2020年03月28日

Michael Johnson − This Night Won't Last Forever 元気が出る曲のことを書こう[47]

 心のあちこちに、さまざまなメロディの切れはしが残っている。
 いい曲だった、と記憶は告げるが、どういう曲かは思い出せない。
 でも、おりにつけ、ふとよみがえる。
 ぜんぶつなげると名曲になりそうだが、それじゃ「作曲」じゃなく「盗作」だ。

 最近、偶然わかった曲が、またひとつ。
 近年は、あまり聴かないジャンルだし、いま(二〇二〇年三月下旬)こんな事態になっているせいでは、かならずしもないが、身にしみた。ハミングしたくなる。
 最初にレコードになったバンド演奏でなく、ギターの弾き語りに近い小編成で再録した版を、たまたま聴いた。その身近さが、よかったのだと思う。

Everybody likes a celebration
Happy music and conversation
But I'd be lyin' if I said, I didn't have the blues
In the corner there's a couple dancin'
From the kitchen I can hear her laughin'
Oh, I wish, I was celebratin' too

 誰だって祝いごとは好きだよね
 楽しい音楽と会話がさ
 でも もしぼくが落ち込んでなんかないよっていったら
 それはウソになる
 部屋のすみでカップルが踊っていて
 キッチンから彼女が笑っているのが聞こえる
 ああ ぼくもいっしょにお祝いができたらな

I know this night won't last forever
I know the sun's gonna shine sometime
I need some hope for a bright tomorrow
To show this heart is gonna mend just fine ★

 わかってる こんな夜が永遠に続くなんて けっしてない
 わかってる 太陽はいつか輝くことを
 明るい明日への希望がちょっとほしいんだよ
 この心が立ち直っていると知らせてくれるね

So pardon me for my disposition
Wish, I didn't have to sit and listen
She's playin' the same old songs on the stereo
She's been lyin' since the day I met her
I'd be better off to just forget her
Oh, I would rather be lonesome or go

 こんな性格のぼくを 許してもらいたいな
 こんなふうに坐らされ聞かされたくはなかったんだ
 彼女がステレオで昔と同じ曲をかけているのを
 会ったその日から 彼女はぼくに嘘をいっていた
 彼女を忘れるため ここからいなくなったほうがいいんだ
 ああ ひとりになるか 出て行くかしたいよ

repeat ★

Such a ridiculous situation
Pretending there's nothing wrong
She's comin' on with the invitation
I wonder, who is takin' her home

 このばかげたシチュエーションときたらね
 なにもおかしいことはないふりをしてさ
 彼女は招待されて来たわけだろ
 いったい誰が彼女をつれてきたんだろう

repeat ★


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Dialogue 1979

 マイケル・ジョンソン。
 一九四四年、アメリカ・コロラド州の田舎町生まれで、同州のデンヴァー育ち。大学で音楽を学んでいたとき、コンテストで優勝したのをきっかけに、本格的に演奏活動をはじめた。
 フォーク・トリオへの参加にはじまり、一九七〇年代にはソフト・ロック、いまでいうアダルト・コンテンポラリーのシンガーとして、ヒット曲を出した。一九八〇年代にはレコード会社移籍をきっかけにカントリー・ミュージックへシフト、そのジャンルでまたヒットする。トップスターというわけではないが、長く活動してきた人だ。
 日本ではAORに分類されて、一九七〇年代の盤がマニアックに聴かれているらしいが、アメリカでは、AORという区切りがないし、カントリーのヒット曲があるから、もっとひろく知られている人かと思う。
 若いころは、いかにも白人中流層にウケそうな、素朴な好青年ふうのルックスで、トップテンヒットも出していたので、テレビの人気者になってもおかしくなかったが、プロダクションを縮小し制作も兼ねるようになり、バンド演奏でヒットした曲も、ギターの弾き語りスタイルに変えてライブ活動を続けた。

 余談だが、テレビでも人気の歌手といえば、最初のフォーク・トリオに、有名になる前のジョン・デンヴァーがいた。
 ジョンソンによると、デンヴァーはなにごとも自分でするタイプで、スタイルやステージのやりかたなど、演出はみな自前だったそうだ。ジョン・デンヴァーといえば、あの丸メガネだが、あれも演出で、デンヴァーが買いに行くのにジョンソンはつき合ったとか。
 当時まだアマチュアが多かった現場で、アマチュアを抑圧せずプロとして演奏活動をするやりかた、そのためのコミュニケーション術は、デンヴァーから学んだという。しかしデンヴァーは、田舎出の気さくなお兄さんというイメージとは違い、かならずしも親しみやすい人ではなかったそうだ。

       ♪

 いわば「アンプラグド」版の「This Night Won't Last Forever」は、一九九七年の『Then & Now』で、再演されている。ベタなカントリー・アンド・ウエスタン調でないところがいい。クラシックギターだろうか。柔らかい伴奏が気持ちいい。
 けっして突出した個性がある歌いかたではなく、絶唱派でもないけれど、歌も弦も、おだやかなミドルレンジで鳴っている。それがむしろ、曲の輪郭をきっちりと描く。

 ひとりで弾いて歌っている近年のライブを見ると、かつての好青年の姿はさすがに見当たらないが、カドの丸い親しみやすい歌声は変わらず、なによりギターひとつでする伴奏がいい。
 楽器の構えかたや美しい運指、クラシックギターをよく使うのを見て、もしやと思い調べると、本格的に音楽活動をする前に、一年ほどスペインのバルセロナでクラシックギターを習っている。
 音楽教育を受けているからいい、というのではなくて。
 ジョンソンはフォークやカントリーの弾きかた、つまり譜面でなくコード(和音)に対応した基本フォーム(押さえかた)で弾いているし、譜面を追うのでなくリズムで弾いている。
 そのかわり、お決まりのフォームだけをジャカジャカ鳴らすのではなく、クラシックのギター曲にもよくある、和音の美しい動きを感じさせる運指も使う。それが曲にぴったりだ。

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Then & Now 1997

 この曲に、なぜ聴きおぼえがあるかは、どうしてもわからなかった。
 曲を作ったのは、やはり日本ではAORに分類されているビル・ラバウンティで、自演のレコードも出している。
 意外なことに、作者のラバウンティもカヴァーしたジョンソンも、似た編曲で録音しているが、ヒットしたのはジョンソンのほうだった。
 それはともかく、どちらの版も当時、聴いた記憶は浮かんでこない。

 ということにしておけばよかったが、つい調べを重ねたところ、ラバウンティの演奏が、一九九〇年ごろ、日本の「トレンディ・ドラマ」のBGMに採用されたことがあるそうだ。それを何かのおりに耳にしたのだろうか。
 フジテレビジョンの番組で、いまテレビをよく見る人には想像できないかもしれないが、同局が、お笑いと「トレンディ」で破竹の勢いだったころのことだ。
 あの当時、なぜ社名をコールサインでいうのか「シーエックス」「シーエックス」とうっとうしく、不快なことまで思い出しそうだ。これ以上調べると曲までキライになるかもしれないから、やめよう。
 ちなみに「トレンディ・ドラマ」は、見たことがないとはいわないが、通して見たシリーズはひとつもない。

 テレビ番組の話題で時代感覚を共有したり世代確認をしたり、ということがある。呑み会とかでね。
 このブログでも、昔の放送やCMのことも書かれている。
 わたしは長い間、テレビを積極的に見たことがあまりないし、ここ六、七年はテレビを持ってさえいない。だから、テレビのニュースの話題をすることもむずかしい。しかし、実害を感じたことはあまりない。

       ♪

 歌詞を訳していたら、やや困ったことに気がついた。
 オリジナルのビル・ラバウンティ版と、このマイケル・ジョンソン版では、歌詞が若干違う。
 場面設定やストーリーはほぼ同じだが、オリジナル歌詞は一般論、つまり、にぎやかな場にとけこめない、ネクラな性格の主人公が、明るい気持ちを取り戻していく歌だ。

 このジョンソン版、歌詞をきちんと聞き取れないままに、そういう歌だと思い込んだ。
 が、ジョンソン版の歌詞をあらためて見ると、オリジナル歌詞にはない「元カノ」が描かれている。
 パーティに呼ばれてきたら、なんと元カノがいた、って設定よね、この歌詞。
 それじゃ誰だって、キマリが悪いというか、いたたまれない、でしょう!
 となると、題名にもなっているBメロの「I know this night won't last forever」が、おさまりづらいというか、せっかくのこの部分が、安っぽい感じになりませんか? ベタにセンチメンタルなカントリー・ミュージックでない感じの演奏で、いいと思ったのに……。

 くそ、こうなったらジョンソンのギターを練習して、ラバウンティのオリジナル歌詞で自分で歌うか(笑)と思ったが、困ったことにラバウンティの歌詞にも、ちょっとひっかかる部分がある。

Suddenly, a strange vibration
From my head to my toes
Filling me with a warm sensation
Somebody's letting me know, yeah

 とつぜん、えたいの知れない震えが
 ぼくの脳天から足先まできた
 あたたかな歓喜でぼくを満たしたんだ
 ある人がぼくにわからせてくれてるんだ、いえぃ


 この部分は、ジョンソン版ではカットされている。
 わたしにも、おさまりがよくない。唐突だし、ちょっと怖い気さえする。

       ♪

 わたしは、この歌の主人公のように、社交的でなく、わいわいにぎやかな場が苦手な性格。
 勤務していたころは、業務関連の宴会や会合では陽気なお調子者に変身する技が身についた。
 そういう席の帰途は、演技を忘れて本来の自分に戻ろうと、たいていべつの呑み屋に立ち寄り、深更さらに飲酒を重ねていた。

 おかげでいま、基礎疾病はあるわ、トシはくっているわ。感染症が重症化した病歴などもあり、日々なんとなく怯えていなければならない。
 マイケル・ジョンソンの「This Night Won't Last Forever」を、いま一度、回してみた。歌われているストーリーには、ちょっとひっかかってしまったわけだけれど、それでもやっぱり、身にしみた。(ケ)

Michael Johnson 1944/08/08 - 2017/07/25,

※公式HPのプロフィール、ディスコグラフィー
 米マサチューセッツ州、ミルトン・アート・センターによるインタビュー
 を参考にしました。



■「元気が出る曲のことを書こう」の記事一覧は→こちら←


posted by 冬の夢 at 11:43 | Comment(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月26日

散歩とスパゲティと「いつも通りの」桜 .

 運動しなければならないが、スポーツは苦手。せめて散歩だ。
 昨今は繁華街は避け、公共交通で郊外へ行くのもやめ、近所の回遊だけに。東京都大田区、世田谷区、目黒区など……。

 昨三月二十五日夜、都知事が会見。
 現状を「感染爆発の重大局面」とし、平日はできるだけ自宅仕事し、夜間外出を控え、この三月第四週末は「お急ぎでない外出はぜひとも控えていただくように、お願いを申し上げます」と述べた。

       ♪

 そのことに驚いてはいない。

 きのうまで驚いていたことは、近所を散歩すると、平日の日中から公園や駅商店街、宅地の細道などに、やたらに人出があったことだ。
 繁華街にはめったに行かなかったが、偶然なのかそちらも、平日でも以前の週末より混んでいる気さえした。
 
 日本は、感染検査を受けにくくし、医療関連機関の過剰な混雑や院内感染を防ぎ、重症感染者への医療を確保しようとする策で、ここまで来ている。
 賛否はあると思うが、重態の人をできる限り死なせないようにという選択なら、わたしにとってはありがたい選択だ。

 ただ、必然的に発表感染者数は少なめになるので、世界の主要都市よりずっと安全じゃん! という印象をもった人たちが往来を重ねると、感染が急拡大しかねない。症状の重い人も急増すると、医療が及ばなくなる事態がいきなり生じる可能性がある。説明するまでもないが。
 つまり都知事の「お願い」はとくに、子どもや若年層、さらに年齢をとわず健康や活力に自信のある、つねづねアクティブに行動している人たちに対してなのだ。
 都なり政府なりが、近々に直接のメッセージを出すだろう。もう出ているのかな。
 そして、それはわたしからの「お願い」でもある。

       ♪

 ここまでを、最後の散歩報告にしようと思ったけれど、つぎのような意見がけっこう多いと知り──伝聞したもので、じかに聞いたわけではない──都知事会見の翌日のきょう、近所で見聞したことを、すこしつけ足しておくことにした。

 意見とは、都民全員が外出自粛なんて、そんなことがいつまでやれると思っているのか、出かけると感染するのが怖い人が外出自粛すればいい、というものだ。
 こういうことを聞くと、これまでは「新婚さんいらっしゃい!」の桂三枝みたいに椅子ごとコケそうになっていたが、あきらめが先立つようになった。そういうことをいう人もいるでしょうね、と。

 意見の背景には、誰もが感染して抗体を持てばよいとか、死ぬのは高齢者や持病がある人がほとんどなら、それはしかたない、というような、すこし前まで流通していた──これからもだろうか──考えがあるのだろう。
 都知事会見に同席した国立感染症センター長の警告は、放送映像をなるべく略さず書き写すと、
「この病気の怖さというのは(略)八割の人は本当に軽いんです。(略)ただ、残りの二割の人は確実に入院が必要で、で、全体の五パーセントのかたは集中治療室にはいらないと助けられない。しかも僕は現場で患者さんをみていてよく分かりますけど、悪くなるときのスピードがものすごく早い」
 というものだった。にもかかわらず、もし感染しても自分は「八割」のほうだろうと思っている多く人たちが、むしろ安心したという結果にもなったらしい……。

        ♪

 ホットケーキを焼いてもらえる、という話になり、クロテッドクリームを買いに行くことになった。

 ウチを出たところで、ときどき雑談する、集積所などの掃除担当のオバチャンに会った。
「朝から、あちこち、買い占めで大変なことになっているわよ!」
 と、処分する段ボールを受け取りながらオバチャン、機嫌が悪い。
「あんなに買って結局は捨てるんだからね!」
 ちなみにオバチャン自身は、ゴハンと梅干しがあれば大丈夫よ! と豪語していた。

 近くの駅商店街では、アジフライをたまに買ったりする肉屋さんは午前中で肉は品切れ。シャッター半降ろしだった。
 親しいパン店に立ち寄ると、こちらも朝から、ほとんど売り尽くしたという。
 そこで、ふだんあまり買いものをしない、近隣でいちばん大きいスーパーマーケットに行ってみた。私鉄沿線各所にあるTストアだ。
 けっこう大きい店で、売場面積を調べてざっと計算すると、都心の標準的なコンビニだと十五店から二〇店ぶんの広さ。たしかに見渡すほどの売場で、在庫も豊富なはずだが……。

       ♪

 バックヤードから補充する時間差も、もちろんあるから、この日の確定状況とはいえないだろうが、かんたんに書いておこう。
 おかしなことは「やや減っている」だとか「そこそこある」商品はなく、「かき消えている」か「山と積まれている」かの、どちらかの場合しかないこと。「ない」場合、文字通りカケラも残っていない。

■売場からまったく姿を消した商品

 野菜、冷凍野菜、たまご、ヨーグルト、牛肉、牛乳、パン、小麦粉、米、もち、シリアル、カレールー、パスタソース、インスタントスープ、納豆、冷凍ピザ、インスタント麺、カップ麺など

■売場が埋まるほど存分にあった商品

 魚介(刺身など調理済含め)、デリカ商品(弁当・おかず)、ジャム、アイスクリーム、デザート、調味料、中華インスタント食品(レトルト、スピードクッキング含め)、酒類(ビール、ワイン)、ソフトドリンクなど

 ふしぎなことにパスタ(乾麺)は、ほぼ売り切れていたのに、なぜかバリッラ Barilla の麺だけが山と残っていた。そりゃ自分がスパゲティ料理を作るときは、バリッラよりデチェッコ DE CECCO のほうが、合うと思ってはいるけど、関係ないよな……。
 もっとも、輸入食材の店、ご存じKルディという店ですが、ここでもパスタが品薄のなか、デチェツコだけが山と残っていた。まさか……。

 テレビであんなこというから、どうなっちゃうかと思って
 と周囲に向かっていいながら、買いまくっているオバハンがいた。
 どうして何もないの!
 と、Tストアの店員にくってかかっているオバハンもいた。
 ババアと書きたいのだが、みな、わたしより歳下だと思う。

       ♪

 そして近所のコンビニエンスストア。
 入口の自動ドアに、こんな張り紙がベッタリなのが、やや前から気になっていた。

 マスク、ティッシュ、トイレットペーパーなど、品切れになっている商品は、ごぞんじの通り品薄です。
 入荷時間、入荷日時、入荷タイミング、品物の取り置きなど、全てが店員にも分からないし、お受けしていません。
 この文をお読み頂いた後、店員に聞いても、まったく一緒の内容をお答えするのみになります。


 なんの含みもなく「店員」なりにきちんと作文したつもりだろうが──つなぎがおかしい所は略した──見ないようにしているものの、通るたび目について、どうも憂鬱になってしまう文だ。

       ♪

 ついでに図書館にもまた行ってきた。
 東京都の公立図書館は、休館か縮小対応になっているはずだ。
 最寄りの区立図書館も、開館しているが、開架書架や学習場所などふだんの空間には立ち入れず、予約した本の貸出返却などにカウンターで対応するのみだ。
 それは了解している。以前からネットで他の図書館からも取り寄せることが多いので、同じだ。紫外線消毒器が使えるので「ぶ〜ん」とやってから借りている。
 周辺はいよいよ桜が満開。さすがに先週ほどは、あるいは例年の同じ時期ほどは人は多くないが、それでも最寄り駅前の信号が混雑するほど、平日から人が訪れている。

 咲いてるじゃん! いつも通りじゃん!

 という若い女性の叫び。
 思わずふり返ると、ガキ、じゃない、お子さんづれの、若いお母さんだった。舞い上がっちゃってる感じだが、べつにヤンママじゃなく、ふつうの人だ。
 そりゃ桜は「いつも通り」に咲くわいな、というヒネクレた突っ込みはまったく思いつかず、「いつも通り」という叫びが、ただ身にしみた。(ケ)

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■二〇二〇年七月二十二日、文のつながりのみ直しました。
posted by 冬の夢 at 21:57 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月22日

散歩と納豆と樒 .

 運動しなければならないがスポーツは苦手だ。散歩するしかない。
 この状況では、にぎやかな所は避けるべきだし、郊外へ電車やバスで行ってから散歩というのも、控えるべきだろう。
 となれば、近所を歩き回るしかない。
 そのかわり、似たような所を繰り返し歩き、だいたい同じ店で買いものをしていると、この状況への世間の反応とはこういうものかと、いまさら実感させられている。

       ♪

 近隣の宅地の街路が、やたらに混雑しだした。
 不思議に思いながら、この三月半ばの三連休も、近所を運動のため散歩していた。東京の目黒区、世田谷区、大田区あたりだ。
 
 桜はまだ三分咲きほどだが、シートを敷いた宴会組も見かける。
 中高年層は見当たらず若い世代と、その子どもの小学生たちだろうか、そういうグループに限られる。楽しそうにしている。
 遊歩道になった道路で遊ぶ親子や子どもたちも、とても増えていた。行っていないが、営業を再開した遊園地などは、かなり混んだらしい。

 高校生か大学生らしい若い人たちが、やたらに集団で出歩いているのも、平日も週末も近所では見かけていないので、めずらしく感じる光景だ。
 いま、街頭で子どもに話しかけたりすると、ドーベルマンを放たれたり、ショットガンで撃たれたりするらしい。子どもへの「声かけ」は厳禁だ。
 そこで、訊ねるとも聞くともなく、高校生か大学生らしき集団から、集まって歩き回る理由を知った。

「気分転換」だそうだ。なるほど。
 閉塞感があるのでしょうね。
 しかし、わたしの「気分転換」は学生のころも社会人になってからも、ウザい学級や職場から解放され、ひとり家で本を読んだりDVDを見たりすることだったから、集団でゾロゾロ歩きがしたいという気持ちは、いまひとつわからない。
 だからこそ自分には、いっしょに散歩する仲間がいないわけだが。

       ♪

 奇妙なものが売り切れている場面に、また出くわした。
 こんどは「納豆」だ。
 冷蔵庫にアブラアゲがあったから、納豆包みにして炙って食〜べよっ! と思ったが、スーパーの売り場から納豆がかき消えている。
 ほかの食品は、以前より数こそ減っているが売り切れてはいないし、ふだん納豆が売り切れなんて見たことがないから、豆腐やツケモノが並ぶ棚の、かなりのスペースが空洞なのは、ちと異様だ。
 調べる気にはなれなかったが、友だちが教えてくれた。自分では確認していないが、こういう理由らしい。

 納豆を食べると SARS-CoV-2に抗ウイルス効果がある、という情報があるそうだが、それは完全なデマだ。
 それを本気で信じている人は、まさかいないと思うが、がんらい納豆は健康によいといわれることと、全国的に感染が広がるなか茨城県に感染者がいなかった──三月十九日段階で、海外からの帰国者、計三名が発表されている──ことが「売り切れ」の理由らしい。わたしの近所のスーパーだけでなく、各地の傾向になりつつあるそうだ。

 帰宅して冷蔵庫の中をよく見ると、賞味期限が近い納豆があった!
 アブラアゲとは別に、納豆は納豆で食べた!
 ふだんそう思ったことはまったくないのに、「最後の納豆」みたいな気がしてしまったからだ。

       ♪

 一年で、いちばん苦手な季節になった。
 この文の初めに出てきた桜が嫌いだ。

 桜の花そのものが好きではないし、花見と聞くと、おなかが痛くなる。
 若いころ参加が義務だった花見──職場とかの──で、ウスラ寒いのに地べた敷きのシートで呑み食いしたら、たちまち腹がおかしくなり、ひどい目に合った。
 伝聞だが、当時のわたしと同世代の若い社員で、命じられた花見のセッティングが不手際だったとかで叱られ、腹痛を起こしたやつもいた。花見なんざ、こんりんざい、やるかと思ったものだ。

       ♪

 友だちが「樒」という植物を教えてくれた。
 シキミ、という音は記憶にあったが、花木だということも、こんな字だというのも、はじめて知った。
 ちょうど春が花どきだそうで、じみな薄黄色の、白く細い花弁の花をつけるという。
 名を聞き、ネットで画像を見たら、な〜んだ中華料理の八角じゃん、と思い込んだ。学名の前半も同じだから。
 実際、香りのよい花木だそうで、仏花や線香として古くからあるものだそうだ。

 しかし!
 最後まで調べてよかった!
 シキミは、樹体すべてが毒まみれだ。
 それも、どれくらい毒かというと、「政令指定劇物」を調べるとわかるが、ナマの植物で政令指定されているのはシキミだけなのだ。
 可溶性ウラン化合物とかカドミウム化合物とかホルムアルデヒドとか、見ただけで死にそうな化学物質がずらりと並ぶリストに、いともあっさり「しきみの実」とだけ書かれている! 
 ゲッ! 八角の仲間と思い込んだので、いつか拾って中華にして食うところだった!

 ではなぜそんな毒植物が、呪いアイテムでなく、古くから仏花に使われてきたかだが、これは想像がつくし、実際その通りなのだ。
 つまり芳香と毒性が、遺体や忌みごとに対する浄化や魔除け、あるいは実用面でのアロマ的効果、そういうものを期待されたのである。

       ♪

 毒性に注意すればよいということか、趣味の園芸でも育てられるとのことなので、シキミを実際に見てみたくなったが、見つけようと思って歩くと、なかなか出会えないし、どれがシキミかよくわからない。
 だからってヒトんちの庭木を注視したり、知らん人の葬式で聞いたりすると、また警察のやっかいになりかねないから※、しかたなく「八角」を写真に撮ってみることにした。
 それであらためてわかったが、写真を撮るのは楽しくない。

 プロカメラマンではないので、興味がない被写体を収入のために撮る必要はない。だったら趣味のカメラおじさんらしく、楽しんで撮ればいいが、なぜか面白くない。
 なのになぜ写真を撮るのか──あらためて聞かれると返事に困ってしまう。

 最近は、写真をほとんど撮らなくなっていたが、自分が撮った八角の写真を見ていたら、わずかに撮っていた最近の写真が自然とひとかたまりになった。
 写真に、写ったものを説明するような題名をつけるのは好きではないが、シキミと八角の学名で共通している「ILLICIUM」という題をつけてみた。
 学名はラテン語の「illicio」がもとで、おびき寄せる、魅惑する、そそのかす、という意味だそうだ。いいじゃん! という感じがする。
 綴りも発音も違うし関係ないのだが、希少金属の「イリジウム(iridium)」を連想させるところもいい。
 そして漢字が木へんに「密」というのも、美しいのか怖いのかよくわからない感じがするのが、すばらしい。

 意味なく撮った写真が、植物の名に「おびき寄せ」られて集まってきた。それも、いいなあと思う。
 はじめにタイトルを決めて、それに合った絵柄を撮ろうとしてはダメだけれど、まったく関係ない言葉に「おびき寄せ」られるような写真を、そのためとは意識せずに、いつの間にかたくさん撮っておけたらいいのに、と思った。(ケ)

200322sm.JPG 
Illicium anisatum
博物画で見ても実が八角とそっくりだ
public domain item



■シキミはふつうに売ってました。写真

※かなり以前のことだが、実家の用事で久々に帰省したとき、かつて通った中学校のそばを通った。たしか週末で生徒はいない。敷地の外から校舎を撮っていたらパトカーが来た。以後も写真を撮っていて何度か誰何されたことがあるが、うっかり小中学校を撮ると警察に捕まるのはしかたないが、無意味なものを撮っているとよけいに怪しく見えるらしい。



■二〇二〇年七月二十二日、文のつながりをすこし直しました。

posted by 冬の夢 at 01:46 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする