2018年07月21日

『七人の侍』(4Kデジタルリマスター版)を見たらば

初めて『七人の侍』を見たのは中学生のとき。東宝が完全版と称して、初公開時と同じ尺でリバイバル上映したと記憶している(※1)。『荒野の七人』を見て、スティーヴ・マックィーンの格好良さに憧れていた時分だった。その『荒野の七人』が実は日本映画を元ネタにしたものだと知り、アメリカ映画にかぶれていた子どもだった私は、「へえー、日本にもそんな光栄にあずかる映画があったのね」などと見下す視線で映画館に行ったのだった。そして、実際に『七人の侍』を見て日本映画の真の実力に触れたのだ、とかそういう流れにはならなかった。なぜなら、映画館で見た『七人の侍』は、音が悪くて誰が何を言っているか、ほとんど聞き取れなかったからだ!

映画の冒頭、野武士たちが村を見下ろしながら、「この村を襲うか」「いやいや、この前取り上げたばかりだから今は何もないはず。麦が実ったらまたやろう」と交わす会話が映画の最初の台詞。まず、これが何を言っているのかまるで聞き取れない。過去に何度も野武士に掠奪されていて、麦の穫り入れが終わる頃に再び襲われることが決まっている。そんな運命に村が置かれているという重要な設定がわからないままに、場面は円座でうずくまる農民たちへ。ここでは彼らが使う「のぶせり」という言葉が聞き取りにくく、何のことを言っているのか「?」の状態。それが「野伏せり」であり、度々襲ってくる野武士を意味するのだと言うことを知ったのは、この十数年後のことだ。
映画が進むと、今度は三船敏郎が発する台詞がほとんど不明だった。もともと滑舌が良い人ではないうえに、激してしゃべる場面が多く、間の悪いことにそのどれもが映画の根幹に関わる重要な内容でもある。よって、映画が伝えたい芯の部分が、「音の悪さ」のせいで全く伝わってこない。農民たちが落武者狩りをして手に入れた鎧兜や槍、弓矢を見て、なぜ侍たちが不機嫌になるのか、それに対してなぜ菊千代が反論するのか。「はて〜?」のまま映画は進む。後半に入っても音の悪さは変わらず、燃える水車小屋の前で幼な子を託された三船敏郎が「俺もこんなだったんだ」と絶叫する。いくつもある名場面のうちのひとつだが、わんわんと割れてくぐもった音が響くだけで、意味は分からずじまい。こんなに台詞が伝わらなかったら、物語の流れがつながらなくなってしまう。『七人の侍』初見の印象は「何を言っているのかよくわからない映画」になってしまった。
それ以来、『七人の侍』については、名作なのに名作と思えないという変なトラウマに見舞われてしまった。学生の頃、海外の放送局が黒澤明を題材にして製作したドキュメンタリー番組をTVで見たことがある。そこで外国の映画研究生たちに向けて上映されていたのは、英語字幕版の『七人の侍』だった。それを見て「字幕がついていて羨ましいな」と思ったものだった。

その後、何度となく繰り返し『七人の侍』を見て、その底知れぬ映画的表現力に圧倒されて来た。TV放映やDVD化などで音声のクオリティは徐々に改善されて、台詞が聞き取りにくいということはなくなっていた。その分、映像や構成に集中することが出来るようになって、多くの批評家たちが様々なところで語っている『七人の侍』の映画としての完成度に素直に頷くばかりだった。特に脚本は、映画史上最高ランクの出来栄えだと思う。「侍探し・戦の準備・三度の決戦」の三部構成のわかりやすさ。七人それぞれのキャラクターを同時進行で彫り込んで行く関係性整理の巧みさ。ブツ切りせずにシークエンスを「静から動」「動から静」へと次々につないでいく職人技。映画は究極の時間芸術であるにも関わらず、三時間二十七分の上映時間の間にただの一度も時間を感じさせない、時間感覚を失わせるような没入感は、この完璧な脚本あってこそもたらされるものだ。
脚本を担当したのは、黒澤明、橋本忍、小國英雄の三人。旅館に一ヶ月以上泊まり込んだ三人は、過去の文献を紐解くうちに、掠奪対策に浪人を雇う農民がいたという史実を見つけ、ストーリーを膨らませる。シノプシスを作り、同じシーンを黒澤と橋本が別々に考えてそれぞれに書く。出来上がった二つのシナリオを小國が読み比べて「こっちがいい」とジャッジする。そんな役割分担でひとつの脚本にまとめあげていったのだと言う。
と、この記事を書いている最中に、黒澤組でひとり残っていた橋本忍の逝去が伝えられた。享年百歳だったそうだ。橋本忍はただ一本だけ自ら書いた脚本を監督したことがある。高校生のとき『天国と地獄』を見て、初めて黒澤映画の面白さを認識させられた頃だった。橋本忍が監督をするということで、東宝系映画館に行くたびにその作品の予告編が流されていた。ブルックナーの交響曲第9番第2楽章とともにタイトルが出てくるその予告編は、傑作を予感させるには十分なほどに期待を煽る完成度の高いものだった。そのようにして封切られた橋本忍監督の『幻の湖』(※2)は、予告編の足元にも及ばない駄作で、まさに失笑の対象に相応しい下手な映画でしかなかった。亡くなった橋本忍には申し訳ないが、監督作品を世に出したことが自身のキャリアの大きな汚点になったのは、残念のひと言に尽きる。

今では様々な旧作が膨大な作業を経て、「4Kデジタルリマスター版」で再生されている。『七人の侍』の映像も例外ではなく、モノクロームの画面がクリアになって生まれ変わった。そして音声も、劇的にはっきりとくっきりと音だけが浮かび上がって耳に入ってくるほどに、洗い磨かれて光り輝くほどの明晰な音に変化した。初見時の記憶のせいか、音のほうに意識がより引っ張られるくらいに、音声もデジタルリマスターで蘇った。いや、蘇るどころか、本当の音よりもさらに高精度な音に再生された。たぶん三船敏郎本人の声よりも、農民の小狡さを訴える台詞は明確な輪郭をまとったはずだ。その点で、今回の再見は今まで何度か『七人の侍』を見てきた中で一番ストレスレスな鑑賞形態であったと言えるだろう。
今更なのだが、新しく生まれ変わった音の中で、これまで味わうことをせずにやり過ごしてしまっていた要素があったのに気付いた。それは、早坂文雄の楽曲の見事さ。音が鮮明になると、こんなにも音楽が耳にするりと入ってくるのかと驚くほどに、早坂文雄の楽曲は『七人の侍』の映像にぴったりフィットしていた。
タイトルバックの不気味なティンパニのリズム。もう少しメロディがあったような気がしていたのだが、記憶違いだった。農民たちのテーマは男声バスハミング。底に這いつくばるような沈み込んだトーンで、農民階層が虐げられる社会構造を示すように聞こえる。その農民たちが町に侍探しに出ると、それまでとは打って変わって、賑やかな往来を歌い上げるようなフルオーケストラが鳴り響く。その主旋律にはどこかに民謡を感じさせるところがあり、お囃子のようでもある。
そして、次にやっと出てくるのが、アンドレイ・タルコフスキーが黒澤明と酒を飲み交わしながら合唱したという「侍のテーマ」。志村喬演じる勘兵衛を農民、勝四郎、菊千代が追いかけていくシーンで初めて使われる。残りは、キャラクターによって楽器が使い分けられて、呑気なオーボエが菊千代を、震えるようなフルートが志乃を表現していく。
これらの旋律が人物の交差や場面の転換とともにかわるがわる奏でられ、時間が経過する感覚を奪って行く。時間を感じさせず映画そのものに没入させられてしまうのは、早坂文雄の音楽に因るところも大である。キャラクターごとのモチーフの展開は、後にジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』でそのまま応用することになる。

音についてしつこく述べてきたのは、今さら『七人の侍』の作品論をぶっても詮方ないと思われるからで、誰をも饒舌にさせてしまうほどの興奮をもたらす映画が『七人の侍』なのであって、映画を見た後の高揚感はまさに半端なく、比較し得る映画が見当たらないほどに完璧に構築された映画なのである。
では、このまま音が聞き取りやすくなったという報告だけで終われるかと言えば、そういう訳にも行かないのが人情というやつで、やっぱり何かを語りたくなってしまう。それが『七人の侍』の魅力であり、吸引力なのだ。なので、ここから先は蛇足だとして、七人のキャラクター設定についておミソを付け足すことにしてみよう。

勘兵衛(志村喬)
本作の主人公を一人だけ選べと言われたら勘兵衛しかいない。勘兵衛はいつも泰然自若として鷹揚に構えている。相手が誰であろうと自らは選ばず、すべてを受容する。だから表情は常に柔和であり、穏やかである。しかし、唯一激高するのは離れ家三軒の農民が集団から離脱しようとするとき。利己主義に走る者を鬼の形相で押し留め、集団行動の規律を守る。事態を常に把握し、いざというとき的確に自ら動く。最高難度のリスク管理力である。こんな上司の下で働きたかった。絶対いないと思うけど。

五郎兵衛(稲葉義男)
再見するたびに味わいを増すのが五郎兵衛。剣術に優れているわけでなく、勘兵衛にくっ付いているだけに見えていたが、それは人を見る目がない証拠。戦略を戦術に落とし込み、侍と農民の双方を動かす実務者が五郎兵衛である。五郎兵衛なくしては勘兵衛も統率力を実行に移すことは出来ない。ニコニコ笑ってばかりいて、戦では「一人通すぞお」と掛け声ばかり。でもこの人がいなくなった後、戦は集団戦から個人戦に様相を変える。いなくていいようで、いないと困る。そういう人、いますよね。

七郎次(加東大介)
丸い体の古女房。勘兵衛に言われたら、何も聞かずについて行く。虚心坦懐で一徹無垢。幾多の実戦を共闘してきた者だけが分け合うことが出来るその心根。だから七郎次は勘兵衛以外の侍とはあまり交流がなく、農民たちを指導・激励することに熱心だ。勘兵衛にだけ通じる身内の話題、あの戦がどうだったとかいう話をしないだけの嗜みのある人。柵越しに野武士をひと突きで仕留める長槍の遣い手でもある。それだけの技があるから、最後にまた生き残ったのかも知れない。

久蔵(宮口精二)
勝四郎でなくても、こんな熟練の侍がいたらキラキラした目で憧れてしまうだろう。勘兵衛は「己を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」と評するが、勝四郎の逢引を見て見ぬ振りをしたり、老婆のために食事を残したり。要するに根は優しくて力持ちな恥ずかしがり屋なのである。こういう人が女性にモテるのだ。もちろん事にイタることはないが。朝霧の中、森の中からスタスタと帰還し、鉄砲を手渡しながら「二人」と告げる。普通ならここで長広舌の武勇伝を聞かされるところ。沈黙は金、これでさらにモテるはず。

平八(千秋実)
薪割り流を少々。謙遜なのか諧謔なのか。いるだけで人を和ませる。この人は侍なのか、旅芸人なのか。自分で話をしていないと落ち着かない。無口でいることが信じられない。だから何ひとつ自分の事情を語らない利吉のことが気になってしまう。話すと楽になるぞ。そりゃあなたはそうでしょうとも、でも俺は暗く沈むだけなのさ。そんな二人の明暗が山塞急襲の場面で入れ違ってしまう。一番先に平八を死なすことにした脚本。よく平然とそんなひどい仕打ちが出来たものだ。

勝四郎(木村功)
とにかく目がキラキラし過ぎちゃっていけない。慌てふためいて周りのみんなに野武士来襲がわかっちゃうし。でもそこが若さの特権。変に装ったり、取り繕ったりしないところがいいんです。志乃との交歓を済ませてすぐに志乃の父親と出くわす気まずさ。気まずいまま立ち尽くすだけで何も出来ないのも若さゆえ。最後だってチコは農村に残る決意をしたのに勝四郎は志乃を遠くから眺めるだけ。結局は万造が心配した通りだったというオチは、荘厳な雰囲気のラストで見過ごされている。

菊千代(三船敏郎)
この人なくしては七人の侍ではあり得なかった。最高の道化師にして最強のトリックスター。善と悪、賢さと愚かさ。作っては壊し、破壊の後で創造する。豪放であり繊細。野武士を殺し、子どもに慕われる。この二面性が農民なのに侍になりたい菊千代そのもの。こんなキャラが近くにいたら鬱陶しいばかりだ。けど映画では欠かせない。物語が沈むとき菊千代が引っ張りあげる。物語が停滞するとき菊千代がドライバーになる。菊千代を得て、一番助かったのは黒澤だっただろう。


こうやって七人全部を振り返ってみると、やってみたくなるのが「現代版七人の侍キャスティング」。ちなみに映画が公開された昭和二十九年、勘兵衛役の志村喬は四十九歳、三船敏郎は三十四歳。昔の人は大人びていたのだと改めて思い直すのであり、現代人の幼さに驚かされるのでもある。

勘兵衛=ビートたけし(芸人)
五郎兵衛=前澤友作(zozo town 社長)
七郎次=田中裕二(爆笑問題)
久蔵=野田秀樹(演出家)
平八=安倍晋三(政治家)
勝四郎=広瀬すず(女優)
菊千代=大谷翔平(野球選手)

こんなキャスティングある訳ないじゃないかとお怒りになったら好都合。ぜひご自分なりの現代版キャスティングをやってみていただきたい。(き)


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(※1)1975年に207分のオリジナル版がリバイバル上映された。
(※2)『幻の湖』は1982年公開の東宝映画。脚本・監督を橋本忍が務めた。




posted by 冬の夢 at 19:38 | Comment(2) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年07月20日

続々・切手を買いに ─ 出戻り初心者郵趣事情

 ちょっと、そこのアンタ! 
 と、松田優作なら難癖をつけるだろうな。
 いい歳して昼間っからチマチマ、切手屋なんかあさってんじゃね〜ぞ! と。

 悪いか、この野郎! ここ何年間かでやっと落ち着いて静かに買いものが楽しめているんだ。ガタガタいうな!
 と、亡くなった松田優作にケンカを売り直すこともないが、いまどき記念切手をわざわざ買いに行く面白さはそこだ。そこに尽きている。

       〒

 買いものの楽しみが薄いと感じ出してから長い。
 ちょっとばかり生活を潤わせたいモノが、楽しんで買えない。
 家電や服、本に雑貨……どれもワチャワチャしていて、口上もウソくさい。いいのか悪いのかよくわからず好きでもないのに、さほど安くもないまま買ってしまう。ひょっとすると食品や洗剤など、必需品もそうではないか。
 外車や絵画、高級ブランド商品をホイホイ買える身分だったら、買いものが楽しくてしかたなくなるのだろうか。

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 好きなジャンルのものを、じっくり見て買える記念切手。
 本格的コレクターが狙うような稀覯品を初めから選ばないかぎり、懐はほとんど痛まないし、多少集めたくらいでは置き場もいらない。なにより、静かに気長に少しずつ、納得しながら買える。
 選んで買う自分もまた、場所ふさぎでないところがいい。ひとり坐れるだけのスペースで、カサコソと切手を繰ったり虫メガネで見たり。家電量販店で、そんなものを買ったら部屋が埋まってしまう巨大なテレビを、さも映りの違いが解るかのような顔で選ぼうとしていた自分が、つくづくバカに思える(テレビは持っていない)。

 切手コレクションはもちろん、基本、激しくマニアックな世界で、見るからにオタな中高年男性の縄張りだ。
 しかし案外と「すき間」も多い。「切手女子」といわれるほどには「女子」の姿は見かけていないが、意外にふつうの人たちが、好きな絵柄や思い出の出来事をテーマに切手を探しに来ている。
「落ち着いて静かに」探して買っているぶんには、イジられたりイヤミをいわれたりするようなことはまったくない。いや、そもそもコレクション歴に関係なく、ほとんどのお客さんが「落ち着いて静かに」買っている。誰もが自分専用の小さい博物館づくりに、好きなだけ夢中になっていいのだ。

       〒

 というわけで、今回は切手専門店で、集めはじめたシリーズの「つづき」を買ってみることにした。
 子どものころは、スタンプショップといっていた専門店で買ったから、知らない存在ではないが、半世紀近くのご無沙汰で、ちょっとハードルが高い。
 じつは、すでにいくつか訪店してみているが「落ち着いて静かに」とまではいかず、ちら見する程度。お店のせいじゃないですよ。気おくれだ。こういうシリーズを集めていますと告げたら、「初日カバー」といわれる何万円もする収集家向けの品がずらりと出てきて、ビビったりもして。
 この点では、即売会やフリーマーケットのほうが、マニアックな面もあるが気軽な入り口もあったということか。

 その昔は、真夏だろうが真冬だろうが、中古レコード・CD店があると聞けばネットの情報もガイド本もなしに地の果てまで行ったが、この夏この歳で、そんなふうに切手店を探したら死んでしまう。
 そこで、即売会へ行ったとき見つけた店に行ってみた。東京・目白の「切手の博物館」、ミュージアムショップのいちばん奥にあるテナントショップ某店だ。集めているシリーズが店頭のカゴにまとめてあるのに気づいていた。

       〒

 広くはないスペースに切手やファイルがぎっしりだ。店の前の細い通路で、ごく小さいテーブルに向かうか、椅子を出してもらえて、肩をすぼめて選ぶ。
 初訪問だとやはりすこしビビるが、博物館内の店だからか、コレクターらしからぬ人も買っているし、お店の人がとても親切で、初心者質問にもていねいに答えている。希望が抽象的でも、たちまちファイルを出してくれて、切手の取り出しかたも教えてくれる。

 カゴをしばらく漁ってから、ファイルも見せてもらった。
 もちろん、集めているシリーズが全種、数も豊富にある。発行年順にきちんと整理されていて、持ってきた「日本切手カタログ」とつき合わせながら簡単に探せるし、別途、シリーズ全点のパック売り品もある。
 いずれにしても、その場で、たちまち欠品集めが完成してしまうわけだが、せっかく「楽しい買いもの」に出会ったことを大切にしたいから、十枚ほどにしておいた。
 ファイルには、売価が書いてあるものもないものもあったが、博物館の案内に、国内未使用品特売の店とあったから、カタログ評価額前後だろうとみた。計算ヘチュセヨ。

 値段は、額面に五円から十円プラス程度で、やはり評価額より安い。そもそも額面が十五円、二〇円だから、合計は片道交通費より安かった。
 そう、切手専門店をあちこち訪ねて集め続けると、百枚ほどの切手を集めるまでに交通費のほうがよほどかさんでしまうが、それはそれでいい。お店の前で小さくなって切手を見ていると、時を忘れてしまう。
 発行年が一九七〇年代半ばの、シリーズの終わりあたりから今回は買っていったが、シリーズ発行十年間のうちに、絵柄や印刷の調子がだんだんハデになっていく感じもした。まだまだジミな時代だったと思うのだけれど。
 カラー刷りの「国定公園シリーズ」でそう感じたのだが、ブルーノートの単色刷りジャケットみたいで国定公園切手よりカッコいいと思っている「国立公園シリーズ」も、最後はカラーで発行されていて、統一感を欠いている。
 それはともかく、百円玉数枚で、こんなことに埋没していていいいのだから、いまさらながら驚いてしまう。

 いや、安さに驚いただけではない。
 帰宅してまたびっくり。ショップカードといっしょにオマケが入っていた。
 アメリカの使用済み切手二枚。最近「科学的思考」についてたまに考えていることを見透かされたような「科学もの」切手だった。
 うっ、このシリーズもかなりカッコいいかも。くそ、目うつりしていかん! (ケ)

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*この話の前編は→こちら←

Originally Uploaded on JUL. 22, 2018. 14:55:00
*写真の解像度は低くしてあります
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2018年07月15日

続・切手を買いに ─ 出戻り初心者郵趣事情

 なにはともあれ、ひさしぶりに記念切手を買ってみよう!
 やはり即売会やイベントへ行ったほうが、いちどに見くらべられて面白そうだ。

 ということで訪れたのは「切手バザール」。東京・目白の「切手の博物館」が、郵便切手文化活動支援事業のひとつとして年に八回、週末の二日間、館内で開いている即売会だ。ちなみに博物館にはレギュラー営業の、切手のミュージアムショップ(世界の新発行切手を売っている)やテナント店もある。
 今回がちょうど百回目と知り、気絶しそうな暑さだが、山手線で目白をめざす。さいわい、駅から博物館までは近い。

 会場に入ってみると、長机一つか二つに一出店者、十数エントリーほどか。思ったより小規模なのだが、切手は小さいから、数でいえば、すさまじい品数があるわけだ。
 オープンスペースに稀少品を並べるわけにもいかないだろうから、アルバムや籠詰めで机に並ぶ切手は、買いやすい価格のものが中心だ。
 二日目の午後だったせいか、品定めする人は三十人前後。バラ売り品が山盛りの籠を丹念に探す年輩男性、絵柄で集めているらしい若い女性たちがいる。外国の切手を熱心に探す人が目立った。机を並べた出展者さんたちは、ほぼ固定の顔ぶれのようで、アットホームな雰囲気だ。

 前に書いたように、日本の未使用記念切手には、それほど需要がないのか──即売会だけでのことかもしれない──どの机にも、さほど多くは出品されていない。
 それでも「国立・国定公園未使用」「シリーズ未使用」というようなラベルがあるアルバムが、いくつか見つかった。机に向かい、用意された小皿を脇に、探しにかかる。

 ある机に出品されたアルバムやファイルに、「シリーズ切手・額面」などとラベルされた名刺ファイルを見つけた。
 このファイルに入れてある、さまざまなシリーズものの記念切手は、その額面表示と同じ売価ですよ、ということなのだ。
 慣れないのと、探している国立、国定公園シリーズの切手をみな暗記しているわけではないので、持って行った「日本切手カタログ」を見ながら探すから、手間どることいちじるしい。が、十数枚のエモノを確保。後々の楽しみのためにも、ここまでとして、計算ヘチュセヨをお願いする。

 え! と耳を疑った。
 ぜんぶで一六〇円だった。
 それはそうで、昔の切手だから1枚の額面は十五円や二〇円。五円のものもある。
 この日ゲットしたいちばん古い切手は、五十五年前に発行された「磐梯朝日国立公園」の十円切手。ありえない話だが、どこかの郵便局で在庫があれば一枚十円で買えるものではあるけれど、それにしたって怖いほど安い。
 そしてこの切手、一般市価もせいぜい五〇円くらいの評価だ。近年の記念切手を「額面」で買い集めるより、半世紀前ごろの切手のほうが手軽に集められることになる。ありがたいことは間違いないが……。
 ふと気づいたのは、即売会で、三、四人すわれば満席の机でさんざん探したら、たとえ見つからなくとも数枚ご祝儀買いして席を立つべきかもということ。稀覯品ばかり並べた店は別だが、安売り品なら「おひねり」程度ですむわけだから。そういう約束事がある気配はなかったですが。

 そんなわけで、このペースで集めるなら、収集完成は、かなりさきのことになりそうだ。今後よほどバブル的高騰でもない限り、気づいたときにのんびり続ければいい。
 買ってきた切手を虫メガネで眺めていると、なぜか色刷りの国定公園シリーズより、カラー単色の国立公園シリーズのほうに見入ってしまう。絵柄に奥行き、深みがあるように感じるし、なんとなくブルーノートのレコードジャケットを連想して「シブくてカッコいい」と思うからだろうか。(ケ)

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*前篇「切手を買いに ─ 出戻り初心者郵趣事情」は→こちら←
posted by 冬の夢 at 22:22 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年07月13日

たまには詩でも #8

   * * * *
軒を打つ雨の音
あるいは雫の音
その小さな規則的な繰り返しに
なぜ心はこんなにもかき乱されるのだろう
なにひとつ思い当たる思い出もないのに
そしてとうとう
それが時計の音に似ていることに気づき、驚き
そして苦笑する
自然の作る大きな水時計
いつ止まるともしれない心臓の音にも似ている

   * * * *
無表情な梅雨空を見上げていると
最初はこちらまで陰気な気持ちになるのだが
やがてそれが完全な無関心の完全な写し絵だと知り
まるで大都会の真っ只中にいる気分を感じて
不思議に愉快な気持ちになる

   * * * *
文字通りに一睡も眠れなかった
夜がようやく明ける
カーテン越しに差す朝の光
その窓の向こうに小鳥たちの囀り
眠れない夜からの思いがけない贈り物

   * * * *
人は生を砂時計に喩えたがる
けれども生はむしろその砂粒の一つに喩える方がずっとふさわしい
自由落下する孤独な粒子
それはある日何かの底に到達して
そしてもう二度と動かない

   * * * *
雨の音を聴きながら
いつまでもいつまでもベッドの中に
埋もれていたい
休日の昼下がり

(H.H.)




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2018年06月29日

六月歌舞伎座公演『夏祭浪花鑑』 〜 芝居を支える播磨屋一門

六月公演の千秋楽、三階席の端が空いていたので、急に思い立って夜の部を見に行くことにした。楽日だからなのかロビーは心なしか華やかで、一方向を向いている見物の視線の先に目をやると、富司純子の姿がある。白髪混じりの髪に薄鼠色の着物が見事に調和して、その立ち姿だけで見る人を満足させてしまう。今月は昼の部が菊五郎の芝居だし、夜の部には菊之助長男の寺島和史くんも舞台に立っていたので、気が張り詰めた一ヶ月だっただろう。

さて、夜の部のメインは『夏祭浪花鑑』(なつまつりなにわかがみ)。人形浄瑠璃から歌舞伎に移入された世話物で、主人公団七が舅義平次を泥まみれになりながら殺す場面が有名な出し物だ。
四年前の夏に歌舞伎座でかかったときに初めて見たのだが、あまり集中していなかったせいか印象の薄い芝居だった。ところが、見に行く予定にしていなかった今回は、久しぶりに芝居を見ながらニヤニヤとして「こいつはすごいぞ」と呟いてしまうくらいに面白かった。それも殺し場の「長町裏」ではなく、登場人物がかわるがわる出てくる「鳥居前」に唸ってしまった。そして、四年前との違いは、たぶん役者なんだろうなと感じ入ったのだった。

四年前の配役は、団七と団七女房を海老蔵・吉弥、一寸徳兵衛と女房お辰を猿弥・玉三郎、釣船三婦(さぶ)が左團次で、義平次は中車が務めた。猿之助一座に任せていた七月公演を玉三郎が仕切るようになり、多忙極まる玉三郎から座頭を海老蔵に移していこうという時期だったと思う。その移行期だからなのか、海老蔵中心の芝居のはずなのに、やっぱり玉三郎のお辰が注目が集まってしまった。加えて猿之助一座の名残りで猿弥が出ていたりするので、全体のアンサンブルにギクシャク感が拭えず、中心たる海老蔵がちっとも浮き出て来ない。加えて憎まれ役の義平次をやったのが中車、と言うか香川照之だったのもまずかった。その前の年に流行語にもなった「倍返し」のTVドラマでの敵役に味をしめた中車であってみれば、歌舞伎座で思い切り憎まれてみたいという思いが強かったのだろう。普通にやってもやり過ぎに見える中車の演技は、あまりに場違いのオーバーアクトであった。そんなバラバラな一座においては、海老蔵がどんなに頑張ってもシラケるばかり。そういうわけで印象の薄い四年前なのだった。

ところが、今回の『夏祭浪花鑑』は、無類の面白さであった。それは播磨屋一門の充実ぶりに支えられてのことで、吉右衛門と歌六は今の歌舞伎座で最高のコンビネーションを奏でる二人と言っても良いだろう。
歌六演じる三婦は、かつての悪行を自ら戒めて数珠を耳にかけている気っ風の良い老侠客。歌六がそのすっきりとさばけた役柄を体現して伝える。団七の恩人である磯之烝が駕籠屋に絡まれるのを引き取って、あっさりと収めてしまうその手際の良さ。団七が身支度を整えるところで、自分の赤い褌を抜き取る茶目っ気。その素股のまま、花道を下がっていく伊達な雰囲気も、脂が乗った歌六ならでは。常にのりしろのゆとりを持って大きく演じているような、余裕の存在感である。
そして団七をやるのは吉右衛門。「むしり」のかつらで髭も伸び放題の囚人姿から、白に鮮やかな揚羽蝶模様の浴衣に着替えて、月代をきれいに剃り上げた「すっぽり」のかつら姿に変わって現れるときの、清冽な若々しさ。とても七十四歳とは思えない。錦之助の徳兵衛と二人で辻札を使っての立ち回りと見得に続けて、菊之助のお梶が加わって、三人が三角形に決まるところも見所。どれも中腰で、言ってみればスクワットをしながら踊るような身体の使い方を強いられる所作なのに、見事に絵になっている。このひとつひとつの姿勢の取り方や腕から手の遣い方、足の指の曲げ方など、どれもが歌舞伎の型なのだが、一連の激しい動きの中で、寸分違わず決めの体勢を取り続けられるのが、名人たる所以であり、厳しい稽古の賜物でもある。四年前の海老蔵と猿弥の打ち合いは全く記憶に残っていないので、芸には見えず、単なる振り付けで終わっていたのだろう。
この見事な三人の掛け合いに入る前に出てくるのが、磯之烝を追いかけてきた傾城琴浦。これを歌六の長男である米吉がやるのだが、今最も注目の女形は米吉であると断言したいくらいに、米吉の進境は著しい。一昨年の国立劇場『仮名手本忠臣蔵』で小浪を演じていたときの可憐さに、ググッと色気が加わって実に艶っぽい琴浦であった。おまけに声がよく通るし、その声もほんの少しハスキーな音の割れ方をしていて、エロティックですらある。上背もあり、着物姿が映えるので、七之助に続く次世代の女形の中軸は米吉になるのかも知れない。

播磨屋一門の充実ぶりと述べたのであるが、吉右衛門はともかく、歌六はかつて萬屋(よろずや)一門だったのを2010年9月の歌舞伎座公演秀山祭をきっかけに播磨屋に変えた。正確には播磨屋に戻したことになるのであって、播磨屋の屋号については実は歴史上の紆余曲折がある。
三代目中村歌六は初代歌六の子で、明治から大正にかけて活躍した元祖播磨屋とも言える役者。妻は芝居茶屋萬屋の娘、小川かめ。その息子である初代中村吉右衛門、三代目中村時蔵、十七代目中村勘三郎は「播磨屋三兄弟」と呼ばれた。しかし、勘三郎は三代目歌六が六十を過ぎてから妾に生ませた子。歌六亡き後は初代吉右衛門が面倒を見たと言うが、松竹が眠っていた大名跡を継がせることになり、勘三郎を襲名すると同時に屋号を「中村屋」として、播磨屋から離れていった。
三代目時蔵は五人の男の子に恵まれたが、早逝したり廃業したりで歌舞伎で大成した子はひとりもいない。けれども映画界に転じて時代劇の大スターになったのが、四男の中村錦之助。錦之助は、亡父時蔵が播磨屋ではなく、祖母かめの実家にちなんだ「萬屋」を名乗ることを熱望していたと聞いて、自ら萬屋一門を立ち上げる。歌舞伎で初めて使う屋号なので、1971年の変更当時には、あまり認知度が上がらなかった。ほどなく錦之助は自ら萬屋錦之助と改名してまで、新しい屋号の普及に努めた。そうしているうちに歌舞伎で大成しなかった五兄弟の息子世代が一人前に舞台に立つようになり、全員が萬屋の屋号の下で成長した。それが、現在の歌六・又五郎の兄弟であり、時蔵であり、獅堂であった。
萬屋と中村屋に枝分かれしていく一門にあって、ただひとり播磨屋の屋号を守り続けたのが、初代からの名跡を継いだ当代の吉右衛門。吉右衛門は萬屋一門の中では役に恵まれずにいた歌六兄弟に声をかけて、播磨屋復帰を促したのだろう。時期を同じくして最長老の先代中村又五郎が逝き、その名を歌六の弟である歌昇に継がせるならば、屋号も名跡も残ることになる。
そうして播磨屋一門に復帰した歌六と又五郎。吉右衛門には後継がいないが、歌六には米吉と龍之介、又五郎には歌昇と種之助と息子たちが続く。中でも米吉は、近い将来に播磨屋の看板役者となるだろう。一時は吉右衛門だけになっていた播磨屋が、今では歌舞伎界の一大勢力になろうとしている。屋号ひとつとっても、歌舞伎にはいろいろなドラマが潜んでいるのである。
ちなみに三代目歌六は本名を波野と言った。だから吉右衛門も、亡くなった勘三郎も名字は同じ波野さん。そして、なぜか萬屋一門は母方の小川姓を名乗っていて、歌六も時蔵も錦之助もみんな揃って小川さん。血と縁と名が繋がり続ける歌舞伎の世界なのである。(き)



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posted by 冬の夢 at 21:39 | Comment(0) | 伝統芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする