2016年11月28日

Mel Tormé−The Christmas Song  元気が出る曲のことを書こう [10]

 なぜクリスマスが日本の年中行事なのか知らずに、「ジングル・ベル」を歌っていたコドモのころ。同じクリスマスソングでも、この曲を初めて聴いたときの驚きを想像してほしい。四十年以上前の話だけれど。
 世界で二番目にシングル盤が売れたといわれる「ホワイト・クリスマス」と前後して、世界でもっとも演奏されるという、この曲も知ったと思うが、「ホワイト・クリスマス」よりはるかに衝撃が大きかった。

「ジングル・ベル」はもちろんだが、「ホワイト・クリスマス」は、昔の音楽の教科書に載ってもおかしくはない。というのは、メロディやテンポがとりやすく、ふだん「メダカの学校」を歌っていてもなんとか歌える。歌詞を直訳しても、ほとんど違和感なく内容がわかる。
 しかし「The Christmas Song」は、どうだろう。
 ガイメロ(カラオケについている『ガイドメロディ』)なしで、歌えます?
 歌詞一行ごとに半音進行や転調がくる感じだし、三行目の歌い出しなんか、いきなりマイナーコード。そういうつくりが「メダカの学校」の千倍くらいカッコいいんだが、昔のコドモが歌うのは無理だろう。もし当時の音楽の授業で歌っていたら、なにかあったんではないかと近所の人が学校に駆け込んできたかもしれない。だいたい音楽の教科書に載せたとして、それらしくピアノ伴奏できる教師は十人にひとりもいなかったはずだ。
 さらにメゲるのは歌詞。一行目の Chestnuts roasting on an open fire からして、なんのことだかわからない!
 四十年以上前のニホンのコドモにとって「くり」とは、イロリばたで煮ているか、そうでなければ天津甘栗。「open fire」で「ロースト」しているよ、なんて歌詞から想像できたのは、外国ではクリスマスのときインデアンの扮装をして奇声をあげながら串に刺した栗を焚き火で焼くらしい、とだけ。先住民という言葉も知らないころだ。
 
 後発性敗戦感。
 太平洋戦争を知らず、よく教わったこともないコドモの自分に、それが襲いかかった。
 アメリカでこの曲ができたのは一九四五年の七月。
 同年同月に原子爆弾ができた。その月末には投下命令が出ている。
 戦後は終わっただか高度成長だか、なんだったのか知らないが、うれしげにトンガリ帽子なんかかぶってクリスマスだなんてやっていた、コドモの自分。
 その情況を理屈でわかっていたはずはないが、理屈を知らなかったからこそ、年に一度の焼いたトリのモモやらデコレーションケーキやらにかぶりついている自分は、とんでもないマヤカシやゴマカシの中でそうしているらしいと察知できたのだろう。
 コドモの歌なのに難し過ぎて歌えず、訳詞の風俗習慣がイメージできない──それが「本場の」クリスマスソングと思い知らされた後は、十二月の日本のクリスマス騒ぎが、いたたまれないものになった。

 しかし、それから何年もたつと、この曲のはじめの部分が聴こえると、不思議と心があたたまり気持ちが晴れるようになった。チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んで、いつもその一節が思い浮かぶようになったからだ。
『クリスマス・キャロル』は、冷血の守銭奴、スクルージが、精霊たちに引き回されて自分の過去や未来を見せつけられ、苦しみ、改心する話。思い浮かぶ一節とは、スクルージが、薄給でこき使ってきた店の事務員、ボブ・クラチットの、貧しいが楽しいクリスマス家族パーティを精霊に見せられる場面だ。一年にただ一日の休暇を願い出たクラチットに、さんざん嫌味をいい、クリスマスの翌日は早出しろと命令したばかり。


 At last the dinner was all done, the cloth was cleared, the hearth swept, and the fire made up. The compound in the jug being tasted, and considered perfect, apples and oranges were put upon the table, and a shovel-full of chestnuts on the fire. Then all the Cratchit family drew round the hearth, in what Bob Cratchit called a circle, meaning half a one; and at Bob Cratchit’s elbow stood the family display of glass. Two tumblers, and a custard-cup without a handle.
 These held the hot stuff from the jug, however, as well as golden goblets would have done; and Bob served it out with beaming looks, while the chestnuts on the fire sputtered and cracked noisily. Then Bob proposed:
“A Merry Christmas to us all, my dears. God bless us!”
 Which all the family re-echoed.
“God bless us every one!” said Tiny Tim, the last of all.

 いよいよ夕食がすみ、テーブルクロスがきれいにされ、ならした暖炉に火がおこされた。ピッチャーのパンチは味見すると完璧。リンゴとオレンジが食卓に置かれ、石炭シャベルひとすくいの栗が暖炉で焼かれる。そうしておいてクラチット家全員が、ボブ・クラチットの「輪になろう」で暖炉をとり囲んだ。半円になったわけだ。ボブ・クラチットの肘のまわりには、家族のグラスが勢揃いである。ビールグラスふたつ、そして取っ手のとれたクリームいれ。
 それらのグラスには、ピッチャーから熱い飲みものが注がれた。あたかも金杯であるかのように。ボブは嬉しそうにパンチを注ぎ、火にかけた栗はパチパチとやかましくはぜた。そしてボブはこう告げたのだった。
「みんなにすばらしいクリスマスを! われわれ家族に神の祝福を!」
 家族みなが唱和した。
「神さまが僕たち家族みんなを祝福してくれますように!」ちびのティムが最後に唱えたのだった。


 焼き栗やヤキトリが、外は寒くても気持ちをあったかくしてくれる、というような「The Christmas Song」がぴったり合う場面でしょ! イギリスとアメリカの違いはあるし、時代もずいぶん違うが、焼き栗が威勢よくはじけるのは暖炉の炎のせいだけでなく、楽しさで上気した家族のあたたかさゆえなんだな、と、こちらも気持ちが温まる。

 スクルージが精霊に見せられるこの場面は「現在」の幻影だ。スクルージのせいで貧乏をしいられつつも、楽しく過ごすクラチット家だが、じつは、さらなる不幸が待っていると暗示される。精霊の言葉では「この幻影が未来によって変えられないままなら」、つまりスクルージが「現在」を変えないなら、その不幸を避けることはできない。
 スクルージは精霊に、なんとかならないかと頼み込むが、精霊から、さいぜんスクルージ自身がいい放った暴言を返されてしまう。「 死ぬとなりゃ死んだほうがいいぞ。よけいな人口が減らせるってもんだからな」。
 自分の言葉にうちのめされるスクルージ。大きなターニングポイントの場面だ。焼き栗がはじける音は、清貧なクラチット家のクリスマスを祝うクラッカーや花火の音でもあるが、同時に、スクルージや読者を「はっ」と覚醒させ、スクルージ的な冷血に火をつけて焼き捨てる音でもある。映像や音声を、くっきりと描き出し、灰色のロンドンをクリスマスに彩るディケンズのペンは、いまさらながら素晴らしい。

 さて、あらためてこの『The Christmas Song』を聴くなら。
 有名なのはナット・キング・コールが歌った版で、わたしもたぶん、その録音のどれかで知ったと思う。
 が、ここはやっぱり作曲者でジャズ・ボーカリストでもある、メル・トーメ自身の歌で聴くのがいい。
 日本では、昔のジャズや映画のテーマ曲を歌う男性歌手では「クルーナー」、つまり語りかけるように歌うタイプが好まれるらしく、フランク・シナトラやビング・クロスビーの──「ホワイト・クリスマス」でいちばん売れた盤は最初に録音されたこの人の歌──人気が高かった。メル・トーメもクルーナーで、アメリカではティーン・アイドルだったこともあるほど有名だが、なぜか日本での知名度は低い。
 
 それはともかく、どうせ聴くならいかにも炉辺ふうの、こじんまりした伴奏がいい。曲ができてからそう年月がたっていない、若いころの録音がいいと思う。
 一九五四年にハリウッドのナイトクラブに出演したときの録音がある。伴奏はピアノに、ベースとドラムが静かにつけ、クラリネットがすこし装飾音を鳴らす程度。期待に合う。ナット・キング・コール版──オケがはいったゴージャスな伴奏──とは節回しがすこし違うのと、バースを後につけているところが聴きものだ。
 古い写真を調べてみると、そこそこ大きいクラブらしいが、拍手の数が少なくアットホームな感じなのもいい。ボーカルの録音は、ピアノにもたれてマイクなしで歌っているかのようで、しかもその目の前の席で聴く感じがする。すばらしいテイクだ。音質もいい、はず……というのは、持っているのにいくら探してもない!※1
 
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Chestnuts roasting on an open fire
 焼き栗売りは店びらき
Jack Frost nipping at your nose
 霜坊やが鼻をつまんでいるよ
Yule-tide carols being sung by a choir
 聖歌隊が歌っているね
And folks dressed up like Eskimos
 だれもがエスキモーみたいに着こんでる
Everybody knows a turkey and some mistletoe
 シチメンチョウとヤドリギ飾りが
Help to make the season bright
 ほがらかな季節にしてくれるんだ
Tiny tots with their eyes all aglow
 こどもたちは お目めぱっちり 
Will find it hard to sleep tonight
 今夜はとても眠れない
They know that Santa's on his way
 サンタさんがくるのを知ってるからさ
He's loaded lots of toys and goodies on his sleigh
 サンタのソリはおもちゃやお菓子でいっぱい
And every mother's child is gonna spy
 どんなママの子どももみんなこっそり見たがってる
To see if reindeer really know how to fly
 トナカイはほんとに空の飛びかたを知ってるのかなって
And so I'm offering this simple phrase
 だからね ぼくは このかんたんなことばをいうよ
To kids from one to ninety-two
 1歳から92歳までの子どもたちに
Although it's been said many times, many ways
 もう なんども いろんなふうに いわれたと思うけどさ
Merry Christmas to you
 メリークリスマスと きみたちに ※2


 メル・トーメはこの曲を、当時の作詞パートナーで後年はテレビプロデューサーとして知られたロバート・ウェルズの、ハリウッドの家で作った。
 ウェルズは不在で、トーメは譜面台の上に歌詞の最初の四行がメモされた紙を見つける。
 戻ってきたウェルズはTシャツに短パン姿。くそ暑いんで涼しいことを書いて気分だけでも涼しくなるかと、クリスマスと寒い天気のことだけ考えてたんだ、とトーメに告げる。
 曲のはじめの「焼き栗」は、ウェルズが子どものころいたボストンの思い出。クリスマスにはいつも、三角のコーン型の紙袋に栗をいっぱいつめて売っていた焼き栗売りたちがいたのだ。
 ここに何かありそうだ、できそうだぞ、とトーメはいってピアノに向かうと、たちまち冒頭のメロディがひらめいた。ウェルズはいそいでメモ用紙とペンをつかみ、ふたりはわずか四十五分ほどで、世界的に有名になるクリスマスソングを完成させた。一九四五年七月の、とても暑い日だった。(ケ)



※1 べつべつのレコードで出た五四年、五七年のライブがCD二枚組で出ている。
※2 バースの訳は略。1行目は「暖炉の火で栗を焼いているよ」だと思うが、後段の作詞者ウェルズのエピソードを生かすように訳した。
※  作曲のエピソードは『Performing Songwriter』98, December 2006 から。
※  十二月十四日、わずかに直しました。



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2016年11月16日

国立劇場十月・十一月歌舞伎公演『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』〜 面白過ぎる六段目の「勘平腹切」

国立劇場開場五十周年を記念した『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の連続公演。大劇場では歌舞伎を三ヶ月に分けて通しで上演し、小劇場では十二月に文楽でやる。こんな大掛かりな『忠臣蔵』も滅多にないだろうから、芝翫の襲名披露公演はあきらめて、半蔵門に三ヶ月通うほうを選んでみた。通しで見てから感想をまとめようと思っていたら、今月の「六段目 勘平腹切」があまりに面白過ぎた。以前にも見たことはあったが、登場人物の想いがこんなに複雑に絡まり合った芝居だったのか。ワクワクしながら、実は涙さえ滲ませてしまった。とりあえず「大序」から「七段目」まで行ったところだが、ここでひとまず今回の通し公演を振り返っておこう。

先月の「第一部」は塩冶判官切腹の後の城明渡しまで。
まずもって判官役の中村梅玉がすっきりとした殿様ぶり。かつて歌舞伎座で見たのは十八代勘三郎の判官であった。飄然とした印象がある勘三郎だが、複雑な気持ちの乗せ方が出来る人だったので、侮蔑を受けた怨念を晴らすことなく自害させられる暗さが醸し出されていた。それに比べると梅玉は潔さが前面に出ていて、判官がいかにも家臣から慕われそうな人格者に見えてくる。この後、幸四郎の由良之助が駆けつけてという展開になり、籠城自刃を主張する家臣たちを説得してお家再興に望みを託すことになる。
「表門城明渡しの場」は初めて見たが、回り舞台の奥行き全部を使って、城のセットがズズズーと後方に後退していく。ヒッチコックの映画で、キャメラをトラックバックさせながらズームインすることで背景がググッと詰まってくるような画面がよく出てくるが、城が遠ざかることで手前に立つ由良之助がズームインされたように大きな姿に見える。そんな視覚効果を舞台の上だけで表現してしまう演出だ。この手法は九代目團十郎が始めたのらしく、百年以上前のこと。驚くほかない。
他には二段目の「桃井館力弥使者の場」が出たのも珍しく、ここは由良之助の息子力弥と加古川本蔵の娘小浪の淡い恋が舞の姿で描かれる。中村隼人の力弥が緊張のためかしなやかさがなく、ぎこちなさが目立ったのに比べ、中村米吉の小浪は可憐で良かった。いつの間にこんな美しいお姫様役が出来るようになったのだろう。 化粧映えする顔だし踊りの軸もしっかりしているようなので、若手の中では注目株だ。

そして、今月の第二部は、「道行」「山崎街道」「勘平腹切」「一力茶屋」。
先に七段目の「祇園一力茶屋の場」から片付けてしまうと、『忠臣蔵』の中でとりわけ華やかな舞台であって、映画でも必ず中盤に登場するお馴染みの場面。秘かに討入りの準備をする由良之助(映画だと大石内蔵助)が敵方の目を欺くため、祇園の茶屋で遊興三昧するというあの有名なシーンだ。
深夜、人目を忍んで討入り計画の役割分担を言い渡す内蔵助。「よいな、皆の者。決して吉良方に悟られるでないぞ」の指示にうなづく一同。夜空の月が雲に隠れる。カットして一転、画面は満開の桜。クレーンの移動撮影でキャメラは桜の枝の下を潜り、茶屋の縁側で大勢の遊女たちを引き連れた内蔵助へ。「鬼さんこちら、手のなる方へ」と遊女たちが声を合わせる。目隠しをした内蔵助は「どこじゃ、どこじゃ、鬼はどこじゃ〜」と手探りでフラフラ歩く。
まあ、東映でも東宝でも松竹でも間違いなくこんな場面があったはず。それほど歌舞伎の舞台が類型化されて定番化している。

今回の国立劇場では、由良之助を演るのは中村吉右衛門。「判官切腹」から「城明渡し」は、むっつりとした幸四郎でも良かったが、七段目の由良之助は酔狂を装いながら少しも酔っていない策略家という二面性を出さねばならない。吉右衛門でなくてはその妙味は演じ切れないであろう。良くも悪くも幸四郎は直線的であり、以前に見た仁左衛門は柔らかみに勝り過ぎて冷酷さが足りなかった。
ここの由良之助は、遊女おかるに顔世御前からの手紙を覗かれただけで、秘密を漏らす恐れのあるおかるを殺してしまおうと考える、冷静で冷血な殺人計画司令官なのだ。その点で、吉右衛門は愚鈍な正直者も酷薄な殺人鬼も同時に演じられる。幸四郎や仁左衛門では『籠釣瓶』の次郎左衛門を演れないだろうという感覚に近いかも知れない。

さて、やっとここから本題に入るわけだが、第一部と第二部を続けて見た中で白眉なのは、間違いなく六段目「勘平腹切」であった。
その見事さを伝えるためには五段目「山崎街道」にさかのぼって、ある程度の人間関係を紹介しておかねばならない。
早野勘平は塩冶の家来。ところが判官が城内で刃傷沙汰を起こしたとき、事もあろうか恋仲のおかると持ち場を離れて色に耽っていた。自害しようとする勘平を引き留めたおかるは、二人で在所に逃げのびて、老いた父母と一緒に勘平を住まわせる。
そんな事情の婿殿なので、老父は勘平になんとか一旗上げさせたい。由良之助たちの討入りに準備金が必要だと聞き、勘平には知らせずにおかるを茶屋に売って資金を調達しようとする。
その人身売買の契約を百両で取り付けた老父は、半金五十両を受け取り、一刻も早く婿殿に朗報を届けようと闇夜を走る。闇夜の中には極悪人の斧定九郎がいて、さらには猪狩に出ていた勘平がいる…。

早野勘平を演じるのは菊五郎。今いる役者の中で菊五郎以上の勘平役は考えられない。おかるが菊之助で、老母おかやは中村東蔵。今回の六段目は菊五郎さえも上回るくらいに、この東蔵が本当に素晴らしい。老父与市兵衛は誰がやったのか忘れてしまった。と言うのは、老父は登場した途端に定九郎に殺害されてしまい、六段目で出てくるのは死体としてだけだからだ。
先ほどの続きがどうなるかと言うと、老父を殺した定九郎は五十両を財布ごと奪い取る。が、猪を撃ったつもりの勘平の鉄砲玉が定九郎に命中、極悪人もあっという間に死んでしまう。驚いたのは勘平。闇夜の中で撃ったはずの猪を手探りすると、手に触れたのは人間の足。けれどその懐に財布があることに気付いてしまう。これが運命の分かれ道で、この財布を抜き取ったばかりに勘平は腹切をすることになるのだ。

以上が五段目「山崎街道」で、ここからが六段目「与市兵衛内勘平腹切の場」となる。
おかると老母おかやのところへ祇園の一文字屋の女主人が来ている。仲介人の源六が残りの半金五十両をおかやに渡して、おかるを連れ出そうとする。帰らぬ老父からは何も聞かされていない二人は何の金だかもわからない。そこへ勘平が帰着。金は手に入ったからそんなやつらは引き取ってもらえと左団扇。ところが、女主人が老父に渡したのと同じ柄だと言って取り出した財布を見てびっくり仰天。なんと撃ち殺してしまった男の懐から盗んだのと同じ柄の財布ではないか。ならば、俺が撃ったのは親父殿であったのか?
動転している勘平をよそに女主人と源六は、さっさとおかるを籠に乗せて連れ去って行く。娘との別れを惜しむおかやのもとにやって来たのは猟師仲間。山の中で見つけた老父の死体を運んで来たのだ。驚き慄くおかやの一方で、老父を見ようともしない勘平。あたかも死んで帰って来たのが当たり前という態度の勘平の様子から、ついにおかやが勘平の仕業だと気付いてしまう。婿殿、あまりにひどい仕打ちではありますまいか!
訳を聞いてくれ、いや聞きとうない、と揉み合っている二人のところへ、塩冶浪人が連れ立ってやって来る。勘平から献上された五十両を由良之助が受け取らないと返しに来たのだ。彼らはおかやから事の成り行きを聞き、五十両が盗んだ金だったと知る。元の仲間から蔑まれ、義理の母から怨まれ、勘平はどうにもならず自分の腹に刀を突き刺す。
虫の息の勘平は、誤って老父を撃ってしまった経緯を語り始める。浪士が老父の死体を検めると、鉄砲玉の跡はなく致命傷は刀傷。そう言えばここに来る折、道端に倒れ伏した極悪人の定九郎を見かけたなあ。だったら、それをもっと早く言ってよ〜ん。そんな小言を言う力は、もう勘平には残っていなかった。
疑い晴れた勘平は、その心意気に免じて討入りメンバー加入の許可を得る。四十六人目(※1)として塩冶の義士となった勘平は、誇りを取り戻して息を引き取るのであった。

なんだか講談調になってしまったが、一発の銃弾が招く悲劇に疑念と誤解が重なり、最後には真実が明らかになる。その間の登場人物の心の動きが、すべて腑に落ちて納得出来る。それを肚に落として役者が演じるので、舞台にいる全員の想いが交錯しているのが目に見えるように伝わってくる。
おかるは勘平のお役に立ちたい、茶屋に売られてもいい、でもいざとなると両親とも勘平とも別れなければならない。その辛さ悲しさ。おかやは娘を売ってでも婿殿に手柄を立てさせたい、娘を送り出したもののその寂しさから、わしら夫婦を支えてくれるのは婿殿しかいないとさらに頼る。そこへ夫が死体で帰って来て、しかも手をかけたのは婿殿だと気づく。その悔しさ虚しさ。さらに勘平。大事の場面で色に耽り、討入りに加えてもらえない。ならば準備金だけでもという想いを汲んでくれた義理の父親がいて、それを誤って撃ち殺してしまった無念さがある。しかし、勘違いだとわかり疑いが晴れ、義士の一員になる。本望を遂げたその嬉しさ慶び。
局面ごとに変わるシチュエーションと上下に振れる感情。それが絡み合い、ほぐれながらも、また互いに巻きつく。こんな複雑な台本が義太夫狂言で完成されていたことに驚嘆し、さらにはそれを演じる型が江戸時代から現代まで綿々と繋がれてきたことに仰天する。

そして、その中で最も光っていたのが東蔵のおかやだ。外出していつまでも戻らない夫を心配し、いきなり訪ねてきた茶屋の女主人に気を遣い、戻ってきた婿殿を頼りにし、売られる娘の身を案じる。おかやはすべての登場人物と糸が繋がっていて、中心軸ではないけれど、糸の張り方と弛ませ方を差配しているのはおかや。そのうえで勘平が下手人だと悟るという状況設定は凄い。なぜなら、老父を殺してしまったのかもと自ら認めざるを得ない勘平は、そのことを自分からは言い出せないから。それが「肚」というものだ。
では誰に言わせるか。それを言えるのはおかやしかいない。夫が死体で帰還したことに驚かない婿殿。それが最大の不自然さなのだ。その複雑微妙な舞台の上の心理劇を、鮮やかに映し出すのが東蔵のおかやなのであって、これは他の役者ではちょっと出来ない。まさに至芸という誉め言葉がぴったりする。
中村東蔵は、六代目歌右衛門の芸養子。本来の血筋ではないのに、人間国宝に選ばれた(※2)。正直なところ「何で東蔵が?」と思っていた。でも、それは大間違い。真の意味で生きる文化財。それが東蔵であったのだった。

第二部までみたところで、歌舞伎における三大義太夫狂言を代表する『仮名手本忠臣蔵』があらためて大傑作であることを再認識した。来月の第三部が楽しみであるし、全段を通しでやる文楽も待ちきれない。
国立劇場開場五十周年記念公演は、見事なストライクを投げてきた。こんな嬉しいことは滅多にない。ありがたい公演である。(き)


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(※1)七段目でおかるの兄、寺岡平右衛門は由良之助から討入りに加わることを許される。台詞には出てこないが、平右衛門が四十七人目とすると勘定が合う。ちなみに外題の『仮名手本』とは「いろは四十七文字」のことで、この『忠臣蔵』が決定版として上演される以前は「いろは軍記」「いろは夜討」など演目タイトルも定まっていなかったと言う。

(※2)六代目中村東蔵は昭和十三年生まれ。屋号は成駒屋ではなく加賀屋。映画で活躍していたが、その地位を二十代前半に捨てて自ら歌舞伎界に移り歌右衛門の芸養子となった。平成二十八年七月十五日に文化審議会によって重要無形文化財に歌舞伎脇役として認定された。



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2016年11月15日

お知らせ [ファビコンをつけました]

161119fv.png ファビコンをつけました。


(c)趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
Originally Uploaded on Nov. 19, 2016. 22:00:00


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