2017年03月15日

Mozart−String Quartet No.19 in C major, K.465 元気が出る曲のことを書こう [17]

 クラシック音楽は苦手。あまり聴かない。
 なのに、ふと聴きたくてたまらなくなるクラシック音楽がある。

 弦楽四重奏
 周期的に禁断症状があらわれ、キキタイヨ〜、キキタイヨ〜、と全身を震わせながら……とまではいかないが、回しまくったCDが部屋に散乱する。
 そのくせ毎度すぐに飽き、悪態をつきながら後片付けしているから世話はない。

 弦楽四重奏なら何でもいいわけでもない。
 最悪なのは、モーツァルト。
 弦楽四重奏に限らずモーツァルトの音楽は、ひどい躁鬱を極度の振幅で放ってくる。その気質を激しく持つ人が作ったものだと、すぐにわかる。そのケがある人が聴けば即座に気づくと思うほどだ。誰にも確かめたことはないが、聴いていて体調がおかしくなることはないのだろうか。病気が治るだとか、家畜や園芸に聴かせてどうのこうのって話があるが、「効能」はまったく信じていない。
 そう思い込んでいるせいか、どの曲もクドく、やり過ぎに聴こえる。モーツァルトの時代は、たっぷり聴かせるのが注文主ら聴き手へのサービスだったとは思うが、神経が執拗に揺さぶられ、元気が出るどころではない。あえて、そういう特徴に着意して聴く聴きかたもあるだろうが……。

 モーツァルトの弦楽四重奏曲は、二十三曲もある。モーツァルトの音楽が好きでさえあれば、楽しみは尽きないのだ。
 四つの楽器が舞い踊るように華麗に鳴り響く。どこからアイデアが出て来るのかと驚く旋律の洪水は、まさに「汲めども尽きぬ」だ。メロディの多彩さのみならず、スピード感、フレーズの昇降度、どれをとっても「元気が出そう」。
 モーツァルトといえど、えらい人の注文で作曲させられた時代だから、とうぜん「明るく楽しいやつを」的な要求が多かったにしても、二十三曲ほぼすべてが長調。短調は二曲しかない。

 だったら素直に楽しめばいいじゃないかと思うが、弦楽四重奏曲のどの曲でも、第一楽章の半分も聴かないうちに、ひどい不安が襲ってくる。あわてて他の曲を流すが、どの曲も同じように長くしつこく感じるぶん、気分の降下に加速度がつく。
 ある種のハウスミュージックを聴き続けたときに陥る麻痺状態に似ていなくはないので、そこが気持ちいいと思えなくもないが、とにかく、楽しんで聴くのはむずかしい。

       *

 どれも似て聴こえるといったが、他とまったく違う、それも似ても似つかない変なところを持った曲が、ただ一曲だけある。
「不協和音」の通称でよく知られる、弦楽四重奏曲第十九番 ハ長調 K.465だ。

「変なところ」とは第一楽章の冒頭。
 曲名のとおり「ドミソ」のハ長調、つまりキーはCだが、曲が始まったとたん、コードも調もわからない陰鬱な旋律が交錯する。四つの楽器は、とうてい「ドミソ」に合わない暗い響きを重ねる。テンポも Adagio で重たいので、その後にいきなり Allegro で「モーツァルト節」が最強の明朗度で炸裂するのが、かえって不気味だ。

 いまエレキギターで音を拾ってみているが、意味がわからん! 
 専門的なクラシック音楽理論はわかりっこないからって、エレキを持ち出すことじたい意味ないか! 
 それでも無理繰りにコードを合わせていると、冒頭の不気味な Adagio は、G7にまとまる感じだ。Cマイナーの雰囲気でのG7で、つまりドミナント7th。
 G7(ソシレ+ファ)は、Cメジャーのドミナント7thでもあって、C(ドミソ)の発射装置のような機能の和音だから、つぎにCメジャーで「モーツァルト節」が爆発するのは、バッチリはまっているわけだ。現代の感覚ならふつうに「カッコいい」。しかも冒頭の不可解な部分が、とってつけたものでないこともわかる。
 モーツァルトの時代には「写譜屋のまちがい」とまでいわれた「不協和音」も、「カッコいい」響きだ。自分がかなり好きな、危ないから近寄り過ぎないようにさえしている、ロマン派の情緒的な響きにも近い。
 繰り返し聴くうちに、なぜか気分が上向いてきた。モーツァルトの曲ではたいてい情緒低下のどん底へ落とされる最終楽章さえ、素直に聴けるから不思議だ。

       *

 この曲は、敬愛するハイドンに捧げられたので「ハイドン・セット」といわれる、六曲の弦楽四重奏曲の最終曲だ。
 さきにも書いたとおり当時は作曲家はあくまで「家来」、曲作りは命令仕事だったので、「ハイドン・セット」も、そのころよくあった「セット注文」枠の流用かもしれない。が、雇用者や注文主よりずっと身分が低く、自分と同格の音楽家──大先輩だが家来であることは同じ──に贈るという制作意図は、当時としては新しい。
 主君にも司教にも束縛されない、すなわち政治にも宗教にもかしずかない音楽。それが、この曲の「不協和音」と「モーツァルト節」の、じつは計算され尽くした強い対比の間に存在しているのかもしれない。もちろん、社会構造に直接タテついて干されないよう、もちまえの諧謔心を存分に発揮して、この曲だけに、こっそりと。

 モーツァルトはこの曲を、一八七五年一月中旬、ハイドン・セットの五番め、弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464 に続き、ほぼ同時に完成。出来たての二曲を含むハイドン・セットの後半三曲を、ウィーンの家に招いたハイドンに聴かせている。自分も楽器をとって演奏に加わった。
 前年暮れ、モーツァルトはフリーメイスンに入会している。ほどなくハイドンもフリーメイスンに加わらせ、父のレオポルトは自分と同じ結社に入会させた。
 ハイドンが自分に贈られた弦楽四重奏曲を聴いたのは、自身がフリーメイスンに入会した翌日だ。モーツァルトがイタリア語で書いた献辞の呼びかけは「わたしのもっとも親愛なる友人よ」である。

 モーツァルトとフリーメイスンの関係は秘密でもなんでもなく、タイトルに「フリーメイスン」が含まれる、つまりフリーメイスンのために作曲された曲もある。モーツァルトの楽曲をフリーメイスンの「秘儀」の象徴と読み解く研究も、古くからされている。
 しかし、フリーメイスンを軸に一般むけの演奏会プログラムやCDブックレットが書かれていることは、めったにないのでは。クラシック音楽をあまり聴かないから、知らないだけかもしれないが。

 フリーメイスンから説き起こさないとモーツァルトの音楽は語れない、といっているのではない。
 フリーメイスンは現在も「秘密組織」なので、モーツァルトとフリーメイスンについては、それ以後に断片的に明らかになったことから想像するしかない。モーツァルトが遺した手紙はとても多いが、それに関連する内容の手紙や書類は、妻のコンスタンツェが処分し、存在しない。
 モーツァルトの時代、フリーメイスンには権力者、資産家、聖職者までもが参加していたから、世俗の地位を横断する友愛組織という側面は大きいが、現代でも、世界制覇をたくらむカルト集団だという風説があるように──当時、フランス革命のウラ扇動者だと疑われてもいた──フリーメイスンを持ち出すと陰謀論になってしまう問題もある。半世紀にわたる関心と研究の成果だというキャサリン・トムソンの『モーツァルトとフリーメーソン』にも、「そもそも」の話については、「状況証拠」しかないからとはいえ明瞭には書かれていないのだ。弦楽四重奏曲「不協和音」は、きわめて重要な曲だと思うのだが、これについても意外なほどあっさりした記述だ。
 いずれにしても、音楽の話だけにしておくのが「お約束」なのだろう。ヘタにいじって地雷を踏むよりは。

       *

 この曲は、六曲のハイドン賛歌の締めくくりであると同時に、ハイドンのフリーメイスン入会を祝賀する曲であり、また、尊敬する先達と「友」と呼び合える立場になれたモーツァルト自身をも祝う曲だと、考えるようになった。
 冒頭の不可解な Adagio は、人間の深みを凝視した表現だというような解釈があるが、暗く「不協和」だから深遠といわれても、よくわからない。そうであるなら、なぜこの曲「だけ」に存在するのかが、わからない。
 もっと即物的な何かが、この Adagio にはあるのだ。
 語呂合わせや暗号、ビリヤードなどにとても凝っていたモーツァルトのことだ。もっとずっと具体的な、ハイドンが聴けば一発でわかるフリーメイスン入会の秘儀──かなりややこしいらしい──が、ゲームアイテムのように封入されているのではないか。そうだとしたら、モーツァルトの家でこれを聴かされたハイドンには、すぐわかったはずだ。そのときのハイドンの異様なほどの感動ぶりも、それでうなずける──「不協和音」は敬遠したという説があるが、気取られないためのハイドンの「ふり」だ、なんていったら完全に陰謀論かな。
 いずれにせよこの曲が、モーツァルトを聴くとメゲるわたしを、元気にしてしまったのは確かだ。モーツァルトの音楽を、すこしだけ、好きになったのかもしれない。

       *

 即物性とは関係のない話かもしれないが、モーツァルトといえば数量の多さだ。
 作った曲数、弾いた曲数。それらに詰めこまれた、あるいは放たれた、音符の数。
 手紙、おしゃれな服、そして借金!
 神童だから汲めども尽きず、天才だから蕩尽した、ということだろうか。
 どうもしっくりこない。

 焦燥感では、と考えた。
 音楽に、そして暮らしに、数となり量となってあふれているのは、汲めども尽きぬ「いらだち」なのだと。

 デビューが早すぎて技能が枯渇した「元・神童」の焦り、という意味ではない。
 英才教育、というよりシゴキか、ともかく幼時から仕込まれ、楽器を自在に弾きこなすことなどモーツァルトには朝飯前だったろう。
 といっても、楽器を曲芸のように弾くだけでは名声や収入は続かない。音楽の才ありとみた幼い息子を高く売ろうという親の思惑は、わずか七歳の一流作曲家を作り上げようとする、作曲指導となった。
 幼いうちから長期間、遠距離の興行旅行をさせられたために、長寿をまっとうできない虚弱体質になったうえ、芸人でなく芸術家として商売になるよう有無をいわさず作曲法をたたき込まれたのだが、すくなくとも後者については、モーツァルトは感謝していただろう。

 その場ウケの芸を繰り返すより、後世に残る音楽を創造し認められるほうが、はるかに素晴らしい。いかなる束縛もうけない曲を作りだしたら、それを自分が弾いたり指揮したりできる力もある。
 偉大な作曲家の曲をたちまち学びとることができ、自分が曲を作るとなれば圧倒的な演奏技術も持っていることで、過去の名曲の一歩さきを表現できるモーツァルトには、大きな可能性があった。名演奏者かならずしも名作曲家にあらず、逆もまた真なりだが、モーツァルトこそ名作曲家にして名演奏者として、栄光を一身に得られたはずだ。

 だがモーツァルトは、不当なまでに「家来」としての、そして不当なまでに「人気商売」でしかない、不自由な音楽家人生を強いられた。モーツァルトを、いや音楽家という存在を、自由なひとりの芸術家として評価できる時代ではまだなかった、といえばそれまでだが。
 人と人が、それも才知ある人格者どうしが、同時代の身分差をいったん保留にし、友人として認め合い助け合うことが、当時のフリーメイスンの秘密の「奥義」であったなら──現代でも秘密の印を出しておくことで、立場・地位に関係なく見ず知らずの組織員どうしだとわかるという──モーツァルトは心からの喜びと熱意をもって、フリーメイスンに自分のアイデンティティを託したに違いない。

 本当のところは、わからない。モーツァルトの葬衣はフリーメイスンの黒装束だったというのだが、非結社員の聴衆も聴く音楽にフリーメイスンを表わしすぎたがゆえに、当の組織に謀殺されたという説もある。凡愚が想像の翼をばたつかせるのは、これくらいにしておこう。

 モーツァルトが亡くなった当時は法律上、故人の遺産目録を作る必要があったそうだ。したがって、モーツァルトが最後に所持していた品々の品目と評価額が、驚くほど細かいリストとなって──かなり興味深いので、別に書き写しておいた※──残っている。
 遺品という「モノ」は、なにより雄弁にその主を語るというが、それらの品は、モーツァルトの音楽についても、何かを教えてくれるのだろうか。それらの品が、もとあったとおりにモーツァルトの部屋にある様子を想像しながら、二十三曲の弦楽四重奏を聴き、そしていま一度「不協和音(Dissonant)」こと、弦楽四重奏曲第十九番 ハ長調 K.465、その第一楽章を聴きはじめている。(ケ)

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【参考】
『モーツァルトとフリーメーソン』(キャサリン・トムソン/訳:湯川新・田口孝吉/法政大学出版局/一九八三年)
『モーツァルト書簡全集Y』(白水社/編訳:海老沢敏・高橋英郎/二〇〇一)
『モーツァルトを聴く』(海老沢敏/岩波新書/一九八三年)
 ほか

 二十三曲すべて聴いたのは初めてで、イタリア・カルテット(Quartetto Italiano)の演奏です。待てよ、一曲くらい聴き忘れているかも。
 この弦楽四重奏団が好きですが、ほかの四重奏団の演奏を聴いたことはほとんどないので、説得力がある理由はありません。
 これより前に何曲かまとめて聴いたことがあるのは、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartett)の四重奏曲全曲集でないボックスセットです。すばらしい演奏らしいですが、買った当時に何度か回したきり。今回も、こちらは聴いていません。



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posted by 冬の夢 at 00:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする