の馬を駆って人馬一体となった姿ではなく、西洋ふうの「白馬の騎士」スタイルに仕立てられていたのである。(ケ)

200923He.JPG 
陸軍始観兵式で白雪に騎乗した昭和天皇(一九三八年)
public domain item



※一九三六年二月二七日;『本庄日記』(原書房/一九六七)二七六ページ

■蒲池明弘さんは、歴史関係書籍の個人出版社「桃山堂」の代表でもある。この本に関連する記事や写真がアップされた「桃山堂ブログ」はここ←。


posted by 冬の夢 at 15:26 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする