2017年01月30日

ウィリアム・バードのミサ曲といわゆる「名盤」について

(画像のリサイズのついでに、少し加筆:2月1日)

 ウィリアム・バード(William Byrd: 1543?~1623)の名前を知ったのは、しばしば天才・鬼才と称されるグレン・グールドというピアニストの演奏を通してだった。若者の知的内面世界が爆発的に拡大する「学生時代」のことだ。生物的には第二次性徴と言われる時期が「二回目の誕生」なのかもしれないが、そして確かにその時期に経験する主に性的な出来事は誰の個人史にとっても相当に大きな意味を持つのだろうけれども、自分の個人史の中では学生時代という「モラトリアム」こそが最も重要な意味を持っていたように思う。実に多くのことを知って、世界は高校時代と比較にならないほどに拡がった。(昨今は「貧すれば鈍す」なのか、日本社会からどうやらこの「モラトリアム」が廃止されてしまったようで、そうなると、若者たちはいったいどこで自らの知的革命を遂行すればよいのか? おそらく、知的革命などとは縁遠い人生を余儀なくされてしまうのはないだろうか……)

 話題をバードの音楽に戻せば、友人が『バード&ギボンズ:作品集』(A Consort of Musicke bye William Byrde and Orlando Gibbons)を聴かせてくれたのが最初の出会いだった。「グールドといえば、こんな珍しいものもあるよ」といった感じで、音源は当時の主流メディアであったLPですらなく、貧乏大学生御用達のカセットテープだった。だから、そのときには、今見てもカッコいいと思うジャケット・デザインを知ることもなかった。が、ともかく、一度聴いてすぐに魅了された。いや、完全にノックアウトされたというべきか。お金ができたらすぐにLPを買おうと決心し、ほどなくその見事なビジュアルを伴う傑作を手に入れたことは言うまでもない。けれども、そのとき魅了されたのは、もっぱらピアニストのグレン・グールドに対してであって、作曲家ウィリアム・バードに対してではなかった。

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(16世紀の雰囲気を再現しているカッコいいジャケット)

 そもそも、ウィリアム・バードという名前だけなら、もっとずっと前から知っていたはずだし、もしかしたらその音楽も一度ならず聴いたことがあったのではなかったか。というのは、バードはシェイクスピアと同時代の作曲家だから、イギリス・ルネサンスを学んでいた学生なら、当時のイギリスの宗教的混乱に関する記述と共に(バードは敬虔なカトリック教徒であり、イギリス国教会からは差別を受ける側にあった)エリザベス朝文化の精華として教えられていた可能性が十分ありえる。その上、ルネサンス音楽を専門とする先生の下で西洋音楽史の授業もそれなりに熱心に受講していたのだから、絶対にその音楽を授業の中で紹介されていたはずだ。ところが、オケゲムやジョスカン・デ・プレなどのフランドル楽派は記憶に鮮やかに残り、一方、エリザベス朝の音楽で覚えたのは(つまり、好きになったのは)ジョン・ダウランドの音楽だけだった。ウィリアム・バードが親しい音楽家になるためには、もう少しこちらの知的成長を待つ必要があったということだろう。

 音楽雑誌やインターネットを中心に「名盤論争」は尽きることがない。別の同人も言及しているけれど、自分の愛聴している演奏が貶められているのを目(耳)にするのは、どんなにそれを黙殺しようとしても、どうにも心穏やかならざるものがあることも否定できない。そうした不愉快な気分を一掃するために、自分なりに揺るぎない名演・名盤の定義を策定することにした。即ち「その音楽の魅力を十全に示してくれた演奏こそが名演奏である」。これは単なる個人的な経験則だが、ある演奏を聴いてその音楽を好きになると、その後は色々な、多種多様な演奏が楽しめるようになる。もちろん、それぞれの演奏に対して好き嫌いの反応は起きるし、その結果として、よく聴く演奏と滅多に聴かない演奏という区別が確かに存在することになる。が、面白いことに、滅多に聴かない演奏に対しても「知的に」興味深い点はいくつも見つけられる。これは、増殖し続けるCDに対する言い訳ではないと思いたい。

 バードには3曲のミサ曲がある。これらの宗教音楽の深い魅力を最初に教えてくれたのはタリス・スコラーズという、ルネサンスの声楽曲を主なレパートリーにしているグループによる演奏だった。キリスト磔刑図のジャケットにはちょっと引くが、流れてくる音楽は絶品だ。バードが残したミサ曲は3曲だけで、それぞれ3声、4声、5声のミサ曲と称されている。つまり、異なった演奏形態のミサ曲を1曲ずつ作曲したというわけだ。イギリス国教会とカトリック教会の対立が続く当時、これらのミサ曲がどのように使われていたのか、どのような場所で、どのような機会に歌われていたのか、正確なことはわからないらしい。ちなみに、バード自身は敬虔なカトリック教徒であったらしいが、とりわけエリザベス女王が宗教宥和政策を取ったこともあり、かなり自由な活動が許されていた上に、イギリス国教会のための儀礼用音楽も数多く作曲している。しかし、英語(イギリス国教会はラテン語ではなく英語を用いた)ではなくラテン語の歌詞を持つ3曲のミサ曲にこそバードの精髄が表現されているというのが「定説」になっているようだ。

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(ちょっと怖い?ジャケット・デザイン)

 これらの3曲の中で、初めてタリス・スコラーズの演奏を聴いたときは、「3声のミサ曲」が最も印象的であり、つまり、最も美しいと感じられた。というか、その他の「4声のミサ曲」と「5声のミサ曲」はかなり長い間(かれこれ25年もの間)「特に好きでもない曲」に留まっていた。「3声のミサ曲」がジョスカン・デ・プレや、やや時代は降るが、ドイツのハインリッヒ・シュッツのいくつかの音楽と同じく、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲やモーツァルトのピアノ協奏曲等々の「人類の遺産」と肩を並べて堂々とトップ・ランクに君臨してきた一方で、「4声のミサ曲」と「5声のミサ曲」は、「ああ、そんな曲もあったね」という程度の扱いに甘んじていた。

 そんなある日、ソプラノに女声を用いるタリス・スコラーズとは方向性を異にした、しかし、同様に古楽声楽アンサンブルの横綱クラスであることに相違ないヒリアード・アンサンブルが録音したバードのミサ曲を聴く機会に恵まれた(というか、つまりは、新しくCDを購入したわけだ)。そして、初めて「5声のミサ曲」の美しさを知った。ヒリアード・アンサンブルとしては珍しく、「5声のミサ曲」では女声も使われている。面白いことに、「3声のミサ曲」を聴いたときは、「まあ、こんなもんだね。タリス・スコラーズの方が少しいいかな」と思っていた。(今もそう思う。)そして、「4声のミサ曲」も何事もなく通り過ぎていった。が、いったい何が起こったのか、「5声のミサ曲」の最初のキリエから「おや、これはちゃんと姿勢を正して聴かねばならない音楽ではないか!」と感じさせるものがあった。おそらく、テンポの違い(ヒリアード・アンサンブルの演奏の方が明らかに遅め)と、それ以上に個々の言葉のアクセントの付け方の違い(一種の「ため・うねり」が感じられ、そのためなのかいっそう情感=祈りの感覚が感じられる)に起因するのだろうか。アンサンブルとしての美しさでは、おそらくタリス・スコラーズに軍配が上がるのだろう。しかし、タリス・スコラーズの演奏で聴いたときにはさらさらと流れ過ぎていった音楽が、ヒリアード・アンサンブルの演奏では、もう少し濃い襞と陰影が加えられ、それが心のあちらこちらに心地よい引っかかりを残していく。瞑想的と言ってしまうと、いかにも安直だけれども……

 いったんヒリアード・アンサンブルによる「名演・名盤」に接して曲の美しさ(哀しみや寂しさを帯びた美しさと言えばよいだろうか…)に開眼すると、現金なもので、それまで文字通りにただ聞き流していたタリス・スコラーズによる演奏に、こちらは何とまあ汚れのない晴れやかな音楽であることかと思いつつ、その明るい美しさにしみじみ感じ入っている。今となれば、これはこれで非常に素晴らしい演奏であると信じられる。

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(ヒリアード・アンサンブルの格安セット。この中にはバードのミサ曲が全部ある)

 そうなると、もちろんその後はいつもの通り、アレコレとCDを探し集め、「ついでにすっかり忘れてしまったラテン語の勉強でもするか」を言い訳(?)に、ルネサンスの宗教音楽三昧の日々を過ごしている。その中で特に気に入った演奏を上げると、「3声のミサ曲」では ブルーノ・ターナー(Bruno Turner)が率いるPro Cantione Antiquaという男性声楽アンサンブルによる演奏。やや昔の演奏だけれども、好き嫌いでいえば、タリス・スコラーズ盤よりも好きかもしれない。また、いっそう古い演奏で、録音状態も現代の基準で考えると必ずしも良くないし、アンサンブルの精度に関しても、素人耳にもやや不安定に感じられるのだが、それでいて不思議な魅力があるのが、古楽のパイオニアとして名を馳せたデラー・コンソート(アルフレッド・デラーという不世出のカウンター・テナーが代表)の演奏。良い意味で鄙びた感じがする。昔のモノクロの映画に見入っているときの気分と言えばよいかもしれない。「4声」と「5声」に関しては、Oxford Camerataというグループの演奏が気に入った。妙な言い方に聞こえるかもしれないが、宗教音楽を歌う喜びが強く感じられる。それは必ずしも信仰心とは直接に関係ないと思うが、単に作曲家への共感という範囲で処理できることではないだろう。このCD、極めて残念なことに「3声のミサ曲」が入っていない。だから、ヒリアード・アンサンブルのCDを手に入れて「5声のミサ曲」の魅力に気がつかなかったなら、このオクスフォード・カメラータのCDを購入することは決してなかったはずだ。

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 おしまいに、話の流れで「4声のミサ曲」についてはついつい何も言わずにいるが、この曲こそバードの最高傑作という人もいるくらいで、曲の美しさにおいて他の2曲に劣るところは何もないことを付言しておきたい。バードの3つのミサ曲のことを考えると、どうしてもモーツァルトの最後の3つの交響曲(39番、40番、41番)との連想が働いてしまう。この三つの交響曲で人気投票をすれば、おそらく人気は三等分されるのではないだろうか。バードの三つのミサ曲の場合も同じような気がする。 (H.H.)
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2017年01月27日

「大阪城=前方後円墳」という説を知っていますか?

「○○○○という説を知っていますか?」というのは、インターネットの客寄せ常套句のひとつ。
「まとめ」と称してネット上の既存情報を巧妙に切り貼りし、アクセスを稼いで、連動する広告収入などを得る。
 パクリだと抗議されない程度に元の文をいじって貼りつける係は、「キュレーター」なのだそうだ。「ハリター」ではなく。キュレーターって美術館や博物館の学芸員のことだと思っていたんですが。

 このブログも、書くうえで多くの情報を、ネットからも得ている。
 現在、三人の筆者で書いているけれど、とりわけわたしの文は書籍、雑誌のほか、内外のネット上の情報も調べて書く場合が多い。自説の背景をよく知りたくて「調べて書く」癖があるから。
 自説を書くことが目的で、元ネタの「パクリ売り」ではない。論文みたいで読む人はうっとうしいだろうと思いつつも、引用や参考の出所は注記するようにしている。当然だが、問題が起きる前から「まとめサイト」の孫引きはしていない。
 ──というようなことを書いておこうと思ったり、書いてみるとなぜかイイワケっぽくなるのは、結局のところ自分も「ネットに書いている」せいなのだろうか。なんだかくやしいような気持ちだ。

 ほんとうは、つぎのひと言からスタートしたかったんです。
 前置きが長くてすみません。始めます。

「大阪城=前方後円墳」という説を知っていますか?

 いきなりなにごとかというと、大阪城は前方後円墳(古墳)の跡に築城されたのではないかという、びっくりするような説をベースに、豊臣秀吉をめぐるさまざまなナゾのひとつに迫ろうという本に出会った。
 ネット上だけで販売される「電子ブック」だ。ネット上といっても「まとめ」の風説ではなく、きちんと版元がある、昨年暮れに出たばかりの「本」なのだ。

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パソコンやスマホなどから試し読みができ、購入すると同じツールで全部読めるというサイト、
「YONDEMILL」に登録されています。
yondemill.jp/contents/20670?view=1&u0=3

『古墳と秀吉 「大坂城=前方後円墳説」からの探究』(蒲池明弘/桃山堂/二〇一六年)という本で、出発点としている説は、京大人文科研教授だった藤枝晃が提案したもの。この人は、飛行機の窓つまり空から俯瞰したら、大阪城と大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が「そっくり」だったという経験から思いついた。古墳が戦国時代の城塞の礎に使われた例が各地にあるからだ。 
 あまりに壮大な説なのと、藤枝は敦煌などアジアや中国史の研究者で日本の歴史・考古学者の専門家ではないので、マスコミに採りあげられたり、ネットで話題になったりする「おもしろネタ」の域にとどまるものだったようだ。
 この本の著者は、その「おもしろネタ」から「面白く説き起こす」ことで、知られざる豊臣秀吉の一面を掘り起こそうとしている。

 豊臣秀吉は、信長のゾウリをホカホカに温めただとかの、さまざまなエピソードで人がらを知られているけれど、その多くは伝説だ。そもそも、歴史ドラマや小説などに共通したイメージで描かれてきた戦国武将たちが、本当はどんな人だったかは、確かなことはほとんどわからないのだ。
 しかし、秀吉には「こういう人だった」といえる史的事実もあるそうで、そのひとつが「都市造営・土木建築においてすぐれた指導者」であったこと。ことに大阪城は、それ以前に規模・技術で前例がないという点でも、現代の大阪再開発に比肩する平野部での一大建設事業だった。遺構によって建築史家も認めているそうだ。しかも秀吉は、大阪城築城に自ら采配をふるったそうで──指令の書状が残っている──なぜ秀吉に土木技術の専門知識があったのか、ということは大きな疑問になっているという。
 
 著者は、古墳築造技術集団だった古代民族「土師氏」と、秀吉がどこかでつながっていないか追い、実家や嫁、家臣も含め、地縁・血縁・係累からその流れを推測したり、知識人ではまったくなかったはずの秀吉と天満宮とのかかわりにも、その流れを探ろうとする。古墳建設術が軍事拠点(城)造成術へつながり、その一端に、秀吉は縁を持つのではないかと。さらに、秀吉の治水事業者としての面にスポットを当て──イタリアの古代ローマ人やマフィアの例を思い出すまでもなく「支配者」の要諦だ──水をめぐる秀吉と古墳とのつながりを発見しようともしている。「おもしろネタ」を無理に検証しようとか、それに乗っかってことさらな大ボラを吹くとかではなく、秀吉の秀吉たる一面を、土木事業者・建設技術者の姿として照らし出そうとする熱心な作業だ。

 歴史・考古学の専門家ではない著者は、机上の研究のみにとらわれず──もちろん、さまざまな史料への目配りもきかせているが──思いつくたび現場を訪れ、地勢を感じ、宮司さんらの話を聞いたりすることで、話を進めている。そこが面白い。読む楽しみが、そこにある。
 この版元から出ている、ほかの執筆者による「おもしろネタ歴史本」でも、必要に応じてこの人が補強取材を行った文を付す場合があり、そのような本作りはメディアの書評でも評価を受けている。

 それもそのはず、著者の蒲池明弘さんは、この本の版元で、古事記、火山や、戦国武将のナゾをテーマにした本を出している桃山堂の代表かつ編集者だが、もとは読売新聞の経済担当記者。桃山堂は蒲池さんの「ひとり出版社」で、立ち上げてちょうど三年目。退職して執筆業ののち、ご自身の興味がある領域で本を作ってみたいということで始められたそうだ。
 執筆者という立場での場合、読者との興味の共有を大切に書くいっぽう、現場主義のネタ集めと検討を重んじ、その伝えかたが上手く、しかも対象に適度な距離をとる──テーマである「古墳説」の真偽にも一定の距離をおき、秀吉を検証するキーワードとして使っている──のも上手いという蒲池さんのふしぎな筆力は、ナルホドそうかと納得。
 小規模出版というと、かなりの意識や経験を持つ一家言ありそうな主宰者が多そうだし、一流新聞社の花型部門出身ということで、コワイ人のような気がするけれど、手さぐりで本作りの経験を重ね、デジタル知識がほとんどない中で電子出版というフォーマットに出会うなど、まったく気負わず、ゆるやかに進めているところも好感が持てる。
 これは、蒲池さんが書いている「桃山堂ブログ」で知ったことで、そもそもなぜ豊臣秀吉をめぐる本をシリーズ出版するようになったかといういきさつなどは、ほとんど爆笑!──でも、あの「読売」も二十年前はまだ、シャレがわかる会社だったんだなと嘆息もするが。

 さて、この桃山堂という版元を、なぜ知ったか。
 時代劇マンガ週刊誌を読んでいて調べたいことが出てきたので、ネット検索をしていたら目的とは違う流れで出くわした。
 気になったのが、代表で編集者、ときに著者でもある蒲池さんの名。
 間違ったらすみませんと前置きしておそるおそる版元にメールしてみると、やっぱり、卒業後ほどなく一度か二度会ったきりで、長年、音信のなかった大学時代の同級生だった。
 フェイスブックなどはしていない、どころか、携帯電話を持ち歩かないから、デジタルでのこういう経験はなかった。

 それはともかく。
 この『古墳と秀吉 「大坂城=前方後円墳説」からの探究』は、専門研究の領域では軽んじられた全国の伝説・伝承から豊臣秀吉のナゾを書き起こす、電子書籍シリーズ「秀吉伝説集成」の一冊。二〇一六年一二月に、これを含む五冊が同時に電子ブックになった。内容には好みがあると思うが、なにせ「安い」ので、よかったら一読ください。わたしがいったって説得力はないけれど、蒲池さんの人となりは保証します。(ケ)

※ シリーズの一冊『尾張中村日の宮伝説』も「YONDEMILL」に登録されている。
  yondemill.jp/contents/20669?view=1&u0=3




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2017年01月26日

追悼・松方弘樹 〜 影の代表作『新・日本の首領』シリーズ

映画俳優の松方弘樹が亡くなった。
享年七十三歳と聞いて、意外と若かったのだなと感じたのは、芸能界での活動が長かったからだろう。松方は、時代劇ものに数多く出演した剣戟役者の近衛十四郎の息子で、昭和三十五年に東映映画でデビューしている。翌年、東映創立十周年記念の『赤穂浪士』で大石主税を演ったのが十八歳のとき。前髪の美少年剣士といった風情が、若き日の松方弘樹にぴったりと合っていた。
それから大量の映画やTVドラマに出演しているが、残念ながら見たことがあるのは『仁義なき戦い』くらい。菅原文太の広能に松方弘樹の坂井が殴られる。仁王立ちする文太にピントが合った画面の手前に、ズレたサングラスをかけ直す松方がピンボケで映る。そのショット以外で松方は一切映画の中でサングラスを外さない、という有名な映像のことしか覚えていない。
たぶんあえて印象に残さない見方をしていたのだろう。何と言っても、私は松方弘樹のことが大嫌いだったのだから。

その理由は、かつて妻子ある身で女優の仁科明子と不倫関係になったうえに、離婚を成立させて強引に彼女と結婚したから。私は仁科明子の大ファンだったのだ。
仁科明子は歌舞伎俳優岩井半四郎の娘。端整な顔立ちをしていて清潔感があったから、NHKのドラマにも出ていたし、東宝映画ではツルゲーネフの原作を映画化した『はつ恋』の主役を射止めていた。そんな仁科明子がグラビア雑誌の走りとも言える「GORO」(※1)の巻頭を飾ったことがある。当時の雑誌カテゴリーで言えば、「プレイボーイ」や「平凡パンチ」が色物系セクシーモデルのヌードや水着写真を売り物にしていたのに対し、後発の「GORO」はアイドルを被写体にして発行部数を伸ばしていた。そのときのアイドルとは歌手やTVタレントのことだったので、「GORO」に女優の仁科明子が登場したのは、ちょっとした衝撃であった。薄いニットセーターを着て横たわる仁科明子の上半身を撮った折り込みのグラビアページは、切り取って大切に保管していた。ああ、あの写真はどこへやってしまったのだろう。惜しいことをした…。
元に戻って、そんな可憐な仁科明子を私たちから強奪したのが松方弘樹であって、確か松方側の離婚が成立するかしないかでもめたのではなかったか。新聞か雑誌の片隅に、離婚が認められ仁科明子と籍を入れたという記事を見出したときは心底がっかりした。それ以来、松方弘樹と仁科明子に関することはすべて、あえて避けるようになってしまった。苦い失恋の記憶に触れないようにするのと似た気持ちとともに。
だから、松方弘樹の代表作は何かと問われても、何ひとつ思いつかない。見ていないのだから仕方ないし、実際のところ、NHKの大河ドラマ『勝海舟』(※2)で渡哲也の代役をつとめたあたりが俳優としてのピークだったのかも知れない。

そんな松方がオールスターキャストの中で主役を張った作品がある。十年ほど前に作られた『新・日本の首領』シリーズだ(※3)。その出演者たちを列記してみよう。
松方弘樹、宍戸錠、津川雅彦、梅宮辰夫、岡田眞澄、千葉真一、山城新伍。映画全盛期の日活や東映を切り回していた大御所たちだ。
宅麻伸、ガッツ石松、片岡鶴太郎、風間トオル、小西博之、勝野洋、中野英雄、的場浩司、赤井英和。TVドラマを中心に活躍するバイプレイヤーたちが脇を固める。
白竜、木村一八、竹内力、清水健太郎、力也、哀川翔、小沢仁志。映画でもTVでもなく、レンタルビデオ店向けに製作されたいわゆるVシネマでしかお目にかかれない裏のスターたちも勢揃い……。
そうなのだ。『新・日本の首領』シリーズは、普通の劇場用映画ではなく、Vシネマとして作られたのであり、そのシリーズ全九本を通して主役を張ったのが松方弘樹なのである。

実はVシネマの作品は、ほとんど見たことがない。レンタルビデオ屋に行くと大量の作品タイトルが目に入ってきて、どの映画も同じようにつまらなく見えてきてしまう。何かの拍子に借りることになったとしても、時間が作れずに見ないまま返却、というのがいつものパターンだった。
『新・日本の首領』は衛星放送の有料チャンネルで放映されたのを録画して見た。たぶんつまらないんだろうなと思って見たのであるが、これが意外とそうでもない。いや、シリーズものなのでそれぞれの作品がわざと中途半端な終わり方で作られていて、すぐに次作で続きが見たくなる。麻薬のような仕掛けのビデオ映画なのだ。
物語の基本設計は、東映ヤクザ映画の実録物を踏襲している。大阪を地盤とする辰野会が京都や四国の組との抗争を勝ち抜き、西の盟主としてのし上がる。それが関東の義仁会との軋轢を生み、東西の組による全国規模の覇権争いに発展していく。
なので、会長を筆頭に、若頭だの組長だの副本部長だの舎弟だのと、いろんなランクのヤクザが出てくる。松方弘樹は、辰野会と盃を交わした上村組の組長からはじまって、シリーズが進むうちに若頭に指名され、最後には辰野会会長にまで駆け上がる。言わばヤクザの出世物語であり、「島耕作」でもある。

企画としては確かに面白いが、それだけでは売れない世界だったのだろう。『新・日本の首領』はそんなVシネマ業界に「オールスターキャスト」という、かつてのメジャー映画会社が俳優の顔触れを競い合った手法をはじめて取り入れたシリーズであった(他は見ていないので推測ですが)。
先に掲げた俳優たちの名前をよく見てほしい。日活アクション活劇の悪役スターナンバーワンだった宍戸錠が二代目会長にどっかりと座る。二代目が手打ちを頼む広島ヤクザの会長は、日活で売り出し松竹でも活躍した津川雅彦。二代目の義兄でヤクザの抗争を裏で利用しようとする建設会社社長が、松方と同じ東映ニューフェイス出身の梅宮辰夫。ほとんど似た来歴の山城新伍は、建設業界から支援を受ける次期与党総裁候補を受け持つ。
こんな重石があるからこそ、少しチャラめの宅麻伸やボクサー出身とは思えないほど味を出すガッツ石松がいても、俳優陣がしっかりと締まるのだ。Vシネマの世界ではトップ俳優の哀川翔や小沢仁志も、彼らだけではとてもオールスターキャストとは言えないものの、中軸の俳優が安定しているので端のほうに名を連ねることが出来る。
そして、これこそがVシネマ業界の生産性向上活動そのものなのだが、『新・日本の首領』シリーズは明らかにシリーズ化を前提とした製作工程を組んで作られている。と言うのも、これだけの出演者の現場撮影を行うのは、スケジュールを調整するだけでもひどく手間がかかってしまう。だから、予め「オールスターキャスト」路線を決め、松方弘樹以下の大物俳優を「一挙に集合させて数話分をまとめ撮りしている」はずなのだ。なにしろ初代会長の葬儀シーンなどは、組長以上の俳優が全員揃っていなければ撮れない。逆にこれだけのメンバーがひとつの画面に納まっているから、Vシネマ界では異色の豪華絢爛さが醸し出されたのである。集めたのだったら、一気に撮ったほうが良い。だったら一話だけでなく、何本にも使えるようにまとめて先撮りしてしまおう。
道理でシリーズ第一作は、ほとんどの俳優が勢揃いしているのにその大半は活躍する場面がない。「1」で出番のない宅麻伸は「2」で準主役扱いに昇格し、同じく千葉真一は「3」で哀愁漂う演技を見せる。組長の中でも長老格でもある岡田眞澄が台詞をまともに口にするのは「4」がはじめてだ。これらは、シリーズとして編集された後の話であって、撮影は一挙に済ませたのだと思われる。

そうした企画力が本作をVシネマでも傑出した作品に押し上げた原動力であり、その作り方の前提になっているのが脚本の出来の良さである。
脚本も同様に、第九作まで一気にまとめて書かれたのだろう。出演者の出番を順不同に撮るためには、脚本は最後まで完成していなくてはならない。そんな無理矢理仕事を依頼され、そのオファーに対して必要十分以上に応えるうまい脚本があったからこそ、『新・日本の首領』は、衛星放送で繰り返し再放映される作品になったのだった。
脚本を書いたのは石川雅也。『ミナミの帝王』シリーズも彼の脚本でスタートしているから、Vシネマ業界にあって必ずヒットを飛ばすことが出来る職人的脚本家である。『新・日本の首領』シリーズにおける実録風ナレーションの使い方や複雑な抗争関係をシンプルに組み立てる物語の骨格づくりには、シナリオライターとしての熟練技が感じられる。主役級だけでなく、末端の登場人物にまでドラマを割り当てていて、全体を俯瞰しながら「オールスターキャスト」らしく、隅々の出演者までキャラが立つように設計されている。Vシネマなのに、と言うと失礼かも知れないが、構築力の全体感がある。だから、登場シーンの少ない的場浩司が演じる口のきけない用心棒ヤクザが印象に残るのだし、屋台でラーメン屋を営む哀川翔がヤクザを捨てたという設定が立ち上がって来るのだ。
オールスターキャストと脚本のうまさ。『新・日本の首領』がVシネマにおいて際立った一級娯楽作品に仕上がった成功要因は、俳優松方弘樹と脚本家石川雅也の二人にあるのだった。

松方弘樹の訃報はあっという間に巷間に広まった一方で、実はよく知られていないのだが、脚本を書いた石川雅也も昨年秋に亡くなっている。Vシネマの脚本から遠ざかっていた石川は、発表に向けてこつこつと短編小説を書きためていたと言う。その矢先の唐突な死であった。
Vシネマに大きな足跡を残した二人が相次いで逝ってしまった。Vシネマは映画製作業界における影のような存在ではある。しかし、その中でも『新・日本の首領』シリーズだけは二人の代表作として長く記憶に留めておきたい。
松方弘樹、石川雅也両氏のご冥福を衷心より祈るものであります。(き)

松方弘樹 1942.7.23〜2017.1.21
石川雅也 1961.12.21〜2016.9.25


首領.jpg

(※1)「GORO」は、小学館が1974年に創刊した男性向け雑誌。写真家篠山紀信による「激写」シリーズは本誌に掲載されていた。

(※2)『勝海舟』は昭和四十九年のNHK大河ドラマ。主役が渡哲也から松方弘樹に代わったのに加えて、脚本も倉本聰が途中降板した因縁の作品である。

(※3)『新・日本の首領』は第一作「波涛編」が2004年に製作され、第九作「完結編」まで約二年の間にビデオ映画としてリリースされた。





posted by 冬の夢 at 10:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする