2020年04月04日

日本という泥縄式システム (長い!)

 個人でも危機的状況になるとその人の本性が明らかになると言われているように、現在のような事実上のパンデミック状態に陥ると、国家レベルでもそれぞれのお国柄、社会文化的特徴が明らかにされるようで、こんな時勢に我ながら不謹慎(?)とは承知しつつも、極めて興味深く感じている。

 ニュースなどを通して伝え聞く限りでは、フランスの対応もドイツの対応も、イギリスの対応も、そしてアメリ合衆国の対応も、それぞれに印象的である。が、それらは所詮他所の国のこと、あまりわかった気になって話すこともできない。それに、何と言っても我らが日本国の対応が、単に自分の国というからだけではなく、真に興味深いものがあり、この数日、それこそコロナウイルスの悪夢に魘されながらも(根が小心者なので、いわゆるコロナ鬱どころの騒ぎでなく、胃は痛いし、肩こりは酷いし、仕事上のストレスも普段に輪をかけること甚だしいし、こんな調子では感染症に罹患する以前に健康を害しかねない……)、「日本という泥縄式システム」の功罪について思いを巡らしている。

 ずっと昔(二十代、いや十代後半?)から現代日本文化の最悪の欠点、欠陥は「非合理主義」「非理性主義」、否、単に「非」なだけではなく、半ば意図的に「反(アンチ)・理性主義」に認められると考えていた。つまり、日本の社会では理性的なものは疎んじられ、感性的なものが、さらには情緒的なもの(いわゆる浪花節的なもの)が好まれる。こちらの主張なり思いなりを何とか筋道立てて説明して、なるべく正しく伝えようと足りない頭を総動員して考えていると、「理屈っぽい」とか「くどい」の一言で斥けられてしまう。こちらとしてはできる限り論理的に話した方がお互いの時間と労力の節約になると信じているのに、相手の方は「端的に、簡単に言ってくれ」とか、「説明はいいから。早く結論を言え」とか、とにかくこちらの「くどい」説明が焦れったくてたまらないようだ。だから、もしも相手を説得しなければならないときは、理屈に頼るのではなく、情に訴える方がずっと賢明だと言われる。

 もちろん、情が理に勝るのは日本に限ったことではないのかもしれない。シーザーの亡骸を前にした古代ローマの市民たちが、理の人ブルータスの演説ではなく、情の人アントニーが行った、論理的正しさではなく感情に訴えた演説の方を信じたことは、シェイクスピアが鮮やかに描き出したとおりである。

 けれども、これは加藤周一のエッセイで読んだ話だが、東西冷戦の真っ只中に当時の日本社会党の政治家が核武装に邁進するフランスを訪れ、非核の必要性を訴えるために、フランスのジャーナリストたちを前に記者会見を開いた。加藤周一は日本側の通訳としてその場にいたわけだが、フランス人記者が「日本社会党が非核路線を取る理由、根拠は何か?」と質問したところ、「そんな当たり前の質問をするな!」と言わんばかりに顔を紅潮させた日本の政治家が「非核は日本の悲願です」と答え、通訳としてはその「悲願」の扱いに困り果てたらしい。

 加藤周一の解説によれば(これも遠い記憶に頼った話なので、眉に唾をして読んで下さい)、フランス人ジャーナリストとしては、非核政策に伴う、1)政治的メリット及び影響、2)社会経済的メリット及びその影響、3)文化的影響、などについて知りたかったにちがいないのに、当事者の口から聞けたことは「非核政策は唯一の被爆国である日本の悲願だ」とのこと。実際に加藤周一がどんな通訳をしたのかは、はたしてそこに書かれていたかどうかも今となっては記憶にないが、「どんな風に訳してみたところで、フランス人ジャーナリストには『悲願』で政策が決定されるなんていうことは理解不可能だったにちがいない」という旨の締めくくりであったように記憶には残っている。そして、現在のぼくもその加藤周一の結論にはひどく同意する。日本では政治も商売も情に訴えた方が賢明とされ、事実、情(実)によって政治も経済も運営されている。欧米から見れば、日本はとんだ未開社会であることだろう。

 ……
 以上のようにずっと思っていた。しかし、現在進行中の新感染症対策の混乱振りを目の当たりにしていると、日本社会、日本文化を特徴づける真の要因は、反理性主義、浪花節的仲間主義というよりも、これらの特徴よりももっとずっと根深いところで、つまりは「場当たり主義」「その場しのぎ主義」「出たとこ勝負主義」「なるようにしかならない主義」とでも名付けたくなるような傾向が明らかであるように思えてきた。

 先にも書いたことだけれど、日本政府の対コロナウイルス感染症対策は、まあ言ってみれば、滅茶苦茶だ。未曾有(自民党政権下でのこの熟語の「正しい」読みはミゾユウ!)の事態ゆえに、福島の原発事故のときと同じで、誰であっても右往左往するのが当然であるし、実際、イタリアを筆頭にヨーロッパの各国も相当に慌てふためいている。が、日本政府の滅茶苦茶振りは頭一つ分、胴体一つ分では効かないくらい抜きん出いている。文字通りに抜群だ。「各家庭に布マスク2枚」に至っては、このコロナウイルスの犠牲になってしまった志村けんも真っ青な、切れ味抜群のギャグだ。そして、感染者の数が急上昇しつつあるこの4月に、先に朝令暮改で閉鎖した小中学校を再開しようとすることも、そのちぐはぐさが何とも言えない。今では厚労省なんて見事に空気になっている。本当に恐ろしいほど使い物にならない行政府であると断言できる。

 しかし、問題は政府の無能さではなく、「これが日本だったんだ!」という再発見である。治療薬がない、そして致死率も定かではない感染症が明らかに拡大しつつあるときに、少なからずの日本人が花見や買い物を楽しみ、換気の悪い密室空間は危険だと再三言われても、それでもなおクラブやパチンコ屋通いを止めようとはしない。健全と言えば健全、脳天気と言えば脳天気、無責任と言えば無責任、ド阿呆と言えばド阿呆。しかし、どうやら彼ら(我ら?)は、深刻な危機に直面したときには、このやり方しか知らないのではないだろうか?

 事の良し悪しは別にして、今回のパンデミックに対して西欧諸国は「戦争メタフォー」を用いている。つまり、これは人類とウイルスとの戦いであり、たとえいかに強力かつ凶悪な敵であっても、人類は勝利を収める必要がある、そのためには云々、という次第だ。中でも印象的だったのは、フランス大統領が外出禁止を守らない国民に苛立つ様子と、イギリス首相が普段の彼とは見違えるほどに真面目かつ深刻な様子で国民向けに厳粛な演説をしたことだ。両者とも正に戦時緊急事態のような対応だった。特にジョンソンのTV演説は、アジャンクールの戦いを前にしたヘンリー5世の有名な演説(といっても、これもまたシェイクスピア経由で知っているだけだが)を思い出させるほどのものだった。(個人的には、あのイギリスの道化を少し見直した。アメリカの道化とは知能程度が少々違うようだ。)

 一方、我らが日本では、この感染症に対して用いられている比喩の基本は台風とか地震に代表される自然災害だ。それで途端に腑に落ちた。日本では台風と地震こそが危機の雛型であって、戦争でさえもが一種の自然災害のように受け止められたのではなかっただろうか! 少なからずの日本人が、半ば無意識的に、原発事故を政策上の、管理運営上の痛恨のミスとは思わずに、これまた一種の自然災害として受け止めていることは言うまでもない。「仕方ないよね、仕方なかったよね。過ぎたことだから、アレコレ言ってもしようがないし」と。

 深刻な危機が台風や地震のバリエーションとして理解されるのであれば、危機管理の方策は最初から決まっている。基本的には「過ぎ去るのを大人しく待つ」に限る。そして、台風も地震もこの島国にあっては頻繁に来襲し、誰もがすっかり馴染みになっているとはいえ、事が実際に起きてしまうまでは、本当の被害の大きさは誰にも見当がつかない。それで、いつも「後の祭り」が繰り返されるわけだ。そして、大災害が実際に起きてしまえば、その最中はただじっと堪え忍ぶことしかできず、過ぎ去った後は手近なところから、各自が思いつくまま、ほぼ自発的に、ほとんど手作業のような(そういえば、かつて東海村の原発で汚染水が溢れるという、当時としては――つまり、福島の超メガトン級事故が起きる以前では――かなり深刻な事故が発生したとき、その放射能汚染水を手作業で柄杓とバケツで掬うという、凄いこともありました!)復興作業を粛々と、あるいは快活に始めるだけだ。あー、きっとこうやってあの悲惨な戦争も堪え忍んできたわけだろうし、現在の対ウイルス「戦争」も堪え忍ぶだけなんだろう……

 けれども、この「場当たり主義」、実際に事が起きるまでは何もせず、事が起きてからは、まるで卑弥呼のお祓いのような対策(マスク2枚も本当に凄いけど、福島の原発事故で深刻な水漏れが止まらなかったときに、おにぎりと大鋸屑を使って漏水を止めようとしたというのにも大いに驚愕した)を採るという、奇抜とさえ言えそうなこの著しく奇妙で不思議な習性――これが意外にもこの国と社会を支えているような気さえしてきた。少なくとも事実として、この国はこうやって今日まで生きながらえてきたわけだし。

 コロナ禍に苦しむ欧米からは「日本パラドクス」とも言われているらしいが、なぜ日本はこんなに無策な政府が指導しているにもかかわらず新感染症の被害が少ないのか? 数の隠蔽工作かもしれないし、検査数の少なさのせいかもしれないし、単に時機がずれているだけかもしれないが、市民一人一人が勝手に、それぞれに、出来るところから(たとえそれが半ば迷信のような馬鹿げたことであったとしても)「B29に竹槍で立ち向かう」と揶揄されようとも、真摯に健気に、あるいはいい加減に、各々独自の対策を実践していることも多少は関係しているのではなかろうか……

 いずれにしても、一方ではほとんど全ての社交を断念し、仕方なく外出するときにはお手製のマスクを装着し、知人と道で出会っても言葉も交わさずに自宅に戻ってからSNSで連絡を取るといった、出来る限りの「自粛」を推進する人々がいて、他方にはいまだに夜ごと遊び呆け、花見も楽しみ、往来でマスクもつけずに大声で喚いている人々がいる、この現在の混乱、これこそが日本文化のDNAのような気がしてならない。それがイヤだとなると、選択肢としては戦時中のような強権による圧政か、あるいは幕末の「ええじゃないか」的狂騒しか残されてないのではなかろうか。天然痘が恐れられていた江戸時代の市中でも、感染拡大時には家の中にひっそりと閉じこもっている人々がいた一方、桜吹雪の中で浮かれ、そればかりか吉原や岡場所での遊びを止め(られ)ない人々が少なからずいたことだろう。そして庶民はいつの世も「お上」には何の期待もしてこなったのだろう。お上のすることは税の召し上げと、泥縄式の対策。そして、庶民の多くは、そんな無能なお上に対して嘲笑はするものの、それ以上の反抗を示すことはまずない。そして、こう呟く、「なるようにしかならない」。かつてない、ということは、少なくとも自分では体験していない、そのような危機を想像する能力が、おそらく日本文化には決定的に欠けているのだろう。だから、日本神話は天国も地獄も十分に描き出すことができなかった。(というか、その必要を感じなかったと言う方が正確かもしれない。)欧米社会は、起こり得べき禍々しい可能性をアレコレと想像し、真剣に怯えている。一方、この国では……

 願わくば、このパンデミックが超強力台風のように、じっと我慢していれば、相当な被害は引き起こすにしても、ともかく過ぎ去ってくれる、このいかにもあり得なさそうなシナリオが実現するか、あるいは、かつての神風のように、内外の研究者たちが特効薬を開発してくれるか、つまりは、日本型泥縄式システムで持ち堪えられますように! そんなことにでもならない限りは、先の大震災を凌駕するとてつもない事態(単に疾病による被害だけではなく、その後の社会経済的被害も甚大なものになるだろう)が出来してしまうのではないかと、心底恐れている。(H.H.)

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(本文とは無関係です;何もないと寂しいかと思って……)
posted by 冬の夢 at 14:14 | Comment(2) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年04月03日

Candi Staton − Young Hearts Run Free 元気が出る曲のことを書こう[48]

 いつも心のなかで、なんの曲か思い出せないメロディやリズムの切れはしが鳴っている。
 気持ちがふさぐとき、そのうちのひとつが、ボリュームアップする。
 どこで聴いた曲だろうと思いながら、心の耳を傾ける。

       ♪

 この曲かと偶然わかったものが、またひとつ。
 いまはあまり聴かないジャンルだ。初めて題名や歌手を知り、歌詞を見ながら聴いている。
 明朗なディスコヒットソングなのに、こんな状況(二〇二〇年四月初旬)のせいばかりでもないが、しみじみ聴いている。

What's the sense in sharing this one and only life
Ending up just another lost and lonely wife
You count up the years
And they will be filled with tears

 どういうつもりなの あなたの分の一度きりの人生を
 負け組のさびしい主婦の仲間入りで終わっちゃうなんて
 あなたは年月を数えるだけになり
 その年月は涙で満ちてしまうのよ

Love only breaks up to start over again
You'll get the babies
But you won't have your man
While he is busy loving every woman that he can, uh-huh
 
 愛なんて壊れては始まりの繰り返しよ
 赤ちゃんはあなたのものかもしれない
 でも男をつなぎとめることはムリね
 そいつは手当たりしだい女に手を出すのに忙しいんだもの
 
Say I'm gonna leave
A hundred times a day
It's easier said than done
When you just can't break away
(Just can't break away)

 出て行くわよっていいましょう
 日に百回でもよ
 できなくても、いうことはできる
 できないわと思うたびに いいましょう

Oh, young hearts run free
They'll never be hung up
Hung up like my man and me
My man and me

 オ〜若い心たちは自由に走るの
 絶対にあきらめないのよ
 私と彼氏の場合のようにあきらめないの
 私と彼氏のときのようには
 
Ooh, young hearts
To yourself be true
Don't be no fool when love really don't love you
Don't love you

 ウ〜若い心たち
 自分にウソをつかないで
 バカのままでいないで
 愛がほんものじゃなかったときには
 愛されてないときには

(以下略)

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Young Hearts Run Free 1976

 キャンディ・ステイトンは、一九四〇年、アメリカのアラバマ州生まれ。テネシー州ナッシュヴィルで姉と学校に行ったとき、教会で歌った声がすばらしかったので、姉も加わったゴスペル・トリオを結成、一九五〇年代から各地で歌った。
 ライブツアーなどというしゃれた状況ではなかった。人種隔離の時代だ。演奏できる地域も場所も限られ──「チットリン・サーキット Chitlin' Circuit (『豚腸』にちなむ)」といわれた所を巡演する──ひどい扱いも受けたそうだ。
 もちろん、そうとうなタフネスも身につけたに違いない。たとえば、ステイトンは透明系の声だったのに悪い環境で喉がつぶれ、ざらっとした声になったそうだ。が、おかげで自分のサウンドが持てたのと、むしろ喜んだのだった。

 一九六〇年代末にはソロでレコード契約をとり、ソウル歌手となってヒット曲を出す。一九七〇年代半ばには、ワーナー・ブラザーズと契約するが、おりからのディスコ・ブームでワーナーはディスコミュージック専門部門を開設、そこからもヒットを出し、ディスコの女王とよばれた。
 ちなみにディスコの女王とは、二〇一二年に亡くなったドナ・サマーのことをいうのかもしれないが、ステイトンはサマーのひと世代うえで、アリサ・フランクリンと同世代。どちらも歌のルーツにゴスペルがある。
 なにがいいたいかというと、貫禄があるといいたいのだが、この曲を歌ったころのステイトンは、キュートでカワイイ! 女王様ではなく、通りの向かいのバス停から合図している高校生のような笑顔がいい。
 で、いまは、そりゃまあ、おバアちゃんになっているわけだが、キュートで磊落な感じはまったくそのままだ。しかも確認できる限り、数年前にもライブをやっている。この曲を、客をノセまくって歌った。

       ♪

 一九七六年に発売されると、ビルボードのソウルシングルチャートで一位、トップ100でも二〇位と、この曲でステイトンは全米全英級の知名度を得たが、ディスコソングとして作られたとは知らなかったそうだ。

 そしてこの曲は、彼女に二つの大きな転換点を、もたらした。
 ひとつはもちろん、ディスコの人気歌手になり、チットリン・サーキットではなく、彼女のいう「ビューティフルな」世界に行けたこと。
 それから、それまで歌わされていたメソメソした哀願調の曲──当時、女性歌手が歌うのは、そのての曲と相場が決まっていた──でなく、同じ女性にむけて強いメッセージを発する曲で有名になれたことだ。
 
 ディスコはね、ただ音楽だけ、ただダンスだけ、ではないのよ。
 すばらしい音楽とダンスに包まれた、メッセージなの。
 歌詞のすべてが、本のように、ストーリーを伝えているの。


 この曲は実話で、当時の彼女のことだ。
 かつては黒人女性歌手によくあったことだといっているが、詐欺師のヒモと結婚していて、麻薬づけにされていた。子どもがあったので逃げられなかったという。
 作曲・制作のディヴィッド・クロフォードが、彼女の近況を曲にしようと提案したとき、ステイトンは悲惨な状況と、それを断ち切りたいと思っていることを伝えた。
 
 意識して作曲されたかどうかは不明だが、この曲のいいところは、極端な音のジャンプや、激しすぎるリズムの爆発音がなく、同じ動きのメロディが音程を変えて繰り返されることだ。歌詞がじゅんじゅんと届くのがいい。
 コーラスの「Oh, young hearts run free」も絶叫調まで音程を上げず、しっかり歌い込まれるので、かえって盛り上がる。
 昔のディスコの曲ってこんな感じでしょ、といわれたら、反論はないですが。

       ♪

「ビューティフルな」世界は、ステイトンに、さらなるターニングポイントをもたらした。
 麻薬から抜けられず、飲酒の問題もかかえたステイトンは──。
 
 自分がどこから来たのか、考え直したわ。
 そして、教会に戻った。
 聖書を読んで、人生を正すことにしたの。
 もう「サーキット」はなしよ、って。
 だから、ゴスペルを歌い、ゴスペルの曲を作ることにしたのよ。


 かくして、ステイトンはふたたびゴスペルを歌い、曲も作り、メッセージの伝道者として、以後の活動を続けた。

      ♪

 ということで、この文は終わりにしてもいいけれど、さっき、近年もライブをやって、この曲を歌ったと書いたばかりだ。教会が本業で、ディスコは余技ということだろうか。

 この点は、英紙「ザ・ガーディアン」の取材で、ふたつのジャンルがぶつかり合ったりしないですか、と聞かれていて、ステイトンの答えがとてもわかりやすいので、長文になりすぎるけれど、紹介しておこう。

 ゴスペルは垂直に歌うもの。
 ディスコは水平に歌うもの。


 なのだそうだ。
 似ているけれど違うものよ、といっている。

 ディスコソング、たとえばこの「Young Hearts Run Free」なら、歌詞の一句ごとに映像を思い浮かべて歌うそうだ。この曲だと、家庭内暴力を受けたりしている自分の姿を思い描いて。
 出来事の映像が浮かぶように歌うことで聴く側に感情が届く。また聴衆の反応が映像を引き出してくれるので、同じ曲を何度歌っても違うフィーリングで歌えるという。
 だからディスコの曲は聴衆の目を見て、つまり「水平に」歌うのだそうだ。
 
 いっぽうゴスペルは、セールスも、自分がスターかどうかも、まして人がどう思うかなんて関係ないわね、と説明する。
 自分の内面からわきおこる賛美を、ただ上に向かって、つまり垂直に歌う。それがゴスペルなのだと。

 そして、ふたつの音楽の関係については、こんなふうに話していた。
 人には、スピリチュアルな面と、エンタテインメントの面があるのよ、と。
 神さまの部屋から、ディスコに行く、それって楽しいでしょ! とも。
 人生の部分では、もちろん傷つくこともあるが、つらいことが何もない、神さまとストレートに結びつける面もあるわけだから、と。
 そして、mind, soul, spirit は、ひとつのものなのよ、とステイトンはいう。
 その三つに、いい日本語訳をあてはめて説明できたら、と思うが、それはわたしにはとてもむずかしい。

       ♪

 わたしはキリスト教を受けいれていない。
 そのほかの、垂直に上に向かって歌う対象も、まったく持っていない。

 記憶の断片が「Young Hearts Run Free」という曲だとわかり、人を元気づける──つらい女性たちだけでなく──曲だと知って、うれしかったという話だけにして、曲が判明したいきさつを書けばよかったけれど、このような文になった。
 書きはじめたときは、外出はやめるので運動不足になるから、この曲をBGMに体操でもするか、と思っていた。
 ここまで書いたら、最後の最後に、こう思った。
 もし感染し、死んでしまうかもしれないとなったら、なにかに祈ったりするのだろうかと。(ケ)

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UNSTOPPABLE 2018


■【参考】
「ザ・ガーディアン」二〇一五年六月三〇日、二〇一八年一月一日
「ザ・ガーディアン」によるインタビュー動画
「ローリング・ストーン」二〇一九年七月九日

■キャンディ・ステイトンは二〇一八年秋、がん告知を受けたことを公表。昨年七月、放射線治療と化学療法で克服したことを発表している。

posted by 冬の夢 at 23:52 | Comment(0) | 音楽 映画音楽・ソウルなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年04月02日

散歩と観察と運動不足

 運動しなくちゃならないけれど、スポーツ音痴だから、せめて散歩を続けている──という書き出しで、近所の様子を書いてきた。
 しかし、四月に入った東京では、散歩も、ままならなくなるかもしれない。

 繁華街には行かず、電車・バスの利用も控え、居宅から徒歩で回れる範囲だけ。茶見世での休憩もやめ、人が少ない道を選んで歩く。
 前に書いた文で、一度の散歩で複数の区を踏破するように読める部分があり、驚く人がいたが、「しっかり歩き」が必要だから、ある程度は距離を歩くことと、東京の地図を見ていただくと、区や市の境が複雑で、宅地を少し歩くだけで二つ三つの区や市を通り抜けてしまう地域が案外ある。たまたま、そういう所に住んでいる。

 集団感染が起きやすいとされる環境には縁がない。
 人と会うことが主だった仕事はとうにやめ、通勤もない。
 といっても、まったく人と接さずに暮らすことはできないし、対面での用事が思ったより手間どり、「濃厚接触」になる可能性もある。

 文にすると、心配で夜も眠れないような感じになるが、分秒もおかず不安がってはいない。人づき合いが苦手でも孤独ではない、という幸福をもらってきたので、ほかの人を過剰に怯えさせる文にはしたくない。
 危機感は、ひと一倍持っていると思うけれど、感染したら、死ぬ可能性が低くないことは了解している。「運動しなくちゃならない病気」──かくすこともないですが──や、過去の病歴、年齢などから。
 ならば、諦念と平常心で生きているかというと、そんな達観はムリだ(笑)。
 この気持ちを、うまく書くのはむずかしい。なんとなく怯えながら生きている、だろうか。

       ♪

 三〇〜四〇世帯ほどの低層集合住宅に住んでいる。部屋にいる時間が長いと、さまざまな音が、居住者たちの暮らしを伝えることに気づく。

 ドスンバタンという音が以前より激しくなった気がするのは、自宅待機世帯が多いので、この機会にと片付けや模様替えをするのか、それとも子どもの室内遊びか、などと想像していたら、引っ越していく世帯もあるのを知った。
 知り合いの管理のオバチャンと、居住者の会話が、よく聞こえてくる。オバチャンは、わたしには、居住者の公共マナーの悪さを訴えることもあるが、入居者の誰に会っても、無難な話題に終始しているようだ。
 各階の通路や駐車場は、子どもの遊び場になっている。早朝からだと辛いが、しかたない。
 早朝といえば、高い靴音を響かせる出勤の人たち。
 ヒールを鳴らす音などは、かねてから苦情が出ていたが、出勤自粛要請のためか、このところ止まっていた。それが、四月のせいか早朝の靴音は再開している。ガッガッガッという音が、飛び起きてしまうほどひどくなった。自宅作業が許されない仕事の人たちが、不安と怒りを朝の歩みにこめているのだろうか。

       ♪

 こんなふうに、「観察」は「聴察」になった。
 もっと繊細に聴く力があり、筆力もあったら、尾崎一雄(一八九九〜一九八三)のリスニング版みたいな文が書けて、尾崎みたいに病床に伏すことになっても、がまんできるかも、と思いもしたが、過敏なだけで繊細じゃないし、筆力もない。それどころか、感染し死ぬことになったら、あっという間に、誰にも会えずに死んでしまう。
 見て歩くことは自粛、感染すると味覚や嗅覚もおかしくなるとしたら、あの、後味がとても悪かった映画、『パーフェクト・センス』(Perfect Sense; 2011・英)を、つい思い出す。押しのけていた憂鬱が、またカマ首をもたげる。

 さらにそこへ、メドゥーサの呪いのように飛んできたのは、二次健康被害というものだ。
 外出自粛で運動不足になり、生活習慣病になったり、もともとそうである人は悪化するそうだ。そういう「警告」が、専門家筋から出ている。
 そんなことは言われなくてもイヤというほどわかっているわけで、したり顔で解説している専門家とやらには、ウンザリしてくる。

 そういいながらも、自分のことも、いま一度ふり返ってみる。
 自分が観察できたことだけを淡々と書いておく、といいながら、つい不安をあおったり、イカサマ予言師みたいなことを書いていないかと。
 四月一日、エイプリル・フールに、デマを流すぞと意気込んでいるアホがおおぜいいるという話を聞きつけていたが、それもまたデマだったのだろうか。それとも、さまざまな虚報が飛び交ったのだろうか。(ケ)

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「貴婦人と一角獣」から「聴覚」
Sound late 15th century
public domain



※二〇二〇年四月三日、わずかに直しました。文意は同じです。
posted by 冬の夢 at 14:01 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月28日

Michael Johnson − This Night Won't Last Forever 元気が出る曲のことを書こう[47]

 心のあちこちに、さまざまなメロディの切れはしが残っている。
 いい曲だった、と記憶は告げるが、どういう曲かは思い出せない。
 でも、おりにつけ、ふとよみがえる。
 ぜんぶつなげると名曲になりそうだが、それじゃ「作曲」じゃなく「盗作」だ。

 最近、偶然わかった曲が、またひとつ。
 近年は、あまり聴かないジャンルだし、いま(二〇二〇年三月下旬)こんな事態になっているせいでは、かならずしもないが、身にしみた。ハミングしたくなる。
 最初にレコードになったバンド演奏でなく、ギターの弾き語りに近い小編成で再録した版を、たまたま聴いた。その身近さが、よかったのだと思う。

Everybody likes a celebration
Happy music and conversation
But I'd be lyin' if I said, I didn't have the blues
In the corner there's a couple dancin'
From the kitchen I can hear her laughin'
Oh, I wish, I was celebratin' too

 誰だって祝いごとは好きだよね
 楽しい音楽と会話がさ
 でも もしぼくが落ち込んでなんかないよっていったら
 それはウソになる
 部屋のすみでカップルが踊っていて
 キッチンから彼女が笑っているのが聞こえる
 ああ ぼくもいっしょにお祝いができたらな

I know this night won't last forever
I know the sun's gonna shine sometime
I need some hope for a bright tomorrow
To show this heart is gonna mend just fine ★

 わかってる こんな夜が永遠に続くなんて けっしてない
 わかってる 太陽はいつか輝くことを
 明るい明日への希望がちょっとほしいんだよ
 この心が立ち直っていると知らせてくれるね

So pardon me for my disposition
Wish, I didn't have to sit and listen
She's playin' the same old songs on the stereo
She's been lyin' since the day I met her
I'd be better off to just forget her
Oh, I would rather be lonesome or go

 こんな性格のぼくを 許してもらいたいな
 こんなふうに坐らされ聞かされたくはなかったんだ
 彼女がステレオで昔と同じ曲をかけているのを
 会ったその日から 彼女はぼくに嘘をいっていた
 彼女を忘れるため ここからいなくなったほうがいいんだ
 ああ ひとりになるか 出て行くかしたいよ

repeat ★

Such a ridiculous situation
Pretending there's nothing wrong
She's comin' on with the invitation
I wonder, who is takin' her home

 このばかげたシチュエーションときたらね
 なにもおかしいことはないふりをしてさ
 彼女は招待されて来たわけだろ
 いったい誰が彼女をつれてきたんだろう

repeat ★


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Dialogue 1979

 マイケル・ジョンソン。
 一九四四年、アメリカ・コロラド州の田舎町生まれで、同州のデンヴァー育ち。大学で音楽を学んでいたとき、コンテストで優勝したのをきっかけに、本格的に演奏活動をはじめた。
 フォーク・トリオへの参加にはじまり、一九七〇年代にはソフト・ロック、いまでいうアダルト・コンテンポラリーのシンガーとして、ヒット曲を出した。一九八〇年代にはレコード会社移籍をきっかけにカントリー・ミュージックへシフト、そのジャンルでまたヒットする。トップスターというわけではないが、長く活動してきた人だ。
 日本ではAORに分類されて、一九七〇年代の盤がマニアックに聴かれているらしいが、アメリカでは、AORという区切りがないし、カントリーのヒット曲があるから、もっとひろく知られている人かと思う。
 若いころは、いかにも白人中流層にウケそうな、素朴な好青年ふうのルックスで、トップテンヒットも出していたので、テレビの人気者になってもおかしくなかったが、プロダクションを縮小し制作も兼ねるようになり、バンド演奏でヒットした曲も、ギターの弾き語りスタイルに変えてライブ活動を続けた。

 余談だが、テレビでも人気の歌手といえば、最初のフォーク・トリオに、有名になる前のジョン・デンヴァーがいた。
 ジョンソンによると、デンヴァーはなにごとも自分でするタイプで、スタイルやステージのやりかたなど、演出はみな自前だったそうだ。ジョン・デンヴァーといえば、あの丸メガネだが、あれも演出で、デンヴァーが買いに行くのにジョンソンはつき合ったとか。
 当時まだアマチュアが多かった現場で、アマチュアを抑圧せずプロとして演奏活動をするやりかた、そのためのコミュニケーション術は、デンヴァーから学んだという。しかしデンヴァーは、田舎出の気さくなお兄さんというイメージとは違い、かならずしも親しみやすい人ではなかったそうだ。

       ♪

 いわば「アンプラグド」版の「This Night Won't Last Forever」は、一九九七年の『Then & Now』で、再演されている。ベタなカントリー・アンド・ウエスタン調でないところがいい。クラシックギターだろうか。柔らかい伴奏が気持ちいい。
 けっして突出した個性がある歌いかたではなく、絶唱派でもないけれど、歌も弦も、おだやかなミドルレンジで鳴っている。それがむしろ、曲の輪郭をきっちりと描く。

 ひとりで弾いて歌っている近年のライブを見ると、かつての好青年の姿はさすがに見当たらないが、カドの丸い親しみやすい歌声は変わらず、なによりギターひとつでする伴奏がいい。
 楽器の構えかたや美しい運指、クラシックギターをよく使うのを見て、もしやと思い調べると、本格的に音楽活動をする前に、一年ほどスペインのバルセロナでクラシックギターを習っている。
 音楽教育を受けているからいい、というのではなくて。
 ジョンソンはフォークやカントリーの弾きかた、つまり譜面でなくコード(和音)に対応した基本フォーム(押さえかた)で弾いているし、譜面を追うのでなくリズムで弾いている。
 そのかわり、お決まりのフォームだけをジャカジャカ鳴らすのではなく、クラシックのギター曲にもよくある、和音の美しい動きを感じさせる運指も使う。それが曲にぴったりだ。

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Then & Now 1997

 この曲に、なぜ聴きおぼえがあるかは、どうしてもわからなかった。
 曲を作ったのは、やはり日本ではAORに分類されているビル・ラバウンティで、自演のレコードも出している。
 意外なことに、作者のラバウンティもカヴァーしたジョンソンも、似た編曲で録音しているが、ヒットしたのはジョンソンのほうだった。
 それはともかく、どちらの版も当時、聴いた記憶は浮かんでこない。

 ということにしておけばよかったが、つい調べを重ねたところ、ラバウンティの演奏が、一九九〇年ごろ、日本の「トレンディ・ドラマ」のBGMに採用されたことがあるそうだ。それを何かのおりに耳にしたのだろうか。
 フジテレビジョンの番組で、いまテレビをよく見る人には想像できないかもしれないが、同局が、お笑いと「トレンディ」で破竹の勢いだったころのことだ。
 あの当時、なぜ社名をコールサインでいうのか「シーエックス」「シーエックス」とうっとうしく、不快なことまで思い出しそうだ。これ以上調べると曲までキライになるかもしれないから、やめよう。
 ちなみに「トレンディ・ドラマ」は、見たことがないとはいわないが、通して見たシリーズはひとつもない。

 テレビ番組の話題で時代感覚を共有したり世代確認をしたり、ということがある。呑み会とかでね。
 このブログでも、昔の放送やCMのことも書かれている。
 わたしは長い間、テレビを積極的に見たことがあまりないし、ここ六、七年はテレビを持ってさえいない。だから、テレビのニュースの話題をすることもむずかしい。しかし、実害を感じたことはあまりない。

       ♪

 歌詞を訳していたら、やや困ったことに気がついた。
 オリジナルのビル・ラバウンティ版と、このマイケル・ジョンソン版では、歌詞が若干違う。
 場面設定やストーリーはほぼ同じだが、オリジナル歌詞は一般論、つまり、にぎやかな場にとけこめない、ネクラな性格の主人公が、明るい気持ちを取り戻していく歌だ。

 このジョンソン版、歌詞をきちんと聞き取れないままに、そういう歌だと思い込んだ。
 が、ジョンソン版の歌詞をあらためて見ると、オリジナル歌詞にはない「元カノ」が描かれている。
 パーティに呼ばれてきたら、なんと元カノがいた、って設定よね、この歌詞。
 それじゃ誰だって、キマリが悪いというか、いたたまれない、でしょう!
 となると、題名にもなっているBメロの「I know this night won't last forever」が、おさまりづらいというか、せっかくのこの部分が、安っぽい感じになりませんか? ベタにセンチメンタルなカントリー・ミュージックでない感じの演奏で、いいと思ったのに……。

 くそ、こうなったらジョンソンのギターを練習して、ラバウンティのオリジナル歌詞で自分で歌うか(笑)と思ったが、困ったことにラバウンティの歌詞にも、ちょっとひっかかる部分がある。

Suddenly, a strange vibration
From my head to my toes
Filling me with a warm sensation
Somebody's letting me know, yeah

 とつぜん、えたいの知れない震えが
 ぼくの脳天から足先まできた
 あたたかな歓喜でぼくを満たしたんだ
 ある人がぼくにわからせてくれてるんだ、いえぃ


 この部分は、ジョンソン版ではカットされている。
 わたしにも、おさまりがよくない。唐突だし、ちょっと怖い気さえする。

       ♪

 わたしは、この歌の主人公のように、社交的でなく、わいわいにぎやかな場が苦手な性格。
 勤務していたころは、業務関連の宴会や会合では陽気なお調子者に変身する技が身についた。
 そういう席の帰途は、演技を忘れて本来の自分に戻ろうと、たいていべつの呑み屋に立ち寄り、深更さらに飲酒を重ねていた。

 おかげでいま、基礎疾病はあるわ、トシはくっているわ。感染症が重症化した病歴などもあり、日々なんとなく怯えていなければならない。
 マイケル・ジョンソンの「This Night Won't Last Forever」を、いま一度、回してみた。歌われているストーリーには、ちょっとひっかかってしまったわけだけれど、それでもやっぱり、身にしみた。(ケ)

Michael Johnson 1944/08/08 - 2017/07/25,


公式HPのプロフィール、ディスコグラフィー
米マサチューセッツ州、ミルトン・アート・センターによるインタビュー
を参考にしました。
posted by 冬の夢 at 11:43 | Comment(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月26日

散歩とスパゲティと「いつも通りの」桜

 運動しなければならないが、スポーツは苦手。せめて散歩を。
 昨今は、繁華街は避け、公共交通で郊外へ行くのもやめ、近所の回遊だけに。東京都大田区、世田谷区、目黒区など……。

 昨三月二十五日夜、都知事が会見。
 現状を「感染爆発の重大局面」とし、平日はできるだけ自宅仕事し、夜間外出を控え、この三月第四週末は「お急ぎでない外出はぜひとも控えていただくように、お願いを申し上げます」と述べた。

       ♪

 そのことには、驚いていない。

 きのうまで驚いていたことは、近所を散歩すると、平日の日中から公園や駅商店街、宅地の細道など、やたらに人が多かったことだ。
 繁華街にはめったに行かなかったが、たまたまなのか、こちらも人の姿がない光景は知らない。平日も以前の週末より混んでいる気がした。
 
 日本は、感染検査を受けにくくして、医療関連機関の過剰な混雑や院内感染を防ぎ、重症感染者への医療を確保しようとする策で、ここまで来ている。
 賛否はあると思うが、重態の人をできる限り死なせないようにという選択なら、わたしにはありがたい。

 ただ、必然的に発表感染者数は少なめになるので、世界の主要都市よりずっと安全じゃん! という印象をもった人たちが往来を重ねると、感染が急拡大しかねない。症状の重い人も急増すると、医療が及ばなくなる事態がいきなり生じる可能性がある。説明するまでもないですよね。
 つまり「お願い」はとくに、子どもや若年層、さらに年齢をとわず健康や活力に自信のある、つねづねアクティブに行動している人たちに対して、なのだ。
 都なり政府なりが、近々に直接のメッセージを出すだろう。もう出ているのかな。
 そして、それはわたしからの「お願い」でもある。

       ♪

 ここまでを、最後の散歩報告にしようと思ったけれど、つぎのような意見がけっこう多いと知り──伝聞したもので、じかに聞いたわけではない──都知事会見の翌日のきょう、近所で見聞したことを、すこしつけ足しておこうと思った。

 意見とは、都民全員が外出自粛なんて、そんなことがいつまでやれると思っているのか、出かけると感染するのが怖い人が外出自粛すればよい、というものだ。
 こういうことを聞くと、これまでは「新婚さんいらっしゃい!」の桂三枝みたいに椅子ごとコケそうになっていたが、あきらめが先立つようになった。そういうことをいう人もいるでしょうね、と。

 意見の背景には、誰もが感染し抗体を持てばよいとか、死ぬのは高齢者や持病がある人がほとんどなら、それはしかたない、というような、すこし前まで流通していた──これからもだろうか──考えがあるのだろう。
 都知事会見に同席した国立感染症センター長の警告は、放送映像をなるべく略さず書き写すと、
「この病気の怖さというのは(略)八割の人は本当に軽いんです。(略)ただ、残りの二割の人は確実に入院が必要で、で、全体の五パーセントのかたは集中治療室にはいらないと助けられない。しかも僕は現場で患者さんをみていてよく分かりますけど、悪くなるときのスピードがものすごく早い」
 というものだったにもかかわらず、もし感染しても自分は「八割」のほうだろうと思っている人たちの中に、むしろ安心したという人もいるらしい。

        ♪

 ホットケーキを焼いてもらえることになったので、クロテッドクリームを買いに行くことになった。

 ウチを出たところで、ときどき雑談する、集積所担当のオバチャンに会った。
「朝から、あちこち、買い占めで大変なことになっているわよ!」
 と、処分する段ボールを受け取りながらオバチャン、機嫌が悪い。
「あんなに買って、結局は捨てるんだからね!」
 ちなみにオバチャンは、ゴハンと梅干しがあれば大丈夫よ! と豪語していた。

 近所の駅商店街につくと、アジフライをたまに買ったりする肉屋さんは、午前中で肉は品切れ、シャッター半降ろし。
 親しいパン屋に立ち寄ると、こちらも朝から、ほとんど売り尽くしたとのこと。

 ふだんあまり買いものをしない、近隣でいちばん大きいスーパーマーケットに行ってみた。私鉄沿線各所にあるTストアだ。
 けっこう大きい店で、売場面積を調べてざっと計算してみると、都心の標準的なコンビニだと十五店から二〇店ぶんの広さ。たしかに見渡すほどの売場で、在庫も豊富なはずだが……。

       ♪

 もちろん、バックヤードから補充する時間差もあるので、この日の確定状況とはいえないだろうが、かんたんに書いておこう。
 おかしなことは、「やや減っている」だとか「まあまあある」商品はなくて、「かき消えている」か「山と積まれている」かの、どちらかの場合しかないことだ。「ない」場合は、文字通りカケラも残っていない。

■売場からまったく姿を消した商品

 野菜、冷凍野菜、たまご、ヨーグルト、牛肉、牛乳、パン、小麦粉、米、もち、シリアル、カレールー、パスタソース、インスタントスープ、納豆、冷凍ピザ、インスタント麺、カップ麺など

■売場が埋まるほど存分にあった商品

 魚介(刺身など調理済含め)、デリカ商品(弁当・おかず)、ジャム、アイスクリーム、デザート、調味料、中華インスタント食品(レトルト、スピードクッキング含め)、酒類(ビール、ワイン)、ソフトドリンクなど

 ふしぎなのは、パスタ(乾麺)も、ほぼ売り切れていたが、なぜかバリッラ Barilla の麺だけ山と残っていた。そりゃ自分が作るスパゲティ料理には、バリッラよりデチェッコ DE CECCO のほうが、合うと思ってはいるけど、関係ないよな……。
 もっとも輸入食材の店、ご存じのKルディという店ですが、ここでもパスタが品薄のなか、デチェツコだけ、山と残っていた。まさか……。

「テレビであんなこというから、どうなっちゃうかと思って」
 と、いって買いまくっているオバハンがいた。
「どうして何もないの!」
 と、Tストアの店員にくってかかっているオバハンもいた。
 ババアと書きたいが、みな、わたしより歳下だと思う。

       ♪

 そして、近所のコンビニエンスストア。
 入口自動ドアに、こんな張り紙がベッタリしてあるのが、すこし前から気になっていた。

 マスク、ティッシュ、トイレットペーパーなど、品切れになっている商品は、ごぞんじの通り品薄です。
 入荷時間、入荷日時、入荷タイミング、品物の取り置きなど、全てが店員にも分からないし、お受けしていません。
 この文をお読み頂いた後、店員に聞いても、まったく一緒の内容をお答えするのみになります。


「店員」はなんの含意もなく、「店員」なりにきちんと作文したのだろうが──つなぎがおかしい所は略──見ないようにしているものの、通るたび目につき、憂鬱になる文だ。

 ついでに図書館にも行ってきた。
 東京都の多くの公立図書館が休館か縮小対応しているはずだ。
 最寄りの区立図書館も、開館しているが、開架書架や学習場所などふだんの空間には立ち入れず、予約した本の貸出返却などにカウンターで対応するのみだ。
 それは了解している。以前からネットで他の図書館からも取り寄せることが多いので、同じだ。紫外線消毒器が使え、それで「ぶ〜ん」とやってから借りている。
 周辺はいよいよ桜が満開。さすがに先週ほどは、あるいは例年の同じ時期ほどは人は多くないが、それでも最寄り駅前の信号が混雑するほど、平日から人が訪れている。

 咲いてるじゃん! いつも通りじゃん!

 という若い女性の叫び。
 思わずふり返ると、ガキ、じゃない、お子さんづれの、若いお母さんだった。舞い上がっちゃってる感じだが、べつにヤンママじゃなく、ふつうの人だ。
 そりゃ桜は「いつも通り」に咲くわいな、というヒネクレた突っ込みはまったく思いつかず、「いつも通り」という叫びが、ただ身にしみた。(ケ)

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posted by 冬の夢 at 21:57 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする