2017年03月23日

Peter Frampton − Something's Happening 元気が出る曲のことを書こう[19]

 Who said It's my year was it you there - can't go wrong
  今年は僕の年になるっていったの そこの君かい きっとそうだよな
 I see a new way you'll be in my play - sing my song
  僕と演奏してくれるっていうのが そのための新しい方法なんだ だから僕の曲を歌ってよ
 Where is the reason I keep teasing - if I knew
  からかってるわけがないだろ
 Now to see the new year not being blue here - all year round
  新しい年は、もうその場でメゲることなんかないんだ 年じゅうね

 Alright somethin's happening
  だいじょうぶ なにかが起きてるんだよ
 Hold tight it might be lightning
  しっかりつかまえなよ 雷光らしいぞ
 Turn up the lights somethin's moving
  明かりをつけろ なにか動いてる
 Can't sleep at night my heart keeps missing a beat
  胸の鼓動がわからなくなりそうで 夜も眠れないよ (中略)

 Ooh baby, don't ever let it bring you down
  ううベイビー ぜったい落ち込んじゃだめだよ
 Ooh baby, that's not the way I want it to sound
  ううベイビー ヘバった演奏はやりたくないぜ
 Ooh baby, don't catch me when I'm runnin' around
  ううベイビー 僕はそこらじゅう駆け回りたいのさ
 Ooh baby, I'll pick you up if your on the ground
  ううベイビー 君が地面にヘタってたら助け起こしてやるよ (リフレイン)

 この曲は「Frampton Comes Alive!」の、二枚組一枚目のA面一曲目。つまり、ステージのオープニングソングだ。
「Frampton Comes Alive!」は、一九七六年の年初早々に発売されるや、加速度的に売れ全米一位、同年春にはプラチナ・ディスクに。三曲ものシングルヒットも出た。アナログLP二枚組のライブ盤がそこまで売れるのは、当時はとても珍しかった。

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 もちろん「Frampton Comes Alive!」の歴史を知らなくとも、たまらなくワクワクする一曲目だが、ロックの歴史に残る名ライブ盤のひとつと知って聴くと、イントロのコードが鳴っただけで、ウォーミングアップ抜きで客席の熱狂の仲間入りをしている。
 
 演奏上むずかしいことは何もない。メロディはシンプル、歌の音域もさほどでない。
 が、フランプトンはけっして突出した歌手でなく、この程度の曲でもギリギリっぽい。しかしそのおかげで、期待感でうわずっているように聴こえ、むしろ嬉しい。ライブ盤のよさだ。
 そして、フランプトンのギターソロ! いまどき中学生でも弾かないようなホノボノとした「お祭りフレーズ」で、思わず微笑がもれる。いまだからそう聴こえるのではなく、昔も、そう思った。だいたい、この盤では、昔よく日本の洋楽公演の客をバカにしていわれた「お祭り手拍子」を、アメリカの聴衆もしている。
 いずれにしても、昔もいまも「Frampton Comes Alive!」を「ださい」とはぜんぜん感じない。

「Something's Happening」は、初球ヒットでスタジアムを盛り上げる役目の一番打者ソングなのに、いかにも七〇年代っぽい、のんびりしたテンポだ。そこがいい。地面にヘタっているところへ歩み寄り、助け起こし、手を貸してゆっくり歩ませてあげる、まさにその感じだ。ライブ全編、速い曲でもこの程度なのだが、飽きはしない。
 最高なのはブリッジの「Alright somethin's happening」からの、たたみかけるような四つ打ちとコーラス。ゾロゾロはびこったヘコミ虫たちが逃げ出すのが目に見えるほど気持ちが晴れあがる。洗濯洗剤のコマーシャルみたいだけどね。

 ところで「Frampton Comes Alive!」がとつぜん爆発的にヒットした理由は、発売から四十一年たったいまも、はっきりとはわからないようだ。

 この盤のジャケット写真にもその感じがあるが、フランプトンは一九六〇年代末のデビュー当時、ティーン・アイドルだった。しかし当人はその路線は嫌いだったそうで、スティーブ・マリオットとハード・ロック・バンド、ハンブル・パイを結成する。
 えっ、ピーター・フランプトンってハンブル・パイだったっけ! と驚く人はロック好きにも意外に多いはず。実際、ややソフトな音楽を志向したフランプトンは、ロック男道路線を進んだハンブル・パイからは早々に抜けている。
 せっかく王子さまルックスなのにアイドル扱いはイヤ、はいいとしても、ハードロックはムサいアンチャンの専門職時代。中途半端なポジションになってしまったのか、「Comes Alive!」までのフランプトンはほとんどチャート圏外でジミにやっている、さして耀くところがない存在だった。

 ところが「Frampton Comes Alive!」が爆売れし、フランプトンは文字通り一夜にして、過去のキャリアをはるかに超えるスーパースターに。
 発売時点ではフランプトンは売れていないのだから、人気スターのヒット曲がライブ演奏で聴けるから買いたいという売れかたはありえない。発表ずみで、しかもヒットしなかった曲で構成されたステージ録音の、LP二枚組。どう考えても売れるはずがない。

 いまでは、本人を含め当時の制作関係者たちの回想を調べて読むことができるから、およその「個別事情」はわかる。幸運も手を貸して、それぞれのギアがベストのコンビネーションになったということだろうか。

 そのあたりを、ざっとまとめると、こうだ。
 @当時のフランプトンは、レコードの低迷にめげずライブを続け、どんなローカルな所も回った。草の根ファン層がかなりできていた。
 A当初は一枚盤の予定だったが、サンプルを聞かされたレコード会社の創立者兼プロデューサーはひとこと「残りの曲はどうした」。いいものは逃さず、迷わず二枚組を決めた「耳」があった。
 B一般のLP二枚組より価格を低くしたので、若い音楽ファンに「おトク感」があった。
 C販促・宣伝を精力的に行った。とくにラジオへの営業。
 Dフランプトンは親しみやすい人柄で、販促に積極的に顔を出し、DJや小売店と仲良くなる。好印象がプッシュにつながった。
 Eレコード会社の規模がまだ大きくなく、この盤のプロモーションに集中できた。大きな収益をもたらしたフランプトンの契約を後年カットしたのも同じ会社ではあるが……。
 F当時のハイティーンは新しいスターを求めていた。フランプトンはもちろん新人ではないが。当時のティーンエイジャーは熱心にラジオを聞く世代でもあった。
 
 ここからは想像だが、Cとも関連し、心に翳りなく明るい将来を感じたい気持ちが、一九七〇年代半ば、戦後アメリカの「戦争を知っている子どもたち」にあったのではないか。ブルーノートや、ひずんだ音を強調し過ぎない、明朗なメジャーキーのロックが聴きたい、と。
 そこへ「Comes Alive!」というタイトルの盤をもたらしたのが、イギリス人のフランプトンなのである。
 それが、当時の若い世代の感覚にピッタリ合ったのではなかろうか。そうだとしたら、まあ、ご都合主義っぽいけれども、気持ちはよくわかる。

 かくして「Frampton Comes Alive!」は、絵に描いたようなシンデレラ・ストーリー、じゃない「王子さま」ストーリーか、それをもたらしたわけだが、残念ながら「続編」は、なかった。
 フランプトン自身、あちこちですでに語っているが、急激な上昇の後にクールダウン期間をおかなかったのが敗因だ。「つぎ」を急ぎすぎ、プレッシャーで結果が出なかった。にもかかわらず、安ピカな仕事も受けたりしたのがいけなかった。せっかくの大セールスにも、手元に残ったものは少なかったらしい。数年後には「Frampton Comes Alive!」のジャケット写真でも持っているトレードマークのギターを、輸送機事故で中米で失ってしまう。運の尽きというやつだ。

 しかし、いまのフランプトンは、むしろ楽しそうだ。
 近年もライブ演奏を続けていて、やっぱり「Somethin's Happening」をオープニング曲にしているようだ。心なしか歌が上手くなっている気さえする。
 往年の王子さまも、さすがに美しい金髪は……いやいや、フランプトンの目を見てほしい。「Frampton Comes Alive!」のころからすこしも失われていない、その嬉しげな耀きを。

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「Frampton Comes Alive!」の三十五周年記念ライブのリハーサルで、ひさびさにかつてのメンバーも加わったバンドで「Something's Happening」を練習したら、バンド全員に自然と大きな笑みが広がったという。
 演奏するほうにも聴くほうにも微笑が浮かんでくる、すばらしい「きざし」を感じさせる曲。そんな曲を作り、演奏し続けられていることでフランプトンは存分に報われているというのは、こじつけすぎかな。

 そうそう、失われてしまったトレードマークの黒いレスポールだが、なんと三十一年後の二〇一二年、フランプトンのもとに戻ってきた。どうした経緯か、カリブ海のキュラソーのラウンジミュージシャンが長年、使っていたのだという。紆余曲折あって帰ってきた楽器は一九五四年製造のモデルだが、オリジナル製造元のギブソン社が修理することになった。それもいい話だな。米1
 かくして「Frampton Comes Alive!」で弾いた、フランプトンの分身のようなギターはよみがえった。「Somethin's Happening」は、このギターにむかって歌っている曲のようにも思える。

 ピーター・フランプトンは一九七五年、アメリカのサンフランシスコで初めて大会場のトリをとったときも、この曲をオープニングにした。
 自分らはドツボるんじゃないかと、ものすごく緊張したそうだ。
 しかし七〇〇〇人の観客は熱狂でフランプトンたちを迎えた。
 この曲のシングルも、曲がはいったLPも、ヒットはしていない。「Frampton Comes Alive!」からシングルヒットした三つの曲※2にも、この曲は、はいっていない。(ケ)


※1 フランプトンが、そのようすをYouTubeにアップしている。
   www.youtube.com/watch?v=ll018kpTfc8
※2「Show Me the Way」「Baby, I Love Your Way」「Do You Feel Like We Do」。はじめの二曲は「Frampton Comes Alive!」のひとつ前の盤からシングルカットされてもいるのだが、そのときはヒットしなかった。

【参考】
 音楽誌「billboard」サイトのインタビュー記事、音楽ウエブサイト「musicradar」のインタビュー記事ほか。
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2017年03月21日

クラーナハと国立国際美術館(大阪)

 先日、大阪の中之島にある国立国際美術館に「クラーナハ展」を観に行った。
 クラーナハを初めて知ったのは、ご多分にもれず、大学生の頃だったと思う。その頃はこの画家の名前も「クラナッハ」と表記され、アクセントも「ナッハ」の方に置かれていた。こんな瑣末なことはどうでも良さそうだが、今後は「クラーナハ」で統一されていくのだろうか。なるべく現地の発音に近づけようというのは、それはそれで正しいことなんだろうけど、「正しさ」をこのように見せつけられると、なんだかシラケてしまうのは、こちらの性根が捻じ曲がっているからだろうか……いや、ホント、本当にどうでもいいんだけど、実はこんなことが気になってしようがなくなるような、かなり特有の気になる臭気が国立国際美術館の展覧会場に満ち満ちていたってことが書きたいわけで……
 
クラーナハといえば、彼のヴィーナスには画集で見たときからぶったまげた。それまでは「ヴィーナス」と聞けば、すなわち「美の女神」というわけで、真っ先に思い浮かべるのは『ミロのヴィーナス』:
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そしてボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』:
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その他にもジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』とかティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』だとか、要するに、「いかにも色っぽい美人!」と相場は決まっていた。
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ところがである。クラーナハの描くヴィーナスときたら、これだ!
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まだ1枚目の方は蓼食う虫にでも免じて情状酌量の余地はあるが、2枚目の方ときたら、いったいどこをどうしたらこれが『ヴィーナス』になるのか? ともかく、初めて見たときには「醜い!」と思わずにはいられなかった。「だいいち、ウェストの位置が完全に狂っているじゃないか!」と憤慨したものだ。が、正直に言えば、醜悪と感じつつも、異様なエロティシズムだけは十二分に感じ取ることができた。ジョルジョーネやティツィアーノの描くヴィーナスもそれなりに猥褻ブツとして名を馳せているが、クラーナハが表現する猥褻は、イタリア・ルネサンスのそれとは完全に異質に思われた。今もそう確信する。

クラーナハにはいまだ中世の匂いがする。あるいは、盛期ルネサンスを飛び越えて、マニエリスムスにイッてしまった感がある。さらにはデカダンスの匂いも。つまりは、「悪」の匂いだ。クラーナハが描くヴィーナスは「美の女神」というよりは「男を誘惑する悪女」であり、「性愛に潜在する悪」の権化だ。したがってクラーナハのヴィーナスには悪魔の随身である蛇や猫の連想が強く働く。

確かに全てのヴィーナスには多かれ少なかれ「男を誘惑して堕落させる悪女」の面影がある。だが、威風堂々たる『ミロのヴィーナス』は別格として、イタリア・ルネサンスの巨匠が描くヴィーナスたちには、「こんな女に騙されるなら本望だ」と心から言えるような、ある意味で(というか、全ての意味で)どこかしら「健康」な側面がある。つまり、ヴィーナスが単に「美」だけではなく「愛」の女神でもある側面が確かに描かれている。したがって、彼らのヴィーナスは、男(アダム)を誘惑して堕落させたイブの変奏というだけではなく、「第二の、堕落とは全く無縁の、人類の母としてのイブ」とも見なされる聖母マリアの(遠い)変奏にもなっている。

ところがである。クラーナハの描くヴィーナスときたら! どこを探しても、それこそ彼女の臍の穴を覗き込んでみたところで、聖母マリアの面影なんぞは一片たりともない。そんな女に懸想したことを生涯にわたって悔やみつつ、しかし生涯にわたって骨抜きにされてしまう、そのような恐ろしさがつきまとっている。

しかし、ヴィーナス(マリア)礼賛はそこそこにして、問題は第一に大阪国立国際美術館のお粗末さだ。いや、文句を言う前に、平日の午後4時頃に行ったのだが、あまりに閑散としていて、大いに拍子抜けしたことを最初に記しておこう。会場が空いていること自体は、自分の都合だけをいえば、大いに喜ばしい。混んだ展覧会にはもはや身体がついていかない。しかし、泣く子も黙るはずのクラーナハですよ! 滅多に見られない板絵なんですよ! 世界史の教科書にも載っている巨匠ですよ! 会場にたどり着く前には内心「めちゃくちゃ混んでいるんだろうな。もしかしたら入場制限か?」と案じていたのに、閉館間際だったということもあるのか、部屋によっては冗談抜きで貸切状態で鑑賞することができた。個人的には随喜の涙だったわけだが、この展覧会、大赤字なのではないかと心配にもなる。そして、大阪はこんなんで大丈夫なんですかね……が、問題は別のところ。何がお粗末だったかといえば、5時閉館というのは、「けっこうな早仕舞だな。これでは平日に仕事をもっている大人が来館することは不可能だ。来場者が少ないのは当然か」と案じられるにしても、まあ仕方ないと理解はできる。これを「お粗末」と言っては、むしろこちらに問題がある。だが、まだ最後の客が絵を見ている時間に(つまりは閉館の5時前に)早々とギャラリーショップを閉め始めるのはいかがなものか! 事実を事実として書き残しておくのだが、ぼくが絵を見終わり、最後の展示室を後にして売店に入ったときには、まだ数人の(熱心な)観覧者が展示室に残っていた。ところが、すでに売店ではカードやカタログなどの関連グッズに埃よけのシーツが被せられ、「もう閉店ですよ」というオーラを撒き散らしていた。特に何か買いたいと思っていたわけではなかったにしても、なんともモヤモヤした気分で会場から立ち去ることにした。いや、追い出された。

坊主憎けりゃではないのだろうが、他にも気に障ることがいくつもある。例えば、「なぜ地下3階まで降りなければならないのか?」とか、「そのくせ、なぜコインロッカーは1階にしかないのか? だったら、コインロッカーの表示をもっと大きくしておいてくれ」とか、他にも細々。

とはいうものの、当日モヤモヤした最大の理由は『クラーナハ展――500年後の誘惑』という企画そのものにあった。確かにこちらの落度なのだろうが、こちらとしては「単なるクラーナハ展」と思って出かけたものだから、展示作品を見ているうちに、「えっ、なんか急にデッサンが上手になったぞ!」と思うと、よく見たらクラーナハではなくデューラーの作品だったなんてことがあった。まっ、同時代の巨匠の作品が比較の上で並んでいるのは便利なこともあったのだが、さすがに500年後の現代作品が突如顔を出すと、「これはいわゆるキワモノ展なのか」と思わずにはいられない。

この頃は(といっても、あまり企画展には行かなくなってしまったけれど)、学芸員がやたらに頑張っているせいか、色々と才気走った企画展が多いような気がする。かなり前に見た『フェルメール展』もそうだったか。学芸員によるインスタレーションもどきの展示を見ると、「いったい何を見に来たのやら?」と考えこまされる。それが美術館の目論見なのかもしれないが、それは余計なお節介ではないか。単に制作時代順かジャンル別に、作品を見やすいように並べていてくれる方がずっとありがたい。それなのに、日本では滅多に観られないクラーナハの絵を観に行って、ピカソや森村泰昌の作品を見せられると、せっかく寿司を食べに来たのにカレーライスを出されたかのような気分にさせられる。(もっとも、最近はそんなお店もあるらしいから、要するにこちらが爺になって、最近のセンスについていけないだけなのかもしれない。)

要するに、久々に展覧会に行って、国立国際美術館の閑古鳥が鳴いている様に驚き、クラーナハの隣に森村泰昌が並んでいるのに驚愕し、お客の面前で店仕舞いのシーツを被せるギャラリーショップに面食らって、それ以来、なぜかモヤモヤしているってこと。でも、きっと会期中にもう一度イソイソとクラーナハのヴィーナスに会いに行くことになることは間違いない。ヴィーナス、恐るべし。   (H.H.)
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2017年03月18日

NRBQ−I want you bad 元気が出る曲のことを書こう [18]

 なあ、バンドやんないか。
 といって、ベビーブーマーのハイティーンが何人か集まったとする。
 せ〜の、で出した最初の音、それがそのまんま五十年続いている、そんなプロのバンドがあるのだろうか。
 ある。
 米ケンタッキー州ルイズヴィル出身の仲間を軸に、一九六七年にフロリダでスタートしたロックバンド、NRBQ!
 ロックを音楽学校で習うのが当たり前になり、そこらの高校生が高速フレーズを楽勝で弾いてみせたりするいまの時代に、いったいどこのアマチュアおやじバンドだみたいな、けっつまずいたような、ちょっとヨレた、行き当たりばったり感いっぱいのライブをいまも続けている。
 どういうタイプのロックをやっているかというと、ベースはカントリー風味のロックンロール。ロカビリーみたいなやつだ。一九五〇年代のやつですね。そこへビートルズふうのポップなブリッジが顔を出す。そしてジャンプやジャイブ、つまりコミック調のビッグバンドジャズ、あのウキウキする調子も追加。なるほどバンド名に「カルテット」(New Rhythm and Blues Quartet)とつけているのは、ジャズへのこだわりかもしれない。
 歴代メンバーには、脱退後にカントリーミュージックの重鎮作曲家になったのもいるし、バンドの曲が全米で大人気だったアニメ「シンプソンズ」の挿入曲になりもしたのに、ぜ〜んぜんビッグでない。同時期にデビューした「クリーム」は三十七年後に、解散コンサートをやったのと同じロイヤル・アルバート・ホールを満員にしたけれど、NRBQは五十年後のいまも、全米各地のクラブを月三ペースほどで、こつこつ回っている。
 わたしは行ったことがないが、二十年も前から、日本へも何度か演奏しに来ているそうだ。ちょっとしたライブスペースなら埋められるくらいの数は、熱心なファンがいるらしい。それもいい話だが、東京ドームや日本武道館には縁なんかないけど、聴きたいやつがちょっとでもいるなら日本へ行き、いつもの調子でライブをやろうぜっていうところが素晴らしい。
 だから、とにかくライブがいい。楽器をジャカジャカ鳴らしシンプルな曲を歌うのが、ロックの楽しさなんだぜと教えてくれるバンドだ。やる曲はその場で決めているみたいだし、歌詞やコーラスも、まあこんな感じだよな、ってふうにやっている。青筋立てて一音のミスもなく弾いたり歌ったりし、豪華な照明やギミックをピタリと合わせた「ロック」を、ありがたがって拝聴するのが心底バカらしくなってくる。
 だからといって、いわゆる「ヘタウマ」なのかといったら、とんでもない。
 リズム!
 リズムが素晴らしい。
 だからこそ「ヨレ」が心地いいのだ。
 そしてどれか一曲といわれたら、迷わない。「I want you bad」だ!

Lately, it's been driving me mad
 近ごろさ アタマがヘンになってんだ
'Cause you're the best thing, that I've ever had
 ってのも おまえが最高なワケよ これまでで
And I want you
 だから おまえがほしい
Oh, I want you bad
 くそ めちゃくちゃに

Come on, let's give it a whirl
 ひっかき回そうぜ
'Cause we can shake up, the whole wide world
 ってのも 俺たちなら 世界中ガクガクいわしてやれるもんな
And I want you
 だから おまえがほしい
Oh, I want you girl
 ああ おまえがほしいんだ

I'm runnin' out of things to do
 ほかにやることが なくなっちゃうんだ
I've got no other plans, but you
 おまえ以外は なにも思いつけないから

Never, you'll never be sad
 悲しくなんか 絶対にさせないぜ
I'm gonna make you, feel so glad
 俺が 喜ばせてやるからさ
And I want you
 だから おまえがほしい
Oh, I want you bad
 ああ めちゃくちゃに   (以下略)

 イントロのギターとリズムを聴いた瞬間に、このバンドのファンになった。歌が流れたとたん、ワクワク感が止まらなくなった。なんて単純で、いい歌詞なんだろう。そしてサビの歌詞二行目、Bm → G → A7! 女を口説くならこのコード進行ですよ!
 そこそこカッチリまとまっている「AT YANKEE STADIUM」(一九七八年)──ヤンキースタジアムライブという意味の題はもちろんジョークで、スタジオ盤である──に収録のテイクが聴きやすいが、一九九六年の東京でのライブを収録した盤「Tokyo: Recorded Live at on Air West Tokyo」(一九九七年)がいい。全盛期のメンバーではないのだけれど、この盤のほうがはるかにノリがよくて、バンドらしさがバッチリ聴けると思っている。
「I want you bad」はこのライブCDでは一曲目、つまりライブのオープニング曲なのだが、あまりにユルい演奏でカクっとくる。こんなんで最後まで持つのかよ!
 いやいや、しつこいが「とんでもない」! 
 あっという間にCDは終わり、つぎはいつバンドに出会えるだろうと、このライブ会場(東京・渋谷ですかね)に集まった、多くはないがけっして少なくはないファンといっしょに別れを惜しんでいる。二十年も前の盤なのに、回しているあいだは不思議に、わが身の疲れも老いも、忘れている。(ケ)
 
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2017年03月15日

Mozart−String Quartet No.19 in C major, K.465 元気が出る曲のことを書こう [17]

 クラシック音楽は苦手。あまり聴かない。
 なのに、ふと聴きたくてたまらなくなるクラシック音楽がある。

 弦楽四重奏
 周期的に禁断症状があらわれ、キキタイヨ〜、キキタイヨ〜、と全身を震わせながら……とまではいかないが、回しまくったCDが部屋に散乱する。
 そのくせ毎度すぐに飽き、悪態をつきながら後片付けしているから世話はない。

 弦楽四重奏なら何でもいいわけでもない。
 最悪なのは、モーツァルト。
 弦楽四重奏に限らずモーツァルトの音楽は、ひどい躁鬱を極度の振幅で放ってくる。その気質を激しく持つ人が作ったものだと、すぐにわかる。そのケがある人が聴けば即座に気づくと思うほどだ。誰にも確かめたことはないが、聴いていて体調がおかしくなることはないのだろうか。病気が治るだとか、家畜や園芸に聴かせてどうのこうのって話があるが、「効能」はまったく信じていない。
 そう思い込んでいるせいか、どの曲もクドく、やり過ぎに聴こえる。モーツァルトの時代は、たっぷり聴かせるのが注文主ら聴き手へのサービスだったとは思うが、神経が執拗に揺さぶられ、元気が出るどころではない。あえて、そういう特徴に着意して聴く聴きかたもあるだろうが……。

 モーツァルトの弦楽四重奏曲は、二十三曲もある。モーツァルトの音楽が好きでさえあれば、楽しみは尽きないのだ。
 四つの楽器が舞い踊るように華麗に鳴り響く。どこからアイデアが出て来るのかと驚く旋律の洪水は、まさに「汲めども尽きぬ」だ。メロディの多彩さのみならず、スピード感、フレーズの昇降度、どれをとっても「元気が出そう」。
 モーツァルトといえど、えらい人の注文で作曲させられた時代だから、とうぜん「明るく楽しいやつを」的な要求が多かったにしても、二十三曲ほぼすべてが長調。短調は二曲しかない。

 だったら素直に楽しめばいいじゃないかと思うが、弦楽四重奏曲のどの曲でも、第一楽章の半分も聴かないうちに、ひどい不安が襲ってくる。あわてて他の曲を流すが、どの曲も同じように長くしつこく感じるぶん、気分の降下に加速度がつく。
 ある種のハウスミュージックを聴き続けたときに陥る麻痺状態に似ていなくはないので、そこが気持ちいいと思えなくもないが、とにかく、楽しんで聴くのはむずかしい。

       *

 どれも似て聴こえるといったが、他とまったく違う、それも似ても似つかない変なところを持った曲が、ただ一曲だけある。
「不協和音」の通称でよく知られる、弦楽四重奏曲第十九番 ハ長調 K.465だ。

「変なところ」とは第一楽章の冒頭。
 曲名のとおり「ドミソ」のハ長調、つまりキーはCだが、曲が始まったとたん、コードも調もわからない陰鬱な旋律が交錯する。四つの楽器は、とうてい「ドミソ」に合わない暗い響きを重ねる。テンポも Adagio で重たいので、その後にいきなり Allegro で「モーツァルト節」が最強の明朗度で炸裂するのが、かえって不気味だ。

 いまエレキギターで音を拾ってみているが、意味がわからん! 
 専門的なクラシック音楽理論はわかりっこないからって、エレキを持ち出すことじたい意味ないか! 
 それでも無理繰りにコードを合わせていると、冒頭の不気味な Adagio は、G7にまとまる感じだ。Cマイナーの雰囲気でのG7で、つまりドミナント7th。
 G7(ソシレ+ファ)は、Cメジャーのドミナント7thでもあって、C(ドミソ)の発射装置のような機能の和音だから、つぎにCメジャーで「モーツァルト節」が爆発するのは、バッチリはまっているわけだ。現代の感覚ならふつうに「カッコいい」。しかも冒頭の不可解な部分が、とってつけたものでないこともわかる。
 モーツァルトの時代には「写譜屋のまちがい」とまでいわれた「不協和音」も、「カッコいい」響きだ。自分がかなり好きな、危ないから近寄り過ぎないようにさえしている、ロマン派の情緒的な響きにも近い。
 繰り返し聴くうちに、なぜか気分が上向いてきた。モーツァルトの曲ではたいてい情緒低下のどん底へ落とされる最終楽章さえ、素直に聴けるから不思議だ。

       *

 この曲は、敬愛するハイドンに捧げられたので「ハイドン・セット」といわれる、六曲の弦楽四重奏曲の最終曲だ。
 さきにも書いたとおり当時は作曲家はあくまで「家来」、曲作りは命令仕事だったので、「ハイドン・セット」も、そのころよくあった「セット注文」枠の流用かもしれない。が、雇用者や注文主よりずっと身分が低く、自分と同格の音楽家──大先輩だが家来であることは同じ──に贈るという制作意図は、当時としては新しい。
 主君にも司教にも束縛されない、すなわち政治にも宗教にもかしずかない音楽。それが、この曲の「不協和音」と「モーツァルト節」の、じつは計算され尽くした強い対比の間に存在しているのかもしれない。もちろん、社会構造に直接タテついて干されないよう、もちまえの諧謔心を存分に発揮して、この曲だけに、こっそりと。

 モーツァルトはこの曲を、一八七五年一月中旬、ハイドン・セットの五番め、弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464 に続き、ほぼ同時に完成。出来たての二曲を含むハイドン・セットの後半三曲を、ウィーンの家に招いたハイドンに聴かせている。自分も楽器をとって演奏に加わった。
 前年暮れ、モーツァルトはフリーメイスンに入会している。ほどなくハイドンもフリーメイスンに加わらせ、父のレオポルトは自分と同じ結社に入会させた。
 ハイドンが自分に贈られた弦楽四重奏曲を聴いたのは、自身がフリーメイスンに入会した翌日だ。モーツァルトがイタリア語で書いた献辞の呼びかけは「わたしのもっとも親愛なる友人よ」である。

 モーツァルトとフリーメイスンの関係は秘密でもなんでもなく、タイトルに「フリーメイスン」が含まれる、つまりフリーメイスンのために作曲された曲もある。モーツァルトの楽曲をフリーメイスンの「秘儀」の象徴と読み解く研究も、古くからされている。
 しかし、フリーメイスンを軸に一般むけの演奏会プログラムやCDブックレットが書かれていることは、めったにないのでは。クラシック音楽をあまり聴かないから、知らないだけかもしれないが。

 フリーメイスンから説き起こさないとモーツァルトの音楽は語れない、といっているのではない。
 フリーメイスンは現在も「秘密組織」なので、モーツァルトとフリーメイスンについては、それ以後に断片的に明らかになったことから想像するしかない。モーツァルトが遺した手紙はとても多いが、それに関連する内容の手紙や書類は、妻のコンスタンツェが処分し、存在しない。
 モーツァルトの時代、フリーメイスンには権力者、資産家、聖職者までもが参加していたから、世俗の地位を横断する友愛組織という側面は大きいが、現代でも、世界制覇をたくらむカルト集団だという風説があるように──当時、フランス革命のウラ扇動者だと疑われてもいた──フリーメイスンを持ち出すと陰謀論になってしまう問題もある。半世紀にわたる関心と研究の成果だというキャサリン・トムソンの『モーツァルトとフリーメーソン』にも、「そもそも」の話については、「状況証拠」しかないからとはいえ明瞭には書かれていないのだ。弦楽四重奏曲「不協和音」は、きわめて重要な曲だと思うのだが、これについても意外なほどあっさりした記述だ。
 いずれにしても、音楽の話だけにしておくのが「お約束」なのだろう。ヘタにいじって地雷を踏むよりは。

       *

 この曲は、六曲のハイドン賛歌の締めくくりであると同時に、ハイドンのフリーメイスン入会を祝賀する曲であり、また、尊敬する先達と「友」と呼び合える立場になれたモーツァルト自身をも祝う曲だと、考えるようになった。
 冒頭の不可解な Adagio は、人間の深みを凝視した表現だというような解釈があるが、暗く「不協和」だから深遠といわれても、よくわからない。そうであるなら、なぜこの曲「だけ」に存在するのかが、わからない。
 もっと即物的な何かが、この Adagio にはあるのだ。
 語呂合わせや暗号、ビリヤードなどにとても凝っていたモーツァルトのことだ。もっとずっと具体的な、ハイドンが聴けば一発でわかるフリーメイスン入会の秘儀──かなりややこしいらしい──が、ゲームアイテムのように封入されているのではないか。そうだとしたら、モーツァルトの家でこれを聴かされたハイドンには、すぐわかったはずだ。そのときのハイドンの異様なほどの感動ぶりも、それでうなずける──「不協和音」は敬遠したという説があるが、気取られないためのハイドンの「ふり」だ、なんていったら完全に陰謀論かな。
 いずれにせよこの曲が、モーツァルトを聴くとメゲるわたしを、元気にしてしまったのは確かだ。モーツァルトの音楽を、すこしだけ、好きになったのかもしれない。

       *

 即物性とは関係のない話かもしれないが、モーツァルトといえば数量の多さだ。
 作った曲数、弾いた曲数。それらに詰めこまれた、あるいは放たれた、音符の数。
 手紙、おしゃれな服、そして借金!
 神童だから汲めども尽きず、天才だから蕩尽した、ということだろうか。
 どうもしっくりこない。

 焦燥感では、と考えた。
 音楽に、そして暮らしに、数となり量となってあふれているのは、汲めども尽きぬ「いらだち」なのだと。

 デビューが早すぎて技能が枯渇した「元・神童」の焦り、という意味ではない。
 英才教育、というよりシゴキか、ともかく幼時から仕込まれ、楽器を自在に弾きこなすことなどモーツァルトには朝飯前だったろう。
 といっても、楽器を曲芸のように弾くだけでは名声や収入は続かない。音楽の才ありとみた幼い息子を高く売ろうという親の思惑は、わずか七歳の一流作曲家を作り上げようとする、作曲指導となった。
 幼いうちから長期間、遠距離の興行旅行をさせられたために、長寿をまっとうできない虚弱体質になったうえ、芸人でなく芸術家として商売になるよう有無をいわさず作曲法をたたき込まれたのだが、すくなくとも後者については、モーツァルトは感謝していただろう。

 その場ウケの芸を繰り返すより、後世に残る音楽を創造し認められるほうが、はるかに素晴らしい。いかなる束縛もうけない曲を作りだしたら、それを自分が弾いたり指揮したりできる力もある。
 偉大な作曲家の曲をたちまち学びとることができ、自分が曲を作るとなれば圧倒的な演奏技術も持っていることで、過去の名曲の一歩さきを表現できるモーツァルトには、大きな可能性があった。名演奏者かならずしも名作曲家にあらず、逆もまた真なりだが、モーツァルトこそ名作曲家にして名演奏者として、栄光を一身に得られたはずだ。

 だがモーツァルトは、不当なまでに「家来」としての、そして不当なまでに「人気商売」でしかない、不自由な音楽家人生を強いられた。モーツァルトを、いや音楽家という存在を、自由なひとりの芸術家として評価できる時代ではまだなかった、といえばそれまでだが。
 人と人が、それも才知ある人格者どうしが、同時代の身分差をいったん保留にし、友人として認め合い助け合うことが、当時のフリーメイスンの秘密の「奥義」であったなら──現代でも秘密の印を出しておくことで、立場・地位に関係なく見ず知らずの組織員どうしだとわかるという──モーツァルトは心からの喜びと熱意をもって、フリーメイスンに自分のアイデンティティを託したに違いない。

 本当のところは、わからない。モーツァルトの葬衣はフリーメイスンの黒装束だったというのだが、非結社員の聴衆も聴く音楽にフリーメイスンを表わしすぎたがゆえに、当の組織に謀殺されたという説もある。凡愚が想像の翼をばたつかせるのは、これくらいにしておこう。

 モーツァルトが亡くなった当時は法律上、故人の遺産目録を作る必要があったそうだ。したがって、モーツァルトが最後に所持していた品々の品目と評価額が、驚くほど細かいリストとなって──かなり興味深いので、別に書き写しておいた※──残っている。
 遺品という「モノ」は、なにより雄弁にその主を語るというが、それらの品は、モーツァルトの音楽についても、何かを教えてくれるのだろうか。それらの品が、もとあったとおりにモーツァルトの部屋にある様子を想像しながら、二十三曲の弦楽四重奏を聴き、そしていま一度「不協和音(Dissonant)」こと、弦楽四重奏曲第十九番 ハ長調 K.465、その第一楽章を聴きはじめている。(ケ)

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※ PDFファイルは→こちら←

【参考】
『モーツァルトとフリーメーソン』(キャサリン・トムソン/訳:湯川新・田口孝吉/法政大学出版局/一九八三年)
『モーツァルト書簡全集Y』(白水社/編訳:海老沢敏・高橋英郎/二〇〇一)
『モーツァルトを聴く』(海老沢敏/岩波新書/一九八三年)
 ほか

 二十三曲すべて聴いたのは初めてで、イタリア・カルテット(Quartetto Italiano)の演奏です。待てよ、一曲くらい聴き忘れているかも。
 この弦楽四重奏団が好きですが、ほかの四重奏団の演奏を聴いたことはほとんどないので、説得力がある理由はありません。
 これより前に何曲かまとめて聴いたことがあるのは、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartett)の四重奏曲全曲集でないボックスセットです。すばらしい演奏らしいですが、買った当時に何度か回したきり。今回も、こちらは聴いていません。


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2017年03月08日

平野啓一郎『マチネの終わりに』 〜 小説を読む愉しみと悲劇の匂い

(かなり長いです)
平野啓一郎を読むようになったのは『決壊』からだ。衝撃のデビュー作と謳われた『日蝕』も『葬送』も読んだことがなかった。この二冊は本屋でパラパラと流し読みした時点で、「読めない」と直感した。残された時間の使い方が惜しい年代になると、自分にとっての唯一の座標軸は直感しかなくなってくる。映画を見ても最初の三分でどんな映画かおおよそ見当がつくのと同じで、本をパラパラめくるときの直感は、自分にとって大きく外れることはない。
『決壊』は本屋で新刊本を手にとったときに行けそうな直感があり、それは当たっていた。それ以来、平野啓一郎の本は、『ドーン』『かたちのない愛』『透明な迷宮』と新刊が出るたびに読むようになった。

小説を読む愉しみには、いくつかの要素が揃っていることが必要だ。
まず、語り口。物語は波乱万丈でも全く何も起こらないのでも構わないが、語りで引き込む力がないと小説世界に入っていかれない。
次は、魅力的な登場人物。興味を持てる人物がいない小説は、読んでいて辛くなる。池澤夏樹を知ったのは芥川賞受賞作の『スティル・ライフ』だったが、デビュー作の『夏の朝の成層圏』は今でも大好きな作品であり、さらには福永武彦の息子であるという来歴から贔屓にしていた。けれど『マシアス・ギリの失脚』あたりからおかしくなり、『すばらしい新世界』は人生で初めて本を「早送り」で読み飛ばすくらいに下らない小説だった。なにしろ登場人物が好きになれないどころか、最も嫌悪すべき偽善者だらけだったのである。この経験以来、つまらない本は早送りで終わらせる癖がついてしまったので、それはそれで残された時間の有効活用としては新しい発見であったかも知れない。
さらに小説に必要な要素は、言うまでもなく文体である。これがなければ小説にならないわけで、今でも読み継がれる小説家たちは皆、文体の達人と言うべきオリジナルな文章表現力を持っている。そこまでは無理でも、文筆業というものを生業にしているのならば、普通以上の文体で書いてもらいたいのは当然の要請であって、そうでない人気作家がいることに愕然としたことがある。かなり面白いらしいという評判に従って宮部みゆきの『模倣犯』を読んだときのこと。あまりに下手な文体に唖然として、何度も電車の中で「はあ?」と嘆息してしまった。中学生が書きそうな、習いたての常套句を繋ぎ合わせただけの文体。早送りをする気さえ失せ、宮部みゆきは途中で読むのを中止して、その文庫本は確か駅のゴミ箱に捨てたと思う。
語り口、登場人物、文体と揃って、やっと辿り着くのが「主題」。主題とは、恋愛小説や歴史小説、推理小説などジャンルを問わず、作家がその小説を書く基本的なスタンスそのもののことだ。この主題こそが読書の愉しみの真髄なのであって、簡単に言えば、その本の主題に「共感」出来たときの悦びのために読書はある。
世の中に心から共感・共鳴出来る他者は、滅多には存在しない。決して悲観的なものの見方ではない。自己と他者は、同じ人間であっても全く別の自我を持っている。自我は永遠に共有出来ないのだから、完全な共感などあるほうがおかしい。それでも、ほんの少しでも、意識同士が触れ合い、共振し合うことは可能なのであって、人はそれを求めて一生さまよい続けているとも言えるだろう。「共感する他者」とは数少ない家族や友人であるし、たまに出会う小説や映画でもある。たまにしか出会わないから、多くの本を読まなければならないし、共感出来る小説に出会ったときの悦びは出会いの困難さの分だけ大きくなる。これこそ読書の愉しみそのものだ。
家族や友人ならば、直接話し合い、触れ合うことが出来るが、小説や映画は作品そのものを読んだり見たりする以外に方法がない。だから本は、「語り口」と「登場人物」と「文体」を使って、読者を本の世界に引っ張り込もうとする。小説の愉しみを算式にするならば、「語り口×登場人物×文体=主題」となるだろう。これらは一体であり、何ひとつ欠けても算式は成り立たない。異論反論を恐れずに言えば、村上春樹の小説は「語り口×登場人物×文体」までは完璧であると全面的に認めるが、「主題」がない、あるいは共感出来ないので全く読む気が起こらない。読んだとしても何ひとつ印象に残らないし、残ったとしても「で?」と聞き返したくなる。そんなわけで、この算式は全部が揃ってはじめて効力を発揮するものなのだ。その効力が読者個人と共振するときこそ、「共感する他者」との邂逅が実現する。楽しく、親しみがあり、美しく、そして共感できる小説。そんな作品との出会いを求めて、いろんな本に手を出す日々なのである。

前置きが長くなったが、平野啓一郎の『マチネの終わりに』は、久しぶりに小説の愉しみを存分に味わうことが出来る、極上の恋愛小説であった。(以下はすべてネタバレになります)

主人公はクラシックギタリストの蒔野聡史とジャーナリストの小峰洋子の二人。まもなく四十歳になる大人同士で、一度は結婚を決意するが、偶然が重なって誤解が生じ、別れることになってしまう。それぞれ別の人と結婚し、子供が出来るものの、わずか三回だけしか会っていない互いのことが忘れられない。誤解の真相が解け、蒔野がニューヨークで開くコンサートに、洋子は出かけていく…。

愉しみの算式が十分以上に成り立っているので、読んでいるときの引っ張られ感は半端ではない。一気読みしたくなるところを「いや、この愉しみは明日にもとっておこう」と読むのを無理矢理中断するなんて、滅多にはないことだ。そんな昂揚感のままでは、この作品を冷静に振り返ることは出来そうにない。読み終えた興奮はひとまず脇に置くとして、『マチネの終わりに』を俯瞰し直してみることにしよう。

まずは、平野啓一郎が提唱する「分人」の考え方がどう展開されているか、である。
「分人」とは、多面的な個人を積極的に認める考え方。現代においては、個人が置かれている環境は激しく複雑化しているので、一貫して統一された「個人」は存在し得ない。逆に環境や関係性に合わせて、それぞれにフィットした「分割された個」を使い分けることが現代を生きることである。それは「個人」を超えた「分人」と言うべき、新しい自我の在り方である、と平野は言う。
本作においても、蒔野と洋子はそれぞれに相手と場所を選んで「個」を使い分けており、まさに「分人」として現代を生きている。
同時に、蒔野と洋子は互いに明かすことのない悩みを抱えている。蒔野はギタリストとして行き詰まり感、洋子はバグダッド取材時に遭遇したテロがフラッシュバックするPTSD。しかし、彼らはスカイプで話し合うときには、そうした面は全く見せずに親しみ深く相手の話に頷きあう。
多面的な「分人」の中でも、他者に晒すべきではない自己の側面があり、そこでは自らの克己心が試される。蒔野にとってのギター演奏、洋子にとっての報道とは、それぞれが自分自身で立ち向かわなければならない別個の課題である。それはどんなに親密な人であっても、分かち合うことは出来ない固有のものだ。分かち合わないからこそ、それぞれが人生を賭した「仕事」としているのでもある。
その一方で、柔らかで傷つきやすい自分もいる。それは本来は誰にも見せることのない自己の別の側面なのだが、それこそが多面体の中で最も根源的な自我の姿でもある。そして、そのふにゃふにゃとした華奢な自分が、自分と似たようにあえかな他者の存在と出会い、共感したときの悦びこそが、「恋愛」であると言えよう。蒔野と洋子は、はじめて会ったときに自分と同じようなふにゃふにゃな他者を知り、二回めの出会いでその触れ合いを確信し、三回めにはもう離れることが出来ないくらいに深い共感を共有することになる。
ほんの少しの誤解で別れた後で、二人は互いの「仕事」の側面を伝聞の形で知ることになるが、だからと言ってそれを意外なこととは捉えない。なぜなら、二人は他者に見せることのない一番自分らしい柔らかな部分で繋がっていたからだ。
本作が強く読者を惹きつける魅力を湛えているのは、「分人」の中でも特に自分にとって大切で、しかも他者が決して触れることのない自我を、極めてセンシティブに描いているからである。そんな二人が出会い共感し合う、表層的ではない根源的な恋愛。傷つきやすいから、深く溶け合うことが出来るし、同時にほんの少しのきっかけで、破れて血を流し合ってしまう。繊細でデリケートだけれども、分かち難い他者との交流。平野啓一郎は本作において「分人」の考え方を一歩進めて、別個の分人が融合することによる、新しい「共感」の関係性を提示しているのだと思う。

「分人」とともに、平野啓一郎がこだわるファクターが「時間」の概念である。『透明な迷宮』ではひとりだけ時間の感じ方が変わってしまった中年男を描く短編が秀逸であった。そこで時間の濃度を描いた平野は、本作では「時間の変質」について一貫して語っている。それが、小説の中で反復される「過去は変わる」というテーマである。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?(第一章「出会いの長い夜」より)

はじめて会った夜、蒔野が洋子に語った言葉は、その後の洋子が繰り返し思い起こすことで反芻される。
二人は四十歳近くになって出会ってしまった。そして、一番深いところで繋がってしまった。その事実は変えられないし、その事実によって、過去にあったことや積み上げてきたものが全く別のものに変わってしまう。それは必然なのである。
蒔野を知ったとき洋子には、すでに婚約者がいた。洋子は婚約破棄を申し出るが、本作ではそこに不義や不倫といった匂いは徹頭徹尾存在しない。蒔野と洋子の結びつきが「こと」に至らないこともあるが、出会ってしまったからには過去は変質するのだという定理が、十分な納得感をもって迫ってくるので、二人の恋愛こそが真に結実すべきものだと思わせるのである。

たった三回会っただけで、心の最も深い側面を結び合わせた蒔野と洋子は、小説の最後にニューヨークのセントラルパークで、長い別れの後の出会いを果たす。読者は、すれ違いを続けた魅力的な主人公同士の恋愛が成就して、ほっとひと息と言った心持ちであろう。
しかし、である。
この結末は、もうひとつの、二人の別な物語の始まりなのではないだろうか。小説には書かれなかった、本当の悲劇に向けて、蒔野と洋子は足を踏み出してしまったのではないか。
蒔野には、妻の早苗と生まれたばかりの子供がいる。早苗は、実は二人の間に誤解を生じさせた張本人であり、洋子を蒔野から遠ざけておいて、その隙に蒔野と結婚することに成功した女性である。かたや、洋子にも離婚したリチャードとの間にケンという男の子がいて、月の半分ずつを子供と一緒に過ごすことが出来る。蒔野と洋子がそれぞれに積み重ねてきた「過去」は、二人が恋愛を完成させる(すなわち結婚して共に暮らす)ことの大きな障壁になってしまう。「過去」の意味は変わるのだけれども、それを変えたくない別の他者が存在していて、蒔野と洋子の恋愛は二人の大切な家族をひどく傷つけることになる。
そうしたとき、蒔野と洋子は脇目もふらず自分たちの恋愛を突き進むことが出来るのだろうか。いや、決してそれが出来る人物ではない。だとすると、二人を待っているのは、悲劇のほかには何ひとつ残っていないのではなかろうか。

そんな嫌な深読みをするのには理由がある。
ひとつは「序」。本作は、小説には登場しない第三者による報告という形式をとっていて、それは明らかにドストエフスキーの影響下にあるが、「序」で明記されていることを思い起こしてほしい。

最初から、私には不可能な人生だが、自分ならどうしただろうかと、今でもよく考える。
彼らの生には色々と謎も多く、最後までどうしても理解できなかった点もある。(中略)
最後に、これは余計な断りだが、この序文は、すべてを書き終え、あとからここに添えられたものである。序文とは固より、そういう性質のものだろうが、私はどうしても、そう一言、言っておかずにはいられなかった。(「序」より)


「彼らの生には謎も多く」「最後まで理解できなかった」。この「生」と「最後」という言葉は、少なからず「死」を想起させる。そして、この第三報告者は、すべてを書き終えて、この序文をあとから書き添えている。すなわち、この小説は蒔野と洋子の愛と死を書いたもので「死」の部分を省いて発表された、という形式をとっていると考えられるのである。
この悲劇の匂いは「序」だけにとどまらない。蒔野はやっとの思いで実現した洋子との再会の場面で、唐突な話を始める。

「地球のどこかで、洋子さんが死んだって聞いたら、俺も死ぬよ。」
洋子は一瞬、聞き間違えだろうかという顔をした後に、蒔野がこれまで一度も見たことがないような冷たい目で彼の真意を探ろうとした。
「そういうこと、…冗談でも言うべきじゃないわよ。善い悪い以前に、底の浅い人間に見えるから。」
「洋子さんが自殺したら、俺もするよ。これは俺の一方的な約束だから。死にたいと思いつめた時には、それは俺を殺そうとしているんだって思い出してほしい。」(第四章「再会」より)

バグダッドのテロをほんの少しのタイミングで生き残った洋子に対して、蒔野にとって「死」は全く縁遠い存在でしかない。しかし、最も「死」が似合わない蒔野が突然「自殺」という言葉を口にする。読者にとっても蒔野の宣言はあまりに突拍子もなく、不似合いに感じられる。
けれども、この蒔野の言葉は洋子の心の奥底に知らないうちに深く突き刺さっているのである。

蒔野との愛に浸る幸福な自分は、あのイラクでの自分を消してしまいたがっていた。しかし、そのために、イラクを体験したはずの自分は、むしろ狂ったように、そういう自分を責め立てていたのではなかったか?そのどちらもが、あのまま競うようにして自分を攻撃し続けていたなら、自分にも、自殺という発想が芽吹く瞬間が訪れていたのだろうか?(中略)蒔野が、「洋子さんが自殺したら、俺もするよ。」とまで口にして懸念していたのは、そういうことだったのだろうか?あんな馬鹿なこと。…彼はその約束を、まだ覚えているだろうか?(第八章「真相」より)

一方で、蒔野はコンサート中に突然演奏を中断してしまう失態を演じた後、ギターに触れることすら出来なくなってしまう。その蒔野を共演という形で復活に導いたのが、演奏家としての実力では明らかに劣る武知であった。蒔野は武知との共演を楽しみ、練習を重ねて、かつての演奏家としての技術を取り戻す。
しかし、武知は蒔野との協働を終えると、突如ギタリストとしての自分に見切りをつけて故郷に帰ってしまう。そして、数週間後、蒔野は武知が事故で死んだという知らせを受け取るのだ。

「事故」ではないのだろうと、蒔野は武知の母親の心中を思いやった。(第八章「真相」より)

なぜ唐突に蒔野は洋子に「自殺する」と宣言したのか。洋子がその言葉をいつまでも忘れないでいる訳は何か。武知が「自殺」したという挿話は、何のために置かれているのか。
こうした不吉な伏線は、ニューヨークで再会を果たす蒔野と洋子のハッピーエンドには決してつながらない。
いや、たぶん本作の幕切れはハッピーエンディングではないのだ。今も進行しているそれぞれの過去を、変える覚悟までして、二人は再会してしまうのだ。そして、二人の恋愛が成立するということは、二人が「死」に向かうことと等しい。

震災後、彼は何度か、次はいつ、自身に襲いかかるやもしれない突然の死の不安の中で、ただ未来へと、まっすぐに流れ続ける時間のために押し殺してきた欲望が、俄かに溢れ出して来るような経験をしていた。
その時に彼が思うのは、ただ一つのことだった。洋子ともう一度会って、心ゆくまで話がしたかった。(第九章「マチネの終わりに」より)

午後の陽光に煌めくセントラルパークで、蒔野はベンチに座った洋子を見つける。蒔野のほうを振り返った洋子は、最高に美しく、同時に、底知れない哀しみに満ちている。
そうとしか読めないのは、偏屈だからかも知れない。こんな極上の恋愛小説を悲劇で終わらせるには忍びない。しかし、最も大切な部分で結びついた恋人同士は、傷つきやすいがゆえに傷つかずにはいられない。それこそが、この小説の「主題」であると思う。
そして、このようにしながら、本作の小説世界に思いを巡らすことも、また、小説を読む愉しみなのである。(き)


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平野啓一郎『マチネの終わりに』(2016年 毎日新聞出版刊)



posted by 冬の夢 at 21:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする