2016年02月24日

Appleをなんて褒めたらいいんだろう!


 生涯で最初に使ったパソコンは職場にあったNECのパソコンだった。いわゆるPC-9800シリーズだ。時代はようやくMicrosoft Windowsが産声を上げた頃だ。1985年、一世を風靡したWindows 95の10年前になる。MS-DOSのコマンドをひと通り知らないと全く使いこなせなかった。インターネットも「パソコン通信」(というか、今でいう「チャット」のようなものだったか?)なんて呼ばれていたし、まだ完全にキワモノ扱いだった。大学を出たばかりのぼくは、「パソコンなんか使ってられるか!」と、もっぱらタイプライターを使っていた。

英語のときはタイプライターで良かったのだが、問題は日本語を使うときだ。一方で「ワープロ専用機」というものを各電機メーカーがこぞって世に送り出していたが、他方では、現在もATOKで名を成しているジャストシステムが「一太郎」という日本語ワープロソフトを華々しく売り出していた頃だ。職場のパソコンにも早速導入され、日本語文書を作成するときには以後随分とお世話になった。そう、当時パソコンはぼくにとってはワープロ専用機でしかなかった。そして、繰り返すが、英語の文書ならタイプライターの方が使い勝手がよかった(印字も含めて考えた場合はなおのこと)。

ところが、上述のWindows 95の登場で状況はすっかり様変わりした。事実、自分のお金で最初に買ったパソコンはWindows 95を搭載したIBMのノートパソコンだった。その頃にはタイプライターはすでに過去の遺物になりかけていて、英語の雑誌に「あなたはタイプ派、それともワープロ派?」のような特集記事が掲載されていたことを思い出す。覚えている限りでは、その記事によると、故ギュンター・グラスはタイプ派で、故ガルシア・マルケスはワープロ派だった。書き直しが何度でもできるワープロは、確かにとても便利に感じられた。(もっと遡って、『飛ぶ教室』のエーリッヒ・ケストナーは緑色の鉛筆で、少なくとも草稿は書いていたらしい。ぼくも今はできる限りペンで書くことにしている。)

何が言いたいかというと、パソコンとの最初の出会いはマックではなかったということ。マックは一部の変わり者か、金持ちか(極めて高価だった)、ともかく普通(?)の職場においそれと置かれているような代物ではなかったし、薄給サラリーマンがワープロ代わりに購入できるようなものでもなかった。初めて自前で買った個人用のパソコンはthinkpad 535というB5サイズのノートパソコンだった。秋葉原の格安ショップでも30万円近くした。1ヶ月の給料並みに高かった! しかし、マックのPowerBookはその倍近い値段だったように思う。

しかし、時代は推移し、極めてユニークな形状をしたiBook G3(クラムシェル)の魅力に終には屈するようにして、1999年か2000年を境に徐々にマック・ワールドへ引き寄せられていく。ちなみにこのiBookはOSをOS8からOS9にアップグレードしたものの、いまだに手元に残してあるばかりか、ときどきは電源を入れて動かしてもみる。ただ、今の時代になって一番困るのは、OS9がいかに魅力的で、いかに完成度が高いとしても、無線LANを使おうとすると、WEPの暗号化にしか対応していないので、WPAしか使えない現行のマック(OSXは今どこまでバージョンアップしているのか?)との共存が不可能な点だ。有線で繋げば立派に使えるのだが……

DSCF1588.jpg
(見よ、この勇姿!)

以後、身の回りにAppleの製品が溢れていく。職場のパソコンも自宅のパソコンもマックになり、iPodもiPadも使っている。ところが、なぜか次第にマックが嫌いになりつつある。インテル・マックになったときに嫌な予感はした。それで、我ながらアホだとも思うのだが、少しずつLinuxのお勉強をして、少なくとも遊びや趣味でパソコンを使うときにはLinuxを使うようにしてきた。が、マックから決定的に気持ちが離れた気がしたのは、OSXに入っている写真管理ソフトがiPhotoから「写真」という、ふざけた!名前のソフトウェアになったときだったかもしれない。つまりごく最近のことだ。ごく簡単にいうと、かつてマイクロソフトに感じた違和感と似たようなものを最近のAppleに感じてしまう。ある種の余所余所しさか。(嫌味なお仕着せというべきか。)パソコンに「親しみ」を感じる必要があるかどうかは個人の好みだろうし、議論の余地もあるとは思うが、OS9当時の起動画面に象徴されるように、以前のマックは本当に「パーソナル・コンピュータ」だった。今はその「パーソナル」な感じが希薄になっている。

DSCF1587.jpg
(こういうデザインが楽しかったんだよね)

さて、今回はここまでが「長い!」前書き。

そう、15年以上もお付き合いしてきたAppleにサヨナラすることをかなり真剣に考えていたとき、凄いニュースが飛び込んできた。新聞記事を見て、少し唸ったほどだ。それは2015年12月にカリフォルニアで起きた銃乱射事件の捜査に関連して、死亡した容疑者のiPhoneのロック解除を可能にするソフトの開発をカリフォルニア連邦地裁がAppleに命じたところ、なんと!同社の最高経営責任者がそれを拒否したというニュース。凄い。凄すぎる。日本の新聞に出ていた記事から引用すると:

ティム・クック最高経営責任者は同日、ネット上に「顧客への手紙」とする声明を発表。「マスターキーを作るようなもので、悪用されれば、すべてのiPhoneのロックが解除される可能性がある」「政府はあらゆる人のメッセージや健康データ、資産情報だけでなく、マイクやカメラにもアクセスしかねない」と、命令を拒否する姿勢を明らかにした(朝日新聞2月18日付)。

続報では:

アップルは声明で「捜査関係者は、今回のFBIの要求が通れば、他にもロックを解除させたいiPhoneは何百とあると発言しており、マスターキーを作るのと同じことだ」と反論。「この問題は(テロ対策などの)安全保障との関連の中で議論すべきだ」と、情報テクノロジーの専門家などを含めた委員会の設置を求めた(2月23日付)。

例によって例のごとく、日本語の新聞を読んでいると、どうしても隔靴掻痒の感が拭えないので、英語の新聞を見ると、これまた凄いことになっている。アメリカは言うまでもなく、イギリスにとっても「対テロ対策」の緊急性・緊張度は、日本とは比較にならない。そういう状況で、犯罪容疑者が残した端末のロック解除という問題は、市民の権利(つまり基本的人権)の問題と真っ向から衝突するわけだから、そりゃ大問題になるはずだ(日本と英語圏は、言うまでもないけれど、こういうことになると全くの別世界……)。

驚くべきことに(あるいは、極めて当然なことに?)イギリスの新聞 The Guardianは社説に相当するコラムで「Appleは頑固すぎる。たとえAppleがロック解除ソフトを開発しても、そのソフトをAppleだけが管理する限りは、FBIが乱用することはないのだから、協力すべきだ」と書いている。このナイーブさは、はたしてThe Guardianの恥ずべき無知の露呈なのか、あるいは偽装された悪意の表明なのか、判断に困るのだが、ともかく、トンデモ社説なわけで、さすがに読者からのコメントの多くは「Bye Bye Guardian!」という調子だ。そりゃそうだろう。Appleが一番に憂慮していることは、「こんなソフトを開発してしまったら、その技術はいつか必ず流出して、権力者に悪用される」ということに尽きるのだから。これが「マスターキー発言」の意味だ。

そして、やはり興味深いことに、マイクロソフト帝国の帝王ビル・ゲイツも、「これは特別な機会なのだから、Appleは捜査に協力すべきだ」と発言している。いかにも。(しかし、マイクロソフト社自体はAppleにある程度同調しているらしい。ある程度だが。)

「特別の例外」を一度でも認めたら、それはもう二度と「特別」にも「例外」にもならない。すでに「前例がある」のだから。Appleが憂慮している第二点はこのことだ。捜査のために、国家の安全のために、悪魔の技術を開発してしまったら、たとえそれを必死に隠匿したとしても、その悪魔の技術の開発を別の技術者に強要することも可能になる。それも、今度は国家の命運をかけた一大プロジェクトとして。日本のニュースと、そしてこのブログをここまで読んで、そのために誤解が生じるとイヤなので、読みかじったことを書き加えるが、Appleはすでに犯罪捜査に協力するために、それが法で認められている限りは、捜査当局の求めに応じて顧客の情報を相当に手渡してきたらしい。これはどこの民間企業でもあり得ることで、その点ではAppleもごく普通の私企業というわけだ。したがって、問題の核心は、やはりティム・クックの言うとおり、「マスターキーを作っていいのか?」ということに尽きる。

となると、ニュースではこの件は情報テクノロジーとプライバシーの問題にされているが、実は、核開発や遺伝子組み換えと同じ、つまりいわゆる「悪魔の技術」の問題だ。そして、Appleという企業がその点では極めて安全志向の強い、極めて「パーソナル」な企業であることがわかる。

たとえどんなに「写真」ソフトが気持ち悪くても、もう少しAppleの製品を使い続けようと強く思った次第だ。今度の件では、Appleをなんて褒めたらいいのかわからない。(H.H.)

DSCF1583.jpg
(懐古趣味と言われても……)
(ちょっと目がグラグラしますね〜)




posted by 冬の夢 at 03:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月19日

国立劇場二月文楽公演『関取千両幟』 〜 嶋大夫引退を惜しみ、寛太郎の曲弾きを愉しむ

豊竹嶋大夫が今月の東京公演を最後に引退する。筆者が初めて文楽を見たのは大阪で『摂州合邦辻』がかかったとき。「合邦庵室の段」の切りを語ったのが嶋大夫だった。それから文楽に親しむようになる度に『冥途の飛脚 封印切』『伊賀越道中双六 岡崎』『卅三間堂棟由来』『双蝶々曲輪日記 橋本』『天網島時雨炬燵 紙屋内』と嶋大夫に接してきた。と言えるのは、今、振り返ってみての話。文楽初心者の無知さゆえ、嶋大夫の印象は公演パンフレットの後ろのページに載った顔写真のみ。源大夫と住大夫の写真だけが上段に大きく掲載され、あとは五十音順に均等に並んだ正方形。その中の「よく出てくる」「妙に歳をくった人」が嶋大夫だった。切り場語りだなんて知らないし、なにしろ太夫の人数が多過ぎてみんな同じような名前だし、と言うのはここに来ての言い訳。その実力をすごいと思ったのは『桂川連理柵 帯屋』がはじめてだった。そりゃ遅過ぎる。嶋大夫さん、本当にすみません。

正直なところ、舞台だけ見ていれば良い芝居見物に慣れきっていた。歌舞伎ではチョボ床(いや、これはNG用語だが)をじっくり見る必要なんてない。ところが、文楽と来たら、人形と太夫と三味線の三方を見なければならない。しかも、人形の後ろには人形遣いが三人も。おまけに字幕まで出て、読まなきゃいいのに目が行ってしまう。さらに場ごとに床が廻って演者が変わる。
見巧者にとっては簡単なことがなかなか身に付かず、東京公演の度に文楽見物をするうちに、なんとなく目の配り方がわかってきたのはつい最近のこと。
そんなときに届いたのが嶋大夫の人間国宝認定の快挙。あの正方形の写真のおじさんじゃないか。もしかして今まで大事なものを見逃していたのかも。ならば、これからじっくり見てやろう、そう思った途端の引退表明。時は遅し、残念至極。

八代豊竹嶋大夫引退披露狂言は『関取千両幟』(せきとりせんりょうのぼり)。幕が開く前に床が回って嶋大夫登場。弟子の呂勢大夫から口上がつくものの拍手するタイミングがなかなかない。黒衣による東西声になって「相勤めまする太夫、豊竹嶋大夫〜」でやっと「嶋大夫!」の声がかかり、会場全体から拍手。ひときわ強く手を叩いて、ああ、やっとごめんなさいと言えた気分になる。

『関取千両幟』は大阪を舞台にした相撲取りのお話。二百両の金を工面しなければならない猪名川は、ライバルの鉄ヶ嶽から八百長を持ちかけられる。女房のおとわはそんな猪名川の髷を整えて送り出す。取組で勝ちを譲ろうとしたそのとき、贔屓客から進上金二百両の声がかかった。実力通り猪名川は鉄ヶ嶽を下すが、二百両は女房おとわが自ら身売りして作った金。そんなおとわを猪名川は黙って見送るのだった。

太夫は掛け合いの語りになっていて、嶋大夫がやるのはおとわ。常に四人の太夫が並ぶうちのひとりという位置付けで、物足りない感じがしなくもない。それでも猪名川内の三味線は鶴澤寛治、おとわの主遣いは吉田簑助。嶋大夫含めた人間国宝三人の揃い踏みは、大変なご馳走であった。
加えて「相撲場の段」の舞台装置が見事。『双蝶々曲輪日記』でさえ小屋の外側しか出てこないのに、ここでは四本柱の土俵がデデンと舞台に設えられる。しかも猪名川と鉄ヶ嶽は廻しだけの力士姿。これまた豪華で、たっぷりと堪能できる。仕切りをする両力士ともさがりを左右に分けての蹲踞の姿勢。鉄ヶ嶽は土俵に塩を撒くだけでなく、えび反りになって琴バウアー(※1)。場内から笑いがどっと湧く。これを遣う吉田文司が真面目な顔をしてやるから尚更に可笑しい。掛け合う太夫も英大夫(はなふさだゆう)、津國大夫、呂勢大夫、始大夫、睦大夫とみんな嶋太夫の弟子たち。
嶋大夫の切りではなかったけれど、引退狂言がしかつめらしい時代物でなくて、かえって良かったのかも。そう思える賑やかな舞台だった。

嶋大夫引退はさておいて、今回の文楽見物では三味線の魅力に触れることが出来た。
『関取千両幟』で「猪名川内の段」が終わるとサーっと浅葱幕が下がる。舞台装置を土俵に取り替えるためだが、その幕間を利用して「櫓太鼓曲弾き」となる。相撲場の開場を知らせる太鼓を三味線で表現しようという趣向で、演者は鶴澤寛治の孫、寛太郎。曲弾きは、曲乗りと同じで、いろんなやり方で三味線を弾いちゃおうというもの。太鼓のようなリズムを刻みながら、さまざまなテクニックを使って三味線から音を出す。弦を押さえる左手で弾く。撥を逆さにして根元の部分で弾く。その撥を糸巻きの上に乗せ、空に放り上げて右手で受けとめる。寛太郎によると「燭台のろうそくで弾こうとも考えた」らしい。でも「消防法の関係で断念した」(※2)。要するに何でもありの三味線演芸。ただし、楽しく見せるだけではない。しっかりした基本の技術がなければ曲芸にすることは難しい。それを鶴澤寛太郎が意外にも肩を張らずに軽い感じでこなしていた。頼もしい限りだ。

『関取千両幟』の前にかかったのは『桜鍔恨鮫鞘』(さくらつばうらみのさめざや)の「鰻谷の段」。呂勢大夫の相方となる三味線は、これまた人間国宝の鶴澤清治。ここはひとつ、人形・太夫よりも三味線に集中してみようと、やや首を右に曲げながら見てみた。
清治の三味線からは腹の底に響くような重い音が出てくる。詳しくは全くわからないけど、撥への力の乗せ方が違うのか。しかし、三味線に注目してみてなんとなくわかったのは、清治はきちんと呂勢大夫の語りに合わせて弾いているということ。太夫の語りは、ときにはあらすじを、ときには時代背景を説明し、かたやすべての登場人物の台詞を代弁し、さらには言葉にならないその心情まで表現する。三味線はその語りを支え、補い、邪魔しない。例えば、お妻と娘お半の会話。夫が忠義を果たす金のために縁切りをして他の男を婿に迎える。その思い入れが会話から浮かび上がるところでは、三味線は沈黙、全く音はない。反対に婿が乗り込んでくるところでは、お妻の乱れる気持ちを代弁するかのような激しい撥捌き。今まで何とは無しに聞き過ごしてしまっていた三味線が、舞台をドラマチックに底支えしていることにやっと気づいた。ドラムとベースのようなリズム体でありつつ、あるときは主旋律を奏でるリードギターにもなる。変幻自在で骨太な三味線の在り方を清治に目を向けることで思い知らされた。首が痛くなったけど。

ついでに人形遣いについてひと言。
お妻が娘お半を抱きしめる場面。お半を遣う簑次は客席に背を向けるようにしてお妻と相対して回り込む。もちろん左遣いも足遣いも同じ。勘十郎のお妻が小さなお半を胸に抱く。でもお半を遣う三人がいては見物の妨げになる。よって主遣いは、お半を支える左手だけ残して身を沈める。左と足はどうするかと見ていたら、ともにお半から手を離して左右に分かれて舟底に隠れた。もともと黒衣なのだから隠れた存在なわけだが、舞台から見えないように身を屈める。手摺から少し覗くその背中が、中腰で屈んでいるのでやや揺らぐ。足十年、左十年と言うものの、芸道の厳しさをあらためて目の当たりにするようであった。
お妻を遣う勘十郎がお半を離すと、すぐさま立ち上がってお半に手を入れる左と足。公演パンフレットに正方形の顔写真が載るまで、折れずに頑張ってほしいと思う。(き)

shimatayu.JPG

(※1)大相撲平成二十八年一月場所で優勝した大関琴奨菊。時間いっぱいとなった仕切り前に必ずやるルーティンがえび反り。アイススケートのイナバウアーの形に似ていることから「琴バウアー」と名付けられた。今後の琴奨菊の活躍如何によっては死語となる可能性も高い。
(※2)2016年2月7日 産経新聞「花形出番です」より。



posted by 冬の夢 at 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年02月12日

三省堂書店池袋本店に拍手! 〜 本屋はまだ終わらない

東京・池袋にある西武百貨店。駅に沿って増築された建物は南北に細長く、端から端まで歩くだけでもひと苦労する。その一番南にあるビルは、幾度となく業態変更を続けてきた。
大昔は西武スポーツという名のスポーツ用品専門館。その後、セゾン美術館が華々しくオープンするもバブル崩壊で閉館。物販スペースに戻そうということで、北欧インテリア専門のイルムスになり、結局のところ現在では無印良品の大型店舗になって落ち着いている。
スポーツ館だのSMA館だのと呼ばれたビルの今の名称は「別館」。そのあまりの普通さに改めて驚いてしまうのだが、その有り様をコロコロ変えてきた別館の中でも、地階フロアだけはずっと(と言ってもSMA館以降)本屋が営業し続けている。
その本屋、すなわちリブロ(LIBRO)が昨年七月に閉店するときはちょっとした話題になった。西武ブックセンターという店名だったときから、その品揃えや展開の仕方が注目の的であったけれど、その実状はよく知らない。リブロの前を通って通勤していたときもあったのに、帰りの電車の時間が気になって立ち寄ることはほとんどなかった。
それよりも頻繁に通ったのは、かつて(三十年以上前!)西武百貨店渋谷店B館地下にあったブックセンター。衣料品コーナーを抜けた先にある細長い通路を辿ると、左右に哲学書や詩の本が置かれていて、さらに行くと本の平場が広がっていた(と記憶している)。そのエッジの利いた洞窟のような空間が東京のアートシーンを代表しているような感じがして、とても印象深い本屋であった。
池袋のリブロの撤退は、単にひとつの店舗が閉まるということ以上に、西武ブックセンターからリブロへと続いた本屋という業態による先鋭的文化発信拠点が失われることへの惜別を思わせたのだった。閉鎖されるリブロ入口の電飾看板は、著名人たちによる自身の半生を振り返るようなメッセージで埋められた。それを見て「これで終わるんだな」という気持ちになった人は、たぶん少なくないはずだ。

三省堂04.JPG

ところが、本屋は終わらないのだった。
リブロ閉鎖後の跡地をそのまま受け継いだのが三省堂書店。神田神保町に本店を持ち、全国に三十以上の店舗を展開している大手書店だ。別館地下に居抜きで出店した後、さらに南に下ったビルに地上四階、地下一階の書籍館を開館。今月には隣接地にCD・楽器・楽譜を扱う山野楽器が移設してきて、めでたくグランドオープンとなった。「三省堂書店池袋本店」と名付けられたこの本屋は、「本屋はまだ終わらない」ということをはっきりとした形で買い手に訴えかける、意欲的店舗なのだった。

本屋という業態を見直す試みに先鞭をつけたのは蔦屋書店。代官山出店以降、加速度的に全国各地にチェーン展開を始めたその動きは、過去からの商慣習を守るだけだった大手書店に重い腰をあげさせたようだ。横浜を拠点とする有隣堂が、小田急百貨店新宿店の十階にオープンさせた「STORY STORY」もそのひとつ。本と生活雑貨を同じ棚に並べて陳列するなど、過去にない取り組みを始めたのは昨年のことだ。
新規出店でなくても、既存のやり方を変えようという動きがいろんな本屋で活発化してきた。例えば背表紙を見せてきれいに並んだ本と、その上の棚板のほんのわずかな隙間に、あえて別の本を横に置く。本の陳列の原則から言えばあり得ない並べ方だが、きれいに揃った背表紙の中で一冊だけ横に積まれたその本に客の目が留まる確率は確実に高まる。
そうした変化は本屋が自ら変わろうとしていることの証左なのであって、その中でも三省堂書店の池袋出店は、本屋が本格的な「変態」に取り組んだ画期的な試みだと思う。

リブロから受け継いだ跡地は、別館から書籍館に続く地下一階を横に広げた大きな区画と、書籍館を四階まで上に重ねた多層階区画からなる。その横の広がりと縦の重なりからなるL字型の建物構造は、三省堂書店池袋本店の本質そのものを表している。
まず、別館地下一階。メインのAゾーンに並ぶのは、新刊・文庫・新書・コミック・ビジネス。通路を隔てたBゾーンには雑誌が置かれ、専門店(雑貨の「神保町いちのいち」と「山野楽器」)と隣接する。交通量が多く来店客の立ち寄りやすいAゾーンに、一般的な大型書店として最も買上率の高い中核商品を配置し、まずベースとなる売上を獲得しようとする戦略だ。地上に出れば、明治通りを挟んだ向こう側に強敵のジュンク堂書店が君臨している。が、ジュンク堂の弱点はワンフロア当たりの面積が小さいこと。それゆえジュンク堂の一階は、店内買い上げ品の集中レジカウンターに大きな面積を割いており、本を眺めるには二階から上を回遊しなければならない。そのジュンク堂に対抗するために、三省堂は別館の横の広さを最大限活用して、網羅性の高いワンストップショッピング機能に的を絞り込んだ。たぶん、このAゾーンとBゾーンがこの店の収益の大半を叩き出すことになるだろう。
これだけなら、ショッピングモールや駅ナカにある単に売れる本だけを並べた普通の本屋に過ぎない。三省堂がひと味違うのは、巨大な「新刊台」を設置したこと。普通の本屋は入口正面に約一間幅の長方形の平台を置き、そこにおすすめ本を平積みするのだが、三省堂はその規模を大きく変えた。地階フロアの広さを活かして、Aゾーン中央にいくつもの平台をジグザグ形状に組み広げたのだ。万里の長城のような巨大な台にテーマ別に積み上げられた新刊本の山々。これは壮観である。思わず店の中に入って本の山を見たくなる。「売れる構成」に掛け合わされた「見せる仕掛け」。平日夕方のAゾーンとBゾーンは、ともに幅広い客層で賑わっていた。

狭い通路を南に下ると、その先に突き当るのが書籍館。ここから縦に重なる五つのフロアは、別館とは違って収益は生まないかもしれない実験場。もともと通路のドン詰まりに位置し、南池袋辺境の通称ビックリガードに近いビルは、何か用事でもない限りは立ち入らないエリア。ならば、徹底的に「本好き」だけを集めようというのが、書籍館の「実験」のテーマだ。そして、実際に書籍館で行われている「実験」は、「本好き」を集客する仮説そのものを具現化している。この仮説が証明されれば、これからの新しい本屋のあるべき姿が明確に解明されると言って良いだろう。
書籍館のフロアは分野別に分けられていて、じっくり見て回ったのは「アート・文学・人文書」のフロア。三階フロアのエスカレーターを降りたところには「tanakanata」が配置されている。この「tanakanata」(三省堂HPによると「棚彼方」であるらしい)はフロア全体のインデックスルームとも言うべきプロモーションスペースで、壁面と柱をガラスで区切った二坪ばかりの空間だ。棚の並べ方は作家別五十音順というオーソドックスな手法ながら、フロア全体から本を集め、それをこぢんまりとした部屋形式にコーナー化したのがミソだ。

蔦屋書店出現以降、大手書店は、本屋独自の主張に基づく編集型陳列が集客に直結することに気づいた。とは言え、棚什器そのものを入替するほどの投資余力はないので、既存の棚の使い方を変えることでその流れに乗ろうとしている。例えば丸善日本橋店。エスカレーター脇の壁面什器は、横に長く視認性が高いのでかつてはベストセラーを並べ、売れる本をより売ろうという意図で使っていた。それを変えて、今では一定の期間ごとにひとつの編集テーマに沿った本をあちらこちらの棚から移し替えて陳列するようにしている。戦後七十年を迎えた昨年の夏には、戦後を十年単位で区分して、各ディケードを代表する本が並んだ。七十年に及ぶ戦後日本の歩みを本の表紙だけで概観でき、本屋にしか出来ない終戦記念日特集になっていた。
それに対して、三省堂の「tanakanata」はゼロから新しく作ったフロアにある。だから、フロアの顔となる編集ゾーンをオリジナルにデザインされた環境設計で新しく造作するレベルまでチャレンジ出来た。エスカレーター脇の一等地を使い、カラーを白で統一。頻繁に商品を出し入れする本屋の場合、白は汚れが目立つのでメンテナンスのことを考えると避けるべき色だが、あえてクリーンなイメージで「tanakanata」ゾーンが浮かび上がるように見せることを優先している。
棚什器の腰にあたる平台から下は抽斗になっていて、やや引き出された状態になったその中にも本が積んであるのが見える。通常は本を平積み出来るのは平台の上だけ。平台下は店頭在庫のストック機能に使うのが一般的だ。その部分を抽斗にすることで平積みスペースを新しく創出するとともに、抽斗全部は見せられないため結果的に引き出された隙間から本を垣間見る「チラ見」的効果が生まれた。少しだけ覗く本の表紙は、ついつい全体を見たい気持ちにさせる。
その点では、そこまでは見る気にはならない蔦屋書店より賢いやり方だ。蔦屋書店では腰から下の足元まで棚になっていて、テーマ別編集に沿って本がぎっしりと並べられている。しかし、客にとってはその位置に背表紙が並べられていてもほとんど見えないし、見るためには半腰になって屈まなければならない。そこまでして見ることはしないので、本の存在は気になるが見ずに終わることになる。そのような棚が続くと、何となく不満感が少しずつ埃のように積もっていく感じになる。

「tanakanata」に目を戻すと、その雰囲気の主役となっているのが、柱と一体化したガラスの仕切り壁とそこに据えられた白いソファーだ。小部屋でありながらシースルーなので解放感が保たれ、でも、手に取った本をソファーに座ってじっくり見ることが出来る。「本好き」な人たちの行動パターンを先手を取って読み切ったようなスリリングさに溢れた空間設計である。
「tanakanata」のスペース自体に見惚れてしまい、どんな本が並べられていたかの印象が残らなかったのだけれど、「tanakanata」からフロアの中に足を踏み入れると、レギュラー展開している棚の陳列内容には一気に気持ちを持っていかれてしまった。

三省堂03.png
(※)三省堂書店HPから転載

「アート・文学・人文書」のフロアなので、大きくは本屋が基本とする図書館分類と同じように棚が分かれている。その中でフロア奥の壁面で展開されている「外国文学」の陳列方法からは、三省堂がやろうとしていることの本気度が伝わってくる。
普通の本屋で外国文学の棚を眺めると、いきなり国別になっていてよく辟易させられる。外国文学全体の動きが入ってこないし、括りに出てこない国の作家の本がどこにあるのかがわからない。そもそも日本に紹介される作品がグローバルに広がっているにも関わらず、アメリカから始まる国単位に本を分けること自体が大きくズレていることは間違いない。そんな現状の有り様からすれば、三省堂の外国文学コーナーにおける棚の使い方は段違いに洗練されている。
まず、棚の中央に国別ではない本が並べてある。目につくのはドストエフスキー関連の評論もの。ちょっと違うのは、そこに「新カラマーゾフの兄弟」上下巻が並んでいること。光文社文庫で新訳を出した亀山郁夫が書きおろした小説だが、分類的には明らかに日本文学で、「カ行その他」に並んでいそうな本だ。その横には「『罪と罰』を読まない」がある。『罪と罰』を読んだことがないという日本の女流作家たちの座談会エッセイで、これも普通なら日本文学「女流作家」あたりで発見できるだろう。ところがどちらもまさしく「外国文学」にあってこそ、読みたい読者と出会う確率が高い本だ。残念ながら筆者はどちらも読みたいとはからきし思わないが、その存在自体を目視する機会を与えられたことだけは事実。このようにして、言うならば「外国文学の本好き」な人たちの嗜好を刺激するために作られた「外国文学をテーマとした」棚なのだ。この中心部分の周囲には、古典的に国別・作家別の法則に沿って外国文学及びその関連書籍が並ぶ。提案だけに終わらず、基本に忠実な品揃えはしっかりとおさえている。

品揃えという点では、フロア中央に島什器で展開される「哲学」の棚は注目に値する。これも蔦屋書店との比較になってしまうのだが、代官山の旗艦店でも哲学コーナーは蔦屋書店特有の提案型陳列に徹している。ところが、哲学における提案テーマはどんなに工夫したところで、行き着く先は作家別に決まっている。哲学は、哲学者ごとに生み出されてきた考え方に他ならないからだ。だから蔦屋書店の哲学コーナーは、一見するとテーマ別提案で客の視線を引き込むように映るものの、品揃えの中身自体は極めて薄っぺらい。代表的な哲学者の本でも新書や文庫本を交えて十冊前後が並んでいるに過ぎない。かたや三省堂三階はその奥行きが「本好き」を圧倒する。島什器の棚の横幅は900mmピッチで揃えられていて、カントやデカルトはその一段の全部を使って専門書が揃えられている。数にすれば三十冊以上というところか。最近流行っているのか知れないが、デリダに至っては二段にわたって端から端までびっしりと並べられている。アマゾンでさえ「デリダ 本」で検索しても純粋なデリダ関連本は古本を合わせても百冊に遠く届かない。リアル店舗においてデリダだけで現存在庫本を二段まるごと揃えることの凄まじさは、ネット書店をはるかに凌駕している。
こうして専門分野を深掘り出来るのも「tanakanata」があるから。蔦屋書店は棚の品揃えの中でテーマ別編集に沿った棚陳列をして本との出会いを提示するのだが、三省堂の行き方は違う。提案は「tanakanata」に任せて、基本什器における品揃えは「本好き」が心底満足するように専門家的視点で厚みを持たせている。「tanakanata」で気を惹いて、分野別の棚陳列で奥行きを見せる。そう考えると三省堂書店池袋本店は、提案と分類をハイブリッドで展開する最新型書店フォーマットであると言えるだろう。いや、書籍館のフロアごとのハイブリッドだけではない。縦に深掘りした専門的書籍館と、売れる本を幅広く紹介する横に広がる別館。この二つの館の使い方自体がハイブリッドそのものだ。三省堂書店池袋本店を見ると「こいつはすごいぞ」と独りごちたくなるし、その気分で蔦屋書店を振り返ると、その提案の仕方は「帯に短し襷に長し」に思えてくる。

そんな書店だから、全く買う気はなかったのに哲学コーナーで目に留まったドゥルーズの映画の本を購入してしまった。最近になって本が増えても最後には捨てるか売るかしてしまうのを虚しく感じ始め、物理的に増えることのない電子書籍に切り替えるつもりでiPad miniを使い始めたところだった。それなのに、やっぱり本を買ってしまう。三省堂書店池袋本店は、本屋の気概が生み出した、これからの本屋を方向づける店舗である。本屋はまだまだ終わらないのだった。(き)

三省堂05.JPG




posted by 冬の夢 at 23:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする