2019年08月30日

John Keats を読む Ode on Indolence 邦訳【完成版】

 しばらく中断していた、ジョン・キーツ(一七九五〜一八二一)の詩を読んで訳す、という危険運転、いや無謀行為、どちらでもいいが、それを再開。
 大学で英文学の先生をしている友だちは、せっかく訳すなら、近代詩の名作としても知られるキーツの五大(だったかな)「オード」でしょ! という。

 何年か前、岩波文庫の和訳で初めて読んだときから、ちょっと怖くて、あまり熱心に読まなかった「オード」!
 いえ、内容が怖いんじゃないです。内容はどれも、けっこう「ステキ」な感じなんだ。
 が、特別な形式のようだし、むずかしそうで。
 オードといわれても「オードブル」みたいなものですか、としかわからず、辞書的にはどうかというと、なおさらわからない!
 頌詩、整然と形式化、複雑な有機的構成、長い、ギリシア時代、ラテン語文学──「オード」に拒絶されている気がした。読むどころか、その定義を汲んで訳すなんて、どだい無理だ。

 が、さきほどの友人は、こう力説する。

 キーツは、パンクだよ!

 その意味も、まだうまくわかっていないけれど、これまた和訳でチラ読みしたシェリーやバイロン、ワーズワースたちの詩とは、たしかに「違う感」がある。
 その三人はキーツと同じロマン派で、近い時代の人びとだが、キーツとは違う場所にいて書いた詩のように読めるから。

 ならば、お前にとってキーツのなにが魅力なんだ、ということだが、じつはそこが、よくわからない。それでも、わからないまま読もう訳そうとしてきた。すいません。

 わからなさ、でいうなら、さきほど出てきたキーツと同時代のイギリスの詩人のことをはじめ、文学史的な知識もない。キーツについては、夭折ゆえ資料が少ないので、本になっている書簡の抄訳や、読む詩に関係する書簡の原文を探して読む程度で、よしとしてしまっている。キーツの手紙はとても読みにくい。

 そんなことより英語力が問題だ。うまく読めて話せたら自分の性格はこうでない、と思うほど英語に苦手意識。一八世紀末から一九世紀初めのイギリスの詩なんて、見ただけではわからない──いつも重要な部分にかぎって文章ごとわからなかったりする──ので、ネット上にある英語の解説サイトをアレコレとカンニング。それも英語で読まなきゃならないが、ネイティブというか英語で思ったり話したりする人のほうが、キーツに距離が近いのではと。その解釈を受け入れたり受け入れなかったりしつつ、わからない部分の訳を組み立てている。
 そしてこのブログにアップロードすると、ありがたいことに、さきほどの友人が「添削」してくれる。まあ、高校生レベルの間違いは早く直せと気になっちゃう(笑)のかもしれませんが、で、ようやくタイトルに【完成版】(とりあえず)とつけている。
 
 キーツのオードから、最初に選んだのは「怠惰のオード」だ。
 日本語にするのはむずかしい。もちろん上記『添削』の助けも借りた!
 ただ、よく知られるロンドンの大病院に置かれている、二百年前、その病院の修習生だったキーツの像、そのはかなげな姿が以前よりも繰り返し浮かんでくる。
 昔、ロンドンに何度か行ったときはキーツを知らなくて、近年、ウエブの病院サイトの案内写真で見つけたものだ。
 その像に会いに行きたい、と思うようになった。


Ode on Indolence
怠惰のオード


They toil not, neither do they spin.
(野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい)
 働きもせず 紡ぎもしません ──マタイによる福音書 6.28


One morn before me were three figures seen,
With bowed necks, and joined hands, side-faced;
And one behind the other stepp'd serene,
In placid sandals, and in white robes graced;
They pass'd, like figures on a marble urn
When shifted round to see the other side;
They came again, as, when the urn once more
Is shifted round, the first seen shades return;
And they were strange to me, as may betide
With vases, to one deep in Phidian lore.

 ある朝 ぼくの前に 三つの人影があらわれたよ
 こうべを垂れ 手をつなぎ 横顏だけを見せながら
 一列となって しずしずと 歩みを進めていった
 ギリシア風のサンダルをはいて 優美な白い長衣をまとうて
 通り過ぎていったよ 大理石の壺に描かれた人たちのように
 壺のべつの側を見たくて くるりと回したときのように
 あの人たちはまたやってきたよ 壺がいま一度
 ひと回りしたかのごとく さいしょに見た人影がもどってきたわけだが
 見たこともない人たちだった
 古代ギリシアの名匠ペイディアスの作った壺にくわしくたって
 たぶん誰かは分からないだろう


How is it, Shadows! that I knew ye not?
How came ye muffled in so hush a masque?
Was it a silent deep-disguised plot
To steal away, and leave without a task
My idle days? Ripe was the drowsy hour;
The blissful cloud of summer-indolence
Benumb'd my eyes; my pulse grew less and less;
Pain had no sting, and pleasure's wreath no flower:
O, why did ye not melt, and leave my sense
Unhaunted quite of all but-nothingness?
 
 影たちよ! あなたがたのことがわからなかったとは なぜなんだ 
 どうして 仮面劇みたいに顔をかくし 音も立てずに来たんだ
 潜行変装作戦とでもいうわけかい
 そのままそっと立ち去って
 ぼくの なまけた日々を 視察した跡を残さないようにするための
 半睡気分に満ち満ちた ってところだったからな
 かぎりなく楽しい 夏の だらけムードが
 視界を朦朧とさせ 心拍はだんだん か細くなり
 刺すような痛みは もはやなく 快楽の花輪の花々も閉じていき
 ああ なぜあなたがたは溶け去ってくれなかったんだ 僕の感覚を
 ただ「無」だけ ほかの なにものにもとらわれないままに しておいてくれなかったんだ


A third time pass'd they by, and, passing, turn'd
Each one the face a moment whiles to me;
Then faded, and to follow them I burn'd
And ach'd for wings because I knew the three;
The first was a fair Maid, and Love her name;
The second was Ambition, pale of cheek,
And ever watchful with fatigued eye;
The last, whom I love more, the more of blame
Is heap'd upon her, maiden most unmeek, ─
I knew to be my demon Poesy.

 三度めに その人たちが通り過ぎたとき そう 通り過ぎながら
 それぞれに 顔をちらりと こちらに見せたよ
 そして消えていったが その人たちを追いかけていける
 空飛ぶ羽があったらなと 心が痛むほど焦がれたよ 
 なぜって わかったからさ その三人が誰かってことがね
 最初のは清らかな乙女だ その名は「愛」
 おつぎは「野心」 青白い頬をして 疲れた目で様子をうかがってばかり
 最後のは ぼくが愛すれば愛するほど ますます責めずにはいられない
 最悪の あばずれ娘さ
 ぼくは知っている その娘こそ ぼくにとっての悪魔 「詩」ってやつだ


They faded, and, forsooth! I wanted wings:
O folly! What is love! and where is it?
And for that poor Ambition! it springs
From a man's little heart's short fever-fit;
For Poesy! ─ no,she has not a joy, ─
At least for me, ─ so sweet as drowsy noons,
And evenings steep'd in honied indolence;
O, for an age so shelter'd from annoy,
That I may never know how change the moons,
Or hear the voice of busy common-sense!

 あいつらが見えなくなると ぼくは心底 羽がほしくなった
 いや ばかばかしい! 愛ってなんだ ありもしないというのに
 それから あの みじめな野心とやら! 
 人間のせこい心から発する いっときの熱病からわいて出るものだ
 詩ときたら! なんたって その娘は快楽というものを知らない 
 すくなくとも ぼくには喜ばしく思える
 甘美な怠惰にどっぷりつかった 眠くなる甘い午後も夕刻も
 おう ずっと長い間 煩わしさから身を隠しつくしていられるのなら
 月の満ち欠けがどうなっているかなんて ぜんぜん知らなくたっていい
 まして がちゃがちゃした世の常識なんかに 耳を傾けなくたってへいちゃらだ


A third time came they by; ─ alas! wherefore?
My sleep had been embroider'd with dim dreams;
My soul had been a lawn besprinkled o'er
With flowers, and stirring shades, and baffled beams:
The morn was clouded, but no shower fell,
Though in her lids hung the sweet tears of May;
The open casement press'd a new-leav'd vine,
Let in the budding warmth and throstle's lay;
O Shadows! 'twas a time to bid farewell!
Upon your skirts had fallen no tears of mine.

 そいつらがやってきた三度めのとき … ああ 何のためにだ
 ぼくの眠りはそこまでは ほの暗い夢に飾られてきた
 ぼくの魂は 花をまき散らした芝生 そして ゆれ動く影にさえぎられた光
 人影を見た朝は曇っていた けれど雨は降らなかった
 雲のまぶたには 五月の甘い涙がやどってこそいたけれど
 窓をひらけば 萌えたてのぶどうの若葉たちを ぐいと押して
 この 暖かさの到来と 卵を産んだツグミの歌を招き入れよう
 おう 人影たちよ それが はっきり別れを告げるときだったのさ
 ぼくの涙が お前たちの 長衣の裾に流されることも なかったよな


So, ye three Ghosts, adieu! Ye cannot raise
My head cool-bedded in the flowery grass;
For I would not be dieted with praise,
A pet-lamb in a sentimental farce!
Fade softly from my eyes, and be once more
In masque-like figures on the dreamy urn;
Farewell! I yet have visions for the night,
And for the day faint visions there is store;
Vanish, ye Phantoms! from my idle spright,
Into the clouds, and never more return!

 さて 三人の亡霊たちよ おさらばだ! おまえたちには
 花咲く野原に心地よく枕したぼくの 頭を持ち上げさせることはできないぞ
 というのも ぼくは決して おセンチな道化芝居にでも登場しそうな 
 賞賛を食わされて いい子ちゃん扱いされる羊なんかにはならんからだ。
 そうっと ぼくの視界から消えちゃってくれ そうして もと通りに
 あの仮面劇のような ぼくの夢だったにちがいない壺の絵になってくれ
 もう会わないぞ! いまだって 夜になると想像の幻をあれこれ見ているんだ
 日中は おぼろげになった幻で在庫いっぱいってところなんだからな
 消えてしまえ お前ら幻影よ! ぼくの なまけ心だけ残して
 雲の中へ消えてくれ そしてもう 一度たりとも巡ってこないでくれ!

※冒頭の箴言の訳は『聖書 新改訳』(日本聖書刊行会)

(ケ)
190830My.JPG 
オードブル、タベタイヨ……


※訳文の無断転載はご遠慮ください (C) 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌

posted by 冬の夢 at 12:47 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2019年08月28日

おい日本、大丈夫か? 柴山某なんてのが文部科学省大臣で……

 詳細はよく知らない。それでも、一読して背筋が総毛立つような、腕が鳥肌になってしまうような、思わず吐き気を感じるような、そんな気分にさせられるニュース記事を見てしまった。今日(8月27日)のネットの新聞記事だ。その一部だけ引用すると、

 埼玉県知事選で応援演説をしていた柴山昌彦文部科学相に対し、大学入試改革への反対などを訴えた若い男性を警察官たちが取り囲んで遠ざけたことが、ツイッターなどで話題となり、柴山氏自身も「わめき散らす声は鮮明(だった)」などと発信している。27日の会見で柴山氏は「(演説会場で)大声を出すことは権利として保障されているとは言えないのではないか」との見解を示した(朝日新聞)。

 事件の概要はこれだけだ。つまり、政治家(与党)の街頭演説にヤジを飛ばした個人を警察官がその場から排除した。このこと(街頭演説の場でヤジを投げつける人間を警察が排除すること)に関して、当然ながら、一部から批判の声が上がった。それに対して、当の政治家(文部科学省大臣)が「(演説会場で)大声を出すことは権利として保障されているとは言えないのではないか」と応えたという。

 これのいったい何がそんなに恐ろしくて気色悪いのか? おそらく多くの人々には分かってもらえないかもしれない。そんな気がする。もしも大多数の人々がこのニュースに対して生理的ともいえるような拒絶反応を示してくれるのであれば、ぼくもこれほどには怖がらずに済むのだろうけれど……

 与党の街頭演説に反対する声を警察が排除する。これだけでもすでに十分に怖い。いや十二分に怖い。ぼくもしばしば経験するが、選挙中の街頭演説は非常にうるさい。自分が利用する駅で遭遇すると、その日はなんて運の悪い日だろうと思わされる。「いったい自分を何様だと思ってやがるんだ!」と悪態の一つも言いたくなる。だってそうでしょ? いくら選挙運動として認められているとはいえ、それこそ何の権利があってあんなバカでかい声でわめき散らすことが許されているのか。しかも、中には中身がほとんどないもの、支離滅裂なものもある。その上、こちらには異議を唱えたり、質問したりすることもできない。(それとも、あの場で、「もしもし、あなたの言っていることは滅茶苦茶ですよ」と穏便に言ったら、こちらも同じ壇上に登らせてくれて、公開議論することが認められたりするのだろうか? そんなことはないだろう。)だとしたら、「うるさい、あっちへ行け!」くらいは言いたくなるというものだ。

 もちろん、普段なら、うるさいと思えばこちらが遠ざかる。しかし、もしも恋人とデートの待ち合わせ場所が正にその場であったなら、やはりぼくでも「うるさいぞ! あっちへ行け!」と怒鳴りたくなるだろう。が、この記事の通りであれば、そう怒鳴ったぼくの回りに突如として警官が集まり、ぼくはその場から排除される。「いや、待って下さい。ぼくはここで恋人とデートの待ち合わせを、云々」と言ったところで、腕を捕まれて、その場から無理やり移されることになるのだ。そして、彼女をすっぽかすことになり、挙げ句には「約束も守れないバカ者」と思われて、振られてしまうかもしれない。それがイヤで、取り囲んだ警官から逃げようと思い、手でも振り払った途端に、「公務執行妨害!」と言われ、逮捕されてしまう。そうなれば、やはり失恋の憂き目が待っていることに違いはない。

 これだけでもすでに十分悪夢だが、ぼくの感じる恐怖の正体はこれではない。本当に怖くて気持ち悪いのは、この柴山昌彦という政治家の発言だ。同じ新聞記事から拾い上げると、

 (柴山昌彦大臣は)27日の会見では質問に対し、「表現の自由は最大限保障されなければいけないが、選挙活動の円滑、自由も非常に重要」と答えた。そのうえで、「演説会に集まっておられた方々は候補者や応援弁士の発言をしっかりと聞きたいと思って来られているわけですから、大声を出したり、通りがかりでヤジを発するということはともかくですね、そういうことをするというのは、権利として保障されているとは言えないのではないか」と語った。

 自分の演説に向けてヤジを飛ばした人間を警察官が強制的に排除した。それは個人の自由に対する侵害だという批判に対し、「大声を出したり、通りがかりでヤジを発するということはともかくですね、そういうことをするというのは、権利として保障されているとは言えないのではないか」と、大臣という役職にある人間が発言する、このアホさ、このアホさに気がつかないアホさ、つまりアホの二重構造、無限ループが怖くて怖くて仕方ない。だってですよ、このアホさが示していることを分かりやすく言い直せば、「権利として保障されていないことをしたら、警察に取り囲まれ、移動の自由や発言の自由を奪われても仕方ない」と言っているに等しいわけだ。繰り返すが、当の政治家は、万一このブログを見ても、「オレはそんなことは言っていない」と言うに決まっている。つまり、自分がどんなにアホなことを言ったのかは全く自覚していないだろう。しかし、事実として、「そういうことをするというのは、権利として保障されているとはいえないのではないか」と言ったのだし、その意味するところは、先に言い直した通りにしかならない。

 選挙運動の妨害が取り締まりの対象になることは承知している。そして、選挙運動が、どんなに非常識な騒音を撒き散らすものであっても、それこそ候補者の権利として保障されていることも承知している。そして、そのこと自体には大いに正当性があることも理解している。だから、たとえ個人の示威運動であっても、それがあまりに強烈かつ悪質であれば、警察官が排除することも起こりえるだろう。だから、その場にいなかった身としては、この強制排除の是非を問題にしているわけではない(怖いことだとは感じるけれども)。

 けれども、繰り返すが、「権利として保障されていないことをしたら、公権力はその行為を抑制してもいい」と公言されると、「おいおい、いつから日本はガリバー旅行記に出てくるようなヘンテコな国になったんだよ? 逆だよ、逆! 正しくは『法的に禁じられていないのであれば、個人には大方のことが許されている』ってのが自由主義国の基本だよ、おっさん、大丈夫か?」と言いたくなる。コーヒーを飲む権利なんてものはいちいち保障されていないけれど、人はコーヒーを飲むし、人前でコーヒーを飲んでも強制排除されることはない。海に入る権利なんてものはどこにもないけれど、そこが立ち入り禁止になっていない限り、あるいは私有地でない限り、海に入っても人は逮捕されない。歩道を走る権利なんてどこにも書かれていないけれど、人は走っても拘留されることはない。(以下、ほぼ無限に続くはず。)権利として保障されていることはもちろんのこと、わざわざ保障されていなくても、人はそれをしていいんだよ。こんな単純なことが混乱しているとは!

 おい日本、大丈夫か? 多分もうダメだね……極めて残念ながら。 (H.H.)

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(本文とは関係ありません)

 
posted by 冬の夢 at 00:41 | Comment(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2019年08月27日

「トロいせき」って、知ってるかい ─ 特別史跡・登呂遺跡(2/2)

 身近に小・中学生がいないので確認していないが、いまの教科書に登呂遺跡は載っていないらしい。
 同じ弥生時代なら吉野ケ里、縄文時代といえば三内丸山、それらが新しい「遺跡チャンピオン」のようだ。
 また吉野ケ里遺跡によって、弥生時代のイメージは牧歌的農耕生活でなく、小国単位での争乱の日々ということになってもいるとか。ご存じの人も多いと思うが、吉野ケ里は規模が大きく、身分差(特権層の存在)があったことがわかり、堅固な防御設備や、激しい戦闘の死者とわかる遺体も見つかっているからだ。

 吉野ケ里は一九八〇年代、三内丸山は一九九〇年代の、発掘大ニュースだったのだが、あの盛り上がりは、いまだに記憶に新しい。
 古代史ブームといったのかどうか、観光開発とセットになり大きくプロモーションされたり、テレビや新聞など専門向けでないマスメディアが、他の地域も含めて、古代史特集や出土品総まとめ、的なことをよくやっていたからだ。

 縄文時代以降の発掘・研究とは同列にできない業界の話かとも思い、ここで持ち出すのは筋違いかもしれないが、そのあいだ間欠噴火のように続いていた原人ブーム、あれも含めて、ひょっとすると「心の支え」という面で、みな同じ期待に向かって訴及力を発揮した、ということなのかもしれない。

 このさいだから旧石器発見についてもうすこし述べると、これもご承知のとおり、日本には、はるか七〇万年前にさかのぼる、独自のすぐれた原人「文化」が存在していたという「事実」は、ほぼすべてが幻と消えた。
 戦後間もない登呂遺跡の発掘時に劇的といえるほど間口が広がり、学際的・科学的に、かつ市民アマチュアもまじえて資料にアプローチする常識を作りあげた古代の研究の中に、なぜ専門家業界の閉鎖性と、それに寄与することで地位を得たにすぎない限られた、いや、ただ一人のアマチュアによって、「絶大な訴及力」を積み上げることを繰り返す図式が育ってしまったのだろう。
 そこには、日本民族には民族の自信がなくちゃいけない、その心の支えとなる、とても古くからの正しい歴史がなくちゃいけない、という、いやな期待感の後押しがなかっただろうか。古代人からして日本はすごく歴史が古いし、原人だって縄文人だって、とくに偉かったんだぞ、どうだ、みたいな……。

 この文を書いたのは、いままで一度も行ったことがなかった登呂遺跡に行ってみたから。
 首都圏から東海地方に行く用が多くなり、静岡駅からバスで十分くらいで行けるというので、寄ってみるか、と。
 見学記でもと思ったら、こんな文になってしまった。
 もっとも、わざわざ見学記など書かずとも、行って見ていだたければわかること。疑問点があれば、隣接の、二〇一〇年秋に改装会館した静岡市立登呂博物館で調べたり聞いたりできる。年間入館者数が往年の観光客数を超えているとは思えないので、ぜひ、訪れてみてほしいと思う。

 子どものころ、古代史の象徴のように思っていた場所に立ってみて感じたこと。
 ここで、古代の暮らしを想像するのは、むずかしい。
 いつごろからそうなったのかは、わからないが、現在の登呂遺跡は住宅街の中にある。すぐ南は東名高速道路。
 昔、見た写真でだったかどうか記憶にないが、ここはもっとずっと開けていて、駿河湾のほうまで田んぼが広がっていたような気がする。現在は、もちろん首都圏のように建て込んではいないけれど、高床式倉庫の道をへだてて向かいが一般の家だったりする。復元された竪穴住居を、それらしく写真に撮りたいと思うと、どうカメラを按配しても、背景に住宅や電柱・電線が写ってしまって苦労する。
 なんとか写して、写り具合を見てみると、どの写真も模型のジオラマのように見えて、どうも変だ。
 住居や倉庫の再現が、あまりに完璧(キレイに作られているという意味)で、暮らしのケハイがうかがいにくいからだろう。
 もちろん学問的には、地面の遺跡の「上に建っていたもの」は、あくまで「こうであるに違いない」で再現するので、絶対にこうだった、というリアリティを持たせると、嘘になりかねない、ということがあると思うし、そこをあまりツッこむと、お前だって弥生時代の暮らしや住居を「想像」したくて来たんじゃね〜か、ということになるので、つらいものがある。

 で、現代の宅地に囲まれた弥生集落で、すぐ思い直した。
 これはこれで、いいんじゃないかと。
 静岡市駿河区登呂。いつしか田んぼが埋まって家が建ち並び、時代が移って代はかわり、どこからかやってきた人たちが住んできた。弥生時代にここにいた人たちだって、そんなようなものだったかもしれない。
 すくなくとも、わたしは、「心の支え」になると称されるような、オリジナルな古代日本人も、「民族の自信」も、いらない。(ケ)


【前篇は→こちら←


『シリーズ「遺跡を学ぶ」099 弥生集落像の原点を見直す・登呂遺跡』(岡村渉/新泉社/2014)
『登呂博物館開館40周年記念展 登呂遺跡はじめて物語』(静岡市立登呂博物館/2012)
 などを参考にしました


Originally Uploaded on Aug. 26, 2019. 22:50:00
posted by 冬の夢 at 00:01 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする