2016年12月17日

国立劇場十二月文楽公演『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』十一時間ぶっ通し観劇記

8:30 自宅出発
待ちに待った文楽の忠臣蔵通し公演。通しで見るのはもちろん初めて。一日で昼の部と夜の部を続けて見るのもやったことがない。年末で仕事も忙しく、忘年会やら会合やらで帰りが遅くなる日が多い。なんでそんなときに通しでやるのかと自分中心に思ってみるも、四十七士の討入りが十二月にされたのであれば仕方ないこと。今回見逃せば、いつ見られるかわからない。ならばと、駅に急ぎ行く。

10:10 国立劇場到着
チケット売場でネットで注文済みの入場券を発券。国立劇場の「NTJメンバー」というのに登録してあっても、チケット購入はネットの一般発売開始日と同じ。すでに「あぜくら会」会員に買い漁られた後で、今回のチケットはなおさら良席確保が困難だった。太夫が正面に見える客席右側が好みなのだが、昼も夜もその最後列。長丁場だからとカバンからはみ出しながら持参したテンピュールのクッションをシートにのせて座る。一番後ろだから数センチ座高が上がっても問題あるまい。

10:30 大序 鶴が岡兜改めの段
いよいよ通し狂言のスタート。大序は意外に質素な佇まいで、舞台上に十数人が勢揃いする歌舞伎の豪華絢爛さとは対照的。しかも太夫は床には登場せず、見えないところから声がして、今ひとつ響いて来ない。
顔世(かおよ)御膳の兜改めは、取り出された兜ひとつひとつにほんの少しだけ扇子を近づける。なるほど見た目ではなく香りで選別しているのだ。舞台が大きい歌舞伎では、兜も目立つように作ってあるし、出てきたときに顔世がはっと反応するので、香りで選ぶ感じはない。大きく見せる歌舞伎と、細かな動きで真実味を出す文楽。大序だけでも違いが際立つ。

10:51 大序 恋歌の段
高師直(こうのもろのう)が顔世に言い寄るところを桃井若狭助(もものいわかさのすけ)が割って入る場面。顔世は塩谷判官(えんやはんがん)の妻。夫が饗応役で師直の世話になっており、無下にも出来ない顔世の立場。かたや判官は、自分の妻がストーカー師直につけ回されているというのに全く気づかない鈍感さ。だから余計に助けに入る若狭助がキリッとしてカッコよく見える。
邪魔をされた師直は、腹を立てて若狭助にあれこれ難癖をつける。初めて歌舞伎で大序を見たとき、若狭助が浅野内匠頭なのかと思ったほど。それでも文楽のイジメは歌舞伎ほどしつこくない。

11:06 二段目 桃井館本蔵松切の段
早起きして出かけた割には、全く眠気はやって来ない。休憩なしで「殿中」まで行くので少し心配していたが、大丈夫そうだ。
「松切」でやっと太夫はひとり語りになって、床には睦太夫が座る。大柄な体格に似合って芸風もおおらかな味わいだ。
通しでもあまり上演されないという二段目は、国立劇場の歌舞伎第一部で見たばかり。台詞のやりとりが緊迫感を出すところなので、ここは歌舞伎のほうが面白かった。文楽では、若狭助の家来加古川本蔵(かこがわほんぞう)が「松切」により同意したと見せかけて、若狭退出後に一転して賄賂作戦に出る、その謀略家ぶりが伝わってこない。妻の戸無瀬(となせ)と娘の小浪(こなみ)が止めに入るも、本蔵をあっさりと行かせてしまう。

11:27 三段目 下馬先進物の段
ここは歌舞伎では鷺坂伴内(さぎさかばんない)のコメディリリーフぶりが炸裂するところ。繰り返しや落とし方が今のお笑いに通用するほどだが、文楽では伴内の出番は抑え気味。
逆に籠に乗っていて顔を出さない師直は、文楽では存在感たっぷりで、直に賄賂を受け取った感じが出ている。このあと師直が殿中で若狭助に平謝りする流れが歌舞伎ではいかにも唐突に見えるのに対し、文楽ではストンと腑に落ちる。また、本蔵のシナリオ通りに事が進み、師直から直々に殿中へ招かれるというのが後になって重要なポイントになってくる。この文楽のスピーディな展開が、本来あるべき形なのだろう。

11:44 三段目 腰元おかる文使いの段
判官とともに出仕する早野勘平(はやのかんぺい)。裏門でおかるに呼び出されて顔世から頼まれた手紙を判官に届けることになる。中身が何かも知らない判官は、この手紙を言われたままに師直に渡してしまい、それが塩谷家断絶のきっかけになる。何も大事なお役目の当日でなくてもと思うのだが、腰元おかるは勘平会いたさに文使いを口実に使ってしまうのだ。もちろん、会うというのは房事に耽けることであるから、おかるにとっては今夜でなければならなかった。ここから勘平おかるのサイドストーリーが始まる。
役目があるからと一度は断る勘平を強引に睦びごとに誘うおかる。文楽ではかなり大胆に表現されていると聞いていたので、密かに愉しみにしていたのであるが、意外にあっさりしていて、逆に勘平のチャラさ加減が印象に残った。

11:58 三段目 殿中刃傷の段
本蔵の賄賂作戦が功を奏し、若狭助に平謝りの師直。かたや間が悪い判官は、遅刻したうえに顔世からの求愛拒絶の文を渡してしまう。ここで師直の怒りは一気に判官にシフト。「鮒だ、鮒だ、鮒侍だ」という有名なイビリまくりにつながる。
この津駒太夫の語りが凄かった。床本には「ムヽハヽヽヽヽ」としか書かれていない師直の台詞が、津駒太夫が語るとまさにイビリの極言、判官にとって堪え難い侮辱に変わる。一音一音への思いの込め方、「ム」と「ハ」のニュアンスの使い分け、うねるような抑揚。師直の「ムハ」だけで判官が追い詰められ、ついには刃傷に及ぶその心根が、大音声となって見物たちに迫ってくる。ついさっきまで刀を抜くのは若狭助であったはず。師直のイビリ先が判官に転じ、それにしても我慢のしようがありそうだという展開であるが、津駒太夫の「ムハ」の前では抜き討ちに斬り付けるしか仕方がない。
津駒太夫の語りを底支えする三味線は鶴澤寛治。昭和三年生まれの八十八歳。その歳で舞台に上がり、野太い棹の音を響かせていること自体が奇跡のようなもの。最高の語りと三味線で、通し狂言は三段目にして最初のカタストロフを迎えた。
刃傷となった後のキーマンは本蔵。殿中の襖の陰から若狭助を見守っていた本蔵は、若狭ではなく判官が刀を抜いたのを見て、飛び出て止めに入る。この行動が、後の戸無瀬と小浪の道行につながるのだが、十月の大劇場での歌舞伎では本蔵の飛び出すタイミングがあまりに素早くて、判官の抜刀を予見していたかのように見えてしまっていた。その点、文楽では判官が師直に斬りかかって致命傷を与えんとするあたりで出てくるから、すこぶるリアリティがある。
ほんの数秒の間の取り方が、登場人物の心情の流れに直結する。それを演出家からのキュー出しなど一切なく、演者の呼吸を合わせることだけで表現するのが難しいところだ。

12:27 三段目 裏門の段
こんなテエヘンなことがあったのに、判官に付き添うべき勘平はおかるとの逢瀬を愉しんでいた。御殿の騒動に気づき、表門から裏門に回るが時は遅し。なんせ仕事中に持ち場を離れてラブホにしけこんでいたようなもの。門番に開けろ入れろと訴えるが、それは無理筋と言うもの。責任を感じて自害しようとするも、留めに入ったおかるとともに逃避行へ。伴内が放つ追っ手を一網打尽にするのだから、剣の腕前はなかなかのものと見た。

12:41 休憩(25分)
いやいや殿中は面白かったナ、とひとりごちつつロビーのソファーの一角を確保してランチ。駅ナカで買ったサンドイッチと自宅から持参した魔法瓶のコーヒー。お弁当は食べた後に眠くなるから、あえて軽めで済ます。
でも、魔法瓶とは不思議な単語だ。温かい飲み物を熱いままに維持することが魔法だとするならば、現代では魔法を超える技術はいくらでもある。しかし、魔法を名乗れるのは「魔法瓶」だけ。不思議だけど「全国魔法瓶工業組合」という団体もあるそうだ。

13:06 四段目 花籠の段
通しでなければ見られない「花籠」。殿様ご乱心と聞き、塩谷家の館で事の成り行きを待つしかない人びと。唯一気だるさが支配する段で、次に続く「切腹」の前奏曲といった位置づけだろうか。
師直へ届けた手紙がきっかけとなったのを悔いる顔世の憂い顔。顔世が出てくるのはここまでで、師直も登場しなくなる。映画版だと出家した瑤泉院は内蔵助とからむし、吉良上野介は討入り当夜まで見せ場がある。義太夫狂言においては、ドラマが主役なのだった。

13:22 四段目 塩谷判官切腹の段
いよいよ前半のヤマ場。塩谷判官に切腹の裁決が下る。切り場語りの咲太夫が出て、申し分のない緊張度。それ以上に目を見張ったのは切腹に臨む判官の動きだ。
広間の座敷で切腹の準備が静かに始まる。家臣が畳を運び、裏返しにして二畳置く。その上に真っ白な絹布を広げ、四方に榊を立てる。そこへ白装束の判官が足を踏み入れる。この判官が、まさに切腹せんとする者になりきっているのだ。震えるように足を出し、少し白布に目を落とす間があって、さっと腰を下ろす。それは潔いようにも崩れ落ちるようにも見え、死の覚悟が表出される。遣るのは吉田和生。左遣いと足遣いが三位一体となった細かく微妙な動き。これは絶品であった。
有名な「力弥、力弥、由良助は」が繰り返され、『仮名手本忠臣蔵』の主人公大星由良助(おおぼしゆらのすけ)がここでやっと登場する。判官は自分の腹に突き立てた九寸五分の短刀を形見に渡すとして「我が鬱憤を晴らさせよ」と言い残して息絶える。判官が「まだ来ぬか」と由良助の到着にこだわったのは、このひと言を直接伝えるため。要するに「討ちもらした師直を殺せ」と遺言したわけである。
映画だと討入りをするかしないかを内蔵助が判断するように描かれるが、文楽では殿様から直接の指示。これがあるから由良助の討入り計画はブレないのだ。

14:09 四段目 城明渡しの段
塩谷家の城を明け渡し、門の前に佇む由良助。歌舞伎では回り舞台の奥行き全部を使ってセットをググッと後退させて、城から離れていく距離感を演出した。文楽ではそこまで舞台が広くないので、表門の書割りの上半分がパタンと折れて、城の遠景になる。単純な仕掛けが効果的だ。

14:20 休憩(10分)
短い休憩でもなるべく立って歩くようにする。両手を上にあげて伸びをすると、一緒にアクビが出た。イヤな予感。

14:30 五段目 山崎街道出会いの段
ここからまだ勘平腹切までやるのか、長いなあ。十一月の歌舞伎で見事な五段目と六段目を見たばかりなので、なんとなくスルーな気分に。

14:44 五段目 二つ玉の段
与市兵衛が斧定九郎に殺され、定九郎を勘平が撃ち殺してしまう。ここでスルーな気分は睡魔に変わり、ついに完落ち。勘平がどのようにして定九郎から財布を奪ったのか全く記憶にない。いつの間にか熟睡モードに突入していた。

15:02 六段目 身売りの段
はっと気づくと一文字屋才兵衛がおかるを連れ出すところ。よってこの身売りの段まるごと見逃したことになる。ま、先は長いし仕方がない。

15:27 六段目 早野勘平腹切の段
勘平と与市兵衛女房が二人きりになって、老父の帰りを待つ。しかし、帰ってきたのは死骸となった与市兵衛。ここからのドラマティックな展開は十一月の歌舞伎で堪能したところ。人形よりも役者が身体で物語るほうが合っているかも知れない。それだけ中村東蔵の与市兵衛女房が素晴らしく印象深かったということだ。

16:10 第一部終了
ロビーで待つことも出来るらしいが、劇場の外に出て外気にあたる。ここまでで五時間四十分が経過。夕闇迫る半蔵門には、第二部の入場を待つ見物たちの行列。
ほどなく入り口が開いて、再び席に着く。周りを見ると先ほどと同じ顔ぶれがあちらこちらに。誰もが通しで見たくなるんだなあ。連日満員、チケットは完売らしいから、国立劇場開場五十周年記念公演は大成功のようである。

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16:30 七段目 祇園一力茶屋の段
第二部は一時間半近い「一力茶屋」からスタート。ここまで由良助が出てくるのは四段目だけだった。「一力茶屋」は全段を通して由良助が真の主役となる唯一の場面。だから「七段目」というだけで通じてしまうほど有名なのだろう。
酔狂のふりをする由良助だが、それは討入り計画を悟られぬためのカムフラージュ。なんせ判官から直接「鬱憤晴らせ」と命じられた由良助である。だから事が露見する危機にあたっては、おかるを殺すことに躊躇はない。結局は殺しはしないのだが、そうした肚で演じなければならない。
由良助を遣るのは吉田玉男。安定感とともに一段抜けた芸の大きさを感じさせる。けれども七段目では吉田簑助のおかるに目を奪われた。ここのおかるは生きている!いや、「生きている」ようにしか見えない。見物歴の浅い文楽初心者にもそれがわかるのだから間違いない。
縁側に出た由良助を二階から盗み見るおかる。酔いを醒まそうと夕涼みしながら辺りをぼんやり眺め、ふと目についた由良助がなにやら手紙を取り出すのが視界に入る。誰かに恋文をもらったのか、どれどれひとつ覗いてみよう。そんな何気ない気持ちの流れが、人形遣いの技術によって見物に伝わる。これこそ至芸である。
この後、由良助に言われて梯子で庭に下りるおかる(※)。三人遣いの人形をどうやって下すのかと見ていたら、一度、玉男におかるの人形を預けて、蓑助は舞台の右から回って玉男と同じ舟底まで降りてくる。歌舞伎の早替りならば疾走して移動するが、蓑助は足元を確かめながらゆっくりと階段を下がる。その姿を目の当たりにすると、簑助もまた八十三歳の高齢なのであった。この公演で簑助のおかるを見られたのは真に眼福であったと思い直す。
さて、そのうえに七段目では、もうひとつの人形遣いの芸が楽しめる。桐竹勘十郎の寺岡兵右衛門(てらおかへいえもん)だ。おかるの実の兄であり、足軽の身分ながら討入りに加わろうとする兵右衛門。由良助の前に飛び出すときの全身の動きが実に素晴らしい。両手両足がバタバタバタッと一緒に動く。とても別の三人が遣っているとは思えない。勘十郎がきちんと弟子を教えているのであろう。
この兵右衛門がおかるに勘平腹切の経過を聞かせるところでは、兵右衛門役の咲甫太夫とおかる役の呂勢太夫のコンビネーションが冴える。加えて三味線は鶴澤清治。メインディッシュがこれでもかと続いて出てくる豪奢な七段目、大満足である。

17:56 休憩(25分)
急いで席を立って、階段を三階まで駆け上がる。軽食喫茶十八番に一番乗り。すぐに出てくるのでカレーライスを注文する。ここのカレーは結構旨い。もっとも温かい食べ物にありつけるという状況がそう思わせるだけかも知れない。早めの夕食で、また眠気の中に迷い込まなければ良いのだが…。

18:21 八段目 道行旅路の嫁入
道行。判官の刃傷をとめた加古川本蔵の娘小浪は、実は由良助の息子、大星力弥(おおぼしりきや)の許嫁であった。何としても力弥に嫁ぎたい小浪は母戸無瀬と一緒に、力弥のいる山科へ向かう。ひと言で「向かう」と言うが、実は鎌倉から京都の山科まではグーグルマップで「徒歩」を選ぶと八十八時間かかる。一日八時間歩いたとしても十一日間。まして母娘の二人旅であれば、さらに難儀な旅であったろう。途中で富士山の遠景が琵琶湖らしき景色に変わる。

18:50 休憩(10分)
通し観劇を想定してか休憩時間も細かく区切られてくるので助かる。テンピュールのクッションもそろそろ限界で、幾度もお尻をずらしてみたり、足を組み替えたり。残すところは三時間弱だ。

19:00 九段目 雪転しの段
いよいよ九段目。幕が開くと山科は真っ白な雪景色。季節の移ろいが目で見てわかる鮮やかな色彩設計だ。
ここで瞼が重く感じられてきた。眠いのではない。朝から舞台を見続けてトランス状態になり、眠気とは逆に身体全体は興奮している。それなのに瞼だけが重力に負けて落ちてきてしまう。精神的な意気込みが物理的な引力に勝てない。最後のヤマ場「山科閑居」を乗り切れるか。

19:13 九段目 山科閑居の段
一時間半に及ぶ終盤の大曲。由良助と妻お石、息子力弥の三人が、本蔵と妻戸無瀬、娘小浪と相見える。今月の大劇場は未見なので、歌舞伎で見たのはもう十年くらい前。そのときは突然虚無僧が出てきて「何?この人」と思っていた。通しで見ると、初めて納得する登場人物の心の綾。力弥ひとすじの小浪。前妻の娘だからこそ余計にその思いを遂げさせたい母戸無瀬。それを受けて妻お石は、判官様が師直を討ち漏らす原因となったのは本蔵の仕業だと拒絶する。塩谷の家老としては本蔵の娘などもらえるはずはない。
本望が果たせないならと、いきなり他人の家の中で心中を図ろうとする戸無瀬と小浪。なんともエキセントリックな親子だが、それを止めるのは虚無僧となって現れた本蔵。死のうとする姿を見て、由良助妻お石は、そこまでするならば嫁入りを許そう、但しここに本蔵の首を差し出したら、と難題を突き付ける。
ここまでを千歳太夫が語り、後を受けて文字久太夫が登場する。「待ってました。たっぷり」との声が劇場に響き渡る静寂の中、文字久太夫が放つ本蔵の「黙れ!」のひと声がとりわけ野太く、見物たちを一気に制圧する。後半はほとんど文字久太夫の語りに引き込まれ、瞼の重さを忘れて見入ってしまう。やはり太夫の力はほとんど神ががりだ。判官切腹の津駒太夫と山科閑居の文字久太夫。今回の通しはこの二人の太夫の語りが、ズシンと内臓にまで迫ってきた。
力弥の槍に刺された本蔵。娘小浪に祝言をあげさせるため、また、師直が住む屋敷内詳細図を由良助に届けるため、自ら身を投げ打ってのことであった。二段目で若狭助の意に反して師直に賄賂をおくり、三段目で判官の邪魔をした本蔵。それでは本蔵という人物がおさまらない。それを最期までしっかり描き切るのが『仮名手本忠臣蔵』の面白さ。すべての登場人物にストーリーがありドラマがある。本当によく出来ている。

20:48 休憩(10分)
大劇場の歌舞伎公演が終わったのだろう。劇場係員が「男性の方は大劇場のトイレもお使いいただけます」と案内する。確かに小劇場は男性トイレが狭く、10分の休憩時間では次の開演に間に合わない。瞼の重さがなくなった一方で、お尻の痛さはもう限界。座席に敷いたクッションをしまってシートに直接座ることにした。さあ、いよいよ最後の直線に入った。

20:58 十段目 天河屋の段
武器弾薬の手配をさせていた天河屋義平。商人ゆえに裏切るのではと嫌疑をかけられるも、しっかりと判官への忠誠心を持っていた。
十段目をもってして、まだ東下りに至っていない。映画ならとっくに江戸に移って事前準備の最終段階まで進んでいる。文楽においては、討入りの結果はわかっているのだから、そこに至るまでにいかにいろんなキャラクターがこの一大事業にからんでいたかが描かれるのだ。それにしても竜頭蛇尾の感が強く、中盤にこの段が来ていたら確実に寝ていた。

21:27 十一段目 花水橋引揚の段
さてさて、討入りは上首尾に終わった。朝焼けの中、引き揚げてくる四十余士。そこへ駆けつけたのが若狭助。義士たちを賞賛し、師直の追手が来たならば拙者がこの橋から先には行かせぬと加勢する。ここでも若狭という人物がひとつの輪を描いて閉じる。これで一人残らず宙ぶらりんな登場人物はいなくなった。かくして『仮名手本忠臣蔵』十一段通し公演は終わったのである。午前十時半から数えること十一時間。長く、途中眠く、しかし至福の時間であった。

21:35 第二部終了
劇場前にとまった都バスに飛び乗る。公演パンフレットをしげしげと眺めながら東京駅へ。なんだかわからないがひとつの達成感を抱きながら、帰ったらビールで祝杯だなと家路に着く。帰宅時間は午後十一時。ぶっ通し観劇記はこうして幕となるのでありました。(き)


忠臣蔵02.jpg


(※)梯子を降りるおかるが「船に乗つたやうで恐いわいな」と言うと、由良助が「道理で船玉様が見える」と受ける。「船玉様」とは女陰の隠語。かなり際どい台詞である。


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2016年12月11日

I Believe in Father Christmas グレッグ・レイクとクリスマスソング

※十二月十二日、歌詞の訳に指摘をいただいたので、手直ししました。間違い箇所のある前版も保存しておきました。

 数日前に六九歳で亡くなったグレッグ・レイクが、イギリスではとても有名なクリスマスソングの作者とは知らなかった。しかも作詞は、ピート・シンフィールドだ!

 一九七四年にオーケストラと録音し、翌年にソロ・シングルとして発売していて、同年に英国シングルチャートの二位に──一位はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」──なっている。いまでもクリスマスシーズンに流れる曲だそうだ。
 オーケストラをなしにして、エマーソン、レイク&パーマーで撮り直した版が一九七七年の『WORKS 2』にも入っているが、ぜんぜん記憶にない。バンドがナゲヤリ状態になっていたころの盤で、いかにも拾遺集っぽいので、聴くほうもナゲヤリだったのかもしれない。

「クリスマスは雪、世界は平和になる、というけれど、そのかわりに雨が降り続き、生誕は涙のベールにおおわれる」
 と始まるこの曲の、二番からブリッジにかけては、こんな歌詞だ。


 They sold me a dream of christmas
 They sold me a silent night
 And they told me a fairy story
 'till I believed in the israelite
 And I believed in father christmas
 And I looked to the sky with excited eyes
 'till I woke with a yawn in the first light of dawn
 And I saw him and through his disguise

 I wish you a hopeful christmas
 I wish you a brave new year
 All anguish pain and sadness
 Leave your heart and let your road be clear
 They said there'll be snow at christmas
 They said there'll be peace on earth
 Hallelujah noel be it heaven or hell
 The christmas we get we deserve

  クリスマスの夢を売りつけられ
  きよしこの夜を売られてきた
  おとぎ話もされてきた
  イスラエル人というものを信じこんでしまうまで
  サンタはいると信じてしまうまで
  わくわくしながら空を見つめた
  夜明けの最初の光がとどくまで あくびしながら起きて
  そしてサンタを見た 変装してたけどわかったよ

  みんなに希望あふれるクリスマスを
  みんなに勇気いっぱいの新年を
  苦しみも痛みも悲しみも
  心から去り 道ふさぐものは消えて
  クリスマスには雪がふり
  世界に平和がくるというのなら
  天国にも地獄にも ハレルヤ クリスマス
  ぼくらのクリスマスは ぼくらにふさわしいクリスマス


 あらためて聴いてみると、こんな政治・宗教がらみの皮肉っぽい曲がクリスマスソングだなんて。シングル発売時のプロモ映像も、親イスラム、そうでなくともアンチ中東戦争、ベトナム戦争のメッセージが織り込まれて見える。実際、BBCから一部カット要請が来た──応じていない──そうだ。
 そもそもイギリスのせいで悲惨になった世界情勢、というのは、かねてより多々あるわけで、イギリス大好きなんて思ったこともないが、こういう曲が注目され、多くの人に長く聞かれているというだけで、ちょっとだが信用したい気持ちになったりもする。

 といっても、最初からこのようなクリスマスソングを作るつもりで作曲されていたわけではない。
 グレッグ・レイクは、クラシックをロックと合体させた貴公子三人組で売っていたEL&Pらしからぬヤンチャぶりで、キース・エマーソンをよくはらはらさせたそうだから、制作過程にも存分に悪ふざけがはいっている。
 もっともエマーソンの自伝を読むと、バンド全盛期はエマーソンだって「お盛ん」だったわけで、レイクにしてみればエマーソンこそ、クラシック音楽コンプレックスの気取り屋、ってことだったのかもしれないが。

 で、この曲、EL&Pの弾き語りコーナーでおなじみのドロップDチューニングでギターを鳴らしていて思いついたメロディを、どんな曲にするかと考えていたとき、弾いている流れに『ジングルベル』がはまると、ひらめいたのだそうだ。
 そこでレイクはシンフィールドに「これクリスマスソングになりそうだよな」といった。レイク自身の回想だ。
 シンフィールドは、レイクがギターを鳴らすのを聴いた自分がそういったんだ、というが、ことの真相がどうかより、二人が、同時に真実の代弁者になったのが面白いともいっている。

 シンフィールドは、子どものころ、お母さんが作ったツリーを見た思い出をもとに歌詞を作ったそうだ。すなおな喜びが、だんだんクリスマス商法に、そしてクリスマスストーリーを使った「政治」に、「洗脳」されていくさまを描く。いっぽうシンフィールドは、曲の背後の思想をすべて説明するつもりはないが、けっして反キリスト教的、あるいは、政治的な曲ではないと断言もしている。

 曲が録音されたのは冬ではなく八月の末。レイクは暑い中でクリスマス気分を盛り上げようと、三十人の合唱パートを含め百人規模のオーケストラが集まったスタジオに、高さ六メートル以上のホンモノのクリスマスツリーを持ち込んだ。そして指揮者には、サンタの格好で振ってくれと頼む──断られたが──さらに、パーティ気分にするぜと、エロチックダンサーの仕出しを頼んでいて、スタジオはドタバタのきわみに。
 にもかかわらず、オーケストラパートの録音はワンテイクで決まった。「プロだよな」と回想するレイクだが、まったく! あんたもヒマねって感じだ。

 遊びの中から音楽が生まれた、よい時代だった、というミもフタもない話ではあるし、レイクも、そんなに深く考えて歌ったわけではないようだけれど、そこがいい。
 おふざけとまじめ、ゴージャスと素朴、トラッドとコンテンポラリー、歴史と現在、そうした大きな振幅があってこそ、振れ幅の中心に真実を代弁する音楽が見つかったのだから。
 なにより、若いころのグレッグ・レイクのアコースティック・ギターと歌は強烈にいい。それはもちろんキング・クリムゾンとEL&Pを大成功させた要素のひとつだが、架空の伝承世界、つまり英国文学のお家芸といっていいファンタジーが構築する世界の、語り部のように響く。

 惜しいことにレイクは以後、別世界からの真実の声を歌ってこの曲ほどの支持を得ることはできなかったけれども、クリスマスに一度でも、こんな曲を届けてもらえた人たちは幸福だ。曲の最後の The christmas we get we deserve は The government you get, you deserve (トーマス・ジェファーソン、でいいのかな?)のもじりだそうだが、いま、世界のあちこちで選ばれている「The government」のことを思うと、複雑な気持ちになる。

 ソロ・シングル録音時のエピソードを知ってから、EL&Pの三人で演奏した『WORKS 2』収録の「I Believe in Father Christmas」を聴くと、どうしても「やっつけ仕事」の感じがしてしまうが、七〇回目のクリスマスを迎えることはできずに亡くなったグレッグ・レイクを偲びながら聴くには、EL&Pの演奏のほうがしみじみしていて、向いているような気もする。(ケ)

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LONDON 一九九九年暮れか二〇〇〇年新年

Gregory Stuart Lake 1947/11/10 - 2016/12/07


※ レイク、シンフィールドをはじめ制作関係者が応じた、イギリスの音楽雑誌「UNCUT」のインタビューほか、英紙「the guardian」のいくつかの記事を参考にしました。
 www.uncut.co.uk/features/the-making-of-greg-lake-s-i-believe-in-father-christmas-833
 www.theguardian.com/music/2016/dec/08/greg-lake-dies-prog-rock-king-crimson-emerson-palmer
 上の「the guardian」の記事中で、別の文で書いたエマーソン、レイク&パーマーの「Hoedown」の、一九七三年ミラノでのライブが見られます(なぜか同時代の日本公演時のショットがちらっと映る)。



posted by 冬の夢 at 01:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年12月01日

『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』はシリーズ最高傑作か?

「男はつらいよ」シリーズにハマっていたのは高校生のとき。地方都市の小劇場で山田洋次特集が組まれていて、三本立て上映会に毎週通った。なぜ山田洋次だったかと言えば、その頃松竹系映画館で封切られたのが『幸福の黄色いハンカチ』だったからで、キネ旬の第一位を獲得した話題の映画に高校生の私はノックアウトされたのだった。

今では外国映画とは文字通り日本以外の世界各国で製作された映画のことを指すが、当時の外国映画は「洋画」のことであって、すなわち西洋=欧米の映画が外国映画のすべてだった。TVのゴールデンタイムには週のうち三日、洋画専門番組が組まれていて、多くの作品に玉石混淆のまま接することになった。TVっ子だった私は、そんな番組を毎日のように見てイッパシの映画通になったつもりでいた。
もちろん日本映画を全く見なかったわけではない。土曜日の午後、地方都市のTV局は藤山寛美の喜劇中継の後によく日本映画の旧作をかけた。『地球防衛軍』などゴジラ以外の特撮ものや「社長シリーズ」はそんな時間に徒然に見ることが多かった。しかし、「洋画好き」を気取っていたバカな子どもにとって、日本映画とは「カラーの発色が悪い三流映画」にしか映らなかった。「こんな日本映画を見るなら、木曜日の夜にやってる『快刀乱麻』(※1)のほうがよっぽど面白いし画面もキレイだな」と独りごちていた。なんともイヤな子どもである。
突如日本映画好きに転向したのは高校一年のときのこと。東宝で『天国と地獄』がリバイバルでかかり、松竹で『幸福の黄色いハンカチ』が公開された。この二本を連続して見に行って日本映画に対する認識は根本から覆された。映画の面白さという点では『天国と地獄』は圧倒的であったが、シンプルに感情に訴えてくる『幸福の黄色いハンカチ』は、薄っぺらい洋画好きの気取りを一気に払いのけてしまった。映画館であんなに泣いたのは初めての経験だった。それはキャメラがとかカットのつなぎがとか音楽の入れ方がとか、洋画好きがにわか仕込みで得た映画作法の技術論などが全く及ばない世界だった。ただただひたすら泣ける。こんな映画もあるんだ、という驚き。いや、それは驚きでも何でもなかったのだ。こうした映画こそが一億人が等しく年に三回映画を見に行った時代の中心にあったことを、そのときはじめて気づいたのであった。

で、話はやっと山田洋次特集に戻るわけだが、小劇場で上映された山田洋次の他の映画でも大いに泣いた。特に『家族』(※2)はまさに「涙で画面が見えません」状態。あんな一生懸命生きている家族をなんでこんな残酷な目に合わせるんだよお、とスクリーンに向かって怒りたくなる始末だった。だから、今でも映画館で泣いているおばさんたち(わたしもオジサンなんですが)がいると実感として共鳴してしまう。それくらいに映画の見方を変えるインパクトを、山田洋次監督作品は持っていたのである。
その流れで自然に見ることになったのが「男はつらいよ」シリーズ。大原麗子がマドンナ役を演った第二十二作『噂の寅次郎』は封切り時に劇場で見ているから、小劇場では第一作から二十作くらいまでを一気に上映したはずだ。
そこで寅さんにハマってしまったのだ。そのハマり方はワンパターン中毒と言い換えることも出来る。つまり、同じ舞台設定、同じ登場人物、同じ物語展開に馴染んでしまい、そのパターンに身を置かないと落ち着かなくなるといった「寅さんアディクト」状態であった。
実際にどの作品も映画の冒頭は寅さんの夢から始まる。タイトルバックは葛飾柴又の風景で、おいちゃん、おばちゃん、さくらと博はいつも通り「とらや」にいて、隣のタコ社長がお茶を飲みにやって来ている。旅から戻った寅さんがマドンナと出会い、いい雰囲気になるが、誤解が元でまた旅に出る。旅先でマドンナと再会し、一緒に柴又に戻ってくるものの、マドンナの事情が解決し夫やら彼氏やらと復縁する。ひとりまた旅先でテキ屋稼業を始める寅さんが遠景になって「終」のクレジットが出る。
間違いなく、このワンパターンが繰り返されるのだが、そこには「寅さん黄金律」とも言うべき絶妙なバランスの映画的魅力が満ち溢れている。

その魅力の潮位が最高点に達したのが『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』だ。シリーズ開始六年目のお盆に公開された第十五作で、マドンナは浅丘ルリ子演ずるリリー。二年前の十一作『寅次郎忘れな草』に続き、シリーズで初めて二度目のマドンナとして再登場したのがリリーだった。
本作だけはワンパターンを少し外していて、映画の冒頭、寅さんは旅先にいる。会社員の日常から逃げ出した「パパ」こと兵頭という男と日銭任せに函館の屋台で呑んでいるところでリリーと再会、三人旅が始まる。
パパの初恋の人との再会やリリーとの喧嘩別れがあって、舞台は葛飾柴又へ。そこで寅さんとリリーの、本気度の高い交流が描かれた後、でもやっぱり最後には別れがあって、寅さんはまた旅に出る、というあらすじだ。
『相合い傘』がシリーズ最高傑作である理由をひとことでまとめるなら、それは「俳優が体現する人物の存在感」に尽きる。これがもう最高最大に面白いのだ。俳優がいいのか、人物設定なのか。台詞がいいのか、喋り方なのか。演技が冴えたのか、演出が見事なのか。たぶん、それらをひっくるめてすべてが沸点に達したのが『相合い傘』なのだった。
役の存在感だけの話であれば、シリーズ全作が同じ登場人物で構成され、ほとんど同じ俳優が演じているのだから、作品によって甲乙つくことはないはず。その中で『相合い傘』が特別に輝いて見えるのは、大前提としてまず脚本の出来の良さがある。前半は寅さんとパパの放浪記。中盤以降は寅さんとリリーの恋物語。メリハリの効いたエピソードがテンポよく並ぶので、あっという間に時間が過ぎる。
さらにキャスティングがいい。パパ役は船越英二。品があるのに脱力している。テノールの声質が人柄の柔和さを表す。宿賃がなく駅のベンチで一晩過ごすのにわざわざパジャマに着替えるというキャラクターは、船越英二にドンピシャである。
そして、浅丘ルリ子。リリー初登場の『忘れな草』は高校のときに見たきりなのでどんなだったか全然思い出せないが、日活アクションもので見慣れている浅丘ルリ子とは正反対のドサ回りの歌手役。その設定は山田洋次とのやりとりの中で生まれたものらしい。

最初山田洋次監督から打診されたのは北海道の農場で働く未亡人役。けなげに耐える女性。毎日搾乳し、牧草を刈り、牛舎を掃除しながらせっせと汗水垂らして働く。
「でも、私にうまくその役が演じられるかしら?」
力仕事などとても似合いそうもない自分の細い腕を見せながら、山田監督に疑問を直接ぶつけてみた。山田監督はブレスレットや指輪がキラキラと光る私の手を黙って見つめていた。そして、ひらめいたのがリリー松岡だった。(※3)


「芸能生活でリリーと出会えたのは最もうれしかったことのひとつ」という浅丘ルリ子自身の言葉通り、男勝りで自己主張する女を演ずる浅丘ルリ子は、日活時代とは全く違った引力を持っている。寅さんとパパと安宿の相部屋でザコ寝するのも、日活の浅丘ルリ子なら考えられもしないが、リリーとしての浅丘ルリ子ならごく自然にあり得るのだ。
こうしたリリー役の成り立ち方を見ると『相合傘』が最高傑作となり得たのは、俳優を適役にマッチングさせた山田洋次のプロデュース能力の賜物だったのではなかろうか。
映画的な演出はともかくとして、俳優たちにその真価を最大限発揮出来る役を与え、そこに自然と魂が吹き込まれるように撮影現場の環境を整える。あとは、その最高のパフォーマンスを邪魔せずにフィルムに収めるだけ。そうした現場の積み重ねの上に『相合い傘』は成り立っている。だからニタニタしながら、ときに大笑いし、やがては涙せずにはいられなくなる人情喜劇に観客は浸りこむのである。

その代表例かつ稀代の名場面が、「金があったらリリーに舞台をプレゼントしてやりてえなあ」と寅さんが話を始めるところ。この渥美清が凄まじい。こんなのありなのか!と思うほど、画面に引っ張り込まれる。
幕が開いて、リリーが現れ、唄を歌う。その場にはいないリリーの架空の舞台を寅さんがひとり語りで描き出す。そのリリーと観客の姿が、寅さんの口から紡ぎ出される台詞だけで、映像のように浮かび上がってくる。そんな寅さんの話を聞き込んでしまう「とらや」の人たち。そして「いい話だナ」とつぶやく博。「リリーさんに聞かせてやりたいねえ」というおばちゃんの暖かな反応。渥美清と「とらや」メンバーたちの見事なアンサンブルだ。
映画というメディアがあって、本当に良かったと思う。芝居ならそのとき劇場に足を運んだ人しか見られなかったはず。TV番組だってアーカイブとして残してはくれなかっただろう。映画だからこそ、フィルムとして現存していて、今でも作品を見ることが出来る。この場面の渥美清は、台詞も声も身振りも立ち方も間の取り方もすべてが完璧で非の打ち所がない。カット割りや照明は、たぶん付随的なものなのだろうが、渥美清を邪魔していないというだけでも価値がある。そして、この名場面は寅さんとリリーと「とらや」の人たちの、ここに至る物語があって、その上に成り立っているものなのだ。だから、YouTubeでこの部分だけを見られたとしても、決して見てはいけない。ぜひとも『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』全編を通して、その中の一場面として見てほしい。わずか九十二分の尺しかないので、大して時間は取られない。日本映画が遺した至宝のひとつである。
と、見ている瞬間に圧縮した感想を持ったので、映画を見た後で『相合い傘』についてネットで調べてみると、やはりこの場面は極めて有名らしく、「寅さんのアリア」という別名まで付けられていた。ああ、そうか、まさにアリアだ。でも、わざわざアリアと西洋化して呼ぶことはない。文楽の太夫の語りにも近いし、歌舞伎の名調子にも似ている。それを映画でやってしまったところが渥美清の凄さだ。そして、それは詰まるところ、山田洋次がプロデュースした「男はつらいよ」からこぼれ落ちた宝物なのである。

このほかにも、これまた有名なメロン事件など『相合い傘』を構成する名場面はたくさんあるが、きりがないのでこれ以上はやめておこう。ただ、加えておきたいのは画面に映っている全員がきちんと芝居をしていること。メロンを切ったおばちゃんと食べたおいちゃんやさくらや博。メロンについてその全員が当事者で、それぞれの気持ちの揺れがはっきりと画面から伝わってくる。たぶん撮影現場は、ひとつの「世界」で統一されていたのだろう。俳優が例外なく登場人物になりきっているので、メロンを食べた食べないの日常些事が寅さんとリリーの言い争いに発展する、その流れを自然に受け止められる。
こうした場面を振り返ってみると、映画監督山田洋次は映像作家ではなかったのかも知れない。彼の資質は細部まで手を抜かない撮影現場の管理運営能力にあり、俳優たちの持ち味を発見し極限まで引き出す人材活性型の映画監督だったと言えるだろう。

最後に、倍賞千恵子について付言しておきたい。マドンナ役の女優が誰だろうが「男はつらいよ」シリーズはさくらの存在なくしては語れない。そして、倍賞千恵子以外のさくらなど全く想像出来ない。松竹で映画シリーズになる前の、一番最初のTV放映時には渥美清の寅さんに長山藍子のさくらの組み合わせだった。だから倍賞千恵子はオリジナルキャストではないわけだが、芯の強さとふるさとのような郷愁と清貧な暮らしぶりと拒絶感ゼロの包容力は、倍賞千恵子にしか表現出来ないものだと思う。
そして、さくらを見るたびに思い出すのは『下町の太陽』(※4)のヒロインを演じた倍賞千恵子だ。下町の工場に勤める倍賞千恵子が勝呂誉演じる恋人と一緒に夜空を眺める。

「あ、流れ星」
「どうしてわかる?」
「だって音がするもの」
「何て?」
「ルルルーって」


何歳になろうとも、倍賞千恵子のイメージは「ルルルー」だ。他のどの女優にも絶対に言えない「ルルルー」。「ルルルー」の倍賞千恵子だからこそ、さくらを演じられたのだ。
ちなみにこの場面。倍賞千恵子は「ルルルー」で数え切れないほどのダメ出しを山田洋次から食らったらしい。倍賞千恵子にしか言えない「ルルルー」を、自分の気に入った「ルルルー」として表現させる。それこそが山田洋次の真骨頂だったのではないだろうか。(き)


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(※1)『快刀乱麻』は1973年10月から半年間、TBSで放映された連続ドラマ。坂口安吾の『安吾捕物帖』を原作とした推理もので、明治時代が舞台。視聴率が上がらなかったため途中から『新十郎捕物帖』というサブタイトルがつくようになった。残念ながらVTRテープは残されておらず、主題歌「少女ひとり」のみYouTubeで聴くことが出来る。

(※2)『家族』は1970年公開の松竹映画。九州の炭鉱で働く一家が北海道へ移住する過程を描いたロードムービー。旅の途中で一家が大阪万博を見物する場面が出てくる。

(※3)日本経済新聞2015年7月21日「私の履歴書」より引用。

(※4)『下町の太陽』は1963年公開の松竹映画。倍賞千恵子が歌って大ヒットした同名の歌の映画化作品で、山田洋次は監督第二作で倍賞千恵子と出会った。



posted by 冬の夢 at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする