2017年12月13日

水前寺清子 − 三百六十五歩のマーチ 元気が出る曲のことを書こう[32]

 水前寺清子は、この曲の収録をひどく渋ったという。
 歌謡コンテストで見い出してくれた恩師、星野哲郎の作詞にもかかわらず。
 苦労のすえのデビュー、追い風にのって四年目、すこしでも息長く歌手活動できるよう芸域を広げよと星野が用意したのがこの曲だ。
 自分の経験や気持ちを織り込むタイプの作詞家だった星野だが、小柄な水前寺清子の本名「民子」から、「ちいさいみちゃん」で「チータ」と名付けまでした星野の、水前寺への「援歌」でもあったと思われる。
 しかし、男着物で歌うド演歌が自分の持ち味と決めていた水前寺には、「ワン・ツー・パンチ」などと歌わされる曲は子どもの運動会の歌に思え、とても歌えないと感じたらしい。

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三六五歩のマーチ 1968
このコスチュームもイヤだったそうだ。意外に(失礼)カワイイですが…。

 ところが、いやいや吹き込んで一九六八年十一月に発売すると息の長い大ヒットに。翌年のレコード大賞で大衆賞、累計百万枚以上のメガセールス曲である。
 さまざまなコマーシャルに使われたし、最近も、熊本地震から半年がすぎた昨秋、県のキャンペーン動画「フレフレくまもと!」になった。声援のため一部歌詞を変えた版を、熊本市生まれの水前寺が歌い、県民や出身タレントが振りをやるバージョンになっている。

  しあわせは 歩いてこない
  だから歩いて ゆくんだね
  一日一歩 三日で三歩
  三歩進んで 二歩さがる
  人生は ワン・ツー・パンチ
  汗かき べそかき 歩こうよ
  あなたのつけた 足あとにゃ
  きれいな花が 咲くでしょう
  腕を振って 足をあげて
  ワン・ツー ワン・ツー
  休まないで 歩け
 (以下略)

 あれこれ解説しなくても、たちまち覚えられて歌えて、しかもワン、ツーと歩きながらでも歌える。
 録音時は不満だったが、すぐに大切な曲と納得した水前寺は、持ち歌として磨きをかけ、あの「がなり声」で存分にあおってくれるので──がなっているのではなく、鍛えられた、メタリックで通りがいい声だ──たちまち歩調がとれる。行進曲といっても軍歌調ではなく「あなたのつけた足あとにゃ」は、しっとりとマイナー転調。ここが効いて「腕を振って」への展開がすばらしい。
 だいたいこの曲、「ツカミ」がいい。つまりイントロ。
 ドミソのハ長調に置き換えると、まず「ドーラソミレドっ!」の下降フレーズ。聴き手を楽勝でテンポにのせてくれる。
 つづいて、カンタンなのにワクワクする「ドレミレミファミファソファソラソラソラソラソー」の上行フレーズ。
 ハイ、「しっあわっせわァ〜」! 
 根気よく頑張って幸福をつかもう! という曲だが、最初のワンフレーズでもう幸せ状態だ!
 オタク的ですみませんが、ついでにいうと冒頭の「ドーラソミレドっ!」のリフレイン2回目は「ドーラソミ♭レドっ」。ブルーノート! この音も軍歌ふうを回避する効果だ。
 
 あれは小学校三年生ごろだったか、同じ県内ではあったけれど街場の学校から、田んぼだらけの中に木造校舎が立つ小学校へ転校した。
 朝礼のとき。
 校庭で遊んでいると、突如ウーウーとサイレンが鳴る。全校生徒がストップモーションをかけられたように遊びを中止、その場で直立不動。シーンと静まり返る校庭。
 校舎の上にのっかってサイレンを響き渡らせたメガホン型のスピーカーから、さらなる大音量で飛び出したのは「ドーラソミレドっ ドーラソミ♭レドっ」! そう「三百六十五歩のマーチ」に合わせ、全校生徒が無言で行進、整列隊形に集合だ!
 この場面は、何度も経験したせいもあってか、いまも脳裡に焼きついている。当時、笑うどころかあっけにとられたと思うが、転校生としての微妙な立場がこなれるにつれ、ほどなく慣れてもしまった。

 ただ、慣れたといっても、好きだったり楽しかったりしたわけではない。
 なんとなく、素直にはやれない感じだった。
 街場から田舎に転校といっても四〇年以上前の関西某県。現在でも両方とも「いなか」とくくってしまえる地域だが、なじむのにとても時間がかかった。都市部からの転校生は、そのことだけで揶揄されたりする宿命で、現在報道されるようなひどいことはなかったが、しばらくは「いじめ」にも合った。
 子ども時代の気持ちを、おとなの言葉で説明するのはよくないが、転校さきの生徒たちが「三百六十五歩のマーチ」で奇妙な統一感をかもし出す姿は、いかにも「敵」の集団に思えたにちがいない。

 だいいち、わたしは行進が苦手な子ども。
 小学校にあがると行進させられる──あの閲兵式みたいな行進、いまも小学校で教えているのでしょうか──わけだが、できなかった!
 いくら矯正されても、左手と左足、右手と右足が同時に出てしまう! いまじゃあ「ナンバ歩き」といって健康にいいなどといわれているが、「腕を振って 足をあげて」が左手右足・右手左足の組み合わせでやれるまで、えらく苦労した。

 水前寺清子にはなんの罪もないし、曲そのものには昂揚感を感じた、そこを話したかったのだけれど……。

 さらに別の都市に移ったのち、中学一年か、二年のとき。
 放送係になり、運動会のときなどはテントの中で機器をいじり、あれこれ行進曲などを流した。
 間違いなく、行進や集会がいやだったから、放送係になることで避けていたのだ。
 運動会だったか朝礼だったか、ある教師がオープンリールテープを持ってきて、行進のときはこれを流せといった。
 行進中に曲の尺が足りずに終わってしまうと、レコードなりテープなりをアタマからまた回す。そうすると、どうしても「イチ、ニ、イチ、ニ」の歩調と、ふたたび流した曲がずれ、歩調を取り直さなければならない。その教師は、タイミングを計ってダビングしたか、テープをつないで、曲間が歩調に合うようにしたわけだ。
 曲が終わってまた始まったとき、曲と、行進を続ける全校生徒の歩調はみごとに合った。
 顔も名も忘れたその教師は、それまで曲のリピートで歩調を乱れさせたり、かけ直しに手間取って無音を続けたりしていたわたしのほうを見て「どうだ」という態度をした。
 そのとき、わたしはなぜか心底、思った。
 この男は、バカなのではないかと。

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男でよいしょ 1968
「三百六十五歩のマーチ」の同年春のシングル。これが水前寺の得意路線。

「三百六十五歩のマーチ」は、曲想がちょうど高度成長期の右肩上がり感にピッタリで、大衆に爆発的に受け入れられヒットした、という解説がほとんどのように思える。時代の昂揚感に吊り上げられ、ヒットしたことで時代を後押しもした曲、というわけらしい。
 しかし日本の実質経済成長率は、この曲が登場した一九六八年を頂点に下降し始める。そして、当時の成長率が回復したことは以後一度もない。
 また、ひとつひとつあげるときりがないからやめておくが、一九六八年前後に現われたさまざまな社会現象は、「右肩上がり」の価値観を疑い、疑問符を書きつけ、場合によっては破壊しようという事態であったことは、いまさら指摘するまでもないだろう。

 水前寺清子は、舞台で歌うときは略す場合が多い2番の歌詞のはじめの部分が、じつは好きなのだそうだ。

 しあわせの 扉はせまい
 だからしゃがんで 通るのね

 う〜ん……素直に聴けば、ディズニー映画の「不思議の国のアリス」で、ほら、床にある小さなドアみたいな感じがして、ファンタジックな「しあわせ」が待ってくれているような感じもしなくはないけれど、いやいや、さきほどの「手足のコンビネーション」よりもずっと苦手だった体育の授業の「しゃがみ歩き」、スクワット・ウォーキングというんでしょうか、あれを思い出す。
 水前寺は別の意味で素直に、頑張って自分で扉を開けましょう、しゃがめばみんなが通れるよ、というイメージが好きなのだろうけれど、しゃがんで歩けといわれたら、その場で「しあわせ探し」を諦めてしまうだろうわたしは、なんだか黙示録的なイメージが浮かんできて怖くなってしまう。考えすぎですか。うん、考えすぎだ……。(ケ)


「東京新聞」二〇一六年七月二十七日 ほか


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2017年12月10日

AC / DC − Hell Ain't A Bad Place To Be 元気が出る曲のことを書こう[31]

 ヘイユー!

 といっても左とん平じゃないよ!
 ボン・スコットです!

 AC/DCが世界中で知られているのは、もちろん三十五年以上もこのバンドで歌ったブライアン・ジョンソンの貢献が大きいが、「Hell Ain't A Bad Place To Be」の「ヘイユー!(Hey you)」、このひと声を聞き比べるだけで、AC/DCはボン・スコットのバンドだったんだと心底、納得できる。七〇年代半ばから五年半ほどの在籍だったけれど。
 で、ジョンソンがついに抜けたAC/DCでいまマイクを握っているのは、なんとアクセル・ローズなのだが、この男の「ヘイユー!」の腑抜けたいい方ときたら、「裸で出直して来い!」と怒鳴りつけたくなるほどだ。やっぱりAC/DCは、ボン・スコットのバンドなのだ!

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LET THERE BE ROCK
映画公開とビデオソフト発売は1980年。DVDリリースは2011年までずれこんだ。
DVDの新エディションも出ているようだ。くわしく調べていない。すみません。
サウンドトラックCDも単発で出ているが、収録曲が違っているかもしれない。
文末の『Live From The Atlantic Studios』と合わせて、この演奏映像は必見だ。

 かなり長い間、輸入ビデオカセットしかなかったが、いまはDVDが出ている一九七九年パリでのライブ、『LET THERE BE ROCK/THE MOVIE/LIVE IN PARIS』の三曲め、「Hell Ain't A Bad Place To Be」を見てください。
 十二月の公演だが、ボン・スコット、もちろん裸である。
 そのわずか二か月後、氷点下のロンドンの朝、スコットは前夜の深酒のはてに車中に放り出されたまま亡くなってしまうので、裸でわめいているスコットの姿には、ひどくしみじみさせられる。叫びが脳天を突き破るような歌いかたなのに、ちょっと信じられないが喘息持ちだったそうだ。泥酔したままヒーターもつけない車中で人事不省に陥るとは……。
 ひどい飲酒癖はともかく人好きのする性格だったと、いつか海外の記事で見たことがある。ひょっとして、もとは体が弱く、シャイなタイプだったのだろうか。そういうヤツほどおおげさに振る舞ったり暴れたりするから。
 実際、バンド加入前は、あれこれ悪事もはたらいたらしいが、フィル・ラッドよりはましじゃないかと。というのも、そのAC/DCのドラム奏者は、世界的成功を享受し、いちど引退(クビになったのだが)後、ヘリコプター運輸会社を買収しまた成功、バンド再参加さえ果たしたが、数年前、薬物・麻薬所持や脅迫、あげくに殺人教唆(!)で、いい歳でまたバンドをクビになっているからだ。
 なぜ、いまさらスコットをかばいだてするかというと、七〇年代の日本の音楽雑誌やラジオ番組はスコットを、オーストラリアの辺境生まれで(イギリス生まれの豪州移住者だ)、動物と一緒に育ったので英語がほとんど話せないと紹介していたから。知っている英語はワイセツな単語だけ、女とみれば襲いかかる狂犬だ、みたいに。いい加減なものだ。

 それはともかく、ボン・スコットの「ヘイユー!」。
 ド田舎の貧乏白人だらけのバーで神経質そうなアンチャンにこれを言われたら、つぎの瞬間には殴られている的な「ヘイユー!」だ。日本語に訳すなら「なあ、お前」じゃなく、松田優作の「ちょっと、そこのアンタ!」だろう。これがロックの「ヘイユー!」だ!

 スコットの「ヘイユー!」がベストなのは、単純で強烈なリズムの合いの手として、ピシリと決まっているからだ。
「ヘイユー!」の前の、爆発的なギターのイントロは、 

 G5 D/F# G5 | D/F# G5 D/F# | A

 書くと、コードも譜割もえらく難しそうだが、なんの、フォークギター入門者でも弾ける。
 メインリフにいたってはイントロより簡単。初めてエレキを持ってもほどなく音が拾える。
 ラッドのドラムも単純で、代わって叩いているクリス・スレイドのほうが素人目にもはるかに上手い。ラッドのフィルインなど楽勝で同じに叩けるはずだ。
 が、なぜかラッドのほうがいい! 
 正確にはわからないが、ハイハットが異様にやかましい気がする。そこがまた、このシンプルなバンドを盛り上げる。
 ロックは単純なことをキチンとやればカッコいいんだ、ということに思えるが、そこがAC/DCが一筋縄ではいかないところ。一人でギターをいくら練習してもAC/DCに聴こえなかったり、バンドで合わせると、どうもパッとしない経験は、多くのアマチュアがしたと思う。

 目立つところでギターでいえば、アンガスとマルコム、おなじみヤング兄弟のギターのパート分担。
 息の合った兄弟どうし、弟の華麗なソロを兄がカッチリ支える、というのが、ありがちな説明だが、正確でない。もちろんアンガスがソロを弾いているときは別として、歌メロのバックでは兄弟はほとんど同じことをやっている。
 が、その「ほとんど」が非常なクセモノだ。微妙に違う。同じリフを兄弟で、わずかに音違いで弾いたり、同じ音でも違う押さえかたで弾いていたり、それが混ざることで、すごい効果になっている。
 ボン・スコットの歌は、やたらな絶叫調でなく、手裏剣のようにポイントを突き刺す。ドラムをやっていたせいかと想像している。たしかフォリナーのルー・グラムもドラム経験者。どちらもキレがいい。グラムと比べるとスコットはいかにも訛っていて歌詞は聞き取れないが、ツボを心得た掛け声のように、メリハリが気持ちいい。

 バンド全員が「リズム免許皆伝」であることが、単純な曲で世界を熱狂させ、まったく古びない理由だが、そのリズムの「テンポ」、それがまた、AC/DCならでは、なのだ。
「Hell Ain't A Bad Place To Be」はBPM128くらいの速さ。現代のロックではかなり「遅い曲」だが、いちど、この曲を聴きながら歩いてみてください。走るのと歩くのの中間くらい、やや早足のテンポだ。これが非常にノリやすく気分が高揚する。外回りの仕事で面罵されメゲて直帰のときなど、ヘッドホンでこれを鳴らすと、いつしか歩みが早まった。調子よくイチ、ニ、イチ、ニと家路へ、いや駅前の呑み屋へと、足を進めたものだ!

 Sometimes I think this woman is kinda hot
  この女 熱いヤツだぜ って思うときもあるが
 Sometimes I think this woman is sometimes, not
  どうもそうじゃねえってことが ちらほらあんだよ
 Puts me down, fool me around
  俺をコケにしやがったり 浮気しやがったり
 Why she do it to me?
  なんでそんなことをするんだろうな
 Out for satisfaction, any piece of action
  どれもこれも 満足したくてやってるってつもりかよ
 That ain't the way it should be
  そんなこと あっちゃいかんのさ

   She needs lovin'
    愛したがってるんだろ
   Knows I'm the man
    俺がベストだと知ってるもんな
   She's gotta see
    あいつもわかんなくちゃいかんぜ
   Pours my beer
    俺にビールをついで
   Licks my ear
    俺の耳を舐めりゃ
   Brings out the devil in me
    俺の中の悪魔がご登場だってことを

 Hell ain't a bad place to be
  地獄の居心地は 悪くはないよな

 kinda hot な女とは、付き合ったことも結婚したこともないし、どちらかといえばニガテな部類だ──相手にされてなかったという説もある──が、この曲を聴いていると、試してみもせず、不機嫌そうな呑み屋のオヤジがドンと置いたビールを前に突っ伏していた自分は、人生を大損したような気になってくる。

「Hell Ain't A Bad Place To Be」の、一九七九年パリ公演を、もういちど見よう。
 アンガス・ヤング! 
 丈が小さい人で、さして大きくないはずの楽器が体に合わないほど大きく見える。手が届かないんじゃないかと心配になるほどだ。
 彼が現在も弾いているギブソンSGは、構造上ネックの先端が体から遠くなる。いやおうなく体を思い切り開き、全身で弾くことに。体じゅうをバタつかせ、ステージを所せましとねり歩くアンガス。こちらも思わず動きを合わせるテンポはBPM128、いや130くらいかな、とにかく最高だ!
 兄のマルコムは、後方のアンプスピーカーの前からほとんど動かず、「分担」をひたすら弾き続ける。はじめにAC/DCはボン・スコットのバンドだ、と書いたけれども、演奏を見ているうちに、裏方に徹する心意気や作曲者としての重大な役割を強調するまでもなく、そうかこのバンドは「兄貴」のマルコム・ヤングがいないと、なんにも始まらないんだ、という地鳴りのような感動もわき起こってくる。イチ、ニ、イチ、ニ、と元気づけられながら。

 二〇一四年秋、認知症のためバンドを抜けざるを得なくなったマルコムの後任には、ヤング兄弟の甥で、かつてマルコムの代役でライブをしたこともある、スティーブ・ヤングが入っている。が、申しわけないようだが、長年バンド活動はしたがめぼしい成果がなく、すでに還暦を迎えている「新」メンバーが、マルコム・ヤングの役割を受け継ぐのは容易ではなさそうだ。
 また、さきのフィル・ラッドがクビになったのが二〇一四年、ブライアン・ジョンソンは聴力障害の悪化で二〇一六年春に離脱、創設メンバーではないがジョンソンより在籍期間が長かったベースのクリフ・ウィリアムズも同じ去年の夏に引退表明。治療を続けていたマルコムは先月亡くなってしまい、AC/DCはもはや、難破船のような状態だ。

 しかし。
 
 アンガス・ヤングに聞いたわけではなく想像に過ぎないが、この人は「完全に息の根が止まる」までAC/DCを続ける気なのではないだろうか。
 なぜならそれはヤング家、つまり移民一世家族の意地だと思うからだ。
 ボン・スコット在籍時代つまりAC/DC初期の制作担当者だったのは、六〇年代初頭に家族でイギリスからオーストラリアへ移民後、人気バンドの一員となったこともある次兄のジョージ・ヤングだ。そしてファンなら承知のことだが、バンドの名前を思いついたのも、あまりにも有名なアンガスのブレザー、半ズボン、ランドセルというスクールボーイスタイルを提案したのも、お姉さんのマーガレットさん。マルコムの後継者に、クリス・スレイドのような有名バンド経験者より長兄の息子を選んだことは、当然の帰結だったのかもしれない。

 となれば、AC/DCを「見とどける」ことが、わたしの使命だといっても過言ではないだろう。
 いかん! CDを全部は持っていない……。
 そのかわり、でもないが、日本では人気がいまひとつで来日公演が多くなかったこのバンドのライブは観ている。二〇一〇年の来日公演だ。当時五十代半ばのアンガス・ヤングはもちろん、裸だった。(ケ)

Malcolm Mitchell Young 1953/01/06 - 2017/11/18
George Redburn Young 1946/11/06 - 2017/10/22
Ronald Belford Scott   1946/07/09 - 1980/02/19
 
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BONFIRE
「ボン・ファイアー 〜ボン・スコットに捧ぐ〜」1997年発売の5枚組セット。
前出の『LET THERE BE ROCK/THE MOVIE/LIVE IN PARIS』のサントラ2枚
未発表音源1枚/『BACK IN BLACK』1枚/『Live From The Atlantic Studios』1枚
『BACK IN BLACK』はスコット死後の再起盤(ブライアン・ジョンソン)、かつ、超有名盤なので同梱されても……。

『〜Atlantic Studios』は、一九七七年に宣伝用録音され公式発売されていない。むろんボン・スコット。
気絶するほど素晴らしく、AC/DCを初めて聴くなら、まずこれと思うほどの出来だ。
でも、これ一枚のためにボックスセットを買えとはいいづらい……。
ボン・スコット時代の盤を集め直そうと思ってはいるが、ジャケットも構成も違う豪州盤と二枚ずつ買わなくちゃいけないし……。
四の五の言わず買えってか! ハイ……。


※12月11日、歌詞の訳を手直ししました。ご指摘に感謝します。


posted by 冬の夢 at 23:47 | Comment(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年12月09日

行司の差し違え、レフリーのミスジャッジ

両国国技館に相撲観戦に出かけたことがある。幕内力士の土俵入りは豪華絢爛で、関取は誰もが大きくて美しい。TVでは感じられない「国技」の有り様を楽しむことが出来た。
楽しんだのだが、何か物足りない気分だったのも確かで、足りないのは「スローモーション再生」だと気づいた。その日の取組では物言いがつくきわどい勝負はなかったものの、見ていて判別がつかない場面もいくつかあった。普段のTV観戦ならば、今行われた取組の映像がすぐに再生されて、土俵際の勝負所をいろんな角度のカメラが捉えた映像で再確認出来る。「あー、確かに先に肘がついてるわ」という具合に。国技館には当日の取組表の掲示板があるだけで、大型モニターによる映像表示機能はない。決まり手も場内アナウンスの声が「ただいまの決まり手は下手投げ、下手投げで稀勢の里の勝ち」と告げるだけ。勝敗の判定はすべて行司に託されていて、その判定に疑いがあるときに限り、土俵下の勝負審判が物言いの声を上げることが出来る。もちろん、過去のいろいろな経緯(※1)から、勝負審判には別室からTV映像を検証した結果が伝えられる仕組みになっている。
物言いがついた取組で言えば、家でTVを見ている視聴者も、別室に控える協会関係者も、相撲中継するNHKのスタッフも、今行われた取組をスロー再生で再確認する。再確認出来ないのは、国技館の中にいる人だけ、ということになるが、大半の観客はスマートフォンのTV中継機能を利用しているのかも知れない。勝負審判は間接的に再生映像の情報を得ているとすると、映像を見られないのは土俵上にいる力士と行司だけ。力士は競技の当事者だから勝ち負けを身体全体で感知しているだろう。その体感には相手の身体までは含まれないのだから、土俵の上で、間近で、客観的に、勝負が決する瞬間を感得するのは、まさに行司ただひとりであると言える。
行司は、差し違えをしたら切腹する覚悟で軍配を上げる。江戸時代から今日に至るまで、本当に切腹した行司はいないそうだが、一瞬を見抜いて軍配を上げるプレッシャーはいかほどであろうか。しかも、命をかけて下した判定は最終決定ではないのだ。物言いがついたら、あとはすべて勝負審判に委ねられる。土俵上での審議中、勝負審判たちの横でやや下を向いて小さくなっている行司の姿は孤独そのものであり、完全に孤立している。彼だけが再生映像を見られないのだし、映像の情報を知らされないのだ。行司の頭の中には、今軍配を上げたばかりの勝負の記憶が揺らめいている。それは行司が立っていた場所からの五感の記憶である。多角的な視点にはならないし、動きを遅くすることも止めることも出来ない。さらに言えば、行司は機械ではないから感情がある。極めてプロフェッショナルに勝敗を決めるスキルがある一方で、個人的な感情を100%なくすことは出来ない。横綱昇進がかかった一番や大関陥落が決する場面で、その感情は軍配を東に上げるか、西に上げるかに影響しないとは言い切れない。
勝負審判の審議が終わり、審判部長がマイクを片手に「只今の審議について説明いたします……」と場内に向けてアナウンスする。行司差し違えのときは、会場が大きくどよめく。その中で行司は、その裁定に従って静かに軍配を上げ直すのだ。

それでも、行司はまだ恵まれているのかも知れない。相撲の勝負は一番ごとに決着するし、判定の最終決定者は勝負審判だ。差し違えた場合は、その場で間違いが正されるので、ある意味では後腐れがない。それに比べると、行司よりも辛いのは、団体競技の審判員だ。
先日もTVのスポーツ中継を眺めていたら、「これはちょっとどうなんだろう」というジャッジの場面が出てきた。
関東大学ラグビー対抗戦。伝統の早明戦の前半、明治大学のスタンドオフがタックルされながら上半身を反転させながらトライを決めた。かと思ったら、レフリーはタッチジャッジに確認したうえでトライを取り消し、ノックオンの反則を取った。明治の選手は背面から倒れながら、片手に抱えたボールを脇の下からグラウンディングした。その際、確かに先にボールが腕から離れたように見えなくはなかったので、TVを見ていても「トライじゃなきゃノックオンだな」と感じられた。しかし、その場面を別角度からのカメラ映像がスローモーションで再生すると、ボールはしっかりと地面に押さえつけられている。その映像が秩父宮のビジョンでも流されたのだろう、スタジアムの観客のどよめきを受けて、明治のスタンドオフは両手を広げて納得のいかない表情を浮かべた。しかしながら、ここはアマチュアの大学ラグビー。それ以上の混乱には至らなかったし、5mスクラムの後も攻撃を続けた明治がトライしたので、事なきを得た。
かたや、サッカーJリーグ。J2からJ1への昇格チームを決めるプレーオフ準決勝で、名古屋グランパスとジェフユナイテッド千葉が対戦。前半を1-0で折り返した千葉は、後半途中で名古屋に同点に追いつかれる。その場面、千葉の選手のクリアボールが名古屋のミッドフィルダー田口の手に当たったように見え、そのボールを追いかけた田口がゴールを決めた。名古屋はその後もゴールを重ね、結局は4-2で名古屋が千葉を退けたのだが、田口のゴールはスロー映像を再生せずともハンドの反則であることは一目瞭然であった。田口のゴールが認められると、千葉の選手たちがレフリーのもとに集まって猛抗議を始めるも、レフリーは一度下したジャッジを取り消さない。試合後の千葉側のコメントでは「手には当たったが、田口は肘を脇につけた状態だったので、故意のハンドではない」とレフリーから説明されたそうだ。再生映像を見る限り、田口の脇は締まっていないから、これは後付けの言い逃れに近い。
早明戦にしてもJ2プレーオフにしても、あけすけに言ってしまえば、レフリーはミスジャッジをしたのである。

ラグビーでは、公式大会になると、TMO(テレビジョンマッチオフィシャル)という仕組みがあり、ジャッジを下す前にレフリーが再生映像確認情報を得ることが出来る。早明戦でTMOが採用されていれば、明治のトライはそのまま認められていただろう。かたやサッカーは、ゴールラインを超えたかどうかを判定するGLT(ゴールラインテクノロジー ※2)を導入している段階に過ぎず、フィールド上のプレーについては映像技術に判断を委ねる考えは全くない。それはもっともな話で、相撲のようにすぐに勝負が決まるスポーツは世界でも稀なのであって、サッカーにはボールを動かす「流れ」がある。その中で反則があった場合、レフリーがその流れをあえて止めて、ペナルティを与える。レフリーが流れを止めた時点で、反則は確定しなければならず、そこで映像確認して「やっぱ反則じゃなかったんで、とりあえず再開」なんてことでは、試合はブツ切りにされてしまうのだ。ラグビーでTMOの採用が進んでいるのは、サッカーに比べてラグビーは試合の区切りが多く、流れを阻害せずに映像確認できる間合いが取れるからだろう。

しかしながら、判定に映像を用いるかどうかの議論は、そのスポーツの価値基準をどこに持つかという本質論でもある。
プレーをしているのは人間であってロボットではない。人間の認知力には限界があり、人間とは常に間違いをおかす生き物である。我々が持つそのような特性を否定せず、むしろ受け容れるのであれば、レフリーが下す判定だけをデジタルな映像復元に頼ることはない。選手だけでは試合は成立しないのだし、審判員がいてくれること自体を尊重して、その審判に身を委ねることも試合の一部だと思いたい。そのうえで、人間だから自分に有利な判定は歓迎するし、気に入らないジャッジが下されれば怒り、反発もするだろう。それもまた、スポーツ観戦の醍醐味なのである。そもそもすべての判定が完全に正しければ、このコラムさえ全く不要で即ゴミ箱行きだ。そういうのって味気ないじゃないですか。
だから、今日もまた、スポーツ中継を見ては、レフリーの存在が気になってしまうのだ。いやいや、それにしても名古屋グランパスがJ1に復帰出来て、本当に良かった……。(き)

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(※1)昭和四十四年三月場所で横綱大鵬は連勝記録を44に伸ばし、双葉山の69連勝に迫っていた。二日目の相手は前頭筆頭の戸田。土俵際で戸田をはたき込んだ大鵬に軍配が上がったが、勝負審判から物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちとなり大鵬の連勝記録は途絶えた。当日のTV中継でも翌日の新聞の写真でも、大鵬が倒れる前に戸田の足は明らかに土俵の外に出ていた。この誤審をきっかけに、相撲協会はビデオ映像を判定の参考にすることを決めた。

(※2)2012年7月、FIFAはGLTの採用を決定した。初めてGLTが導入されたのはFIFAクラブワールドカップ2012だが、莫大な費用がかかるため、採用するかどうかは大会主催者に決定権がある。ワールドカップロシア大会アジア地区最終予選の初戦、日本対UAE戦ではGLTが未採用だったために、後半終了間際のシュートがゴールと認められず、日本は1-2でUAEに敗れた。




posted by 冬の夢 at 22:54 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年12月05日

国立劇場十一月歌舞伎公演『沓掛時次郎』

 あの違和感は、なんだったのだろう。

 歌舞伎観劇歴は浅い。ほかの演目をたくさん観ていて出来不出来がわかるわけでもなく、歌舞伎用語で「ニン」という俳優と役柄の相性も知らない。違和感なんて高級な感想の出てきようがない。
 人気の「股旅もの」として映画やテレビ、歌謡ショー、剣劇などで長年の定番だったから、有名な映画版は観たことがある。映画と違うところが気になったのだろうか。いや、それもない。映画の記憶と比べながら観たわけではないから。

 歌舞伎の『沓掛時次郎』は「新歌舞伎」だ。明治後期から昭和初期の作で、座付の書き手でなく文芸作家や劇作家が書いた脚本が新歌舞伎。歌舞伎用語では「書きもの」というそうで、昭和以降の脚本は「新作」といって、さらに区別するらしい。
 作者の長谷川伸(一八八四〜一九六三)は、池波正太郎をはじめ著名な時代劇作家を育てたことでも知られる、大衆時代劇の巨匠である。『沓掛時次郎』は、一九二八(昭和三)年に書き下ろし戯曲として雑誌発表され、同年の初演は新国劇。六年後に歌舞伎で演じられて演目になった。江戸時代が舞台だが現代劇で、セリフはテレビの時代劇とほとんど変わらない。多作だった長谷川伸の、ごく初期の作だが、大衆芸能で長く親しまれたことは、さきほど書いたとおりだ。
 映画版ではもちろん、さまざまな時代劇トップスターが主演している。ことに市川雷蔵の大映版(一九六一年)と中村錦之助の東映版(一九六六年)は、それぞれ池広一夫、加藤泰という職人的名匠の監督作でもあり、最高の完成度のものだろう。
 そう、それらの映画で『沓掛時次郎』はいいな〜と思っていたので、歌舞伎でも観てみたかった。いきなり歌舞伎版を観ても話についていけそうだと、知ったふうな顔をして国立劇場へ向かったわけだ。

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 歌舞伎ファンには「新」はあまり人気がないらしい。『沓掛時次郎』も歌舞伎では四十一年ぶりの上演だ。新歌舞伎だけでの定期公演は国立劇場ならでは、とのこと。
 時次郎役の中村梅玉は、品のいい男役をおもに得意としてきたそうだ。紫綬褒章を受章しているベテランである。そういう役者にケンカとバクチで世を渡る旅烏を演じさせた理由は、わからない。国立劇場ならでは、なのかもしれない。
 もっとも、これらの説明はすべて舞台を見終えて調べた受け売りで、観劇体勢はまったくの白紙だった。

 沓掛時次郎とは何者か、くらいは説明しておかないといけない。できるだけ簡単に──。

 おそらく江戸時代終わりごろの下総、いまの千葉県あたりから話が始まる。
 時次郎が名乗る、在所の「沓掛」は、はるか遠い信州。故郷を捨てたか追われるかして流れついた流浪の博徒だ。渡世人というやつです。
 その業種の場合、旅の宿は、その土地を仕切る組織を選んで無料宿泊できる。「お控えなすって手前生国……」と自己紹介し、草鞋を脱ぐ。つまり逗留させてもらう。
 旅銭をバクチで稼ぎながらの気まま旅、みたいだが、そうはいかない。
 一夜でも宿を借り食事すれば「一宿一飯の義理」が生じる。「客人」とこそ呼ばれるが立場は臨採の子分。命令には従わねばならず、偶然寄宿した組織に命を預ける場合もある。
 時次郎は一宿一飯の義理で、寄宿先の博徒一家が潰そうとしてきた対抗組織の最後の生き残り、六田の三蔵と果たし合うことになった。そして、なんの恨みもない三蔵を斬殺する。
 が、三蔵は女房子持ち。妻は三蔵の次子を宿していた。
 自分を斬った時次郎を男と見込んで三蔵は「た、た、頼む」と時次郎にすがって絶命。時次郎は、縁もゆかりもない三蔵の妻子の行末を引き受ける。
 女子供を連れ歩くこともあるし、もともと嫌気がさしてもいて、時次郎は博徒稼業をやめ、故郷の歌「追分節」の門付をしながら三蔵の遺妻・遺児と旅を続けた。しかし、にわか堅気に安定収入はなく、臨月の費用に困った時次郎は結局、流浪先で喧嘩の助っ人を引き受ける。命がけの助勢を時次郎は乗り切れるか、その帰還を待つ者たちの安否は……。

 筋を書いていたら、「違和感」の理由らしいものが浮かんできた。

 なんとなく話の運びが忙しい。登場者のやりとりがもの足りなく、情の濃い演目のはずなのに心情が感じにくい。
 場面転換が多く、待たされてばかりな気がしたせいだろうか。暗転では、とくに。
 家の内外で敵味方が様子をうかがいつつ話しているような緊迫場面で、いちいち舞台を動かし──観客を待たせて──芝居を切るのはどうしてなのだろう。また、いちばんの見せ場であるはずの最後の喧嘩場面を暗転のみで略し、ワーという喚声がSEで流れるだけだったのは、なぜなのか。
 理不尽だとわかっていて「ままならなさ」にすがってしまう心と、「ままならぬ」からこそ人のまことは貫かねばならぬと思う心、その押し相撲が身にしみるのが、この演目だと思う。軍配はどちらか、息をのんで見守りたいが、身構えができあがる前に、話が進んでいってしまった。

 ところが、薄いと感じたセリフも、多いと思った転換も、見せ場のチャンバラがないのも、じつは、もとの戯曲通りなのだ。
 一字一句比べてはいないが、国立劇場版の上演台本は、長谷川伸の全集にある戯曲と同じはず。原作者が発表したオリジナルに忠実な上演で、作者の意をもっとも正しく汲むものだといわれたら反論の余地がない。違和感などといい出した、わたしの方がおかしい。

 だいたい、いいと思って観ていた雷蔵や錦之助主演の映画版は、もとの戯曲とずいぶん違うのだ。設定や流れは同じだが、戯曲にない長い場面はあるわ、ラストシーンが戯曲通りでなかったりするわ。
 大衆芸能でさんざん演じられるうちに演出過剰でコテコテになった箇所が、むしろ名場面として広まってしまったのだろう。雷蔵、錦之助の映画版は、映画化の順では最終期にあたるから、それらを取り入れた、濃い味の仕立てなのだろう。
 そんな二つの映画を「完成度が高い」と書いたけれども、ならば長谷川伸の「原典」は、コッテリ味付けを加えないともの足りない、パッとしない戯曲なのか。
 
 さにあらず。
 いっそ潔く、飾りっけがなくて美しい。
 話の運びは忙しいだろうか。
 たしかに、あっさりしてはいる。セリフはおおむね短く、くどい説明や泣き落としは、意外なほどない。
 しかし、短い言葉のかわし合いに漂う情が深い。自問自答、自己言及のセリフでキャラを立てず、劇中の相手がつねにあってのやりとりで、話が進んでいくから、なおのこと。

 最後の喧嘩場面──二つの映画ではもちろん、めいっぱいの見せ場──が略された意味も、場面の区切れに待たされずに戯曲を読んだら、よくわかった。
 時次郎が喧嘩場へ飛び出し、場面転換。喧嘩場面はなし。暗転で喧嘩の騒音を聞かせる指示もない。転換後の場面は、抗争の場からほど「遠からぬ路傍」。へばった喧嘩参加者たちが、こう言い合っている。かんじんの場面を飛ばした意味がよく伝わる。

 博徒一 一体全体、勝負はどうついたのだろうな。
 博徒二 そりゃ俺達の方が勝ったのよ。
 博徒三 はっきり左様わかったのか。
 博徒二 わかりゃしねえが、そうきめとくのよ。


 親分の意地の張り合いで子分が命を投げ出すバカげた私闘。その場面をカッコいいアクションシーンにせず「飛ばす」ことで、仁義や任侠というお題目のアホらしさが際立つ。
 時次郎は命と一両を引き換えに、その「ままならなさ」にすがるが、やはり報われない。しかし「ままならない」からこそ人のまことを貫かねばならぬと、ついに目的のある旅に出る。その決意は、時次郎本人が見得を切る形でなく、安宿主が、前夜聞いた話として語る。
『沓掛時次郎』でもっとも美しいのは、主人公でなくなった時次郎、つまり股旅を捨てた男の、「後ろ姿」なのだ。

「股旅」は、長谷川伸の作った虚構の世界である。
 長谷川伸の父は土木業で失敗、その酒乱と暴力から母は逃げ、生き別れに。長谷川伸は小学校を三年で中退、さまざまな下層労働を転々とせねばならなかった。
 文明開化に富国強兵。イケイケでスタートした明治は、その裏面に膨大な敗北、零落、流浪の低層を抱え込んだ時代でもある。「非生産的で、多くは無学で、孤独で、いばらを背負っていることを知っているものたち」とは、長谷川伸が「股旅もの」を定義した一文で、幼いころから明治の裏面史を歩まされた経験が、股旅の創造に強く反映している。
 敗北者や出奔者は、なににすがって生きればいいのか。
 すがるものがないから、ことさら理不尽さにすがってしまう。そのたびに投げ棄てられ、敗走と流浪を繰り返す。
 草鞋を脱ぐ、一宿一飯の義理、賽の目しだい……「しがない者でござんす」という口上で、本当は惜しい人生を粗末に扱ってみせる──股旅という創作空間には、そんなふうに理不尽との因縁が盛り込まれている。
 この「ままならない」因縁こそ、いくとせ変われど庶民大衆が負わされてきた宿命ではなかったか。そして、そんな宿命のまっただ中で時次郎は、こう叫ぶ。

 時次郎は故郷の沓掛を飛び出し、親兄弟に不人情をしている男だが、これでも何処かに情合(じょうあい)だけは残っている人間なんだ。帰ってくるとも、帰ってくるとも、屹(きっ)と、俺は帰ってくる。

 あてどない旅立ちを繰り返し、博打と一宿一飯で人を斬ってきただけの男が、三たび繰り返した「帰ってくる」。
 縁もゆかりもないかたきの遺妻、おきぬの元へ「屹と」帰るのは、女として愛してしまったからだけではない。自分の「母」でもあってもほしいという、二重に恋う心だ。

  逢って一ト言、日頃思ってたことが打明けてえが──

 時次郎の打明けを、一児を遺し亡くなったおきぬは聞けなかった。しかし時次郎の思いはもちろん──第二幕の末尾で──知っていた。おそらくは、母として恋う心をも。
 時次郎は刀を投げ捨て、おきぬの遺児、太郎吉を連れ、おきぬの在所をめざす旅に出る。  

 しかし、そのラストシーンが、改心でもなく、明るい未来への出立でもないことは、明らかだろう。
 花道を去る時次郎と太郎吉の姿には、百姓となり父子となって微笑み合う二人の未来は重ならない。「鋤鍬もって五穀をつくる」という、さらに「ままならぬ」舞台の外、すなわち劇空間外の観客大衆の実世界へと、この二人は溶けていくのだ。
 そしてもちろん、「此所では喜劇ばかり流行る」。

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 戦時中、長谷川伸は陸海軍の佐官のいる場に居合わせたことがあった。
 軍人たちは長谷川に気づくと、兵員の中に博徒や元博徒がいるが、長谷川の書くような股旅者が見当たらず「始末におえんヤツならいくらもいた」、あなたが書くような者は実際には居ない、と突っ込みを入れてきた。
 長谷川の答えはこうだ。自分が書いた、人間として出来ている股旅ものは、主人公ただ一人であり、その数はきわめて少ないと。そして士官たちにこう問うたのだ。

 何故あなた方は主人公だけを意識するのか、何故あなた方は、主人公に対抗する悪いヤツ困ったヤツの多数さを忘れるのか、
 
 あなた方は今の話に出た兵員の中の悪いヤツ困ったヤツを、良い方へ振り向けようと教育したがダメであったのか、それとも、中途半端に見切りをつけて、憎んでだけいたのだろうか、


 ようやく、違和感の正体がわかった。
 戯曲『沓掛時次郎』には、時次郎と相対する「悪役」がいない。
 映画の記憶を思い出しながら観たわけではないけれども、映画では、わかりやすく悪役が、あるいは悪のシステムが、主人公の時次郎の敵役として用意されていた。
「股旅」の由来と仕組みを知り、その仕立てにこもる原作者の経験と思いを知れば、主人公がワルモノと戦う話でないことは瞭然なのだが、いきなり、もとの戯曲どおりだといわれて観ても、時次郎がいったいになにと、そうまでして戦うのかが、観劇している身にはわかりにくい。
 この舞台を観て、こんな屁理屈をいっているのは、わたし一人だと思うからいい加減にやめるが、もしこの舞台が、中村梅玉を観たいというお客さんのために「国立劇場ならでは」の新境地みたいなものを見せたというのであれば、この舞台はせっかくの『沓掛時次郎』を、ただ「そのまま」梅玉になぞらせて、あくまで梅玉という「主人公」を客に見せたに過ぎない、取扱説明書通りの芝居、つまり「取説芝居」だったということだろう。違和感は、そこで極大値をさしたというわけなのだ。

 だったら、どう演出すべきか、脚本をアレンジしていいのかどうか、などは、自分の知識ではとうていわからない。
 教養芝居になっては面白さがなくなるし、そもそも股旅は史実ではない。邪悪な「敵方」をこしらえて殴り込み場面を作ったり、見得ばかり切らせていては、大衆演劇になってしまう。その一方でもちろん、歌舞伎はそもそも大衆芸能じゃないか、というジレンマもある──。
 この演目を文楽で演じたら、どうなるのだろう。
 ふと、そんなことを思いながら『沓掛時次郎』の上演台本を閉じた。(ケ)

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二〇一七年十一月十四日・国立劇場(東京)

「平成二十九年十一月国立劇場歌舞伎上演台本」
「長谷川伸全集」(朝日新聞社/一九七一〜一九七二年)/「石瓦混淆」(長谷川伸/中央公論新社/一九八九年)
「虞美人草」(夏目漱石/新潮文庫/一九五一年)


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2017年11月28日

ラグビーテストマッチ2017 日本vsフランス観戦記

ノーサイドの笛が鳴ったとき、グラウンドに蹲って立てないのはフランスの選手たちだった。十一月二十五日に行われた日本対フランスのラグビーテストマッチ。23対23というスコアは、日本代表チームがヨーロッパの強豪に勝てるかも知れないという兆しを感じさせるものだった。
舞台はパリ郊外、ナンテールにあるUアリーナ。今年完成したばかりの完全密閉型スタジアムで、杮落としはローリング・ストーンズのワールドツアーという最新型球技場。日本戦の当日も三万二千人収容の会場はほぼ満員となった。と言うのも、フランス代表チームは最近のテストマッチシリーズでニュージーランドと南アフリカに連敗中。「日本相手ならフランスの圧勝」という憂さ晴らしを求めた観客が押しかけたのだった。
かたや”Brave Blossoms”こと日本代表は、横浜でのオーストラリア戦では大敗したものの、ツアー初戦のトンガ代表に快勝。勢いに乗ってのフランス戦であった。
生中継で観戦したわけでなく、ニュースで引き分けたと知ってから、YouTubeでフランスのスポーツチャンネルの実況放送がアップされたのを見たのだが、テストマッチとは思えない演出ぶりに驚いた。試合前には照明を暗くした中でグラウンドの周囲に炎が焚かれ、両国の国歌演奏も中編成の音楽隊による生演奏。TV中継スタッフも実況担当者と解説者に加えて、ピッチサイドにもレポーター二人を配置し、ショーアップにかなり力が入っていた。

そんな中で始まったゲームは、前半終了間際まで日本がリードする展開。点差はわずかながら、ポゼッションでは日本が七割を占め、フランスはペナルティキックでなんとかすがりつくといった状態であった。
前半の最後で逆転したフランスは、後半でも攻守において日本に後塵を拝し、ついには日本のフォワードプレーによるトライで追いつかれる。スタンドオフ田村のゴールキックが決まれば逆転というところまで追い詰められて、なんとか引き分けでゲームを終えたのだった。
その最大の要因は日本のタックル。前回のワールドカップのときにも日本が勝利したゲームはタックルが決まっていたのだが、フランス戦では必殺度が上がっているのがはっきりとわかった。
まず、最初のコンタクト。大きな相手の上半身に向かってガツンとぶつかる。自動車事故を思い浮かべるなら、互いの勢いがバッタリと止まるのが正面衝突。少しでもズレると、車は斜め方向に飛んで行ったり、半回転して逆向きになったりする。タックルでも同じ原理で、真正面から当たらないと、相手選手は身体を反転させながらランを継続出来てしまう。フランス戦でのジャパンのタックルはまさに自動車の正面衝突そのもの。もちろん全力で向かってくる相手の動きを見ながらのタックルなので、速さはフランス選手のほうが優る。その勢いを食い止めるために、タックラーを後ろから重機のように支えるサポーターがつく。センターのタックルをウィングが支え、ロックが当たればフランカーが助ける。上半身の動きを止められたフランスの選手は、前進出来ずにボールも生かせず、やむなく潰れてラックにするのみ。日本のタックルでフランスの連続攻撃は、大いに遅滞させられることになった。
日本代表がハイタックルのペナルティを数回取られたのは、逆に言えばこの正面衝突タックルが徹底されていたから。タックルを避けようと相手選手が上半身を少し屈めただけで、タックルが首に入っているように見えてしまう。ゲーム終盤までジャパンのメンバーは同じレベルでタックルをし続けた。強豪と戦う際の必殺技を手に入れたと言って良いだろう。

攻撃に目を転じると、左右に大きくボールを動かす展開力が目立った。何人かのフォワードがライン参加することで、V字型に広がったふたつのパスコースが用意され、スクラムハーフがそれを自在に使い分けるアタックは見ていて爽快だった。
けれどもそれだけではヨーロッパの最強チームのディフェンスを崩すことは出来ない。キックをほとんど使わなかった本戦において、日本の攻撃が大きく前進出来たのは、突破力のあるバックスがフランスの防御網を一気にかいくぐる場面が多かったからだ。バックスへのパスがポンポンとリズムよく横方向に決まり、全速力のラン体制に入ったキーマンにボールが渡る。それはフルバックの松島幸太朗であり、センターのラファエレ・ティモシーであるのだが、彼らは相手ディフェンスのわずかなギャップを瞬時に見抜いて、その隙間めがけてギアをトップに入れる。フランスの選手は指の先までは届くものの、ほんのわずかな差でつかまえることが出来ない。次の瞬間には松島幸太朗は相手陣22メートルラインの奥深くに刺さり込んでいるというわけである。
こうした戦い方をジェイミー・ジョセフ監督は「アンストラクチャード」と表現している。流動的なオープンプレーとも訳されるようで、相手の予測を上回る非構築性が決定力に繋がるアタックの在り方だ。
例えば、パスコースに対角線上から入った選手がボールを受ける「シザーズ」と呼ばれるプレーは本戦の中で一度しか使われなかった。パターン化された攻撃は、言い換えれば型が決まっているだけに読まれやすい。「アンストラクチャード」は予想もしない動きを加えることで、ディフェンスを混乱させ、その穴をつく作戦とも言える。それには洗練された個人技を強豪相手に発揮出来るタレントが必要であり、今の日本代表にはそんな才能ある選手が幾人も存在するということでもある。
どのコースで攻めるのか、どこへパスするのか。いつペースをチェンジするのか、あるいはどの方向に転換するのか。日本の選手もわからないようなアンストラクチャードなアタックが出来上がると、日本代表の新しい武器になることは間違いない。
もちろん、日本特有の細かな決め事がハマった部分もある。特に工夫が目立ったのは身長差のあるラインアウト。複雑に受け手が入れ替わってボールの入れどころを惑わせていたし、ショートラインアウトのはるか後方の誰もいないところにボールを入れて、走り込んだプロップがマイボールを保持していた。負傷でロックのリザーブを欠いていたことも要因らしいが、サインプレーにも磨きがかかったのは喜ばしいことだ。

試合終了後、蹲ったままのフランスフィフティーンには、スタジアム全体からブーイングが浴びせられた。格下の日本にまで引き分ける体たらくは、シャンパンラグビーの異名をとるフランスチームにはあってはならないことだったろう。だから、「田村のゴールキックがあと一本でもはいっていたら勝っていたのに」などと嘆くのはやめにしよう。日本代表は十二分にその存在感と可能性を示したのだ。”Brave Blossoms”の今後に期待したい。(き)

ラグビー日本代表.jpg

「ラグビーワールドカップ2015」は →こちら
「上田昭夫監督の『魂のラグビー』」は →こちら
posted by 冬の夢 at 23:07 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする