2017年08月16日

みんなクソ嘘つきだ#2 敗戦の日に考える (長い!)

 言うまでもなく8月15日は「敗戦の日」だ。なぜか日本では久しく「終戦記念日」と言われ、まるで他所の国の出来事か、極めて中立的な表現にされている。が、この日を「敗戦の日」と認めなければ、実は何も始まらない。日本はボロクソに負けた。この事実を直視することから始めなければならない。それはいわゆる保守陣営にもリベラル陣営にも等しく当てはまる。
 中学生か高校生の頃から奇妙に思っていた。例えば、広島平和公園内にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という文言。いったいこれは誰が、どんな資格で話している言葉なのだろうか?「過ち」とは、具体的にはいったい何のことなのか? 原爆犠牲者に向かって「安らかに」というのは十分理解できる。だが、想定されている語り手は? 生き残った全ての人間だと考えれば、それはそれで理解できる。だが、だとしたら、その人たちがいったいどんな「過ち」を犯したというのだろうか? 戦争に反対できなかったことが「過ち」の核心なのか? あの無謀な戦争に反対しなかったことが問題なのか? しかし、少しでも戦時中の空気を知っていれば、当時あの戦争に反対することは真に命懸けの行動だったのだから、戦争に反対しなかったことが「過ち」だというのなら、誰もが「英雄」にならねばならず、つまりは、英雄でないことが「過ち」ということになりかねない。これでは、あまりに要求水準が高すぎる。
 戦争で生き残った庶民にふさわしい文言は、「過ちは繰り返させませんから」だったと、強く思う。単純に、過ちを犯したのは、何よりも先ずは当時の政治家であり、権力者たちだった。そして、庶民は誰もが大なり小なり犠牲者だったのではなかろうか? それとも、現に2017年の今も同じかもしれないが、アホな政権を支持した結果としてもたらされる不幸・惨禍に対しては、民主主義の原則として、参政権を持っている全ての人間が等しく責任を負うべきなのか? 否。断じて否。残念ながら、システムとしての民主主義はそれほど善良でも完全でもない。現に、2017年の今も同じかもしれないが、事実として自民党と民進党しか選択肢がないときに、それが例えば沖縄の米軍基地問題に対して、どれほどの意味を持つものか、甚だしく疑問だ。

 話が無駄に拡散しないように努めよう。事実として、有り得ない奇跡が起きたとして、大日本帝国があの無謀な戦争に勝利していたら、いや、勝利とは言わないまでも、満州国を手放す程度で終わっていたなら、良し悪しは別にして、大日本帝国は命脈をかろうじて保ち、もしかしたら現在の朝鮮人民共和国(=北朝鮮)のようになっていたかもしれない。ともかく、戦争に「勝利」している限りは、どんな悪辣な政権でも支持され続けるだろう。正に「勝てば官軍」である。
 ということは、戦争責任とは、何よりも先ず、「負ける戦争を遂行した責任」なのではないのか? それゆえ、戦勝国アメリカに対して「広島・長崎に原爆を落とした過ち」の責任を問うことはできないし、そもそも彼らには「戦争をした責任」なんてものはない。侵略に関しても、極めて残念なことに、その侵略が「成功」している限り、その政権は相当程度にその国民から支持され続けることだろう。例えば、イスラエル。どれほど国際法違反を繰り返そうとも、自国に壊滅的被害が生じない限り、民主的な手続きで権力が覆されることは期待できない。この点で、全ての人間は極めて利己的だ。
 だからこそ、第二次世界大戦の「三大極悪国」と弾劾された「日独伊枢軸国」の中で、イタリアのムッソリーニはパルチザンによって虐殺され、その死体は広場に吊された。結果としてイタリアに厄災をもたらした人物に対する怒りと憎しみの自然な発露とも言える。そして、ドイツのヒトラーは、ムッソリーニと同じ結末があまりに生々しく想像できたからこそ、自ら命を絶つことを選んだのだろう。一方、我らが日本では、8月15日以前に自害した戦争指導者はいないし、リンチに遭った指導者もいない。敗戦時の陸軍大臣だった阿南惟幾(あなみ これちか)という人物が15日に切腹自殺したらしいが、これは15日に及んでもなおも聖戦遂行を主張し、それが斥けられたことに対する所為であるから、西洋の二人の指導者とはかなり色合いを異にする。(敗戦後に自殺した人たちの多くが軍の中堅指導者たちだったことも、今になれば極めて興味深い事実だと思う。)
 
 何が言いたいのかというと、「戦争責任」の所在は当時の権力者、軍部、政権にあるということだ。戦争に勝った方も負けた方も、先ずこの事実を当たり前のこととして認めるところから始めなければならなかったのに、いつからか(あるいは最初から?)日本では「そもそも戦争をすることが悪い」と、責任追及の矛先が別の方に向けられてしまった。一億総懺悔という奴だ。もちろん、「戦争をすることは悪い」。言うまでもなく。だが、戦争は個人が始めるわけでもなく、数人のテロリストが始めるわけでもない。戦争は国家が、もっと端的には国家権力が遂行するのだ。(いわゆる「国」だけに交戦権が認められているという、当然と思われているが、よく考えたら極めて不思議かつ不条理な事実を直視しなければ!)

 戦争責任=一億総懺悔と関連して、そろそろ国と国民を一体化する考え方、一種のまやかし、一種のインチキに対して徹底的に疑う必要がある。いわゆる近代国家の成立は国民国家(英語のnation-state、これが国と国民を一体化する考え方の源泉)の発展と軌を一にするらしいが、国と国民を一体化する考え方の胡散臭さを理解する=実感するためには、政治学や社会学の小難しい議論は必要ない。ちょっとした思考実験をすれば十分だ。例えば、明らかな働き過ぎで過労死した人の遺族が被害者の勤務していた会社を訴えるとする。この場合、一般に世論の同情は被害者と遺族に集まるだろう。では、過労死した被害者が地方公務員だとする。赤字財政の地方自治体職員が身を粉にして休日もなく働き続け、その上にたまたま水害などの災害が重なり、挙げ句のはてに過労死したとする。そして、遺族がその地方自治体を訴える。この場合も世間の同情は被害者と遺族に集まるだろう。では、その被害者が国家公務員だったらどうなるだろうか? 当然、遺族は「国」に対して訴訟を起こす。この場合、世間の同情はどうなるのだろうか? 
 話をもう少し生臭くしてみよう。過労死で倒れた被害者が外国人労働者の場合を考えてみたい。日本の一流企業に勤務するアジア系(でなければならない)の人が過酷な労働条件で働き続けた結果、過労死したとしよう。遺族を支えるNPOなりがその企業を訴える。いわゆるネトウヨ諸君は「逆差別」とか何とかとか連呼しそうだが、それでも、勤務実態が明らかに違法状態であったことが知れた暁には、善良な国民の多くは遺族に対して同情を寄せることが大いに期待されるし、おそらくはそうなるものと信じられる。次に、同じように、外国人の被害者が地方自治体を訴えた場合も、若干の軋轢はあるかもしれないが、通常の正義感覚が当然のように機能すると期待できる。だが、外国人労働者が日本国を訴えた場合、この場合、多くの「日本人」は、それまでとは違った、かなり居心地の悪い気分にさせられるのではないだろうか? つまり、まるで自分自身が訴えられたかのような気分。そんなことはないだろうか? しかし、そもそもなぜ国と自分を同一化する必要があるのか? 

 こんなことを考え始めた発端は、8月15日のニュースだった。聞くところでは、8月14日〜30日の間、ソウルの日本大使館の近くを運航する路線バスに、日本と韓国の間で喉に刺さった魚のトゲのようになっている「慰安婦像」の、しかもプラスチックなコピーが設置されるという。これには、かなり複雑な気分にさせられた。この複雑な気分をあえて簡単に言えば、タイトルの「みんなクソ嘘つきだ」ということになるわけだが、はたして以下にその気分が上手く表現できるものだろうか。

 これこそあまりに当然のことであるが、8月15日は日本にとっては「敗戦の日」だが、お隣の韓国にとっては「光復節」という、「大日本帝国から解放された祝日(しかし、一切の他意はなく、「いったい『何が』大日本帝国から解放されたのか?」と、当事者の人々に問うてみたい。つまり、「朝鮮」が解放されたのか、「大韓帝国」が解放されたのか、あるいは全ての朝鮮民族が解放されたのか、あるいは、云々……)であり、当然それなりの式典が催されている。そして、慰安婦像がバスに登場(搭乗というべきか)したのも、こうした儀式の一環といえる。
 従来より慰安婦像が韓国の内外に次々に設置され、そのことが少なからずの日本人を憤慨させたり、呆れさせたりしているのだが、それだけではまだまだ不十分と考えている人たちが、今度は徴用工(日本の植民地支配下で戦時徴用された朝鮮人労働者)の像を建立するという動きがあり、いわゆる慰安婦に対してだけではなく、かつての徴用工に対する賠償問題も今後は大きく取り上げられることになるだろうし、そうなれば日本と韓国の「国民感情」というものは、いっそう気色悪いものになっていくに違いない。

 ここで少々立ち止まって、よくよく考えてみたい。この「国民感情」というのはいったい何なのだろう? 旧日本軍(の一部)が現在の韓国・北朝鮮・中国・マレーシア、等々で行った犯罪行為を生々しく覚えている人たち(例えば、身内の女性が日本の軍人に強姦された上に虐殺されたような経験を持つ人たち)が日本に関連するもの・日本を連想させるものを激しく憎悪することを想像することは容易だ。罪を赦し、争いを水に流すことは尊いことかもしれないが、それはつまりは、罪を赦すことが難しいからに相違ない。遺族の心情を根拠にして死刑制度の存続を支持する人たちなら、憎しみが容易に氷解しないことは自明だろう。ぼく自身は全く違うメンタリティーを有していて、死刑制度にも反対だし、あまりに長く憎しみを持ち続けることそれ自体も不幸なことだと考えるが、「絶対に赦さない」と言う人の心情もよく理解できる。(ちなみに、常々敬愛する哲学者のジャンケレヴィッチ[ロシア生まれのユダヤ人]は、「ナチスを絶対に赦さない」と決意し、以後、自ら学んだドイツ哲学も、愛好していたドイツ音楽も見事に斥けてしまった。)だから、「日本なんて大嫌いだ」という人たちが相当数いることは、十二分に理解できるし、理解しなければならないと強く思う。
 (名前を出した手前、少しだけ附言すると、ジャンケレヴィッチにとって「赦すこと」は「忘却すること」と同義のようで、「忘れてはいけない」のならば「赦してはいけない」ということになるわけだ。念のために、だからといって、ジャンケレヴィッチが以後ドイツ人と面会しなかったとか、ドイツ人を死ぬまで憎んでいたということはない! 彼にとって重大だったのは、ドイツ観念論とナチズムの間にある本質的関連性であり、ワーグナーとナチズムの親近性だ。おそらく、「ドイツ的」なものと縁を切ることは、彼にとっては一種の荒行だったに違いない。いわば自分自身に対する戒めとして、ジャンケレヴィッチは青年時代に学んだドイツ哲学とドイツ音楽を捨てたのだろう。)
 しかし、一部当事者のルサンチマンが「国民感情」になるというのは、それは錯誤である以上に、端的に虚偽だと感じる。典型的な古典的「劇場のイドラ」だ。何かに演出され、それに煽られて、偏見や思い込みの奴隷になっているに過ぎない。

 もう少し分かりやすく、正直に言おう。いわゆる慰安婦問題に対して、これを日本と韓国の間の政治問題にしようとする全ての輩は、両国それぞれにおいて最低のクソ嘘つきだ。なぜかというと、たとえ日本の支配下にあった朝鮮=大韓帝国で発生した問題だとしても、慰安婦問題の本質は国際問題ではなく、女性差別の問題だからだ。端的に、真に恐ろしいことだけれども、慰安婦(性奴隷)に国籍は関係ない。おそらく名前さえも関係ない。彼女たちには人権が制限されているのだから。ということは、慰安所で働かされていた女性(自ら望んで働いていた女性たちも含めて!)は、差別され虐待された点においては、日本人も朝鮮人も、そしておそらく中国人も、全く同じだったはずだ。そして、女性を差別する点において、やはり日本人も朝鮮人も中国人も全く同じだっただろう。だとしたら、この問題に国籍が関与する余地は非常に少ないことになる。それなのに、いったいどういうわけで、これが日本・韓国間の大問題になっているのか? 慰安婦問題に取り組むからには、真っ先に糾弾すべきは、むしろ「男たち」なのではなかったのか。ということは、慰安婦たちはいまだになぶりものにされ、いいように政治利用されているとさえ言えよう。
 決して責任転嫁をしているわけではない。先に、戦争責任の主体は当時の権力者だと言ったが、仮にそうであるなら、植民地であろうと本土であろうと、庶民は大なり小なり好きなように利用され、なぶりものにされ、殺されたのだ。徴用も全く同じだ。もちろん、おそらくは過酷な人種差別も重なり、朝鮮人や中国人労働者は日本人以上に酷い扱いを受けたことだろう。けれども、戦時中の記録を読めば、日本人労働者もゴミ屑のように扱われているし、共産主義者は虐殺されている。戦争末期になれば、子どもたちまで強制労働させられている。そして、日本ではある意味では興味深いことに、この戦時中の労働に対する賃金未払いの請求はない。もちろん、賠償問題もない。(それとも、例えば共産党や一部の宗教団体は、戦時中の弾圧に対する何らかの訴訟を起こせるものなのだろうか?)「万国の労働者、団結せよ」をもじって、「万国の虐げられた人々、団結せよ」と言いたいところだが、現代はどういうわけか、特に極東アジアでは国家主義が意気盛んだ。草の根では細々と交流はあるようだが、大きな力にはなっていない。そこでも両国(あるいは中国も含めて)のナショナリズムが邪魔をしているのだろう。

 一方に一億総懺悔があり、不戦の誓いがある。そこでは誰も権力者の罪を問わない。他方に「国民感情」としての対日感情がある。こちらでも誰も自国の権力者の虚偽を追求しない。そして、そのルサンチマンが物神崇拝的彫像になって結晶化する。もしかしたら、それらの彫像は忘却しないために必要なのかもしれない(原爆ドームや原爆資料館のように)が、これまた正直に言えば、この場合、本当に忘れてはいけないのは女性差別と慰安婦に対する偏見差別だったはずなのに、いつしか、慰安婦像が象徴するのは大日本帝国の朝鮮支配というものにすり替わってしまっているのではないだろうか? もしもそうであるなら、それはすでに一種のセカンドレイプだろう。
 
 そして、最後にもう一度繰り返すが、何処の国においても、なぜ人は自分と国を同一化したがるのか? なぜ、慰安婦問題や徴用工問題が国際問題・政治問題になるのか? なぜ「日本政府」に対する異議申し立てが、「日本」に対する意義申し立てに等しくなり、両国政府の衝突が両国民の衝突のように演出されるのか? 一部の阿呆たちだけなら良いのだが、ネット上ではお互いに向けた罵詈雑言が飛び交っている。かく言うぼく自身が、さすがにバスに搭乗した慰安婦像に対しては肝の冷える思いがした。おそらく、そんなことを企てる意図に対して疑心暗鬼になるからだが、そうなると、自然と慰安婦問題から目を背けたくなってしまう。そして、結局得をするのは、両国の現政権だ。彼らは「国民」の愛国主義を養分にして栄えていく。

 みんなが嘘をつく。そして、みんなが喜んで騙される。

(附記:敗戦の日、ニュースに続く特別番組で、いわゆる「インパール作戦」がいかに無謀かついい加減な作戦だったか、当時の軍部がいかに無能であったかを、当時の資料と敗戦後の当事者たちの聞き取り調査録に基づいて明らかにしていた。あんな無能な、いい加減な連中があの悲惨な戦争を遂行していたのかと思うと、いっそういたたまれない気分になる。)

(H.H.)
posted by 冬の夢 at 09:30 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年08月10日

無関心への処方箋について ─「地域おこし」に小さく参加した経験から─

 このブログの別の筆者がさきごろ書いた、「祭りの後:都議選の結果……」(二〇一七年七月三日)の、最後の一文が気になっていた。ここ十年くらい、考えていることだから。

 自分が現に生きている環境への無関心は一種の病的状態なんだろうけれど、その病気が蔓延してしまった今、何か良い処方箋があるのだろうか?

 この文の問いかけに答えられたら。
 これが処方箋、特効薬ですよ、と。

      *

 記事は、さる七月二日の東京都議会議員選の結果を「慶賀」している。
 しかし、喜び半分どころか、むしろ気が重い、とも書かれている。
 つまり、こう疑っている。今回の都議選で自民党がひどく凹んだとて、世の中が「このまま悪いほう」へ、それも不愉快どころか、とても居られないほどにまで進み続けることは、変わらないのではと。

 そのとおりだ。選挙後の小池百合子都知事のコメントを思い出せばいい。
 高い支持を得たので「都民第一」で活動をどしどし進めると言うかと思いきや、「やりすぎ」だと、当選した候補者が悪いかのような発言。代表も退いた。
 その成立過程も、地域政党として「圧勝」する流れも、きわめて似ている「維新の会」と、その中心にいた橋下徹のように、あまり急に人気が集中すると短命で終わコンになってしまう(橋下は府知事、市長を計八年やったが)のを、怖れているのだ。
 そう問い質しても本心は語らないと思うが、小池の目線は「都民第一」ではかならずしもないらしいことは、誰にだってうかがい知れる。
 ただ都民有権者の多くもまた、投票した候補者に、なにか託したわけではあるまい。投票は気分の表明だ。気分とは、明日にも正反対に変わるかもしれないもの。投票に行っただけでも偉いというところか。
 小池都知事は、それを百も承知だ。もとは中央政界の策士だったのだし、そもそも人気商売の出だからだ。

 いまの選挙は「食べログ」に似ている。
 味が口に合わなかった、店員の態度が気に入らなかった、その程度でムカっときて、哺乳びんのミルクが適温でないと泣きわめく赤ちゃんのように日本じゅうにむかって糾弾の叫びをあげる異様さ。
 最近は仕組みが変わり、口汚い非難は出来ないらしいが、内容が空っぽの賞賛がたれ流されるだけで反論が存在しないのも、また異様だ。
 どんな飲食店も「食べログ」からは逃げも隠れもできないほど、食への関心と体験欲はあふれているように思えるのに、ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食=日本人の伝統的な食文化」って、たとえば何ですかと聞いたら、誰も答えられない。
 これを、ある席で笑い話のつもりでしたら、「自分が好きか嫌いかがはっきり判断できれば、なんだって判断できる! ものごとを決める基本!」と、逆ギレしたアホがいた。

 好きなら「ワーイ!」と叫ぶ。
 嫌いなら「ヤダー!」と叫ぶ。
 おわり。

 政治が気に入らなければデモをする。または、政治家の失言や失態をあげつらって職を辞させる。
 もちろん緊急手段として、それらがあることは認める。暗殺を伴わない政治テロだ。テロとは物騒だが、政治家が簡単にいう「政治生命」は、政治家自身のものではないことを示すために。些末なことで騒ぐなと、愚民を諭すかのような態度の翼賛評論家やコメンテーターたちがいるが、まったく与しない。
 しかし、それらこそが政治に直接参加できる方法だと思い込んで繰り返しているとどうなるかは、もう何度も、痛いほど思い知らされている。政治家は、というよりも政治の仕組みは、ひどくしたたかに作られているから。
 戦後、何度か政権交代があったが、与党のお膳立てなしに野党政権が回ったためしはない。与党政治の足場固めのために、にわか雨的な気分を受け流しておく雨どいのようなものだったとしか、いいようがない。

 閣僚らの失言や失態もそうだろう。大臣が幾人追われても、回り続ける車軸は止まらない。
 政治家が「すべきこと」が、起居と同じ感覚で身についている政治家が、きわめて少ない。無理もないのだ。有権者の「気分」で代議士が決まり、「気分」で議員になった者たちが、政治をしているのだから。
 だから失言や失態は毎度のごとく誰かが、「かならず/またしても」やらかす。わたしたちは他者を貶める「炎上」が好きなので、そんな誰かの資質を問うといって騒ぐ。そのたびに、わたしたちの自由を、そのとき非難している「誰か」さえ含む政治に、あっけなく譲り渡しながら。

       *

 自分が好きか嫌いかだけを、自分が生きている社会や環境の未来を決める根拠にしてよい、とは、どういうことだろう。
 本来それでいいのか、それとも異常なことなのか。
 世界でもまれなほどに、豊かさと自由が両立している社会だからとりあえずそうしていられる、ということは間違いないのだが──。
 そもそも社会からして個人の好き嫌い、つまり「気分」で成り立っていて、それで上手く経済成長できたんだから、悩むことなんかないよ、「これでいいのだ!」、なのかもしれない。しかし、もしそうなら、なぜ、はじめの一文の筆者のみならず、わたしもまた、これほど不安なのだろう。

 豊かさを失わないためには、豊かであろうとしなければならない。そして、自由であるためには、自由であろうとしなければならない。そのための方法は、ふたつだ。
 ひとつは協力。寛容と妥協が、その手段だ。
 もうひとつは競争。その手段はなにか。寛容と妥協に「非」をつけたもの。
 やっかいなのは、後者つまり「競争」のほうが、純粋で正しく感じられることだ。「協力」のほうが純粋だと主張したいが、協力だけでなんでも上手くいくかといったら、いかないわけだ。身近なことをふり返ってみても。
 だから、ふたつの方法をうまく調整して豊かさと自由を両立させる、まさに舵とり役として、政治は存在する。ある社会で人が人との関係の中で生きるのに、政治は不可欠なのである。いまの時代は社会と社会、つまり国と国との関係にも多くを負って人は生きているから、なおのこと。そして、くどいかもしれないが憲法は、その仕組みを守る安全装置なのだ。
 
 政治っていわれたって、ねえ。
 難しいもの、ねえ。
「ねえ」が曲者だ。
 自分にとって好きか嫌いかで決めればいい──ならばなぜ、他人に「ねえ」と甘えるのだろう。

 誰がやったって同じよ、ねえ。
 これといった人もいないから、ねえ。
 結局は人がらよ、ねえ。
 なぜ、そういっている「あなた」の姿が、どこにも見当たらないのだろう。 
 
       *

 ここ四、五年の新しい経験に、「地域おこし」の末端での手伝い、がある。
 そこに処方箋、いや、処方箋のヒント程度かもしれないが、そういうものがあったと感じる。
 去年秋ごろまでに経験したひとつの例を書いてみよう。
 どの「地域おこし」も、ほんの一部を手伝っただけだし、匿名の同人ブログなので、具体的には書かないが、脚色はしていない。

 某県某町。
 山間部の農業地域で、十年前に町村合併で新設された町だ。
 世田谷区の四倍ほどの町域に、人口約一万四千人(世田谷区は九十一万三千人)。年に三〇〇人ペースの人口減が続く「消滅可能性自治体」である。
 主産業は農業と観光だというが、唯一無二の名産はなく、観光地や名勝旧蹟も、とりたててない。
 地元に、仕事がない、魅力がない、将来がない、ということか、若年層の定着率も移住率も低い。町が消えるのは時間の問題だ。
 もともと県民に「地元に誇りがもてない」意識が強いそうで、それもひどいと思うが、そういうなら移住してみろと言われたら、やっぱり二の足を踏んでしまう。

 そんな状況を憂えた、ある地元の人がいた。
 大都市圏で働き、定年を迎えて地元に戻る。生まれ育った地域を見直し、余生の住処と決めた故郷の「消滅可能性」を止めたいと、二年前、地域創生NPOを立ち上げた。
 しかし、はなからほぼ、孤軍奮闘をしいられる。
 障壁は、地方政治、地方行政、そして親類縁者までも含む地域の人々──よけいなことせんときじゃれ!──だ。興味がある、協力しよう、という人は、ほとんどいなかったらしい。
 
 おりしも母校の中学校が閉校となる。最多時は六〇〇人近くいた生徒数が、閉校時は六〇人ほど。複数の学校が一校に統合され、何校もの中学校がいちどに廃校という、全国でもまれな例だ。
 閉校後の校舎は維持保存したい。しかし町議会主流は反対。具体的な利用事例を立ち上げないと、母校は倉庫になるか、立入禁止のまま朽ちる運命だ。
 さいわい、校舎を地域の交流施設として残すことは決まったが、そこで「誰が」「何を」をすればいいのかが、わからない。地域おこしについては都市圏から「コンサルタント」を呼んでもみたが、ご高説をたれられ、なけなしの予算が消え、「よそもの」への疑念と不信が募っただけに終わった。

       *

 わたしに話が届いたのは、そこらあたりでだ。
 NPOを立ち上げた人の知人が、わたしの友だち。直接、頼まれたわけではない。わたしも友だちも、その町に縁はない。
 が、友だちから、その人は余命に限りがあると聞かされた。地元に帰ってほどなく病気がみつかったらしい。
 
 わたしの悪い癖が出る。自分に余裕がないのに、そういう話を聞くと手を貸さずにはいられなくなる癖だ。
 ただ、もともと企画を立案し形にして売る仕事だったので、参考例として何か提案するくらいなら簡単だ、という考えはあった。失礼にも、田舎だからちょっとしたイベントで盛り上がるんじゃね〜の、という気持ちがあったと思う。それじゃ「コンサルタント」と同じだ。書いていて、いまさら自分に腹が立つ。

 もちろんシッペ返しはすぐに来た。くわしい事情を伝え聞くほどに、口当たりのよさそうな企画案を書けば感謝されるだろうなんて事態ではないと知る。成功事例だらけの「町村おこし本」を調べても、なにもわからない。
 当時、居ずまいを正して書きならべてみたことを、あげてみる。

(1)地域の人たちの日常感覚でやれること
(2)持続性があること
(3)地域の人たちが立案・計画・実行すること
(4)地域の人たち誰もが参加したくなること
(5)若い世代がかかわれること
(6)地域を離れた人たちが短期でも戻って参加してくれること
(7)楽しいこと、小さくとも成果があること

 都会ふうの、コンサルティング、プランニング、コーディネートなんていらん!
 ライブコンサートや歌謡ショー、現代美術やB級グルメ大会などを運び込んでもダメだ。
 シンポジウム、パネルディスカッション……いきなりやって誰が来る。
 まず、バカのひとつおぼえみたいにカタカナ語で話すのを、やめなきゃ……。

       *

 いつもの村祭りを学校でやればいい、というのでは廃校を地域施設にする説得力がないが、説明しないとわからないほどの独創性はいらない。単純で素人っぽくていい。参加して実現することが、地域の人にとって独創的な体験ならば。あとから、あの活動を「地域おこし」といってもいいんだね、くらいでいいのだ。「このままではいけないと思っているけれど、よけいなことはしたくないし、してほしくもない」人たちが集まってこそ、なのだから。
 参加者には、自由に発言と行動をしてほしいが、「好き嫌い」や「気分」だけで進めたら、たちどころに座礁することを、みな痛感するだろう。だからって、いちいち「発言を行動でうらづけろ」「反省会だ」「総括しろ」なんていう抑圧的な場になってしまったら──まるで左翼だな──たちまち一人消え、ふたり消え……だ。「誰もがやれること」で「その場にいるのが楽しい」も、大事だ。
 実務的には、機能していない学校校舎を使わなければならない。もう学校でない建物に、地元の若い人や町を出て行った卒業生たちを、ひとときにせよ呼び戻せるだろうか。そして、かなわぬ夢だとは思うが、Uターン率や若年移住者の増加につなげられたなら……。

 きりがないが、とにかく無関心から関心へ、そのきっかけになるもの──。

 乾いた雑巾を絞って水を出すような、というのは織田作之助の一節だったと思うが、これだけ「しばり」があって、なにを思いつけというのか。
 いや、いけそうだ。
 乾いた雑巾を絞ったり、泥縄をなうために泥を集めるなんてのは、仕事でどれほどやったかしれない。「消去法」をやるにはじゅうぶんすぎるほど「あれもダメこれもダメ条件」が揃っている。

 そう「消去法」だ。
 すぐに案を思いついた。
 案を補強する調べものにはちょっと手間どったけれど、まもなく企画書も作った。
 仕事の場合より、はるかにていねいに簡潔に書いた。企画書というものを初めてみる人にもよくわかるように。オールカラーの仮表紙をつけた企画書なんて、自分で作ったのは初めてじゃなかったか。

 よろしかったら立案の一助に、ご参考までに、として人に託した。説明には訪れなかった。
 とくに音沙汰はなく、渡した企画にせよ、ほかの案にせよ、やはりゼロから何かをすることや、関心を持とうの、自主的参加のといったって、難しかったんだろうなと思った。
 
     *

 一年後、友だちを通じて知らせがあった。
 その友だちに説明がてら届けてもらった企画案を「実現させる」、それも近々に「やる」という。
 かなり遠い所だが、その友だちと数泊で手伝いに行くことにした。
 手伝いといってもほんのかたすみで、自前の持ち込みで「無料サービスの模擬店」。ごく一部の実行委員的な立場の人たち以外には、自分のことは明かしていない。

 町内、県外から五百人集まった。
 やはり中高年層が目立ったが若い家族の姿も見かけた。
 新聞社の取材があり地域版にニュースが載った。
 地方創生事業を研究している人の反応もあった。わたしの「思いつき」が専門的な言葉で解釈されているのには、かなり驚いたけれど。
 当初は閉校校舎の地域活動拠点化に反対していた、町議会、行政関係者が来て、開会の挨拶に立った。これは、わたしには完全に予想外で、政治や行政に「してもらう」のではなく、敵としてオミットもせず、「巻き込んだ」ことには感心させられた。
 以後、地域振興センターこと閉校中学校舎では、手作り教室や講習会などが開かれているそうだ。

 ことの起こりであった、地元へ戻って地域おこしのNPOを立ち上げた人に、会って話す機会はなかった。
 実現の半年以上前に、亡くなっていたからだ。
 NPOは、その人のごきょうだいが、衣鉢を継いで続けている。企画を実現し実行委員をした人たちは、NPOに集まった年輩の同級生のかたがただ。

       *

 病的な状態にまで広がってしまった「自分が現に生きている環境への無関心」。しかしそれは、症状は重いが完治可能だと、いまは思っている。
 処方箋はなにか。
 それは、人とのつながりの中で自分が生かされ、自分の思考力や判断力──人間性といってもいい気がする──が、取り戻されることだ。
 ばかばかしいほど簡単な結論だが、この処方箋を「調剤」するとなると、じつはけっこう難しい。
 そんなこといったって、これこれがあるから、無理だよ! 
 そういう「無理だらけな社会」に、わたしたちは生かされているからだ。

 田舎町の経験が処方箋につながったように書いたが、わたしたちの模擬店のまわりで入れ代わり立ち代り雑談していた地域の人たちの話題から、住んでみなければ実感できないような、多くの問題や障壁が解消されていないことも知り、「調剤」の難しさを痛感した。
 都市部だろうと地方であろうと、同じことだと思う。
「無理だらけな社会」から人間性を取り戻す特効薬は、既存の「政治」や「行政」ではない。しかし、この文から連想しやすい「地域連携」や「地縁血縁」でもないようだ。「コミュニティ」でもない。「市民運動」や「自主管理」も、特効薬とはいいがたい。
 また、「農」──こういう文脈でよく出てくるけれど苦手な語感──でもない。「大地」だとか「里山」でもない。エコロジーや共生などなど、良薬っぽい感じの思想はあるが、無関心を関心に変える薬効が万人にあるかというと、どうも……。

       *
 
 まわりくどい話ではなく、わかりやすい特効薬は、あるのかないのか?
 そう問い詰められると、じつは困ってしまう。
 いま、とにかくいえることは、さきほどの「これこれがあるから、無理だよ!」の「これこれ」を、れいの「消去法」で、ただし本当に「消去ボタン」で、消していくことだ。
 わかりやすい例だと「会社があるからPTA参加は無理よ、ねえ」だ。「会社があるから立会演説会なんか行けないよ、ねえ」とか。
 そう、「ある」を「消す」。
 優先順位の変更ではなく「なくす」。
 無理ですか。無理だろうな。
 しかし、若年層に過重労働をしいて死なせたり、高齢者でも継続して働けますよとか、女性もたくさん働けますよとか、無理を増やしていること──無理ではなく恩恵なんでしょうか──を思えば、消してもなんとかなる手段を考えるほうが簡単だと思うのだが。

 要するに、もっとヒマを、ということか? 
 たしかにそれは処方箋のひとつだ。しかしいきなり「さあみんなヒマになろう」といっても、むずかしい。
 ならば、無関心という重症に陥る前に初期症状を退治すれば……と考えている。
 たとえば「無力感」は代表的な初期症状だ。「自分なんて」と「どうせ」が結びつくあの感じ。身近な多くの場面で、それこそ蔓延している。でもその場面ごとになら、ヒマでなくともなんとかなる。
 謙遜や含羞は美徳ともいえる反面、それこそ「やりすぎ」ると本当に「無力」にさせられ、そのさきには無関心の発症が待っている。そのように病状が進むと自由も豊かさも、空疎な自信と野心をふり回す側──なぜか無関心の蔓延とともに、かなり増えた気がする──に、いつしか吸い上げられてしまう。そうなってからでは遅い。残念なことに、すでにかなりそうなってしまったけれど。(ケ)

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BRIGHT SIZE LIFE
Pat Metheny's debut album; 1976
featuring Jaco Pastorius and Bob Moses



※ 話を脚色はしていないが、方言は創作。でも、こんな感じで貶めませんかね。「よけいなことばっかしとりゃ〜すわ!」とか「変わりもんだに!」とか。

Jul. 2017.
Originally Uploaded on Aug. 10, 2017. 13:37:00


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2017年08月05日

John Keats を読む Lines on the Mermaid Tavern 邦訳【テイク1】

 詩の訳に誤訳があり、関連して本文書き直しの要が生じました。
 再アップロードは、かなりさきになるか、とりやめる場合があります。
 読んでくださったかたには、お詫びします。
 二〇一七年八月十四日
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年08月04日

Michael Schenker − ARMED AND READY 元気が出る曲のことを書こう[29]

     E     D      D     A
|ずんずんちゃずんずんちゃずんずん|ちゃずんずんちゃ〜たりら
 6E 6E   6E 6E  6E 6E    6E 6E   5C 5C# 4E

 たったこれだけだ。
 けれど、最高だ。 
 完全にイカれた。何もかも吹き飛ばしてくれた。

 自分でレコードを買ったのか、誰かがくれたカセットテープだったのか、記憶があいまいだが、いずれにせよA面1曲目、針を落とすかプレイボタンを押すと、ギターがきわめつきの音で鳴った。
 ギターとドラムスのハイハットだけで、このパターンが鳴り響くイントロ。
 上の二小節パターン最後の「たりら」が「6G6Gb6E」となる四小節が二回、「どんどんどんどん」と祭り太鼓がクレシェンド、本編になだれ込む。たまらなくいい!
 歌のAメロも同じ四小節パターンの繰り返しで、さしてショッキングなシカケもなく、とりわけ斬新でもない。なのに、しびれるような躍動感だ。三十五年以上たっても、すこしも古びない。

 ところがギターソロになるると、気分の墜落も感じる。抑鬱の奥底まで。ロックのギターでは基本の調性、明朗なEメジャー(長調)で、典型的な夜遊びナンパの曲なのにだ。
 レコードジャケットのイメージが恐怖映画の人格改造場面のようで、クイーンズ・ライヒの「Operation: Mindcrime」(一九八八年)にも通じる、心理的な脅迫感があるからだろうか。
 だが、墜落感はなんと「底」をも突き破る。チャイナ・シンドロームがごとく、鬱の芯を爆散させるかのように。まさにカタルシス。
 いちど経験すると、イントロを聴くなり心が激しくダウンアップし眩暈がするので、初めてこの曲を知った十代のころは、あまり聴かないようにしていたほどだ。鬱が吹き飛ぶのはいいとして人格までも吹き飛んでしまう気がしてだ!
 躍動的な明朗さと破壊的な抑圧感。そんな両極端な感覚が一体となって聴こえるのは、なぜだろう。

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 マイケル・シェンカー・グループのデビュー盤「THE MICHAEL SCHENKER GROUP」(一九八〇年)を、いま聴いてみると、すぐ気づくことがある。
 意外なほど音が軽い。
 シェンカーのトレードマーク、ギターの「フライングV」が本当に飛んでいくような軽さなのだ。音質がというより、音符がポンとはねる感じがする特徴的な「鳴り」だ。
 録音のためだけに集められたバンドだが、演奏技術が高く音符の粒立ちがいいせいか、ハードロックっぽい重々しさでなく軽快さがある。

 Are you high tonight, are you feeling right
  今夜はハイかい、気分はバッチリかい
 Cos I need you now, like I never did before
  ってのも、今までにないほどお前がほしいんだ
 Is it hard enough, is it loud enough
  たっぷりハードかい、ぞんぶんやかましいかい
 Cos if you don't approve, you can use the door
  お前がいやなら ドアを開けて出てっていいぜ
 Armed and ready, I gotta gun sight trained on you
  武装完了、照準はお前に合わせたぞ

 (中略)

 Armed and ready, I gotta spotlight trained on you
  武装完了、スポットライトをお前に当ててるからな
 Armed and ready, don't let me down tonight
  武装完了、今夜は落ち込ませてくれるなよな

 (以下略)


 歌っているのは、やはりこの盤のため起用された、当時は無名のゲイリー・バーデン。高音域向きの歌手でないと思うが、高めの設定で歌わされていて、ハードロック歌手としてはいかにも軽い。
 ただ、その重量感のなさが、さらに高音域につけられたコーラスとともに、浮揚と昂揚をもたらしてもいる。旋律や歌詞はほとんどバーデンが作っただろうから、シェンカーのファンの多くから「ヘタ」と決めつけられているバーデンの名誉のためにいえば、貢献は無視できない。

 あらためてシェンカーのギター演奏に注目してみる。
 いまや本人のデモ演奏がインタ―ネット動画で見られる時代なので、エレキギターを引っぱり出し、うまく弾けず投げ出したきりの弾きかたを研究。
 なるほど、右手のしなるような動き! まさに弾く音をホップさせる感じだ。※
 知らなかったが、「たりら」の「」を、シェンカーはアップピッキングで弾いている。どうなるかというと、二弦、三弦がわずかに鳴り、パターンのつなぎを明るく橋渡しする。小さいことだがすごく効果的だ。
 そういえばこのパターン、とコードを鳴らす拍が、アオるようにひとつずつ手前にくる形だ。
 もちろんすべて、音楽理論づくでなく感性のみで弾かれている。
 余談だが、ギターのVの字の下側をマタにはさみ込んで弾くおなじみのポーズ──カッコいい!──のせいでギター本体の震動が止められ、弦の音が明るく抜けてくる結果になっているかも。いや、演奏ポーズは音質には影響しないか!
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 楽器オタクではないし、自己流研究だからほどほどにしておくが、練習ついでに、なぜ抑鬱感がつきまとうか、について。

 これは、マネすると案外と弾きにくい「依怙地な符割り」のせいだ。この曲のギターソロを練習した人は知っていると思うが、さほど難しくない曲なのに、なぜか弾きづらい。
 さきほどのとおり、シェンカーには楽典や譜面の知識がなく──それは「吉」と出ているが──思いついたフレーズを、曲が長調だろうが短調だろうが小節に無理やり押し込むように弾く癖がある。
 執拗に弾きたおす哀惜に満ちたフレーズがシェンカーの聴きどころだが、かなり大きい手で無理やり音を揺さぶるビブラートとあいまって、音数や拍が微妙にずれているようにも聴こえる。過剰にシャイで口べたでな人が話さず書くと、ことさら長文になってしまうように、あふれようが噛んでしまおうが依怙地になって弾く、そんな感じだ。それが「苛立ち」に聴こえる。ギターをマタにはさみ込み背を曲げ俯いて弾くポーズも、グレン・グールドやビル・エヴァンズ──ピアニストだけれど──のように見え、孤高の奏者めいている。

 ミヒャエル・シェンカー。
 北ドイツの小さな町、ザールシュテット出身の寄る辺ない異邦人として、このハードロック奏者を見つめてみよう。

 幼いころ、兄にすすめられてギターを練習しはじめ、十一歳で初ステージ。十七歳で兄のバンドに参加。キャリアアップのため、イギリスのバンド、UFOに加わる。自分が作った曲で一九七〇年代のUFOは快進撃をとげ……るが、バンドメンバーとのギクシャクがひどくなる。
 若くして実力がありすぎたシェンカーは、ほかのメンバーよりひと世代も歳下のうえ、ただ一人のドイツ人。英語がまだ、ほとんど話せなかったという。悪いことに当時のUFOは──後年も、らしいが──飲酒と暴力が常態のバンドで、シェンカーは、たちまちその犠牲になった。
 その結果、泥酔状態で演奏したり、ステージを途中で投げて出て行ってしまったりという「困ったちゃん」として知られるようになり、自分がリーダーのバンドを持てても、いい歳になっても、そういう行動を繰り返した。ギターを舞台に投げつけて舞台を去った、ファンの間では有名な日本公演も何度かあるそうだ。

 この「ARMED AND READY」の録音時も、アルコールと薬剤の飲み過ぎで幻覚や錯乱を起すほどになっており、制作過程は中断。母国ドイツで長期入院治療後、イギリスに渡って録音となった。
 デザイン担当者──ヒプノシス──に知らされていたかどうかは不明だが、レコードジャケットのイメージはそんな事情とも関係がありそうだ。本人がこのジャケット写真に「出演」しているからには。

 アルコール中毒が原因、遠因で、悲惨な末期をたどった友人が、わたしにはあった。「だから知っている」とえらそうにする気はまったくないが、入院が必要なほど重症の場合、しっかり治せずにいると、なぜか何事につけババを引く人生になってしまうらしい。
 不幸なことにシェンカーの場合がそれで、順調に新プロジェクト開始だとか、恩讐を越えて再活動、などという話題が出るたび、ジョーカーがニヤリとする。心身の状態がよくないときは、本人が「ババ」になってしまう場合も多々あっただろう。
 さもありなんで、二〇〇二年にはアメリカ人の奥さんに子連れで逃げられ、機材を売り払われたうえ、当時の女性マネジャーには、それまで音楽で得た資産を持ち去られた。
「THE MICHAEL SCHENKER GROUP」の邦題に「神」とまで称された男は、文字通り文無しになり、長年愛用のトレードマークのギターさえ売ることになってしまったのだ。

 往年の名機も含まれた貴重な機材を二束三文で失ったときは、子どもが、コツコツ作った砂のお城を波に押し流されたような気分だったと、後にシェンカーは述懐している。
 そう、過剰にシャイで人見知りが激しいせいで、いちいち、こまっしゃくれる子ども。それがそのまま、おとなになり、しかも人生の大半を母国と言葉が違う国で暮らしてきたのだ。
 

 Basically, I’m a loner. I grew up between four walls, practicing guitar day after day after day. I really missed out on developing basic social skills. Then I threw myself in with all of these people and I didn’t know how to deal with it. To cope with it, I turned to alcohol.

 俺は基本、人と交わらないんだ。四面を壁に囲まれて育ったようなものでね、毎日毎日毎日ギターの練習ばかりなんだから。社会でやっていく基本的な技術をいっさい学ばずにだよ。なのに、自分を音楽業界に投げ込んじゃって、どう付き合えばいいのか解らなかったよ。やり過ごそうってことでアルコールに手を出した、ってわけだ。



 シェンカーにそう説明されたら、わたしも聞きたくなることが、そのインタビューで質問されている。
 なぜ兄さんに経済的にあるいは精神面で救いを求めなかったのか。
 この文の前のほうですこしふれたが、兄さんとは、ミヒャエル・シェンカーをイギリスへ送り出した後、自分のバンド、スコーピオンズを世界的に大ヒットさせた、ルドルフ・シェンカーだからだ。
 しかし、ミヒャエルは、こう答えている。


 You have your own vision of what you want, and you cannot turn to other people for help, especially when the problem is within yourself. You have to figure out what is wrong by yourself. No external source is going to help you with that.

 なんとかしたいと思うことについては、その人にしかわからない見かたがあるんだ。だから、助けてほしいと他人のほうを見るってのはダメなんだよ。とくに問題が、自分の内面にある場合はね。どこが間違いなのか、自分で浮き彫りにしなくちゃいけない。自分の外側には、そこを何とかしてくれるものはないんだ。


 この発言のときミヒャエルは五〇歳代。意地っ張りが通ればいいが、通しきれたためしがないのだから、ただの「依怙地」である。
 実は兄のルドルフは、ミヒャエルが行き詰まると、スコーピオンズにゲスト参加させることで、弟に手を差し伸べてきた。ところが、たいていミヒャエルの「ぐずり」に近い態度で、ことはおじゃんになっているのだ。

 早い段階でスコーピオンズの正式メンバーになり、AC/DCのように兄弟ギターが売りものになっていたら、世界的成功を続け安寧に引退さえできたはずだ。しかしそうはならず、現在シェンカーは、その名も「マイケル・シェンカーまつり」(Michael Schenker Fest featuring three original singers)と銘うって、過去にとっ替え引っ替え使った歌手たち──シェンカーの性格のせいばかりではないが、バンドメンバーが固定しない──のうち人気盤のオリジナル歌手三人を引き連れての、演奏公演を行っている。去年も今年もその企画で来日していて、今秋も来る予定だ。ライブには一度も行ったことがないので、この、いかにも中高年向け福袋みたいな「お楽しみ企画」が本当に楽しめるかどうかは、わからない。

 近年、シェンカーはしばしば「ハンドメイド・ロック」という言葉を使う。文字通り、コンピュータがまだ普及せず、手でアナログ機材を動かし、オープンリールテープに録音して作られていたロックのことだ。その感覚を大切にしたロックを演奏、制作し続けて、ロックの「手作り時代」を賛美するのだという。
 もちろんデジタル技術のおかげで低コスト+高品質な制作が可能だからこそ、さしたるヒットのないシェンカーも活動を継続できているわけなので、ハンドメイドは精神論、ものの喩えにすぎないともいえる。ならばいっそグレン・グールドのように演奏公演から手を引き、ひとりで自宅から「ハンドメイド・ロック」送り出せばいい。人間関係から完全に遠ざかることも出来なくはない。ほとんど自宅録音で作られた音楽は、いまや珍しくないのだ。

 が、シェンカー自身も、ファンのほとんども、そうは思わないだろう。
「ハンドメイド・ロック」の時代は、ロックと人生は不可分だった。不可分とは、たんに若気の至りでロックスターのような身なりをするというようなことではない。明日知れぬロックのために人生を無駄にするのを厭わない、ということだ。ジジイになろうがババアになろうがロックの恰好をする。バンドを組んで舞台に──それがどんなに小さくとも──立ち、爆音でエレキやドラムを鳴らす。「システム」に向かって「NO」を叫ぶこと、それが「ハンドメイド・ロック」なのだ。

 そして二十一世紀。ロックは死に、人生は残った。
 業界と市場を渡る才のみで儲ける「アーティスト」たちの、どうでもない音楽がますますはびこることになった。
 マイケル・シェンカーのような「困ったちゃん」が「ハンドメイド・ロック」をいくらブチ上げてもね、ということだ。
 しかし、わたしがどちらの音楽を聴くかといったら、四面を壁に囲まれて育った社会不適応者が、苦手な言葉の代わりに執拗に繰り出す痛切なギターの悲鳴を選ぶ。口さきだけで支持していないで、マネジャーになるなり、資金を出してCDを制作するなりの支援をしろよ、ということになったら、遺恨なしにこの人と付き合いきる自信はまったくないけれど。

 かくもくどくど書いてしまうほど、マイケル・シェンカーと「ARMED AND READY」には強い印象があるわけだが、じつはライブに行ったことはなく、レコードやCDも、あまり買っていない。
 一〇年近く前、CD「IN THE MIDST OF BEAUTY」(二〇〇八年)を、最初に「ARMED AND READY」を録音したメンバーとほぼ同じ顔ぶれという理由で買ったが、それが最後だと思う。むろん、この盤は「THE MICHAEL SCHENKER GROUP」とは印象が異なったが、三十五年以上前のデビュー盤が決定版と思っているから、新バージョンはもちろん、オリジナルに似せた再演もいらない。失望したわけではない。
 
 だいいち、シェンカーは「THE MICHAEL SCHENKER GROUP」の音は満足できなかったと明言している。ロックらしくないと。だからデビュー盤発売後まもなく、ロックのドラム奏者として聴いても見てもよしの、コージー・パウエルを起用した。
 当時、ハード・ロック、ヘビー・メタル愛好者たちは大歓迎したけれど、わたしに必要だった、軽快さと抑鬱感の混沌は消えてしまう人選。ドスン、バシャンというドラムスのうるささばかり耳につく演奏になった。また、ライブが「ヘタ」だと不評だったゲイリー・バーデンが早々にクビに。
 といっても、そもそも「ARMED AND READY」は歌の部分をかなり作り込んであったから、当時もいまも、デビュー盤の顔ぶれ全員揃えたとてオリジナルヴァージョンに近い演奏をするのは無理だ。それにわたしは、ライブではレコードとは違う演奏を聴きたい派。レコード通りに演らないと怒る人のことは、わからない。

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 しばらく弾いていなかったエレキギターを持ち出すと、いつもなんとなく、かならず弾いてしまうのが「ARMED AND READY」のイントロ。
おいしい生活」といわれても、その意味も、どこにそれがあるのかもまったく知らず、プレハブ小屋のような仮寓で、ことさら憂鬱がっていた三十数年前の自分。四面を壁に囲まれていたのは確かだがギターを熱心に練習する努力もできず、かといって過剰な人見知りを修正することもできずに、それじゃあダメになってしまうとの強迫感のみで、分不相応に社会に身を投じ、今日に至る。
 いまだにレコードに合わせて弾けないギターソロの途中で、人生を割り切ることもできず、いまさらロックバンドがやれる気もせず、楽器を片付ける。
 なんとか死ぬまでにレコードに合わせてソロも弾けるようになり、自分に向かって「それでいいのだ!」と叫んでみたいと思っている。(ケ)


『ヤング・ギター[コレクション]VOL.8 マイケル・シェンカー』(シンコー・ミュージック・エンタテイメント/二〇〇七年)
『 ヤング・ギター[インタビューズ]マイケル・シェンカー』(シンコー・ミュージック・エンタテイメント/二〇一五年)
「GUITAR WORLD」(09/19/2008)
※ www.youtube.com/watch?v=WW_1gtBpsew

Jul. 2017.
Originally Uploaded on Aug. 10, 2017. 13:15:00


●「元気が出る曲のことを書こう」の記事一覧は→こちら←

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2017年08月03日

JEFF BECK − You Know What I Mean 元気が出る曲のことを書こう[28]

 自分にとってベストだと思うことをやるだけでいいんだ。いっしょに演奏するのがほんとに好きだと思えるバンドを集めて、やるだけさ。もし気分が落ちこんでいるとしても、それは自分に限ったことだからね。自分を個人的な憂鬱から引きずり出して演奏するんだよ。まわりがいいノリだったら、いっしょにノっちゃえばいいんだ。音楽って、私生活で起きていることを反映してしまうんだよね。

 ロック・ギターの名盤中の名盤はなにかと聞かれたら、好みに関係なく絶対に忘れてはいけない『BLOW BY BLOW』。その発売から半年をへた一九七五年十一月、公演先のアメリカでギター雑誌のインタビューに応じたジェフ・ベックは、そんなふうにいっている。

 質問は「マンネリに陥っているロック・ギター奏者が多いですが、抜け出すアドバイスはありませんか」というもの。『BLOW BY BLOW』は、ロック・ギターのスタイルを一新する斬新さで成功したから、出てきそうな質問だが、演奏にもくわしい専門誌の質問とはいえ七〇年代半ばにはもう、ロック・ギターはワンパターンだという認識があったのだろうか。
 理論派でも技巧派でもないベックらしいコメントは、『BLOW BY BLOW』のヒットあってこその答えだが、音楽を元気に新鮮に演奏し続けるにはどうすべきか、ということがよくわかる。当時のベックは三十一歳。その場の思いつきでない説得力がある。
 
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BLOW BY BLOW ─ 1975

『BLOW BY BLOW』は、なぜ、すごいのか。
 歌と歌手あってこそロック、というイメージを覆し、演奏だけでロックになることを証明し、エレキギターを完全に主役にしたからだ。
 歌でなくリードギターがセンターをとったLPレコードがトップテンヒットしたのは、この『BLOW BY BLOW』が初めてではないか。ベンチャーズもエレキの演奏だけでトップテン入りしているが、シングル盤だ。サンタナの「哀愁のヨーロッパ」は米英ではシングル盤になっていないのでは。これがはいっているLP、『AMIGOS』(一九七六年)には歌ものも入っているし。

『BLOW BY BLOW』には謎もある。かなりマニアックなジャンルの「ジャズ・ロック」なのに、なぜ大ヒットしたのかということだ。

 ジャズとロックの融合あるいは橋渡しは、ジャズの側から始まっている。『BLOW BY BLOW』の五年ほど前、七〇年代初めごろから。
 複雑なコードやスケールなどの音楽理論を土台に、高度な演奏力やアンサンブルをくり出すコンテンポラリー・ジャズの緊張感を、電気増幅した楽器や、ビートを倍々にしたリズムで爆発させる。ウェザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァー、マハヴィシュヌ・オーケストラなどが、そのころ結成されていることからも、新時代を謳歌する潮流だったことがわかる。
 しかし、できる限り簡単に説明してもたちまち、万人ウケしにくそうな雰囲気が漂う。「上手いだけの音楽でしょ!」という、よくある拒絶反応が聞こえてきそうだ。
 そのぶん、ロックの側からはハードルが高い。「理論や技術じゃなくロック・スピリットだ!」と叫ぶのはかまわないが、それでリターン・トゥ・フォーエヴァーといきなりジャムセッションできるかといったら、ほぼ不可能だからだ。
 しかしジェフ・ベックはロックの側からハードルをあっさり越えた。ジャズ側にはできなかったメガセールスも実現してしまう。
 どうして、そんなことができたのだろう。

 ジェフ・ベックという人は、はじめの発言にもうかがえるように、どんな音楽でも、いい意味で大づかみにできる才能を持っているからだ。理屈や枝葉に迷い込まず、いいノリの伴奏があれば、流れをつかんで弾き、聴かせてしまえるセンスがある。

 自分で自分のギターを紹介している近年の動画が、そこに通じている。
 緻密で高度かつ斬新な音楽のイメージと違い、ギターはどれも古く、意外に雑に扱っている。だいいち、本当に好きな音楽は『BLOW BY BLOW』や『WIRED』より、五〇年代のロックンロール、ロカビリーらしい。ベックはクルマいじり趣味でも有名だが、ホットロッドやクラシックタイプが好きらしいところとも共通している。
 いい意味での、おおざっぱさ。
 そのセンスが、『BLOW BY BLOW』を成功させた。
 もちろん誰にもまねできない、特異なほど鋭敏なギターのコントロール能力があってのことだけれども。
 
『BLOW BY BLOW』の演奏を研究してみたギター好きにはよく知られているが、ベックは、ジャズのフォーマットにそった弾きかたはほとんどしていない。
 ソロは、それまでベックがやっていた、ロックギターがワンパターンに陥る原因ともいえる、ブルースのスケール1つをコードに合わせるやりかただ。
 この盤の曲を特徴づけるジャズやファンクでよく使うコードの押さえかたも、あまり知らなかったのでは。録音にあたってスティーブ・クロッパーかヘタするとマックス・ミドルトンに教わったのでは、とさえ思える。
 ジャズやファンクっぽいリズムをとっているのはバンドのほうで、ベックのリズムは微妙に違う。
 くやしいことに、そこがカッコいい。
 スケール練習はしないと前出のギター雑誌の取材でいっているし、理論や譜面に強いと聞いたこともないから、ソロのフレーズは、はっきりいえば「当たるをさいわい弾いている」にすぎない。なのに、とてつもなくカッコいい。くそ。

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WIRED ─ 1976

 ジェフ・ベックのようにギターを弾きたかったら、「いい意味で、おおざっぱ」に演奏し、なおかつ、聴き手をひきつける何かがなければならない。
 本人が理論にのっとって弾いていないものを、明瞭にキーワード化するのは難しそうだが、じつは、自分が弾ける弾けないは別にして「誰でもわかるジェフ・ベック奏法」は、たったひとことでいえる。

 横山ホットブラザーズの「ノコギリ音楽」だ! 
 ギターより、それを練習したほうが、ジェフ・ベックに近づける!

 笑ってはいけない。ホットブラザーズは先月初旬、大阪市の無形文化財になっている。※1
 ノコギリをクネクネ曲げながら叩いてメロディを出す「荒城の月」の面白さは、ジェフ・ベックが繰り出すフレーズのカッコよさと共通している。一方が漫談で、一方がロックなだけだ。
 音ひとつずつ、フレーズのひとかたまりずつが、その場勝負だという緊張感がいい。
 いくら高速で流麗な「アドリブ」を披露しても、曲の流れやコード進行に、こうはまるという意識で演奏するなら、結局は予定調和でしかない。
 つぎにどんな音が出るのか、出たフレーズがどこに着地するのか、どきどきしながら聞く興奮。「高速」でも「流麗」でもないのに、思わず頷きながら耳を傾けてしまう。自分が音を出す瞬間ごとに伴奏を聞きとり、さらに、自分が出した音に伴奏を巻き込む演奏。

 ジェフ・ベックの弾きかたをシャープなコンテンポラリー・ロックに聴かせているのは本人よりも、盟友のキーボード奏者、マックス・ミドルトンだ。
 ノコギリ音楽を、より笑える「芸」に仕上げたのは、ホットブラザーズのアコーディオン担当、横山マコトである。
 ミドルトンとバンドは、ベックのギターにフィットする「椅子」を作った。それは素晴らしい出来で「王座」となった。それあってこそ『BLOW BY BLOW』は成功した。
 ノコギリ奏者の横山アキラはホットブラザーズの長男。その弟で次男のマコトは、どんな音程でも伴奏をつけられる聴感の持ち主。小学校の校歌も作っている音楽家なのだ。※2
 つまり、両者のパフォーマンスが表現として成立している仕組みは、同じだ。

 ここで気づかなければならないのは、ジェフ・ベックのギターは、先鋭的なことをやっているようで、誰にでも親しめるエンタテインメントの度合いが高い、ということ。本当は好きらしい、ロカビリーふうの弾きかたで弾く場合がしばしばあることからも、それがわかる。
 もっとも、あまり娯楽性、リラックス度を上げ過ぎてもスムーズ・ジャズつまり、スーパーマーケットのBGMになってしまう。そうならないよう、しかし難解に走り過ぎずジャズ度はほどほどに、ロックらしいカッコよさに収める。このバランスが「すごい」わけだ。
 ジャムセッションしているうちに、ほとんどの曲が一回の録音で完成したといわれている──そう回想するバンドメンバーもいる──が、実際は、そう聴こえるように、徹底した演出がほどこされている。
 よく聴くと、けっこうダビングしたか、もしくは録音は一発でも後から編集したはずの部分が多いのが聴きとれる。しばしばオーバーラップで曲をつないだ編集、曲のタイトル決めに手間をかけたこと──歌がないからタイトルから伝わる印象は大切だ──そしてジャケットのイラストの扱いまで、かなりの注意が払われていると思うが、どうだろう。
 バンドメンバーの回想では『BLOW BY BLOW』はジャムセッションを繰り返す意味らしいが、一挙一動を詳細に、という本来の熟語的意味も含まれていそうだ。
 
 タイトル案も含め制作を担当したのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりに有名な、ジョージ・マーティン。
 意外な人選、だとマーティンも思ったそうだが、じつは『BLOW BY BLOW』の「ねた」になったグループ、マハヴィシュヌ・オーケストラの制作者でもあったから、ビートルズという世界的バンドをプロデュースしたうえ、マニアックな音楽も制作できる可能性に目をつけた点で、ジェフ・ベックの人選は戦略的だったのだ。

 といってもベックは、マーティンが「Scatter Brain」や「Diamond Dust」につけた弦楽伴奏──ビートルズでもやっているあれ──が当初は不満で、『BLOW BY BLOW』というタイトルも好みでなかったそうだ。両者のやりとりは円滑でなかった──マーティンとレノンのコミュニケーションが、あまり上手くいかなかったように──という。
「通訳」をかって出たのは、またもマックス・ミドルトン。
 まったく、この人の貢献はあげていたらきりがなく、たとえば、おそらく彼が連れてきたフィル・チェンとリチャード・ベイリーは『BLOW BY BLOW』成功のキーパーソンだ。
 というのも、はじめは「BBA」のカーマイン・アピスも参加していた。しかし、もめたあげく去っている。
 じつに賢明な人事だ。ひょっとするとアピスが「じゃ俺はやらない」と自分から抜けるまで待ったのではと疑ってさえいる。ベックの「おおらか」で、コード進行に「はまってくれ」みたいな弾きかたは、シャープに手数の効くドラマーがいなければ映えない。以後の四十年、ベックがサポートバンドに起用してきたドラマーたちを見渡せば一目瞭然だ。で、アピスもまた「おおらか型」の荒っぽいドラム奏者。リチャード・ベイリーは当時まだ十八歳で無名だが、繊細かつ鋭い叩きかたで『BLOW BY BLOW』のヒットを招き寄せている。

 そんな『BLOW BY BLOW』、曲がオーバーラップする編集のせいもあって──ひょっとしてラジオで流れた場合「つぎ(ほか)の曲も聴きたくなる」効果があったのだろうか、だとしたらジョージ・マーティンの制作センスはさすがだ──どれか一曲となると迷うが、やっぱりA面1曲目、『BLOW BY BLOW』をひっさげたジェフ・ベックの「凱旋」を告げる「You Know What I Mean」だ!
 B面1曲目の「Cause We've Ended As Lovers」を「悲しみの恋人たち」と邦題したのに呼応させたか、「わかってくれるかい」という邦題だが、もとは「It Doesn't Really Matter」と題されていたらしいことから想像すれば、「こまかいことはいいから、ついて来いよ」か「行こうぜ」ってイメージではなかろうか。
 というのも、この「You Know What I Mean」、どういう場面で聴くと元気が出てくるかというと、間違いなく「ドライブ」で、だからだ。

 リズムがややわかりにくく、さしてテンポも速くない曲が、クルマを飛ばすのに合うかね、と思うかもしれない。それも道理ですが、まあ、だまされたと思ってクルマが動き出すのと同時に、かけてみてください。ワクワクしなかったら、お代はお返し、だ。
 そして出足のイライラ、つまり都心環状線や首都高速では「She’s A Woman」が中南米ふうのリズムで──ジョージ・マーティンは、ビートルズの曲をこのアレンジで録るのは大反対だったらしい──癒してくれる。さらに、高速にのってアクセルを踏み込んだ瞬間「Air Blower」、爆走モードではきわめつきの「Scatter Brain」! たまらん! 
 B面にはその名も「Freeway Jam」という曲があり、クルマのスピードが出ているほど、ベックのソロと、それをベルショットなどであおるドラムが最高だ。「Diamond Dust」は問題の弦楽伴奏も合わせて、びっくりするほど夜のドライブに合う! その、最後の曲「Diamond Dust」がクルマの中に流れたら、ロードサイドのラブホテルにいきなりインしても怒る女はいない! と、いいきる自信はない。すみません。
 クルマにでかいスピーカーをベタベタくっつけて、ズンドコピーヒャラと祭りの山車みたいにイナカの駅前をトロトロ流しているヒマがあったら、『BLOW BY BLOW』で爽快に飛ばしましょう! もっとも、ズンドコいうカーオーディオで『BLOW BY BLOW』をかけたらどういう感じなのか、ちょっと興味があるけど。

 と、えらそうに書いたけれど、じつは運転はできない。すみません。
 それに、友だちのクルマや仕事の機材車で、都心から関越や東名にのるとき実際にかけたことがあるが、高速道路の料金所にたどり着くまでにせっかくの流れはほとんど終わってしまい、イライラの頂点で「悲しみの恋人たち」が流れてしまう場合が多かった。くそ。
『BLOW BY BLOW』のヒットはアメリカでのこと。ジェフ・ベックのホームグラウンド、イギリスでは、じつはチャートに顔を出していない。発売当時のアメリカではFMラジオでさかんに流されたそうだが、アメリカでだけヒットしたのは、運転のBGMと関係があったのだろうか。

『BLOW BY BLOW』は、日本で発売されたとき『ギター殺人者の凱旋』というタイトルだったから、破壊的で革命的な音楽だと思っていて、この文の初めにもそんなふうに書いたのだが、とりわけ新しい音楽を作り出したわけではない。
 ジャズ・ロックについてさきほど、アメリカのグループを代表的な例にとったが、当時、ジャズ・ロックがさかんだったのは、じつはイギリスでだ。マハヴィシュヌ・オーケストラの中心にいたギター奏者、ジョン・マクラフリンもイギリス人だし、有名無名、多くのバンドがジャズ・ロックを試みていた。
 ベックは、自分でもジャズ・ロックはいけるぞというアイデアは、ほぼ間違いなく『BLOW BY BLOW』の直前に演奏でかかわったジャズ・ロック・バンド、UPP──日本でチャーと演奏し、先日、亡くなってしまったジム・コウプリーが二十歳代初めにいたバンド──から、もらったに違いない。UPPからは誰も『BLOW BY BLOW』の録音に呼ばれてはいないが。
 アイデアという点で自分でいっているのは、マハヴィシュヌ・オーケストラ、それから『BLOW BY BLOW』の二年前に発売されたビリー・コーバムの『SPECTRUM』で、マハヴィシュヌにも『SPECTRUM』にも参加しているヤン・ハマーを後に自分のバンドに呼び寄せもした。
 ところが、なぜか『SPECTRUM』ですばらしいギターを──後にディープ・パープルで残してしまった「汚名」がウソのような──弾いていた、トミー・ボーリンの名が出てこない。「ロック弾き」でもジャズがやれるスタイルがあまりにも似てしまったせいだろうか。
 ついでにいうなら「Cause We've Ended As Lovers」は、ロイ・ブキャナンから拝借したスタイルだが、ブキャナンもボーリンも、その長くなかった人生の末路は、悲劇的かつ、わびしい。
 ジェフ・ベックは、ギターが弾ければ幸せな人で、プロダクションや数字を気にするビジネスマンではないというが、自分がいいと思うようにギターを弾いていさえすれば音楽業界で成功できる、ということは残念ながら決して「ない」ことがよくわかる。勝ち星は拾うものではなく、あらかじめ持っておかねばならず、それをどう光らせるか、なのだと。
 
『BLOW BY BLOW』というと、話したいことがつぎつぎに出てくる。ジェフ・ベックの来日公演にもよく行ったほうだと思う。
 が、ライブに行くのは、かなり前にやめてしまった。
 ジェフ・ベックはバンドの顔ぶれを入れ替えながら、よく来日していて、もちろん『BLOW BY BLOW』の曲も演奏している。今年も早々に各地でコンサートをした。しかしあれほど好きだったのに、チケット代が高すぎると思うようになった。
 大学生時代の夏休み、仲間が運転するバンの──ガタのきた、ジャズバンドの機材車だった──カーステレオで『BLOW BY BLOW』を流したときの興奮を、実際に演奏するジェフ・ベックをみて感じたことは、いちどもないせいもある。もっとも、あのとき席に詰め込まれて、おおいに盛り上がった顔ぶれは、はっきりとは記憶になく、卒業後、誰とも会ったことはない。(ケ)
 
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JEFF BECK WITH THE JAN HAMMER GROUP LIVE ─ 1977


※1 www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000401902.html
※2 大阪市立刈田南小学校

【参考】
『Guitar Player』一九七五年十一月号
『Hot Wired Guitar: The Life of Jeff Beck』Martin Power; Omnibus Press, 2012
「リチャード・ベイリー・インタヴュー」(『レコード・コレクターズ』二〇一四年五月号)
『Rolling Stone』のウエブサイト
 など

Jun. 2017.
Originally Uploaded on Aug. 10, 2017. 12:40:00


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posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする