2021年12月04日

オミクロンじゃない! ズミクロンだ!

 ズミクロン35ミリF2──レンジファインダー写真カメラのレジェンド、ライカM型で使う、傑作レンズです。
 ライカM6という機種でこのレンズを使っていました。どちらも、持っているカメラやレンズのなかで、いちばん高価です。

 カメラオタクの自慢話ではないですから、ご心配なく。
 ライカのカメラとレンズはひとつずつ持っているだけで、ほかにさしたるものはありません。しかも、フィルムで撮らなくなったから、かなり長い間しまわれたきりです。
 カメラや楽器は、使ってなにをするかにしか興味がないから、この文もすぐやめます。

 オミクロンなんて、まぎらわしいワルモノのほうが有名になってしまって、ズミクロンが、さぞかし腹を立てているだろう、という話です。

 プロのカメラマンでも芸術家でもないわたしには、ライカは分不相応です。なのに持っている理由は、昔、プロカメラマンたちからすすめられたからです。
 当時、カメラマンに知り合いが多く、何人かに「ライカで撮りましょうよ」と誘われたのです。ひとりが、買うのにわざわざつき合ってくれました。
 ライカの話をすると、すぐに本一冊になってしまうでしょう。フィルムカメラの時代は、そのての書籍や雑誌があれこれありました。そこまでの知識はありませんし、ライカのことはあまり知らずに使いはじめました。ライカやカールツァイスのことを多少は知ったのは、ずっと後です、製品の種類や性能より、ドイツ現代史、戦後分断史と両社の関係は、興味深いです。
 というわけで、おわり……というのも芸がなさすぎますね、どうしようか。

       

 撮った感想はむずかしいです。長らく使っていませんし。
 マニアならM6より古いM3や、同じMでも最新デジタル機のM10シリーズで使い、比較するのですか。ズミクロン35ミリF2は長年製造され、何世代か違いがあるので、撮り比べするのでしょうか。
 いずれもわたしがやったら、まちがいなく破産します。
 フィルムカメラしかない時代に、35ミリポジのスリーブをどれほどたくさん見たか想像もつきませんが、必要ないことだったとはいえ、使われたレンズをいい当てたことなど、ただの一度もありません。

 背のびして買ったズミクロン35ミリは、だんだん使わなくなりました。
 事情でモノクロプリントができなくなくなったこともありましたが──ライカやカールツァイスのレンズは、なぜかモノクロで撮りたくなります──このレンズの特徴が、だんだん苦手になってきたのです。不遜もいいところですが。

 絞りを開いたときと閉じたときで、写りに差があったのです。
 絞りを開くと、ふわりとした空気感で写ります。ユメユメしいのでなく重い芯があり、うまい構図で写せると、存在感があるカットになりました。
 あら、使った感想、けっこういえているような。
 ならば、絞りを閉じたらですが、まさに表現主義です──というか、その影響をうけたオーソン・ウェルズの感じでしょうか、光と影のコントラストが爽快で線が鋭いです。表現主義といっても、ライカの故郷のドイツでなくカナダで設計されたレンズですけど。

 いまいった「差」は、このレンズらしい、ひと粒で二度おいしい魅力なんですが、そこが困りました。
 雰囲気の揃ったひとまとまりの写真にしたいが、同じような場面でも絞り値によって写りかたの違いが目立つ場合があるわけです。絞りをあまり動かさず撮りたいですが、アマチュアですからカメラがぶれやすく、シャッター速度の設定に限度があります。どうしても絞りで、適正露光へ持っていくことになるからです。
 そんな偉そうな理由で、ズミクロン35ミリF2と、やや縁遠くなりました。某国産レンズをM6につけて撮っていたこともありますが、本格的に写真を扱う仕事になるにつれ、趣味で撮るのはやめました。

 じつはいまデジタルカメラで気軽に、昔のレンズを使うことができます。各種レンズを装着できる仕組みがあり、M型ライカ用レンズをライカでないカメラにもつけられます。
 それは、いまのところやるつもりはありません。
 カメラは「のぞいて撮るもの」だった世代ですから、光学ファインダーなしでライカレンズを使う気にはなれません。ならば一眼レフはどうかというと、M型ライカのファインダーしか写真にすべき視界を持っていないと思います。借りてのぞいてみて最高だったのはライカM3ですが、使いにくく、より現代版のM6を買ったのです。
 ライカM型がデジタルになっているM10シリーズで写せば、フィルムじゃなくても撮れるじゃないかって? だから、破産しますから……。

       

 ずいぶん前ですが、このズミクロン35ミリF2で、イタリアで写したことがあります。
 イタリア人の友だちのところへ、しばらく行っていたときです。
 帰国後その彼に、写した写真を送りました。モノクロ8×10サイズ、彼の家の室内で飼いネコを撮った、どうでもない写真です。
 何年かのちに伝え聞いた話があります。
 イタリアにいる彼を、あるプロカメラマンが仕事の縁で訪ねました。わたしも面識がある、広告写真界の第一人者でした。
 そのカメラマン、飾ってあったモノクロのネコ写真を見つけると、じぃっと見て、こうつぶやいたそうです。

 これ、ライカでしょ?

 ネコの写真を見て「これ、ネコでしょ?」とはいわないだろうけど、わかるものなのかな、ライカレンズで撮った写真って? (ケ)

211204sM.JPG 
ひさしぶりに出してみたら、合焦部が固まってました!
 お前が使わないからだろ! ってレンズに怒られている気がする。
 修理代、貯めなくちゃ……。

 
※ こちらがそうです。すべてが、そのとき撮ったものではないですし、オリンパスXAで撮った写真がはいっています(発売時価格がM6+ズミクロン35ミリF2のたぶん20分の1くらいのコンパクトカメラです)。プリントスキャンデータで、カットにより、かなり処理をかけています。

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2021年11月30日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(9/9)

■第五節(2/2) ──美は真実であり,真実は美である

  When old age shall this generation waste,
   Thou shalt remain, in midst of other woe
 Than ours, a friend to man, to whom thou say'st,
  "Beauty is truth, truth beauty,"--that is all
   Ye know on earth, and all ye need to know.

   長い時代をへて ぼくたちの世代が消えゆくとしても,
    壺よ いつまでもこのままなんだね,ぼくらの悲しみが
  さまざまに移ろっても それとも違う悲哀の深みに立ちつづけて
   人間の友だちでいてくれて,こう言ってくれるんだね
  「美は真実であり,真実は美である,」──それが
   あなたがた人間がこの地上で知るすべてであり,
    知らなければならないすべてなのです,と



 いちばん最後の部分です。
『Grecian Urn』は、英語で書かれた詩で、もっともすぐれたもののひとつだというのですから、ぜひ無事に読み終えたいところですが、英語で書かれた詩で、もっとも複雑で難解なものだともいうから、わからない! で終わるかもしれません。
 じつは、はじめて訳そうとしたときは、さっぱりわかりませんでした。当時どこで区切ったらいいかもわからないような、お粗末な読者でしたから、しかたありませんが、Beauty is truth, からの最後の二行なんて、お手上げでした。
 今回も、そうなったら惜しいですし、ここまで書いたことが徒労に帰してしまいます。

 そこで今回ですが、意外にすんなり読むことができました。
 ここまで書いてきたように『Grecian Urn』を読むうちに、結末も読むことができたのです。
 もちろん自分なりの結果にすぎませんから、一言一句、正しい訳と解釈ができたとは思いません。努力はしましたが。
 それはそれとして、ひとりよがりを自分で納得していてはバカみたいですので、どのように読んだのか説明しましょう。

死の予感へ想像力の救いを放つ

 前の節では、キーツがとつぜん「つぼ」から遠ざかった感じがしましたね。どこか寒々しい葬列であるとか、住人が滅びたような虚ろな街とも、解釈できるような光景を遠くからながめるようで、奇妙な印象でした。ギリシア神話の美しい世界の魅惑からとつぜん醒めて、悲しみや痛みに満ちた、この世にとり残されたことに気づいたかのように。
 そんな視界は、この最終節でまた切りかわりました。いまいちど「つぼ」を、こんどはすこし離れて見るような、キーツの姿がうかがえます。そしてわたしたちも、同じところに立っています。静まりかえった博物館のコリドーにいるような雰囲気です。
 思えば、その表面から美のパノラマをわたしたちの心に投影し続けていた「つぼ」は、つまるところ、冷たい石でできた、からの入れものでしかなかったのです。キーツが実際に見て感動した古代ギリシアの壺にも、その印象をイメージしながら想像力で詩の中に描き出した「つぼ」にも、生ある者の姿はどこにもありませんでした。
 キーツが見たり線画を描いたりした、古代ギリシアの壺は花瓶 vase ですが、この詩ではわざわざ、もし蓋(ふた)がついていれば遺灰を納める壺の意味もある urn という名詞になっています。おかげでこの詩全編に、もともと「死」のイメージが漂っていたわけでもあるのですが、なにしろ「つぼ(壺)」は「から」ですから、イメージもなにもありません。生者も死者もいない。人の姿はもちろん、その痕跡すらなかったのです。

 私訳は「冷え冷えとした田園光景」とした Cold Pastral (冷たい牧歌)は、前の節の寒々しさをこの節に呼び込んで、「つぼ」そのものの空虚さを暗示してもいます。中も「から」なら、外型も「まぼろし」であったかのようにです。
 そうしてみると「冷たい牧歌」とは、演奏こそ止まっているが存在しているという設定だった、美の決定的瞬間を彩る音楽は、そもそも奏でられていなかった、と告げているようにも受けとれます。
 第三節では、あれほど For ever を繰り返して称えていた、幸せの極致にあって、永久に若さが失われない愛も、この世では、けっしてその状態にとどまることはできません。年月は老いるもの old age なのです。止まらない時間の経過が、キーツも、わたしたちも、将来この詩を読む人たちも、同じ世代ごとまとめて滅ぼす waste のです。waste とは、紙くずのような感じがあります。この世に生きることも、詩を書きつけた紙も、役立たずのゴミであるかのような。
 この詩の結末を、世界の災厄が静まらぬ年が暮れようとするいま読むと、いやおうなく黙示録めいた実感が迫ってきます。

 しかしここで、キーツは最後の一矢を放ちます。
 その矢は「冷たい牧歌」を射抜いて溶かし、寒々しい大理石の「つぼ」に突き立ちます。すると「つぼ」から、汲めどもつきない永遠のメッセージが流れ出すのです。
 詩人の想像力──それがキーツが射た矢です。
 想像力は、まがいものだらけのこの世の中に美という真実を発見し、見つからなければつくり出すこともできる力でした。見きわめのつかない不確実さへの不安や、かぎりない数の涙を受け入れつづけた魂から、放たれた矢なのです。
 キーツは書いていました。魂をささえる、たいせつなもののひとつは心だと。知性も必要ですが、なによりも愛が最高にまで満ちた心です。

──the crown of these
Is made of love and friendship, and sits high
Upon the forehead of humanity.
All its more ponderous and bulky worth
Is friendship, whence there ever issues forth
A steady splendour;

 それらの冠は
 愛と友情でつくられて,
 人間の額の上に鎮座している.
 なかでも重たくてぶ厚い価値があるものは友情なんだ,
 友情からはまっすぐな輝きが
 たえず放たれつづけているからだ

──『endimion』(エンディミオン)



 キーツはこの最終節で「つぼ」に a friend to man 「人間の友だちでいてくれて」とよびかけています。人間と友情を結んでくれる存在としてです。味方になり助けてくれる友人という意味もあるでしょう。
 キーツの想像力でメッセージの水脈を開かれた「つぼ」は、そのよびかけに応じます。といっても「つぼ」が人に口をきくものでしょうか。そんなわけはありませんが、キーツが想像で書いた架空の存在ですから、キーツが自分に都合のいいことをいわせているだけなのかもしれません。
 いや、そうではないのです。「つぼ」のメッセージは、永遠の真理です。キーツの想像力がつかんだ美は、それそのものが「真」なのですから。

 美は真実であり,真実は美である,

  "Beauty is truth, truth beauty,"

 ──それが
 あなたがた人間がこの地上で知るすべてであり,
  知らなければならないすべてなのです

 ─that is all
   Ye know on earth, and all ye need to know.



 これで、この詩は完結するのですが、その後もずっと、このメッセージは消えることがありません。
 このメッセージが、キーツのためだけのものでないことは明白です。人類へのメッセージでもあるわけです。
 この詩に出会ったわたしたちは、「つぼ」がこういったと語り伝えてもいいのですし、この文言が刻まれている「つぼ」を思い出してもいいのです。小さな地球にひしめき合って生きているわたしたちが知ることができることは、いかに少ないか、しかしその、ほんのわずかにも思えることを知るためには、どれほどの思いをしなければならないかということが、ここに凝縮しています。

 この詩に満ちあふれていた、どこまでも清潔に美しい至上の場面は、いつの間にか「つぼ」の表面の白さと区別がつかなくなり、薄れて去っていくように思えます。古代ギリシアの遺跡から発掘されて静かな博物館に置かれていた「つぼ」は、まるで宇宙からの贈りものでもあるかのように、彼方まで開けたのびやかな視界のなかに浮かんでもいるようです。そう感じたとき、この詩全編のヴィジョンは、瞬時にたった二行の、完璧なテキストに収斂しているのです。なんという表現力でしょうか。
 しかもこの二行には、アンビバレントが抱えられてもいます。キーツが、誰かとても親しい友人ただひとりに書いた手紙のなかの一文のようにも読めるからです。そこには、まるでかれの遺言のような、さびしくて、しかし断固とした、痛切な思いがあります。
 キーツが得た詩的精神はシェイクスピアの「無数」には及ばず、それどころか、ただひとつきりだったかもしれません。しかし、そのひとつの精神の強靱さがもたらす詩的表現力は、おそらく「無数」の表現を超えるでしょう。だからこそ「想像力が美だととらえたものは真実にちがいない(真実でなければならない) What the imagination seizes as Beauty must be truth」のであって、それゆえに「美は真実であり,真実は美である,"Beauty is truth, truth beauty,"」と断じることができたのです。
 このメッセージとともに「つぼ」から、とうとうと流れ続ける水のイメージは、キーツの墓碑銘を思い出させずにはいません。キーツの名は水で墓碑に書かれるのです。そしてその名は、はかなく流れ去っていきます。

 Was there a Poet born──but now no more,
 My wand’ring spirit must no further soar.─

  そこで詩人が生まれたのだろうか──いやこれ以上はやめよう,
  あちこち放浪するぼくの精神は もう飛び回っていてはいけない。

──『I Stood tip-toe upon a little hill』(小さな丘でつまさき立ちしたぼく)



 浅学非才の身で『Grecian Urn』を訳し、その過程を説明しようともしたため、キーツのことを調べては理屈で組み立てた話が多くなりました。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、まるで逆です。
 そのせいでキーツの印象が、若いのに書斎にこもり、詩作もそこそこに神話の本に熱中したり手紙を書いたりして外界に親しまない、病弱な詩人のようになったとしたら心配です。

 ジョン・キーツは旅する詩人だったということを、強調しておかなければならないでしょう。
 日常からの逃避という面もあったかもしれませんが、医学生時代の夢想癖にはじまり、市街にほど近い自然のなかで、想像にふけりながら散歩するのが好きでした──ジョセフ・セヴァーンとのエピソードとともに『O solitude! if I must with thee dewll,』(ああ孤独よ!)を読みたくなります──病院勤務をやめて詩人になってからは長い旅行もしています。創作のインスピレーションを得ようと、懐が許すかぎり国内各地を訪ねました。ハイカーのようにザックを背負って、はじめて見る風景にひたったものです。自然の微細さから雄大さまで、すべてを見のがしませんから、旅の経験は詩に神話や空想の世界を明瞭に描くうえで、おおいに役立ったでしょう。転地療養のためイタリアへ無理して渡ったのも──おそろしく悲惨な行程でした──旅への思いがあったからかもしれません。ずっと間借り住まいですから、自分の書斎など持っていなかったはずです。
 キーツは、大衆的なパブが好きだったそうです。クラレット(フランス、ボルドー産の赤ワイン)を、とうがらしを舐めつつ、冗談好きの気のおけない友だちと飲むほうが、上流階級の文学青年たちのディナーに招かれるより、よかったのです。
 詩にも、偉大な文人たちの魂を、かつてその集まりがあったパブへ呼び寄せています──『Lines on the Mermaid Tavern』(マーメイド・タヴァーン賛歌)──芝居小屋のような劇場での観劇ファンで、出演者たちと呑むこともありました。書斎派どころか、街場こそ、かれの居所だったのです。

キーツの魂と愛そして友情

 キーツの詩人としての魂は、詩にだけ捧げられたのではありません。ごく身近なひとりの若い女の子、ファニー・ブローンに、どれほど情熱的に捧げられたことでしょう。しかもその愛情は、ときには屈折し、ときには理不尽なほどの不満や怒りに、揺さぶられもしました。
 美的感覚さえあれば、よけいな思考へ気を回す必要がなく、真実の美が迷わず得られると考えたキーツですが、もちろん、さまざまなことを考えて苦しみました。塵埃まみれのロンドンの街区で、ひたすら「この世」を見ていましたし、所持金の逼迫と健康の問題から、いつも不安だったにちがいないのです。
 なかでも、しりぞけるのが困難だった悩みは、愛であったし、野心でもありました。さらに、詩そのものについても。『Grecian Urn』と似た設定で書かれている『Ode on Indolence』(怠惰のオード)でいっているようにです。

 二十五歳で生涯を終えたキーツが、詩人として作品を発表できたのは、その短い人生最後の五年に満たない期間でした。
 そのあいだにネガティブ・ケイパビリティを得て、かぎりない数の輝く星のような、詩的精神を自分のものにすることはできたのでしょうか。
 それは、わかりません。信じられないほどの短期間に傑作を連発した創造の炎は、キーツの唯一のきらめきであったかもしれず、いずれにせよ、敬愛するシェイクスピアのあとを継げないまま、キーツの命は尽きてしまったようです。
 しかしキーツには、ただひとつだったとしても、永遠に響く詩のことばを作り出す「精神」がありました。「つぼ」は、そのことばを、いっさいゆらぐことのない確信をもって、語っているのです。
 この世界は「涙の谷」ではないと力説しつつ、いく千もの涙にぬらされた小さな若者は、たったひとつの「つぼ」をこの世に置いて、去っていきました。水で書かれたかれの名もまた、流れて乾き消えようとするのでした。それが死の床でキーツがセヴァーンに頼んだ墓碑銘でもあったのです。
 しかし、ついにロンドンに戻れないままローマに埋葬されたキーツの墓碑は、いま、人間に叡智を与えて永遠の進化をうながした、あのモノリス※1のように毅然と立ち続けています。この世の悲哀の深みに立ちつづける「つぼ」が、人間の友人でありつづけてくれ、永遠にただひとつのメッセージを発している、ということを象徴しているかのように。
 故郷を離れ異国で眠っているキーツそのそばには、永遠の友人がいます。キーツの隣に葬られたセヴァーンが※2、かれを見守り続けているのです。かつてハムステッド・ヒースの丘で、さわやかな初夏の風に吹かれた麦畑の詩人と、楽しくすごしたときのように。(ケ)



■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←



※1 スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』に登場する、巨大な墓碑のような謎のマテリアルです。地球外の知的生命体が設置したらしいという設定です。映画をキューブリックと共同制作したアーサー・C・クラークの宇宙の旅℃l部作(Odysseyシリーズ)では、話が進むにつれ、モノリスは助勢した地球人の進化を失敗と判断し、人類抹消活動を開始します。月や火星の天体写真に写っているという本気の報告から、いたずらに至るまで、話題のたえない存在です。

※2 キーツの死後、イタリアとイギリスで画家としての成功と凋落をへて、ローマでイギリス領事になりました。八十五歳で亡くなっています。

■ このブログでジョン・キーツの詩を訳してきましたが、できるだけやさしい表現で、軽めの口調を心がけたことは、本文でも書きました。
 しかし、古めかしく訳すべき、とも思います。書かれた時代も考慮すべきですし、しばしば古代史やギリシア神話が舞台であること、また伝統的な音律やリズムにこだわって作られているということからも。見ることができたかぎりの訳詩集や研究書などでは、例外なく古文ふうに訳されていました。でも、どれも違和感があってなじめず、出版されている訳文スタイルの文体で、あらためて訳す意味もないと思いました。
 キーツの時代、つまり江戸時代の文はもちろん、近代の擬古文だって書けないのに、それふうな和訳をするのは変だとはいいません。時代劇やアニメなどでは、ナンチャッテ古文な表現が、いきいきしていますから、ダメだとは思わないですが、私訳は「いまどきふう」にしました。

■ このブログではつねづね、脚注の多い文を書いてきましたが、この文では控えました。参考資料も、機会あれば紹介しますが、列記は略します。


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 16:00:00



posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年11月29日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(8/9)

■第五節(1/2) ──小さな街の謎

 またしても、キーツのまなざしが変わります。
 視線はふたたび「つぼ」へもどっています。
 読解しなければと思うから、ややこしく感じますが、ヴィジョンをみごとに展開させる、エキサイティングなアングルの変化です。

 ただし、「つぼ」のレリーフを観察すると同時に、その細部から想像の世界へ没入するような、集中と陶酔が交錯する空気感は、この節にはもうありません。
 澄んだ光と空気に包まれ、いまここにすんなりと実在している、つぼ Urn に、キーツもわたしたちも向かい合っています。その輪郭 shape を、たたずまい attitude を、そして形 form そのものを、見ているのです。顔を突き出してのぞき込むのではなく、一歩引いて、つぼ全体を眺めています。つぼの存在感を実感しながら、あらためて観察し語りかけるキーツも、そしてわたしたちも、背筋が伸びています。
 そのためでしょうか、心なしか──いやたしかに、あたたかく静かな、肯定の意識、それから透徹した確信があるのです。

 Thou, silent form, dost tease us out of thought
  As doth eternity:

  壺よ,沈黙のフォルムよ,
   ぼくらに理屈で考えるのをやめさせてしまう壺よ
    永遠がぼくらにそうさせるように:


 この詩の最初のところで、「つぼ」を「森の歴史家」とよんだとき、キーツは、かれの想像力に身をゆだねて、理づめで「つぼ」を描こうとせず、あたかも「つぼ」が問わず語りに告げているかのようなかたちで、古代の美の真実を見てとりました。
 想像力が自由に羽ばたくにまかせているのです。「ネガティブ・ケイパビリティ Negative Capability」という意識のステージにいるわけです。
 ですが、「つぼ」の話に酔い、目うつりするかのような美の世界を賛美しているうちに、ふとつめたい現実すなわち涙の谷≠ノ、とり残されている自分を見つけることになったのです。
 もちろん、さきほど紹介したように、この世の中とは悲嘆にくれているしかない涙の谷≠セという、その世の中にまん延した見かたに、キーツは反対でした。世の中は悲しみや苦しみでいっぱいですが、人はそれぞれ自分自身の魂≠作るため、その悲しみや痛みにさらされねばならず、世の中は魂創造≠フために欠かせない場所なんだと、キーツは考えていました。
 キーツは、この節でいまいちど「ネガティブ・ケイパビリティ Negative Capability」に、意識のチューニングを確実に合わせます。いまや魂創造の谷≠ノ立っていて、わたしたちに語りかけようとしてくれている壷のことばを、あらためて、はっきり聞きとろうとしているのです。

 説明が前後しました。
 そもそも「ネガティブ・ケイパビリティ Negative Capability」とはなんでしょう。どのような意味で、キーツはこのことばを使ったのか。
 カタカナと英語で、もって回った書きかたをせず、かんたんな日本語にしたいのですが、この語ばかりは、お許し願うほかありません。直訳なら「消極的能力」や「マイナスの可能性」でしょうか。おかしな感じがしますし、ストレートに意味が通じません。
 二〇世紀になってから、精神医学にこの考えが援用され──それもキーツの偉大なところですが──その分野ではどうにもならないつらい事態には、正面から立ち向かわずに、避けていられる能力≠フことをいうようです。社会の辛苦と戦い破れ心を病まないための「静観に耐える能力」とでもいいましょうか。
 現代医学のことは正確には解説できませんが、それは、キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」とはちがいます。

ネガティブ・ケイパビリティの手紙

 キーツが「ネガティブ・ケイパビリティ」のことを書いた手紙を見ましょう。キーツが残したあらゆるテキストでこの語が使われたのは、その手紙いちどきりらしいので。
 一八一七年十二月、キーツは当時クリスマスシーズンの定番だった大衆喜劇を、友人のチャールズ・ウェントワース・ディルクとチャールズ・アーミテジ・ブラウンとで観ました。帰り道、キーツはディルクとあれこれ話します。
 キーツは、高い教育を受けた上流階級のエリートたちからなる、ロマン派詩人や評論家たちの文壇的集まりより、海軍の給与事務員でのちに文芸評論家・編集者となったディルクや、もとは貿易商で劇作をものしたブラウン──ディルクはのちにキーツがファニー・ブローンと出会う家の建主に、ブラウンはそこの住人になります──のような人たちとつき合うほうが、楽しかったようです。キーツの友人にはほかにも、詩人や小説家ではないが文化教養ゆたかな人びとが、顔をならべていました。
 それはともかく、ディルクと話したことをきっかけに、キーツは「ネガティブ・ケイパビリティ」を思いつき、すぐ弟たちへの手紙に書きます。

at once it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature, and which Shakespeare possessed so enormously ─ I mean Negative Capability, that is, when a man is capable of being in uncertainties, mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason ─ Coleridge, for instance, would let go by a fine isolated verisimilitude caught from the Penetralium of mystery, from being incapable of remaining content with half-knowledge. This pursued through volumes would perhaps take us no further than this, that with a great poet the sense of Beauty overcomes every other consideration, or rather obliterates all consideration.

 どのような質の高さが、ものごとを、それもとくに文学で達成した人を作ったのかということが、たちまち思い浮かんだんだよ。その特質っていうのは、シェイクスピアが、とてつもなく持ち合わせていたやつだ──なんのことかというと、ネガティブ・ケイパビリティ、つまり、はっきりしないこと、不可解なこと、疑わしいことがあるときに、事実や道理を見つけようとじれったがるなんて、まったくせずにいられる能力のことなんだ──たとえばコールリッジは、半分わかった程度じゃ満足し続けていられないせいで、すばらしく比類ない真実らしきものも見過ごすだろう、ということさ。これは本を何冊調べたって、ここで書くことにつきるだろうね。偉大な詩人なら、美的感覚がほかのすべての考えにまさり、さらには、すべての考えを跡形もなくしてしまう、ということだ
(一八一七年十二月二十一日)。

 なるほど、この手紙のキーツのメッセージはシンプルで直裁です。さきに紹介した、ふたつのメッセージと呼応していることも明らかです。
 キーツは、想像力の真実性について書いた手紙で「思考より感覚に生きる人生を」といっていました。筋が通った論理で理解できないものは真実とはいえない、ということなどなくて、むしろ想像力がとらえた美は、それそのものがいきなり真実なんだと主張していたのです。
 上の手紙でも、はっきりしないことや疑わしいことは、そのままにしておけばいい、というのです。美的感覚にまかせれば、受け入れたもののなかに、美という真実だけが残るから、ということではないでしょうか。

ネガティブ・ケイパビリティの積極性とは

 ただし「ネガティブ・ケイパビリティ」は、去私ですとか滅私ということは意味していないと思います。わたしははじめ、そういうふうに思って「則天去私」(夏目漱石)や「松のことは松に習え」(松尾芭蕉)など、表現においては我執を捨てましょうという文芸思想や、他力本願という仏教のキャッチフレーズなどから、日本人なら理解しやすいと思いこみました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」は、そういう意味ではありません。だいたい、己を捨ててなにかにつくなんて文脈になったら、たちまち気色わるいことになりそうです。日本人うんぬんは忘れてください。
 それより、上で紹介した手紙もいれて、この詩を読む手助けになったキーツの三つのメッセージを組み合わせてみます。キーツが絶対の確信を持っていたことを抜き出してつながりを見つけ、「ネガティブ・ケイパビリティ」を浮き上がらせようという作戦です。
 むろん手紙三つでは手薄ですし、わたしがキーワードにまちがった訳語(概念)をあてていたら悲惨なことになりますが、詩にも英文学にも英語にも素人の考えですので、ご容赦ください。a;想像力の手紙 b;魂創造の手紙 c;ネガティブ・ケイパビリティの手紙、です。

(1)心からの愛情──神聖とさえいえる(愛情は最高の状態のものだから) a
(2)情熱──美を作り出す(情熱は最高の状態のものだから) a
(3)想像力──真実をもたらす a
(4)美的感覚──すべてのよけいな考えにまさる c
(5)魂
  (その材料として、人間らしい心と、知的な精神) b

(1)から(4)まで、キーツのメッセージの軸になっているのは、すべて能動的で、とりわけ積極的な、意識の作用であることがわかります。
 そして、それらを機能させているのが(5)の「魂」に違いありません。
 魂というと、スタティックな存在に思いますが、キーツがいう「魂」とは、人間らしい心と知的な精神の相互浸透によって生成されていくものです。心といってもただの感情でない「人間らしい心」ですので(1)の「愛情」にもつながる心です。知的な精神のほうは(4)の美的感覚の基礎ともなる精神でしょう。そのふたつが世間の荒波に揉まれまくり、さんざん涙を流して作ったのが「魂」だというのです。ど根性ものみたいな話です。
 そんな「魂」は凡人にはそうそう持てませんが、「偉大な詩人」には備わっています。自分でそうはいっていませんが、もちろん「涙の谷」でいやというほど「魂創造」したキーツも持っています。そして、ことのはじめからいつでも来い状態になっている(1)から(4)に、力を発揮させるのです。

 キーツは「怠惰 indolence, laziness」という語をよくつかいますし、ほかの手紙で、詩人は主体性を消すべきだというように書いてもいるので、詩の表現と同じように迷わされそうですが、かれのネガティブ・ケイパビリティとは、自分という存在を放棄し、この世にかかわれないことに耐えて、幻想に漂おうじゃないか、という考えではありません。
 ほかの誰とも共有しえない、まったくオリジナルな魂をもち、その作用によって、自分の存在がわからなくなるほどの、無数の詩的創造力を持ちたいということなのです。キーツがほとんど絶対の帰依をしていて、あとに続くことを熱望してもいた、シェイクスピアのようにです。「無数の精神を持つ者」といわれ、ひとりの作家にはとても創造しえないような、あらゆる人間の様態や感情をリアルに舞台に出現させたことで、英国人が得た最高の存在と称賛された、かのシェイクスピアです。
 キーツが絶賛するシェイクスピアのその特異な能力は、プロダクション説のような俗説がいわれることからも理解できます。ゴーストライターといいますか複数の書き手がいて、シェイクスピアはスタッフワークをとりまとめる存在だった、というような想像がされるわけです。
 ちなみにシェイクスピアを「無数の精神を持つ者 The myriad-minded man」と表現し、われわれが得た最高の──と称えたのは、上の手紙でキーツがシェイクスピアを絶賛した直後にボロクソにいっている、コールリッジその人なのですが……。

【9/9】へつづく(ケ)

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*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
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2021年11月28日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(7/9)

■ファニー・ブローンとイザベラ・ジョーンズ

 寄り道はしないつもりでしたが、ちょっと休憩ということで、ファニー・ブローンのことを、お話ししておきましょう。
 キーツが熱愛した恋人で、婚約したけれど、ついに結ばれなかった女性です。キーツの五つ歳下で、キーツに告白されたときは十八歳でした。

 キーツが彼女にはじめて手紙を書き、「最愛のお嬢さん」「ぼくのかわいい人」と呼んだのち、かれの病が悪化し、イギリスでは冬が越せまいという医師のすすめでイタリアへ療養に行く別離の日まで、一年とすこしの間しかありません。さきに書いたように、キーツはロンドンに戻れずローマで亡くなっています。
 ブローンはキーツから受け取った手紙を保管しておいたので、ブローンが亡くなって十数年後、キーツの没後五十八年たって、それらは公刊され、のちに、英語で書かれたもっとも美しいラブレターとしてたいへん有名になります。キーツとブローンの短くもはかなく燃え≠ス純愛≠焉Aよく知られるようになりました。映画にもなっています。ブローンからキーツへの手紙はないので、ブローンの気持ちは、キーツが亡くなったのち彼女がキーツの妹とかわしたやりとりから推測するしかありませんが。

 キーツが書いたラブレターは、わずかしか読んでいないのですが、たいへん熱いものです。このブログではキーツの詩を「若い詩人のことば」で訳してきましたが、キーツのラブレターは、それ調で訳すのは気はずかしくなるほどです。
 それはともかく、キーツがブローンのことを思いつつイタリア行きの船中で書いた『Bright Star』(輝く星)は、愛の詩としてあまりに有名であり、最後の作品でもあるそうですから、キーツの詩を訳すなら『Bright Star』も訳したいと思っていました。
 それはできないまま、この『Grecian Urn』で訳は終わりになりました。というのも『Bright Star』を訳すとしたら、どれくらいキーツとブローンの姿を「浮き彫り」にすればいいか、ひどく迷ったからです。短い詩なのでよけいに。
 キーツは『Grecian Urn』を書く直前、ブローンにまだ告白してなかったようですが、どうあってもブローンと結婚したかったらしい。愛や性はロマンや寓話の世界へ置きかえて表現する詩人ですから、詩に直接、書いてあるはずはありませんが、『Grecian Urn』にブローンへの気持ちがあってもおかしくはありません。もしそうなら、この詩のはじめの still unravish'd bride of quietness に、やはりブローンのイメージがだぶっているのだろうか。
 そう考えはしましたが、そのつもりで『Grecian Urn』を訳しはしませんでした。「わからない」というしかないです。

 じつは、ジョン・キーツにおけるイザベラ・ジョーンズ問題、というのがあります。
 いや、わたしが勝手に問題化しました、すみません、キーツとファニー・ブローンの愛情に水をさす気はまったくないです。
 イザベラ・ジョーンズは、キーツよりかなり歳上の、資産も教養もある女性でした。未亡人であったらしいです。出会って親しくなったのはファニー・ブローンに出会う前で、いまならロンドンから南へ電車で二時間ほどの、海岸保養地です。
 ジョーンズに関する資料はほとんどなく、キーツも弟夫婦あての手紙にわずかに書いたきりらしいです。日本語の本や研究でもわずかにふれられる程度で、わたしのように「問題化」する例はないか、あったとしても例外でしょう。外国の本には彼女を大きく扱ったものがあるかもしれませんが、いずれにしても推測して書くしかないことです。

 リゾート地での歳上女性との出会いと交友とは、いかにも感があります。のちに偶然<鴻塔hンで再会をとげたりも──それもファニー・ブローンと出会う前のこと──しています。
 ドラマのような偶然の再会のとき、キーツはジョーンズの部屋まで行っていて──リゾートでの交友は、よほど親しいものだったわけです──本や楽器、絵画や像のある「とても趣味がいい空間だ a very tasty sort of place」なんていっています。
 キーツの友人を幾人か、この文にも書きましたが、詩作に具体的なヒントをもたらした女性ということになると、おとなの教養があって、キーツの版元と知りあいでもあったというジョーンズを、ブローンよりさきにあげるべきなのでは。ふたりの関係の深さはわからないけれども……というのが「イザベラ・ジョーンズ問題」です。もちろん一八一八年秋以降の愛のことばは、ブローンに対してのみ捧げられていたと思いますが……。

 ロンドンで偶然再会し、そのままジョーンズの私室まで行ったキーツは、彼女に以前のようにしようとしました。「以前は彼女と暖まりあいキスしていたように As I had warmed with her before and kissed her」。
 この話が書かれた手紙は、訳すのがむずかしいですが、そのときジョーンズは、手をにぎるだけにして帰ってくれたらそれがいちばん嬉しいのよ、とキーツにいったようです。お友だちでいましょうねってことだったのかな……それ以後、ジョーンズのことは手紙には出てこないらしい。
 弟とその妻あての手紙だからか「ぼくは彼女に性的欲望は感じない」と断言していますが「彼女はいつも、ぼくにとって謎でありつづけているんだ」ともキーツは書いています。
 キーツにとって永遠の謎であった歳上の女性とは……キーツの詩を、ブローンのことだと思って読んでいると、ひょっとしてそれはジョーンズであったり、もしくはジョーンズの「影」だったりするのかもしれません。遺作といっていいであろう『Bright Star』で、もっとも哀切に満ちて輝いている、この最後のつぶやきにおいて、さえも──。

 Pillow'd upon my fair love's ripening breast,
 To feel for ever its soft fall and swell,
 Awake for ever in a sweet unrest,
 Still, still to hear her tender-taken breath,
 And so live ever―or else swoon to death.

  ぼくの美しい恋人の熟れた胸に頭をあずけ,
  いつまでもその胸がやわらかにあがってはさがるのを感じ,
  不安に魅惑されながら 静かに、そのまま
  彼女のおだやかな息づかいを聞くため目ざめつづける
  そんなふうに、いつまでも生きていたい
  そうでないなら、消え入るように死んでいきたい



【8/9】へつづく(ケ)


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2021年11月27日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(6/9)

■第4節(2/2) ──小さな街の謎

 この世の中を、どう生きるか。

 しばらく前になぜかベストセラーになった、戦前の本を思い出しますが、ともかくキーツのメッセージを読んでみることにしましょう。
 ちなみに吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、一九三七(昭和十二)年。キーツの手紙は一八一九(文政二)年で『Ode on a Grecian Urn』を書く直前のものです(四月二十一日)。

 キーツは、この世の中では人は幸福になれるはずがない、と考えます。
 バラの花は、せっかく美しく咲いても、避けえない自然の脅威にさらされ不幸になります。世の中ができると同時に存在していた、どうにもならない不快さにさらされる人間が、バラより幸福になれるわけがない、と。
 そんな、きつい世の中を、ふつうの人は涙の谷≠ニよびます。ぐうぜん神の助けに合えば天国へ連れ出してもらえるにすぎない、悲しい場所だと。
 キーツは、そんな考えには反対です。涙あってこそ魂が作られるのであり、世の中は魂創造の谷≠ネんだ、といいます。
 キーツのいう「魂」とはなんでしょう。
 人間らしい心と、知的な精神とが、たがいに作用してできる、持ち主それぞれの人格や個性が加わったもの、それが魂です。
 心や知性(知的なひらめき)は、だれでも持つことができますが、そこから人それぞれの本質が輝く魂ができなけれがならない。そうなってこそ、人それぞれにとっての最大の幸福があるはずだとキーツは書いています。
 そして、その仕組みはキリスト教の神頼みより、もっとも偉大な救済の方法なんだとキーツは書きました。ここでは寄り道しませんが、わたしがキーツを追いかけるようになった理由のひとつが、この考えかたです。

 弟夫婦に出した手紙ですから、キーツは身近なたとえで説明してもいます。
 世の中は、小さい子どもに読みかたを教える学校です。
 心は、教科書です。
 読めるようになった子どもが、魂なのだといいます。
 キーツが強調するのは、心はかんたんな教科書ではない、ということです。痛みやトラブルでいっぱいの世の中こそ、魂をつくるためには、ぜったいに必要だ、というのです。
 世の中は、心があらゆる形で苦しめられる場所なのですが、人の人生がさまざまなように、魂はその人に固有のものとして作られなければならず、そのためには魂創造の谷≠ナある世の中で苦しむ経験が必要だというわけです。それが、キーツが選ぶ、この世の中の生きかたなのです。

 人びとが葬儀へと出はらい、人っ子ひとりいなくなった「小さい街 little town」。キーツはそれが「川べりなのか 海辺なのか それとも」「平和な砦がある山に囲まれているのか」と問いかけます。
 
 And, little town, thy streets for evermore
  Will silent be; and not a soul to tell
   Why thou art desolate, can e'er return.

 そんな,小さな街よ,その街路は永久に
  静まりかえったままだろう; もはや誰ひとり
   なぜ人が消えてしまったか 告げに戻っても来るまい


 古代の美神たちや、神々に祝された美しい人たち。
 かれらがくりひろげた美の祭典は、つまるところ幻のなかのものにすぎず、遠方でそれらを葬る葬儀が行われている、その葬列がやってくるのに気づくのが、この節なのだと解釈しました。ロマンの空想世界に躍動した人たちがすっかり消え去った「小さな街」は「この世」の写し絵でもあり、それゆえ涙の谷≠ネのです。「聞こえない unheard 音楽」は「まだ聞いていない、これから聞く unheard 音楽」と読みとっていましたが、「つぼ」に浮き彫りにされた「幸福な笛吹き happy melodist」が奏でてもいるその音楽は、じつは「この世」でいつも、危機を告げる警笛のように吹き鳴らされている「冷え冷えとした牧歌 Cold Pastoral」であり、「この世」から、それが聞こえてきていたのです。
 わたしたちは、その音に驚いて目ざめ、それぞれの涙の谷≠ノ、それぞれが、ひとりぼっちで取り残されていることに、はたと気づきます。気づかなければならないのです。

【7/9】へつづく(ケ)

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