2018年05月22日

Gabriel Fauré − REQUIEM ; Michel Corboz (1972) 元気が出る曲のことを書こう[40]

 この十年で、もっとも聴いた曲は、おそらくこれだ。
 理由はなんであれ、気持ちが晴れないときはいつも聴いていたし、二度三度と、繰り返し聴いたこともある。クラシック、とりわけ声楽は、かなり苦手なのに、よく聴くジャンルの盤よりよほど回している。
 葬式の音楽なんか聴いたらよけい鬱になるじゃないかって? そうかもしれない。が、代わりに聴くものは思いつけない。

 回す盤も、ひとつに決まっている。指揮者・演奏者違いで三、四枚持っているはずだが。
 ミシェル・コルボ指揮の一九七二年録音版。女声パートにボーイ・ソプラノを起用しているのが特徴で、賛否はあるが人気の盤だ。

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 WARNER MUSIC JAPAN 2000

 賛は、少年の歌声が無垢な透明さやストイックさを感じさせる、というもの。
 天上の、あるいは昇天のイメージに通じるのだろうか。
 女性が宗教曲を歌うとストイックでないなんていうと問題だが、一八八八年、フォーレが自分の指揮で、パリのマドレーヌ教会のミサで初演したころは、聖歌隊に女性は加われなかった。この教会はフォーレが熟知している職場だった──サン・サーンスの後任として主任オルガン奏者を長く務めた──から、聖歌隊の男の子たちが歌うことを前提に作曲したと思われる。※1

 否は、その少年の合唱やソロの、力量不足を指摘している。
 少年が歌うこと含みで作曲されたとはいえ、子どもが歌いきるには難しいそうで、フォーレも教会外の演奏会では女性歌手を起用していた。現代の演奏でも、高音域は基本、おとなの女性が歌う。
 この盤では、コルボが手塩にかけて育成したローザンヌ声楽アンサンブルでなく、さして有名でない教会づき聖歌隊と、そこからピックアップした少年のソリストが歌っているので、演奏技術が高くないという意見もあるようだ。

 賛否どちらも、なるほどと思うが、この盤ばかり聴く理由には影響していない。
 初めて聴いたときは「男の子」が歌っているとは、すぐに気づかなかった。また、何度聴いても演奏が「へた」だと感じたことはない。ほかと比べて聴いたことがないからだと言われたら、それまでだけれど。

       **

 なぜ、この曲この盤ばかり聴くかは、よくわからないままだった。
 このさい理由を知りたくなり、最近は三日にあげず聴いているが、聴くだけではなおのことわからない。無理に理由をひねり出さなくても、好きだから聴く、でいいのだが……。
 こればかり聴きたくなる心境から、いいかげんに遠ざかりたくなったのだろう。なぜ聴くのかという理由を見きわめておいて、とうぶん距離をおきたいと。
「しばらく別居させてください」と嫁が急に言い出したが、その場の勢いでなく身辺整理もすませておりますのよ、みたいな感じで。

 まあ、くどくど考えず「天使の歌声」「美しい」「癒される」と書いておけばいいようなものだが、とにかく、わかる範囲で考えてみた。
 ロックやジャズのことを書いた、このブログの他の文では、コード進行や楽器の弾きかたを知った顏で書いているが、楽理の専門知識はないことと、ふだん聴くオーディオの聴感だけで書いていることを、お断りしたうえで。
 お断りといえば、癒されたくて聴いていたわけではない。聴き終えて、癒された! と思ったこともない。
 また、最初にいっておくべきだったが、カトリックではない。その他の信仰も持っていない。
 教会で典礼曲を聴いた経験も限られている。日本だけでのことで、フランスやイタリアの教会では練習しているのを聴いたことしかない。

       ***

 この曲は、フォーレが両親の死を哀悼するために作曲した、という解説をよく見る。
 確かに、作曲に前後して、フォーレの父そして母が亡くなっている。
 だがフォーレは、師範学校長の厳格な父とは「一度も打ち解けて話をすることが出来なかった」そうだ。南仏生まれだが、九歳から二〇歳までパリの宗教音楽学校で学び、生後は乳母に預けられてもいて、両親と過ごしたのは生涯で五年ほどでしかなかったという。
 ドビュッシーの友人で教育者・作曲家のモーリス・エマニュエルへの手紙に、こう書いていたことが明らかになっている。

 私の「レクイエム」は特定の人物や事柄を意識して書かれたものではありません……敢えて言うならば、楽しみのためでしょうか……

 このメッセージは、『レクイエム』が「異教的」だという批判に対してフォーレ自身が当時の文化紙へ寄稿した、よく引用される一文と対をなしている。

 私の『レクイエム』について言うならば、恐らく本能的に慣習から逃れようと試みたのであり、長い間画一的な葬儀のオルガン伴奏をつとめた結果がここに現われている。私はうんざりして何かほかのことをしてみたかったのだ。

 マドレーヌ教会での初演の直後、フォーレは司祭に呼びつけられ、こんなやりとりもしている。

「『先ほど演奏したあのミサ曲は一体全体何なんだね。』──すると楽長(フォーレ)は答えて曰く、『どういう意味でしょうか。私の手がけたレクイエムですが……。』──『ねえ、フォーレ君、われわれにはあのような新しい曲は必要ないんだよ。わがマドレーヌ寺院のレパートリーは充分すぎるほど立派なもので、君にもそれくらいのことはお分かりだろう……』。」

 フォーレの『レクイエム』は、突拍子もないほど、あるいは、革命的なほど「新しい曲」とは思えない。
 レクイエムはフォーレ以前に、ロマン派の作曲者たちが典礼音楽の約束ごとを離れて表現を盛り込める音楽形式になっていたが、フォーレの『レクイエム』には過剰な陶酔や激情はないし、荘厳でも華麗でもない。大きな演奏会場より地方都市の小さな教会が合いそうだし、「歌メロ」など、どこか古めかしい感じがするほどだ。バッハより古い時代の宗教曲のようにさえ聴こえる。
 いっぽう、素人なりにいつも気になるのは、古典宗教曲に通じる面もあるような「歌メロ」を伴奏する管弦の動きが、ときにハッとするほど情緒的で抒情的なこと。歌い手たちを「あおる」感じではないが、その響きは明らかにロマン派的、というより、いっそ印象派みたい──フォーレの直系の弟子、ラヴェルはそうなのだが、フォーレ自身はそうではない──といってもいいほどだ。
 これらの聴きとりは間違っているかもしれないが、そう聴こえてもいいのなら、わたしにはたぶん、そこが好ましい。
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 BMGビクター 1989 エラート "エスプリ" シリーズ
同じ盤ばかり、何枚もいらんやろ! たしかに、いらん! けど、ある……。

 宗教音楽学校で十年間、週に三回、宗教曲を合唱し、古典宗教曲の演奏や作曲をひたすら学び、聖職者に一般教養を教えられ、教会オルガン奏者として音楽家になったフォーレが、「何かほかのことをしてみたかった」結果、『レクイエム』が出来たのだとしたら。
 フォーレが「うんざり」していたのは、宗教音楽の「慣習」にだけではなく、カトリックの儀礼的「慣習」にも、だったのでは。
 そんな考えを持っていてバレでもしたら、たちまち地位も収入も失うから──フォーレは長年、生計のための「出稽古」にも追われて、作曲に没頭できないのが悩みだった──表立って言うはずはない。
 が、ほかの音楽家と違いカトリック的な「慣習」には、諳んじるほど通じていたはずだから、声高で騒々しい曲で露骨な自己表現をしなくても、「慣習」を再構築することで、抑制された静けさの裏側に、かなりの「楽しみ」を織り込むことが可能だったのではないか、いや、そうにちがいない。
 そして、楽しみながら作曲した『レクイエム』のほうが、「慣習」に忠実な典礼曲よりはるかに「死者のため」のミサにふさわしいことに、フォーレは気づいていたのではなかろうか。司祭に「先ほど演奏したあのミサ曲」といわれて、フォーレは「私の手がけたレクイエム」と言い直しているから。

       ****

 フォーレが『レクイエム』で行った慣習の再構築を、音楽的な側面から俯瞰してみると──。 

 古典宗教曲を思わせもする旋律と、ロマンチックな管弦楽の合体だと感じたことから、一九九〇年に大ヒットした、エニグマの『サッドネス』を思い出した。いっとき、どこへ行っても流れていたので、フォーレの『レクイエム』より知られているだろう。CDは買ったが、あまり好きではなかったけれど。
 エニグマとは、もともとは竹の子族でおなじみの「アラベスク」で、『サッドネス』は、グレゴリオ聖歌と、当時注目されていたダンスビートの合体だ。
 コンセプトや方法論が似ているかと思ったが──フォーレの曲作りが現代のサウンドユニットをさき取りしていたら面白い──ひさしぶりに聴いてみると、これはまったく違った。『レクイエム』はサンプリングやコラージュとは別もの──たしか芸術史的にもかなり後だし──なので、聴きくらべなくてもわかる話だった。

 グレゴリオ聖歌に出てくるような古い旋法が、この『レクイエム』にどう使われているかまでは、具体的には示せない。しかし、フォーレがイヤというほど学んだはずの教会旋法、つまり「モード」だが、あの音階にも特徴的な、西洋古楽がどことなく漂わせる浮遊感──「地中海的」と表現されたりするが、たしかに「異郷=異教」の響きがする──が、フランス近代音楽の転調や和声に、うまくとけ込んでいった……いや、むしろ逆に、旋律のほうが積極的に転調やコード進行の変化をうながしていった、ということが、ありはしまいか。
 当時でさえ古色蒼然としていたに違いない古典宗教音楽の要素が、音楽的に「面白い」ことを巻き起こしていくさまを、作りながらフォーレが「楽しんで」いたのだとしたら。
 曲の各部は、べつべつの機会に作られ、編曲も、あとから足されたりしている。なのに、曲全体の清潔なほどの統一感のうちに、聴くたびにまた聴きたくなるような生命の息づきが感じられる。葬式の曲なのにだ! しかも、その命の呼吸は、いつしか曲を聴いている自分の中にあるかのようにも聴こえ始める。
 フォーレが、慣習からの逸脱──革命でなく「ずらし」──によって、やってみようとした「何かほかのこと」には、強いられた慣習からはこぼれ落ちていた、人間性へのほんとうの憐れみと、共感が満ちている。

       *****

Introitus 入祭唱
Kyrie あわれみの賛歌
 Gradulale 昇階唱
 Tractus 詠唱
 Sequentia 続唱

Offertorium 奉納唱
Sanctus 感謝の賛歌
Pie Jesu ああ、イエスよ
Agnus Dei 平和の賛歌
 Communio 聖体拝領唱

Libera Me われを許したまえ
In Paradisum 楽園にて

「ねえ、フォーレ君」「あのミサ曲は一体全体何なんだね。」と司祭が文句を言ったのは、聴感もさることながら、ミサで演奏したのに、典礼形式が無視されていることに対してだったろう。

 上は、一九六〇年代の第二公会議による典礼改革以前※2、つまりフォーレの『レクイエム』の時代にもあてはまる、教皇庁公認の「死者のためのミサ」で歌う項目である。
 *印がフォーレの『レクイエム』を構成しているが、赤字は、フォーレの曲にしかない、つまりミサの「式次第」にはない歌だ。

 レクイエムは演奏会むけの音楽としても作曲されるようになっていて、音楽性の点から、ミサ曲としての決まりごとや歌詞を変えることがすでに行われていたのは、さきほど書いたとおりだ。
 だが、フォーレは宗教曲の専門家で、教会付きのオルガン奏者。数限りなく典礼の伴奏もしてきた立場だ。決まりを変更したうえに教会典礼で演奏したら、芸術的挑戦ではすまず、当時のカトリック業界に対する挑発になる。初めて聞かされた司祭が「ナンじゃこれは!」となったのは当然だ。

 上の項目からもすぐわかるように、フォーレは、ミサ曲を思いきり盛り上げる部分「Sequentia」── Dies Irae(怒りの日)についての「こわい話」で、モーツァルト以後のレクイエムでは、いかにも荘厳長大に作曲された部分だが、そこをまるまる省略している。さらにカトリック典礼のハイライトのはずの「Communio」(聖体拝領唱)もボツ。
 細かい指摘は略すが歌詞もいじっているし、ボツ部分の代わりに、ミサの歌唱にない「Pie Jesu」をはめ込んだが、その歌詞は、じつは「Sequentia」の最後の二行だ。いわく「慈悲深い主イエスよ、安息を与えたまえ」。で、ここが全曲でもっとも美しく、ソプラノのソロで「短く」歌われる。業界関係者にはイヤミに聞こえかねない。
 そしてこれまたミサにはない、本来はミサの後、亡くなった人のお棺のそばで「解き放ちたまえ」と歌う「Libera Me」、それから、お棺を運び出すとき、つまり「野辺おくり」で歌う「In Paradisum」を付け加えている。
「Libera Me」は、きわめて力強く直線的、訴求的だが、その後の最終部「In Paradisum」は、静かな開けた解放感に満ち、いつしか終わっていく。『レクイエム』はいつも、聴きてを宙に漂わせるかのように、いつの間にか終わってしまうのだが、さいごの「In Paradisum」がそうだからだ。だからこそ、何度でも聴きたくなるのかもしれない。
 
        ******

 フォーレは『レクイエム』で「本能的に慣習から逃れようと試みた」といったわけだが、それは音楽的な意味のみならず、宗教的な意味でも、そうだったと考えている。

 宇宙とは秩序そのものであり、人間界は無秩序なものですが、その責任は人間自身にあるというのでしょうか。調和のとれているように見えるこの地上にわれわれは放り出されたのであり、そしてそこで生まれてから死ぬまでよろめいたり、つまずいたりし続けなければならないのです。肉体的にも精神的にも苦しみながら……(略)われわれの苦悩を一つずつ明らかにしてゆくと、やがてすべてから解き放たれていきます。インドの人たちの言う涅槃(解脱)ということであり、また私たちの言う〈レクイエム・エテルナム〉のことなのです。

 これは『レクイエム』の初演そして決定版の完成からもかなり後に、フォーレが妻に宛てた手紙の一節だが、キリスト教をこんなふうにとらえた作曲家の「ミサ曲」は、もちろん「異教的」だし、司祭でなくとも「フォーレ君(怒)!」だ。
 しかもフォーレは、この真摯な手紙を妻に書いたときも、もちろん、ピアニストの愛人との交際を続けていた。
「もちろん」というのは、フォーレには不倫歴がけっこうある。人となりを調べると、謹厳でこだわり派だが親切で素朴、出しゃばりやスノッブが嫌いな控えめな態度、というような声がピックアップできるのだが、それと矛盾するような奔放な──信仰にあついとはいえないような──面も持っていたようだ。
 フランスでトップクラスの、カトリック教会の音楽担当者なのに、信者らしからぬことを言ったり、かなり歳がいっても婚外交際なんかしていたり。
 後のほうをいまどき支持したりすると大ごとになるが、もはや、フォーレの『レクイエム』は、「神」のこと──ひれ伏して許しを乞うとか──は、とりあえず保留にしているのではないか、とさえ思う。
 死を人間最高の解放の境地と讃え、亡くなった人を祝うがごとく見送り、いっぽう聴きてに向かって、ひそやかに、「生きているうちは煩悩とともに、多少ぐらついても生きていきましょう」と歌っている曲!
 こちらの足もとが不確かなとき、説教めいて降ってきて聞かされる「天の声」ではなく、ぐらつく者を深いところで支えてくれる「地の声」が聞こえているような気がするのでは……そう考えるようになり、また、この曲のCDを取り出した。

       *******
 
 指揮者のミシェル・コルボは、この曲を四回リリースしているのだが、女声部に少年合唱とソロを起用したのは、初録音のこの盤だけだ。
 コルボの解釈は、少年が歌うべき、なのではなく「少年のような歌声」で歌われるべき、というもの。以降の盤では、そういう声質の女性歌手を起用しているようだ。
 四たびも録音・発売したのは、よりよく演奏したい、すなわち初回の少年歌唱版がいまひとつの出来だったという反省が含まれているか、逆にそれが素晴らしかったので、よりすぐれた演奏者によって再現したいという思い、そのどちらかだろう。
 十年ほど前に発売された、初回盤リマスターCDのライナーに、コルボへのインタビューが付されている。それによると、「両方」であったことがわかる。

 フォーレのレクイエムの2度目の録音は、満足すべき水準に達していると思いますが、最初の録音で少年たちが歌ってくれたものは、まったく特別なレクイエムでした。あの魂の高揚を再現することは無理ではないかと思うのです。あの録音は私にとっても特別で大切なものです。

 この盤ばかり聴いてしまう理由は、コルボのこのコメントで、じゅうぶん説明になっていると思うが、同じインタビューから、この演奏がなぜ「まったく特別」になったかも、かいつまんで紹介しておく。
 
       ********

 ミシェル・コルボは、スイスのローザンヌの北東、人口五千人ほどだった村の出身だ。スイスではどんな小さい村にも教会があり、教会合唱団の活動がさかんだといっている。
 コルボの祖父もおじも合唱団の指揮者、父は合唱団員だったそうで、コルボも合唱団の指揮者になりたかった。そのころは村の学校の先生が指揮者になる習わしだったので、コルボは教員学校に入学したのだった。
 今回とりあげた盤で歌っている聖歌隊は、コルボの合唱指揮の最初の師、おじのアンドレ・コルボが指導していた合唱団。教会はコルボの地元のすぐ南にある。
 アンドレは、フォーレの『レクイエム』演奏を計画・準備していたが、コンサート直前に亡くなってしまった。
 そこでミシェルはアンドレを追悼すべく、その合唱団を率いて『レクイエム』を録音することに決めた。それが初回録音版だ。

 子供たちは、レクイエムの準備を共にしたおじの死に接して、その歌詞と音楽に心底共感して歌ってくれました。奇蹟のような出来事でした。

 その子どもたちから選ばれてソロを歌ったアンドレ・クレマンは、録音からわずか十日ほど後に「声変わり」したので、曲の中軸である、わずか三分ばかりの「Pie Jesu」は、その「奇蹟のような出来事」の中心としても、世に残ることになった。クレマンはのちにバリトン歌手となり、コルボのローザンヌ声楽アンサンブルに入ったそうだ。
 また、「Pie Jesu」でクレマンにオルガン伴奏をつけているフィリップ・コルボは、たしか亡くなったアンドレの息子さん。つまり、ミシェルのいとこである。

 このように書いていると、村の教会合唱団に奇蹟が起きたという映画にでもなりそうな話ではある。家族葬みたいだから、いい演奏だ、ともいえそうだ。
 もちろん、事実そういう背景があることは大きいけれども、それだけでは美談すぎ、ちょっと敬遠したい気持ちも起きなくはない。
 背景を知らずに聴いていたころは、女の声を少年たちが出していて、その男の子たちが、おじさん歌手たちと声を張り上げたりするところに倒錯を感じ──いかにもカトリック的ではないですか──聴いてしまうのかな、と思ったこともあるほどだから。

       *********

 収録の背景にとらわれすぎないようにしながら、もう一度、CDを回してみよう。

 高音部の少年合唱と、低い音域の男声合唱が、たすきがけに交差し、明滅しているかのようだ。
 管弦は、彼らのすぐ下に位置して広がり、歌の舟を浮かべた湖面の波のようにも思える。たゆたう、とはこういう感じのことか。
 音の像が揺れ動くような気がすることからして、ちょっとおかしいのだが、ときどき同一のパートが違う位置から聴こえてくるような感じもする。クラシックの盤で、そのような定位のさせかたなどしないだろうから、聴きかたが変なのかオーディオのせいか。
 ゆらゆらと「軽い」のではなく、奏者たち全体でとらえると位置が低くて安定している。透明な高い音色がかなり低い場所から聴こえたりし、曲によってはっきり目だつ歌や音も、教会堂の高い壇から降ってくるのではなく、目線をわずかに上げたあたりにある。
 なので、この演奏は「天使の歌声」や「天上の音楽」には聴こえない。地上から天国へむかって祈りを歌いあげるような、わざとらしい垂直の方向性もない。
 このような聴こえかたが、また、わたしにはとても好ましい。


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 WARNER MUSIC JAPAN 2003
エラート・アニヴァーサリー・シリーズ(リマスター)

  ローザンヌ声楽アンサンブルを発掘した※3製作者で、コルボがエラートに録音した多数の盤をはじめ、fnacに場を変えて以降もコルボ盤の制作を担当したミシェル・ガルサンが、この盤もプロデュースしている。
 コルボと親しいし、ソルフェージュを学んだ製作者だから、曲の解釈や表現に直接影響するほどの録音操作を行ったかどうかだが、すでに亡くなっているので、そこまで知るのはむずかしい。再生機器を変えたら聴感ががらりと変わるかもしれないから、深読みし過ぎはいけないだろう。
 それはそれとして、以前から気になっていた部分をボリュームをあげてヘッドホンで拾い聴きしていると──こういうことをすると、以後、聴く気がしなくなる危険があるが──少年たちの歌いかたが、まことに一心で「ひたむき」であることに、あらためて気づかされた。さきほどの背景事情からすれば、当然のことだ。
 歌唱力が限界で「いっぱいいっぱい」だともいえるわけなので、「力不足」という評は、これをさしてのことかもしれない。
 けれども、これまた不思議なことに、男声合唱や伴奏とともにフォルテになった部分を聴きなおすと、力充分なうえに伸び代さえ感じる。少年たちの歌声は、押し不足で埋もれるどころか、まるで、おろしたてのまっ白な少年野球ボールが直球で飛んでくるようだ。

 フォーレのレクイエムにはこれ見よがしの自己表現旺盛な人は要りません。素朴で敬虔な人が必要です。

 歌手の起用について、ミシェル・コルボはそう話している。
 まさに、そのとおり。
 それでこそ、フォーレが妻への手紙に書いた、涅槃(解脱)であり、またレクイエム・エテルナム(永遠の安息)でもあるという境地が、演奏に現れる。

       **********

 この十年、この曲の、この演奏ばかり聴いてきた理由が、これでわかった。

 素朴な敬虔さ、ひたむきな態度、解脱や安息に到達できる無我や無心の境地──どれも苦手で、目の前に現われると皮肉ってばかりいた。ちゃかしたり、よけいなことをいってしまう前に、その場から逃げ出したり。
 そのくせ、そういうものを持ち合わせていたらいいのにと、いつも思っていた。
 思想や信仰への帰依は、ことさら回避してきたが、信じられるものも、すがれるものも、なし、というのはつらいものだ。
 できうれば、よけいな知恵や理屈がかかわってこない、ごく単純なモノやコト、そうでなければ何もないただの場所であるとか……。
 じつはこの十年とは、そうした最後の小さなよりどころが、わたしの前から日ごとに消えていった十年でもあった。

 まったくなにも頼らずとも、悠々と時と場所を通過していける生きかたができるなら、ほんとうに素晴らしい。
 しかし、それが出来る人は、ある意味で世俗さえも超越した、強い自意識、自立心が持てる人だと思う。
 わたしには、それはない。
 そのかわり、この曲の、この演奏が、この十年そばにあった。
 わたしが、持っていたいといつも思っているのにどうしても持てないものが、変わらずに、この曲にあったのだった。(ケ)



※1 フォーレの弟子、ルイ・オベールの発案だった。
※2 第二公会議(一九六二年〜六五年)以降の典礼改革で「死者のためのミサ」は廃止された。なお「死者のためのミサ」=典礼としての「レクイエム」は、亡くなった人の罪を軽くしてくださいと神に祈るもの。
※3 一九六〇年代半ば、ローザンヌ声楽アンサンブルを結成して三、四年目のこと、合唱団はフランスの田舎町にいた。団員がバーで当時の流行歌を歌っていたところ、若い男がきて「あなた方はプロですか? マジメな歌はできませんか?」というので、ドビュッシー、ラヴェル、モンテヴェルディを歌った。その男がミシェル・ガルサンで、その場でデビュー盤のレコーディングを決めた。。
 
【参考】 
ジャン=ミシェル・ネクトゥー 『評伝フォーレ 明暗の響き』大谷千正、宮川文子、日高佳子・訳/新評論/二〇〇〇年
ジャン=ミシェル・ネクトゥー『新装版 ガブリエル・フォーレ』大谷千正・編訳/新評論/二〇〇八年
『レクィエム・ハンドブック』高橋正平/東京音楽社/一九九一年 ほか


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posted by 冬の夢 at 01:26 | Comment(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年05月14日

アイデンティティという神話−−例えば性同一性障害に関連して−−

(ただでさえ長い文章なのに、実は大事なことを書き忘れていたので、2段落ばかり書き加えました。)

 アイデンティティ、あるいは同一性。
 手元にある国語辞典では「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し,自己を自己として確信する自我の統一をもっていること。自我同一性。主体性」とある。つまり、「自分は自分」、「これが自分だ」という自覚、自信、自意識ということだろう。だとすると、もう少し厳密に考えれば、これはそのまま自己認識の問題で、さらには認識一般の問題にも繋がることが明らかだ。したがって、「AとはBである」と認識し、断定することにつきまとう、認識論のありとあらゆる面倒な問題が関連してくるにちがいない。
 しかし、認識一般に関わる哲学的議論は横に置いて、話を自己同一性に限れば、このアイデンティティとか自己同一性とか言われるものが、まるで常識のように大手を振って大通りを闊歩するようになったのは、いったいいつの頃からだったろう。1970年代、それとも80年代……。これまたエリク・エリクソンが有名にした概念らしいから、あの「モラトリアム」と同時期に「流行」したのだろうか。確かに、モラトリアムは自己同一性を確立するまでの「猶予期間」とされているから、この二つの概念は相互に関連して考えるべきものだ。そして、人は誰もがそれなりのモラトリアムを経て、いつかは自己同一性というものを確立すべきであり、それに失敗すると大変な事態になる。この失敗、この重大事態はアイデンティティ・クライシスとか同一性拡散とか呼ばれ、「自分とは何者なのか? 私って誰?」という不安に苛まれることになる。いっそう深刻な病的状態になれば同一性障害と呼ばれ、多重人格症にまで関連するそうだ。

 つまり、確固としたアイデンティティ=自己同一性を持っていることが健全であり、同一性が揺らぐことは不健康かつ病的な状態であることが定説のようである。

 一方、近年はLGBTがようやく社会的なタブーではなくなりつつあり、性的少数派の人権が大っぴらに議論されるようになってきた。これは素直に慶賀すべき傾向だと思う。誰にでも最初から平等に付与されているものが「基本的人権」である限り、人権に例外があっていいはずはない。性的指向がホモかヘテロかによって社会的差別があることが容認される余地はない。

 しかし、問題は性同一性障害だ。その人の生物学的な性と、その人が自覚する性認識が一致しない状態。生物学的には男性なのに、どうしても自分のことを男性とは思えない。あるいは男性にはなりたくない。逆に、生物学的には女性なのに、自分のことを女性とは思えない、思いたくない。こういう人が相当な程度いるらしい。
 性同一性障害と同じように使われる言葉にトランスジェンダーという言葉がある。このケースに限らずこの種の類義語の使い分けに関しては、まるで中世の神学論争のような、外部者にはいったい何に拘っているのかさえ理解できないホットな論争があるらしいが、「障害」という否定的な響きのする言葉を避けようとする気持ちはよくわかるし、可能であれば避けた方が望ましいとも思う。が、だからといって、よくわからないカタカナ用語に置き換えるのも気持ち悪い。だからといって、何か良い提案があるわけではないけれども。

 どういうわけだか、性同一性障害を自覚している友人知己が多い。世の中には、「そんな友人は一人もいない」という人もいるだろうから、自分自身は普通に結婚して、普通に父親になっているのに、LGBTの友人知己が4人も5人も周囲にいるというのは、やはりちょっと珍しいのかもしれないと思う。いや、こんなことがちょっと気になるのは、実は最初に親しくなったゲイの友人から「最初に君に会ったとき、『あれ、ひょっとしたらこの人もゲイかな』と思ったんだ」と言われたことや、あるいは後に妻になる人から「ロンドンで男子トイレに入るときには、お願いだから周囲に気をつけてね。もしかしたら襲われてしまうかもしれないから」なんて言われたことがどこかで少し関係しているのかもしれない。
 が、それはともかくとして、いわゆるホモもヘテロもひっくるめて、性認識や性同一性に関しては常々気になっていることがあり、この気懸かりは結局のところはアイデンティティという神話に対する違和感と関連しているような気がしている。つまり、「ちょっと待て。性認識やアイデンティティって、ホントにそんなに安定して確固たるものなのか? 本来的に、実はもっと不安定、あるいは変動するものなのではないのか?」という疑いが払拭できないでいる。

けっこう気に入っている少年マンガに『天使な小生意気』(西森博之)というのがある。詳細は省くが、本来は女性だったはずの子供が、女友達を守りたい一心から「男に負けないくらい強くなりたい」と願い、また、色々と込み入った事情(?)から、「本当は男なのに呪いによって女にされてしまった」と思い込んでいるという設定になっている。つまり、生物学的にも外見も立派な女性なのに、本人の意識としては「オレは男だ」と思っているわけだ。そして、なまじっか容姿端麗で、性格も(極めて男性的ながらも)良いので、男たちから好意を寄せられる。その中の、もっとも男気がある男と仲良くなるが、それが果たして「男同士の友情」なのか「男女の仲」なのか、段々と本人もわからなくなってくる。基本はラブコメディーなので、特に深刻な話でも何でもないのだが、主人公は「男に戻った方がいいのか、それとも、このまま女でいる方がいいのか?」と、ハムレット的な悩みに悩むことになる。「自分としては(本来の)男に戻りたいが、しかし、自分が男に戻ったら、女の自分に好意を寄せている自分の好きな男が悲しむのではないか」と。そのときの、彼女に想いを寄せる男の態度がいい:「男に戻ってもメグ(彼女の名前)はメグだ」。そして、この言葉は彼女を大いに励ますことになる。

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(天使な小生意気)

 もう一つ、これは最近たまたま目にした女性(少女?)マンガだったが、『彼女になる日』(小椋アカネ)という作品もトランスジェンダーに関連するものだった。幼い頃からの親友(男)がある日一種の病的変化で女性になってしまう(これは作品の中ではSF仕立てになっている)。そして、次第にかつての親友同士は恋仲になり、結婚する。その過程で、以前は男性であった彼女との関わり方に悩む男性の姿(この男性は極度の女嫌いと設定されている)や、自分自身が女性化したことは比較的簡単に受け入れることができた女性が、しかしかつての友人の気持ちを思い測りながら、かつての親友に愛されることに戸惑い、躊躇する様子も描かれている。が、特に注目したいのは、この作品でも「お前が男で女でもいいから、もう一度会いたい」というような台詞があったことだ。

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(彼女になる日)

 以上の作品を知らない人にはなかなか伝わらないとは承知しているが、何が言いたいのかというと、いずれの作品でも「お前が男で女でもどっちでもいいんだ」という意味の述懐があり、性別はその人間が持っている属性の一つにしか過ぎないことが確言されているということ。そしてそれが大きな感動を呼ぶ。この場合、注目すべきは、性別は一種のコンプレックスとして機能している。つまり、「お前が男でも女でもオレはお前が好きだ」という告白は、「お前が貧乏でも金持ちでも」とか「お前に障害があろうとなかろうと」とか「お前の背が高かろうと低かろうと」とか、ともかくその類の台詞と同じ働きをしている。もう一度言い直せば、ということは、「お前が男でも女でも」と言うことは、「お前がお前である限りは」と言うことと同じであり、したがって、実はお前の性別はお前の本質的アイデンティティとはそれほど関係ないということになる。
 その人間の有する資産とか容姿、障害、国籍、等々は、確かにその人間の属性であるが、この中のどれを取り出しても、その人間を決定する機能は持っていない。おそらくその理由は、金持ちもいつかは資産を失うかもしれず、貧乏人もあるとき宝くじに当たるかもしれないように、日本人も結婚してイギリス人になるかもしれず、イギリス人も日本に帰化するかもしれないように、障害があるとき画期的手術や補助器具の開発によって障害でなくなるかもしれず、また誰もがあるとき事故や病気によって大きな障害に見舞われることがあるように、変わりうるからなのかもしれない。だとしたら、ある意味では当然であるが、個人の属性というのは変化し続けるものである。(この意味で、あまりに強い帰属意識は、その対象が国家、会社、家族、何であろうとも、かなり倒錯的なものだと思われる。)だとしたら、複数の属性が微妙に関連し合って形成される自我意識、自己意識というのも、変化し続けるのが当然だ。つまり、自我同一性というのは変動し続ける。「自分とは絶えず変化し続けるものだ」。これが「『ある』とは『成る』ことである」の、一つの意味であるに違いない。存在とは生成だ。
 
 そうであるなら、性同一性が変化し動揺し続けたとしても、別に不思議はないはずだ。男だと思っていたけれど、どうも居心地が悪い。試しに「自分はもしかしたら女性なのではないか? 本来は女性だったのに、いつの間にか無理して男性の振りをしていたのではないか?」と考えたら、意外にもそれが非常に心地よかった。それなら、いっそのこと、これからは女でいよう。こう思うことがあったとしても、そんなに奇妙なことではないような気がする。そして、その同じ人が、今度は別のときに、「しかし、女であることに対してもどうも変な気がしてきた。どうやら自分は『女っぽい男』だったのかもしれない」と思ったとしても、これまた別にそんなに奇妙なことではあるまい。自分の職業選択のことを思い浮かべれば、大なり小なり誰もが似たようなことを経験すると思う。これを「同一性障害」とか「同一性の危機」とかいうのはいかがなものか。
 
 今さらアイデンティティや同一性について思いを巡らす気になったのは、実は先日ネルソン・グッドマン(Nelson Goodman)というアメリカの哲学者のWays of Worldmakingという興味深い本に触発されたからでもある。この奇妙なタイトルを持つ本の中に “When is art?”という、ことさらに興味深い一章がある。ここでグッドマンは、「芸術とは何か?」と問うことにはあまり意味がなく、むしろ「いつ、どんな条件下で芸術になるのか?」と問うべきだと単純明快に説いている。つまり、一つの同じものがあるときには芸術作品になり、別のときには実用品あるいはゴミになる、と。茶碗や机などの工芸品を思い浮かべれば、それがあるときは芸術品として扱われ、別のあるときには実用品として扱われることは容易に理解できる。写真などもそうだろう。よくよく思い起こせば、建築もそうだ。そして、かつて浮世絵がゴミ扱いされたことも思い出すべきかもしれない。ともかく、芸術に不変の本質があるわけではなく、様々な条件が複雑に関与した結果として、たまたまあるものが芸術を体現していると見なされるというわけだ。
 グッドマンのこの考え方は性認識にも応用できないのだろうか?
 つまり、個人の性認識なんてものは、本来的に決まっているのではなく、様々な条件が複雑に関与した結果として、ある人は男になり、ある人は女になる。時と場合が変われば、当然性意識も変わる。男とは何か、女とは何か、ではなく、「いつ男として扱われるのか?」「いつ女になるのか?」と考えてはいけないのだろうか?
 
 性認識が重大視される背景には、言うまでもなく、その人間の生物学的性は生涯を通して不変だという事実認識が横たわっている。そこで、あらためて根本的な疑問を提出してみたい:生物学的に男性であるとか女性であるとかの「事実」は、個人の自己認識にとってそんなに重要なことですか? 例えば、自分がモンゴロイドであること、彼女がコーカシアンであること、こうしたこともある程度には「科学的」な事実である。が、この事実がどの程度に個人のアイデンティティ形成に寄与しているのかは、それこそ個人差なのではなかろうか。もう少し細かいことを例に取れば、身長が180cmであることや視力が0.03であることも、客観的かつ科学的な事実といえるだろう。しかし、これらの事実がアイデンティティにとってどの程度重要なのかは、これまたケース・バイ・ケースなのではないか。だとしたら、全く同じことが生物学的な性差にも言えるのではないか。

 あらためて思い返してみれば、ず〜っと昔、まだ髭も生え揃わない頃、大好きな女の子を前にして、「いっそのこと自分が女だったらどんなに良かっただろう」と思ったことがあった。「そしたら、きっとぼくと彼女はいつも離れずにいられて、無二の親友になれるだろう」と。「そして何よりも、男女の仲といった面倒なことを考えずにすむではないか」と。そのくせ、そんなありえないことを願いつつ、その女の子とエッチすることも願っていた。つまり、自分が男でもあり女でもあることを願っていたわけだ。両性具有の夢といってもいい。そして、その夢は、神話学や心理学の知見によれば、人類の深層心理の奥深いところに共通に存在しているらしい。ということは、ユングのアニマ・アニムスではないが、どんな個人もある程度には両性具有ということになる。

 実際のところ、誰にとってもアイデンティティなんてものがそんなに強固なものとは思われない。無数の属性がグチャグチャに絡まり合って、何となく形成されたような塊に過ぎず、見る角度、光の当たる角度によって微妙に見え方が変わる、そういう形のないものが個人のアイデンティティだと思う。考えてみればごく当然のことだが、今日の自分と明日の自分は厳密には別人だ。が、それにもかかわらず、同じ一人の人間でもある。そして、肝心なことは「それにもかかわらず」ということなのだろう。この「それにもかかわらず」という、ある種の強引な開き直り、それを可能にするのがアイデンティティというものの正体だ。が、そんな開き直りを可能にするためには、同時に「今日の自分と明日の自分は、当然ながら別人だ」という認識と覚悟も不可欠だろう。ということは、誰にとっても、ある日を境に「もう今日で男を辞めよう」とか「明日からは女を中断しよう」とか、そういうことが十二分に起こりえるわけで、性同一性なんてものが案外とフニャフニャしたものだと考えてみることも必要なのではなかろうか。LGBTがそれほど大騒ぎされないような、フニャフニャした社会の方がずっと好ましいような気がしてならない。 (H.H.)
 
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(これは特に本文には関係ない画像です……)


 
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2018年05月05日

『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』 ゴールデンウィークと冷凍怪獣

 買ってもらったプラモデルは、軍艦が「摩耶」、怪獣は「バルゴン」だった。
 いずれも幼稚園か小学校低学年のとき。両者がどれくらい偉いかは、よく知らなかった。
 いま思えば、大和でなくガメラでもない脇役なのだ。一九六〇年代後半の玩具店で、安いほうで妥協するかどうか迷っている若い父の姿を想像すると、介助すべきだろうがすっかり疎遠な昨今、多少は反省すべきかとも思う。

『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』は、一九六六年公開、大映ガメラ映画の二作目だ。
 お土産がガメラでなくバルゴンでもヘソを曲げなかったのは、当時この映画を観ておらず怪獣を知らなかったせいもある。
 子ども心にも自分がイヤになるほど臆病で、怪獣映画は怖がって観ないのだ。同年にテレビ放送の「ウルトラQ」は、番組が始まると家の外に逃げ出していた。やはり同年に東宝の怪獣映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』が封切られていて、父に連れられ映画館に行ったが、これまた上映早々に退散。ちなみに「サンダ対ガイラ」は近年、東京・京橋のフィルムセンターで通して観た。リベンジ鑑賞はスクリーンでと決めていたからだが、意外な佳作で驚いた。

「ガメラ対バルゴン」も、公開から五十年以上たった先日、やっと観た。
 かなりいい! 昨年公開の米映画『キングコング:髑髏島の巨神』は、日本のアニメやゲームの要素を存分に採り入れて作ったそうだが、もし撮影中に制作関係者が「ガメラ対バルゴン」を観たら、半世紀前の日本映画を数百倍の予算で低劣に焼き直しているだけと思い知り、撮り続けられなくなったのではと思う。

 ガメラの第一作は観ていないが、「バルゴン」のガメラは、シリーズ共通の子どもに味方する正義派怪獣ではない。
 登場者はみな大人で、お色気場面こそないが大人のラブをほのめかす場面が少しあるし、人間同士の暴力、殺人シーンもある。
 大映のワンマン社長・永田雅一の命令で、「バルゴン」の次作からガメラは、よい子のお友だちということになった。あまり知られていないかもしれないが、永田は教育にも大きな関心があり、学校へ援助などもしていた。そのせいかもしれない。
 シリーズ四作目には、おなじみの主題歌「ガメラ・マーチ」が登場、児童合唱団が「いかすぞガメラ!」と歌う明朗な曲調どおり、ガメラは映画館から逃げ出したくなる恐怖の存在ではなく、映画館に声援に行く対象となった。ちなみに「ガメラ・マーチ」の作詞は、永田の長男で当時は専務の永田秀雄。親族・縁故で社員を固めていた大映らしいが、東宝の「ゴジラ」に遅れること十年、二番煎じのままコケて映画史の笑いダネになりかねなかった「ガメラ」のヒットに、永田雅一がいかに上機嫌だったかがわかる。

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 バルゴンは同時公開の大魔神とともに高山良策の造型。
ウルトラ怪獣の造型担当者としても知られる人だ

 が、ひどい臆病児からすこし成長していたわたしには、子どもの味方をする怪獣という設定は嘘くさくて面白くなく、ガメラ映画は一本もきちんと観た記憶がない。
 臆病で怪獣ものは見られなかったと書いたが、このあたりの数年の経過は大きく、一九七〇年ごろには小学校高学年、怪獣もウルトラも見るようになり、大映の「昭和ガメラ」末期作を何かの形で知ってのことか。少年誌などでかもしれない。大映は倒産直前で、制作事情は悪く、頼みの稼ぎ手ガメラも安普請をしいられていたはず。ハリボテっぽい子ども向け怪獣に熱中し「日、月、火、水、いかすぞガメラ」とはしゃぐ気には、なれなかったのだろう。

       *

「ガメラ対バルゴン」のストーリーには、複雑なところはない。

 前作で、ロケットに入れられ宇宙に追放されたガメラは、隕石と衝突し地球に舞い戻り、エネルギーを求めて黒部ダムを襲い破壊する。ミニチュア特撮は失敗続きだったそうなのだが、ダムが壊れる高速撮りなど、なかなかの迫力だ。
 主人公の平田圭介は、航空会社でパイロットの資格をとるが、自分の飛行会社を作りたくて退社、兄の計画に乗る。
 圭介の兄は、従軍中ニューギニアで巨大オパールを発見、洞窟に隠して復員していた。戦死者の遺骨収集に偽装して南方へ渡り、回収しようというのが計画だ。自分は足が不自由なので仲間を募り、弟の圭介を加えて派遣、売却金を山分けということにした。

 現地住民が「虹の谷」と恐れる場所に隠匿されたオパールは、実は冷凍液をベロから発射するトカゲ怪獣、バルゴンの卵だ。持ち帰る船内で孵化し神戸に上陸したバルゴンは、ポートタワーを破壊し大阪を氷結させ、虹の破壊光線も放射して攻撃兵器や人々を焼き払う。
 そこへ、バルゴンの虹光線に吸い寄せられたガメラ登場。大阪城下で「大怪獣決闘」の第一ラウンドだ。しかし、ガメラはバルゴンに凍結させられてしまう。
 いっぽうバルゴンの弱点を知る現地民の娘、カレンが圭介と日本に戻り、人類は知恵を集め攻撃作戦を繰り出し、水に弱いというバルゴンをなんとか不活性化はするが、作戦はみな失敗に終わる。

 結局、凍った大阪が融けはじめてガメラが復活。バルゴンが誘導された琵琶湖畔に飛着し、決戦第二ラウンドの火ぶたが切って落とされる。

       **

 いまの目で観ると、いわゆる「ツッコミどころ満載」の展開で、思わず苦笑する場面もあるが、話がつながっていってしまうところは職人的製作者たちの底力だ。
 もちろん、芝居小屋の空気感を受け継いできた昭和の映画館では、リアリティより荒唐無稽さが好まれただろうし、これでイイのだ、チャンチャン! でよかったのだと思う。
 それも含めて「いまの目で観ると」で流せるとはいえ、戦争体験の記憶がまだ残る時代なのだから、戦争の裏面史という前提で話を始めるなら、そこをていねいに撮らなかったのは惜しい。この映画は子ども向け設定ではないが、そうしたほうが子どものためにもなったのではないか。ニューギニアの部族の祭がスタジオ撮りなのはいいとして、まるで温泉ホテルの南国ショーみたいだったり、部族の娘を江波杏子が演じるのもいいが、いくら日本人医師の助手という役柄でも、まるで日本人だというのは、さすがに「ツッコミ」たくもなる。

 もっとも、観ているうちに、高度成長を達成して浮かれた日本にいつも貼りついてきた、なんとなく後ろ暗い空気感は、べつのところから伝わってもくる。
 計画を首謀した圭介の兄の自宅で、南洋派遣組が段取りを相談するが、なぜか琴の教室でもあるらしく、暗い小部屋で続く密談の間じゅう琴の音が聞こえてくる。そのちぐはぐさが戦後の後ろ暗さを否応なく感じさせる。
 琴の師匠でもあろう兄嫁は若松和子。どうみても奥様ふうでなく玄人あがりの愛人系だ。そういえば仲間の小野寺の愛人が小料理屋の女将かなにかという設定だが、そちらは紺野ユカ。そう、お子様映画に出してはいけない、大映の助演女優たちらしい崩れた年増感が、いじけた戦後感覚をみごとに表現している。この感じは子どもが観てもわかるんじゃないかな……ちなみに見た目はあまり似ていないが、若松と紺野は姉妹です。いかにも大映だ!
 そこに気づくと、バルゴンが壊したり凍らせたりする、ミニチュアの神戸や大阪の夜の市街も、心なしかわびしく、もの寂しい。神戸の港湾まわりなどミニチュア造型を遠目に見る画面に過ぎないのに、いかにも「人さらい」が出そうな感じだ。

 そうしたディテールもさることながら、なにより、オパール──バルゴンの卵だが──回収団の小野寺の、ある意味で怪獣より怖い金銭欲の亡者としての人格が、ツッコミどころなど吹き飛ばしてしまう極太の一貫性を貫いていて、すばらしい。
 演じる藤山浩二が、あ! テレビ時代劇の悪役だ! とすぐ思い出す「コイツはヤバイ!」という風体で、いい!
 藤山がコッテリ演じる小野寺という男の、宝石やカネに対する執着は異常で、オパールを独占しようと、毒サソリに刺された仲間は見殺しにするわ、手榴弾で洞窟を爆破し主人公の圭介も消そうとするわ。その所業を知られたので、バルゴンが迫っているというのに圭介の兄も嫁も殺害してしまう。あげくには、バルゴン退治の武器としてカレンが日本に持ち込んだ巨大なダイヤモンドをバルゴンの卵の代わりに強奪しようと、湖上作戦中にいきなり船で登場する。その瞬間は、いまや怪獣映画には臆病でなくなったわたしも、驚愕の恐怖を味わった。しかも、あげくに奪ったダイヤごとバルゴンに食われてしまう!

 思えばバルゴンの孵化は、その小野寺が、仲間をみな殺しにしてオパールをひとり占めできたと思い込みホクホクの帰途船中、うっかり熱帯水虫の治療に使った赤外線を卵に当ててしまったのが原因だ。
 ガメラは、氷づけだった古代怪獣が原爆積載機の墜落で復活し暴れ出したという設定だし、バルゴンも、現地民は近づかない禁断の地に封じ込められた存在だった。戦争と、その負の遺産をめぐるおぞましい人間の欲望が、怪獣たちの覚醒という形で、人間に制御不能の災厄をもたらすことになったわけだ。生物学的発生でいうなら東宝のゴジラも類似していて、これらの怪獣たちはすべて「人災」なのである。

       ***

 面白いことに、というか、この映画で面白いのは、全編にわたってガメラもバルゴンも人類なんか眼中になく破壊したり決闘したりしている。
 二匹にとって人類などいようがいまいが関係ない。生存本能だけで破壊したり、じゃまなほうを排除しようとしているだけだ。ガメラは熱いのが好きで、バルゴンは冷凍怪獣。決闘の理由はそれだけで、子どもの味方だとか人類の敵だとか、そういうコミュニケーション可能性はゼロだ。もちろんガメラとバルゴンの間にも意思の疎通などない。
 そこが、この映画を面白くしている。人間中心主義、そのくだらなさを、大怪獣の決闘が思い知らせてくれる。
 人間中心主義でいくと、人類はたとえば放射能を、爆弾や原発、事故や廃棄でまき散らしいつかは「人災」で自滅する。自然環境を保護する必要などなく、人類が絶えれば、地球はそれ以外の生物の楽園になる。人類の滅亡後おそらく十年もせずに。

 人類も怪獣を見習って、もっと生存に貪欲になっていい。みすみす滅亡を早めることはない。
 さいわい人間は怪獣とちがい相互コミュニケーションが可能だ。人間どうしで「決闘」して自滅する必要なんか、どこにもないのだ。

 こうした観かたができるのは、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』が、怪獣のゼロ・コミュニケーションの怖さと、せっかくコミュニケーションできるのに、その可能性をゼロにしがちな人間の欲望の愚かさを輻輳させ、画面からあふれ出させているからだ。
 そういえば二〇一六年の『シン・ゴジラ』も、なかなか面白かったのは、その二点ががっちり柱になっていたからだ。ちょっと「人事」のほうがしつこ過ぎたが。
「ガメラ対バルゴン」で人事を描いたのは、これ以降ガメラを担当し続けた脚本家・高橋二三。宝くじに当たった仲間が夢の家と店を作ろうとするが、一人また一人と欠けていくというジュリアン・デュヴィヴィエの名作『我等の仲間』(一九三七年)が下敷きだという。そういうウェットな設定を、無声映画時代からの古参、田中重二が監督し演出している──とうにトーキーになり同時録音にもなっているのに、本番中に演技指導の声をかけてしまう癖があったそうだ──ので、人のドラマが否応なく重たくなり、効果的だったのだろう。

       ****

 一作目の監督でもあり、大映ガメラといえば監督は湯浅憲明だが、この作だけ特撮監督の立場である。一作目が予想外のヒットになったので、その公開半年後に大幅に予算強化、カラー撮影で「バルゴン」を制作することになったので、劇場映画三本目の湯浅でなく、ベテランを監督につけたのだった。
 デビュー作の歌謡ものがコケ、テレビの仕事に回されていたとき、誰も引き受け手がなかった怪獣映画が回ってきたのが湯浅の「ガメラ」との縁だ。
 また、この後のガメラシリーズでも主演が続く主人公役の本郷功次郎は、こんな映画に出るのは絶対にイヤで仮病を使って隠れたりしたという。
 それらの不承不承めいた出合いが、結果として、どうせならゴジラとは違う怪獣映画として、ゴジラに負けない存在に育てたいというエネルギーにもなっていったのだと思う。

 カリスマ社長の永田雅一が、大人向けの作りはやめ──「ガメラ対バルゴン」の制作中にもそのように指示した──ガメラを子どもの友だち怪獣にしたということなのだが、むしろ湯浅のほうが、その路線に積極的だった。
 湯浅は「とにかく、映画はヒットしなくちゃだめです」「映画館で観る映画なら、観客に心地よい酔わせ方をして映画館を送り出す、その気持ちで作ることが大事なんじゃないかな」といいきり、芸術映画賞の候補に並ぶような映画を「ノレン街」と称し、そこに「連なるなんてチャンチャラおかしい」という。「あくまで映画は大衆のもの」で「芸術性と大衆性の間でウロキョロするやつら、これが一番タチが悪い」ときた。

 鑑賞する側のわたしは、最近とくにその「間」を感じる映画を観たいので、「ウロキョロ」派ということになり、ムカッとくる(笑)が、契約監督となってまでガメラシリーズに最後までつき合い──最後の新作ガメラ公開年に大映は倒産した──子ども向けガメラ映画のみならず、渥美マリのお色気路線、高橋(関根)恵子の青春映画、テレビに移ってからは『おくさまは18歳』(一九七〇〜七一年)というラブコメの金字塔までも演出した「大衆のもの」の圧倒的な作り手にいわれると、思わず、すいません「ウロキョロ」で、と謝ってしまう。
 だいたい『おくさまは18歳』はけっこう好きなドラマで、当時かなりの本数を見た。それをガメラの監督が演出していたなんて、ごく最近まで知らなかった。ことのついでにいえば、湯浅はなんと「ウルトラマン80」(一九八〇〜八一年)の演出──その時点で円谷プロはまだ東宝傘下だ──もしているし、クラリオンソフトのカラオケBGVの仕事までしていた。

       *****

 父が買ってきたプラモデルの「バルゴン」を、記憶と時代をすり合せてできるだけ調べたところ、定価が何度か改定されているが、買ってもらったときは、いまの千円から千五百円くらいのものと思われた。
 となるとガメラは、いまの二千円以上だったか。やっぱしガメラはあきらめてバルゴンだったんだろうな──。
 と思ったら、買ってもらったバルゴンはガメラと同じシリーズで、同じ値段なのだ。

 一九六六年、大映はゴールデンウィーク特別興行として、東京制作の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と、京都撮影所制作の時代劇版特撮『大魔神』の、豪華二本立てを公開した。新聞各紙に全面広告をうったというから、父は臆病なわたし抜きで二本立て全編を観て、バルゴンに、なにか特別な思い入れがあったのかもしれない。この文を書くために確かめることはできなかったけれど。
 なお、いまやすっかり定着している「ゴールデンウィーク」という呼び名は、正月や夏休みに続く興収アップ期間として、大映が作った宣伝キャッチである。(ケ)


【参考】『ガメラを創った男 評伝 映画監督・湯浅憲明』(編著・唐澤俊一/アスペクト/一九九五年)

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2018年05月02日

さようならギブソン レス・ポールはもっていないけれど…

 創業百十六年のギブソンが経営破綻したニュース(五月一日)にショックを受けたギターファンは、じつは、そう多くなかったはずだ。
 学校の部活でバンドをやっている世代に、ギブソンというブランドは遠すぎる。そして、ギターが好きで、ここ二十年から三十年はマニアックに製品を追いかけていた人たちは、ギブソンには悪いが、当然と受け止めたのではないか。

 ワシントン・ポスト紙は、昨年すでに「Why my guitar gently weeps The slow, secret death of the six-string electric」──ご存じでしょうが、曲名にかけた記事タイトルですね──というレポートを掲載し、アメリカのトップギターメーカー各社が販売減に苦しむ現状を報じている。※
 有名なギター販売店や、実際に弾いてきたロックスターたちへの取材をつうじて報告された「ギターが売れなくなった理由」は、業界には素人のわたしたち音楽ファンも体感的に察知していたもので、意外度は低い。同紙の記事から拾うと、若いギター・ヒーローの不在、演奏・鑑賞の両面でのスタイルの変化ということになろうか。

 楽器やスポーツ用品を売るには、憧れのスターと同じ製品を、ジュニアモデルでもいいから使いたいという消費者心理の鼓舞も大切だ。
 たとえばギブソンの楽器を使って「マネしたい!」と思わせるスターは、同社のレス・ポールを最高にカッコよく弾いたジミー・ペイジや、その下の世代ではスラッシュ──彼はたしかギブソンのアンバサダーではなかったか──ということになるが、正直いって若くない。知名度も存在感も抜群とはいえ、これから楽器を買おうという若い人たちが追いかけるスターではない。若者世代が熱狂するようなギブソン弾きがいないから、同社のギターへの憧れは必然的に薄くなったわけだ。

 また、ギターが演奏の中心にあるロックやフォークの地位が、そもそも低くなっている。といっても今回のニュースで見かけるように「ロックは終わる」とは思っていないが、ヒップホップの登場以降、楽器が出来なくても音楽で人気者になれるようになったので、ギターは、自己流でも始められる音楽の必需品ではなくなってしまった。

 そして、ワシントン・ポストの記事で印象的なのは、リヴィング・カラーのヴァーノン・リードのコメントだ。音楽を聴くスタイルの変化が、ギターの販売数減にもたらした影響についてなのだが、リードがサンタナのギター演奏を初めてラジオで聴いた当時、リードはわたしと同世代だからおそらく一九七〇年代、音楽はもちろんギターを弾くことは文化の中心にあったという。こんなレコードが発売になったという話を聞きつけると、そこから「旅」をしたものだと。つまり音楽を聴いたり弾いたりするには時間とカネを使った。いまは、そういう音楽との付き合いかたをしなくなった、ということでもあろうか。
 リヴィング・カラーのライブに行ったことがあり、いまでいうミクスチャー音楽のはしりのような新世代のバンドだったけれど、そのバンドのギタリストもいまやそう思っているわけだ。

 ギブソンは、ギターの不振をコンシュマー向け音響機器でカバーしようと、二〇一四年にオーディオメーカーの該当機器部門を買収し──日本のティアックも傘下に加えている──社名も二〇一三年に「ギブソン・ギター」から「ギブソン・ブランズ」とした。また発明されて以来、基本構造に変化のないエレキギターに技術革新をもたらすべく、いろいろな自動化ギターを開発し投入もした。
 現時点では、新ギターが裏目に出たことは明白だが、誤った経営判断だったとは、いいきれない気がする。
 マニアックに書くつもりはなく、そういう知識もないが、六〇年以上前にレス・ポールを市場投入して以後、それをブランドイコンとして経営するうえで、考えつく限りの商品展開をギブソンはしてきたと思うからだ。
 
 ギブソンを苦しめたのは、思わぬ伏兵だったのではないか。
 ギブソンの最大の敵は、レス・ポールそのものだったのだ。
 というのは、レス・ポールの新製品を売り出すとしたら、最大のライバルは、作りがよい時代製で状態もいい中古のレス・ポールのはずだから。

 楽器の品質が低下したという不評を払底するため、ギブソンは高級ラインの特別品や、過去の名ギターの復刻版などを登場させた。あるいはヴァーノン・リードのいう、エレキを弾くことが文化だった時代の人気ギタリストの所持品のレプリカシリーズとか。
 これらはもちろん人気を集め一定の成功はしたが、誰もが知ってしまったのだ。すばらしいエレキギターをいま作るには、とんでもない予算がかかり、おいそれとは買えないギターになることを。それは同時に、なんとか買える値段の新品のレス・ポールは、あまりたいした楽器ではないのでは──森林資源への配慮でギター好きがこだわる材を使うことも難しくなっている──という印象も、広めてしまわなかっただろうか。
 もしそうなら、ギブソンでなくともレス・ポールでなくとも、よくなってしまう。悪循環でしかない。

 ワシントン・ポストのレポートでは、ギブソンの最大のライバルメーカー、フェンダーが、やはり好況ではないのに比較的楽観的なコメントをしているのが目立つ。フェンダーは、レス・ポールと同格の歴史的看板商品、ストラトキャスターを、信仰の対象に祀りあげるより、他社も含めたストラトキャスター「型」のエレキに普及してもらい、自社のストラトキャスター「も、またほしくなる」方向をねらっているようだ。日本やメキシコでの製造も行い、高級機も入門機も見た目はほとんど区別がつかないストラトキャスターとして発売しているのは、その戦略の一環かとも想像する。

 昔、自分が作った製品の中古が商売敵であるという、しんどい状況を、なんとかひっくり返せる発想はないものだろうか。
 おそらくカメラのトップブランド、ライカやハッセルブラッドも同じ問題を抱えたに違いないが、デジタルのおかげで、新しいラインアップで製品の開発や販売ができるようになった。ただし、それらもカメラファンが気軽に買って使える製品ではまったくなくなっているし、プラットフォームが自社オリジナルでない製品もあるようだ。よくいわれる「ブランドロゴにいくら払う」というやつ。
 ギブソンは拡張した音響機器路線などを整理、楽器製造は継続するというが、デジタルギターというわけにもいかないだろうし、より若い世代に売りたいなら「ギブソンのロゴ代」なんてものは、そう長くは受け入れられない。

 じつはわたしは、ギブソンのレス・ポールは持っていない。
 そう長くない残りの人生で、ロックバンドをやる可能性はまずないから、必要もないが、やっぱり中学・高校時代、楽器店のショーケースに鎮座しているのを「お参り」だけしていた身としては、自分で持ってみたいなぁと思うこともある。
 できたら合成材でなく、かつてのレス・ポール・カスタムのエボニー指板を使ったスタンダードタイプ。フレットやインレイはスタンダードのままで、かつて「クラシック」シリーズで採用されていたスリムネックがいいですね。でも音が軽くなく粘りっけがいいやつ! なんとか十五万円くらいで……ムリだな、その値段で発売するのは。
 むろんギターだけでは意味がない。できればどこかのアンプメーカーとコラボしていただき、やっぱり昔の、トレブルブースターとハーフクランチの組み合せ音色が出る専用小型アンプも、お安く……。
 あ! すいません! けっして楽器マニアでもオタクでもないんですが、つい……。(ケ)

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※Why my guitar gently weeps The slow, secret death of the six-string electric. And why you should care.
 Washington Post June 22, 2017



 持っていないのでパブリック・ドメイン画像を探したら、この写真があった。
 一九五七年モデルのレス・ポール・カスタム。
 現行通常品で三〇〜五〇万円くらい、高級ラインの再生産モデルで百万円近辺だろうか。
 オリジナルの一九五七年製だと三百万円くらいするのでは。
 死ぬまで絶対に手にする機会はないので気軽に値段を書いたが、同じモデルに、あまりに複雑な内容・価格バリエーションがあるのも、
 知識はあまりないがギブソンを弾きたい、という購入希望者に不親切な結果となったかもしれない。



▼このブログの記事「さようなら Fender Japan」はこちら
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2018年04月17日

「本屋はまだ終わらない」その後

二年ぶりに池袋に行った。生活圏ではないし、仕事上の用事もなかったのでご無沙汰だったから、周辺の景色も随分と変わっていた。一番驚いたのは、目白寄りの通称ビックリガードのすぐ横に建築中の巨大なビル。X字の土台のうえにそびえ立つスクエアなガラス壁のビルディングで、まるで広げた折り畳み椅子にミーレ社の冷蔵庫を乗っけたよう。その背後には高層マンションの姿が垣間見えて、知らない間に池袋も再開発の只中にあるのだった。
せっかく池袋に来たのだから、あの本好きをワクワクさせる本屋に寄って行こう。そう思ったのが失敗だった。「あの本屋」は、もはや「あの」であることをやめてしまっていた。

三省堂書店池袋本店が、本屋の本気度を職人的に示してオープンしたのは二年ほど前のこと。その試みがあまりにも見事だったので、本屋の本質的かつ先鋭的現在形そのものであると、各方面から賞賛の声が寄せられた。平面と重層の構成、巨大な陳列台、フロアの象徴スペース、棚の使い方と本の選び方と置き方。どれもが戦略的に設計され、それらがすべて直接的に本好きに感受された。
それが、そうだったのに、そうではなくなってしまっていた。革新的だったはずの三省堂書店池袋本店の店内を巡りながら、「本屋は終わらない」という考えは間違っていたのかも知れないと、思いを巡らすことになったのだった。

どう変わったのかをまとめるならば、「普通の本屋に戻った」というひと言に尽きる。
多くの人が行き交う地下一階の平面フロアは、以前は雑誌・新刊・文庫本を中心にデイリーかつウィークリー商材に絞って展開されていた。そうした絞り込みは一切やめて、この平面フロアだけに総合書店の品揃えがすべて押し込まれるようになった。つまり、平面フロアの先のはずれにある書籍館の五層フロアは、ニッチ向けに特化させて切り離されたのだ。よって平面フロアには効率良く多種多様な本を並べることが要求され、結果的に陳列什器は総入れ替えされた。
オープン当初、平台什器をジグザグに組み並べて、その広大なスペースに話題の新刊や注目の新書などを縦横無尽に陳列して見せた、あの「戦艦大和」的な巨大プロモーション什器。あれこそが、本好きを飽きさせずに長時間滞留させる主力砲だったのに、撤去されて跡形もなく消え失せていた。代わって導線の入り口に置かれていたのは、どの本屋にもある四尺幅のテーブル型の平台。その奥に図書館型の島什器が縦横揃えてきっちりと並び、みっしりと本が押し込まれている。什器の棚ごとには正面からでも横からでも視認出来るように、緑色の小看板が取り付けられている。本のジャンルや著者名などの表示がズラリと並び、看板だけが目立っていて、まるで看板を売っているみたいだった。

切り離された書籍館は、オープン時の斬新な構成をすべて捨て去り、さらに悲惨な状態だった。
中でも最も無残な姿を晒していたのが「tanakanata」。フロアを象徴するインデックス機能を持ち、そこだけで独立したミニ書店運営が出来るフリースペースだったはず。なのに、根本的に機能変更させられた。小さなソファは取り外され、区画を仕切るガラス板もなくなっていた。並んでいた本は、フロアからテーマに沿ってピックアップされたものではない。立ち寄ったそのときには赤札価格が貼られた雑多な本が積まれていた。そこはなんと「バーゲンブック催し会場」になっていたのである。
この「tanakanata」はイメージカラーを白で統一されていたのだったが、案の定、白い床は半ば擦り切れて、灰色なのか銀色なのかわからないコンクリートの床地が剥き出しになっている。什器は造り付けのため、白い棚は薄汚れたまま使われていて、フロア全体に目を向けると、平面フロアと同じ仕様の機能重視の島什器に変更された。かつてその品揃えの幅と奥行きに驚かされた哲学のコーナーは、ありきたりで凡庸な並べ方になり、外国文学コーナーは地下一階の平面フロアに移設。外国の作家ものを多角的に提案していた壁什器には、今ではスピリチュアル関連本が一面に並ぶ。かたや以前日本文学があったところは、歴史本のコーナーに変わっていた。明らかに目的購買客向けの、回遊型ではないフロアへの切り替えだ。
書籍館最上階には、作家と読者の交流を意図したイベントスペースがあったのだが、そのようなセミナーはたまにしか開催されないようだ。立ち寄った時間には、カーペット敷きのガランとした空間に、折りたたみテーブルと椅子がぞんざいに置かれているのみ。疲れたら勝手に座ってください、という意味もないほどに、何のための椅子なのかわからないような放置のされ方であった。

三省堂書店池袋本店がオープン当初に標榜していたのは「もっと本と本屋を愉しむための次世代型書店」。大手書店としてそのヴィジョンを掲げたことには、自分たちが本屋という業態を再生させるのだという気概が伺えた。
しかし、二年ほどの間に、バージョンダウンとも言える手直しがされ、「次世代型」どころか「前世代型」書店に大きく後退してしまった。もちろん理由は簡単で、計画通りの売上予算を達成出来ず、運営コストの大幅削減を迫られたのだろう。オープン当初から、巨大なジグザグ陳列台や「tanakanata」における商品企画と選品の手間、一定期間ごとの商品入れ替え作業とその補充品出しなど、とてつもなく面倒臭く、煩雑なオペレーションが伴うことは予想されていたはず。その難易度の高い業務の日常化と定例化がレールに乗らないと、店頭を切り回す現場チームは苦しくなる。おまけに本社からは、予算未達成の要因分析やら売上浮上のためのテコ入れ策など、さらなる負荷業務が要求されたことだろう。ただでさえ定休日もなく営業時間も長い現場である。日に日に疲弊して、アルバイトの確保が困難になり、ついには社員までも辞めていってしまう…。そんな悪循環が目に浮かぶようだ。
そして本社は会議で決定を下す。コストを最小限に抑えて効率良く売れる店にしようと。そんな理想的フォーマットはどこかにあるのかも知れないのだが、探しているヒマも試している余裕もない。結果的に過去に取り組んで来た中で一番マシな売り方と運営方法に戻すのがベターな選択となる。そのベターが「前世代型書店」、すなわちどこにでもある売れ筋だけを置く「普通の本屋」なのだった。

三省堂書店池袋本店のある場所には、かつての前衛的な本屋=リブロがあった。そのリブロに入社して、今は池袋のライバル店ジュンク堂で副店長として活躍している田口久美子氏(※1)はこう語っている。

池袋リブロには、業界内での、いわゆる「はぐれ者」ばかりが書店員として集まってきていました。置ける本の量では大手にはかなわない。そこで、当時どこでもやってなかった、「自分たちがこの社会を表現する棚を作るんだ」「イベントもやるんだ」という個性を出したのは、その後の書店業界に通じる一つの潮流を生んだとは思います。(※2)

三省堂書店池袋本店は、そのリブロの遺志を継いだ挑戦的かつ魅力的な本屋を目指していた。けれども、このような業態は、そもそも本が売れない現在においては成立し得ないのだ。それを意図するものとは逆に証明することになったのは、実に皮肉な結果である。本屋とは図書館ではなく公共の施設でもない。小売業のひとつの業態として、営利を追求する商売の手法だ。商売を継続するためには、利益を出し続けなければならない。その意味においては、本を買うというマーケットがEコマースに奪われている現状では、本屋で利益を出す商売はもう無理なのかも知れない。
二年前、三省堂書店池袋本店を見て、本屋はまだ終わらないと思った(※3)。しかし、現実の厳しさを目の当たりにした「その後」なのであった。(き)



(※1)「書店風雲録」「書店繁盛記」「書店不屈宣言」などの著書がある。
(※2)週刊朝日 2015年8月28日号より
(※3)「三省堂書店池袋本店に拍手! 〜 本屋はまだ終わらない 」[2016/02/12]は→こちら


*このブログの「書店」関連記事は→こちら




posted by 冬の夢 at 22:13 | Comment(1) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする